明治四十一年（オ）第百九十號
明治四十一年六月八日第二民事部判決
◎判決要旨
- 一 普通ノ家庭ニ於テ父ノ死亡後親權ヲ行フ母カ父ノ生前ヨリ姦通セル情夫ト依然私通關係ヲ繼續スル如キハ民法第八百九十六條ニ所謂著シク不行跡ナル行爲ニ該當スルモノトス
（參照）父又ハ母カ親權ヲ濫用シ又ハ著シク不行跡ナルトキハ裁判所ハ子ノ親族又ハ檢事ノ請求ニ因リ其親權ノ喪失ヲ宣告スルコトヲ得（民法第八百九十六條）
上告人 中村コト
訴訟代理人 手代木佑壽
被上告人 白鳥祖一郎
右當事者間ノ親權喪失宣言請求事件ニ付東京控訴院カ明治四十一年三月十六日言渡シタル判決ニ對シ上告人ヨリ全部破毀ヲ求ムル申立ヲ爲シタリ
立會檢事板倉松太郎ハ意見ヲ陳述シタリ
理由
上告論旨ノ第一點ハ凡ソ親權ノ喪失ヲ宣言スルニハ親權ノ濫用又ハ著シキ不行跡ノ事實ヲ認メサルヘカラス夫ノ孤枕空閨ヲ守ル能ハサルカ如キハ所謂不品行ノ一ニシテ民法八百九十六條ニ所謂著シキ不行跡ト謂フヘキモノニアラス蓋シ本案ハ親權喪失ノ訴訟ナルヲ以テ上告人カ亡夫政八生存中ノ事柄ハ問題外ニ屬セリ故ニ縱令生存中姦通ノ事實アリトスルモ親權ノ消長ニ些ノ影響ナシトス然ルニ夫政八死亡シ上告人カ親權行使後果シテ私通ノ事實アリトスルモ今日ノ社會ノ状態ニ於テハ強テ咎ムヘキ程ノ事ニアラス却テ中等以下ノ社會ニ於テハ普通ニアリカチノコトニシテアレモ無理ハナイト云フテ看過スルヲ常トセリ加之家ノ爲メ又子ノ爲メ操ヲ破リ節ヲ抂クルニ餘義ナクセラレ却チ家ノ爲メ子ノ爲メトナリタル例枚擧ニ遑アラス夫ノ所謂自然主義必要主義者ヨリコレヲ觀レハ果シテ如何左レハ若シ後家カ家ノ爲メ子ノ爲メニナルヘキ然ルヘキ人ヲ撰ミコレニ身ヲ任スルカ如キハ世人ノ多クハコレヲ許シテアレモ無理カナイト云フニアラスヤ顧ミレハ上告人ノ如キコレマテ中村家ノ不動産ニ手ヲ掛ケタルコトナシ即チ不動産ノ如キハ政八生存中ト今日ト毫モ異ナルコトナシ其年年歳歳利益ノ殘ラサルハ職トシテ被上告人ノ如キ人カ親族間ニ二三コレアリ何ノ彼ノト訴訟ヲ起シ上告人及政宣ヲ迫害スルヲ以テ其防禦ノ爲メニ幾多ノ費用ヲ要シ夫レカ爲ニ年年歳歳貯蓄スルコト能ハサリシニヨレリ夫レ如此次第ナルヲ以テ原院ニ於テモ私通ノ一事ノミヲ認メ其他ヲ認ムルコト能ハサリシモノナランカ其能ハサリシハ乃チ上告人カ家ノ爲メ子ノ爲メ適法ニ親權ヲ行使シツツアリシ證ト見ルノ外ナシ否實ニ然リシナリ要之親權喪失ヲ宣言スルニハ私通ノ外ニ財産ヲ蘯盡スルトカ財産ヲ滅却シタルトカ將又言語同斷ノ行爲アルトカ苟クモ普通ノ品性ヲ沒却シ親權ノ存スル目的ヲ達スルコト能ハサルノ事實ナラサルヘカラス然ルニ不品行ノ一事ハ假リニ之レアリトスルモ其他ニ一モ之レアルコトナシ然ルニ原院ニ於テハ「云云被控訴人ハ其夫政八ノ生存中中村三津太郎ト姦通シ之カ爲メ政八ハ被控訴人ヲ離婚スルコトトシ其送籍ニ關シテ遺言ヲ爲シタル事實ヲ認メ得ヘク又甲第八號證毛利七造供述ノ部ニ明治三十八年十一月中被控訴人カ三津太郎ト密會セルトコロヲ取押ヘタル旨ヲ記載アルニ依レハ被控訴人ハ政八死者後現今ニ至ルマテ三津太郎トノ私通關係ヲ繼續シタルモノト認ムルニ足リ此事實ハ民法第八百九十六條ニ所謂著シキ不行跡ナルコト論ヲ俟タス」ト宣言セラレシハ民法第八百九十六條ヲ不當ニ適用シタルモノナリ抑モ同條ニ所謂著シキ不行跡トハ前既ニ説明セシ如ク未亡人ニアリテハ世間アリカチナル不品行ノ一事ヲ謂フニアラスシテ寧ロ一家ノ存立ヲ危險ナラシメ延ヒテ子ノ教養監護ヲ曠フスル行爲ヲ云フモノナリ而シテ上告人ニハ此事アルナシ然ルニ前掲ノ如ク判決セシハ法則ヲ不當ニ適用シタル違法ノ判決ニアラスシテ何ソヤト云フニ在リ
