明治三十九年（オ）第六百五十號
明治四十年二月二十二日第二民事部判决
◎判决要旨
- 一 權利ノ抛棄ハ民法施行前ニ於テモ相手方ニ對スル明示又ハ默示ノ意思表示ニ依リテ之ヲ爲スヘキモノトス（判旨第一點）
- 一 裁判所カ係爭事實ヲ認定スルニ當リ自ラ檢證ヲ必要ト認ムルトキハ職權ヲ以テ之ヲ爲シ得ルト同時ニ其必要ヲ認メサルニ於テハ縱令當事者ノ申立アルモ檢證ヲ爲サヽルコトヲ得而シテ此場合ニハ其證據方法カ當事者ノ爲メ唯一ノ立證タルヤ否ヤハ問フ所ニ非ス（判旨第二點）
上告人 三濱信三郎 外二十六名
被上告人 植田彦四郎 外五十四名
右當事者間ノ土管復舊水利權確認請求事件ニ付大阪控訴院カ明治三十九年十月二十三日言渡シタル判决ニ對シ上告人ヨリ全部破毀ヲ求ムル申立ヲ爲シタリ
理由
上告論旨第一點ハ原院ハ其判决理由（二）ノ項下ニ甲第一號證ノ成立ニ付テハ被控訴人ノ是認シテ爭ハサル所ナレハ本訴ニ於テ先ツ論究スヘキ爭點ハ控訴人カ該證ノ契約ニ依リテ得タル權利ヲ抛棄シタルヤ否ニ在リ依テ審按スルニ……ニ依テ觀察スルトキハ該證ノ契約中田通掛越ノ條項ハ少クトモ三十餘年以前ヨリ實行セラレサリシコトヲ推認シ得可ク又……ニ依レハ現在ノ土樋ハ……其埋設ハ少クトモ十餘年以前ナルコトヲ推定シ得ヘク隨テ經七寸ノ土樋ニ關スル該證據ノ約旨ハ當時既ニ實行セラレサリシコトヲ推知シ得ヘシ今此等ノ情況ヲ綜合シテ考覈スルトキハ被控訴人主張ノ如ク控訴人ハ甲第一號證ニ依テ得タル權利ヲ抛棄シ該證ノ契約ハ既ニ久シキ以前ニ其効力ヲ喪失シタルモノナルコトヲ推認スルニ餘リアリト説示シ甲第一號證契約ノ條項カ三十餘年或ハ十餘年實行セラレサリシ事實ヲ綜合シ權利抛棄ノ事實ヲ認定シタルハ不法ニ事實ヲ確定シタルモノナリ何トナレハ「權利ノ實行セサリシコト」ヲ以テ「權利ノ抛棄」ヲ推測スルノ理由ト爲スヲ得ス權利ノ抛棄ハ必スヤ相手方ニ對スル明示又ハ默示ニ因ル意思表示ノ存在ヲ要スルヲ以テ苟モ相手方ニ對シ意思表示ヲ爲シタル事實ヲ認ムルニ非サレハ權利ノ抛棄ナリト斷定スルヲ得ス單純ナル權利ノ不實行ハ或期間ノ經過ニ因リ時効ヲ生スルノ外權利ノ抛棄ナル効果ヲ生セサルモノナレハナリ而シテ原院ハ權利ノ不實行ヲ以テ暗默ノ意思表示ナリト謂ヘルニ非サルコトハ原判决中一言隻句モ「意思表示」ヲ論究セサルニ因リ知リ得ヘシ原判决ハ權利ノ抛棄ハ相手方ニ對スル意思表示ヲ要ストノ法則ヲ看過シテ不當ニ事實ヲ確定シタルモノナリ權利ノ抛棄ハ相手方ニ對シ其意思ヲ表示スルニ非サレハ其効ヲ生セストノ法則ハ御院ノ判例トシテモ示サレタルモノナリト云フニ在リ
依テ審按スルニ權利ノ抛棄ハ民法施行前ニ在リテモ相手方ニ對スル明示若クハ默示ノ意思表示ヲ要スルモノナルコトハ上告論旨ノ如シ而シテ原判决ヲ閲スルニ其理由中特ニ上告人カ甲第一號證ニ依リテ得タル權利抛棄ノ意思ヲ表示シタル旨ノ語辭ヲ用ヰアラスト雖モ被上告人等カ甲第一號證ノ契約ニ反スル係爭ノ土樋ヲ埋設シ之ニ因リテ數十年來契約ニ依リテ定マリタルヨリ多量ノ水ヲ引用スルヲ上告人等ニ於テ目撃シナカラ何等ノ異議ヲ述ヘサルコト及ヒ甲第一號證ノ約旨ニ反シ現状ノ水路ヲ明掲シアル圖面（村役場備付ノ）ニ上告人山口甚平カ調印シタルコト等ヲ判示シタルハ即チ暗默ニ權利抛棄ノ意思ヲ表示シタルモノト判示シタルニ外ナラサルモノトス依テ本論旨ハ原判旨ニ副ハサルモノナレハ上告ノ理由ト爲スヲ得ス（判旨第一點）
