契約履行請求ノ件

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大審院民事判決録（民録）12輯1493頁

上告理由第一条は甲（被上告人）と乙（上告人）と公正証書を作製して契約（甲第一号証の契約）を締結するに当り甲は予め代理人（藤井孝）を指定し又公証人（宮崎政暉）を選定し該公証人の役場に於て契約を締結することを委任するも委任状に記入すべき字句に就ては当事者本人の記載したるものは往往公証人役場に於て訂正を命ずることあり徒らに時間と手数とを要するに付、寧ろ[むしろ]委任事項の記載方を公証人に委託するに如かずとなし該公証人役場の委任状用紙（公正証書作製に付、代理を委任する旨記入あり）に年月日及び姓名を自署し捺印及び証券印紙貼用[ちょうよう]の上（甲第一号証添附委任状）之れを代理人に交付し甲の代理人は乙及び公証人並に立会人の面前にて其本人甲より斯くく々の事項に付、相手方乙と契約を締結することの委任を受けたりと陳述し前記の白紙委任状を提出し委任事項の記入方は公証人に委託する旨甲の意思を伝へ之れに依りて公正証書は作製せられ。 而して[しこうして]委任状に委任事項の記載せられたるは公正証書作製後なりしとせんに此公正証書に対して甲が後日代理人の行為は権限外なりと主張するときは挙証の責は甲乙孰れ[いずれ]にありや是れ本件第一の問題なり。 上告人は挙証の責は甲即被上告人に在りと主張するものなり。 蓋し[けだし]被上告人が藤井孝を代理人に指定し又公証人宮崎政暉を公正証書作製者に選定し、而して[しこうして]公正証書作製の代理を委任する旨記入ある宮崎公証人役場の委任状用紙に年月日並に姓名を自署し捺印及び証券印紙貼用[ちょうよう]の上之れを藤井孝に交付し委任事項の記載方は公証人に委託する旨孝をして公証人並に上告人に伝へしめたる以上（以上の事実は争ひなき所にして争ひあるは単に委任事項のみなり。 ）は公証人並に上告人は藤井孝が被上告人の代理人たることは其提出したる委任状に依りて之れを知り又委任事項に付ては藤井孝の伝言を信ぜざるを得ず。 況んや公正証書は一個の公吏たる公証人が作成するものに付、代理人が自ら証書（私証書）を作製する場合と異なり。 被上告人が藤井孝に公正証書作製並に委任事項記載の委託を伝言せしめたることなしと主張すれば兎に角苟も此の如き委託を伝言せしめたることを認むる以上は後日伝言に誤謬[ごびゅう]ありしことを被上告人より立証せざる限りは代理人の為したる伝言は一応真正のものにして之れに依りて成立したる公正証書は一応真正のものと看做されざるべからざるなり。 然るに被上告人は委任事項の点に付ては自ら陳弁するの外何等証拠を提出せざるに拘はらず原院が其陳弁を採用して上告人に敗訴を言渡したるより観れば原院は此問題に対する挙証の責を上告人に負担せしむるの趣旨と解せざるべからず。 是れ原判決は挙証の責任を転倒したる不法を免れざるもななりと云ふ[いう]に在り

然れども[しかれども]原院に於て被上告人が本論旨に述ぶる如き上告人の主張事実をも争ひたることは原判決に藤井孝が巧みに被上告人を欺き白紙委任状を交付せしめ遂に火葬営業廃止を約せる甲第一号証の公正証書を偽造したる旨を被上告人に於て陳述せりと摘示せるに依りて明確なり。 而して[しこうして]原判決は各証拠に依りて被上告人が上告人に対して火葬営業廃止を約せざるべき諸般の事情を認め此事情を乙第十一号証に対照して藤井孝は会下山墓地転売の予約に必要なりと称し甲第一号証の成立当日権限記載なき委任状を被上告人より受取り之に依り甲第一号証を作成したるものにして曽て火葬営業廃止の契約を為すの権限を付与せられたるものにあらざることを判定したるものなれば原判決は毫も[ごうも]挙証の責任を転倒したる不法あるものにあらず。

