明治三十九年（オ）第六百二號
明治四十年五月二十七日第二民事部判决
◎判决要旨
- 一 公正證書ニ金錢貸借ヲ爲シタル旨ノ記載アルモ實際證書作成ノ後金錢ヲ授受シタルトキハ其記載事項ハ現實ノ事實ニ吻合セサルモノナレハ該證書ハ以テ強制執行ノ債務名義ト爲スコトヲ得ス
上告人 岸本與一郎 外一名
被上告人 株式會社赤穗實業銀行
右法定代理人 高川定次郎
右當事者間ノ強制執行異議事件ニ付廣島控訴院カ明治三十九年九月二十六日言渡シタル判决ニ對シ上告人ヨリ全部破毀ヲ求ムル申立ヲ爲シ被上告人ハ上告棄却ノ申立ヲ爲シタリ
判决
原判决ヲ破毀シ被上告人ノ控訴ハ之ヲ棄却ス
訴訟費用ハ控訴審上告審共ニ被上告人ノ負擔トス
理由
上告理由第一點ハ今本件ニ付原院ノ確定シタル事實ニヨレハ本件強制執行ノ債務名義タル公正證書ニハ（甲第一號證ノ一二）各其第一項ニ被上告人ハ左記金額ヲ小林悦治ニ貸與シ小林悦治ハ之ヲ借リ受ケタリト記載シアルモ其貸借金錢ハ現場ニ於テ取引セラレタルニ非ス該公正證書作成後加古川町シルヤナル宿屋ニ到リ取引セラレタル事實ナリトス凡ホ消費貸借契約ナルモノハ要物契約ナルヲ以テ現物ヲ授受スルニヨリ始メ其効力ヲ生スヘク現物授受以前ニ於テハ消費貸借ヲ爲スヘキ一ノ豫約アルノミ從テ金錢ノ消費貸借ニ於テ未タ金錢ヲ授受セサル以前ニ公正證書ヲ作成シ既ニ金錢ノ授受アリタル如キ記載ヲ爲シ後ニ到リテ金錢ノ授受ヲ爲スモ公正證書作成ノ時ニ於テハ消費貸借未タ成立セサルヲ以テ此公正證書ハ強制執行ノ債務名義タルコト能ハサルコト多言ヲ要セスシテ明ナリ而シテ苟モ公正證書作成ノ時未タ金錢ノ授受ナク後ニ到リテ金錢ヲ授受スル以上ハ其間ノ時間ノ多少ハ法理上何等ノ影響アルモノニアラス從テ後ニ到リ金錢ノ授受アリタル時ニ於テハ別ニ消費貸借成立スルコトアルヘキモ此消費貸借成立シタルカ爲ニ未タ消費貸借成立セサル時ニ作成シタル公正證書ヲ以テ強制執行ノ債務名義ト爲ス能ハサルコト誠ニ明白ノ理由ナリトス然ルニ原裁判所ハ此明白ナル理由ヲ無視シ本件ハ金錢ノ授受カ公正證書作成ト多クノ時間ヲ經過セサル爲メ同時ニ成立シタルモノト認メ得ルヲ以テ有効ノ公正證書ナリトシ之ニ基ク強制執行ヲ許シタルハ法則ヲ不當ニ適用シタル違法ノ判决ニシテ破毀ヲ免レサルモノトスト云フニ在リ
因テ按スルニ本件ニ付原院ノ確定セル事實ニ依レハ被上告人カ上告人兩名ニ對シテ爲シタル強制執行ノ債務名義タル公正證書（甲第一號證ノ一、二）ニハ各其第一項ニ被上告人ハ左記金額ヲ小林悦治ニ貸與シ小林悦治ハ之ヲ借受ケタリト記載シアルモ證書作成ト同時ニ金員ヲ取引シタルニアラスシテ作成後同日同町ノ宿屋ニ於テ該取引ヲ爲シタルモノナリ凡ソ公正證書ノ記載事項ハ必ス現實ノ事實ナルヲ要シ其記載事項カ實際ノ事實ニ吻合セサルトキハ其公正證書ハ以テ強制執行ノ基本タル債務名義ト爲ス可カラストハ當院判例ノ示ス所ニシテ公正證書ニハ金錢ノ授受ニ因テ成立スル貸借ヲ爲シタル旨ノ記載アルニ實際ハ證書作成後ニ金錢ヲ授受シタルトキハ其記載事項ハ即チ現實ノ事實ニ吻合セサルモノナレハ前掲ノ公正證書ハ之ヲ以テ強制執行ノ債務名義ト爲スヲ得ヘキモノニアラス然ルニ原判决カ如上ノ事實ヲ認メナカラ「實際公正證書ノ作成ト同時ニ公證人役場内ニ於テ取引セス多少ノ時間ヲ經過シ他ノ場所ニ於テ取引シタル場合ト雖モ其取引カ極メテ些少ノ時間ヲ經過シタル後爲サレタルニ於テハ尚公正證書ノ作成ト同時ニ取引セラレタルモノト認メサルヘカラス云々」ト判示シ甲第一號證ノ一、二ノ公正證書ヲ以テ強制執行ノ債務名義ト爲スコトヲ得ヘキモノト爲シタルハ法則ヲ不當ニ適用シタル不法アルモノニシテ破毀ヲ免カレス本論旨ハ其理由アルモノトス而シテ被上告人カ右公正證書ノ執行文ニ基キ上告人等ノ有體動産ニ對シテ爲シタル強制執行ハ許ス可キモノニアラス上告人等ノ異議ハ正當ナルヲ以テ被上告人ノ控訴ハ棄却スヘキモノトス依テ他ノ上告論旨ニ付テハ一々説明ヲ付スルノ要ナシ
以上説明ノ如クナルヲ以テ民事訴訟法第四百四十七條第一項第四百五十一條第一ニ依リ主文ノ判决ヲ與フルモノナリ
明治三十九年（オ）第六百二号
