明治三十六年（オ）第三百六號
明治三十六年七月七日第一民事部判决
◎判决要旨
- 一 隱居家督相續等ノ如キ身分ノ得喪ニ關スル行爲ノ無効又ハ取消請求權ニ付テハ法律ニ於テ特ニ規定シタル場合ヲ除ク外債權者ハ之ヲ有シ若クハ行フコトヲ得サルモノトス
上告人 龜井長太郎
被上告人 赤松大三郎
右保佐人 津森之治 外一名
右當事者間ノ隱居無効請求事件ニ付大阪控訴院カ明治三十六年三月三十日言渡シタル判决ニ對シ上告人ヨリ全部破毀ヲ求ムル申立ヲ爲シタリ
立會檢事小宮三保松ハ意見ヲ陳述シタリ
理由
上告論旨第一點ハ原院ハ控訴人（上告人）カ債權者タル資格ヲ以テ本訴請求ヲナシ得ルヤ否ヤノ點ニ付テ判斷シ上告人ハ被上告人大三郎ニ對シ債權ヲ有スルモ單ニ債權者トシテ財産上ノ利害關係ヲ有スルニ止リ債務者ノ身分ニ何等ノ關係ヲ有セサルカ故ニ大三郎杢三郎ノ身分ノ變更ニ對シ容喙スルコトヲ得サル筋合ナリト説明シ以テ上告人ノ請求ヲ排斥シタリ然レトモ法律行爲ノ無効ハ何人ニ對スルモ無効ニシテ亦何人ト雖モ之レカ無効ヲ主張シ得ヘキハ當然ノ法理ニシテ民法施行ノ前後ヲ問ハス又其行爲ノ財産上タルト身分上タルトニ論ナキ所ナルカ故ニ本件廢戸主竝ニ廢家復籍將タ家督相續ノ法律行爲カ本來無効ナルニ於テハ何人モ之カ無効ヲ主張シ得可キコト勿論ニシテ民法ニ於テモ第七百五十八條第七百五十九條ニ隱居ノ取消ヲ請求シ得ヘキモノヲ限定スルモ隱居ノ無効ヲ請求スル者ヲ限定セサル所以ニシテ人事訴訟手續法第三十六條第三項ニ所謂隱居者及家督相續人ニアラサル者カ提起スル第一項ノ訴トアル隱居無効ノ訴ニ付テハ獨リ提起者ハ親族若クハ檢事ニ限ルヘキモノニアラスト信ス而シテ本件ハ民法施行前ノ事項ニ屬シ且ツ隱居ト廢戸主トハ全然同一ニ論斷スル能ハサルトスルモ此點ノミハ同一ニ論シ得ヘシト思考ス但シ之ヲ裁判所ニ訴求シ裁判上ニ無効ヲ確定セントスルニハ一般ノ原則ニ從ヒ訴訟ニ關シ利害ノ關係ヲ有スルモノタルコトヲ要スルコト勿論ニシテ本訴ニ於テモ上告人カ本訴ニ利害關係ヲ有スルヤ否ヤヲ判斷セハ足レリトス而シテ本訴ノ主旨ハ被上告人間ノ廢戸主竝ニ廢家復籍將カ家督相續ノ無効ヲ主張スルニ至リテ其訴訟ノ利益ハ之ニ依リ上告人カ大三郎ニ對スル債權ヲ保全スル爲メ債務者カ赤松家ノ戸主タル事實ヲ栽判上ニ確定スルニアリ所謂本訴ニ利害關係アル者ナレハ上告人ニ本訴々權アリトセサルヘカラス故ニ原判决ハ法則ヲ不當ニ適用シタル裁判ナリト云ヒ」第二點原院カ人事訴訟手續法第三十六條第三項ヲ身分上ノ利害關係ヲ有スル親族若クハ檢事ニ制限セラレタルハ何等ノ憑據アリテ然ルヤ凡ソ公法ハ狹義ニ私法ハ廣義ニ解釋スルヲ以テ原則トスルカ故ニ苟モ債權者タル利害關係ニ於テ訴ヘ得サル旨ノ規定ナキ限リハ上告人ニ訴權アリトスルヲ穩當トス然ルニ法令ニ明示ナキニ拘ハラス擅ニ如上ノ制限ヲ付シタルハ違法ノ裁判ナリト云ヒ」第三點ハ原院ニ於テ本案ハ民法施行前ニ生シタル事項ナリト雖モ當時ニ在リテ債權者カ本訴ノ如キ訴ヲ起シ得ル法規現存セシコトナキヲ以テト説明シタルハ不法ナリ惟フニ爾來現今ニ至リテモ債權者カ起シ得ストノ法規モ亦タ現存シタルコトナク寧ロ二十六年一月ヨリ施行ノ筈ナリシ舊民法第三百九條第二項ニ「隱居者カ債權者ヲ詐害スルノ意思ヲ以テ隱居ヲ爲サントスルトキハ債權者ハ故障ヲ申立ツルコトヲ得」トノ規定アルニアラスヤ甲第一號證ニ前戸主ノ有スル一切ノ財