上告論旨第二點ハ原院ハ其判决理由（二）ノ項中ニ乙四號證明治十年六月作成村役場圖面ニモ此水路ハ明掲シアリテ控訴人ノ一人山口甚平ハ……右圖面ニ記名調印シ居ル事蹟」……尤モ控訴人ハ乙四號證ハ……ト論スレトモ村役場備付ノ圖面ノ如キハ徒ニ看過シ去リタルモノトハ信認スルヲ得スト説示シテ乙四號證ニ山口甚平カ記名調印セルニ據リ四號證カ眞實ノ記載ノ如ク判定セラレタレトモ上告人ハ乙四號證ノ記載カ眞實ニ相違スルコトヲ證スル爲メ檢證ノ申出ヲ爲シ（明治三十九年六月二十八日附證據調申請）タルニ原院ハ此證據調申請ヲ却下シ乍ラ乙四號證ヲ以テ事實認定ノ資料ト爲シタルハ不當ニ事實ヲ確定シタルノ不法ヲ免レスト云フニ在リ
依テ審按スルニ檢證ナルモノハ裁判官カ自働的ニ現物ヲ實檢シ考覈ヲ確ムル方法ナレハ係爭ノ事實ヲ認定スルニ當リ自カラ檢證ヲ必要ト認ムルトキハ職權ヲ以テ之ヲ爲スコトヲ得ルト同時ニ其必要ヲ認メサルトキハ縱令ヒ當事者ノ申立アリト雖モ檢證ヲ爲サヽルコトヲ得ルモノニシテ此場合ニ於テハ此證據方法カ當事者ノ爲メ唯一ノ立證タルト否トヲ問ハサルモノトス依テ原院カ上告人ノ實地檢證ノ申立ヲ採用セスシテ上告人山口甚平ノ記名調印シタル圖面ニ依リ上告人主張ノ反對事實ヲ認定シタルハ毫モ違法ナルコトナシトス（判旨第二點）
以上説明スル如ク本件上告ハ適法ノ理由ナキヲ以テ民事訴訟法第四百三十九條第一項ニ依リ棄却ス可キモノトス
明治三十九年（オ）第六百五十号
明治四十年二月二十二日第二民事部判決
◎判決要旨
- 一 権利の放棄は民法施行前に於ても相手方に対する明示又は黙示の意思表示に依りて之を為すべきものとす。
（判旨第一点）
- 一 裁判所が係争事実を認定するに当り自ら検証を必要と認むるときは職権を以て之を為し得ると同時に其必要を認めざるに於ては縦令当事者の申立あるも検証を為さざることを得。
而して此場合には其証拠方法が当事者の為め唯一の立証たるや否やは問ふ所に非ず（判旨第二点）
上告人 三浜信三郎 外二十六名
被上告人 植田彦四郎 外五十四名
右当事者間の土管復旧水利権確認請求事件に付、大坂控訴院が明治三十九年十月二十三日言渡したる判決に対し上告人より全部破毀を求むる申立を為したり。
理由
上告論旨第一点は原院は其判決理由（二）の項下に甲第一号証の成立に付ては被控訴人の是認して争はざる所なれば本訴に於て先づ論究すべき争点は控訴人が該証の契約に依りて得たる権利を放棄したるや否に在り。
依て審按ずるに……に依て観察するときは該証の契約中田通掛越の条項は少くとも三十余年以前より実行せられざりしことを推認し得可く又……に依れば現在の土樋は……其埋設は少くとも十余年以前なることを推定し得べく随で経七寸の土樋に関する該証拠の約旨は当時既に実行せられざりしことを推知し得べし今此等の情況を綜合して考覈するときは被控訴人主張の如く控訴人は甲第一号証に依て得たる権利を放棄し該証の契約は既に久しき以前に其効力を喪失したるものなることを推認するに余りありと説示し甲第一号証契約の条項が三十余年或は十余年実行せられざりし事実を綜合し権利放棄の事実を認定したるは不法に事実を確定したるものなり。
