◎判決要旨
- 一 刑法第百八十六條第一項ノ罪ハ賭博常習ノ身分ヲ有スル者ノ犯シタル賭博罪ナリト雖モ數次賭博ヲ慣行スルニ於テハ賭博常習ノ身分ヲ有スル者ト爲リ是レ亦賭博常習者ト認メ得ヘキモノナレハ其數次ノ行爲ハ賭博ノ連續犯ニ非スシテ常習賭博ノ集合的一罪ヲ構成スルモノトス
(參照)常習トシテ博戲又ハ賭事ヲ爲シタル者ハ三年以下ノ懲役ニ處ス(刑法第百八十$六條第一項)
右常習賭博被告事件ニ付大正三年五月十九日廣島地方裁判所ニ於テ言渡シタル判決ニ對シ被告ハ上告ヲ爲シタリ因テ判決スル左ノ如シ
理由
本件上告ハ之ヲ棄却ス
被告力市辯護人河合廉一上告趣意書第一點原判決ハ第一審判決ヲ取消ササルノ違法アリ第一審公判始末書ニ依レハ檢事ノ被告力市ニ對スル被告事件ノ陳述トシテ檢事ハ前囘陳述ノ第一乃至第五第八第十一第十二公訴事實ヲ陳述セル旨ノ記載アリ然レトモ一件記録ニヨレハ被告力市ニ付テハ其前一囘モ公判ヲ開廷セラレタルコトナキヲ以テ其所謂前囘ナルモノナク如何ナル公訴事實ヲ陳述セシカ明白ナラス結局檢事ハ被告事件ヲ陳述セサルコトニ歸著スルカ故原審ハ須ラク斯ル欠點アル公判手續ニヨリ言渡サレタル第一審判決ヲ取消ササル可ラサルニ事茲ニ出スシテ其判決ヲ是認シ被告ノ控訴ヲ棄却シタルハ失當タルヲ免レスシテ破毀セラルヘキモノト信スト云フニ在レトモ◎所論第一審公判始末書ニ所謂前囘陳述ノ第一乃至第五及ヒ第八第十一第十二ノ公訴事實トハ大正二年十月五日ノ公判廷ニ於テ共犯タル石井綾一外二名ニ對シ檢事カ陳述シタル右各號ノ公訴事實ヲ指スモノニシテ被告ニ對スル公判ニ於テ檢事カ右同一事實ノ陳述ヲ爲シタルコト明確ナルヲ以テ原判決ハ所論ノ如キ不法アリト謂フヲ得ス
第二點原判決ハ理由不備ノ欠點アリ原判決ハ被告力市ノ犯行トシテ金錢ヲ賭シ骨牌ヲ使用シ「ヲサエタ」ト稱スル博奕ヲ爲シタルモノナリト判示シ之ニ刑法第百八十六條第一項ヲ適用セリ凡ソ刑法第百八十五條第百八十六條ニ規定スル賭博罪ノ成立スルニハ必スヤ偶然ノ輸贏ニ關シ財物ヲ賭シタル事實ナカル可カラス原判決カ示ス所ノ「ヲサエタ」ト稱スルモノカ果シテ偶然ノ事實ナルヤ否ヤハ判文自體ニ徴シ毫モ之ヲ知ルコト能ハス彼八八丁半ノ如キハ八八ト云ヒ丁半ト唱フル言葉自體ニ依リ偶然ノ事實ナルコトヲ常人ノ普通智識ノ經驗上直ニ知得シ得ヘシト雖モ「ヲサエタ」ト稱スルモノカ果シテ如何ナル事柄ナルヤハ普通智識ヲ有スルモノノ容易ニ知リ得ヘキ所ニアラス故ニ刑法第百八十六條第一項ヲ適用センニハ須ラク「ヲサエタ」ト稱スル事柄カ如何ナル偶然ノ事實ナルヤヲ判示セサル可ラサルニ事茲ニ出テサリシハ理由不備ノ判決タルヲ免レスト云フニ在レトモ◎金錢ヲ賭シ骨牌ヲ使用シ「ヲサエタ」ト稱スル博奕ヲ爲シタル旨判示スル以上ハ偶然ノ輸贏ニ關シ財物ヲ賭シタリトノ趣意ナルコト自ラ明白ニシテ賭博罪ヲ構成スル事實ノ表示トシテ缺クル所ナシ故ニ原判決カ更ニ進テ右賭博ノ方法ヲ詳示セサレハトテ所論ノ如キ不法アリト云フヲ得ス
第三點原判決ニハ理由不備又ハ擬律錯誤ノ缺點アリ原判決ニ依レハ被告力市ニ賭博ノ常習アルモノ即チ賭博ノ常習者ナリト認定シ之ニ刑法第百八十六條第一項ヲ適用セリ抑モ刑法第百八十六條第一項ノ常習トシテ博戲又ハ賭事ヲ爲シタルモノト謂フハ如何ナル意義ナルカ或ハ賭博ノ常習者テフ身分アルモノカ賭博ヲ爲シタルコトヲ意味スト主張スル判例學説アリ(主觀説)或ハ賭博ヲ慣行的ニ爲スコトヲ指スモノナリトスル判例學説アリ(客觀説)其ノ適從ニ苦シマスンハアラスト雖モ若シ前段ノ説ヲシテ正當ナラシメハ賭博ノ常習者ニ數囘ノ賭博行爲アリタルトキハ其ノ數囘ノ賭博行爲ノ間ニ連續犯(刑法第五十五條)ノ關係ナキ限ハ數罪ヲ成立スルモノトシテ處分スヘク連續犯ナルトキハ刑