詐欺竝附帶私訴ノ件

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大審院刑事判決録（刑録）19輯1223頁

本件公訴の上告は之を棄却す

原審の私訴判決は之を破毀す

民事被告人の控訴は之を棄却す

私訴に関する費用は全部民事被告人の負担とす。

被告七吉上告趣意書第一点原院の判決は証拠に背反して事実を上告人の不利に認定したる誤判のみならず上告人に対し有罪の裁判を下し乍ら[ながら]其理由を示さざりし違法ある裁判なり。 判文理由の部に第八十八銀行金三十五円払込額面金五十円の株券にして一株の価額金七円以上十円以下のもの十株を一株金二十円の価額ありと詐り胤治を欺き之を金二百円の計算にて同人に交付し以て其差額に対する支払義務を免れ不法に利得したるものとすと論断せられあるも是全く相被告たる高橋左平の行為に係る事取の裁断に止まり左平が如斯[かくのごとき]貸金引渡上差額に対する支払の義務を免れ不法の利得を得たる事ありとするも上告人は胤治に支払ふべき義務を有する者にあらず。 故に差引差額の引渡を免るると云ふ[いう]事あるべからず。 実際厘毛不法の利得を得る事なきは左平の第二審の申立に於て明白なる所なり。 況んや上告人は支払義務を免ると云ふ[いう]義務を負はざる者なるをや故に左平が其支払ふべき義務を免れ不法の利得を得たりとするも上告人は如何[いかん]なる筋合により支払ふ義務を免れたる者となる歟又如何[いかん]なる理由にて不法の利得を得たる者となるか上告人を有罪と論断せられたる裁判の理由を示されざるべからず。 然るに一言茲に[ここに]及ぶなきは所謂裁判に理由を示さざる違法の判決たるを免れざるなりと云ふ[いう]に在れども◎原判決は被告七吉は左平と共謀の上所論の犯罪行為を遂行したることを認定したるものにして既に共謀の事実ある以上は支払義務を免れたる者は左平にして七吉自ら支払義務を免れたることなく又犯罪の実行に干与したることなしとするも正犯の罪責を免るることを得ざるものなれば原判決は七吉を有罪としたる理由の説示に欠くる所なし。 其他は原審の職権を以て為したる証拠の判断及事実の認定を非難するものなれば本論旨は上告の理由なし。

