明治三十一年第四百二十四號
明治三十二年六月七日第二民事部判决
◎判决要旨
- 一 土地所有者カ眞實ニ所有權ヲ移轉スルノ意思ナク恊議上他人ノ所有名義ニ爲シ置キタル場合ニ於テ其他人カ擅ニ善意ノ第三者ニ之ヲ賣却スルモ眞所有者ハ其第三者ニ對シ之カ取戻ヲ請求スルノ權利ナシトス(判旨第一點)
上告人 彌永伊作 外四名
被上告人 野上蟠溪 外三名
右當事者間ノ地所所有權確認並ニ名義更正承認請求事件ニ付長崎控訴院カ明治三十一年九月二十八日言渡シタル判决ニ對シ上告代理人ヨリ全部破毀ヲ求ムル申立ヲ爲シ且被上告人徳永多三郎ハ期日出頭セサルニ付闕席ノ侭判决アリタキ旨申立被上告代理人ハ上告棄却ノ申立ヲ爲シタリ
判决
本件上告ハ之ヲ棄却ス
上告ニ係ル訴訟費用ハ上告人之ヲ負擔ス可シ
理由
上告論旨第一點ハ凡土地ノ所有者カ任意ニ其土地ヲ他人ノ名義ニ登簿シタル上ハ假令其當事者間ニ在テハ所有權ヲ移轉シタルニ非サルモ其名義人カ善意ノ第三者ノ其土地ヲ賣渡シタル場合ニ於テ其第三者ニ對スル名義人ハ眞ノ所有者ニ非ラサルノ事實ヲ主張シ買受ノ無効ヲ唱フルコトヲ得サルハ法理上疑ヲ容レサル處ナリトス又其他人ノ名義ト爲シタルハ土地所有者カ初メヨリ之ヲ承諾シタルニ非スシテ全ク偶然ノ事故ニ出タルモノトスルモ後ニ至リ土地ノ所有者カ其他人ノ名義トナリアルコトヲ知テ之ヲ默認シ他人ヲシテ所有者タルノ行爲ヲ爲サシメツヽアリタル上ハ亦任意ニ他人ノ名義ト爲シタルハ其結果ヲ同シフセサルヘカラス何ントナレハ斯ル行爲ハ固ヨリ默示ノ承諾ト見サルヘカラサレハナリ今ヤ本件ニ於ケル被上告人事實ノ主張ヲ見ルニ原院ノ援用セル第一審ノ事實摘示ニ依レハ本訴係爭ノ地所ハ他百數十筆ノ地所ト共ニ從來禪林寺(被上告人)ノ所有ナリシ處明治六年地券發行ノ際當時ノ戸長ヨリ社寺等ノ名義ニテハ地券ヲ下附シカタキヲ以テ代名ヲ申出ツヘシトノ口達ニ從ヒ禪林寺ノ林ノ字ヲ取リ該寺ノ代名ヲ林繁トシテ地券ノ下附ヲ受ケ且ツ之レヲ當時ノ戸籍ニ登録シタルヨリ茲ニ誤謬ヲ來シ該名林繁ヲ以テ當時ノ住職安本宣存ノ實名ノ如ク取扱ヒタルヨリ遂ニ公邊ニ於テモ安本宣存ヲ以テ林繁ト稱スルニ至レリ茲ニ於テ曩ニ禪林寺ノ代名林繁ノ名義ニテ下附セラレタル書面ノ地所ハ林繁即チ安本宣存一己ノ所有タルカ如キ觀ヲ爲スニ至リタルヨリ明治十七年七月二十八日寺院總代ハ住職宣存ニ對シ緑村大字河内分千十九番地田八畝二十八歩外百四十八筆ノ地所ヲ禪林寺ノ所有名義ニ更正セシメタルモ獨リ大字本吉ノ分ハ當時更正洩レトナレリ然ルヲ住職宣存ハ之ヲ奇貨トシテ自己所有ノ如クシテ本訴ノ地ヲ上告人ニ賣渡シ又ハ轉輾シテ上告人ノ所有ニ歸シ居ルヲ以テ本訴ヲ提起シタルト云フニ在リ由之觀之本訴ノ地所ヲ林繁ナル名義ニテ地券ヲ受ケタルモ又林繁ナル名義ヲ戸籍ニ登録シタルモ共ニ被上告人禪林寺ノ代表者カ爲シタル行爲ニシテ爾后林繁ナル名義カ安本宣存ノ實名トシテ公認セラレタルモ亦明確ノ事實ナリ然ラハ最初林繁ナル名稱ヲ設ケタルハ如何ナル縁由ニ出テタルヲ問ハス之ヲ設ケテ地券ヲ受ケ戸籍ニ登録シ林繁トハ安本宣存其人ナリト公認セラレタル上ハ被上告人禪林寺ハ其土地ヲ任意ニ林繁ナル安本宣存ノ名義ニ爲シタルモノト云ハサルヘカラス從テ林繁ナル安本宣存ヨリ善意ニテ買受ケタル上告人ニ對シ林繁名義 