◎判決要旨
- 一 證憑物件カ公判ニ顯出セラレタル以上ハ被告人其他訴訟關係人ニ於テ之ヲ實驗シ得ヘキ状態ニ措カレタルモノナレハ該物件ノ特殊ナル徴候ヲ罪證ニ供スル場合ト雖モ特ニ其徴候ヲ指摘シ被告人ニ示ササレハトテ證據調ヲ爲シタルモノト謂フニ妨ナシ(判旨第五點)
- 一 誣告罪ノ成立ニハ告訴状カ當該搜査官署ニ到達シ搜査官吏ノ閲覽シ得ヘキ状態ニ措カルルヲ以テ足リ該官吏之ヲ受理シテ搜査ニ著手シタルコトヲ要セス(判旨第七點)
- 一 公判廷ニ於テ或物體ヲ實驗スルカ如キ證據調ヲ爲スニハ檢證調書ヲ作成スルコトヲ要セサルハ勿論公判始末書ニ裁判所ノ實驗ニ因リテ得タル判斷ノ結果ヲ記載セシムヘキモノニ非ス(判旨第八點)
右誣告被告事件ニ付大正三年八月十日東京控訴院ニ於テ言渡シタル判決ニ對シ被告ハ上告ヲ爲シタリ因テ判決スルコト左ノ如シ
理由
本件上告ハ之ヲ棄却ス
辯護人渡邊澄也上告趣意書第一點本件ノ被害者山田兼三郎ハ被告ニ金四十八圓ノ貸金殘額アリト稱シテ大正二年五月十九日ニ上諏訪區裁判所ニ支拂命令ヲ申請シ被告ハ之ニ對シテ異議ノ申立ヲ爲シタルヨリ訴訟事件トシテ同廳ニ繋屬シ數囘口頭辯論ヲ經タル後被告敗訴ノ判決ヲ言渡サレタルヲ以テ被告ハ該判決ニ貸シテ控訴ヲ爲シ長野地方裁判所ニ繋屬中被告ハ山田兼三郎ニ對シテ詐欺ノ告訴ヲ提起シタルコト一件記録竝ニ添附ノ民事訴訟記録ニ徴シテ明白ナリ從テ山田兼三郎ノ請求ニシテ正當ナレハ被告ハ山田兼三郎ヨリ金六十圓ヲ借入ルルノ際騙取スルノ意思アリシモノカ否ラサレハ請求ヲ受クルニ當リ欺罔手段ヲ以テ不法ニ債務ヲ免カレントシタル詐欺ノ所爲アルモノナレハ山田兼三郎ヨリ被告ニ係ル民事訴訟ノ關係ニ於テ山田兼三郎ハ所謂民事原告人ニ相當スヘキモノトス蓋シ民事原告人トハ犯罪ニ依リ生シタル損害ノ賠償又ハ賍物ノ返還ヲ目的トシテ訴訟ヲ提起シタル者ヲ總稱シ訴訟ノ基本タル犯罪カ既ニ被告事件トシテ起訴セラレタルト否トハ之ヲ問フノ必要ナケレハナリ是故ニ山田兼三郎ハ證人タルノ資格ナキニ拘ハラス大正三年三月十日同人ヲ證人トシテ訊問シタル豫審調書ヲ斷罪ノ資料ニ供シタル原判決ハ採證ノ法則ニ違背スル不法アルモノト信スト云フニ在レトモ◎證人山田兼三郎カ被告人ニ對シテ所論ノ如キ民事訴訟ヲ提起セル事實アルモ右訴訟ハ本件ノ誣告行爲ニ因リテ生シタル損害ノ賠償ヲ目的トセルモノニ非サレハ刑事訴訟法第百二十三條ニ所謂民事原告人ニ該當セス然ラハ豫審ニ於テ證人山田兼三郎ヲ宣誓セシメテ訊問シタルハ相當ニシテ右證人豫審調書ヲ罪證ニ供シタル原判決ハ違法ニ非ス本論旨ハ理由ナシ
第二點原判決ハ押收ノ一山田兼三郎名義判取帳ノ「但自轉車荷受ニ付三日間時借」トノ記載ヲ斷罪ノ證據ニ採用セルモ右ハ被告ニ於テ之ヲ記載シナカラ事實ヲ虚構シ金圓ヲ借受ケタルコトナシトシテ山田兼三郎ヲ誣告シタル證據ニ供シタルモノナルヤ將タ其他ノ事實ヲ證明スルモノナルヤ之ヲ知ルニ由ナシ乃チ原判決ハ此點ニ於テ證據理由不備ノ不法アルモノト信スト云フニ在レトモ◎所論證憑ハ誣告ノ事實ヲ證明スル資料ニ供シタルモノナルコト明ナレハ本論旨ハ理由ナシ
