大正二年(れ)第二一七二號
大正二年十二月十九日宣告
◎判決要旨
- 一 賭博罪ハ偶然ノ輸贏ニ開シテ財物ヲ賭シ賭事又ハ博戲ヲ爲シタル事實アレハ直ニ完成スルモノナルヲ以テ縱令賭博ノ實行ニ著手シ未タ勝敗ヲ決スルニ至ラス若クハ勝敗ヲ檢スルコト能ハサリシトスルモ賭博罪ハ未遂状態ニ在ルモノニ非ス
右賭博場開張及賭博被告事件ニ付大正二年十月十日甲府地方裁判所ニ於テ言渡シタル判決ニ對シ被告ハ上告ヲ爲シタリ因テ判決スル左ノ如シ
理由
本件上告ハ之ヲ棄却ス
辯護人絲山貞規上告趣意書第一點原判決ノ被告カ賭博場ヲ開張シタル行爲ナリトシテ説明セル處ヲ見ルニ(判決理由第二)「被告ハ右齊木三四郎方ニ右ノ賭博ヲ爲ス場所ヲ開キ前掲ノ賭博ヲ爲サシメ」云云トアルニ止マリ如何ニ之ヲ開張シタルヤニ付キ具體的ノ説明ヲ缺如ス思フニ刑法第百八十六條第二項ニ所謂「賭博場開張ノ行爲ハ」單ニ賭博ノ場所ヲ供給シタル而已ニ止マラス賭博者ヲ誘引シ以テ賭博行爲ニ機會ヲ與フルコトヲ其成立ノ要件ト爲ス(此要件ノ缺如スルトキハ之レ唯從犯タルニ止マル而己)然ラハ判決ニ犯罪事實ヲ摘示スルニ當リテハ一方具體的ニ賭房供與ノ事實ヲ説明スルト同時ニ他方ニ於テ開張ノ事實ヲモ亦特定的ニ指示セサル可カラス何トナレハ刑事訴訟法第二百三條ニ所謂「罪トナル可キ事實」ハ犯罪事實ヲ特定的ニ指示シ以テ他ノ犯罪事實ト區劃ス可キ程度ニ至ラサル可カラサルヲ以テナリ然ルニ原審判決ト前陳ノ如ク單ニ供與シタル賭博場ヲ特定(即チ齊木方)シタルニ止マリ本罪ノ構成要件ノ一タル開張ノ事實即チ賭博者ヲ誘引シテ之ニ機會ヲ與ヘタル事ニ付キテハ毫モ具體的ニ指示スル所ナク單ニ「賭博場ヲ開キ」ト云フカ如キ漠然タル抽象的説明ノミニ止マリタルハ全ク刑法第百八十六條第二項ノ犯罪事實ヲ特定スルニ由ナキモノニシテ明カニ右刑事訴訟法第二百三條ノ法則ニ違背スト云フニ在レトモ◎刑法第百八十六條第二項ノ賭場開張ノ罪ハ賭博者ニ賭博ヲ爲スヘキ一定ノ場所ヲ供給シ其實行ヲ容易ナラシムルニ因リテ利益ヲ圖ルコトヲ以テ犯罪構成ノ要件ト爲スカ故ニ右事實ノ判示シアル以上ハ其以外ニ特殊ノ方法ヲ以テ賭博者ヲ誘引シタル事實ノ如キハ之ヲ説示スルノ要ナシ故ニ原判決ニ於テ被告カ賭博ヲ爲ス場所ヲ設備シ之ヲ賭博者ニ供與シテ賭博ヲ爲サシメ一定ノ手數料ヲ徴シテ利益ヲ圖リタル事實ヲ認定シ刑法第百八十六條第二項ヲ以テ之ニ問擬シタルハ相當ニシテ所論ノ如キ理由不備ノ違法アルモノニ非ス本論旨ハ理由ナシ
第二點假リニ前陳ノ點ニ違法ナシトスルモ更ニ原審カ右賭博開張ノ事實ヲ認メタル證據説明ヲ閲スルニ原判決カ此點ノ證據トシテ援用シタル被告ノ原審公廷ニ於ケル申立全部ヲ通覽スルモ一モ賭場開張ノ事實ニ資ス可キ證據アルナシ唯其申立全部ヲ綜合シテ考覈推究スルトキハ被告カ齊木方ニ於テ屡々數人ヲ相手トシテ賭博ヲ爲シタル事實ヲ窺フニ足ルヘキノミ然カモ如斯證據ハ本罪(第百八十六條二項)ニ對シテハ何等ノ立證ヲ供スルモノニ非ス證據ノ判斷ハ素ヨリ事實審ノ專權ニ屬スト雖モ之ヲ判決理由ニ明示スルニハ事實ノ證明ニ推理セシム可キ適當ナル證據材料ヲ擧示セサル可カラス然ラサレハ遂ニハ徒ラニ臆斷ニ流レ刑事訴訟法第二百三條ニ所謂證據ニ依リ之ヲ認メタル理由ヲ明示スルノ法意ニ背戻スルニ至ラン是レ豈認容スルヲ得可ケンヤ然ルニ原判決ハ全全賭場開張ノ事實ニ資スヘキ證據ヲ缺如シタルニモ拘ハラス濫リニ此事實ヲ認定シタルハ即チ之ヲ認メタル理由ヲ示ササルノ誤謬アルモノニシテ到底理由ノ不備アルヤ免カル可カラスト云フニ在レトモ◎原判決ハ原審ニ於ケル視告ノ供述及ヒ第一審公判始末書中被告ノ供述記載ヲ援引シ所論判示第二事實ヲ認定セル理由ヲ説明シアルヲ以テ本論旨ハ理由ナシ
