◎判決要旨
- 一 誣告ヲ受ケタル者カ眞ニ誣告罪ノ告訴ヲ爲ス意思ナキニ拘ハラス誣告者ヲ畏怖セシムル目的ヲ以テ該告訴ヲ爲スヘキ旨ノ通告ヲ爲シタルトキハ脅迫罪ヲ構成ス(判旨第二點)
- 一 脅迫事件ニ付キ裁立所カ被告人ハ眞ニ誣告罪ノ告訴ヲ爲ス意思ヲ以テ誣告者ニ對シ告訴ヲ爲スヘキ旨ノ通告ヲ爲シタルモノト認メ無罪ノ言渡ヲ爲スニ當リテハ被告人自ラ眞ニ告訴ヲ爲ス意思ヲ有セサリシ事實及ヒ誣告者ヲ畏怖セシムル目的ヲ有シタル事實ノ存在セサルコトヲ確定シ且其設明ヲ爲スコトヲ要セス(同上)
右脅迫被告事件ニ付キ大正三年九月十一日佐賀地方裁立所ニ於テ言渡シタル判決ニ對シ檢事青木勝太郎ハ上告ヲ爲シタリ因テ判決スルコト左ノ如シ
理由
本件上告ハ之ヲ棄却ス
佐賀地方裁判所檢事正代理檢事青木勝太郎上告趣意書第一點原裁判所ハ被告市治ノ松本要之助松本要太郎ヨリ詐欺罪ノ告訴ヲ受ケ不起訴ト爲リタル後ニ於テ同人等ニ對シ自分ヲ告訴シタルハ誣告罪ナルヲ以テ三年以上十年以下ノ懲役ニ處セラルヘキ旨及ヒ不實ノ告訴ヲ受ケタル爲メ名譽ヲ毀損シ五六百圓ノ損害ヲ生シ殘念ニ付キ誣告罪トシテ告訴スル旨ノ記載アル各書面ヲ要之助等ニ送付シタル行爲ヲ認メ之ニ對シ事實誣告ヲ蒙リタル場合ニ於テ誣告者ニ對シ誣告ノ告訴ヲ提起スルト否トハ一ニ被誣告者ノ自由ナル權能ニ屬スルカ故ニ被誣告者カ誣告者ニ對シ誣告ノ告訴ヲ提起スヘシト通告スルハ一種ノ權利ニ屬スル事項ノ通告ニ外ナラサレハ不正ニ害惡ヲ加フヘキコトヲ通告シタルモノト云フヘカラス從テ該通告ハ犯罪ヲ構成スヘキモノニアラスト論斷シ以テ事實上誣告ヲ受ケタルトキ其被誣告者ニ告訴權アルコト竝ニ該告訴權ニ屬スル事項ノ通告ハ犯罪ヲ構成セスト判定シナカラ更ニ轉シテ云云被告ハ自己ニ誣告罪ノ告訴權アリト確信シ前掲ノ如キ書面ヲ發送シテ要太郎要之助ニ對シ其權利ヲ行使スヘキトヲ表白シタルモノニシテ不正ノ加害ヲ通告スルノ意ニ出テタルモノト云フヘカラサルヲ以テ被告ノ所爲ハ犯罪ヲ構成セスト論斷シ以テ事實誣告罪ノ告訴權ノ存在スルト否トニ拘ハラス被誣告者ニ於テ自己ニ告訴權アリト確信シ誣告者ニ對シテ該告訴權ヲ行使スヘキコトヲ表白スルモ罪トナラサルノ旨ヲ判示シタリ之レ一面ニ於テハ被誣告者ノ有スル告訴權ノ行使ハ罪タナラスト爲シ他面ニ於テハ被誣告者カ告訴權アリト確信シ之ニ基キ其權利ヲ行使スヘキコトヲ表白シタルトキハ罪トナラスト爲スモノニシテ被告市治ニ對シ無罪ヲ言渡シタル裁判ノ理由ノ那邊ニ存スルヤヲ知ラサラシムルモノニシテ明ニ裁判ノ理由ニ齟齬アルモノト云ハサルヘカラスト云フニ在リ◎因テ原判決ノ理由ヲ査閲審按スルニ其前段ニ於テハ誣告セラレタル者カ誣告ノ犯人ニ對シ單ニ誣告罪ノ告訴ヲ爲ス可キ旨及ヒ名譽ヲ毀損セラレタル爲メ財産上ノ損害ヲ生シタル旨ノ通知ヲ爲スハ其權利ノ實行ニ外ナラサルヲ以テ脅迫ノ罪ヲ構成セストノ一般的理論ヲ確定シテ掲出シ其後段ニ於テハ本件ノ事實ハ被告人市治カ松本要之