第三點原判決ハ押收ノ三ト押收ノ四トハ紙質相類似スルノミナラス印刷セル輪廓ヲ比較スレハ全ク同一ナリト説明シテ斷罪ノ證據ニ採用セリ然ルニ兩押收物件ハ其紙質相異ナルノミナラス印刷セル輪廓ハ互ニ長短ノ差アリテ同一ニ非サルコト寔ニ明白ナルニ拘ハラス前示ノ如ク判示セル原判決ハ證據ノ法則ニ違背スル不法アルモノト信スト云フニ在レトモ◎本論旨ハ原審ノ職權ニ屬スル證據判斷ノ當否ヲ論爭スルモノニシテ適法ノ上告理由ト爲ラス
第四點原判決ハ「被告ハ云云兼三郎ハ告訴人ヲ相手取リ貸金請求訴訟ヲ提起シ前掲變造ノ判取帳ヲ該事件ノ證據トシテ同廳ニ提出シ」ト認定セルモ之ニ對スル證據ヲ説明セサルヲ以テ證據理由不備ノ不法アルモノト信スト云フニ在レトモ◎原判決ノ證據説明(四)ニ於テ記録中ノ詐欺罪告訴状ニ判示同趣旨ノ犯罪事實記載シアル旨説示シアルヲ以テ本論旨ハ謂ハレナシ
第五點原判決ハ押收ノ四ニ一葉ノ紙片ヲ切取ルカ又ハ挘取シタル如キ形蹟アリト説明セルモ原判決ニ所謂形蹟ハ如何ナル事實ノ證據ニ供シタルモノナリヤ又形蹟ハ如何ナル方法ニ依リ證據調ヲ爲シタルヤ之ヲ知ルニ由ナケレハ原判決ハ爰點ニ於テ證據ノ法則ニ違背スル不法アルモノト信スト云フニ在レトモ◎證憑物件カ公判ニ顯出セラレタル以上ハ裁判所ハ無論被告人其他訴訟關係人ニ於テ之ヲ實驗シ得ヘキ状態ニ措カレタルモノナルヲ以テ證憑物件ノ特殊ナル徴候ヲ罪證ニ供スル場合ト雖モ特ニ其徴候ヲ指摘シテ之ヲ被告人ニ示ササルモ證據調ヲ爲シタルモノト謂フニ妨ケナキノミナラス所論押收ノ四カ被告人ニ示サレ所論形蹟ノ存在ニ付キ訊問アリタルコト原審公判始末書ニ徴シテ明ナル以上ハ其一葉ノ紙片ヲ切取ルカ又ハ挘取リタル如キ形蹟モ自ラ證據調ノ目的タリシコトヲ認メ得ヘク而シテ右形蹟ノ存在ハ之ニ依リテ被告ニ於テ山田兼三郎カ被告ノ判取帳ニ被告ニ對スル貸金六十圓ノ内入トシテ金十二圓ノ辯濟ヲ受領シタル旨記載シタル部分ヲ破毀シタル事實ヲ證シ延テ被告ノ誣告罪ヲ斷スル證憑トシテ設示シタルコト判文上洵ニ明白ナレハ本論旨ハ理由ナシ(判旨第五點)
辯護人布施辰治上告趣意書第一點原判決ノ認定事實ヲ閲スルニ被告宮坂義平ハ自ラ山田兼三郎ニ對スル詐欺取財罪ノ告訴状ヲ作成シ且ツ直接ニ上諏訪區裁判所檢事局ヘ該告訴状ヲ提出シタルモノノ如クニ判示シ尚ホ證據ノ援用モ亦タ同樣被告自身ニ告訴状ヲ作成シテ檢事局ヘ提出シ云云ノ趣旨即チ被告義平ハ兼三郎ニ對スル誣告罪ヲ直接ニ實行シタリト説明セラレタルモ記録第一丁乃至六丁告訴状ノ記載ニ依レハ被告ノ代理人辯護士瀧澤音六ハ情ヲ知ラサル第三者トシテ當該告訴状ヲ作成シ且ツ上諏訪區裁判所檢事細谷友成ニ提出シタルノ事實ハ甚タ明白ニシテ被告義平ニ誣告罪ノ犯行アリトシテモ間接ノ正犯也然ラハ原判決ハ事實ノ認定及證據ノ説示ニ於テ理由齟齬ノ不法アル裁判也ト云フニ在レトモ◎被告自ラ告訴状ヲ提出スルモ又代理人ヲシテ之ヲ提出セシムルモ被告カ告訴人トシテ告訴ヲ爲シタル事實ニハ差異アルコトナケレハ原判決ニ於テ代理人ヲ以テ告訴状ヲ提出シタル事實ヲ説示セス單ニ告訴状ヲ該當檢事ニ提出シタル旨ヲ判示シ而シテ記録中ノ告訴状ニ告訴人トシテ被告ノ氏名記載アリト説示シ右事實ヲ認メタル證憑ニ供シタルハ相當ニシテ本論旨ハ理由ナシ