第三點原審ハ數囘ノ賭場開張ノ行爲ニ付前後意思ノ繼續アルモノト認定シ之ニ刑法第五十五條ヲ擬セリ然レトモ原判決ハ此點ニ關シテモ亦證據説明ノ欠缺アルヲ見ルヘシ「被告ノ賭博」及ヒ「賭場開張ノ事實」ニ關スル原審ノ證據説明ヲ見ルニ被告ノ原審公廷ニ於ケル申立ヲ援用シテ之ヲ證セリ然レトモ「意思繼續」ノ點ニ關シテハ一モ之ヲ援用セサルヲ以テ此點ニ關スル證據ハ全全之ヲ逸シタルモノノ如シ假リニ一歩ヲ讓リ如斯説明ナシトスルモ數囘同一行爲ヲ反覆シタルノ證憑ヲ綜合スルトキハ自ラ其間意思ノ繼續ヲ認定スルニ足ルモノト爲シタル結果特ニ此點ノ説明ヲ省キタルモノト解センカ然レトモ同一行爲ノ反覆ハ單ニ連續犯ノ客觀的方面ノ要件タルニ過キス此事實アルカ爲メ常ニ主觀的方面ノ要件タル意思繼續ヲ論定スルノ謬意タルハ敢テ識者ヲ待タスシテ容易ニ辯ス可キヲ信スルナリ果シテ然ラハ原審ハ尚此點ニ於テモ亦理由ノ不備アルヲ辭ム能ハスト云フニ在レトモ◎原判決ハ前項説明ニ説示セル各證憑ヲ綜合シテ所論判示第二事實カ繼續ノ意思ニ出テタル事實ヲ判定シタルモノト認メ得ヘキヲ以テ本論旨ハ理由ナシ
第四點原判決理由ノ第一事實中(二)ト(三)ハ「被告之カ相手方トナリ右ポンキト稱スル賭博ヲ爲シ金治郎ノ勝トナリ」ト摘示シ東京取引所相場ノ入電ニ依テ勝敗ヲ決セシヤ將亦他ノ方法ニ因テ勝敗ヲ決セシヤ其方法ヲ明示セス((一)ト(四)ノ事實ニ付テハ其方法ヲ明示シアルニ不拘)而シテポンキナル言句ハ原審カ其前段ニ於テ自ラ説明スルカ如ク損失ヲ證據金丈ニ限定シタル薄敷ノ一方法即チ證據金納入ノ方法ナリ賭博其モノノ種類ニ非サル事明カナリ即チ理由不備ノ判決ナリト云フニ在リ◎因テ原判決ヲ按スルニ所論判示ハ頗ル簡畧ニ失スルノ憾ナキニ非スト雖モ其趣旨ハ原判決冒頭ニ掲記セル賭博ノ方法ニ依リ申込ヲ受ケタル場節以後ニ於ケル或場節ノ相場ノ昂騰ニ因リテ相手方ノ勝ニ歸シタル事實ヲ認定シタルモノト解シ得ヘキヲ以テ原判決ハ所論ノ如ク理由不備ノ違法アルモノニ非ス何トナレハ刑法第百八十五條ノ賭博罪ハ財物ヲ以テ偶然ノ事由ニ因リ輸贏ヲ決スヘキ博戲又ハ賭事ヲ爲スニ因リテ成立スルヲ以テ賭博罪ヲ認定スルニハ如上事實ヲ判示スルヲ以テ足リ博戲又ハ賭事ノ方法ニ關スル内容ノ詳細ヲ説示スルコトヲ必要トセサレハナリ本論旨ハ理由ナシ
第五點原審第一事實中(五)ト(六)ハ共ニ云云薄敷ト稱スル賭博ヲ爲シタルモ勝敗ヲ決スルニ至ラスト摘示シアリ其勝敗ヲ決スルニ至ラサリシ事情ハ何レノ邊ニアルヤ如何ナル理由ノ爲メニ未遂ナリシヤ明白ナラス同シク理由不備ノ判決ナリト云フニ在レトモ◎賭博罪ハ偶然ノ輸贏ニ關シテ財物ヲ賭シ賭事又ハ博戲ヲ爲シタル事實アレハ直ニ完成シ輸贏ノ決定スルコトヲ必要トセサルヲ以テ縱令賭博ノ實行ニ著手シ未タ勝敗ヲ決スルニ至ラス若クハ勝敗ヲ決スルコト能ハサリシトスルモ賭博罪ハ未遂状態ニ在ルモノニ非ス故ニ原判決ニ於テ所論判示第一ノ(五)及ヒ(六)ニ於テ賭博ニ付キ勝敗ヲ決スルニ至ラサリシ事實ヲ認定シタルハ之ヲ以テ賭博ノ未遂ト判定シタル趣旨ニ非サレハ勝敗未決ノ理由ヲ説示セサルモ理由不備ノ違法アルモノ非ス本論旨ハ理由ナシ
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十五條ニ依リ主文ノ如ク判決ス
檢事鈴木宗言干與大正二年十二月十九日大審院第一刑事部
大正二年(レ)第二一七二号
