明治四十年(オ)第百三號
明治四十年六月二十五日第一民事部判决
◎判决要旨
- 一 契約ノ不履行ニ因リテ現實ノ損害ヲ被フリタル當事者ハ相手方ニ對シテ契約ヲ解除シタルニ拘ハラス其損害賠償ヲ請求スルノ權利アリ
上告人 東京毛絲紡績合資會社
右法定代理人 松井善次郎
訴訟代理人 末繁彌次郎
被上告人 米國貿易會社
右法定代理人 デーヱツチブレーキ
右當事者間ノ損害賠償請求本訴及反訴上告事件ニ付東京控訴院カ明治四十年二月十三日言渡シタル判决ニ對シ上告人ヨリ全部破毀ヲ求ムル申立ヲ爲シタリ
理由
第一點ハ本件被上告人ノ請求ハ上告人ノ契約不履行ニ基ク損害賠償ヲ求ムルヲ以テ訴ノ原因トセシコト及其不履行ト稱スル基本タル契約ハ既ニ解除セラレタルモノナルコトハ被上告人ノ第一審ヨリノ主張自體ニ徴シ極メテ明白ナリ然レトモ契約解除ノ効力ハ當事者ヲシテ曾テ契約ヲナサヽリシト同一ナル原状ニ囘復セシムルモノナレハ其間毫モ不履行ノ問題ヲ生スルノ餘地ナシ何者契約ノ不履行ハ契約ノ存在ヲ前提トス然ルニ契約解除ノ効力ハ契約關係ヲ根本的ニ消滅セシメ全然其根底ヲ破壞スルモノニシテ二者相容レサル觀念ナレハナリ尤モ民法五百四十五條ハ明ニ契約ノ解除ハ損害賠償ノ請求ヲ妨ケサル旨ヲ規定スト雖モ之レ所謂契約不履行ニ基ク損害賠償ノ請求ヲ許シタルニアラス蓋シ法律ハ萬能ナリト雖無ヲ變シテ有トナスヘカラス存在セサル契約ハ法律ト雖之レヲ存在スルモノトナスヲ得ス
何者法律ノ萬能力ハ未タ以テ事實ヲ作製スルノ力ナケレハナシ故ニ民法五百四十五條ノ規定ハ之レヲ契約不履行ニ根據ヲ置クヲ得ス該條ハ唯法律カ特殊ノ理由ニヨリ特殊ノ損害賠償ヲ認メタリト解スルノ外ナシ果シテ然ラハ本件被上告人ニシテ單ニ前記五百四十五條ノ規定ヲ根據トシテ本訴ノ請求ヲナスハ格別契約不履行ヲ原因トスル請求ハ其主張ノ根本ニ於テ既ニ業ニ認容ス可カラサル請求ニ屬ス然ラハ之レヲ認容シタル原判决ノ不法ナル亦知ルヘキノミト云フニ在リ
然レトモ契約ヲ履行セラル者ニ對シテ之ヲ解除スルノ權ヲ其相手方ニ有セシメタルハ此當事者ヲ保護スルノ法意ニ出テタルモノニシテ若シ夫レ契約ノ解除アリタルトキハ契約アラサリシト同一ノ状態ニ復スルモノナリトノ理論ヲ嚴密ニ適用シ契約アラサリシカ故ニ損害賠償ノ原由ナシトスルトキハ契約不履行ノ責アル當事者ニ對シ其相手方ヲ保護スル爲メニ之ニ契約解除權ヲ與ヘタル法意ヲ貫徹スル能ハサルヘシ是ヲ以テ右ノ場合ニ於テ契約ヲ解除シタル當事者ニ民法第四百十五條ノ原則ニ從ヒ損害賠償ノ請求權ヲ有セシメンカ爲メニ民法第五百四十五條第三項ノ規定ヲ設ケタルモノナレハ原判决ノ認定シタル事實ニ於テ現實ノ損害ヲ生シタリトセハ被上告人ハ上告人ニ對シテ契約ヲ解除シタルニ拘ハラス損害賠償ノ請求權ヲ有スルヤ明カニシテ被上告人ハ同條ニ從ヒ損害賠償ノ請求權ヲ主張スルモノニシテ原院モ亦同條ヲ適用シテ本件請求ノ原因アリト認定シタルコトハ原判文上自ラ明カナレハ本論旨ハ其理由ナシ
