大正三年(オ)第九百二十四號
大正四年六月二十六日第三民事部判決
◎判決要旨
- 一 遭難船舶及ヒ積荷ハ縱令乘組員ノ占有ヲ離レ其處分權外ニ在ルトキト雖モ水難救護法ニ所謂漂流物ニ非ス(判旨第一點)
- 一 乘組員ノ占有ヲ離レタル漂流中ノ船舶又ハ積荷ヲ義務ナクシテ救助シタル行爲ハ海難救助ニ關スル商法第五編第五章ノ制定セラレサリシ時代ノ法規ニ於テハ事務管理ヲ構成シタルモノトス(同上)
上告人 中部幾次郎
被上告人 隱岐汽舩株式會社
法定代理人 渡邊新太郎
右當事者間ノ船舶救助費用請求事件ニ付大阪控訴院カ大正三年九月二十九日言渡シタル判決ニ對シ上告人ヨリ一部破毀ヲ求ムル申立ヲ爲シ被上告人ハ上告棄却ノ申立ヲ爲シタリ
主文
本件上告ハ之ヲ棄却ス
上告費用ハ上告人ノ負擔トス
理由
上告論旨第一點ハ原判決理由ノ冒頭ニ説示スルカ如ク「控訴人(上告人)所有ノ石油發動汽船新生丸カ對馬ノ南方約十哩ノ海上ニ於テ浸水ノ爲メ行動ノ自由ヲ失ヒ漂泊中其乘組員八名ハ他船ニ救助サレタルモ新生丸ノ船體ハ之ヲ委棄シタリシコト」被控訴人(被上告人)所有汽船吉辰丸カ山口縣豊浦郡角島燈臺ヲ距ル南十四度西四海里ノ地點ニ於テ右新生丸ノ難破漂流セルヲ認メテ之ヲ救助シ同縣大津郡向津具村ニ曳キ行キ同村長ニ保管ヲ託シ控訴人ニ於テ同村役場ヨリ右新生丸ノ引渡ヲ受ケタルコト(原判決理由ヲ摘示ス)明白ナル本件ニ於テ上告人所有ノ新生丸カ水難救護法ヲ適用セラルヘキ漂流ノ遭難船舶ナルコト極メテ明白ナリ然ルニ原判決ハ「船舶貨物ノ海難救助ニ付テハ他ノ漂流物ノ拾得ト異リ特別規定ヲ設クルノ要アルヤ勿論ニシテ云云水難救護法第二十四條以下ノ漂流中トハ其字義廣汎ナルモ海上遭難ノ船舶貨物ヲ包含セサルモノト解釋スルヲ相當トス」ト説示シ上告人ニ對シ民法第七百二條ヲ原因トスル本件救助費用ノ支拂ヲ言渡サレタルハ水難救護法ノ適用ヲ受クヘキ本件ニ付キ同法ヲ適用スヘキモノニ非ストセルノ不法アルモノナリト云ヒ」同第二點ハ原判決ハ「水難救護法第二十四條以下ノ漂流物トハ其字義廣汎ナルモ海上遭難ノ船舶貨物ヲ包含セサルモノト解釋スルヲ相當トス」ト説示セラレタレトモ之原審ノ獨斷解釋ニシテ通説ニアラス原判決ハ斯ノ謬見ニ原キ上告人ノ抗辯ヲ排斥セラレタルハ不法ナリト云フニ在リ
判旨第一點 然レトモ水難救護法ニハ其第一章ニ遭難船舶及ヒ積荷救護ニ關スル事項ヲ規定シ第二章ニ漂流物及ヒ沈沒品ノ拾得ニ關スル規定ヲ設ケ此兩者ヲ區別シテ規定セルニ依リ之ヲ觀レハ遭難船舶及ヒ積荷ハ假令乘組員ノ占有ヲ離レ其處分權外ニ在ルトキト雖モ之ヲ漂流物中ニ包含セシムル法意ニアラサルコト明ナレハ一私人カ義務ナクシテ之ヲ救助シタル場合ニモ亦漂流物拾得ヲ以テ論スルコトヲ得サルヤ勿論ナリトス然ラハ原審カ本件ニ於テ上告人所有ノ石油發動汽船新生丸カ明治四十三年五月十二日對馬島沖ニ於テ海難ニ遭遇シ船員ハ他ニ救助セラレ新生丸ハ乘組員ノ占有ヲ離レテ同月二十六日山口縣角島燈臺附近ヲ漂流中被上告人所有ノ吉辰丸ノ爲メニ好意上救助セラレタル事實ヲ認定シ吉辰丸ノ行爲ヲ以テ義務ナクシテ海難船舶及ヒ積荷ヲ救助シタル事務管理行爲ニシテ水難救護法第二章ニ所謂漂流物ノ拾得ニアラスト判示シタルハ商法海商編第五章ノ規定ノ存セサル當時ニ行ハレタル法規ノ解釋トシテ洵ニ相當ニシテ所論ノ如ク法規ノ適用ヲ誤ル不法アルコトナシ仍テ論旨第一點及ヒ第二點共ニ採用セス
