明治三十六年(オ)第六百二十七號
明治三十七年二月六日第一民事部判决
◎判决要旨
- 一 判决ハ主文ニ包含スルモノニ限リ確定力ヲ有シ其主文ニ包含セサル理由ハ確定スルモノニ非ス故ニ小作契約ヲ原因ト爲シ或年度間ノ延滯小作籾ノ引渡ヲ請求シタル訴訟ニ於テ原告ノ請求ヲ棄却セル判决ハ該年度以後ニ於ケル小作籾ノ請求ノ當否ニ付テハ其確定力ノ効果ヲ及ホスヘキモノニ非ス
上告人 平林太一郎
訴訟代理人 町井鐵之介 佐藤清三郎
被上告人 小林時治
右當事者間ノ小作籾立替金請求竝ニ小作差止請求事件ニ付東京控訴院カ明治三十六年十月十三日言渡シタル判决ニ對シ上告人ヨリ全部破毀ヲ求ムル申立ヲ爲シタリ
理由
上告理由ノ第一點ハ原判决ハ判决ノ確定力ヲ無被シタル不法アリ原院ハ上告人カ被上告人ノ請求ハ一事再理ヲ求ムルモノナリト抗辯ニ對シ「乙一號證ヲ査閲スルニ前訴及ヒ本訴ハ共ニ甲一號證ノ小作契約ヲ原因トセルモ彼ハ明治二十一年以降同二十七年迄ノ延滯小作籾ヲ請求スルニ在リテ此ハ明治二十八年以降ノ小作米ヲ請求スルニ在リ請求ノ目的物前後同一ナラサル點ニ於テ前訴ノ判决ハ其確定力ヲ本訴ニ及ホスヘキモノニアラサルヲ以テ此點ニ關スル被控訴人ノ抗辯モ亦理ナシ」ト説明シ之レヲ排斥セリ抑モ法律カ一事再理ヲ許サヽル主要ナル理由ハ(一)一ノ權利關係ヲ永ク不確定ノ状態ニ在ラシムルハ公益上害アリト認メタルト(二)同一權利關係ニ付キ前後ノ裁判牴觸シ司法權ノ威信ヲ損スル如キコトナカラシメントシタルニ外ナラサルハ上告人ノ確信スル所ナリ故ニ確定スヘキ判决ハ其主文ニ止マラス主文ノ基因タル法律關係モ亦確定スヘキハ理ノ當然ニシテ御院判例ニ於テモ亦之レヲ認メラルヽ所ナリ前ニ被上告人カ上告人ニ對シテ起シタル訴訟ハ乙一號證ノ一、二、三ニ依リテ明カナル如ク被上告人ハ小作籾請求事件ナル訴名ノ下ニ本訴ト同一事實ヲ主張シ本訴ト同シク小作籾ヲ請求シ本件ニ於ケル甲一號證ヲ基礎トシ要スルニ同一當事者間ニ同一ノ事實ヲ原因トシ同一目的物ヲ請求シタルモノナリ然ルニ右訴訟ニ於テハ第一第二審共本訴甲第一號證中「小作籾一个年十五俵ツヽ相納事」トアル部分ハ眞正ニ成立シタルモノニアラス隨テ小作契約ハ成立シタルモノニアラサルヲ以テ被上告人ノ請求ヲ棄却スル旨判决セラレ尋テ上告棄却ノ結果確定シタルモノナリ然ラハ前訴ニ於テ確定シタルハ單ニ「原告請求不相立」「本件控訴ヲ棄却ス」トノ判决主文ノミニアラスシテ判决主文ノ因テ生スル「甲一號證小作契約ハ不成立」トノ理由モ確定セルモノト云ハサルヘカラス蓋シ前訴訟ニ於テ重要ナル爭點ハ本件ニ於ケルト同シク當事者間ニ小作契約カ成立スルヤ否ヤニアリテ判决ハ此點ニ向ケ下サレタルモノナレハ小作契約ハ成立セストノ判斷ハ訴訟ノ性質上確定セサルヲ得サレハナリ若シ然ラストスレハ小作契約ノ有無ニ關スル法律關係ハ既ニ確定判决ヲ經タルニ係ラス永ク不確定ノ状態ニ在ルモノトナルノミナラス其後ノ判决ヲ以テ小作契約ノ成立ヲ認ムル如キハ司法權ノ威信ヲ保ツ所以ニアラサレハナリ然ルニ原院ニ於テハ前訴ハ本訴ト等シク小作籾ノ請求ナルニ(即チ同一ノ訴訟物)不係「彼ハ明治二十一年以降同二十七年迄ノ延滯小作籾ヲ請求スルニ在リテ此ハ二十