明治三十三年(オ)第四百十七號
明治三十四年五月七日聯合民事部判决
◎判决要旨
- 一 船舶沈沒ノ場合ニ於テ船舶所有者ノ責任ハ船舶ノミナラス其保險金ニ及フヘキコトハ舊商法施行前ニ於テモ是認シタル法理ナリ
上告人 廣海二三郎
被上告人 長崎委託株式會社
右法定代理人 古賀祐一
被上告人 島谷徳三郎 外一名
右當事者間ノ損害要償事件ニ付大阪控訴院カ明治三十三年六月四日言渡シタル判决ニ對シ上告人ヨリ全部破毀ヲ求ムル申立ヲ爲シ被上告人ハ上告棄却ノ申立ヲ爲シタリ
判决
本件上告ハ之ヲ棄却ス
上告ニ係ル訴訟費用ハ上告人之ヲ負擔ス可シ
理由
上告論旨第一點ノ要旨ハ本件ハ商法施行以前ノ出來事ニ屬ス當時海商ニ關スル法則ノ明定セラルヽナキヲ以テ船舶所有者責任ノ程度ノ如キ一ニ文明先進國ニ行ハルヽ法則ヲ採用シタル明カナリ本件請求ノ原因ニ關シ船舶及ヒ運送賃限責任ヲ負擔スヘシト裁判シタルモノ實ニ其一例證タリ而シテ本件唯一ノ爭點タル保險金負擔論ノ如キハ畢竟船舶ナル文字ノ解釋ニ屬スヘシト雖モ船舶ノ語タル讀ンテ字ノ如ケレハ船舶所有者ノ責任ノ保險金ニ及フヘキヤ否ヤハ一般海商法ノ原則ニ照シテ判斷スルノ他途ナキナリ然ルニ文明先進國ノ法則ハ却テ原院ノ説示ニ反對スルモノアルヲ見ル即チ(第一)獨逸帝國商法第四百五十二條ハ船舶所有者ハ第三者ノ債權ニ對シ無限ノ責任ヲ有セスシテ單ニ船舶及運送賃限義務ヲ負擔スルコトヲ規定ス而シテ此法條ノ解釋トシテハ船舶所有者ノ責任ヲシテ保險金ニ迄及ホスヘカラストス何ントナレハ船舶沈沒ノ場合ニ於テ保險金ヲ以テ船舶ニ代ヘ船舶債權者ニ對スル義務ヲ負擔セシメントノ動議ハ屡々委員會ニ提出セラレタルモ終ニ其採用スルトコロトナラサリシ(マコーウヱル獨逸商法ノ注解第五百十九頁參照)而シテ獨逸商法ニ則リタル我舊商法第八百五十八條ハ明文ヲ以テ船舶債權者ノ權利ノ被保險額ニ及フヘキヲ規定ス畢竟此規定タル獨逸商法起草委員會ノ否定シタル動議ヲロースレル氏カ雞助棄ツヘカラストシテ我國ニ採用シタルモノナルコトハロースレル氏商法草案ニ掲ケル理由中ニ明ラカナリ之ヲ以テ見レハ被保險額ノ責任負擔ハ法律ノ明定ヲ要シ普通ノ法理トシテ論スヘキモノニアラス(第二)我カ新商法第五百四十四條ハ船舶所有者ハ船長カ其法定ノ權限内ニ於テ爲シタル行爲又ハ船長其他ノ船員カ其職務ヲ行フニ當リ他人ニ加ヘタル損害ニ付テハ航海ノ終ニ於テ船舶運送賃及ヒ船舶所有者カ其船舶ニ付キ有スル損害賠償又ハ報酬ノ請求權ヲ債權者ニ委付シテ其責ヲ免カルヽコトヲ得ト規定ス此條文ノ應用トシテ船舶所有者ノ責任ヲシテ被保險額ニ及ホスヘキヤ否ヲ論究スルニ不幸我新商法ニ關シテハ委員會ノ經過ヲ報告スルモノナキヲ以テ之ヲ起草委員ニ質スノ止ムヲ得サルナリ今上告人ニ於テ該會ノ模樣ヲ承聞スルニ當時保險金云々ノ文字ヲ插入セントノ動議アリタルモ遂ニ否决セラレタリト而シテ又損害賠償ノ如キハ其原因過失ニ基ツク場合ヲ稱シ保險金ニアリテハ殊更ニ損害ノ填補ノ文字ヲ用井テ過失ニ基ツク損害賠償ト區別シタレハ損害賠償ノ文字中保險金ノ包含セラレサルハ固ヨリ論ナシトハ亦親シク起草委員ヨリ聞クトコロナリ之ヲ以テ見レハ何等明文ナキ現行商法ニアリテ船舶所有者ノ責任カ保險金ニ及フヘカラサルハ敢テ論スル迄モナシ抑モ本件爭點ニ關スル判斷ノ如キ新商法ヲ解釋スルノ試金石タルヘキモノナレハ已ニ新商法ニ所謂船舶ナル文字ニシテ保險金ヲ包含セストセハ保險金負擔論ハ須ラク明文ヲ待ツヘク所謂至當ノ條理トシテ之ヲ論スヘキニアラス要之原院カ被保險金ハ其目的物ト同視スヘキモノトス云々被控訴人ハ之ニ對シ其權利ヲ行ヒ得ヘキハ當然ニシテ法規ヲ待ツテ後知ルヘキニアラスト説示セラレタルハ法則ヲ不當ニ適用シタルノ不法アリト云ヒ」其第二點ノ要旨ハ船舶所有者ノ責任カ海産ニ止マリ其他ニ及フヘカラストノ説所謂責任限定主義ト船舶所有者ハ其全財産ヲ以テ責任ヲ負擔スヘキモノナルモ其海産ヲ委付シテ責任ヲ免カルヽコトヲ得ルトノ説所謂委付權主義トハ共ニ海商法ノ大原則タリ獨逸商法及我舊商法ハ責任限定主義ヲ取ルモノニシテ現行商法ハ委付權主義ヲ取ルモノナリ然レトモ其孰レニ因ルモ船舶所有者ノ責任カ海産ニ止マルヘキヤ論ナシ今夫委付權主義ニ因リ船舶所有者カ委付セントスル船舶現在ノ價二萬圓ニシテ此船舶沈沒以前ニ於ケル被保險額十萬圓ナリトセン然ルニ船舶所有者ノ責任カ船舶ノ委付ニ止マラスシテ保險額ニ及フヘシトセハ所謂委付權主義ナル者遂