法第五十五條ヲ適用シ一罪トシテ處斷スヘシトノ論結ヲ生スヘシ此場合ニ於テ數囘ノ賭博行爲ヲ一罪トシテ處斷センニハ必スヤ連續犯ノ場合ノ外他ニ之ヲ求ムルコトヲ得サルナリ蓋シ刑法中他ニ此ノ如キ場合ヲ一罪ト爲スヘキ規定ナケレハナリ之ニ反シ若シ後段ノ説ニシテ正當ナリトセンカ數囘ノ賭博行爲其モノヲ以テ常習ナリトシ刑法第百八十六條第一項ニ依リ集合的ノ一罪トシテ處分スヘシトノ結論ニ到著スヘシ原判決カ前段ノ説ヲ採用セシモノナルコトハ判文ニ照シ明白ナリ果シテ然ラハ被告力市ノ如キ八度ノ賭博行爲アリタル場合ニハ必スヤ刑法第五十五條ヲ適用セサルヘカラス然レトモ吾人ハ我刑法ノ解釋上後段ノ説ヲ正當ナリト信スルモノナルヲ以テ原判決ハ此點ニ於テ法律ヲ誤解シ賭博カ常習トシテ行ハレタルコトヲ判示セサル不備アリ若シ前説ヲ正當ナリトセハ刑法第五十五條ヲ適用セサル不法アルノミナラス一方ニ於テ數囘ノ賭博行爲カ連續セルコトノ犯罪事實ヲ認メ他方ニ於テ其事實自體ヲ以テ更ニ常習者ナリトノ事實認定ノ材料ニ供シタルハ即チ一箇ノ事實ヲ犯罪トシ更ニ其犯罪其モノヲ以テ加重ノ事情ト爲シタル不法アリ到底破毀ヲ免レサルモノト思料スト云フニ在リ◎因テ按スルニ刑法第百八十六條第一項ノ罪ハ所論ノ如ク賭博常習ノ身分ヲ有スル者ノ犯シタル賭博罪ナリト雖モ數次賭博ヲ慣行シタル者モ亦之ヲ賭博常習者ト認メ得ヘキモノニシテ前示數次ノ賭博行爲ハ該行爲者ヲ賭博常習ノ身分ヲ有スル者ト認ム可キ資料タルカ故ニ結局常習賭博ノ集合的一罪ヲ構成ス可ク賭博ノ連續犯ナリト云フコトヲ得サルヲ以テ本論旨亦其理由ナシ
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十五條ニ依リ主文ノ如ク判決ス
檢事鈴木宗言干與大正三年十一月十日大審院第一刑事部
◎判決要旨
- 一 刑法第百八十六条第一項の罪は賭博常習の身分を有する者の犯したる賭博罪なりと雖も数次賭博を慣行するに於ては賭博常習の身分を有する者と為り是れ亦賭博常習者と認め得べきものなれば其数次の行為は賭博の連続犯に非ずして常習賭博の集合的一罪を構成するものとす。
(参照)常習として博戯又は賭事を為したる者は三年以下の懲役に処す(刑法第百八十$六条第一項)
右常習賭博被告事件に付、大正三年五月十九日広島地方裁判所に於て言渡したる判決に対し被告は上告を為したり。
因で判決する左の如し
理由
本件上告は之を棄却す
被告力市弁護人川合廉一上告趣意書第一点原判決は第一審判決を取消さざるの違法あり。
第一審公判始末書に依れば検事の被告力市に対する被告事件の陳述として検事は前回陳述の第一乃至第五第八第十一第十二公訴事実を陳述せる旨の記載あり。
然れども一件記録によれば被告力市に付ては其前一回も公判を開廷せられたることなきを以て其所謂前回なるものなく如何なる公訴事実を陳述せしか明白ならず結局検事は被告事件を陳述せざることに帰著するが故原審は須らく斯る欠点ある公判手続により言渡されたる第一審判決を取消さざる可らざるに事茲に出すして其判決を是認し被告の控訴を棄却したるは失当たるを免れずして破毀せらるべきものと信ずと云ふに在れども◎所論第一審公判始末書に所謂前回陳述の第一乃至第五及び第八第十一第十二の公訴事実とは大正二年十月五日の公判廷に於て共犯たる石井綾一外二名に対し検事が陳述したる右各号の公訴事実を指すものにして被告に対する公判に於て検事が右同一事実の陳述を為したること明確なるを以て原判決は所論の如き不法ありと謂ふを得ず。