八年以降ノ小作籾ヲ請求スルニ在リ請求ノ目的物前後同一ナラサル點ニ於テ云々」ト判示セラレタルハ不法ノ甚シキモノト云ハサルヘカラス蓋シ前訴本訴共ニ同一小作契約ヲ原因トシ被上告人ニ於テ小作籾ヲ請求スル權利アルコトヲ主張スルモノニシテ二者ノ訴訟物ハ毫モ差異アル所ナケレハナリ若シ夫レ一ハ二十七年前ノ小作籾ヲ請求シ一ハ二十八年以後ノ小作籾ヲ請求スルカ故ニ訴訟物同一ニアラスト云フカ如キハ基礎タル小作籾請求權存否ノ問題ト之レハ存在ヲ前提トスル權利ノ作用トヲ混同シタル結果ニシテ訴訴物ノ何物タルカヲ誤認シタル所以ナリ(前訴訟判决カ時期ニ付テノ判斷ヲ下サヽリシヲ引證ス)要スルニ前訴訟ニ於テ甲第一號證ノ成立ヲ否定シ隨テ被上告人ハ小作籾請求權ナシトノ判决(二十一年乃至二十七年ナル時期ニ關係シテ請求權ナシトノ判决ニアラス)確定セルニ不係原院カ之ヲ無視シテ既定ノ法律關係ヲ紊リ之レニ異ナル判决ヲナセシハ一事再理ヲ是認スルモノニシテ不法ノ判决ナリト云フニ在リ
按スルニ判决ハ其主文ニ包含スルモノニ限リ確定力ヲ有シ其主文ニ包含セサル理由ノ如キハ固ヨリ確定スヘキモノニ非ス(民事訴訟法第二百四十四條)而シテ曩ニ被上告人カ上告人ニ對シテ起シタル訴訟ハ乙第一號證ノ一、二及三ニ依リテ明白ナルカ如ク本件ト均シク甲第一號證ノ小作契約ヲ原因トスルモ明治二十一年以降同二十七年迄ノ延滯小作籾ノ引渡ヲ目的トシ甲第一符證ノ小作契約ノ果シテ成立シタルヤ否ヤニ付キ判决ヲ以テ確定センコトノ申立(民事訴訟法第二百十一條)ハ當事者ノ孰レヨリモ爲サヽリシヲ以テ該訴訟ノ判决主文モ原告ノ請求不相立ト云フニ止マルカ故ニ該確定判决ハ其主文ニ包含スルモノ即甲第一號證ノ契約ニ基ク明治二十一年以降同二十七年迄ノ小作籾請求ノ相立タサルコトノミ確定力ヲ有スルニ止リ其以後ノ小作籾ノ請求ノ當否ニ付キテハ其確定力ノ効果ヲ及ホスヘキモノニ否ス左レハ被上告人カ本件ヲ提起シ前訴ト同一ノ原因ニ基キ明治二十八年以降ノ小作籾ノ請求ヲ爲スモ上告人ハ前訴ノ確定判决ノ効力ヲ以テ其抗辯ト爲スコトヲ得サルヤ明カナリ斯ノ如キ場合ニ於テハ前後二箇ノ判决理由カ相牴觸スルコトアルヲ免カレサルモ是レ民事訴訟法カ第二百四十四條ノ規定ヲ設ケタル結果ニシテ其之ヲ設ケタル所以ハ若廣ク判决ノ理由ヲモ確定スルモノトセハ當事者カ判决ノ主文ニ不服ナキモ其理由ニ不服アルトキハ上訴ヲ許サヽルヘカラサルニ至リ其結果大ニ訴訟手續ヲ錯綜ナラシムルモ別段ノ實益存セサルカ爲メナルヘシ因テ本上告論旨ハ其理由ナシ
上告理由ノ第二點ハ原判决ハ理由不備ノ不法アリ本件ハ原院ノ説明スル如ク當事者間ニ小作契約ノ存在スルヤ否ヤヲ重要ナル爭點トス故ニ上告人ハ其存在ヲ否認スル證據トシテ乙二號證乃至乙四號證ヲ提出シ證人丸山功男矢野友三郎井口菊太郎柳澤喜知造ノ證言ヲ援用セリ(原院明治三十六年六月三十日口頭辯論調書)就中乙二號證ノ如キハ六畝二十八歩ノ地所ハ質入セサルカ故ニ公租等ヲ被控訴人カ上納スルコトヲ證スルモノニシテ之レヲ甲一號證中「依テ年季中ハ貴殿方ニ於テ地租其外諸入費等總テ御勤メ可被成候」トノ文言ト對照スルトキハ甲一號證貼紙ノ部分ニ記載セラレタル六畝二十八歩ハ入質セラレタルモノニアラサルコトヲ知ルニ足ルヘク隨テ同地カ入質セラレタリトノ判斷ニハ重要ナル關係ヲ有シ隨テ本件ノ當否ヲ斷スルニ直接重要ノ關係ヲ有スルヲ以テ之ヲ排斥スルニハ相當ノ理由ヲ付シ之レヲ言明セサルヘカラス然ルニ原判决ハ乙二、三號丸山功男矢野友三郎ノ證言ニ付テハ何等説明ヲ付セスシテ漫然看過シタリ即チ理由不備ノ不法アル判决ナリト云ヒ」其第四點ハ原判决ハ重要ナル事實ノ爭點ニ對シ判斷ヲ遺脱シ且重要ノ證據ニ對シ何等理由ヲ付セサル不法ノ裁判ナリ上告人ハ本件ノ小作米一个年ニ付籾十五俵ツヽ相納候云々ノ契約ヲ爲シタルコト無之甲一號證中其記載ノ文字ハ眞正ニ成立シタルモノニアラスト主張シ其事實ハ(第一)該文字ハ本文中ノ上告人記載ノ文字ト異ナル事實(第二)甲一號證成立當時ニ於ケル地所質入證書ハ本書ト謄本ト二通ヲ役場ヘ差出シ役場ニ於テ本書ト謄本ト對照シテ其相違ナキコトヲ認タル上謄本ヲ役場ニ備置キ本書ニ公證ヲ付與シテ質取主ニ渡スコトノ制規ニシテ甲一號證ノ謄本タル役場備付ノ乙四號證ノ二ニハ現ニ小作籾云々ノ記載ナキノ事實ノ存在スルコト(第三)甲一號證當時ノ長野縣令ノ達ニヨリ質地證書ノ文例アリテ同證書ニハ小作籾云々ノ書入ヲ爲スヘキモノニアラサル事實ニ依リ之ヲ爭ヒタリ而シテ第一ノ事實ニ付テハ上告人ハ鑑定人宮丈吉田山嘉十郎太田彰ノ鑑定ヲ援用シ第二第三ノ事實ニ付テハ證人柳澤喜知造ノ人證ヲ申請シ其證言中、問「乙第四號證ノ二ナル地所質入證書謄本ハ當時平林太一郎ヨリ差出シタルモノニシテ公證ヲ與ヘタル本證(甲一號證ノコト)ト對照シテ相違ナキコトヲ職務上認メタルモノナリヤ」此時乙四號證ノ二ヲ示ス、答「戸長ノ命ニヨリ對照シテ相違ナキコトヲ認メマシタ」問「何故本證ト謄本ト二通ヲ差出サシムルヤ」答「明治二十年中ニ於テハ村役場質入公證ノ取扱手續ハ一般人民ヨリ質入證書ノ本書ト其謄本ト二通ヲ差出サシメ其謄本ヲ役場ヘ備置キ本證ニ公證ヲ付與シテ之ヲ質取主ニ渡スコトニ定マツテ居リマシタ」問「甲第二號證タル原本ニ甲第二號證張紙ヲ爲シタル畑六畝二十八歩ノ次ノ部分ニ公證ヲ與フル當時ニ於テ前書ノ小作籾云々ノ記載アリタルヤ」答「小作契約ト質入トハ別ニナツテ居リマスカラ書テ有ル筈ハアリマセン人民ヨリ願出ル證書ノ文例ハ縣令達ニヨリ定マツテ居リマスカラ小作籾云々ノ事ハ書テアリマセン」問「地所質入證書ニハ小作籾云々ノ事ヲ書キ入レルヘキモノニ非ラサルヤ」答「別ニ爲ツテ居リマスカラ書入ルヘキモノテハ有リマセン」問「何年頃ノ縣令ナリヤ明治十七年頃ノ縣令テアリマス」云々トアル點ヲ援用シタリ(右ハ第二審ニ於ケル最終ノ辯論調書ニ控訴代理人及被控訴代理人ハ各證人柳澤喜知藏ノ證言ヲ其利益ニ援用シタリ被控訴代理人ハ鑑定人宮丈吉田山嘉十郎太田彰ノ鑑定ヲ援用シ甲一號ノ被控訴人自筆ト貼紙ノ筆蹟トハ相違スルコトヲ證ス雙方代理人ハ更ニ事實ノ關係ヲ表明シ證據調ノ結果ニ付キ辯論ヲ爲シタリトアリ參照)然ルニ此重要ナル第一乃至第三ノ事實ノ爭點ニ對シ原院ハ何等ノ判斷ヲ與ヘスシテ且重要ノ證據ニ對シ理由ヲ附セスシテ上告人ニ不利ノ裁判ヲ爲シタルハ不法ナリト云フニ在リ