然レトモ普通ノ家庭ニ於テ父ノ死亡後親權ヲ行フ母カ父ノ生前ヨリ姦通セル情夫ト依然私通關係ヲ繼續スルカ如キハ民法第八百九十六條ニ所謂著シク不行跡ナル行爲ニ該當スルモノトス然レハ原院カ本件ニ於テ上告人カ其夫政八ノ生存中中村三津太郎ト姦通シ政八死亡後現今ニ至ルマテ依然三津太郎ト私通關係ヲ繼續スル事實ヲ認メ其事實ヲ指シテ民法第八百九十六條ニ所謂著シク不行跡ナル行爲ナリト判定シタルハ正當ナルヲ以テ本論旨ハ其理由ナシ
第二點ハ原院ニ於テ無効ナリト宣言セラレテ確定シタル遺言書ニ關スル證言ヲ證憑ニ採用シタルハ不法ナリ又傳聞ノ事實ヲ證言シタル其ノ證言ヲ適切ノ證憑トシテ採用シタルハ不法ナリ乃チ原院ノ判決中「被控訴人ニ不行跡アリヤ否ヤヲ按スルニ原審證人所澤崎太郎ノ證言甲第八號證ニ記載セル證人毛利七造ノ供述及甲第六號證ノ記載ヲ綜合スレハ被控訴人ハ亡夫政八ノ生存中中村三津太郎ト姦通シ之カ爲メ政八ハ被控訴人ヲ離婚スルコトトシ其送籍ニ關シテ遺言ヲ爲シタル事實ヲ認メ得ヘク又甲第八號證毛利七造供述ノ部ニ明治三十八年十一月中被控訴人カ三津太郎ト密會セルトコロヲ取押ヘタル旨ノ記載アルニ依レハ被控訴人ハ政八死亡後現今ニ至ルマテ三津太郎トノ私通關係ヲ繼續セルモノト認ムルニ足リ此事實ハ民法第八百九十六條ニ所謂著シキ不行跡ナルコト論ヲ俟タス」トアリ然ルニ甲第八號甲第六號證ハ乙第二號判決ニヨリ無効トナリタル遺言書ナリ又甲第八號證ノ證言中「取押タル事實アリ」トスルモ果シテ私通ノ爲メナリヤ否知ルヘカラス然ルニ無効トナリタル遺言書ニ關スル事項及私通ト直接關係ナキ取押ヘタリトノ證言及傳聞ノ事實ヲ證憑ニ採用シ以テ「上告人ニ姦通又ハ私通ノ不品行アリ」ト斷定シタルハ前掲ノ如キ不法アルヲ免カレスト云フニ在リ
然レトモ原審記録ヲ調査スルニ上告人カ原審ニ於テ乙第二號證ヲ提出シ遺言書カ無効ニ歸シタル事實ノ立證ニ供シタル形跡アルヲ見ス又原院カ遺言書ノ無効ニ歸シタル事實ヲ認定シタルコトナシ故ニ甲哲六號證及ヒ第八號證ハ乙第二號證ノ判決ニ因リ無効ニ歸シタリトノ論旨ハ採ルニ足リス又原院カ甲第八號證中上告人カ三津太郎ト密會セルトコロヲ取押ヘラレタル旨ノ記載ニ依リ私通ノ事實ヲ認メタルハ其證據判斷ノ職權ニ屬スル所ナルヲ以テ之ヲ批難シテ上告ノ理由ト爲スニ足ラス又傳聞ノ事實ニ關スル證言ト雖モ之ヲ事實認定ノ證據ニ採用スルコトヲ妨ケサルコトハ本院判例ノ是認スル所ナリ故ニ本論旨モ其理由ナシ
第三點ハ原審ニ於テハ提出シタル證憑ヲ遺脱シ且ツ其立證ノ事實ヲ不當ニ確定シ判決ニ理由ヲ付セサル違法アリ乃チ上告人ハ原審ニ於テ證人丸田蔦吉中村三津太郎ノ證言ヲ引用シテ著シキ不行跡ナキ事ヲ立證シタリ然ルニ此提出シタル立證ニ對シ第一コレヲ遺脱シテ判決事實摘示ノ部ニ掲ケス第二從テ判決理由中ニ立證ニ對スル説明ヲ缺キ第三却テ立證ノ趣意ニ反スル事實ヲ認定シ以テ上告人ニ不利ナル判決ヲ與ヘシハ冐頭ニ掲クルカ如キ違法アルモノナリト云フニ在リ
然レトモ原審記録ヲ調査スルニ上告人カ原審ニ於テ證人丸田蔦吉中村三津太郎ノ證言ヲ援用シテ著シキ不行跡ナキ事實ノ立證ニ供シタル形跡ナキヲ以テ原判文ニ其事ノ記載ナキハ當然ナリ從テ原判決ハ上告人所論ノ如キ違法アリト謂フヲ得サルヲ以テ本論旨モ其理由ナシ
以上説明スルカ如ク本件上告ハ適法ノ理由ナキヲ以テ民事訴訟法第四百三十九條第一項ニ依リ主文ノ如ク判決スルモノナリ
明治四十一年（オ）第百九十号
明治四十一年六月八日第二民事部判決