第二點ハ本件控訴代理人ハ原審ニ於テ明治三十九年十月十五日附控訴追加理由書ト題スル書面ヲ提出シ此レニ基キ明治三十七年五月二十日口頭辯論ノ際ニ於ケル被告代理人ノ申立ヲ引用スル旨ヲ申立テタリ而シテ該調書ニハ前畧「第三損害ヲ認メス第四損害額ヲ認メス」トアリ故ニ此申立ニヨリテ被控訴人ノ損害ハ否認セラレタルモノナリ而シテ損害賠償ノ請求ニ於テ相手方ヨリ損害ヲ否認セラレタル時ハ請求者ハ須ラク先ツ其否認ヲ打破スルノ擧證ヲナサヽル限リハ其請求ハ維持シ得ヘカラサルモノタルヤ疑ヲ容レス然ルニ被控訴人ハ此點ニ付キ何等ノ立證ヲモナサヽリシハ一件記録ニ徴シ甚タ明白ナルニ不拘原判决カ被控訴人ノ請求ヲ原因アリトナシタルハ不法ナリ尤モ原判决ハ單ニ原因ノ有無ノ點ノミヲ判斷シタルニ止ルヲ以テ正確ナル數額ヲ立證スルヲ要セスト雖其原因アリトナスニハ少クトモ幾何カノ損害ヲ立證スルノ擧證ナカルヘカラス何者總ヘテノ損害賠償ハ現實ノ損害アルコトヲ要件トシ所謂名義上ノ賠償請求ハ我法制ノ認メサル所ナレハ縱令損害ヲ生シ得ヘキ原因(例ヘハ債務不履行)アリトスルモ現實ニ損害ヲ生セサル以上ハ賠償請求權ハ根本ニ於テ成立セサレハナリ之ヲ要スルニ債務不履行ハ當然損害ヲ意味スルモノニアラス故ニ債務不履行ニ基ク損害賠償請求ニハ必スヤ債務不履行ノ立證ト及其不履行ヨリ生シタル現實ノ損害トニ付キ擧證ナキ以上ハ之レヲ許ス可キモノニアラス而シテ此事タル原因ノミニ關スルト證訴訟ノ全般ニ關スルトニ論ナク總ヘテノ損害賠償ノ請求ニ關スル原則タラスンハアラス故ニ原判决カ單ニ原因ノ點ノミニ制限セラレタルノ理由ハ未タ以テ如上ノ論旨ヲ動カスニ足ラサルナリト云ヒ」第三點ハ前二點所論ノ如ク控訴人ハ被控訴人ノ請求スル現實ノ損害ヲ否認セリ而シテ此否認ハ控訴人ノ第一ノ抗辯タル甲第三號證カ無効ノ鑑定ナリトノ抗辯ト等シク又被控訴人ノ請求排斥ノ一抗辯ニシテ此抗辯ハ又本件被控訴人ノ請求ノ當否ヲ判斷スル上ニ於テ度外視シ得ヘカラサル重要ノ爭點タリ何者若シ控訴人抗辯ノ如ク被控訴人ニ現實ノ損害生セサル以上ハ被控訴人ノ請求ハ全然不當タルヲ免レサルヲ以テ縱令控訴人ニ債務不履行アリトスルモ控訴人ノ如上ノ抗辯アル以上ハ更ニ進ンテ其抗辯ノ當否ヲ判斷セサル以上ハ未タ以テ控訴人ニ賠償義務アリトナスヲ得ス然ルニ原判决ハ全然此抗辯ヲ度外視シ漫然上告人ニ賠償義務アリト判决シタルハ爭點ヲ遺脱スルモノニアラスンハ審理不盡ノ不法アルヲ免レスト云フニ在リ
依テ按スルニ契約ノ不履行ニ基キ損害賠償ヲ請求スル事件ニ於テハ損害ヲ生シタル事實ナキ以上ハ被告ハ賠償ノ義務ナキカ故ニ損害發生ノ事實ハ請求ノ原因ノ一部ヲ爲スモノナレトモ他ノ方面ヨリ觀レハ該事實ハ亦請求ノ數額ニ屬スル事實タリ何トナレハ既ニ損害アリト云フ以上ハ其損害タルヤ必ラス
若干ノ金圓ニ見積ルコトヲ得ヘキモノナレハ損害事實ノ確定ハ其數額ヲ具體的ニ明示セサルモ若干數額ノ確定ヲ當然包含スルモノナレハナリ故ニ裁判所ハ原因ニ關スル裁判ニ於テハ單ニ損害ヲ生スヘキ事實ヲ確定スルニ止メ數額ニ關スル裁判ニ於テ損害發生ノ事實ヲ確定スルヲ得ヘシ原判文ヲ閲スルニ原院ハ上告人ニ損害賠償ノ義務アリト爲シタルニアラスシテ「被控訴人(被上告人)カ控訴人(上告人)ノ契約不履行ヲ原因トシテ本訴ノ請求ヲ爲スハ其原因正當ニシテ」ト判示シタルニ徴スレハ原院ハ本件原因ニ關スル裁判ニ於テハ單ニ通常損害ヲ生シ得ヘキ事實ヲ確定シタルニ止リ損害發生ノ事實ノ確定ハ數額ニ關スル裁判ニ讓リタルコト明白ナレハ未タ損害發生ノ事實ニ付審理スヘキ時期ニ達セサルモノナルヲ以テ此點ニ付被上告人ヲシテ立證ヲ爲サシメス又損害ヲ生セストノ上告人ノ抗辯ニ付キ判斷ヲ爲サヽリシハ當然ナリ故ニ本論旨ハ其理由ナシ