産ハ前戸主ニ於テ特ニ自己ノ爲メニ留保シタル者ノ外總テ相續人ニ歸屬セシムトノ判文アルニ依テ其價格約三千二百餘圓ニ止ルモノ現實ニ大三郎所有ノ財産ナルニ外形即チ無効ナル隱居及廢家復籍將タ家督相續ニ拘ハリテ杢三郎ニ歸屬スト判决サルヽノ止ムナキニ至リタルハ取リモ直サス被上告人等債權詐害ノ意思ヨリ發現シ來リタル結果上告人竝ニ他債權者ノ損害ニ歸スルニ外ナラス殊ニ本項ハ隱居行爲カ適法ナル場合ト雖モ債權者ハ尚債權固有ノ効力トシテ故障ヲ唱ヘ得ル旨ヲ規定シアルニ本件ノ如キ違法ニシテ無効ナル場合ニ於テ尚更債權者ニ訴權アルハ當然ナリト云ヒ」第四點ハ上告人カ有スル債權（甲第一號ノ二）ハ被上告人赤松大三郎ノ戸主權及財産ノ復舊ヲ見込ミ且從來追認ナク將來モ追認ヲナサスト云フ誓約（甲第五號證）アルニ基キ成立シタリ故ニ大三郎ニ於テ高松地方裁判所ニ係ル三二年（ワ）一〇二號地所建物賣買登記取消請求ノ訴訟ヲ取下ケ（大審院民事部三六年オ三〇七甲九號ノ一參看）戸主權囘復訴訟ヲ起スヘクモアラサル樣ナリシニヨリ巳ムナク上告人ニ於テ本訴ヲ起シタル譯合ナルヲ以テ上告人ハ前述ノ通法律上訴權アルノミナラス契約上ニ於テモ大三郎ニ對シテ訴權アル筋合ニシテ毫モ不當ノ請求ヲナサス殊ニ乙號證ニ付テハ現今高松地方裁判所ト香川縣佛生山警察署ニ僞造行使ノ告訴起リ檢事及警部ニ於テ取調中ナリト云ヒ」第五點ハ本來本訴ヲ上告人カ被上告人ノ身分ニ立入リ其權利ヲ左右セント求ムルモノヽ如ク聽取セラレシハ大ニ其當ヲ得サル義ト思考ス個ハ上告人ニ於テ如上ノ訴權アルコト明ナルモ姑ク之ヲ措キ飜テ上告人ノ訴旨ヲ細査セハ上告人ハ毫モ被上告人ノ身分ノ變更得喪ニ千渉シテ異議ヲ挾ムモノニ非ルコト初メヨリ明々白々ナリトス何トナレハ上告人ニ於テ被上告人ノ廢戸主（隱居）及ヒ廢家復籍ニ付將タ家督相續ニ付キ順位資格條件等ヲ云爲セサルノミナラス彼等カ斯カル行爲ヲ爲スハ彼等ノ自由ニ一任スルモノナレハナリ然リ而シテ唯タ爭フ所ハ彼等カ既ニ爲シアル廢戸
主（隱居）及廢家復籍將タ家督相續ナル行爲カ法律上成立シ居ルヤ否ヤヲ檢覈シテ其行爲ノ無効ヲ主張スルニ歸スルノミ（其間髮ヲ容レサル如キモ劃然區別アリトス）本訴ハ實體上上告人ニ於テ毫モ被上告人ノ身分權ニ干渉シ容喙シ其變更得喪ヲ妨クヘキ意思目的ヲ有スルコトナキヲ以テ斯カル態度議論ヲ持シタルコトナシ然ルニ原院カ訴旨ニ副ハサル裁判ヲ下サレタルハ法律ヲ不當ニ適用シタルモノナリト云フニアリ
按スルニ凡隱居家督相續等ノ如キ身分ノ得喪ニ關スル行爲ノ無効又ハ取消請求權ニ付テハ法律ニ於テ特ニ規定シタル場合ヲ除ク外債權者ハ之ヲ有シ若クハ行フコトヲ得サルハ固ヨリ論ヲ俟タス人事訴訟手續法第三十六條第三項ニ所謂隱居者及家督相續人ニ非サル者云々トハ隱居者及ヒ家督相續人以外ニシテ請求權ヲ有スル者ノ謂ニシテ同條ノ規定ハ請求權ノ何人ニ屬スルヤノコトヲ規定シタルモノニ非ス故ニ上告論旨ノ第一乃至第四點ハ總テ上告ノ理由トナルモノニ非ス但シ上告第五點ノ論旨アリト雖モ上告人ハ被上告人等ノ隱居及ヒ家督相續ヲ無効トストノ判决ヲ求ムルモノナレハ結局上告人ノ請求ハ被上告人等ノ身分權ニ干渉スルコト明カナリ故ニ原判决ハ訴旨ニ副ハサル不法アリト云フヲ得サルモノトス
以上説明セシ如クナルヲ以テ民事訴訟法第四百三十九條第一項ニ從ヒ主文ノ如ク判决ス
明治三十六年（オ）第三百六号