第二点原院判決理由の第一被告左平は明治四十四年一月初旬頃居村千葉胤治より被告七吉の周旋を以て胤治の妻つね所有に係る同村字館六十八番畑（中略）を担保として金三百五十円借用方の申込を受け自分妻の弟高橋喜久平名義を以て貸与す[くみす]べき旨の予約を為したるより胤治はつねの承諾を得同月十日附金借人つね保証人胤治名義にて喜久平に宛で前示不動産を抵当と為したる金三百五十円の借用証書を作り同月十一日一関区裁判所千厩出張所に於て之が抵当権設定登記を経由し翌十二日該借用証書を被告左平の住所に持参し左平は該借用証書を受取り内金七十円を胤治に貸付け次で同月十四日同所に於て残金の受授を為すに当り被告両名共謀の上左平が其処分方を依頼せられ居たる高橋喜久平所有一関第八十八銀行金三十五円払込額面金五十円の株券にして一株の価格金七円以上十円以下のもの十株を一株金二十円の価格ありと詐り胤治を欺き之を金二百円の計算にて同人に交付し以て其差額に対する支払義務を免れ不法に利得を得たるものとすと論断せられ恰も[あたかも]上告人七吉が左平と共謀し胤治を欺き株券を受取らしめたるものと論断せられあり如此[かくのごとき]は其真相を誤認せられ以て上告人に犯罪ありとし所謂適用すべからざる法則を不当に適用せられたる違法の裁判なり。 其不法なりとする要点を挙くれば本案の真相たる上告人は胤治に頼まれ金員借用の事を左平に申込みたるものにして左平に於て喜久平の名を以てずるも初め三百五十円を貸す事を諾したれば胤治は妻つねと談し其不動産を抵当とし登記を経たる借用証書を作成し之を左平に交付し右金員を借受けんと為したるに左平取調を行ひたるに抵当物件一番抵当等ありて不少負債あるを発見し抵当不足なれば三百五十円は貸しかたしと云ひ三百二十円を貸す事となり胤治之を承諾したるに左平其際金員なく横浜よりの送金を待で之を中貸すべしと云ふ[いう]も胤治支払急迫あり之を要する金額の貸渡を求め茲に[ここに]左平は少額の現金あり又一の関八十八銀行の株券あり之ならば貸してもよしとの事なりしに胤治は此株券を借り融通するの方法あるべしとて之を借る事を請求し額面五十円にて三十五円の払込あり一時一株二十円に売買せし事ありと云ふ[いう]により之を二十円として十株を二百円にし三百二十円に対し一割の手数料を引き猶ほ[なお]登記費用立替等胤治に渡したる分を計算し現金七十余円を相渡し以て貸借を完結したる者にして胤治は此株券を受取り直に之を大友玉治に差向額面の五十円に交付せん事を譲りたるも玉治は之を背せず為に止むなく松川喜代平に抵当として金を借り使用せしものにて此間上告人は些の欺罔手段等為したることなく胤治は全然株券は融通の方ありとして合意上之を引受け一点意思に錯誤あるにあらず。 此の如くなれば上告人は左平と共謀等の事なく左平其初に取調を受くるに当り一割の天引を為したることを蔽はんと図り為に此金額に対し種種異様の申立を為し究追を受くるに到り上告人の貸金を差引きたるなと虚偽の遁辞を行ひたる為め上告人にも嫌疑を被り諊訊最も峻酷なりし為め上告人も一時自ら免るるの急に迫り左平に頼まれ現金を渡したるものなりとの申立を為したる事あるも之れ全く急迫を避け不幸の認定を免れんか為め事実なき事を申立てたるなり。 如此[かくのごとき]胤治が株券を二百円として受取りたるは合意の上に出錯誤あるにあらざるなり。 然るを奥ち教唆する者あり先の合意を打消し欺罔に罹りたりと変し告訴したるは胤治の誣告[ぶこく]なるに事実の審理此真相を察知せられず上告人を左平と共謀欺きたるものとせられ有罪に論断せられたるは採証法を誤り事実を上告人の不利に認定せし違法の裁判なりと云ふ[いう]に在れども◎右は原審の職権を以て為したる証拠の取捨判断及事実の認定を論断し延で原判決の擬律を攻撃するものにして上告の理由とならず

第三点原院判文採証の部に於て千葉胤治第二回公判始末書及第一回上告人の供述左平警察官聴取書千葉つね調書高橋喜久平調書松川喜代平調書村井広顕調書長畑正三郎調書千葉胤治第一回調書上告人第三回調書佐藤徳蔵鑑定書等を証拠とし之を採聚せられあり。 然るに是等総で左平の行為に関する証拠にして此中上告人に関係あるは僅かに村井広顕の申立に左平は実際三百二十円渡したるにあらず。 株券にて二百円現金にて七十円渡し残り五十円は七吉に貸したる二十円三十円二口の債務を胤治に於て引受けたるものなりと申したるを以て云云又長畑正三郎の申立に左平に対し三百五十円の債務に付、交渉したるに同人は担保の土地に一番抵当ある為め三十円は手元に控へ置き株券にて二百円現金にて七十円渡し橋本七吉の債務五十円を差引き計算したるものなりと申すを以て其由を胤治に知らせたり。 然るに胤治は七吉の借債を差引かれたる事なしと云ひ又胤治の調書に左平に交渉せし時にはかかる話あらざりしとの申供あるのみにして是等は曩に左平が一割の天引を隠さんか為め其金額に対し種種構造の遁辞を述べたる為めに嫌疑を受けたる事なれども第二審公廷に於て左平天引事実を申供し右虚構の申立を為したることを自白し其余登記印紙代等立替を計算したるものにて上告人には厘毛の関係なきを明言したる真相なり。 如此[かくのごとき]事案なれば事実の審理として之が認定を下さるべきに此上告人に対し支払ふべき義務を免がれ不法の利得を得たる者と論断せられながら其裁判の理由を明示せられざるは所謂裁判に理由を付せざる違法たるを免がれざるなりと云ふ[いう]に在れども◎原判決に援用したる証拠を綜合[そうごう]すれば被告七吉は被告左平と共謀し本件の犯罪を遂行したることを認むるに難からざれば原判決は犯罪事実を認めたる理由を説示するに於て欠くる所なし。 論旨は証拠の判断に関し原審と意見を異にし原審の職権を以て為したる証拠の判断及事実の認定を非難するに過ぎざれば上告の理由なし。