第二點原判決ノ認定シタル被告犯行ノ要旨ハ虚僞ノ事實ヲ記載シ之レヲ上諏訪區裁判所檢事ニ提出シ以テ兼三郎ヲ誣告シタリト云フニ在ルモ誣告罪構成ノ主要事實ハ告訴人ヨリ告訴状ヲ提出スルノ行爲ニ非ラスシテ警察署若クハ檢事局等ノ官署ニ於テ當該告訴ヲ受理スルノ事實ニ在リ然ラハ原判決ノ説示ハ單ニ被告ヨリ告訴ヲ提出シタリトノ事實ノミニテ同檢事局ニ之レヲ受理セラレタリトノ事實ヲ認定セサルハ理由不備ノ不法也ト云フニ在レトモ◎誣告罪ノ成立スルニハ告訴状カ當該搜査官署ニ到達シ搜査官吏ノ閲覽シ得ヘキ状態ニ措カレタルヲ以テ足リ搜査官吏カ之ヲ受理シ搜査ニ著手シタルコトヲ必要トセス故ニ原判決ニ於テ被告カ山田兼三郎ニ對スル虚僞ノ犯罪事實ヲ掲載シタル告訴状ヲ該當檢事ニ提出シタル事實ヲ判示シ之ヲ誣告罪ニ問擬シタルハ理由不備ノ違法アルモノニ非ス本論旨ハ理由ナシ(判旨第七點)
第三點原判決ハ證據説明ノ第六ニ於テ押收ノ三ハ押收ノ四ナル被告ノ判取帳中ノ紙片ト紙質相類以スル……」及「……四月二十八日附受取書ト同年五月一日附受取書トノ間ニ存スル綴目ニ紙片ノ一端殘リ居リテ一葉ノ紙片ヲ切取ルカ又ハ挘リ取リタル如キ形蹟アルトヲ彼是相參酌シテ……」ト説示セラレタルモ説示ニ所謂「相類似スル」ト云ヒ「切取ルカ又ハ挘リ取リタル如キ形蹟アル」ト云フ證據事實ハ證言又ハ鑑定ノ事項ニ屬セスシテ純然タル檢證事項ナリ然ラハ檢證事項ニ關スル採證ハ刑事訴訟法ノ規定ニ準據シタル檢證調書ノ作成ニ依リテ當該事實ヲ記載上ニ明確ナラシメ以テ後日ノ判斷ニ備フヘキ檢證手續キノ證據調ヘヲ履踐スルノ必要アリ然ルニ原審ハ如上ノ訴訟手續キヲ爲サスシテ漫然彼是ノ類似或ハ形蹟存在ナル證據事實ヲ妄斷シテ本件有罪ノ資料ニ供シタルハ不法也ト云フニ在レトモ◎公判廷ニ於テ或物體ヲ實驗スルカ如キ證據調ヲ爲スニ付テハ檢證調書ヲ作成スルコトヲ要セサルハ勿論公判始末書ニ裁判所ノ實驗ニ因リ得タル判斷ノ結果ヲ記載セシムヘキモノニ非ス裁判所ハ右證據調ノ結果ヲ他ノ證據ト共ニ綜合判斷ノ資料ニ供スルヲ以テ足ル本論旨ハ理由ナシ(判旨第八點)
第四點原判決ノ證據中ニ(六)押收ノ三ナル山田兼三郎記名金十二圓ノ受取書ニ大正二年四月二十九日ノ日附記載アリテ其紙片ハ押收ノ四ナル被告ノ判取帳中ノ紙片ト紙質相類似スルノミナラス……」トノ説示ハ押收ノ三ト押收ノ四トヲ別箇ニ採證シタルノ趣旨ニ非ラスシテ押收ノ三ト同四トヲ相對照シテ類似シタル事實ヲ採證シタルモノ也然ラハ之レカ證據調ヲモ亦タ單ニ押收ノ三ト押收ノ四トヲ各別ニ示シテ被告ノ辯解ヲ聞クノミニ止マラス更ラニ進ンテ押收ノ三ト四ノ相類似シタリトノ證據調ヘヲ爲スノ必要アルニ拘ハラス事茲ニ出テスシテ有罪ノ證據ニ供シタル原判決ハ不法也ト云フニ在レトモ◎原審公判始末書ニ據レハ同審ニ於テ所論押收ノ三ト押收ノ四ニ付キ被告人ニ對シテ訊問シタル事迹明確ニシテ右兩證憑物件ノ關係ニ付キテモ自ラ訊問セラレタルモノト解シ得ヘク特ニ證據調ノ場合ニ於テ右物件ノ相類似セル點ヲ指斥シテ被告人ノ辯解ヲ徴セサルモ違法ニ非ス本論旨ハ理由ナシ
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十五條ニ依リ主文ノ如ク判決ス
檢事鈴木宗言干與大正三年十一月三日大審院第一刑事部
◎判決要旨