大正二年十二月十九日宣告
◎判決要旨
- 一 賭博罪は偶然の輸贏に開して財物を賭し賭事又は博戯を為したる事実あれば直に完成するものなるを以て縦令賭博の実行に著手し未だ勝敗を決するに至らず若くは勝敗を検すること能はざりしとするも賭博罪は未遂状態に在るものに非ず
右賭博場開張及賭博被告事件に付、大正二年十月十日甲府地方裁判所に於て言渡したる判決に対し被告は上告を為したり。
因で判決する左の如し
理由
本件上告は之を棄却す
弁護人糸山貞規上告趣意書第一点原判決の被告が賭博場を開張したる行為なりとして説明せる処を見るに(判決理由第二)「被告は右斎木三四郎方に右の賭博を為す場所を開き前掲の賭博を為さしめ」云云とあるに止まり如何に之を開張したるやに付き具体的の説明を欠如す思ふに刑法第百八十六条第二項に所謂「賭博場開張の行為は」単に賭博の場所を供給したる而己に止まらず賭博者を誘引し以て賭博行為に機会を与ふることを其成立の要件と為す(此要件の欠如するときは之れ唯従犯たるに止まる而己)然らば判決に犯罪事実を摘示するに当りては一方具体的に賭房供与の事実を説明すると同時に他方に於て開張の事実をも亦特定的に指示せざる可からず。
何となれば刑事訴訟法第二百三条に所謂「罪となる可き事実」は犯罪事実を特定的に指示し以て他の犯罪事実と区劃す可き程度に至らざる可からざるを以てなり。
然るに原審判決と前陳の如く単に供与したる賭博場を特定(即ち斎木方)したるに止まり本罪の構成要件の一たる開張の事実即ち賭博者を誘引して之に機会を与へたる事に付きては毫も具体的に指示する所なく単に「賭博場を開き」と云ふが如き漠然たる抽象的説明のみに止まりたるは全く刑法第百八十六条第二項の犯罪事実を特定するに由なきものにして明かに右刑事訴訟法第二百三条の法則に違背すと云ふに在れども◎刑法第百八十六条第二項の賭場開張の罪は賭博者に賭博を為すべき一定の場所を供給し其実行を容易ならしむるに因りて利益を図ることを以て犯罪構成の要件と為すか故に右事実の判示しある以上は其以外に特殊の方法を以て賭博者を誘引したる事実の如きは之を説示するの要なし。
故に原判決に於て被告が賭博を為す場所を設備し之を賭博者に供与して賭博を為さしめ一定の手数料を徴して利益を図りたる事実を認定し刑法第百八十六条第二項を以て之に問擬したるは相当にして所論の如き理由不備の違法あるものに非ず本論旨は理由なし。
第二点仮りに前陳の点に違法なしとするも更に原審が右賭博開張の事実を認めたる証拠説明を閲するに原判決が此点の証拠として援用したる被告の原審公廷に於ける申立全部を通覧するも一も賭場開張の事実に資す可き証拠あるなし唯其申立全部を綜合して考覈推究するときは被告が斎木方に於て屡屡数人を相手として賭博を為したる事実を窺ふに足るべきのみ然かも如斯証拠は本罪(第百八十六条二項)に対しては何等の立証を供するものに非ず証拠の判断は素より事実審の専権に属すと雖も之を判決理由に明示するには事実の証明に推理せしむ可き適当なる証拠材料を挙示せざる可からず。
然らざれば遂には徒らに臆断に流れ刑事訴訟法第二百三条に所謂証拠に依り之を認めたる理由を明示するの法意に背戻するに至らん是れ豈認容するを得可けんや然るに原判決は全全賭場開張の事実に資すべき証拠を欠如したるにも拘はらず濫りに此事実を認定したるは。
即ち之を認めたる理由を示さざるの誤謬あるものにして到底理由の不備あるや免がる可からずと云ふに在れども◎原判決は原審に於ける視告の供述及び第一審公判始末書中被告の供述記載を援引し所論判示第二事実を認定せる理由を説明しあるを以て本論旨は理由なし。