按スルニ原判决ハ其理由ノ第一項ニ於テ幾多ノ證據ニ依リ甲第一號證ノ土地ハ總テ質地ニシテ同證中小作米ニ關スル記事ノ眞正ナルコト即チ小作契約ノ成立シタル事實ヲ認定シタレハ此認定ト相容レサル事實及證據ハ原判决ノ排斥シタルモノナルヤ自ラ明カナリ而シテ裁判所ハ斯ノ如キ事實及證據ヲ排斥シタル理由ヲ説明スルノ責務アルニ非サレハ之ヲ説明セサルヲ以テ不法ト爲スコトヲ得ス
上告理由ノ第三點ハ原判决ハ存在セサル事實ヲ判斷ノ材料トシタル不法アリ原判决理由ノ部ニハ證人柳澤喜知造ノ供述ニ從ヘハ甲二號證ハ質地ノ公證ヲ與ヘタル時ニ之ヲ作成シ且甲一號證ト割印ヲ爲シ登記所ニ引繼キタリトアリテ云々ト説明シ(一)甲二號證ノ全部ヲ作製シ(二)甲一號證ト割印シテ甲二號證ヲ登記所ニ引繼キタリトノ二箇ノ事實ニ付キ證言アリシ如ク判示セリ依テ同記録ニ徴スルニ(一)ノ點ニ付テハ甲一號證貼紙上文字ハ作製セサリシモノナル旨ヲ證言シ却テ乙四號證ノ二ヲ眞正ナルモノト認メタル旨ヲ證言シ終リニ甲一號證ニ小作契約ヲ書入ルヘキモノニ非ル旨ヲ證言セリ之レニ依テ見レハ柳澤喜知造ノ證言中甲二號證ハ質地ノ公證ヲ與ヘタルトキニ作製シトアルハ貼紙ノ部分ヲ除キタルハ明カニシテ原院カ全部作製シタリトノ證言アルカ如ク認メタルハ不法ナリ(二)ノ點ニ付テハ尚明白ナルモノアリ即チ同證言ニ依レハ「問、甲二號證ハ何時書イタモノカ、答、公證ヲ與ヘタ時即明治二十年一月八日ニ書キマシタ、問、奧書割印帳ハ甲二符證ト割印シテ如何セシヤ、答、登記所ニ引繼キマシタ、問、公證願ハ雙方ヨリ受取ル例トノ事ナルカ甲第四號ノ二ハ雙方ヨリ受取リタルヤ、
答、置主ノ平林太一郎カラ受取マシタ、問、本書ト割印ヲナシタルハ何レナルヤ、答、甲二號證ト割印ヲナシ登記所ヘ引繼キヲ致シマシタ云々」依之見レハ甲二號證ト割印ヲ爲シ登記所ニ引繼キタルハ奧書割印帳ニシテ原院ノ認メタル如ク甲二號證カ甲一號證ト割印ヲ爲シタリトノ事及ヒ甲二號證カ登記所ニ引繼カレタリトノ供述ハ毫モ存在セサル事實ナリ然ルニ原院カ之レアルモノヽ如ク認メ判斷ノ基礎トナシタルハ不法ノ判定ナリト云フニ在リ
按スルニ原判决ハ證人柳澤喜知造ノ訊間調書中「甲第二號證ハ何時書タモノカ」トノ間ニ對シ「公證ヲ與ヘタ時即明治二十年一月八日ニ書キマシタ」ノ答ニ基キ説明ヲ爲シタルモノナルヤ明白ニリ而シテ此問答ハ甲第二號證ノ貼紙上ノ文字ヲ包含セサルコトハ上告論旨ノ如ク其前後ノ問答ニ依リテ明白ナルモ原判决カ之ヲ誤解シテ貼紙上ノ文字ヲモ證人カ書キタルモノト爲シタリト認ムルニ由ナシ又同調書中ニ「本書ト割印ヲ爲シタルハ何レナルヤ」ノ問ニ對シテ「甲第二號證ト割印ヲ爲シ登記所ニ引繼ヲ致シマシタ」云々ノ問答アリ而シテ茲ニ所謂本書ハ謄本ニ對シテ立言シタルモノニシテ地所質入證書ノ本書即甲第一號證ヲ指稱スルコトハ他ノ數多ノ問答ニ照シテ明白ナレハ甲第二號證ハ甲第一號證ト割印セラレ且登記所ニ引繼カレタルコトハ證人ノ供述セシ所ナリト謂フヘシ故ニ本上告論旨ハ其根據ナキヲ以テ固ヨリ理由ナシ
以上説明スルカ如ク本件上告ハ一モ適法ノ理由ナキヲ以テ民事訴訟法第四百三十九條第一項ニ從ヒ棄却スヘキモノトス
明治三十六年(オ)第六百二十七号
明治三十七年二月六日第一民事部判決
◎判決要旨