第四點ハ本件控訴代理人ハ其控訴追加理由書ニ於テ立證趣旨トシテ甲第三號證鑑定書ハ甲第二號證ノ趣旨ニ反スル無効ノ鑑定ナルコトヲ論述シ之レヲ(イ)(ロ)(ハ)(ニ)ノ四段ニ分析シ而シテ(イ)(ロ)ニ於テ甲第三號證ハ鑑定ニアラサルコトヲ詳論シ(ハ)ニ於テ假リニ甲第三號證ヲ以テ一ノ鑑定ナリトスルモ要スルニ羊毛「トップ」ノ巾ノ差異ノ如キモ當事者ノ意思ニヨリテ之レヲ品質トナスヲ妨ケサルノミナラス相手方モ亦本件賣買契約ニ於テハ巾ヲ以テ品質ト認メ居ルモノナルヲ以テ巾ノ點ニ付キ鑑定ヲナサヽリシハ未タ以テ甲第二號證ノ趣旨ニ從ヒタル完全ナル品質ノ鑑定ニアラサルコトヲ詳細ニ論述シタリ然ルニ原判决ハ單ニ中畧「巾ハ多少ノ差異ヲ認ムルモ要スルニ品質ハ二者全然同一ナリト鑑定シタルニ在ルコトハ明瞭ナシ」云々ト判示シ之レニヨリテ甲第三號證ノ鑑定ハ完全ナルモノト斷定セラレタリ然レトモ此説明ハ唯所謂問ニ答フルニ問ヲ以テシタルモノニ過キスシテ未タ以テ上述控訴人(上告人)ノ抗辯ヲ排斥スルニ足ラサルノミナラス控訴人ノ此點ニ關スル抗辯ニ付テハ全然説明ヲ與ヘサルモノト云ハサルヘカラス何トナレハ控訴人ノ該主張ハ巾モ品質ナルヲ以テ此點ニ付キ鑑定ヲナサヽリシハ未タ以テ完全ナル鑑定ニアラサルコトヲ主張スルモノナレハ甲第三號證鑑定書ヲ以テ完全ナルモノトナスニハ須ラク先ツ巾ハ品質ニアラストナスカ又ハ該鑑定ハ巾モ品質トシテ鑑定シタルモノナリト斷定セサル限リハ决シテ甲三證號鑑定書ヲ以テ完全ナルモノトナスヲ得サル順序ナリ素ヨリ當事者ノ主張ヲ信用スルト否トハ原院ノ自由ナリト雖苟モ控訴人ノ主張スル事實ニシテ而モ係爭權利關係ニ重大ナル影訴ヲ及ホス主張ニ對シ全然其採否ノ判斷ヲナサヽリシハ上告人ノ甘諾スル能ハサル所ニシテ原判决ハ爭點ヲ遺脱スルニアラサレハ審理不盡ノ不法アルモノト確信スト云フニ在リ
然レトモ原院口頭辯論調書(明治四十年二月一日)ヲ閲スルニ控訴代理人ハ明治三十九年十月十五日附控訴理由追加書ニ基キ一定ノ申立ヲ爲シタリトアルノミニテ同書(ハ)ノ部ニ記載セル「假リニ甲第三號證ヲ以テ一ノ鑑定ナリトスルモ要スルニ羊毛「トップ」ノ巾ノ差異ノ如キモ當事者ニ意思ニ依リテ之ヲ品質トナスヲ妨ケサルノミナラス相手方モ亦本件賣買契約ニ於テハ巾ヲ以テ品質ト認メ居ルモノナルヲ以テ巾ノ點ニ付鑑定ヲナサヽリシハ未タ以テ甲第二號證ノ趣旨ニ從ヒタル完全ナル品質ノ鑑定ニアラス云々」ノ主張ヲ爲シタル事跡ナケレハ原院カ此點ニ付特ニ説明ヲ爲サヽリシハ相當ナルヲ以テ原判决ニハ所論ノ如キ不法ナシ
第五點ハ上告人ノ反訴請求ニ付テハ原判决ハ單ニ本訴ノ原因カ正當ナル以上ハ當然反訴請求ハ其理由ナキモノトシテ棄却セラレタリ之レ蓋シ本訴ノ判旨ヨリ生スル當然ノ結論ニシテ素ヨリ當然ナリ然レトモ該判旨ヨリスレハ本訴ト反訴トハ全然表裏ノ關係ヲナスモノナレハ既ニ本訴ノ判决ニシテ不法ナル以上ハ當然反訴ノ判决モ破毀セラルヘキモノナルヲ以テ反訴ノ判决ニ付テハ以上諸論旨ヲ援用シテ其不法ヲ攻撃スルニ止ムト云フニ在レトモ前示第一乃至第四ノ論旨ノ理由ナキコトハ既ニ説明シタルヲ以テ反訴ノ原院判决ニ對シ右論旨ヲ引用スルニ過キサル本論旨ニ對シテハ重ネテ説明ヲ爲スノ要ナキモノトス
以上ノ理由ナルヲ以テ民事訴訟法第四百三十九條第一項ニ依リ主文ノ如ク判决スルモノナリ
明治四十年(オ)第百三号
明治四十年六月二十五日第一民事部判決
◎判決要旨
- 一 契約の不履行に因りて現実の損害を被ふりたる当事者は相手方に対して契約を解除したるに拘はらず其損害賠償を請求するの権利あり
上告人 東京毛糸紡績合資会社
右法定代理人 松井善次郎
訴訟代理人 末繁弥次郎
被上告人 米国貿易会社
右法定代理人 でーゑつちぶれーき
右当事者間の損害賠償請求本訴及反訴上告事件に付、東京控訴院が明治四十年二月十三日言渡したる判決に対し上告人より全部破毀を求むる申立を為したり。
理由
第一点は本件被上告人の請求は上告人の契約不履行に基く損害賠償を求むるを以て訴の原因とせしこと及其不履行と称する基本たる契約は既に解除せられたるものなることは被上告人の第一審よりの主張自体に徴し極めて明白なり。
然れども契約解除の効力は当事者をして曽て契約をなさざりしと同一なる原状に回復せしむるものなれば其間毫も不履行の問題を生ずるの余地なし。
何者契約の不履行は契約の存在を前提とす。
然るに契約解除の効力は契約関係を根本的に消滅せしめ全然其根底を破壊するものにして二者相容れざる観念なればなり。
尤も民法五百四十五条は明に契約の解除は損害賠償の請求を妨げざる旨を規定すと雖も之れ所謂契約不履行に基く損害賠償の請求を許したるにあらず。
蓋し法律は万能なりと雖無を変して有となすべからず。
存在せざる契約は法律と雖之れを存在するものとなすを得ず。
何者法律の万能力は未だ以て事実を作製するの力なければなし故に民法五百四十五条の規定は之れを契約不履行に根拠を置くを得ず。
該条は唯法律が特殊の理由により特殊の損害賠償を認めたりと解するの外なし。
果して然らば本件被上告人にして単に前記五百四十五条の規定を根拠として本訴の請求をなすは格別契約不履行を原因とする請求は其主張の根本に於て既に業に認容す可からざる請求に属す。
然らば之れを認容したる原判決の不法なる亦知るべきのみと云ふに在り
然れども契約を履行せらる者に対して之を解除するの権を其相手方に有せしめたるは此当事者を保護するの法意に出でたるものにして若し夫れ契約の解除ありたるときは契約あらざりしと同一の状態に復するものなりとの理論を厳密に適用し契約あらざりしか故に損害賠償の原由なしとするときは契約不履行の責ある当事者に対し其相手方を保護する為めに之に契約解除権を与へたる法意を貫徹する能はざるべし是を以て右の場合に於て契約を解除したる当事者に民法第四百十五条の原則に従ひ損害賠償の請求権を有せしめんか為めに民法第五百四十五条第三項の規定を設けたるものなれば原判決の認定したる事実に於て現実の損害を生じたりとせば被上告人は上告人に対して契約を解除したるに拘はらず損害賠償の請求権を有するや明かにして被上告人は同条に従ひ損害賠償の請求権を主張するものにして原院も亦同条を適用して本件請求の原因ありと認定したることは原判文上自ら明かなれば本論旨は其理由なし。
第二点は本件控訴代理人は原審に於て明治三十九年十月十五日附控訴追加理由書と題する書面を提出し此れに基き明治三十七年五月二十日口頭弁論の際に於ける被告代理人の申立を引用する旨を申立てたり。
而して該調書には前略「第三損害を認めず第四損害額を認めず」とあり。
故に此申立によりて被控訴人の損害は否認せられたるものなり。