ニ破壞セラルヽニ至ルヘシ現行商法ノ解釋豈此ノ如クアルヘケンヤ委付主義ニシテ然リ責任限定主義モ亦同一ナルヘキノミ又况ンヤ商法制定以前ニ於テ專ラ至當ノ法理ニ基キ裁判セル時代ニ於テオヤ要スルニ原院カ船舶所有者ノ責任ヲシテ被保險額ニ及フヘシト説示シタルモノ實ニ法則ヲ不當ニ適用シタルノ不法アリト云ヒ」其第三點ハ保險ハ損害ノ填補ニシテ損害ノ賠償ニアラス即チ特別ノ注意ニ因リ他日ノ損害ヲ填補セントスルモノ是ナリ若シ夫レ船舶所有者ニシテ必ス船舶ヲ保險ニ付セサルヘカラサルノ責任ヲ有スルモノトセハ或ハ沈沒セル船舶ニ代ヘ被保險額ヲ以テ船舶所有者ノ責任ヲ果サシムル必シモ之ヲ不當ト論斷スルヲ得スト雖モ抑モ船舶ヲ保險ニ付スル所以ノモノハ實ニ船舶所有者カ自己ノ損失ヲ免レン爲メニ特別ノ注意ヲ施スニ他ナラス然ルニ尚ホ海産委付ニ止マラス船舶所有者ノ責任ヲシテ其特別ノ注意ト特別ノ報酬トニ因リ得タル利益ニ迄及フヘシトセハ船舶所有者ヲシテ船舶ヲ保險ニ付シタルノ理由全ク減却セラルヽニ至ラン要之原院ノ判决タル法則ヲ不當ニ適用シタルノ不法アリト云ヒ」其第四點ハ本件斷案ノ基礎タルヘキ論點即チ船主ノ責任ハ其全財産ニ及フヘキヤ將タ汽船奈良丸限リ之レヲ負擔スヘキモノナルヤノ問題ハ原判决理由ノ第三項ニ於テ「控訴人ハ被控訴人ノ損害ニ對シ汽船奈良丸限リ責任ヲ負フヘキハ中間判决ニ因テ確定スル所ナリトノ判文ニ依テ解釋セラレタリ而シテ此判定ハ現行商法採ル所ノ大主義即チ第五百四十四條ノ規定ニ適合スルモノニシテ毫モ間然スヘキ所ナシ然レトモ其本件主要ノ爭點ニ對シ船舶ノ保險金ヲ以テ之レヲ船舶ト同視シ從テ其保險金ヲ以テ本訴ノ請求ニ應スヘキモノナリト判决シタルニ至テハ全ク法理法則ヲ度外視シタル違法ノ判决ト云ハサルヘカラス原判决ハ曰ク保險契約ハ常ニ被保險物ニ伴隨シ被保險金ハ其目的物ト同視スヘキ性質ノモノトス」ト抑モ海上保險契約ニ關シ法律ニ所謂航海ニ關スル事故ハ保險目的物ノ滅失又ハ毀損ニ繋リ又保險金額カ其目的物ノ被害價額ヲ標準ト爲スヘキコトハ論ヲ俟タサル所ナリ然レトモ其此等ノ關係アルカ爲メニ保險契約當事者以外ノ第三者ニ對シテ保險金ヲ以テ保險ノ目的物ト同視スヘキモノナリト云フニ至テハ抑何等ノ法理ニ基クモノナルヤヲ知ルコト能ハス蓋シ此論斷ノ根據タルヘキ法理法則ノ在テ存セサルコトハ單ニ「其目的物ト同視スヘキ性質ノモノ」ト云フノミニ止マレルヲ以テ推知スヘキナリ思フニ原裁判所ハ或判例ノ如ク保險金ヲ以テ之レヲ賣買ノ場合ニ於ケル代價金ト同視シタルモノナラン果シテ然ラハ是此誤謬ヲ來シタル根原ニシテ而シテ其不當ナルコトハ寔ニ視易キ所ナリ何則賣買ノ代價ハ其目的物ノ對價ナリ故ニ其賣買當事者若クハ先取特權者ニ對シテハ其對價ヲ以テ目的物ト同視スヘキ法理アリト雖モ本件ノ如キ保險契約ノ場合ニ在テハ全ク之ト異ナリ保險者ハ保險料ヲ収得スルヲ以テ目的トシ視保險者ハ危險ノ擔保ヲ得ルヲ以テ目的ト爲ス故ニ保險金ナルモノハ保險ノ目的物タル船舶ノ對價ニアラスシテ保險料ノ對價ナリ尚ホ詳言スレハ保險契約ハ危險ノ擔保ト保險料支拂トノ雙務契約ニシテ唯其保險金支拂義務ノ發生ノ條件カ航海ニ關スル事故ニ繋リ而シテ事故カ船舶ノ滅失又ハ毀損ニ因リテ生シ填補スヘキ損害ノ契約金額カ其船舶ノ價額ヲ以テ其標準ト爲スモノナルノミ原裁判所ハ此法理ヲ解セス又上告人カ不慮ノ損害ノ填補ヲ得タルハ法律ニ定メタル特別ノ注意即チ保險料ヲ支拂ヒタル保險契約ノ結果ナルコト又被上告人カ損害補償ノ途ナキニ至リタルハ畢竟法律ノ定メタル注意ノ方法ヲ採ラス即チ保險料ヲ惜ミテ貨物ノ保險契約ヲ爲サヽリシ結果ナルコトヲ推究スル非法不理ノ觀察ヲ以テ漫然判决シ去リタルモノナルコトハ判文末段ニ於テ「右遭難貨物ノ總元價ヲ以テ前掲被保險金ニ對比スルトキハ總元價ヲ償フテ尚ホ餘リアリ是以各被控訴人ノ請求ヲ相當ト認メ云々」トノ説明ニ依テ明カナリ是レ猶ホ貧者ノ請求ハ不當ト雖モ富者ハ之レヲ辨償セサルヘカラスト云フト一般ニシテ法治國裁判所ノ判决ノ理由タルヘキモノニ非スシテ實ニ甚シキ不法ノ判决ト云ハサルヘカラス以上論述セル如ク原判决ハ其理由中現行ノ法則ハ固ヨリ何等ノ法理ヲモ説示セス是レ其明示スヘキ法則ナキカ故ナルコトハ明カナル所ナリト雖モ茲ニ原判决ト大抵其趣旨ヲ同フセル大審院ノ判决例アリ即チ明治三十一年第四百三十四同三十二年六月三十日判决是ナリ此判决ニ於テ採用セラレタル上告論旨ヲ見ルニ第一、船舶ノ保險金ヲ以テ船舶