◎判決要旨
- 一 普通の家庭に於て父の死亡後親権を行ふ。
母が父の生前より姦通せる情夫と依然私通関係を継続する如きは民法第八百九十六条に所謂著しく不行跡なる行為に該当するものとす。
（参照）父又は母が親権を濫用し又は著しく不行跡なるときは裁判所は子の親族又は検事の請求に因り其親権の喪失を宣告することを得。
（民法第八百九十六条）
上告人 中村こと
訴訟代理人 手代木佑寿
被上告人 白鳥祖一郎
右当事者間の親権喪失宣言請求事件に付、東京控訴院が明治四十一年三月十六日言渡したる判決に対し上告人より全部破毀を求むる申立を為したり。
立会検事板倉松太郎は意見を陳述したり。
理由
上告論旨の第一点は凡そ親権の喪失を宣言するには親権の濫用又は著しき不行跡の事実を認めざるべからず。
夫の孤枕空閨を守る能はざるが如きは所謂不品行の一にして民法八百九十六条に所謂著しき不行跡と謂ふべきものにあらず。
蓋し本案は親権喪失の訴訟なるを以て上告人が亡夫政八生存中の事柄は問題外に属せり。
故に縦令生存中姦通の事実ありとするも親権の消長に些の影響なしとす。
然るに夫政八死亡し上告人が親権行使後果して私通の事実ありとするも今日の社会の状態に於ては強で咎むべき程の事にあらず。
却て中等以下の社会に於ては普通にありかちのことにしてあれも無理はないと云ふて看過するを常とせり加之家の為め又子の為め操を破り節を抂くるに余義なくせられ却ち家の為め子の為めとなりたる例枚挙に遑あらず。
夫の所謂自然主義必要主義者よりこれを観れば果して如何左れば若し後家が家の為め子の為めになるべき然るべき人を撰みこれに身を任ずるが如きは世人の多くはこれを許してあれも無理かないと云ふにあらずや顧みれば上告人の如きこれまで中村家の不動産に手を掛けたることなし。
即ち不動産の如きは政八生存中と今日と毫も異なることなし其年年歳歳利益の残らざるは職として被上告人の如き人が親族間に二三これあり何の彼のと訴訟を起し上告人及政宣を迫害するを以て其防禦の為めに幾多の費用を要し夫れか為に年年歳歳貯蓄すること能はざりしによれり夫れ如此次第なるを以て原院に於ても私通の一事のみを認め其他を認むること能はざりしものならんか其能はざりしは乃ち上告人が家の為め子の為め適法に親権を行使しつつありし証と見るの外なし。
否実に然りしなり。
要之親権喪失を宣言するには私通の外に財産を蘯尽するとか財産を滅却したるとか将又言語同断の行為あるとか苟くも普通の品性を没却し親権の存する目的を達すること能はざるの事実ならざるべからず。
然るに不品行の一事は仮りに之れありとするも其他に一も之れあることなし然るに原院に於ては「云云被控訴人は其夫政八の生存中中村三津太郎と姦通し之が為め政八は被控訴人を離婚することとし其送籍に関して遺言を為したる事実を認め得べく又甲第八号証毛利七造供述の部に明治三十八年十一月中被控訴人が三津太郎と密会せるところを取押へたる旨を記載あるに依れば被控訴人は政八死者後現今に至るまで三津太郎との私通関係を継続したるものと認むるに足り此事実は民法第八百九十六条に所謂著しき不行跡なること論を俟たず。」と宣言せられしは民法第八百九十六条を不当に適用したるものなり。
抑も同条に所謂著しき不行跡とは前既に説明せし如く未亡人にありては世間ありかちなる不品行の一事を謂ふにあらずして寧ろ一家の存立を危険ならしめ延ひて子の教養監護を曠ふする行為を云ふものなり。