同第二条は仮りに被上告人の論する如く被上告人が藤井孝に委任したる事項は甲第一号証の契約の如きものにあらざりしとするも第一条に於て論する如く被上告人が藤井孝を代理人に指定し又公証人宮崎政暉を公正証書作製者に選定し、而して[しこうして]公正証書作製の代理を委任する旨記入ある宮崎公証人役場の委任状用紙に年月日並に姓名を自署し捺印及び証券印紙貼用[ちょうよう]の上之れを藤井孝に交付し委任事項の記載方は公証人に委託する旨孝をして公証人並に上告人に伝へしめたる以上は上告人たるもなは孝の陳述を信ずるに正当の理由を有するものなり。 故に上告人は原審に於て民法第百十条を援用したるに原判決中曽て之れに対する説明なく。 而して[しこうして]上告人に敗訴を言渡したるは是れ一面に於ては重要なる争点に対して説明を与へざるもの。 即ち理由の欠欠にして一面に於て法律を適用せざる不法の判決なりと云ふ[いう]に在り

然れども[しかれども]被上告人が上告人の主張事実を争ひたることは前条に対する説明の如くなるのみならず上告人が孝に代理権限ありと信ずべき正当の理由を有せることは上告人に於て原院に提出せざる所なれば原院が特に之を判示せざるも理由の不備なるものにあらず。 又民法第百十条を適用せざる不法あるものにあらず。

同第三条は原判決理由中に被上告人が甲第一号証の如く金二千円を得て火葬営業を廃止するの契約を締結すべき筈なしとの理由として左の如く説明せられたり被控訴人は何すれそ僅僅金二千円を得而も短期間を期して甲第十三号証により明かなる如く年年三千円内外の収益ある火葬営業廃止の契約を為すの権限を孝に付、与し之れが為めに孝との関係上並に湊西区との関係上其営業の廃止を要せざるに至りたる場合に於ても猶控訴人との契約に拘束せられ之れを廃止するの止むなきに至り自ら損失を招く可き危険を冒すの愚を為さんや又甲第一号証の契約に付、被上告人の代理人たる藤井孝は実際火葬営業廃止の契約を為すの権限を付与せられたるものにあらずして会下山墓地転売の予約をなすことの権限を委任せられたるものなりとの理由として左の如く乙第十一号証を援用せられたり此事情と乙第十一号証とを対照するときは藤井孝は会下山墓地転売の予約に必要なりと称し甲第一号証の成立当日権限記載なき委任状を被控訴人より受取り之れにより甲第一号証を作成したるものにして曽て火葬営業廃止の契約を為すの権限を付与せられたるにあらざることを知るに足る然るに甲第十三号証は被上告人が藤井孝に対して告訴を為したる末予審に於て証人として訊問を受けたるときの調書なり。 又乙第十一号証は同告訴事件に付、被上告人が警察署に於て警部の訊問に対して陳述したる聴取書なり。 斯る書面は果して被上告人の為めに民事上証拠となるべき性質のものなりや否や自己が他人を告訴したる件に付、警察署若くは予審廷に於て為したる陳述が自己の為めに民事上に於て証拠となることを得は民事上の証拠は予め自己の方針に依りて随意に作成し得るものと云はざるべからず。 又法理上より論するも自己の陳述が自己の為めに証拠となるべき道理は万万あるべき筈なし。 故に原判決は此点に於て採証法に違背したる不法の判決なり。 蓋し[けだし]被上告人の火葬営業上一个[か]年三千円以上の純益を得るの事実は被上告人自ら陳弁する外何等証拠なく神戸市の火葬の状況に照らし及び他の火葬営業者との競争に鑑み決して認むべからざる所なり。 又甲第一号証に添附する委任状の用紙は会下山墓地転売の予約を為す為めに藤井孝に付、与したりとの事実も亦[また]被上告人自身の陳述の外何等の証拠あることなく全く虚構の事実にして之れを打破するに足るべき反証は屈指に暇あらざる程なり。 要するに此二点に於ける原院の認定は全く事実に反するものなることを断言して憚からず。 証拠となるべからざるものを証拠として援用する結果は率ね斯の如きものなるべしと云ふ[いう]に在り

然れども[しかれども]予審調書並に司法警察官の聴取書と雖[いえども]も民事上書証として証拠力を有すること勿論にして其記載せる供述が挙証者自身の供述なると否とに因りて区別なし。 而して[しこうして]証拠の取捨は事実承審官の専権に属するを以て原院が甲第十三号証に依りて火葬営業の為め被上告人に年年三千円内外も収益ある事実を認め之を乙第十一号証と対照して藤井孝は曽て火葬営業廃止の契約を為す権限を付与せられたるにあらざることを推断したるは毫も[ごうも]不法にあらず。