何となれば「権利の実行せざりしこと」を以て「権利の放棄」を推測するの理由と為すを得ず。
権利の放棄は必ずや相手方に対する明示又は黙示に因る意思表示の存在を要するを以て苟も相手方に対し意思表示を為したる事実を認むるに非ざれば権利の放棄なりと断定するを得ず。
単純なる権利の不実行は或期間の経過に因り時効を生ずるの外権利の放棄なる効果を生ぜざるものなればなり。
而して原院は権利の不実行を以て暗黙の意思表示なりと謂へるに非ざることは原判決中一言隻句も「意思表示」を論究せざるに因り知り得べし原判決は権利の放棄は相手方に対する意思表示を要すとの法則を看過して不当に事実を確定したるものなり。
権利の放棄は相手方に対し其意思を表示するに非ざれば其効を生ぜずとの法則は御院の判例としても示されたるものなりと云ふに在り
依て審按ずるに権利の放棄は民法施行前に在りても相手方に対する明示若くは黙示の意思表示を要するものなることは上告論旨の如し、而して原判決を閲するに其理由中特に上告人が甲第一号証に依りて得たる権利放棄の意思を表示したる旨の語辞を用ゐあらずと雖も被上告人等が甲第一号証の契約に反する係争の土樋を埋設し之に因りて数十年来契約に依りて定まりたるより多量の水を引用するを上告人等に於て目撃しながら何等の異議を述べざること及び甲第一号証の約旨に反し現状の水路を明掲しある図面（村役場備付の）に上告人山口甚平が調印したること等を判示したるは。
即ち暗黙に権利放棄の意思を表示したるものと判示したるに外ならざるものとす。
依て本論旨は原判旨に副はざるものなれば上告の理由と為すを得ず。
（判旨第一点）
上告論旨第二点は原院は其判決理由（二）の項中に乙四号証明治十年六月作成村役場図面にも此水路は明掲しありて控訴人の一人山口甚平は……右図面に記名調印し居る事蹟」……尤も控訴人は乙四号証は……と論すれども村役場備付の図面の如きは徒に看過し去りたるものとは信認するを得ずと説示して乙四号証に山口甚平が記名調印せるに拠り四号証が真実の記載の如く判定せられたれども上告人は乙四号証の記載が真実に相違することを証する為め検証の申出を為し（明治三十九年六月二十八日附証拠調申請）たるに原院は此証拠調申請を却下し乍ら乙四号証を以て事実認定の資料と為したるは不当に事実を確定したるの不法を免れずと云ふに在り
依て審按ずるに検証なるものは裁判官が自働的に現物を実検し考覈を確むる方法なれば係争の事実を認定するに当り自から検証を必要と認むるときは職権を以て之を為すことを得ると同時に其必要を認めざるときは縦令ひ当事者の申立ありと雖も検証を為さざることを得るものにして此場合に於ては此証拠方法が当事者の為め唯一の立証たると否とを問はざるものとす。
依て原院が上告人の実地検証の申立を採用せずして上告人山口甚平の記名調印したる図面に依り上告人主張の反対事実を認定したるは毫も違法なることなしとす（判旨第二点）
以上説明する如く本件上告は適法の理由なきを以て民事訴訟法第四百三十九条第一項に依り棄却す可きものとす。