而して上告人には此事あるなし然るに前掲の如く判決せしは法則を不当に適用したる違法の判決にあらずして何そやと云ふに在り
然れども普通の家庭に於て父の死亡後親権を行ふ。
母が父の生前より姦通せる情夫と依然私通関係を継続するが如きは民法第八百九十六条に所謂著しく不行跡なる行為に該当するものとす。
然れば原院が本件に於て上告人が其夫政八の生存中中村三津太郎と姦通し政八死亡後現今に至るまで依然三津太郎と私通関係を継続する事実を認め其事実を指して民法第八百九十六条に所謂著しく不行跡なる行為なりと判定したるは正当なるを以て本論旨は其理由なし。
第二点は原院に於て無効なりと宣言せられて確定したる遺言書に関する証言を証憑に採用したるは不法なり。
又伝聞の事実を証言したる其の証言を適切の証憑として採用したるは不法なり。
乃ち原院の判決中「被控訴人に不行跡ありや否やを按ずるに原審証人所沢崎太郎の証言甲第八号証に記載せる証人毛利七造の供述及甲第六号証の記載を綜合すれば被控訴人は亡夫政八の生存中中村三津太郎と姦通し之が為め政八は被控訴人を離婚することとし其送籍に関して遺言を為したる事実を認め得べく又甲第八号証毛利七造供述の部に明治三十八年十一月中被控訴人が三津太郎と密会せるところを取押へたる旨の記載あるに依れば被控訴人は政八死亡後現今に至るまで三津太郎との私通関係を継続せるものと認むるに足り此事実は民法第八百九十六条に所謂著しき不行跡なること論を俟たず。」とあり。
然るに甲第八号甲第六号証は乙第二号判決により無効となりたる遺言書なり。
又甲第八号証の証言中「取押たる事実あり」とするも果して私通の為めなりや否知るべからず。
然るに無効となりたる遺言書に関する事項及私通と直接関係なき取押へたりとの証言及伝聞の事実を証憑に採用し以て「上告人に姦通又は私通の不品行あり」と断定したるは前掲の如き不法あるを免がれずと云ふに在り
然れども原審記録を調査するに上告人が原審に於て乙第二号証を提出し遺言書が無効に帰したる事実の立証に供したる形跡あるを見す又原院が遺言書の無効に帰したる事実を認定したることなし故に甲哲六号証及び第八号証は乙第二号証の判決に因り無効に帰したりとの論旨は採るに足りず又原院が甲第八号証中上告人が三津太郎と密会せるところを取押へられたる旨の記載に依り私通の事実を認めたるは其証拠判断の職権に属する所なるを以て之を批難して上告の理由と為すに足らず又伝聞の事実に関する証言と雖も之を事実認定の証拠に採用することを妨げざることは本院判例の是認する所なり。
故に本論旨も其理由なし。
第三点は原審に於ては提出したる証憑を遺脱し且つ其立証の事実を不当に確定し判決に理由を付せざる違法あり。
乃ち上告人は原審に於て証人丸田蔦吉中村三津太郎の証言を引用して著しき不行跡なき事を立証したり。
然るに此提出したる立証に対し第一これを遺脱して判決事実摘示の部に掲げず第二。
従て判決理由中に立証に対する説明を欠き第三却て立証の趣意に反する事実を認定し以て上告人に不利なる判決を与へしは冒頭に掲ぐるが如き違法あるものなりと云ふに在り
然れども原審記録を調査するに上告人が原審に於て証人丸田蔦吉中村三津太郎の証言を援用して著しき不行跡なき事実の立証に供したる形跡なきを以て原判文に其事の記載なきは当然なり。
従て原判決は上告人所論の如き違法ありと謂ふを得ざるを以て本論旨も其理由なし。
以上説明するが如く本件上告は適法の理由なきを以て民事訴訟法第四百三十九条第一項に依り主文の如く判決するものなり。