同第四条は上告人は原院に於て証人藤井孝同岡田元太郎の喚問を申請せしに原院は之れに対して決定を与へざる儘喚問を為さざりしものなり。 其証拠は原審口頭弁論調書中一も右証人訊問申請に対する決定の記載なきに依りて明かなり。 或は原院に於ては申請を棄却するの意思なりしと推察せられんも明白に決定を与へざりしは其不法論を待たざる所なり。」第五条は且つ夫れ証人藤井孝は甲第一号証の契約に付、被上告人の代理人たりしのみならず被上告人の営業に[すでに]属する火葬場附近の土地二万坪以上を被上告人と共同にて買収したる上被上告人は火葬場を廃し之れに依りて土地の価格を騰貴せしめ曩きに買収したる二万坪以上の土地を転売して利益を獲得し之れを両人間に折半するの契約を被上告人と締結し其後着着土地買収に従事し最後に神戸市湊西区に属する火葬場附近の字会下山墓地一万数千坪を曩きに買収したる地所の一部と交換し之れに依りて買収地所二万坪以上に達するの運ひに至らしめたる人なり。 又証人岡田元太郎は当時湊西区会議長にして湊西区に属する会下山墓地一万数千坪を藤井孝の買約に係る地所と交換し其附加の一条件として火葬営業者たる被上告人をして湊西区の為め衛生上頗る[すこぶる]有害なる会下山火葬場を廃止せしむるの内約を結ひ将に[まさに]之れを実行せんとするの運ひに至らしめたる人なり。 故に右両人を証人として訊問することは本件に最も必要なり。 何となれば被上告人の営業に[すでに]属する会下山火葬場にして既に藤井孝との間の土地二万坪買収契約の結果廃止の運命に接し、且、湊西区と土地交換の附加条件として該区に対しても亦[また]廃止の運命に接したる以上は上告人は別に二千円の金円を支出するに及ばさる次第なり。 然るにも拘はらず被上告人は此際行き掛けの駄賃として上告人の奉仕する九宝株式会社より幾分の金円を得んと欲し該会社が火葬営業の競争者として間接に会下山火葬場廃止の余沢を蒙る[こうむる]を口実とし該会社に請求する所あり該会社に於ては一には自己の利益の早晩増大するを想ひ一には勢己むを得ざるものあり遂に上告人の名を以て涙金を与へたるもの是れ。 即ち甲第一号証の契約の成立せし所以にして上告人の主張する事実にして実に本件の真相なり。 此真事実を証明するの証拠としては甲号各証あれども証人として藤井岡田の両人の証言を援用せんとするは上告人の為めには必要の事に属す。 然るに原院は此必要の証人を故なく喚問せざりしは当事者一方の為めに必要なる証拠を故なく排斥するものにして断して不法の判決なりと云ふ[いう]に在り

然れども[しかれども]本件記録中証人藤井孝岡田元太郎に対する上告代理人の証拠調申請書の添附しあるのみにして原院に於ける証拠調の際上告人より特に其申立を為したる事蹟なきのみならず之に対する裁判なきことに付て何等の異議を留めず弁論を終結したるものなれば原院が右証人の証言を採用せざるの不法ならざるは勿論申請の許否を決定せざればとて以て上告の理由と為すことを得ず。 故に本論旨は孰れ[いずれ]も理由なし。

同第六条は第一審判決理由中に左の記載あり中村謙蔵に対する訊問調書に明治三十七年十一月二十日頃被告は自分に対し会下山の火葬場を廃止するに依り同業者たる九宝株式会社より金一万六千円を交付せしむる様交渉し呉れと依頼したり。 仍て[よって]自分は一万円位は会社より出さしむるも可なりと思料し会社の重役に交渉したる旨の供述を録取しあるに徴せば被告が訴外藤井孝に対して其後数日を経さるに僅かに二千円の贈与を受け該会社の利益の為め原告に対し自己の火葬営業を廃止するの意思を有したりとは普通の事情に於て想像し得べからざる所上告人は之に対して被上告人は九宝株式会社に対して火葬場を廃止することを約するに付、六千円を得て満足したることを自白したる事実を主張し其証拠として甲第十号証（常盤正聴取書）追補を提出せり。 即ち左の如し其処で私と九宝株式会社との間に於ける関係即ち自分が火葬場を止めたらば九宝会社は何程の金を出すかと云ふ[いう]件に付ては中村謙蔵が是迄に斡旋して居りますか話が纒らずして夫れを藤井が下話をさせんかと云ひますので墓地が一万六千円で払下けになるのであるから其金丈け九宝会社から取る考へなりしも少しの減額は差支へないと中村にも云ふ[いう]てあると云ひました。 処から六千円で承知をせよ直に話をすると云ひ承諾せよと云ふ[いう]ので私も承諾しました。 即ち被上告人の自白に依りて被上告人は金六千円を得は九宝株式会社（上告人の奉仕する会社）に対しても亦[また]火葬場を廃止することを承諾したることを見るべし尤も[もっとも]六千円云云は不実の陳述にして実際二千円にて承諾したるものなれども六千円と二千円との相違は暫く措き兎に角此自白に依れば被上告人が中村謙蔵を介して九宝株式会社に対してなしたる一万六千円若くは一万円の請求は自然消滅に帰し被上告人と藤井孝との直接の談合上被上告人の請求は六千円迄に減縮せられたる事実は争ふべからざる所なり。 然るに原院は此点に関する上告人の主張及び其証拠たる甲第十号証追補に対して何等の説明を与ふることなく恰も[あたかも]此主張及び証拠を知らざるものの如く左の如く説明せられたり