- 一 証憑物件が公判に顕出せられたる以上は被告人其他訴訟関係人に於て之を実験し得べき状態に措かれたるものなれば該物件の特殊なる徴候を罪証に供する場合と雖も特に其徴候を指摘し被告人に示さざればとて証拠調を為したるものと謂ふに妨なし。
(判旨第五点)
- 一 誣告罪の成立には告訴状が当該捜査官署に到達し捜査官吏の閲覧し得べき状態に措かるるを以て足り該官吏之を受理して捜査に著手したることを要せず。
(判旨第七点)
- 一 公判廷に於て或物体を実験するが如き証拠調を為すには検証調書を作成することを要せざるは勿論公判始末書に裁判所の実験に因りて得たる判断の結果を記載せしむべきものに非ず(判旨第八点)
右誣告被告事件に付、大正三年八月十日東京控訴院に於て言渡したる判決に対し被告は上告を為したり。
因で判決すること左の如し
理由
本件上告は之を棄却す
弁護人渡辺澄也上告趣意書第一点本件の被害者山田兼三郎は被告に金四十八円の貸金残額ありと称して大正二年五月十九日に上諏訪区裁判所に支払命令を申請し被告は之に対して異議の申立を為したるより訴訟事件として同庁に繋属し数回口頭弁論を経たる後被告敗訴の判決を言渡されたるを以て被告は該判決に貸して控訴を為し長野地方裁判所に繋属中被告は山田兼三郎に対して詐欺の告訴を提起したること一件記録並に添附の民事訴訟記録に徴して明白なり。
従て山田兼三郎の請求にして正当なれば被告は山田兼三郎より金六十円を借入るるの際騙取するの意思ありしものが否らざれば請求を受くるに当り欺罔手段を以て不法に債務を免がれんとしたる詐欺の所為あるものなれば山田兼三郎より被告に係る民事訴訟の関係に於て山田兼三郎は所謂民事原告人に相当すべきものとす。
蓋し民事原告人とは犯罪に依り生じたる損害の賠償又は賍物の返還を目的として訴訟を提起したる者を総称し訴訟の基本たる犯罪が既に被告事件として起訴せられたると否とは之を問ふの必要なければなり。
是故に山田兼三郎は証人たるの資格なきに拘はらず大正三年三月十日同人を証人として訊問したる予審調書を断罪の資料に供したる原判決は採証の法則に違背する不法あるものと信ずと云ふに在れども◎証人山田兼三郎が被告人に対して所論の如き民事訴訟を提起せる事実あるも右訴訟は本件の誣告行為に因りて生じたる損害の賠償を目的とせるものに非ざれば刑事訴訟法第百二十三条に所謂民事原告人に該当せず。
然らば予審に於て証人山田兼三郎を宣誓せしめて訊問したるは相当にして右証人予審調書を罪証に供したる原判決は違法に非ず本論旨は理由なし。
第二点原判決は押収の一山田兼三郎名義判取帳の「。
但自転車荷受に付、三日間時借」との記載を断罪の証拠に採用せるも右は被告に於て之を記載しながら事実を虚構し金円を借受けたることなしとして山田兼三郎を誣告したる証拠に供したるものなるや将た其他の事実を証明するものなるや之を知るに由なし。
乃ち原判決は此点に於て証拠理由不備の不法あるものと信ずと云ふに在れども◎所論証憑は誣告の事実を証明する資料に供したるものなること明なれば本論旨は理由なし。
第三点原判決は押収の三と押収の四とは紙質相類似するのみならず印刷せる輪廓を比較すれば全く同一なりと説明して断罪の証拠に採用せり。