被告左平弁護人青山幾之助上告趣意書第一点原判決は「云云三十五円払込額面金五十円株券にして一株の価額金七円以上十円以下のもの十株を一株金二十円の価額ありと詐はり胤治を欺き之を金二百円の計算にて同人に交付し」云云と判示したり。 然るに其掲くる所の証拠を閲するに被害者たる胤治は右の価額に関し被告の詐欺の行為に因り錯誤に陥りたることの事実を認むべき証拠としては一も見るべきものなし又七円以上十円以下の価額のものならば株券の交付を承諾せざりし事実なること及被害者が其株券を松川喜代平に売切抵当に差入れ百円を借受けたるか其価額ならば之を受取へき意思なかりし等の事実に関し証拠を掲げて之を説明したる判旨を見るべきものなし即証拠に基かずして事実を判定したる不法あるものなりと云ふ[いう]に在れども◎原判決所掲の証拠を綜合[そうごう]すれば所論の事実を認むるに難からざれば原判決は論旨の如き不法なし。

第二点原判決第一有罪を判定したる行為は検事の起訴なき事項に係るものなり。 予審請求書（五〇丁）第一第二の事実同（一三〇丁）第一第二の事実中には包舎せず。 即ち訴なき事件を審判したる不法あるものなりと云ふ[いう]に在れども◎原審は予審請求書（記録五〇丁）所掲の第一事実に関し起訴の範囲内に於て検事と事実の観察を異にしたるに過ぎずして起訴なき事件を審判したるにあらざれば論旨は理由なし。

第三点原判決は……「公訴裁判費用中黒沢源三郎……小野寺善作……に各支給したる分の半額は被告両名の負担とす。」との宣言を為し小野寺善作に対して支給したる費用を被告に負担せしめたり。 然れども[しかれども]小野寺善作に関する其訊問及供述は主文第四項記載の無罪の事件に関するものなること記録上明白なり。 然らば当該訴訟費用は刑事訴訟法第二百一条第二項に依り国庫の負担と為すべきものなるに之を被告に負担せしめたるは不法なりと云ふ[いう]に在れども◎小野寺善作の予審調書を閲するに同人は原判決の有罪と認めたる事件に付ても訊問を受けたるものなれば同人に支給したる裁判費用の半額を有罪となりたる被告両名に負担せしめたる原判決は不法にあらず。

第四点原判決は「被告左平は……第八十八銀行金三十五円払込額金五十円の株券にして一株の価額七円以上十円以下のもの十株を一株金二十円の価格ありと詐り胤治を欺き之を金二百円の計算にて同人に交付し以て其差額に対する支払義務を免れ不法に利得したるものとす。」と判示し価格の点に付ては鑑定人佐藤徳蔵の鑑定書を証拠に供したり。 然れども[しかれども]同鑑定書には単に「七円を相当と認む東磐井郡に於ては右価格の上位にあるは勢の然らしむる所にして…÷」とありて金七円以上なることは之を認むることを得るも十円を最高格とする記載なく果して然らば原判決は其価格を十円と認めたるは何等証拠に基かず漫然言渡したるものにして刑事訴訟法第二百三条に違背する不法の裁判なりと云ふ[いう]に在れども◎原判決の援用したる松川喜代平予審調書中八十八銀行の株券を売切抵当に取り胤治に百円貸付けたる旨の供述記載に依れば該株券一株の最高価格は十円なることを認むるに足るを以て原判決は論旨の如き不法なし。

被告左平弁護人高木益太郎上告趣意書第一点原判決は原審第二回公判始末書中千葉胤治の供述を証拠に援用し「同月十四日左平方に行き残金（借入金の残部）を渡して呉れと云ひたれば同人は所持金なき故八十八銀行の株券一株三十五円払込済みにて目下二十円の価あるもの十株渡さん此株券を松川喜代平方に持参せば金を借り得べく己は先きに行き取り計ひ置くと申すを以て其株券を受取り即日喜代平方に参り金百円を借受け大友玉治に支払ひたり云云」と説明し胤治が喜代平より受取りたる百円は全部大友玉治に支払ひたる旨判示せり。 然るに之を同第二回公判始末書に付きて査閲するに「私は其株券を左平から受取り……喜代平方に参り其株券を抵当にして……金百円を借受けたのであります……問其金を大友玉治に支払を為したるや……答……又喜代平から借受けた内八え穏可価糸し残金は七

