明治四十一年(オ)第六十號
明治四十一年三月十一日第二民事部判決
◎判決要旨
- 一 故ナク人ノ家屋ニ入リタル者ニ對シテ退去ヲ要求スル訴訟ハ財産權上ノ請求ニ非サル訴訟ナリ
上告人 今井宗長
被上告人 天鷲寺
右代表者 不破諦善
右當事者間ノ立退請求事件ニ付大阪控訴院カ明治四十年十二月十六日言渡シタル判決ニ對シ上告人ヨリ上告ヲ爲シ全部破毀ヲ求ムル申立ヲ爲シタリ
理由
上告論旨ノ第一點ハ原判決理由中證人遠賀亮中ノ證言ヲ(僞證ナリ)採用シテ曰ク「即チ該證言ニ依レハ住職交代ノ際前住職覺忍ト立會人タル控訴人ノ面前ニ於テ被控訴寺(被上告人)カ他人ト一切ノ權利義務ノ關係ナキ旨明言シタルモノナレハ若シ控訴人(上告人)ニ於テ當時乙第一號證ノ如ク果シテ被控訴寺ト係爭ノ貸借ヲナシ居タリトスレハ必スヤ其席ニテ自ラ進テ其事實ヲ該證人及前住職等ニ主張スヘキ筈ナルニ何等斯カル事跡ノ見ルヘキモノナキ等ノ情況ニ徴シ考フレハ控訴人ハ被控訴寺ト本訴ノ家屋貸借ヲナシ居ラサルモノト認ムヘク從テ乙第一號證ハ其日附ノ日ニ於テ眞實當事者間ノ貸借證書トシテ成立シタルモノト看做ス能ハス云云」ト説示セラレタルハ明カニ民法施行法第五條確定日附ノ法規ニ違背シタル不法アリト信ス則チ同條第三號ヲ閲スルニ私署證書ノ署名者中死亡シタル者アルトキハ其死亡ノ日ヨリ確定日附アルモノトストアルカ故ニ苟モ前記ノ斷定ヲナサント欲セハ宜ク乙第一號證署名者中ニ死亡シタルモノアリヤ否ノ事實ヲ審究シ然ル後其有無ノ事實ヲ確定セサルヘカラス而シテ此事項タルヤ所謂職權調査ニ屬セサルヲ以テ事實裁判所カ自ラ進テ査覈スルノ要ナシト雖モ一件記録若クハ當事者ノ陳述ニ依リテ乙第一號證署名者中ニ死亡セシ者アリトノ事實判明セル以上ハ之ヲ看過シテ以テ死亡者ナキカ如ク斷定スルヲ許サス今ヤ原判決書中事實摘示ノ末段ニ於テ「無効ナリト陳述シタル外原判決摘示ト同一ノ事實ヲ陳述シタリ」トアルヲ以テ第一審判決書事實摘示ノ部分ヲ査閲スルニ原告(被上告人)カ請求ノ原因トシテ「天鷲寺ハ先住惠證死亡後一時住職ヲ缺キ云
云」ト明記シアリテ此惠證コソ即チ乙第一號證中天鷲寺ノ住職トシテ署名シタル羯磨惠證其人ナリ夫レ此ノ如ク乙第一號證ノ署名者タル羯磨惠證ノ死亡(明治三十八年五月九日死亡)シタルコトハ當時者間ニ爭ナキ確定ノ事實ナレハ假令原審ニ於テ乙第一號證成立ノ日即チ明治三十八年二月十五日ノ日附ヲ信用セサルニモセヨ署名者惠證カ死亡ノ日即チ同年五月九日ヲ以テ乙第一號證ハ確定日附アルモノト云ハサル可ラス左レハ此確定日附以後一个年餘ヲ經過シタル三十九年七月中ニ於ケル出來事即チ冒頭ニ記載セル證人遠賀亮中ノ證言ヲ採テ以テ上告人ヲ敗訴セシメタルハ所謂不當ニ法則ヲ適用セサル不法ノ裁判ナリ但羯磨惠證ノ死亡セシ三十八年五月九日ハ第一第二審ノ判決書ニ明記スル所之レナシト雖モ此日ニ死亡セシコトハ原告(被上告人)モ陳述シ上告人モ之ヲ爭ハサリシ事實ナレハ最早動ス可ラサル事實ナリト信スレトモ假リニ原審ニ於テ明治三十八年五月九日ヲ以テ死亡シタルトノ事實明白ナラサルモノト假令スルモ後任住職タル叡南覺忍カ天鷲寺ニ入寺セントシテ證人遠賀亮中ト同行シタル三十九年七月以前ノ死亡ニ係ルコトハ前陳ノ理由ニ依リ明瞭ナルカ故ニ孰レノ點ヨリ觀察スルモ乙第一號證ハ後任住職就職以前ニ於テ確定日附アルモノトス然ラハ則チ一面ニ於テ此死亡事實ヲ認メ他ノ一面ニ於テ死亡ノ事實ナキカ如ク判示シタルハ理由不備ノ判決ニアラサレハ理由齟齬アル不法ノ判決ナリトスト云フニ在リ