地所ハ眞實同人ノ所有ニ非ストノ事實ヲ以テ對抗シ得ヘキモノニ非ラサルハ論ヲ俟タス假リニ林繁ナル名稱ヲ戸籍ニ登録シテ安本宣存ノ實名トシタルハ禪林寺ノ代表者タル資格ニ於テシタルモノニ非ストスルモ禪林寺カ林繁ナル名稱ニテ地券ノ下付ヲ受ケタル當時ヨリ林繁ナル名稱カ戸籍ニ登録セラレ爾後安本宣存ノ實名トシテ公認セラレタル事實ハ被上告人ノ認ムル處ニシテ恰モ林繁ナル名義ニテ地券ノ下付ヲ受ケアル事實モ亦被上告人ノ知悉スル處ナレハ被上告人ニシテ其土地ヲ安本宣存ノ實名タル林繁ノ名義ニ爲シ置クコトヲ欲セサルニ於テハ須カラク名義更正ノ手續ヲ爲サヽルヘカラス然ルニ明治六年太政官第八十九號達及ヒ明治十二年内務省乙第三十一號達ニ依リ寺院所有ノ地所ヲ明確ニスヘキ規定アルニ拘ラス此手續ヲ爲サスシテ二十餘年間一個人ノ氏名トシテ公認セラルヽ林繁名義ニ爲シ置キ林繁ヲシテ自己ノ所有物ハ其土地ヲ安本宣存ノ實名ナル林繁名義ニ爲シ置クコトヲ承諾シタルモノト看做スヘキハ當然ナリ從テ善意ノ買得者タル上告人ニ對シ自己ノ權利ヲ主張スルコトヲ得セシムモノニアラス以上ノ理由ナルニ拘ハラス原院ハ任意ニ自己ノ所有地ヲ他人ノ名義ニ爲シ置キタル者ハ其他人ト善意ノ第三者トノ間ニ於ケル賣買ノ効力ヲ否認スルヲ得ルヤ否ヤヲ審究セスシテ單ニ安本宣存カ林繁ナル名義ヲ以テ本訴ノ地所ヲ賣却シタルハ冒認販賣ニシテ其賣買ハ無効ナリト判示シ亦被上告人ノ主張ニ反シテ安本宣存ハ禪林寺ノ地所ヲ林繁ナル所有名義ニ改メタル以後ニ至リ同名稱ヲ戸籍ニ登録シ以テ背信ノ賣買ヲ爲シタルモノト認メ被上告人ニ過失ノ責ムヘキモノナキヲ以テ上告人ハ被上告人ニ對抗スヘキ權利ナキモノト判示シタルハ法則ニ違背スル不法ノ判决ナリト思量スト云フニ在リ
依テ按スルニ土地所有者カ眞ニ所有權ヲ移轉スルノ意思ナク恊議上其所有地ヲ他人ノ所有名義ニ爲シタルカ如キ場合ニ於テ其他人カ右ノ地所ヲ其事實ヲ知ラサル善意ノ第三者ニ賣却シタルトキハ眞所有者ハ右第三者ニ對シ地所ノ取戻ヲ請求スルノ權ナキコト論ヲ俟タス何トナレハ假令眞所有者ト所有名義人トノ間ニ在テハ眞實ノ合意ナキ爲メ所有權ハ移轉スルコトナシト雖モ登記簿上其所有名義ヲ變更シタル以上ハ第三者ハ其名義人ヲ以テ眞ノ所有者ト信スヘキハ當然ノ筋合ナレハ眞所有者ト名義人トノ間ニ存スル虚僞ノ合意即チ祕密契約ヲ以テ善意ノ第三者ヲ害スルコトヲ得サルハ法理ノ當然ナレハナリ蓋シ斯ル場合ニ於テ眞所有者ハ其所有地ヲ他人ノ名義ト爲シ置キタルノ不注意アリト雖モ之ヲ買渡シタル善意ノ第三者ハ何等ノ過失ナキモノナレハ法律カ其第三者ヲ保護スルハ當然ノ事ト云フヘシ