上告論旨第三點ハ數額ニ關スル鋼索及ヒマニラ索等ノ價額ニ付原判決ハ「前記ノ索ヲ新生丸ニ繋留シ之ヲ曳船避難スルコトノ同船救助上適切ノ措置タルコト疑ナキヲ以テ右ノ索及重側鉛線ノ價額ハ即チ被控訴人出捐ノ有益費ナリト認ム」ト判示セラレタレトモ第一價額一千圓ナルコトノ爭ナキ船舶(新生丸)ノ救護ニ付石炭代金三十七圓十二錢五厘及船員手當金五十圓ノ外曳索費七百三十一圓四十五錢ノ有益費ヲ要セシモノトハ一見其過多ナルニ喫驚スル所ニシテ第二其曳索即鋼索マニラ索カ數囘切斷シ終ニ廢物ニ歸セシトハ被上告人及原判決ノ認ムル所ナリ如斯ノ方法カ民法第六百九十七條ニ規定セル「最モ本人ノ利益ニ適スヘキ方法」ナリトハ輙ク斷定ヲ許ササルヘキ所ナリ第三現ニ原審鑑定人松尾小三郎ハ「曳索ノ切斷及ヒ曳柱ノ破壞等ノ如キハ之ヲ使用スル技術ノ巧拙ニ基クヲ大トス」ト鑑定シ同鑑定人松本安藏ハ「容積噸數約千噸ノ吉辰丸カ四吋鋼索マニラ索六吋同七吋ノモノヲ曳索トシテ容積噸二十噸足ラスノ木船新生丸ヲ曳キタリトスルモ無理ナル運行ヲ爲ササリシ以上ハ索ノ破斷スルカ如キコトハ絶對ニナキモノナリ又當時使用セシ以上ノ三索モ曳柱モ共ニ無傷ナリシトセハ先ツ破壞スルモノハ曳柱ナリ」ト鑑定シ該鑑定ハ原審カ判決ノ資料ニ採擇シタルモノナレハ被上告人主張ノ曳索切斷ヲ相當ナル事由ニ因ルモノト謂フヲ得ス況ンヤ法律ノ要求スル「最モ本人(上告人)ノ利益ニ適スヘキ方法」ニテ行ハレタリト謂フヲ得サルヘキナリ而モ原判決ハ其理由中ニ事務管理ノ最先要件タル「最モ本人ノ利益ニ適スヘキ方法」ナリシコトニ付キ説示論及スルコトナクシテ其費用ノ償還ヲ言渡シタルハ理由ヲ付セサル不法アルモノナリト云ヒ」同第四點ハ原判決ハ其理由中ニ「鑑定人松尾小三郎松本安藏ノ鑑定ニヨルモ吉辰丸カ異大ナル激浪ヲ冒シテ新生丸ヲ曳船スルニ於テハ前記曳索ハ切斷スコトアリ得ヘク又曳柱破壞セサルニ先ツ曳索ノ切斷スルコトノアリ得ヘキヲ推知スルニ足リ」ト説示セラレタレトモ鑑定人松尾小三郎ノ鑑定書ニハ「充分注意ヲ拂ハレタル方法ニヨリテ良好ノ状況ニアル曳索ヲ使用シタランニハ普通ノ場合ニ於テ六吋マニラ大索ハ二十噸位ニ過キサル新生丸ヲ曳行スルニ充分ナリトス」(記録二二三丁)「索ノ牽引力モ實際ハ其場合ニ於ケル使用方法ノ巧拙如何ニヨリテ強弱ヲ生スヘシ」(同)「曳索ノ切斷及曳柱ノ破壞等ノ如キハ之ヲ使用スル技術ノ巧拙ニ基クヲ大トス」(記録二二四丁)トアリ松本安藏ノ鑑定書ニハ前摘示ノ如ク「無理ナル運行ヲ爲ササル以上ハ索ノ破斷スルカ如キコトハ絶對ニナキモノナリ」(記録二四二丁)「當時使用セシ以上ノ三索モ曳柱モ共ニ無傷ナリシトセハ先ツ破壞スルモノハ曳柱ナリ」(同)ト言ヘリ然ラハ原判決認定ノ如キハ技術ノ拙劣冒險無理ノ行動ニ因リテ始メテ在リ得ヘキ事實ナリト言フニ過キスシテ斯ル場合ノ費用ヲモ本人ヲシテ償還セシムヘキ民法第六百九十七條第七百二條ノ法意ニ非ス然ラハ原判決ハ法則ヲ不當ニ適用シタルモノナリト云フニ在リ
然レトモ事務管理者ハ其事務ノ性質ニ從ヒ最モ本人ノ利益ニ適スヘキ方法ヲ以テ其管理ヲ爲スコトヲ要シ之カ爲メニ有益ナル費用ヲ支出シタルトキハ本人ニ對シ其償還ヲ請求シ得ヘキモノナルヲ以テ原審ハ吉辰丸カ漂流中ノ新生丸ノ救助ヲ爲スニ當リ同船ニ懸索ヲ施シ之ヲ曳船避難セシメタル措置ヲ以テ同船救助上適切ノ方法ナリト認定シ之ニ要シタル費用ヲ有益費用ナリト判示シタルハ何等條理ニ反スルトコロナキヲ以テ上告人カ其費用ノ多額ナリシコト懸索ノ切斷シタルコトヲ以テ適當ナル方法ナラサリシ如ク推摩シ且ツ鑑定人ノ鑑定ノ趣旨ヲ誤解シテ徒ラニ原判決ヲ論難スルハ畢竟原審ノ專權タル事實ノ認定證據ノ解釋ヲ非難スルニ外ナラサレハ論旨第三點及ヒ第四點共ニ上告ノ理由ナキモノトス
以上説明スル如ク本件上告ハ理由ナキヲ以テ民事訴訟法第四百五十二條第七十七條ヲ適用シ主文ノ如ク判決ス
大正三年(オ)第九百二十四号