被控訴人は参事会員中村謙蔵を介して明治三十七年十一月二十日以来同社に対し一万円内外の出金を要求し其成否未だ決せざるものにして被控訴人が此の如く要求の過当ならずと信じたることを推想し得可きは前説明の如くにして従って共要求の貫徹し得可きことを予期したるものならんに爾後[じご]久しからずして同月二十九日頃に至り翻然其要求を減縮し甲第二号証等に於ける藤井孝の陳述の如く同会社より僅かに二千円を出金せしむるを以て満足し其結果火葬営業廃止の契約証書作成の権限を藤井孝に付、与したるものとは認め難く是れ上告人の主張及び証拠に対して説明を与へざるものにして、即ち理由欠欠の判決なり。 況んや其説明が被上告人の自白と牴触[ていしょく]する以上は不実の説明たること一点疑ひなく。 而して[しこうして]此の如き不実の説明をなすに至りたるは畢竟[ひっきょう]上告人の主張と証拠とを度外に付したるの結果に外ならざるに於ては上告人たるもの審理の粗漏理由の欠欠を絶叫せさらんと欲するも得べからざるなりと云ふ[いう]に在り

然れども[しかれども]原判決は乙第六号証（証人中村謙蔵訊問調書）並に被上告人の援用せる甲第十四号証（証人常盤正訊問調書）に依りて被上告人が参事会員中村謙蔵を介して明治三十七年十一月二十日以来九宝株式会社に対して一万円内外の出金を要求し其成否未だ決せざる事実を認め以て被上告人が甲第二号証等に於ける同会社より僅かに二千円を出金せしむるを以て満足し其結果火葬営業廃止の契約証書作成の権限を藤井孝に付、与したるものと認めざる資料と為したるものなれば上告人が追加甲第十号証

（常盤正に対する聴取書）を以て立証せる被上告人が同会社より六千円を得て満足したることを自白したりとの主張事実を排斥したること自ら分明なり。 故に本論旨も亦[また]上告適法の理由とならず

同第七条は原院は上告人が第一審口頭弁論調書に原告代理人は甲第二号証末尾にて五百円の手附を委任状と引替に常盤方で渡したることを証すと主張せり被告代理人は右主張を認むと答弁せりとあるを援用したるに対して右は誤記に過ぎずして以て控訴人利益の証となすに足らずと説明したれども苟も訴訟当事者の一方の自白が明かに弁論調書に記載せられ相手方が之を援用する以上は裁判所は此調書を左右するの職権を有せざるものと思料す。 故に原院は此点に於て採証上越権の不法を免がれざるものとすと云ふ[いう]に在り

然れども[しかれども]上告人が原院に於て援用せる第一審口頭弁論調書中の記載は上告人が甲第二号証末尾を以て為したる立証に対する被上告人の証拠陳述に過ぎずして純然たる自白にあらず。 而して[しこうして]被上告人は原院に於て此点に関して一審調書は誤記なり。 否認したるなりと申立てたるを以て其果して誤記なるや否を定むるは事実承審官たる原院の職権に属し原院は被上告人が終始火葬営業廃止の契約を為したることなしと主張せる事実に参照して之と相反する手附金受取の事実を認むべき筈なきが故に誤記に過ぎずと判示したるものなれば原判決は不法にあらず。

以上説明の如く上告適法の理由なきに付、民事訴訟法第四百三十九条第一項に依り之を棄却すべきものとす。