- 一 判決は主文に包含するものに限り確定力を有し其主文に包含せざる理由は確定するものに非ず。
故に小作契約を原因と為し或年度間の延滞小作籾の引渡を請求したる訴訟に於て原告の請求を棄却せる判決は該年度以後に於ける小作籾の請求の当否に付ては其確定力の効果を及ぼすべきものに非ず
上告人 平林太一郎
訴訟代理人 町井鉄之介 佐藤清三郎
被上告人 小林時治
右当事者間の小作籾立替金請求並に小作差止請求事件に付、東京控訴院が明治三十六年十月十三日言渡したる判決に対し上告人より全部破毀を求むる申立を為したり。
理由
上告理由の第一点は原判決は判決の確定力を無被したる不法あり。
原院は上告人が被上告人の請求は一事再理を求むるものなりと抗弁に対し「乙一号証を査閲するに前訴及び本訴は共に甲一号証の小作契約を原因とせるも彼は明治二十一年以降同二十七年迄の延滞小作籾を請求するに在りて此は明治二十八年以降の小作米を請求するに在り請求の目的物前後同一ならざる点に於て前訴の判決は其確定力を本訴に及ぼすべきものにあらざるを以て此点に関する被控訴人の抗弁も亦理なし。」と説明し之れを排斥せり。
抑も法律が一事再理を許さざる主要なる理由は(一)一の権利関係を永く不確定の状態に在らしむるは公益上害ありと認めたると(二)同一権利関係に付き前後の裁判牴触し司法権の威信を損する如きことながらしめんとしたるに外ならざるは上告人の確信する所なり。
故に確定すべき判決は其主文に止まらず主文の基因たる法律関係も亦確定すべきは理の当然にして御院判例に於ても亦之れを認めらるる所なり。
前に被上告人が上告人に対して起したる訴訟は乙一号証の一、二、三に依りて明かなる如く被上告人は小作籾請求事件なる訴名の下に本訴と同一事実を主張し本訴と同じく小作籾を請求し本件に於ける甲一号証を基礎とし要するに同一当事者間に同一の事実を原因とし同一目的物を請求したるものなり。
然るに右訴訟に於ては第一第二審共本訴甲第一号証中「小作籾一个年十五俵つつ相納事」とある部分は真正に成立したるものにあらず。
随で小作契約は成立したるものにあらざるを以て被上告人の請求を棄却する旨判決せられ尋で上告棄却の結果確定したるものなり。
然らば前訴に於て確定したるは単に「原告請求不相立」「本件控訴を棄却す」との判決主文のみにあらずして判決主文の因で生ずる「甲一号証小作契約は不成立」との理由も確定せるものと云はざるべからず。
蓋し前訴訟に於て重要なる争点は本件に於けると同じく当事者間に小作契約が成立するや否やにありて判決は此点に向け下されたるものなれば小作契約は成立せずとの判断は訴訟の性質上確定せざるを得ざればなり。
若し然らずとすれば小作契約の有無に関する法律関係は既に確定判決を経たるに係らず永く不確定の状態に在るものとなるのみならず其後の判決を以て小作契約の成立を認むる如きは司法権の威信を保つ所以にあらざればなり。
然るに原院に於ては前訴は本訴と等しく小作籾の請求なるに(即ち同一の訴訟物)不係「彼は明治二十一年以降同二十七年迄の延滞小作籾を請求するに在りて此は二十八年以降の小作籾を請求するに在り請求の目的物前後同一ならざる点に於て云云」と判示せられたるは不法の甚しきものと云はざるべからず。