大正四年六月二十六日第三民事部判決
◎判決要旨
- 一 遭難船舶及び積荷は縦令乗組員の占有を離れ其処分権外に在るときと雖も水難救護法に所謂漂流物に非ず(判旨第一点)
- 一 乗組員の占有を離れたる漂流中の船舶又は積荷を義務なくして救助したる行為は海難救助に関する商法第五編第五章の制定せられざりし時代の法規に於ては事務管理を構成したるものとす。
(同上)
上告人 中部幾次郎
被上告人 隠岐汽船株式会社
法定代理人 渡辺新太郎
右当事者間の船舶救助費用請求事件に付、大坂控訴院が大正三年九月二十九日言渡したる判決に対し上告人より一部破毀を求むる申立を為し被上告人は上告棄却の申立を為したり。
主文
本件上告は之を棄却す
上告費用は上告人の負担とす。
理由
上告論旨第一点は原判決理由の冒頭に説示するが如く「控訴人(上告人)所有の石油発動汽船新生丸が対馬の南方約十哩の海上に於て浸水の為め行動の自由を失ひ漂泊中其乗組員八名は他船に救助されたるも新生丸の船体は之を委棄したりしこと」被控訴人(被上告人)所有汽船吉辰丸が山口県豊浦郡角島灯台を距る南十四度西四海里の地点に於て右新生丸の難破漂流せるを認めて之を救助し同県大津郡向津具村に曳き行き同村長に保管を託し控訴人に於て同村役場より右新生丸の引渡を受けたること(原判決理由を摘示す)明白なる本件に於て上告人所有の新生丸が水難救護法を適用せらるべき漂流の遭難船舶なること極めて明白なり。
然るに原判決は「船舶貨物の海難救助に付ては他の漂流物の拾得と異り特別規定を設くるの要あるや勿論にして云云水難救護法第二十四条以下の漂流中とは其字義広汎なるも海上遭難の船舶貨物を包含せざるものと解釈するを相当とす。」と説示し上告人に対し民法第七百二条を原因とする本件救助費用の支払を言渡されたるは水難救護法の適用を受くべき本件に付き同法を適用すべきものに非ずとせるの不法あるものなりと云ひ」同第二点は原判決は「水難救護法第二十四条以下の漂流物とは其字義広汎なるも海上遭難の船舶貨物を包含せざるものと解釈するを相当とす。」と説示せられたれども之原審の独断解釈にして通説にあらず。
原判決は斯の謬見に原き上告人の抗弁を排斥せられたるは不法なりと云ふに在り
判旨第一点 。
然れども水難救護法には其第一章に遭難船舶及び積荷救護に関する事項を規定し第二章に漂流物及び沈没品の拾得に関する規定を設け此両者を区別して規定せるに依り之を観れば遭難船舶及び積荷は仮令乗組員の占有を離れ其処分権外に在るときと雖も之を漂流物中に包含せしむる法意にあらざること明なれば一私人が義務なくして之を救助したる場合にも亦漂流物拾得を以て論することを得ざるや勿論なりとす。
然らば原審が本件に於て上告人所有の石油発動汽船新生丸が明治四十三年五月十二日対馬島沖に於て海難に遭遇し船員は他に救助せられ新生丸は乗組員の占有を離れて同月二十六日山口県角島灯台附近を漂流中被上告人所有の吉辰丸の為めに好意上救助せられたる事実を認定し吉辰丸の行為を以て義務なくして海難船舶及び積荷を救助したる事務管理行為にして水難救護法第二章に所謂漂流物の拾得にあらずと判示したるは商法海商編第五章の規定の存せざる当時に行はれたる法規の解釈として洵に相当にして所論の如く法規の適用を誤る不法あることなし。
仍て論旨第一点及び第二点共に採用せず。
上告論旨第三点は数額に関する鋼索及びまにら索等の価額に付、原判決は「前記の索を新生丸に繋留し之を曳船避難することの同船救助上適切の措置たること疑なきを以て右の索及重側鉛線の価額は。