然レトモ確定日附アル證書ハ第三者ニ對シ其作成ノ日ニ付キ完全ナル證據力ヲ有スルコトハ民法施行法第四條ノ規定ニ依リ明白ナリト雖モ事實裁判所ハ他ノ證據ニ依リ其證書記載ノ事實カ果シテ眞實ナルヤ否ヤヲ自由ナル心證ヲ以テ判斷スルコトヲ得ルヤ論ヲ俟タス本件ニ於テ原院カ乙第一號證ヲ信用セサリシ所以ハ事件ノ情状證人ノ證言等ヲ參酌シテ其記載ノ事實ヲ眞實ナリト認メサリシニ因ルモノニシテ特ニ同證ノ日附ニ付キ疑ヲ容レタルカ爲メニアラサルコトハ判文ノ全趣旨ニ徴シ自ラ明ナリ故ニ原判決ハ上告人所論ノ如キ違法アリト謂フヲ得サルヲ以テ本論旨ハ採用スルニ足ラス
上告論旨ノ第二點ハ原判決理由ノ冒頭ニ曰ク控訴人(上告人)カ本訴ノ寺院内ニ居住スル事ハ其爭ハサル所トスト説示シ且其末段ニ於テ控訴人カ被控訴寺内ニ住スルハ不法ノ占據ニ外ナラサルヲ以テト説示シアリ此等ノ説示ト訴訟記録ニ就テ本件ノ爭點カ建物ノ使用貸借ノ權利關係ノ存否ニ繋ルコトヲ綜合セハ本件訴訟ノ目的ハ「建物ノ明渡」ニ在リト斷定セサル可カラス果シテ然ラハ財産權ノ訴訟ニ外ナラスシテ法律ノ規定ニ從ヒ係爭ノ目的物ヲ表示シ其價額ヲ表示シ且其價額ニ相當スル印紙ヲ貼用スヘキモノナリ然ルニ被上告人カ本件ノ起訴タルヤ係爭ノ目的タル建物ヲ表示セス其價額ヲ見積ラスシテ價額ニ見積ル可ラサルモノトセルハ前記ノ法則ニ違背セルモノナリ而シテ此等ハ裁判所ノ職權調査事項ナルニ原判決カ之ヲ看過シタルハ不法ナリ若シ本件ノ如キ請求ヲ肯定シ得トセハ建物ノ不法占據ニ關スル訴訟ニ付テ「退去明渡」ナルモノナク總テ單ニ「退去」ノミノ請求ヲ以テ建物明渡ノ効果ヲ収ムルニ至ル可シ要スルニ原判決ハ訴訟ノ目的物ニ關スル法律ヲ適用セサリシ不法ヲ免レスト云フニ在リ
依テ記録ヲ調査スルニ訴状ニハ被告ヲ現居所ヨリ立退カシムルコトヲ以テ訴訟ノ目的トスル旨表示シアリ而シテ其理由トシテ訴状ニ記載ノ趣旨及ヒ被上告人カ第一審以來本訴請求ノ原因タル事實トシテ主張シタル所ニ依レハ上告人ハ先代住職ノ時代ヨリ寺男トモ云フヘキ所業ヲ爲シツツ寺内ニ居ルモノナレトモ別ニ雇傭關係アルニ非ス住職ノ意思ニ依リ其出入ヲ許否シ得ルモノナルヲ以テ現住職ヨリ立退ヲ命シタルモ應セスト云フニ在ルコト明白ナリ然レハ本訴ハ建物ノ使用貸借其他財産權ニ關スル事項ヲ目的トスルモノニ非スシテ單ニ寺内ニ故ナクシテ居ル上告人其人ノ退去ヲ目的トスルモノニ過キサレハ財産權上ノ請求ニ非サル訴訟ト謂ハサルヲ得ス故ニ訴状ニ表示ノ目的及ヒ貼用ノ印紙ハ相當ナルヲ以テ本論旨モ採用スルコトヲ得ス
上告論旨ノ第三點ハ原判決理由ノ主點トシテ控訴人ハ被控訴寺ト本訴ノ家屋貸借ヲ爲シ居ラサルモノト認ム可クト説示セラレタレトモ所謂本訴ノ家屋トハ如何ナル建物ナリヤ一般ノ解釋トシテ本訴ノ家屋ト云ハハ本訴係爭目的ノ建物ヲ指示スルモノトセサル可ラス然ルニ本訴係爭ノ目的ニハ建物ヲ表示セス又一定ノ申立ニモ建物ヲ表示スルコトナシ單ニ其寺ヲ立退ク可シトノ申立アレトモ個ハ以テ建物ヲ表示スルニ足ラス果シテ然ラハ前顯判示ノ本訴ノ家屋トハ如何ナルモノナルヤヲ知ルヲ得サルヲ以テ理由ヲ付セサルニ歸シ不法タルヲ免レスト云フニ在リ
然レトモ原判文ニ所謂本訴ノ家屋トハ被上告人タル寺院ノ建物ヲ指示シタルモノナルヤ判文ヲ通讀スレハ自ラ明瞭ナルヲ以テ本論旨モ採ルニ足ラス
以上説明スルカ如ク本件上告ハ適法ノ理由ナキヲ以テ民事訴訟法第四百三十九條第一項ニ依リ主文ノ如ク判決スルモノナリ
明治四十一年(オ)第六十号