ノ賣代金ト同視シ第二、我國古來ノ習慣ハ所謂荷損船損ニ在ルコト即チ今日ニ所謂海産主義ナルコトヲ認メナカラ船舶ノ被保險金ヲ以テ所謂海産中ニ包含セシメタルモノニシテ不當ノ上告タルニモ拘ハラス大審院ハ此論旨ヲ是認シテ破毀ノ理由トセラレタリ其判决ノ主旨ヲ見ルニ先ツ荷損船損ハ我國古來ノ慣習ナルコトヲ認メタルト同時ニ其船舶ノ爲メ船主カ得ル所ノモノアレハ之レヲ以テ乘客若クハ荷主ニ對スル損害ニ充テシムルコトモ亦別例トシテ認ムル所ナリト説明シ次ニ船舶ノ保險ハ船舶ニ隨件スルコト自己ノ利害ノ關係アル目的ニ付テノミ保險ニ付スルヲ要スルコト及ヒ讓渡ノ場合ノコトヲ説示シ殊ニ海上保險ノ如キハ船舶若クハ積荷カ不慮ノ事變ニ遭遇スルノ虞アルヲ以テ之レヲ補償セントシテ保險ニ付スルヲ一般トスト論定シタリ今此前提トモ謂フヘキ論定ヲ讀ミテ文字ノ如ク解スルニ於テハ全然正當ノ法理ヲ説明シタルモノト見ルコトヲ得ヘシ即チ所謂「船舶ノ爲メ船主ノ得ル所ノモノ」トハ各國普通ノ法理トシテ認ムル所ノ如ク殊ニ我現行商法第五百四十四條ノ示ス所ノ如ク運送賃及損害賠償(特別ノ契約ニ基ク保險金ヲ包マス)又ハ報酬ノ請求權ト解シ船舶ノ保險ト積荷ノ保險トハ各別箇ノモノニシテ船舶ノ保險ハ積荷ノ保險ニアラス積荷ノ保險ハ船體ノ保險ニ非ルコトヲ知了シタルモノトシテ解スルトキハ毫モ間然スル所ナシ然ルニ「若シ夫レ」以下此法則ヲ適用スルニ際リ保險契約ノ性質其目的物ニ隨件スヘキモノナルカ故ニ保險契約當事者ノミノ單純ナル法律關係ト看做ス事ヲ得サル筋合ニシテ其被保險金アレハ上告人ノ損害賠償ニ充當セシメサルヲ得サルモノトスト斷定シ去リタルニ至テハ之レヲ不當ト謂ハサルヲ得ス何則保險金支拂ヒノ義務カ船舶ノ沈沒若クハ毀損ノ事故ニ繋ルカ故ニ船體ニ付スル保險ハ當事者間ノミノ法律關係ト看ルコトヲ得ストノ理由ヲ以テ船體保險カ積荷保險ト性質ヲ變シ其保險金ハ全ク保險契約ニ關係ナキ荷主ノ損害賠償ニ充當スヘキモノナリトノ論理ヲ發見スルコト能ハサレハナリ此判决ハ其當時ニ於テ假リニ正當ナル理由アリシモノトスルモ最早新商法ノ主義解釋共ニ定論アリ此定論ヲ信憑シテ各其業ニ安ンスル今日ニ至テハ斯ノ如キ判例ヲ維持セラルヘキニアラス若シ又此判例ニシテ永ク維持セラルヽコトアランカ漸ク將ニ發達セントスル所ノ航海業ヲシテ全ク其進路ヲ杜絶スルニ至ルヘキノミナラス現在ノ營業者モ亦其業ヲ廢セサルヲ得サルモノアラン今其理由ノ一二ヲ例示スレハ第一航海業ナルモノハ大資本ヲ要スル營業ニテ又尤モ危險多キ營業ナリ保險ノ契約ハ此危險ヲ擔保シテ資本ノ損失ヲ防カンカ爲メニスルモノナリ然ルニ若シ之レヲ保險ニ付スルモ保險金ハ之レヲ積荷ノ損害ニ充當スヘキモノトスレハ此危險ヲ擔保スルノ途ナク從テ大資本ヲ下ロシテ危險ノ營業ヲ爲ス者ナキニ至ルヘシ第二現行商法ニ所謂海上保險契約ナルモノハ當事者ノ同一ナル場合ニ於テハ船舶ノ保險契約ト積荷ノ保險ヲ併セテ同時ニ之レヲ行フコトヲ得ヘシト雖モ苟クモ其當事者ノ異ナル場合ニ於テハ船舶ノ保險ト積荷ノ保險トハ彼此全ク各別個ノモノタルコトハ第六百五十六條以下ノ各條ノ規定ニ依テ明カナル所ナリ然ルニ若シ前判例ヲ維持シ原判决ヲ維持セラルヽコトヽナルニ於テハ船主ハ常ニ其搭載スヘキ貨物ノ價額ヲ見込ミテ之レヲ保險ヲ付セサルヘカラス而シテ若シ假リニ之レヲ豫定シテ契約スルモノトスルモ船舶積荷ノ見込價額ハ商法第三百八十六條ノ規定ニ依リテ無効トナルヘシ若シ又船舶ノ保險ヲ以テ積荷ノ賠償ニ充當セラルヘキモノトスレハ荷主ハ自カラ保險料ヲ拂ヒテ貨物ノ保險ヲ爲スノ必要ナシ從テ又船主ニ於テ船舶ノ損害填補ヲ得ント欲セハ必スヤ常ニ自カラ積荷ニ對スル保險ヲモ契約セサルヘカラス從テ其運賃中ニハ保險料ヲモ包含セシメサルヘカラス然ルトキハ通常多クノ場合ニ於テ保險ヲ必要トセサル荷主モ亦却テ非常ノ損害ヲ受クルニ至ルヘシ第三船舶ノ保險ニシテ積荷ノ損害ヲ負擔スルモノトスレハ船主ハ其船舶ヲ抵當トシテ金融ヲ爲スノ途ヲ杜絶セラルヽニ至ル等ノ弊害アリ以上ハ當事者ノ堪フヘカラサル結果ノ一端ニ過キスト雖モ既ニ此レノミニシテ航海業ノ發達ニ大障害ヲ來スヘキヲ以テ上告人ハ本件金額ノ僅少ナルニモ拘ハラス第一審第二審共ニ敗訴ノ判决ヲ受ケタルニモ拘ハラス反對ノ判例アルニモ拘ハラス全國同業者ノ爲メ否ナ本邦航海業ノ發達ヲ希望スルカ爲メニ敢テ上告ニ及フモノナリト云フニ在リ