蓋し前訴本訴共に同一小作契約を原因とし被上告人に於て小作籾を請求する権利あることを主張するものにして二者の訴訟物は毫も差異ある所なければなり。
若し夫れ一は二十七年前の小作籾を請求し一は二十八年以後の小作籾を請求するが故に訴訟物同一にあらずと云ふが如きは基礎たる小作籾請求権存否の問題と之れば存在を前提とする権利の作用とを混同したる結果にして訴訴物の何物たるかを誤認したる所以なり。
(前訴訟判決が時期に付ての判断を下さざりしを引証す)要するに前訴訟に於て甲第一号証の成立を否定し随で被上告人は小作籾請求権なしとの判決(二十一年乃至二十七年なる時期に関係して請求権なしとの判決にあらず。
)確定せるに不係原院が之を無視して既定の法律関係を紊り之れに異なる判決をなせしは一事再理を是認するものにして不法の判決なりと云ふに在り
按ずるに判決は其主文に包含するものに限り確定力を有し其主文に包含せざる理由の如きは固より確定すべきものに非ず(民事訴訟法第二百四十四条)。
而して曩に被上告人が上告人に対して起したる訴訟は乙第一号証の一、二及三に依りて明白なるが如く本件と均しく甲第一号証の小作契約を原因とするも明治二十一年以降同二十七年迄の延滞小作籾の引渡を目的とし甲第一符証の小作契約の果して成立したるや否やに付き判決を以て確定せんことの申立(民事訴訟法第二百十一条)は当事者の孰れよりも為さざりしを以て該訴訟の判決主文も原告の請求不相立と云ふに止まるが故に該確定判決は其主文に包含するもの即甲第一号証の契約に基く明治二十一年以降同二十七年迄の小作籾請求の相立たざることのみ確定力を有するに止り其以後の小作籾の請求の当否に付きては其確定力の効果を及ぼすべきものに否す左れば被上告人が本件を提起し前訴と同一の原因に基き明治二十八年以降の小作籾の請求を為すも上告人は前訴の確定判決の効力を以て其抗弁と為すことを得ざるや明かなり。
斯の如き場合に於ては前後二箇の判決理由が相牴触することあるを免がれざるも是れ民事訴訟法が第二百四十四条の規定を設けたる結果にして其之を設けたる所以は若広く判決の理由をも確定するものとせば当事者が判決の主文に不服なきも其理由に不服あるときは上訴を許さざるべからざるに至り其結果大に訴訟手続を錯綜ならしむるも別段の実益存せざるか為めなるべし因で本上告論旨は其理由なし。
上告理由の第二点は原判決は理由不備の不法あり。
本件は原院の説明する如く当事者間に小作契約の存在するや否やを重要なる争点とす。
故に上告人は其存在を否認する証拠として乙二号証乃至乙四号証を提出し証人丸山功男矢野友三郎井口菊太郎柳沢喜知造の証言を援用せり(原院明治三十六年六月三十日口頭弁論調書)就中乙二号証の如きは六畝二十八歩の地所は質入せざるが故に公租等を被控訴人が上納することを証するものにして之れを甲一号証中「依て年季中は貴殿方に於て地租其外諸入費等総で御勤め可被成候」との文言と対照するときは甲一号証貼紙の部分に記載せられたる六畝二十八歩は入質せられたるものにあらざることを知るに足るべく随で同地が入質せられたりとの判断には重要なる関係を有し随で本件の当否を断するに直接重要の関係を有するを以て之を排斥するには相当の理由を付し之れを言明せざるべからず。