明治四十一年三月十一日第二民事部判決
◎判決要旨
- 一 故なく人の家屋に入りたる者に対して退去を要求する訴訟は財産権上の請求に非ざる訴訟なり。
上告人 今井宗長
被上告人 天鷲寺
右代表者 不破諦善
右当事者間の立退請求事件に付、大坂控訴院が明治四十年十二月十六日言渡したる判決に対し上告人より上告を為し全部破毀を求むる申立を為したり。
理由
上告論旨の第一点は原判決理由中証人遠賀亮中の証言を(偽証なり。
)採用して曰く「即ち該証言に依れば住職交代の際前住職覚忍と立会人たる控訴人の面前に於て被控訴寺(被上告人)が他人と一切の権利義務の関係なき旨明言したるものなれば若し控訴人(上告人)に於て当時乙第一号証の如く果して被控訴寺と係争の貸借をなし居たりとすれば必ずや其席にて自ら進で其事実を該証人及前住職等に主張すべき筈なるに何等斯かる事跡の見るべきものなき等の情況に徴し考ふれば控訴人は被控訴寺と本訴の家屋貸借をなし居らざるものと認むべく。
従て乙第一号証は其日附の日に於て真実当事者間の貸借証書として成立したるものと看做す。
能はず云云」と説示せられたるは明かに民法施行法第五条確定日附の法規に違背したる不法ありと信ず。
則ち同条第三号を閲するに私署証書の署名者中死亡したる者あるときは其死亡の日より確定日附あるものとすとあるが故に苟も前記の断定をなさんと欲せば宜く乙第一号証署名者中に死亡したるものありや否の事実を審究し然る後其有無の事実を確定せざるべからず。
而して此事項たるや所謂職権調査に属せざるを以て事実裁判所が自ら進で査覈するの要なしと雖も一件記録若くは当事者の陳述に依りて乙第一号証署名者中に死亡せし者ありとの事実判明せる以上は之を看過して以て死亡者なきが如く断定するを許さず今や原判決書中事実摘示の末段に於て「無効なりと陳述したる外原判決摘示と同一の事実を陳述したり。」とあるを以て第一審判決書事実摘示の部分を査閲するに原告(被上告人)が請求の原因として「天鷲寺は先住恵証死亡後一時住職を欠き云
云」と明記しありて此恵証こそ。
即ち乙第一号証中天鷲寺の住職として署名したる羯麿恵証其人なり。
夫れ此の如く乙第一号証の署名者たる羯麿恵証の死亡(明治三十八年五月九日死亡)したることは当時者間に争なき確定の事実なれば仮令原審に於て乙第一号証成立の日即ち明治三十八年二月十五日の日附を信用せざるにもせよ署名者恵証が死亡の日即ち同年五月九日を以て乙第一号証は確定日附あるものと云はざる可らず左れば此確定日附以後一个年余を経過したる三十九年七月中に於ける出来事即ち冒頭に記載せる証人遠賀亮中の証言を採で以て上告人を敗訴せしめたるは所謂不当に法則を適用せざる不法の裁判なり。
但羯麿恵証の死亡せし三十八年五月九日は第一第二審の判決書に明記する所之れなしと雖も此日に死亡せしことは原告(被上告人)も陳述し上告人も之を争はざりし事実なれば最早動す可らざる事実なりと信ずれども仮りに原審に於て明治三十八年五月九日を以て死亡したるとの事実明白ならざるものと仮令するも後任住職たる叡南覚忍が天鷲寺に入寺せんとして証人遠賀亮中と同行したる三十九年七月以前の死亡に係ることは前陳の理由に依り明瞭なるが故に孰れの点より観察するも乙第一号証は後任住職就職以前に於て確定日附あるものとす。
然らば則ち一面に於て此死亡事実を認め他の一面に於て死亡の事実なきが如く判示したるは理由不備の判決にあらざれば理由齟齬ある不法の判決なりとすと云ふに在り