按スルニ本件ハ明治三十年十二月中即舊商法施行前ニ生シタル事項ニ係ルヲ以テ直ニ舊商法又ハ現行商法ノ規定ヲ適用シテ斷案スヘキモノニ非ス又古來所謂荷損船損ト稱スル慣習アリト雖モ船舶所有者カ其沈沒シタル船舶ノ保險金ヲ取得シタル場合ハ其責任ハ果シテ保險金ニモ及フヘキヤ否ヤノ點ニ付キテハ何等ノ慣習アルコトヲ見サルニ依リ本件ハ慣習ニ依リテ之ヲ斷案スルニ由ナシ而シテ歐米諸國ノ法律ヲ按スルニ本件ノ如キ場合ニ於ル船舶所有者ノ責任ハ或ハ其船舶ノ保險金ニ及フト爲シ或ハ之ニ及ハスト爲シ彼此一定セサルヲ以テ其一ヲ採リ直ニ海商法上普通ノ原則ナリト云フコトヲ得サルハ勿論ナレハ其孰レカ果シテ最モ條理ニ適スル法則ナルヤ否ヤヲ審案シテ其最モ條理ニ適スルモノヲ以テ本件斷案ノ準繩ト爲サヽルヘカラス而シテ其孰レカ最モ條理ニ適スルヤ否ヤハ保險金ハ其保險ノ目的物タル船舶ト同視スヘキモノナルヤ否ヤノ問題ノ解决ニ因リテ定マルモノナリ而シテ之ヲ解决スルニハ坐上ノ空理ノミニ依ラスシテ其當時ニ於ケル本邦海商取引ノ實状及ヒ海商事取引者一般普通ノ意思如何ヲ討尋シ之ヲ參酌スルコトヲ要スルハ固ヨリ論ヲ竢タス然リ而シテ一片ノ理論ヨリ立論セハ保險ノ目的物タル船舶ト其保險金トハ同視スヘキモノニ非スト爲スコトヲ得サルニ非サルモ明治二十三年三月二十七日ヲ以テ公布セラレ同三十一年七月一日ヨリ現行商法施行ノ日マテ實施セラレタル舊商法ハ保險金ハ保險ノ目的物ニ代ルヘキモノニシテ彼ト此ト同視スヘキモノナリトノ主義ヲ採リタルコトハ其第六百四十條及第八百五十八條第一項ノ規定ニ徴シテモ之ヲ知ルニ難カラス而シテ舊商法カ此主義ヲ採用シタルハ敢テ立法上特別ノ必要ヨリ出テタルニ非スシテ保險金ノ請求權ハ目的物ニ附隨シテ存在スル債權ニシテ單獨ニ存在スルコト能ハス之ヲ換言スレハ目的物ノ上ニ權利ヲ有スル者ニシテ始メテ保險金ノ請求權ヲ有ストノ理由ニ基キタルニ外ナラス乃チ本院明治三十一年第四百三十四號事件ノ判例ハ實ニ此法理ヲ是認シタルモノトス加之商法施行以前ニ於テモ法令若クハ慣習ノ準據スヘキモノナキ事項ニ付テハ裁判所ニ於テ舊商法ノ規定中是認スヘキ法理ハ採リテ以テ裁判ノ標準ニ資シタルノミナラス商取引ヲ爲ス者モ亦同一ノ趨向アリシコトハ顯著ナル事實ナリ然レハ則チ本件ノ事項發生當時ニ於テハ船舶所有者ノ責任ハ船舶ノ保險金ニ及フモノト爲スヲ以テ尤モ條理ニ適スルモノト爲サヽルヲ得ス然ルニ上告論旨第一點ハ法律ノ規定ヲ竢ツニ非サレハ保險金ト保險ノ目的物トハ同視スヘキモノニ非スト云フニ歸着スレトモ其理由ナキコトハ前陳ノ如シ其第二點ハ保險金ト保險ノ目的物トヲ同視シ船舶所有者ノ責任ヲシテ保險金ニ及ホサシムルトキハ所謂荷損船損ノ限定主義ハ全ク破壞セラルヽニ至ルト云フニ歸着スレトモ此限定主義ト同視主義トハ條理上氷炭相容レサルニ非サレハ决シテ上告論旨ノ如キ結果ヲ來スノ患ナシ何トナレハ保險金ヲ以テ保險ノ目的物タル船舶ト同視スルカ故ニ船舶所有者ノ責任ヲ保險金ニ及ホスハ船舶ニ及ホスニ外ナラサレハナリ其第三點ハ船舶所有者カ其船舶ヲ保險ニ付スルハ自己ノ損失ヲ免カレンカ爲メニ特別ノ注意ヲ施コスニ外ナラサルニ其責任ヲ保險金ニ及ホストキハ船舶所有者カ船舶ヲ保險ニ付スルノ理由全ク滅却スト云フニ歸スルモ船長其他ノ船員等ニ過失ノ責ムヘキモノナクシテ船舶カ滅失又ハ毀損シタル場合ニ於テハ船舶所有者ハ保險金ヲ自己ノ利益ニ取得スルコトヲ得ヘキヲ以テ保險ニ付スルノ理由ハ全ク滅却スト謂フ可カラス其第四點前段ノ保險金性質論ハ一片ノ純理論トシテハ強チ不當ナルニ非サルモ是レ我國ノ海商ノ實状ヲ顧ミサル議論ニシテ裁判所カ應用スヘキ海商ノ法理トシテハ未タ之ヲ採用スルヲ得ス又其後段ノ論旨ハ新商法ノ主義及解釋ニ付キ已ニ定論アルコトヽ本院從前ノ判决例ヲ將來永ク維持スルコトヽヲ前提トシテ立論スルモノナレトモ本件ハ前陳ノ如ク舊商法施行前ノ法理ニ依リ判案スヘキモノニシテ新商法ノ主義解釋トハ何等ノ關係ナシ隨フテ從前ノ判决例ヲ以テ直ニ新商法ノ判决例ト爲スヘキモノニ非サレハ此論旨ハ全ク其根據ナシ
本院ハ裁判所構成法第四十九條ノ規定ニ從ヒ民事第一及第二部ヲ聯合シテ裁判所ヲ組織シ本件上告ヲ審理シタルモ前段説明ノ如ク本院從前ノ判决ト相反スル判决ヲ爲スヘキ理由ヲ認メサルニ因リ民事訴訟法第四百五十二條ニ從ヒ主文ノ如ク判决ス
明治三十三年(オ)第四百十七号
明治三十四年五月七日連合民事部判決
◎判決要旨
- 一 船舶沈没の場合に於て船舶所有者の責任は船舶のみならず其保険金に及ぶべきことは旧商法施行前に於ても是認したる法理なり。