然るに原判決は乙二、三号丸山功男矢野友三郎の証言に付ては何等説明を付せずして漫然看過したり。
即ち理由不備の不法ある判決なりと云ひ」其第四点は原判決は重要なる事実の争点に対し判断を遺脱し、且、重要の証拠に対し何等理由を付せざる不法の裁判なり。
上告人は本件の小作米一个年に付、籾十五俵つつ相納候云云の契約を為したること無之甲一号証中其記載の文字は真正に成立したるものにあらずと主張し其事実は(第一)該文字は本文中の上告人記載の文字と異なる事実(第二)甲一号証成立当時に於ける地所質入証書は本書と謄本と二通を役場へ差出し役場に於て本書と謄本と対照して其相違なきことを認たる上謄本を役場に備置き本書に公証を付与して質取主に渡すことの制規にして甲一号証の謄本たる役場備付の乙四号証の二には現に小作籾云云の記載なきの事実の存在すること(第三)甲一号証当時の長野県令の達により質地証書の文例ありて同証書には小作籾云云の書入を為すべきものにあらざる事実に依り之を争ひたり。
而して第一の事実に付ては上告人は鑑定人宮丈吉田山嘉十郎太田彰の鑑定を援用し第二第三の事実に付ては証人柳沢喜知造の人証を申請し其証言中、問「乙第四号証の二なる地所質入証書謄本は当時平林太一郎より差出したるものにして公証を与へたる本証(甲一号証のこと)と対照して相違なきことを職務上認めたるものなりや」此時乙四号証の二を示す、答「戸長の命により対照して相違なきことを認めました。」問「何故本証と謄本と二通を差出さしむるや」答「明治二十年中に於ては村役場質入公証の取扱手続は一般人民より質入証書の本書と其謄本と二通を差出さしめ其謄本を役場へ備置き本証に公証を付与して之を質取主に渡すことに定まって居りました。」問「甲第二号証たる原本に甲第二号証張紙を為したる畑六畝二十八歩の次の部分に公証を与ふる当時に於て前書の小作籾云云の記載ありたるや」答「小作契約と質入とは別になって居りますから書で有る筈はありません人民より願出る証書の文例は県令達により定まって居りますから小作籾云云の事は書てありません」問「地所質入証書には小作籾云云の事を書き入れるべきものに非らざるや」答「別に為って居りますから書入るべきものでは有りません」問「何年頃の県令なりや明治十七年頃の県令てあります」云云とある点を援用したり。
(右は第二審に於ける最終の弁論調書に控訴代理人及被控訴代理人は各証人柳沢喜知蔵の証言を其利益に援用したり。
被控訴代理人は鑑定人宮丈吉田山嘉十郎太田彰の鑑定を援用し甲一号の被控訴人自筆と貼紙の筆蹟とは相違することを証す双方代理人は更に事実の関係を表明し証拠調の結果に付き弁論を為したりとあり参照)然るに此重要なる第一乃至第三の事実の争点に対し原院は何等の判断を与へずして、且、重要の証拠に対し理由を附せずして上告人に不利の裁判を為したるは不法なりと云ふに在り