然れども確定日附ある証書は第三者に対し其作成の日に付き完全なる証拠力を有することは民法施行法第四条の規定に依り明白なりと雖も事実裁判所は他の証拠に依り其証書記載の事実が果して真実なるや否やを自由なる心証を以て判断することを得るや論を俟たず。
本件に於て原院が乙第一号証を信用せざりし所以は事件の情状証人の証言等を参酌して其記載の事実を真実なりと認めざりしに因るものにして特に同証の日附に付き疑を容れたるか為めにあらざることは判文の全趣旨に徴し自ら明なり。
故に原判決は上告人所論の如き違法ありと謂ふを得ざるを以て本論旨は採用するに足らず
上告論旨の第二点は原判決理由の冒頭に曰く控訴人(上告人)が本訴の寺院内に居住する事は其争はざる所とすと説示し、且、其末段に於て控訴人が被控訴寺内に住するは不法の占拠に外ならざるを以てと説示しあり此等の説示と訴訟記録に就て本件の争点が建物の使用貸借の権利関係の存否に繋ることを綜合せば本件訴訟の目的は「建物の明渡」に在りと断定せざる可からず。
果して然らば財産権の訴訟に外ならずして法律の規定に従ひ係争の目的物を表示し其価額を表示し、且、其価額に相当する印紙を貼用すべきものなり。
然るに被上告人が本件の起訴たるや係争の目的たる建物を表示せず其価額を見積らずして価額に見積る可らざるものとせるは前記の法則に違背せるものなり。
而して此等は裁判所の職権調査事項なるに原判決が之を看過したるは不法なり。
若し本件の如き請求を肯定し得とせば建物の不法占拠に関する訴訟に付て「退去明渡」なるものなく総で単に「退去」のみの請求を以て建物明渡の効果を収むるに至る可し要するに原判決は訴訟の目的物に関する法律を適用せざりし不法を免れずと云ふに在り
依て記録を調査するに訴状には被告を現居所より立退かしむることを以て訴訟の目的とする旨表示しあり。
而して其理由として訴状に記載の趣旨及び被上告人が第一審以来本訴請求の原因たる事実として主張したる所に依れば上告人は先代住職の時代より寺男とも云ふべき所業を為しつつ寺内に居るものなれども別に雇傭関係あるに非ず住職の意思に依り其出入を許否し得るものなるを以て現住職より立退を命じたるも応せずと云ふに在ること明白なり。
然れば本訴は建物の使用貸借其他財産権に関する事項を目的とするものに非ずして単に寺内に故なくして居る上告人其人の退去を目的とするものに過ぎざれば財産権上の請求に非ざる訴訟と謂はざるを得ず。
故に訴状に表示の目的及び貼用の印紙は相当なるを以て本論旨も採用することを得ず。
上告論旨の第三点は原判決理由の主点として控訴人は被控訴寺と本訴の家屋貸借を為し居らざるものと認む可くと説示せられたれども所謂本訴の家屋とは如何なる建物なりや一般の解釈として本訴の家屋と云はは本訴係争目的の建物を指示するものとせざる可らず。
然るに本訴係争の目的には建物を表示せず又一定の申立にも建物を表示することなし単に其寺を立退く可しとの申立あれども個は以て建物を表示するに足らず果して然らば前顕判示の本訴の家屋とは如何なるものなるやを知るを得ざるを以て理由を付せざるに帰し不法たるを免れずと云ふに在り
然れども原判文に所謂本訴の家屋とは被上告人たる寺院の建物を指示したるものなるや判文を通読すれば自ら明瞭なるを以て本論旨も採るに足らず
以上説明するが如く本件上告は適法の理由なきを以て民事訴訟法第四百三十九条第一項に依り主文の如く判決するものなり。