上告人 広海二三郎
被上告人 長崎委託株式会社
右法定代理人 古賀祐一
被上告人 島谷徳三郎 外一名
右当事者間の損害要償事件に付、大坂控訴院が明治三十三年六月四日言渡したる判決に対し上告人より全部破毀を求むる申立を為し被上告人は上告棄却の申立を為したり。
判決
本件上告は之を棄却す
上告に係る訴訟費用は上告人之を負担す可し
理由
上告論旨第一点の要旨は本件は商法施行以前の出来事に属す当時海商に関する法則の明定せらるるなきを以て船舶所有者責任の程度の如き一に文明先進国に行はるる法則を採用したる明かなり。
本件請求の原因に関し船舶及び運送賃限責任を負担すべしと裁判したるもの実に其一例証たり。
而して本件唯一の争点たる保険金負担論の如きは畢竟船舶なる文字の解釈に属すべしと雖も船舶の語たる読んで字の如ければ船舶所有者の責任の保険金に及ぶべきや否やは一般海商法の原則に照して判断するの他途なきなり。
然るに文明先進国の法則は却て原院の説示に反対するものあるを見る。
即ち(第一)独逸帝国商法第四百五十二条は船舶所有者は第三者の債権に対し無限の責任を有せずして単に船舶及運送賃限義務を負担することを規定す。
而して此法条の解釈としては船舶所有者の責任をして保険金に迄及ぼすべからずとす何んとなれば船舶沈没の場合に於て保険金を以て船舶に代へ船舶債権者に対する義務を負担せしめんとの動議は屡屡委員会に提出せられたるも終に其採用するところとならざりし(まこーうゑる独逸商法の注解第五百十九頁参照)。
而して独逸商法に則りたる我旧商法第八百五十八条は明文を以て船舶債権者の権利の被保険額に及ぶべきを規定す。
畢竟此規定たる独逸商法起草委員会の否定したる動議をろーすれる氏が雞助棄つべからずとして我国に採用したるものなることはろーすれる氏商法草案に掲げる理由中に明らかなり。
之を以て見れば被保険額の責任負担は法律の明定を要し普通の法理として論すべきものにあらず。
(第二)我が新商法第五百四十四条は船舶所有者は船長が其法定の権限内に於て為したる行為又は船長其他の船員が其職務を行ふに当り他人に加へたる損害に付ては航海の終に於て船舶運送賃及び船舶所有者が其船舶に付き有する損害賠償又は報酬の請求権を債権者に委付して其責を免がるることを得と規定す此条文の応用として船舶所有者の責任をして被保険額に及ぼすべきや否を論究するに不幸我新商法に関しては委員会の経過を報告するものなきを以て之を起草委員に質すの止むを得ざるなり。
今上告人に於て該会の模様を承聞するに当時保険金云云の文字を挿入せんとの動議ありたるも遂に否決せられたりと。
而して又損害賠償の如きは其原因過失に基づく場合を称し保険金にありては殊更に損害の填補の文字を用井で過失に基づく損害賠償と区別したれば損害賠償の文字中保険金の包含せられざるは固より論なしとは亦親しく起草委員より聞くところなり。
之を以て見れば何等明文なき現行商法にありて船舶所有者の責任が保険金に及ぶべからざるは敢て論する迄もなし。
抑も本件争点に関する判断の如き新商法を解釈するの試金石たるべきものなれば己に新商法に所謂船舶なる文字にして保険金を包含せずとせば保険金負担論は須らく明文を待つべく所謂至当の条理として之を論すべきにあらず。
要之原院が被保険金は其目的物と同視すべきものとす。
云云被控訴人は之に対し其権利を行ひ得べきは当然にして法規を待って後知るべきにあらずと説示せられたるは法則を不当に適用したるの不法ありと云ひ」其第二点の要旨は船舶所有者の責任が海産に止まり其他に及ぶべからずとの説所謂責任限定主義と船舶所有者は其全財産を以て責任を負担すべきものなるも其海産を委付して責任を免がるることを得るとの説所謂委付権主義とは共に海商法の大原則たり独逸商法及我旧商法は責任限定主義を取るものにして現行商法は委付権主義を取るものなり。
然れども其孰れに因るも船舶所有者の責任が海産に止まるべきや論なし。
今夫委付権主義に因り船舶所有者が委付せんとする船舶現在の価二万円にして此船舶沈没以前に於ける被保険額十万円なりとせん然るに船舶所有者の責任が船舶の委付に止まらずして保険額に及ぶべしとせば所謂委付権主義なる者遂に破壊せらるるに至るべし現行商法の解釈豈此の如くあるべけんや委付主義にして然り責任限定主義も亦同一なるべきのみ又況んや商法制定以前に於て専ら至当の法理に基き裁判せる時代に於ておや要するに原院が船舶所有者の責任をして被保険額に及ぶべしと説示したるもの実に法則を不当に適用したるの不法ありと云ひ」其第三点は保険は損害の填補にして損害の賠償にあらず。