第三点原審は数回の賭場開張の行為に付、前後意思の継続あるものと認定し之に刑法第五十五条を擬せり。
然れども原判決は此点に関しても亦証拠説明の欠欠あるを見るべし「被告の賭博」及び「賭場開張の事実」に関する原審の証拠説明を見るに被告の原審公廷に於ける申立を援用して之を証せり。
然れども「意思継続」の点に関しては一も之を援用せざるを以て此点に関する証拠は全全之を逸したるものの如し仮りに一歩を譲り如斯説明なしとするも数回同一行為を反覆したるの証憑を綜合するときは自ら其間意思の継続を認定するに足るものと為したる結果特に此点の説明を省きたるものと解せんか。
然れども同一行為の反覆は単に連続犯の客観的方面の要件たるに過ぎず此事実あるか為め常に主観的方面の要件たる意思継続を論定するの謬意たるは敢て識者を待たずして容易に弁す可きを信ずるなり。
果して然らば原審は尚此点に於ても亦理由の不備あるを辞む能はずと云ふに在れども◎原判決は前項説明に説示せる各証憑を綜合して所論判示第二事実が継続の意思に出でたる事実を判定したるものと認め得べきを以て本論旨は理由なし。
第四点原判決理由の第一事実中(二)と(三)は「被告之が相手方となり右ぽんきと称する賭博を為し金次郎の勝となり」と摘示し東京取引所相場の入電に依て勝敗を決せしや将亦他の方法に因で勝敗を決せしや其方法を明示せず((一)と(四)の事実に付ては其方法を明示しあるに不拘)。
而してぽんきなる言句は原審が其前段に於て自ら説明するが如く損失を証拠金丈に限定したる薄敷の一方法即ち証拠金納入の方法なり。
賭博其ものの種類に非ざる事明かなり。
即ち理由不備の判決なりと云ふに在り◎因で原判決を按ずるに所論判示は頗る簡略に失するの憾なきに非ずと雖も其趣旨は原判決冒頭に掲記せる賭博の方法に依り申込を受けたる場節以後に於ける或場節の相場の昂騰に因りて相手方の勝に帰したる事実を認定したるものと解し得べきを以て原判決は所論の如く理由不備の違法あるものに非ず何となれば刑法第百八十五条の賭博罪は財物を以て偶然の事由に因り輸贏を決すべき博戯又は賭事を為すに因りて成立するを以て賭博罪を認定するには如上事実を判示するを以て足り博戯又は賭事の方法に関する内容の詳細を説示することを必要とせざればなり。
本論旨は理由なし。
第五点原審第一事実中(五)と(六)は共に云云薄敷と称する賭博を為したるも勝敗を決するに至らずと摘示しあり其勝敗を決するに至らざりし事情は何れの辺にあるや如何なる理由の為めに未遂なりしや明白ならず同じく理由不備の判決なりと云ふに在れども◎賭博罪は偶然の輸贏に関して財物を賭し賭事又は博戯を為したる事実あれば直に完成し輸贏の決定することを必要とせざるを以て縦令賭博の実行に著手し未だ勝敗を決するに至らず若くは勝敗を決すること能はざりしとするも賭博罪は未遂状態に在るものに非ず。
故に原判決に於て所論判示第一の(五)及び(六)に於て賭博に付き勝敗を決するに至らざりし事実を認定したるは之を以て賭博の未遂と判定したる趣旨に非ざれば勝敗未決の理由を説示せざるも理由不備の違法あるもの非ず本論旨は理由なし。
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条に依り主文の如く判決す
検事鈴木宗言干与大正二年十二月十九日大審院第一刑事部