明治三十六年七月七日第一民事部判決
◎判決要旨
- 一 隠居家督相続等の如き身分の得喪に関する行為の無効又は取消請求権に付ては法律に於て特に規定したる場合を除く外債権者は之を有し若くは行ふことを得ざるものとす。
上告人 亀井長太郎
被上告人 赤松大三郎
右保佐人 津森之治 外一名
右当事者間の隠居無効請求事件に付、大坂控訴院が明治三十六年三月三十日言渡したる判決に対し上告人より全部破毀を求むる申立を為したり。
立会検事小宮三保松は意見を陳述したり。
理由
上告論旨第一点は原院は控訴人（上告人）が債権者たる資格を以て本訴請求をなし得るや否やの点に付て判断し上告人は被上告人大三郎に対し債権を有するも単に債権者として財産上の利害関係を有するに止り債務者の身分に何等の関係を有せざるが故に大三郎杢三郎の身分の変更に対し容喙することを得ざる筋合なりと説明し以て上告人の請求を排斥したり。
然れども法律行為の無効は何人に対するも無効にして亦何人と雖も之れが無効を主張し得べきは当然の法理にして民法施行の前後を問はず又其行為の財産上たると身分上たるとに論なき所なるが故に本件廃戸主並に廃家復籍将た家督相続の法律行為が本来無効なるに於ては何人も之が無効を主張し得可きこと勿論にして民法に於ても第七百五十八条第七百五十九条に隠居の取消を請求し得べきものを限定するも隠居の無効を請求する者を限定せざる所以にして人事訴訟手続法第三十六条第三項に所謂隠居者及家督相続人にあらざる者が提起する第一項の訴とある隠居無効の訴に付ては独り提起者は親族若くは検事に限るべきものにあらずと信ず。
而して本件は民法施行前の事項に属し且つ隠居と廃戸主とは全然同一に論断する能はざるとするも此点のみは同一に論し得べしと思考す。
但し之を裁判所に訴求し裁判上に無効を確定せんとするには一般の原則に従ひ訴訟に関し利害の関係を有するものたることを要すること勿論にして本訴に於ても上告人が本訴に利害関係を有するや否やを判断せば足れりとす。
而して本訴の主旨は被上告人間の廃戸主並に廃家復籍将が家督相続の無効を主張するに至りて其訴訟の利益は之に依り上告人が大三郎に対する債権を保全する為め債務者が赤松家の戸主たる事実を栽判上に確定するにあり所謂本訴に利害関係ある者なれば上告人に本訴訴権ありとせざるべからず。
故に原判決は法則を不当に適用したる裁判なりと云ひ」第二点原院が人事訴訟手続法第三十六条第三項を身分上の利害関係を有する親族若くは検事に制限せられたるは何等の憑拠ありて然るや凡そ公法は狭義に私法は広義に解釈するを以て原則とするが故に苟も債権者たる利害関係に於て訴へ得ざる旨の規定なき限りは上告人に訴権ありとするを穏当とす。
然るに法令に明示なきに拘はらず擅に如上の制限を付したるは違法の裁判なりと云ひ」第三点は原院に於て本案は民法施行前に生じたる事項なりと雖も当時に在りて債権者が本訴の如き訴を起し得る法規現存せしことなきを以てと説明したるは不法なり。