即ち特別の注意に因り他日の損害を填補せんとするもの是なり。
若し夫れ船舶所有者にして必す船舶を保険に付せざるべからざるの責任を有するものとせば或は沈没せる船舶に代へ被保険額を以て船舶所有者の責任を果さしむる必しも之を不当と論断するを得ずと雖も。
抑も船舶を保険に付する所以のものは実に船舶所有者が自己の損失を免れん為めに特別の注意を施すに他ならず。
然るに尚ほ海産委付に止まらず船舶所有者の責任をして其特別の注意と特別の報酬とに因り得たる利益に迄及ぶべしとせば船舶所有者をして船舶を保険に付したるの理由全く減却せらるるに至らん要之原院の判決たる法則を不当に適用したるの不法ありと云ひ」其第四点は本件断案の基礎たるべき論点即ち船主の責任は其全財産に及ぶべきや将た汽船奈良丸限り之れを負担すべきものなるやの問題は原判決理由の第三項に於て「控訴人は被控訴人の損害に対し汽船奈良丸限り責任を負ふべきは中間判決に因で確定する所なりとの判文に依て解釈せられたり。
而して此判定は現行商法採る所の大主義即ち第五百四十四条の規定に適合するものにして毫も間然すべき所なし。
然れども其本件主要の争点に対し船舶の保険金を以て之れを船舶と同視し。
従て其保険金を以て本訴の請求に応すべきものなりと判決したるに至ては全く法理法則を度外視したる違法の判決と云はざるべからず。
原判決は曰く保険契約は常に被保険物に伴随し被保険金は其目的物と同視すべき性質のものとす。」と。
抑も海上保険契約に関し法律に所謂航海に関する事故は保険目的物の滅失又は毀損に繋り又保険金額が其目的物の被害価額を標準と為すべきことは論を俟たざる所なり。
然れども其此等の関係あるか為めに保険契約当事者以外の第三者に対して保険金を以て保険の目的物と同視すべきものなりと云ふに至ては抑何等の法理に基くものなるやを知ること能はず蓋し此論断の根拠たるべき法理法則の在で存せざることは単に「其目的物と同視すべき性質のもの」と云ふのみに止まれるを以て推知すべきなり。
思ふに原裁判所は或判例の如く保険金を以て之れを売買の場合に於ける代価金と同視したるものならん果して然らば是此誤謬を来したる根原にして、而して其不当なることは寔に視易き所なり。
何則売買の代価は其目的物の対価なり。
故に其売買当事者若くは先取特権者に対しては其対価を以て目的物と同視すべき法理ありと雖も本件の如き保険契約の場合に在ては全く之と異なり。
保険者は保険料を収得するを以て目的とし視保険者は危険の担保を得るを以て目的と為す。
故に保険金なるものは保険の目的物たる船舶の対価にあらずして保険料の対価なり。
尚ほ詳言すれば保険契約は危険の担保と保険料支払との双務契約にして唯其保険金支払義務の発生の条件が航海に関する事故に繋り。
而して事故が船舶の滅失又は毀損に因りて生じ填補すべき損害の契約金額が其船舶の価額を以て其標準と為すものなるのみ原裁判所は此法理を解せず又上告人が不慮の損害の填補を得たるは法律に定めたる特別の注意即ち保険料を支払ひたる保険契約の結果なること又被上告人が損害補償の途なきに至りたるは畢竟法律の定めたる注意の方法を採らず。
即ち保険料を惜みて貨物の保険契約を為さざりし結果なることを推究する非法不理の観察を以て漫然判決し去りたるものなることは判文末段に於て「右遭難貨物の総元価を以て前掲被保険金に対比するときは総元価を償ふて尚ほ余りあり是以各被控訴人の請求を相当と認め云云」との説明に依て明かなり。
是れ猶ほ貧者の請求は不当と雖も富者は之れを弁償せざるべからずと云ふと一般にして法治国裁判所の判決の理由たるべきものに非ずして実に甚しき不法の判決と云はざるべからず。
以上論述せる如く原判決は其理由中現行の法則は固より何等の法理をも説示せず是れ其明示すべき法則なきが故なることは明かなる所なりと雖も茲に原判決と大抵其趣旨を同ふせる大審院の判決例あり。
即ち明治三十一年第四百三十四同三十二年六月三十日判決是なり。