助等ニ誣告セラレタリト確信シ且之ヲ確信ス可キ相當ノ事由ヲ有シ同人等ニ對シ前示ノ通知ヲ爲シタルモノト認メ得ヘキヲ以テ案モ前段掲記ニ係ル一般的理論ノ一適用トシテ脅迫ノ罪ノ成立ヲ認ムルコトヲ得サル事案ニ屬スト結論シタルモノナルコト明白ニシテ前段ノ理由ハ要スルニ後段ノ理由ヲ推理ス可キ前提タルニ外ナラサルヲ以テ其間毫モ論旨所論ノ如キ理由齟齬ノ違法アリト云フコトヲ得ス本論旨ハ其理由ナシ
第二點被告市治ニ於テ誣告罪ノ告訴權ヲ有シ又ハ之レ有リト確信シタルモノト假定スルモ若シ眞ニ告訴權行使ノ意思ナク止タ其目的要之助外一名ヲ畏怖セシメントスルニ在ルニ拘ハラス恰モ告訴權ヲ行使スルノ意思アル如ク裝ヒ原判決認定ノ方法即チ被告ニシテ告訴センカ要之助外一名ハ誣告罪トシテ三年以上十年以下ノ懲役ニ處セラル可キ旨竝動モスレハ五六百圓ノ損害賠償ノ責任ヲ負ハサル可ラサル旨趣ノ不實ノ通告ヲ爲シタル以上茲ニ自由ニ對スル脅迫罪ノ成立スルヤ勿論ナリト信ス從テ本件脅迫罪ノ成否ヲ斷セント欲セハ啻ニ被告ニ告訴權アリヤ否又ハ告訴權アリト確信シタリヤ否ヤノ事實ヲ確定スルノミヲ以テ足レリトセス尚被告ハ眞ニ告訴權ヲ行使スルノ意思アリヤ否ヤ又三年以上十年以下ノ懲役ニ處セラル可キ旨及五六百圓ノ損害賠償ノ責任アル旨趣ノ通告ハ違法性ヲ有スルヤ否ヤノ事實ヲ確定セサル可ラス然ルニ原判決ハ告訴權ヲ有シ又ハ之ヲ有スルモノト確信シ告訴權行使ノ意思ヲ通告シタル場合ハ眞ニ告訴權ヲ行使スルノ意思アルト否ト及通告ノ目的那邊ニ在ルヲ問ハス法律上脅迫罪ヲ構成セストノ謬見ヲ持シタル爲メ遂ニ如上重要事實ノ確定及説明ヲ爲サス漫然被告ハ誣告罪ノ告訴權アリト確信セリ從テ脅迫ノ犯意ヲ缺クトノ理由ノ下ニ無罪ヲ言渡シタルハ即チ理由不備ノ判決ナリト思料スト云フニ在リ◎因テ按スルニ誣告ヲ受ケタル者カ眞ニ誣告罪ノ告訴ヲ爲ス意思ナキニ拘ハラス誣告者ヲ畏怖セシムル目的ヲ以テ之ニ對シ該告訴ヲ爲ス可キ旨ノ通告ヲ爲シタリトスレハ固ヨリ權利實行ノ範圍ヲ超脱シタル行爲ナルヲ以テ脅迫ノ罪ヲ構成ス可キハ疑ヲ容レス然レトモ原判決カ本件ニ付キ前點ニ説明シタル理由ニ因リ結局無罪ノ言渡ヲ爲シタル事跡ヨリ推考スレハ原審ニ於テハ被告人ハ眞ニ其誣告罪ノ告訴ヲ爲ス意思ヲ以テ其告訴前誣告者ニ對シ告訴ヲ爲ス可キ旨ノ通知ヲ爲シタリト認メタルモノト解シ得ヘク從テ自ラ眞ニ告訴ヲ爲ス意思ヲ有セサリシ事實及ヒ誣告者ヲ畏怖セシムル目的ヲ有シタル事實ノ存在セサルコトヲ判示シタル趣意ナリト解シ難カラス而シテ前叙ノ場合ニ於テハ必スシモ判文上ニ其認メサリシ事實ヲ確定シ且其説明ヲ爲ス要アルコトナキハ勿論ナルヲ以テ本論旨亦理由ナシ(判旨第二點)
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十五條(第三號)ニ依リ主文ノ如ク判決ス
檢事鈴木宗言干與大正三年十二月一日大審院第一刑事部
◎判決要旨