之ニ反シ所有者ノ知ラサル間ニ於テ私擅ニ其所有地ヲ自己ノ所有名義ニ變更シ他人ニ之ヲ賣却スルカ如キハ固ヨリ不法ノ行爲ニシテ法理上何等ノ効力ヲ生スヘキモノニアラス隨テ之ヲ買得シタル者ハ假令其事實ヲ知ラストスルモ眞所有者ニ對抗スルヲ得ス何トナレハ眞所有者ハ他人ノ不法行爲ニ由リテ其所有權ヲ喪失スヘキ條理ナク又第三者モ不法行爲ヨリ其所有權ヲ獲得セサル筋合ナレハナリ尤モ此場合ニ於テ第三者ニ過失ナキコトハ明瞭ナルモ眞所有者ト雖モ亦別ニ不注意ノ所爲ナキモノナレハ法律カ所有權保全ノ爲メ眞所有者ヲ保護スルハ蓋當然ノ條理ナルヘシ今ヤ本件ニ付原判决ノ説明ヲ見ルニ「果シテ然ラハ其後安本宣存ヲ林繁ナル名義ヲ以テ本訴ノ地所ヲ賣買シタルハ即チ冒認販賣ニシテ其賣買ハ元ヨリ無効ナリトス云々畢竟安本宣存ハ襌林寺ノ地所ヲ林繁ナル所有名義ニ改メタル以後ニ至リ同名稱ヲ戸籍ニ登録シ以テ背信ノ賣買ヲ爲シタルモノニシテ襌林寺カ其地所ヲ林繁ノ所有名義ト爲シタル當時ニ於テハ全ク豫期セサリシ所ニシテ云々」トアリテ此判旨タルヤ襌林寺ハ最初承諾上本訴ノ地所ヲ林繁ノ所有名義ト爲シ置キタルニ後日宣存ハ戸籍ニ林繁ノ名義ヲ登録シテ自己ノ實名ノ如ク裝ヒ以テ該地所ヲ買渡シタルモノニシテ即チ冒認販賣ナリト云フニ在リ然レハ本件ハ所有者ノ承諾上他人ノ名義ニ爲シ置キタル場合ニアラスシテ所有者ノ知ラサル間ニ自己ノ名義ト爲シ其地所ヲ他人ニ賣渡シタル場合ナレハ前掲説明中第二段ニ掲タル法理ヲ適用スヘキモノナリ故ニ原院カ被上告人ノ請求ヲ容レ上告人ニ敗訴ノ言渡ヲ爲シタルハ相當ナリ隨テ上告人ハ宣存カ其實名トスル林繁ノ名義ニ爲シタル行爲ヲ以テ襌林寺ノ承諾ニ出テタルモノヽ如ク見做シ之ヲ基礎トシ原判决ヲ論難スルハ原判旨ニ副ハサルモノトス又第二段ノ上告論旨中林繁ノ名義ニ爲シ置キタルハ被上告人カ其地所ヲ宣存ノ實名タル林繁ノ名義ニ爲シ置クコトヲ承認シタルモノト看做スヘシトノ事ノ如キハ原院ノ職權ニ屬スル事實ノ認定ヲ批難スルニ外ナラス又第三段ノ論旨中任意ニ自己ノ所有地ヲ他人ノ名義ニ爲シ置キタル者ハ他人ト善意ノ第三者トノ間ニ於ケル賣買ヲ否認スルヲ得ルヤ否ヤノ論點ノ如キハ原判决上不用ノ爭點ニ歸シ別ニ之ヲ判斷スルノ必要ナキモノトス故ニ本論旨ハ總テ其理由ナシ(判旨第一點)
上告論旨第二點ハ寺院ヲ代表スル權限ハ獨リ其住職ニ存スルコトハ固ヨリ論ヲ俟タス然ルニ本件ニ於テ被上告人襌林寺ヲ代表スルニ眞住職ノ外同寺惣代ト稱スル平野虎雄徳永多三郎徳永喜太郎ヲ以テシタルハ法則ニ違背スルモノニシテ其ノ如キ訴ハ直ニ却下セラレサルヘカラス然ルニ原院カ此點ヲ看過シテ本案ノ判决ヲ下シタルハ不法ノ裁判ナリト思料スト云フニ在リ案スルニ檀家惣代ハ寺院ヲ代表スルノ資格ナケレハ代表者トシテ寺院ノ訴訟ニ加入スルコトヲ得スト雖モ寺院ノ訴訟ニ附隨シテ之ニ參加スル場合ニハ裁判所ハ職權ヲ以テ其資格ノ如何ヲ調査スヘキモノニアラス且ツ被上告人ノ答辯ニ由レハ擅家總代平野虎雄外二名ハ代表者トシテ出訴シタルニアラスシテ襌林寺ノ訴訟ニ附隨シテ出廷シタルニ過キサルモノナレハ上告人ヨリ異議ヲ提出セサル以上ハ原院ハ職權ヲ以テ其資格ノ如何ヲ調査スルヲ要セス然ルニ上告人等ハ其資格ニハ何等ノ論爭ヲ爲サヽルモノナレハ今更採而以テ上告ノ理由トスルヲ得ス
以上ノ理由ナルヲ以テ本件上告ハ民事訴訟法第四百五十二條ニ依リ之ヲ棄却スヘキモノトス
明治三十一年第四百二十四号
明治三十二年六月七日第二民事部判決