此判決に於て採用せられたる上告論旨を見るに第一、船舶の保険金を以て船舶の売代金と同視し第二、我国古来の習慣は所謂荷損船損に在ること。
即ち今日に所謂海産主義なることを認めながら船舶の被保険金を以て所謂海産中に包含せしめたるものにして不当の上告たるにも拘はらず大審院は此論旨を是認して破毀の理由とせられたり其判決の主旨を見るに先づ荷損船損は我国古来の慣習なることを認めたると同時に其船舶の為め船主が得る所のものあれば之れを以て乗客若くは荷主に対する損害に充てしむることも亦別例として認むる所なりと説明し次に船舶の保険は船舶に随件すること自己の利害の関係ある目的に付てのみ保険に付するを要すること及び譲渡の場合のことを説示し殊に海上保険の如きは船舶若くは積荷が不慮の事変に遭遇するの虞あるを以て之れを補償せんとして保険に付するを一般とすと論定したり。
今此前提とも謂ふべき論定を読みて文字の如く解するに於ては全然正当の法理を説明したるものと見ることを得べし。
即ち所謂「船舶の為め船主の得る所のもの」とは各国普通の法理として認むる所の如く殊に我現行商法第五百四十四条の示す所の如く運送賃及損害賠償(特別の契約に基く保険金を包ます)又は報酬の請求権と解し船舶の保険と積荷の保険とは各別箇のものにして船舶の保険は積荷の保険にあらず。
積荷の保険は船体の保険に非ることを知了したるものとして解するときは毫も間然する所なし。
然るに「若し夫れ」以下此法則を適用するに際り保険契約の性質其目的物に随件すべきものなるが故に保険契約当事者のみの単純なる法律関係と看做す。
事を得ざる筋合にして其被保険金あれば上告人の損害賠償に充当せしめざるを得ざるものとすと断定し去りたるに至ては之れを不当と謂はざるを得ず。
何則保険金支払ひの義務が船舶の沈没若くは毀損の事故に繋るが故に船体に付する保険は当事者間のみの法律関係と看ることを得ずとの理由を以て船体保険が積荷保険と性質を変し其保険金は全く保険契約に関係なき荷主の損害賠償に充当すべきものなりとの論理を発見すること能はざればなり。
此判決は其当時に於て仮りに正当なる理由ありしものとするも最早新商法の主義解釈共に定論あり此定論を信憑して各其業に安んする今日に至ては斯の如き判例を維持せらるべきにあらず。
若し又此判例にして永く維持せらるることあらんか漸く将に発達せんとする所の航海業をして全く其進路を杜絶するに至るべきのみならず現在の営業者も亦其業を廃せざるを得ざるものあらん今其理由の一二を例示すれば第一航海業なるものは大資本を要する営業にて又尤も危険多き営業なり。
保険の契約は此危険を担保して資本の損失を防がんか為めにするものなり。
然るに若し之れを保険に付するも保険金は之れを積荷の損害に充当すべきものとすれば此危険を担保するの途なく。
従て大資本を下ろして危険の営業を為す者なきに至るべし第二現行商法に所謂海上保険契約なるものは当事者の同一なる場合に於ては船舶の保険契約と積荷の保険を併せて同時に之れを行ふことを得べしと雖も苟くも其当事者の異なる場合に於ては船舶の保険と積荷の保険とは彼此全く各別個のものたることは第六百五十六条以下の各条の規定に依て明かなる所なり。
然るに若し前判例を維持し原判決を維持せらるることとなるに於ては船主は常に其搭載すべき貨物の価額を見込みて之れを保険を付せざるべからず。
而して若し仮りに之れを予定して契約するものとするも船舶積荷の見込価額は商法第三百八十六条の規定に依りて無効となるべし。
若し又船舶の保険を以て積荷の賠償に充当せらるべきものとすれば荷主は自から保険料を払ひて貨物の保険を為すの必要なし。
従て又船主に於て船舶の損害填補を得んと欲せば必ずや常に自から積荷に対する保険をも契約せざるべからず。
従て其運賃中には保険料をも包含せしめざるべからず。
然るときは通常多くの場合に於て保険を必要とせざる荷主も亦却て非常の損害を受くるに至るべし第三船舶の保険にして積荷の損害を負担するものとすれば船主は其船舶を抵当として金融を為すの途を杜絶せらるるに至る等の弊害あり以上は当事者の堪ふべからざる結果の一端に過ぎずと雖も既に此れのみにして航海業の発達に大障害を来すべきを以て上告人は本件金額の僅少なるにも拘はらず第一審第二審共に敗訴の判決を受けたるにも拘はらず反対の判例あるにも拘はらず全国同業者の為め否な本邦航海業の発達を希望するか為めに敢て上告に及ぶものなりと云ふに在り