即ち被控訴人出捐の有益費なりと認む」と判示せられたれども第一価額一千円なることの争なき船舶(新生丸)の救護に付、石炭代金三十七円十二銭五厘及船員手当金五十円の外曳索費七百三十一円四十五銭の有益費を要せしものとは一見其過多なるに喫驚する所にして第二其曳索即鋼索まにら索が数回切断し終に廃物に帰せしとは被上告人及原判決の認むる所なり。
如斯の方法が民法第六百九十七条に規定せる「最も本人の利益に適すべき方法」なりとは輙く断定を許さざるべき所なり。
第三現に原審鑑定人松尾小三郎は「曳索の切断及び曳柱の破壊等の如きは之を使用する技術の巧拙に基くを大とす。」と鑑定し同鑑定人松本安蔵は「容積噸数約千噸の吉辰丸が四吋鋼索まにら索六吋同七吋のものを曳索として容積噸二十噸足らずの木船新生丸を曳きたりとするも無理なる運行を為さざりし以上は索の破断するが如きことは絶対になきものなり。
又当時使用せし以上の三索も曳柱も共に無傷なりしとせば先づ破壊するものは曳柱なり。」と鑑定し該鑑定は原審が判決の資料に採択したるものなれば被上告人主張の曳索切断を相当なる事由に因るものと謂ふを得ず。
況んや法律の要求する「最も本人(上告人)の利益に適すべき方法」にて行はれたりと謂ふを得ざるべきなり。
而も原判決は其理由中に事務管理の最先要件たる「最も本人の利益に適すべき方法」なりしことに付き説示論及することなくして其費用の償還を言渡したるは理由を付せざる不法あるものなりと云ひ」同第四点は原判決は其理由中に「鑑定人松尾小三郎松本安蔵の鑑定によるも吉辰丸が異大なる激浪を冒して新生丸を曳船するに於ては前記曳索は切断すことあり得べく又曳柱破壊せざるに先づ曳索の切断することのあり得べきを推知するに足り」と説示せられたれども鑑定人松尾小三郎の鑑定書には「充分注意を払はれたる方法によりて良好の状況にある曳索を使用したらんには普通の場合に於て六吋まにら大索は二十噸位に過ぎざる新生丸を曳行するに充分なりとす。」(記録二二三丁)「索の牽引力も実際は其場合に於ける使用方法の巧拙如何によりて強弱を生ずべし」(同)「曳索の切断及曳柱の破壊等の如きは之を使用する技術の巧拙に基くを大とす。」(記録二二四丁)とあり松本安蔵の鑑定書には前摘示の如く「無理なる運行を為さざる以上は索の破断するが如きことは絶対になきものなり。」(記録二四二丁)「当時使用せし以上の三索も曳柱も共に無傷なりしとせば先づ破壊するものは曳柱なり。」(同)と言へり然らば原判決認定の如きは技術の拙劣冒険無理の行動に因りて始めて在り得べき事実なりと言ふに過ぎずして斯る場合の費用をも本人をして償還せしむべき民法第六百九十七条第七百二条の法意に非ず。
然らば原判決は法則を不当に適用したるものなりと云ふに在り
然れども事務管理者は其事務の性質に従ひ最も本人の利益に適すべき方法を以て其管理を為すことを要し之が為めに有益なる費用を支出したるときは本人に対し其償還を請求し得べきものなるを以て原審は吉辰丸が漂流中の新生丸の救助を為すに当り同船に懸索を施し之を曳船避難せしめたる措置を以て同船救助上適切の方法なりと認定し之に要したる費用を有益費用なりと判示したるは何等条理に反するところなきを以て上告人が其費用の多額なりしこと懸索の切断したることを以て適当なる方法ならざりし如く推摩し且つ鑑定人の鑑定の趣旨を誤解して徒らに原判決を論難するは畢竟原審の専権たる事実の認定証拠の解釈を非難するに外ならざれば論旨第三点及び第四点共に上告の理由なきものとす。
以上説明する如く本件上告は理由なきを以て民事訴訟法第四百五十二条第七十七条を適用し主文の如く判決す