◎判決要旨
- 一 土地所有者が真実に所有権を移転するの意思なく協議上他人の所有名義に為し置きたる場合に於て其他人が擅に善意の第三者に之を売却するも真所有者は其第三者に対し之が取戻を請求するの権利なしとす(判旨第一点)
上告人 弥永伊作 外四名
被上告人 野上蟠渓 外三名
右当事者間の地所所有権確認並に名義更正承認請求事件に付、長崎控訴院が明治三十一年九月二十八日言渡したる判決に対し上告代理人より全部破毀を求むる申立を為し、且、被上告人徳永多三郎は期日出頭せざるに付、闕席の侭判決ありたき旨申立被上告代理人は上告棄却の申立を為したり。
判決
本件上告は之を棄却す
上告に係る訴訟費用は上告人之を負担す可し
理由
上告論旨第一点は凡土地の所有者が任意に其土地を他人の名義に登簿したる上は仮令其当事者間に在ては所有権を移転したるに非ざるも其名義人が善意の第三者の其土地を売渡したる場合に於て其第三者に対する名義人は真の所有者に非らざるの事実を主張し買受の無効を唱ふることを得ざるは法理上疑を容れざる処なりとす。
又其他人の名義と為したるは土地所有者が初めより之を承諾したるに非ずして全く偶然の事故に出だるものとするも後に至り土地の所有者が其他人の名義となりあることを知で之を黙認し他人をして所有者たるの行為を為さしめつつありたる上は亦任意に他人の名義と為したるは其結果を同じふせざるべからず。
何んとなれば斯る行為は固より黙示の承諾と見さるべからざればなり。
今や本件に於ける被上告人事実の主張を見るに原院の援用せる第一審の事実摘示に依れば本訴係争の地所は他百数十筆の地所と共に従来禅林寺(被上告人)の所有なりし処明治六年地券発行の際当時の戸長より社寺等の名義にては地券を下附しかたきを以て代名を申出つべしとの口達に従ひ禅林寺の林の字を取り該寺の代名を林繁として地券の下附を受け且つ之れを当時の戸籍に登録したるより茲に誤謬を来し該名林繁を以て当時の住職安本宣存の実名の如く取扱ひたるより遂に公辺に於ても安本宣存を以て林繁と称するに至れり茲に於て曩に禅林寺の代名林繁の名義にて下附せられたる書面の地所は林繁即ち安本宣存一己の所有たるが如き観を為すに至りたるより明治十七年七月二十八日寺院総代は住職宣存に対し緑村大字川内分千十九番地田八畝二十八歩外百四十八筆の地所を禅林寺の所有名義に更正せしめたるも独り大字本吉の分は当時更正洩れとなれり然るを住職宣存は之を奇貨として自己所有の如くして本訴の地を上告人に売渡し又は転輾して上告人の所有に帰し居るを以て本訴を提起したると云ふに在り由之観之本訴の地所を林繁なる名義にて地券を受けたるも又林繁なる名義を戸籍に登録したるも共に被上告人禅林寺の代表者が為したる行為にして爾后林繁なる名義が安本宣存の実名として公認せられたるも亦明確の事実なり。
然らば最初林繁なる名称を設けたるは如何なる縁由に出でたるを問はず之を設けて地券を受け戸籍に登録し林繁とは安本宣存其人なりと公認せられたる上は被上告人禅林寺は其土地を任意に林繁なる安本宣存の名義に為したるものと云はざるべからず。