按ずるに本件は明治三十年十二月中即旧商法施行前に生じたる事項に係るを以て直に旧商法又は現行商法の規定を適用して断案すべきものに非ず又古来所謂荷損船損と称する慣習ありと雖も船舶所有者が其沈没したる船舶の保険金を取得したる場合は其責任は果して保険金にも及ぶべきや否やの点に付きては何等の慣習あることを見さるに依り本件は慣習に依りて之を断案するに由なし。
而して欧米諸国の法律を按ずるに本件の如き場合に於る船舶所有者の責任は或は其船舶の保険金に及ぶと為し或は之に及ばすと為し彼此一定せざるを以て其一を採り直に海商法上普通の原則なりと云ふことを得ざるは勿論なれば其孰れか果して最も条理に適する法則なるや否やを審案して其最も条理に適するものを以て本件断案の準縄と為さざるべからず。
而して其孰れか最も条理に適するや否やは保険金は其保険の目的物たる船舶と同視すべきものなるや否やの問題の解決に因りて定まるものなり。
而して之を解決するには坐上の空理のみに依らずして其当時に於ける本邦海商取引の実状及び海商事取引者一般普通の意思如何を討尋し之を参酌することを要するは固より論を竢たず然り、而して一片の理論より立論せば保険の目的物たる船舶と其保険金とは同視すべきものに非ずと為すことを得ざるに非ざるも明治二十三年三月二十七日を以て公布せられ同三十一年七月一日より現行商法施行の日まで実施せられたる旧商法は保険金は保険の目的物に代るべきものにして彼と此と同視すべきものなりとの主義を採りたることは其第六百四十条及第八百五十八条第一項の規定に徴しても之を知るに難からず。
而して旧商法が此主義を採用したるは敢て立法上特別の必要より出でたるに非ずして保険金の請求権は目的物に附随して存在する債権にして単独に存在すること能はず之を換言すれば目的物の上に権利を有する者にして始めて保険金の請求権を有すとの理由に基きたるに外ならず乃ち本院明治三十一年第四百三十四号事件の判例は実に此法理を是認したるものとす。
加之商法施行以前に於ても法令若くは慣習の準拠すべきものなき事項に付ては裁判所に於て旧商法の規定中是認すべき法理は採りて以て裁判の標準に資したるのみならず商取引を為す者も亦同一の趨向ありしことは顕著なる事実なり。
然れば則ち本件の事項発生当時に於ては船舶所有者の責任は船舶の保険金に及ぶものと為すを以て尤も条理に適するものと為さざるを得ず。
然るに上告論旨第一点は法律の規定を竢つに非ざれば保険金と保険の目的物とは同視すべきものに非ずと云ふに帰着すれども其理由なきことは前陳の如し其第二点は保険金と保険の目的物とを同視し船舶所有者の責任をして保険金に及ぼさしむるときは所謂荷損船損の限定主義は全く破壊せらるるに至ると云ふに帰着すれども此限定主義と同視主義とは条理上氷炭相容れざるに非ざれば決して上告論旨の如き結果を来すの患なし。
何となれば保険金を以て保険の目的物たる船舶と同視するが故に船舶所有者の責任を保険金に及ぼすは船舶に及ぼすに外ならざればなり。
其第三点は船舶所有者が其船舶を保険に付するは自己の損失を免がれんか為めに特別の注意を施こすに外ならざるに其責任を保険金に及ぼすときは船舶所有者が船舶を保険に付するの理由全く滅却すと云ふに帰するも船長其他の船員等に過失の責むべきものなくして船舶が滅失又は毀損したる場合に於ては船舶所有者は保険金を自己の利益に取得することを得べきを以て保険に付するの理由は全く滅却すと謂ふ可からず。
其第四点前段の保険金性質論は一片の純理論としては強ち不当なるに非ざるも是れ我国の海商の実状を顧みざる議論にして裁判所が応用すべき海商の法理としては未だ之を採用するを得ず。
又其後段の論旨は新商法の主義及解釈に付き己に定論あることと本院従前の判決例を将来永く維持することとを前提として立論するものなれども本件は前陳の如く旧商法施行前の法理に依り判案すべきものにして新商法の主義解釈とは何等の関係なし。
随ふて従前の判決例を以て直に新商法の判決例と為すべきものに非ざれば此論旨は全く其根拠なし。
本院は裁判所構成法第四十九条の規定に従ひ民事第一及第二部を連合して裁判所を組織し本件上告を審理したるも前段説明の如く本院従前の判決と相反する判決を為すべき理由を認めざるに因り民事訴訟法第四百五十二条に従ひ主文の如く判決す