- 一 誣告を受けたる者が真に誣告罪の告訴を為す意思なきに拘はらず誣告者を畏怖せしむる目的を以て該告訴を為すべき旨の通告を為したるときは脅迫罪を構成す(判旨第二点)
- 一 脅迫事件に付き裁立所が被告人は真に誣告罪の告訴を為す意思を以て誣告者に対し告訴を為すべき旨の通告を為したるものと認め無罪の言渡を為すに当りては被告人自ら真に告訴を為す意思を有せざりし事実及び誣告者を畏怖せしむる目的を有したる事実の存在せざることを確定し、且、其設明を為すことを要せず。
(同上)
右脅迫被告事件に付き大正三年九月十一日佐賀地方裁立所に於て言渡したる判決に対し検事青木勝太郎は上告を為したり。
因で判決すること左の如し
理由
本件上告は之を棄却す
佐賀地方裁判所検事正代理検事青木勝太郎上告趣意書第一点原裁判所は被告市治の松本要之助松本要太郎より詐欺罪の告訴を受け不起訴と為りたる後に於て同人等に対し自分を告訴したるは誣告罪なるを以て三年以上十年以下の懲役に処せらるべき旨及び不実の告訴を受けたる為め名誉を毀損し五六百円の損害を生じ残念に付き誣告罪として告訴する旨の記載ある各書面を要之助等に送付したる行為を認め之に対し事実誣告を蒙りたる場合に於て誣告者に対し誣告の告訴を提起すると否とは一に被誣告者の自由なる権能に属するが故に被誣告者が誣告者に対し誣告の告訴を提起すべしと通告するは一種の権利に属する事項の通告に外ならざれば不正に害悪を加ふべきことを通告したるものと云ふべからず。
従て該通告は犯罪を構成すべきものにあらずと論断し以て事実上誣告を受けたるとき其被誣告者に告訴権あること並に該告訴権に属する事項の通告は犯罪を構成せずと判定しながら更に転して云云被告は自己に誣告罪の告訴権ありと確信し前掲の如き書面を発送して要太郎要之助に対し其権利を行使すべきとを表白したるものにして不正の加害を通告するの意に出でたるものと云ふべからざるを以て被告の所為は犯罪を構成せずと論断し以て事実誣告罪の告訴権の存在すると否とに拘はらず被誣告者に於て自己に告訴権ありと確信し誣告者に対して該告訴権を行使すべきことを表白するも罪とならざるの旨を判示したり。
之れ一面に於ては被誣告者の有する告訴権の行使は罪たならずと為し他面に於ては被誣告者が告訴権ありと確信し之に基き其権利を行使すべきことを表白したるときは罪とならずと為すものにして被告市治に対し無罪を言渡したる裁判の理由の那辺に存するやを知らさらしむるものにして明に裁判の理由に齟齬あるものと云はざるべからずと云ふに在り◎因で原判決の理由を査閲審按ずるに其前段に於ては誣告せられたる者が誣告の犯人に対し単に誣告罪の告訴を為す可き旨及び名誉を毀損せられたる為め財産上の損害を生じたる旨の通知を為すは其権利の実行に外ならざるを以て脅迫の罪を構成せずとの一般的理論を確定して掲出し其後段に於ては本件の事実は被告人市治が松本要之助等に誣告せられたりと確信し、且、之を確信す可き相当の事由を有し同人等に対し前示の通知を為したるものと認め得べきを以て案も前段掲記に係る一般的理論の一適用として脅迫の罪の成立を認むることを得ざる事案に属すと結論したるものなること明白にして前段の理由は要するに後段の理由を推理す可き前提たるに外ならざるを以て其間毫も論旨所論の如き理由齟齬の違法ありと云ふことを得ず。