従て林繁なる安本宣存より善意にて買受けたる上告人に対し林繁名義 地所は真実同人の所有に非ずとの事実を以て対抗し得べきものに非らざるは論を俟たず。
仮りに林繁なる名称を戸籍に登録して安本宣存の実名としたるは禅林寺の代表者たる資格に於てしたるものに非ずとするも禅林寺が林繁なる名称にて地券の下付を受けたる当時より林繁なる名称が戸籍に登録せられ爾後安本宣存の実名として公認せられたる事実は被上告人の認むる処にして恰も林繁なる名義にて地券の下付を受けある事実も亦被上告人の知悉する処なれば被上告人にして其土地を安本宣存の実名たる林繁の名義に為し置くことを欲せざるに於ては須からく名義更正の手続を為さざるべからず。
然るに明治六年太政官第八十九号達及び明治十二年内務省乙第三十一号達に依り寺院所有の地所を明確にすべき規定あるに拘らず此手続を為さずして二十余年間一個人の氏名として公認せらるる林繁名義に為し置き林繁をして自己の所有物は其土地を安本宣存の実名なる林繁名義に為し置くことを承諾したるものと看做すべきは当然なり。
従て善意の買得者たる上告人に対し自己の権利を主張することを得せしむものにあらず。
以上の理由なるに拘はらず原院は任意に自己の所有地を他人の名義に為し置きたる者は其他人と善意の第三者との間に於ける売買の効力を否認するを得るや否やを審究せずして単に安本宣存が林繁なる名義を以て本訴の地所を売却したるは冒認販売にして其売買は無効なりと判示し亦被上告人の主張に反して安本宣存は禅林寺の地所を林繁なる所有名義に改めたる以後に至り同名称を戸籍に登録し以て背信の売買を為したるものと認め被上告人に過失の責むべきものなきを以て上告人は被上告人に対抗すべき権利なきものと判示したるは法則に違背する不法の判決なりと思量すと云ふに在り
依て按ずるに土地所有者が真に所有権を移転するの意思なく協議上其所有地を他人の所有名義に為したるが如き場合に於て其他人が右の地所を其事実を知らざる善意の第三者に売却したるときは真所有者は右第三者に対し地所の取戻を請求するの権なきこと論を俟たず。
何となれば仮令真所有者と所有名義人との間に在ては真実の合意なき為め所有権は移転することなしと雖も登記簿上其所有名義を変更したる以上は第三者は其名義人を以て真の所有者と信ずべきは当然の筋合なれば真所有者と名義人との間に存する虚偽の合意即ち秘密契約を以て善意の第三者を害することを得ざるは法理の当然なればなり。
蓋し斯る場合に於て真所有者は其所有地を他人の名義と為し置きたるの不注意ありと雖も之を買渡したる善意の第三者は何等の過失なきものなれば法律が其第三者を保護するは当然の事と云ふべし。
之に反し所有者の知らざる間に於て私擅に其所有地を自己の所有名義に変更し他人に之を売却するが如きは固より不法の行為にして法理上何等の効力を生ずべきものにあらず。
随で之を買得したる者は仮令其事実を知らずとするも真所有者に対抗するを得ず。