然るに両押収物件は其紙質相異なるのみならず印刷せる輪廓は互に長短の差ありて同一に非ざること寔に明白なるに拘はらず前示の如く判示せる原判決は証拠の法則に違背する不法あるものと信ずと云ふに在れども◎本論旨は原審の職権に属する証拠判断の当否を論争するものにして適法の上告理由と為らず
第四点原判決は「被告は云云兼三郎は告訴人を相手取り貸金請求訴訟を提起し前掲変造の判取帳を該事件の証拠として同庁に提出し」と認定せるも之に対する証拠を説明せざるを以て証拠理由不備の不法あるものと信ずと云ふに在れども◎原判決の証拠説明(四)に於て記録中の詐欺罪告訴状に判示同趣旨の犯罪事実記載しある旨説示しあるを以て本論旨は謂はれなし
第五点原判決は押収の四に一葉の紙片を切取るか又は挘取したる如き形蹟ありと説明せるも原判決に所謂形蹟は如何なる事実の証拠に供したるものなりや又形蹟は如何なる方法に依り証拠調を為したるや之を知るに由なければ原判決は爰点に於て証拠の法則に違背する不法あるものと信ずと云ふに在れども◎証憑物件が公判に顕出せられたる以上は裁判所は無論被告人其他訴訟関係人に於て之を実験し得べき状態に措かれたるものなるを以て証憑物件の特殊なる徴候を罪証に供する場合と雖も特に其徴候を指摘して之を被告人に示さざるも証拠調を為したるものと謂ふに妨げなきのみならず所論押収の四が被告人に示され所論形蹟の存在に付き訊問ありたること原審公判始末書に徴して明なる以上は其一葉の紙片を切取るか又は挘取りたる如き形蹟も自ら証拠調の目的たりしことを認め得べく。
而して右形蹟の存在は之に依りて被告に於て山田兼三郎が被告の判取帳に被告に対する貸金六十円の内入として金十二円の弁済を受領したる旨記載したる部分を破毀したる事実を証し延で被告の誣告罪を断する証憑として設示したること判文上洵に明白なれば本論旨は理由なし。
(判旨第五点)
弁護人布施辰治上告趣意書第一点原判決の認定事実を閲するに被告宮坂義平は自ら山田兼三郎に対する詐欺取財罪の告訴状を作成し且つ直接に上諏訪区裁判所検事局へ該告訴状を提出したるものの如くに判示し尚ほ証拠の援用も亦た同様被告自身に告訴状を作成して検事局へ提出し云云の趣旨即ち被告義平は兼三郎に対する誣告罪を直接に実行したりと説明せられたるも記録第一丁乃至六丁告訴状の記載に依れば被告の代理人弁護士滝沢音六は情を知らざる第三者として当該告訴状を作成し且つ上諏訪区裁判所検事細谷友成に提出したるの事実は甚た明白にして被告義平に誣告罪の犯行ありとしても間接の正犯也然らば原判決は事実の認定及証拠の説示に於て理由齟齬の不法ある裁判也と云ふに在れども◎被告自ら告訴状を提出するも又代理人をして之を提出せしむるも被告が告訴人として告訴を為したる事実には差異あることなければ原判決に於て代理人を以て告訴状を提出したる事実を説示せず単に告訴状を該当検事に提出したる旨を判示し、而して記録中の告訴状に告訴人として被告の氏名記載ありと説示し右事実を認めたる証憑に供したるは相当にして本論旨は理由なし。