按ずるに原判決は其理由の第一項に於て幾多の証拠に依り甲第一号証の土地は総で質地にして同証中小作米に関する記事の真正なること。
即ち小作契約の成立したる事実を認定したれば此認定と相容れざる事実及証拠は原判決の排斥したるものなるや自ら明かなり。
而して裁判所は斯の如き事実及証拠を排斥したる理由を説明するの責務あるに非ざれば之を説明せざるを以て不法と為すことを得ず。
上告理由の第三点は原判決は存在せざる事実を判断の材料としたる不法あり。
原判決理由の部には証人柳沢喜知造の供述に従へは甲二号証は質地の公証を与へたる時に之を作成し、且、甲一号証と割印を為し登記所に引継きたりとありて云云と説明し(一)甲二号証の全部を作製し(二)甲一号証と割印して甲二号証を登記所に引継きたりとの二箇の事実に付き証言ありし如く判示せり。
依て同記録に徴するに(一)の点に付ては甲一号証貼紙上文字は作製せざりしものなる旨を証言し却て乙四号証の二を真正なるものと認めたる旨を証言し終りに甲一号証に小作契約を書入るべきものに非る旨を証言せり之れに依て見れば柳沢喜知造の証言中甲二号証は質地の公証を与へたるときに作製しとあるは貼紙の部分を除きたるは明かにして原院が全部作製したりとの証言あるが如く認めたるは不法なり。
(二)の点に付ては尚明白なるものあり。
即ち同証言に依れば「問、甲二号証は何時書いたものが、答、公証を与へた時即明治二十年一月八日に書きました、問、奥書割印帳は甲二符証と割印して如何せしや、答、登記所に引継きました、問、公証願は双方より受取る例との事なるか甲第四号の二は双方より受取りたるや、
答、置主の平林太一郎から受取ました、問、本書と割印をなしたるは何れなるや、答、甲二号証と割印をなし登記所へ引継きを致しました。
云云」依之見れば甲二号証と割印を為し登記所に引継きたるは奥書割印帳にして原院の認めたる如く甲二号証が甲一号証と割印を為したりとの事及び甲二号証が登記所に引継かれたりとの供述は毫も存在せざる事実なり。
然るに原院が之れあるものの如く認め判断の基礎となしたるは不法の判定なりと云ふに在り
按ずるに原判決は証人柳沢喜知造の訊間調書中「甲第二号証は何時書たものが」との間に対し「公証を与へた時即明治二十年一月八日に書きました。」の答に基き説明を為したるものなるや明白にり。
而して此問答は甲第二号証の貼紙上の文字を包含せざることは上告論旨の如く其前後の問答に依りて明白なるも原判決が之を誤解して貼紙上の文字をも証人が書きたるものと為したりと認むるに由なし。
又同調書中に「本書と割印を為したるは何れなるや」の問に対して「甲第二号証と割印を為し登記所に引継を致しました。」云云の問答あり。
而して茲に所謂本書は謄本に対して立言したるものにして地所質入証書の本書即甲第一号証を指称することは他の数多の問答に照して明白なれば甲第二号証は甲第一号証と割印せられ、且、登記所に引継かれたることは証人の供述せし所なりと謂ふべし。
故に本上告論旨は其根拠なきを以て固より理由なし。
以上説明するが如く本件上告は一も適法の理由なきを以て民事訴訟法第四百三十九条第一項に従ひ棄却すべきものとす。