惟ふに爾来現今に至りても債権者が起し得ずとの法規も亦た現存したることなく寧ろ二十六年一月より施行の筈なりし旧民法第三百九条第二項に「隠居者が債権者を詐害するの意思を以て隠居を為さんとするときは債権者は故障を申立つることを得。」との規定あるにあらずや甲第一号証に前戸主の有する一切の財産は前戸主に於て特に自己の為めに留保したる者の外総で相続人に帰属せしむとの判文あるに依て其価格約三千二百余円に止るもの現実に大三郎所有の財産なるに外形即ち無効なる隠居及廃家復籍将た家督相続に拘はりて杢三郎に帰属すと判決さるるの止むなきに至りたるは取りも直さず被上告人等債権詐害の意思より発現し来りたる結果上告人並に他債権者の損害に帰するに外ならず殊に本項は隠居行為が適法なる場合と雖も債権者は尚債権固有の効力として故障を唱へ得る旨を規定しあるに本件の如き違法にして無効なる場合に於て尚更債権者に訴権あるは当然なりと云ひ」第四点は上告人が有する債権（甲第一号の二）は被上告人赤松大三郎の戸主権及財産の復旧を見込み、且、従来追認なく将来も追認をなさずと云ふ誓約（甲第五号証）あるに基き成立したり。
故に大三郎に於て高松地方裁判所に係る三二年（ワ）一〇二号地所建物売買登記取消請求の訴訟を取下け（大審院民事部三六年お三〇七甲九号の一参看）戸主権回復訴訟を起すべくもあらざる様なりしにより己むなく上告人に於て本訴を起したる訳合なるを以て上告人は前述の通法律上訴権あるのみならず契約上に於ても大三郎に対して訴権ある筋合にして毫も不当の請求をなさず殊に乙号証に付ては現今高松地方裁判所と香川県仏生山警察署に偽造行使の告訴起り検事及警部に於て取調中なりと云ひ」第五点は本来本訴を上告人が被上告人の身分に立入り其権利を左右せんと求むるものの如く聴取せられしは大に其当を得ざる義と思考す個は上告人に於て如上の訴権あること明なるも姑く之を措き翻で上告人の訴旨を細査せば上告人は毫も被上告人の身分の変更得喪に千渉して異議を挟むものに非ること初めより明明白白なりとす。
何となれば上告人に於て被上告人の廃戸主（隠居）及び廃家復籍に付、将た家督相続に付き順位資格条件等を云為せざるのみならず彼等が斯かる行為を為すは彼等の自由に一任するものなればなり。
然り、而して唯た争ふ所は彼等が既に為しある廃戸
主（隠居）及廃家復籍将た家督相続なる行為が法律上成立し居るや否やを検覈して其行為の無効を主張するに帰するのみ（其間髪を容れざる如きも劃然区別ありとす。
）本訴は実体上上告人に於て毫も被上告人の身分権に干渉し容喙し其変更得喪を妨ぐへき意思目的を有することなきを以て斯かる態度議論を持したることなし然るに原院が訴旨に副はざる裁判を下されたるは法律を不当に適用したるものなりと云ふにあり
按ずるに凡隠居家督相続等の如き身分の得喪に関する行為の無効又は取消請求権に付ては法律に於て特に規定したる場合を除く外債権者は之を有し若くは行ふことを得ざるは固より論を俟たず。
人事訴訟手続法第三十六条第三項に所謂隠居者及家督相続人に非ざる者云云とは隠居者及び家督相続人以外にして請求権を有する者の謂にして同条の規定は請求権の何人に属するやのことを規定したるものに非ず。
故に上告論旨の第一乃至第四点は総で上告の理由となるものに非ず。
但し上告第五点の論旨ありと雖も上告人は被上告人等の隠居及び家督相続を無効とすとの判決を求むるものなれば結局上告人の請求は被上告人等の身分権に干渉すること明かなり。
故に原判決は訴旨に副はざる不法ありと云ふを得ざるものとす。
以上説明せし如くなるを以て民事訴訟法第四百三十九条第一項に従ひ主文の如く判決す