第二点原判決は理由不備の欠点あり原判決は被告力市の犯行として金銭を賭し骨牌を使用し「をさえた」と称する博奕を為したるものなりと判示し之に刑法第百八十六条第一項を適用せり凡そ刑法第百八十五条第百八十六条に規定する賭博罪の成立するには必ずや偶然の輸贏に関し財物を賭したる事実なかる可からず。
原判決が示す所の「をさえた」と称するものが果して偶然の事実なるや否やは判文自体に徴し毫も之を知ること能はず彼八八丁半の如きは八八と云ひ丁半と唱ふる言葉自体に依り偶然の事実なることを常人の普通智識の経験上直に知得し得べしと雖も「をさえた」と称するものが果して如何なる事柄なるやは普通智識を有するものの容易に知り得べき所にあらず。
故に刑法第百八十六条第一項を適用せんには須らく「をさえた」と称する事柄が如何なる偶然の事実なるやを判示せざる可らざるに事茲に出でさりしは理由不備の判決たるを免れずと云ふに在れども◎金銭を賭し骨牌を使用し「をさえた」と称する博奕を為したる旨判示する以上は偶然の輸贏に関し財物を賭したりとの趣意なること自ら明白にして賭博罪を構成する事実の表示として欠くる所なし。
故に原判決が更に進で右賭博の方法を詳示せざればとて所論の如き不法ありと云ふを得ず。
第三点原判決には理由不備又は擬律錯誤の欠点あり原判決に依れば被告力市に賭博の常習あるもの。
即ち賭博の常習者なりと認定し之に刑法第百八十六条第一項を適用せり。
抑も刑法第百八十六条第一項の常習として博戯又は賭事を為したるものと謂ふは如何なる意義なるか或は賭博の常習者てふ身分あるものが賭博を為したることを意味すと主張する判例学説あり(主観説)或は賭博を慣行的に為すことを指すものなりとする判例学説あり(客観説)其の適従に苦しますんばあらずと雖も若し前段の説をして正当ならしめは賭博の常習者に数回の賭博行為ありたるときは其の数回の賭博行為の間に連続犯(刑法第五十五条)の関係なき限は数罪を成立するものとして処分すべく連続犯なるときは刑法第五十五条を適用し一罪として処断すべしとの論結を生ずべし此場合に於て数回の賭博行為を一罪として処断せんには必ずや連続犯の場合の外他に之を求むることを得ざるなり。
蓋し刑法中他に此の如き場合を一罪と為すべき規定なければなり。
之に反し若し後段の説にして正当なりとせんか数回の賭博行為其ものを以て常習なりとし刑法第百八十六条第一項に依り集合的の一罪として処分すべしとの結論に到著すべし。
原判決が前段の説を採用せしものなることは判文に照し明白なり。
果して然らば被告力市の如き八度の賭博行為ありたる場合には必ずや刑法第五十五条を適用せざるべからず。
然れども吾人は我刑法の解釈上後段の説を正当なりと信ずるものなるを以て原判決は此点に於て法律を誤解し賭博が常習として行はれたることを判示せざる不備あり。
若し前説を正当なりとせば刑法第五十五条を適用せざる不法あるのみならず一方に於て数回の賭博行為が連続せることの犯罪事実を認め他方に於て其事実自体を以て更に常習者なりとの事実認定の材料に供したるは。
即ち一箇の事実を犯罪とし更に其犯罪其ものを以て加重の事情と為したる不法あり。
到底破毀を免れざるものと思料すと云ふに在り◎因で按ずるに刑法第百八十六条第一項の罪は所論の如く賭博常習の身分を有する者の犯したる賭博罪なりと雖も数次賭博を慣行したる者も亦之を賭博常習者と認め得べきものにして前示数次の賭博行為は該行為者を賭博常習の身分を有する者と認む可き資料たるが故に結局常習賭博の集合的一罪を構成す可く賭博の連続犯なりと云ふことを得ざるを以て本論旨亦其理由なし。
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条に依り主文の如く判決す
検事鈴木宗言干与大正三年十一月十日大審院第一刑事部