何となれば真所有者は他人の不法行為に由りて其所有権を喪失すべき条理なく又第三者も不法行為より其所有権を獲得せざる筋合なればなり。
尤も此場合に於て第三者に過失なきことは明瞭なるも真所有者と雖も亦別に不注意の所為なきものなれば法律が所有権保全の為め真所有者を保護するは蓋当然の条理なるべし今や本件に付、原判決の説明を見るに「果して然らば其後安本宣存を林繁なる名義を以て本訴の地所を売買したるは。
即ち冒認販売にして其売買は元より無効なりとす。
云云畢竟安本宣存は襌林寺の地所を林繁なる所有名義に改めたる以後に至り同名称を戸籍に登録し以て背信の売買を為したるものにして襌林寺が其地所を林繁の所有名義と為したる当時に於ては全く予期せざりし所にして云云」とありて此判旨たるや襌林寺は最初承諾上本訴の地所を林繁の所有名義と為し置きたるに後日宣存は戸籍に林繁の名義を登録して自己の実名の如く装ひ以て該地所を買渡したるものにして、即ち冒認販売なりと云ふに在り。
然れば本件は所有者の承諾上他人の名義に為し置きたる場合にあらずして所有者の知らざる間に自己の名義と為し其地所を他人に売渡したる場合なれば前掲説明中第二段に掲たる法理を適用すべきものなり。
故に原院が被上告人の請求を容れ上告人に敗訴の言渡を為したるは相当なり。
随で上告人は宣存が其実名とする林繁の名義に為したる行為を以て襌林寺の承諾に出でたるものの如く見做し之を基礎とし原判決を論難するは原判旨に副はざるものとす。
又第二段の上告論旨中林繁の名義に為し置きたるは被上告人が其地所を宣存の実名たる林繁の名義に為し置くことを承認したるものと看做すべしとの事の如きは原院の職権に属する事実の認定を批難するに外ならず又第三段の論旨中任意に自己の所有地を他人の名義に為し置きたる者は他人と善意の第三者との間に於ける売買を否認するを得るや否やの論点の如きは原判決上不用の争点に帰し別に之を判断するの必要なきものとす。
故に本論旨は総で其理由なし。
(判旨第一点)
上告論旨第二点は寺院を代表する権限は独り其住職に存することは固より論を俟たず。
然るに本件に於て被上告人襌林寺を代表するに真住職の外同寺惣代と称する平野虎雄徳永多三郎徳永喜太郎を以てしたるは法則に違背するものにして其の如き訴は直に却下せられざるべからず。
然るに原院が此点を看過して本案の判決を下したるは不法の裁判なりと思料すと云ふに在り案するに檀家惣代は寺院を代表するの資格なければ代表者として寺院の訴訟に加入することを得ずと雖も寺院の訴訟に附随して之に参加する場合には裁判所は職権を以て其資格の如何を調査すべきものにあらず。
且つ被上告人の答弁に由れば擅家総代平野虎雄外二名は代表者として出訴したるにあらずして襌林寺の訴訟に附随して出廷したるに過ぎざるものなれば上告人より異議を提出せざる以上は原院は職権を以て其資格の如何を調査するを要せず。
然るに上告人等は其資格には何等の論争を為さざるものなれば今更採而以て上告の理由とするを得ず。
以上の理由なるを以て本件上告は民事訴訟法第四百五十二条に依り之を棄却すべきものとす。