第二点原判決の認定したる被告犯行の要旨は虚偽の事実を記載し之れを上諏訪区裁判所検事に提出し以て兼三郎を誣告したりと云ふに在るも誣告罪構成の主要事実は告訴人より告訴状を提出するの行為に非らずして警察署若くは検事局等の官署に於て当該告訴を受理するの事実に在り。
然らば原判決の説示は単に被告より告訴を提出したりとの事実のみにて同検事局に之れを受理せられたりとの事実を認定せざるは理由不備の不法也と云ふに在れども◎誣告罪の成立するには告訴状が当該捜査官署に到達し捜査官吏の閲覧し得べき状態に措かれたるを以て足り捜査官吏が之を受理し捜査に著手したることを必要とせず。
故に原判決に於て被告が山田兼三郎に対する虚偽の犯罪事実を掲載したる告訴状を該当検事に提出したる事実を判示し之を誣告罪に問擬したるは理由不備の違法あるものに非ず本論旨は理由なし。
(判旨第七点)
第三点原判決は証拠説明の第六に於て押収の三は押収の四なる被告の判取帳中の紙片と紙質相類以する……」及「……四月二十八日附受取書と同年五月一日附受取書との間に存する綴目に紙片の一端残り居りて一葉の紙片を切取るか又は挘り取りたる如き形蹟あるとを彼是相参酌して……」と説示せられたるも説示に所謂「相類似する」と云ひ「切取るか又は挘り取りたる如き形蹟ある」と云ふ証拠事実は証言又は鑑定の事項に属せずして純然たる検証事項なり。
然らば検証事項に関する採証は刑事訴訟法の規定に準拠したる検証調書の作成に依りて当該事実を記載上に明確ならしめ以て後日の判断に備ふべき検証手続きの証拠調へを履践するの必要あり。
然るに原審は如上の訴訟手続きを為さずして漫然彼是の類似或は形蹟存在なる証拠事実を妄断して本件有罪の資料に供したるは不法也と云ふに在れども◎公判廷に於て或物体を実験するが如き証拠調を為すに付ては検証調書を作成することを要せざるは勿論公判始末書に裁判所の実験に因り得たる判断の結果を記載せしむべきものに非ず裁判所は右証拠調の結果を他の証拠と共に綜合判断の資料に供するを以て足る。
本論旨は理由なし。
(判旨第八点)
第四点原判決の証拠中に(六)押収の三なる山田兼三郎記名金十二円の受取書に大正二年四月二十九日の日附記載ありて其紙片は押収の四なる被告の判取帳中の紙片と紙質相類似するのみならず……」との説示は押収の三と押収の四とを別箇に採証したるの趣旨に非らずして押収の三と同四とを相対照して類似したる事実を採証したるもの也然らば之れが証拠調をも亦た単に押収の三と押収の四とを各別に示して被告の弁解を聞くのみに止まらず更らに進んで押収の三と四の相類似したりとの証拠調へを為すの必要あるに拘はらず事茲に出でずして有罪の証拠に供したる原判決は不法也と云ふに在れども◎原審公判始末書に拠れば同審に於て所論押収の三と押収の四に付き被告人に対して訊問したる事迹明確にして右両証憑物件の関係に付きても自ら訊問せられたるものと解し得べく特に証拠調の場合に於て右物件の相類似せる点を指斥して被告人の弁解を徴せざるも違法に非ず本論旨は理由なし。
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条に依り主文の如く判決す
検事鈴木宗言干与大正三年十一月三日大審院第一刑事部