而して損害賠償の請求に於て相手方より損害を否認せられたる時は請求者は須らく先づ其否認を打破するの挙証をなさざる限りは其請求は維持し得べからざるものたるや疑を容れず。
然るに被控訴人は此点に付き何等の立証をもなさざりしは一件記録に徴し甚た明白なるに不拘原判決が被控訴人の請求を原因ありとなしたるは不法なり。
尤も原判決は単に原因の有無の点のみを判断したるに止るを以て正確なる数額を立証するを要せずと雖其原因ありとなすには少くとも幾何かの損害を立証するの挙証なかるべからず。
何者総へての損害賠償は現実の損害あることを要件とし所謂名義上の賠償請求は我法制の認めざる所なれば縦令損害を生じ得べき原因(例へば債務不履行)ありとするも現実に損害を生ぜざる以上は賠償請求権は根本に於て成立せざればなり。
之を要するに債務不履行は当然損害を意味するものにあらず。
故に債務不履行に基く損害賠償請求には必ずや債務不履行の立証と及其不履行より生じたる現実の損害とに付き挙証なき以上は之れを許す可きものにあらず。
而して此事たる原因のみに関すると証訴訟の全般に関するとに論なく総へての損害賠償の請求に関する原則たらずんばあらず。
故に原判決が単に原因の点のみに制限せられたるの理由は未だ以て如上の論旨を動かずに足らざるなりと云ひ」第三点は前二点所論の如く控訴人は被控訴人の請求する現実の損害を否認せり。
而して此否認は控訴人の第一の抗弁たる甲第三号証が無効の鑑定なりとの抗弁と等しく又被控訴人の請求排斥の一抗弁にして此抗弁は又本件被控訴人の請求の当否を判断する上に於て度外視し得べからざる重要の争点たり何者若し控訴人抗弁の如く被控訴人に現実の損害生せざる以上は被控訴人の請求は全然不当たるを免れざるを以て縦令控訴人に債務不履行ありとするも控訴人の如上の抗弁ある以上は更に進んで其抗弁の当否を判断せざる以上は未だ以て控訴人に賠償義務ありとなすを得ず。
然るに原判決は全然此抗弁を度外視し漫然上告人に賠償義務ありと判決したるは争点を遺脱するものにあらずんば審理不尽の不法あるを免れずと云ふに在り
依て按ずるに契約の不履行に基き損害賠償を請求する事件に於ては損害を生じたる事実なき以上は被告は賠償の義務なきが故に損害発生の事実は請求の原因の一部を為すものなれども他の方面より観れば該事実は亦請求の数額に属する事実たり何となれば既に損害ありと云ふ以上は其損害たるや必らず
若干の金円に見積ることを得べきものなれば損害事実の確定は其数額を具体的に明示せざるも若干数額の確定を当然包含するものなればなり。
故に裁判所は原因に関する裁判に於ては単に損害を生ずべき事実を確定するに止め数額に関する裁判に於て損害発生の事実を確定するを得べし原判文を閲するに原院は上告人に損害賠償の義務ありと為したるにあらずして「被控訴人(被上告人)が控訴人(上告人)の契約不履行を原因として本訴の請求を為すは其原因正当にして」と判示したるに徴すれば原院は本件原因に関する裁判に於ては単に通常損害を生じ得べき事実を確定したるに止り損害発生の事実の確定は数額に関する裁判に譲りたること明白なれば未だ損害発生の事実に付、審理すべき時期に達せざるものなるを以て此点に付、被上告人をして立証を為さしめず又損害を生ぜずとの上告人の抗弁に付き判断を為さざりしは当然なり。
故に本論旨は其理由なし。