本論旨は其理由なし。
第二点被告市治に於て誣告罪の告訴権を有し又は之れ有りと確信したるものと仮定するも若し真に告訴権行使の意思なく止た其目的要之助外一名を畏怖せしめんとするに在るに拘はらず恰も告訴権を行使するの意思ある如く装ひ原判決認定の方法即ち被告にして告訴せんか要之助外一名は誣告罪として三年以上十年以下の懲役に処せらる可き旨並動もすれば五六百円の損害賠償の責任を負はざる可らざる旨趣の不実の通告を為したる以上茲に自由に対する脅迫罪の成立するや勿論なりと信ず。
従て本件脅迫罪の成否を断せんと欲せば啻に被告に告訴権ありや否又は告訴権ありと確信したりや否やの事実を確定するのみを以て足れりとせず尚被告は真に告訴権を行使するの意思ありや否や又三年以上十年以下の懲役に処せらる可き旨及五六百円の損害賠償の責任ある旨趣の通告は違法性を有するや否やの事実を確定せざる可らず。
然るに原判決は告訴権を有し又は之を有するものと確信し告訴権行使の意思を通告したる場合は真に告訴権を行使するの意思あると否と及通告の目的那辺に在るを問はず法律上脅迫罪を構成せずとの謬見を持したる為め遂に如上重要事実の確定及説明を為さず漫然被告は誣告罪の告訴権ありと確信せり。
従て脅迫の犯意を欠くとの理由の下に無罪を言渡したるは。
即ち理由不備の判決なりと思料すと云ふに在り◎因で按ずるに誣告を受けたる者が真に誣告罪の告訴を為す意思なきに拘はらず誣告者を畏怖せしむる目的を以て之に対し該告訴を為す可き旨の通告を為したりとすれば固より権利実行の範囲を超脱したる行為なるを以て脅迫の罪を構成す可きは疑を容れず。
然れども原判決が本件に付き前点に説明したる理由に因り結局無罪の言渡を為したる事跡より推考すれば原審に於ては被告人は真に其誣告罪の告訴を為す意思を以て其告訴前誣告者に対し告訴を為す可き旨の通知を為したりと認めたるものと解し得べく。
従て自ら真に告訴を為す意思を有せざりし事実及び誣告者を畏怖せしむる目的を有したる事実の存在せざることを判示したる趣意なりと解し難からず。
而して前叙の場合に於ては必ずしも判文上に其認めざりし事実を確定し、且、其説明を為す要あることなきは勿論なるを以て本論旨亦理由なし。
(判旨第二点)
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条(第三号)に依り主文の如く判決す
検事鈴木宗言干与大正三年十二月一日大審院第一刑事部