明治四十年五月二十七日第二民事部判決
◎判決要旨
- 一 公正証書に金銭貸借を為したる旨の記載あるも実際証書作成の後金銭を授受したるときは其記載事項は現実の事実に吻合せざるものなれば該証書は以て強制執行の債務名義と為すことを得ず。
上告人 岸本与一郎 外一名
被上告人 株式会社赤穂実業銀行
右法定代理人 高川定次郎
右当事者間の強制執行異議事件に付、広島控訴院が明治三十九年九月二十六日言渡したる判決に対し上告人より全部破毀を求むる申立を為し被上告人は上告棄却の申立を為したり。
判決
原判決を破毀し被上告人の控訴は之を棄却す
訴訟費用は控訴審上告審共に被上告人の負担とす。
理由
上告理由第一点は今本件に付、原院の確定したる事実によれば本件強制執行の債務名義たる公正証書には（甲第一号証の一二）各其第一項に被上告人は左記金額を小林悦治に貸与し小林悦治は之を借り受けたりと記載しあるも其貸借金銭は現場に於て取引せられたるに非ず該公正証書作成後加古川町しるやなる宿屋に到り取引せられたる事実なりとす。
凡ほ消費貸借契約なるものは要物契約なるを以て現物を授受するにより始め其効力を生ずべく現物授受以前に於ては消費貸借を為すべき一の予約あるのみ。
従て金銭の消費貸借に於て未だ金銭を授受せざる以前に公正証書を作成し既に金銭の授受ありたる如き記載を為し後に到りて金銭の授受を為すも公正証書作成の時に於ては消費貸借未だ成立せざるを以て此公正証書は強制執行の債務名義たること能はざること多言を要せずして明なり。
而して苟も公正証書作成の時未だ金銭の授受なく後に到りて金銭を授受する以上は其間の時間の多少は法理上何等の影響あるものにあらず。
従て後に到り金銭の授受ありたる時に於ては別に消費貸借成立することあるべきも此消費貸借成立したるか為に未だ消費貸借成立せざる時に作成したる公正証書を以て強制執行の債務名義と為す能はざること誠に明白の理由なりとす。
然るに原裁判所は此明白なる理由を無視し本件は金銭の授受が公正証書作成と多くの時間を経過せざる為め同時に成立したるものと認め得るを以て有効の公正証書なりとし之に基く強制執行を許したるは法則を不当に適用したる違法の判決にして破毀を免れざるものとすと云ふに在り
因で按ずるに本件に付、原院の確定せる事実に依れば被上告人が上告人両名に対して為したる強制執行の債務名義たる公正証書（甲第一号証の一、二）には各其第一項に被上告人は左記金額を小林悦治に貸与し小林悦治は之を借受けたりと記載しあるも証書作成と同時に金員を取引したるにあらずして作成後同日同町の宿屋に於て該取引を為したるものなり。
凡そ公正証書の記載事項は必す現実の事実なるを要し其記載事項が実際の事実に吻合せざるときは其公正証書は以て強制執行の基本たる債務名義と為す可からずとは当院判例の示す所にして公正証書には金銭の授受に因で成立する貸借を為したる旨の記載あるに実際は証書作成後に金銭を授受したるときは其記載事項は。
即ち現実の事実に吻合せざるものなれば前掲の公正証書は之を以て強制執行の債務名義と為すを得べきものにあらず。
然るに原判決が如上の事実を認めながら「実際公正証書の作成と同時に公証人役場内に於て取引せず多少の時間を経過し他の場所に於て取引したる場合と雖も其取引が極めて些少の時間を経過したる後為されたるに於ては尚公正証書の作成と同時に取引せられたるものと認めざるべからず。
云云」と判示し甲第一号証の一、二の公正証書を以て強制執行の債務名義と為すことを得べきものと為したるは法則を不当に適用したる不法あるものにして破毀を免がれず本論旨は其理由あるものとす。
而して被上告人が右公正証書の執行文に基き上告人等の有体動産に対して為したる強制執行は許す可きものにあらず。
上告人等の異議は正当なるを以て被上告人の控訴は棄却すべきものとす。
依て他の上告論旨に付ては一一説明を付するの要なし。
以上説明の如くなるを以て民事訴訟法第四百四十七条第一項第四百五十一条第一に依り主文の判決を与ふるものなり。