第四点は本件控訴代理人は其控訴追加理由書に於て立証趣旨として甲第三号証鑑定書は甲第二号証の趣旨に反する無効の鑑定なることを論述し之れを(イ)(ロ)(ハ)(ニ)の四段に分析し、而して(イ)(ロ)に於て甲第三号証は鑑定にあらざることを詳論し(ハ)に於て仮りに甲第三号証を以て一の鑑定なりとするも要するに羊毛「とっぷ」の巾の差異の如きも当事者の意思によりて之れを品質となすを妨げざるのみならず相手方も亦本件売買契約に於ては巾を以て品質と認め居るものなるを以て巾の点に付き鑑定をなさざりしは未だ以て甲第二号証の趣旨に従ひたる完全なる品質の鑑定にあらざることを詳細に論述したり。
然るに原判決は単に中略「巾は多少の差異を認むるも要するに品質は二者全然同一なりと鑑定したるに在ることは明瞭なし。」云云と判示し之れによりて甲第三号証の鑑定は完全なるものと断定せられたり。
然れども此説明は唯所謂問に答ふるに問を以てしたるものに過ぎずして未だ以て上述控訴人(上告人)の抗弁を排斥するに足らざるのみならず控訴人の此点に関する抗弁に付ては全然説明を与へざるものと云はざるべからず。
何となれば控訴人の該主張は巾も品質なるを以て此点に付き鑑定をなさざりしは未だ以て完全なる鑑定にあらざることを主張するものなれば甲第三号証鑑定書を以て完全なるものとなすには須らく先づ巾は品質にあらずとなすか又は該鑑定は巾も品質として鑑定したるものなりと断定せざる限りは決して甲三証号鑑定書を以て完全なるものとなすを得ざる順序なり。
素より当事者の主張を信用すると否とは原院の自由なりと雖苟も控訴人の主張する事実にして而も係争権利関係に重大なる影訴を及ぼす主張に対し全然其採否の判断をなさざりしは上告人の甘諾する能はざる所にして原判決は争点を遺脱するにあらざれば審理不尽の不法あるものと確信すと云ふに在り
然れども原院口頭弁論調書(明治四十年二月一日)を閲するに控訴代理人は明治三十九年十月十五日附控訴理由追加書に基き一定の申立を為したりとあるのみにて同書(ハ)の部に記載せる「仮りに甲第三号証を以て一の鑑定なりとするも要するに羊毛「とっぷ」の巾の差異の如きも当事者に意思に依りて之を品質となすを妨げざるのみならず相手方も亦本件売買契約に於ては巾を以て品質と認め居るものなるを以て巾の点に付、鑑定をなさざりしは未だ以て甲第二号証の趣旨に従ひたる完全なる品質の鑑定にあらず。
云云」の主張を為したる事跡なければ原院が此点に付、特に説明を為さざりしは相当なるを以て原判決には所論の如き不法なし。
第五点は上告人の反訴請求に付ては原判決は単に本訴の原因が正当なる以上は当然反訴請求は其理由なきものとして棄却せられたり之れ蓋し本訴の判旨より生ずる当然の結論にして素より当然なり。
然れども該判旨よりずれば本訴と反訴とは全然表裏の関係をなすものなれば既に本訴の判決にして不法なる以上は当然反訴の判決も破毀せらるべきものなるを以て反訴の判決に付ては以上諸論旨を援用して其不法を攻撃するに止むと云ふに在れども前示第一乃至第四の論旨の理由なきことは既に説明したるを以て反訴の原院判決に対し右論旨を引用するに過ぎざる本論旨に対しては重ねて説明を為すの要なきものとす。
以上の理由なるを以て民事訴訟法第四百三十九条第一項に依り主文の如く判決するものなり。