吉と東京の方へ書画を売りに行くことにしてまったので其小遣銭として持って居りました。 云云」とありて胤治が喜代平より借受けたる金百円を全部玉治に支払ひたる旨の記載なし。 仍て[よって]惟ふ[おもう]に原判決は虚無の証拠を援用して罪証に供したるの違法あり。 破毀を免がれざるものとすと云ふ[いう]に在れども◎原判

決に金百円を借受け大友玉治に支払ひたりとあるは該金額の全部を支払ひたりとの趣旨にあらず。 即

所論公判始末書記載の千葉胤治の供述と其趣旨に於て異なる所なければ原判決は論旨の如き不法なし。

第二点原判決は上告人左平は金借人千葉つね保証人千葉胤治に対し不動産を抵当として金三百五十円を貸付借用証書を受取り金銭を交付するに当り「内金七十円を胤治に貸付交付し……残金の受授を為すに当り被告両名共謀の上左平所持中の銀行株券一枚の価格七円以上十円以下のもの十株を一株二十円の価ありと詐り胤治を欺き之を二百円の計算にて同人に交付し以て其差額に対する支払義務を免れ不法に利得したるものなる旨」の事実を認定せり。 然るに之を予審請求書につきて観るに被告両名は共謀して千葉胤治が同人妻つね所有の地所を抵当として金三百五十円を貸与す[くみす]ることとし其内金七十円を交付し胤治夫妻より高橋喜久平宛三百五十円の地所抵当借用証書一通を騙取[へんしゅ]したる旨記載あり。 従て原判決は起訴なき事実につき審判を為したるの違法あり。 破毀を免れずと云ふ[いう]に在れども◎其理由なきことは青山弁護人の上告論旨第二点に対する説明に依りて了解すべし。

第三点原判決は其事実理由に於て「胤治はつねの承諾を得同月十日附金借人千葉つね保証人千葉胤治の名義にて高橋喜久平に宛で前示各不動産を抵当としたる金三百五十円借用証書を作り云云」と判

示し該金員借人はつねにして胤治は保証人となりたる事実を認定せり。 然るに同証拠理由中此点に付き説明を与ふる所なし。 従て原判決は証拠に因らずして事実を認定したるの違法あり。 此点に於て破毀を免れざるなりと云ふ[いう]に在れども◎原判決は右借用証書（証第七号）の記載に依りて所論の事実を認定したること判文上明白なれば論旨は理由なし。

第四点原判決は証人小野寺善作に支給したる訴訟費用の半額は被告両名の連帯負担とする旨判示せり。 然るに同証人は被告左平の所為中無罪となりたる部分に付き証人として訊問せられたるものなるが故に此点に関する訴訟費用は国庫の負担たるべく本件に何等の関係なし。 仍て[よって]原判決は刑事訴訟法第二百一条に違背する不法の裁判なりと云ふ[いう]べく此点に於て破毀を免がれざるものとすと云ふ[いう]に在れども◎其理由なきことは青山弁護人の上告論旨第三点に対する説明に依りて了解すべし。

第五点原判決は其事実理由に於て「被告両名共謀の上……八十八銀行金三十五円払込額面五十円の株券にして一株の価格金七円以上十円以下のもの十株を一株金二十円の価格ありと詐り治胤を欺き之を金二百円の計算にて同人に交付し以て其差額に対する支払義務を免れ不法に利得したるものなりとす。」と判示し之に対し刑法第二百四十六条を適用処断したり。 然るに右胤治を欺罔したりとの点につき之を証拠理由につきて観るに原審第二回公判始末書が千葉胤治供述として「十四日左平方に行き残部を渡して呉れと云ひたるに同人は所持金なき故八十八銀行の株券一株三十五円払込済にて目下二十円の価あるもの十株渡さん此株券を松川喜代平に持参せば金を借り得べく己は先に行き取計ひ置くと申すを以て其株券を受取り即日喜代平方に参り金百円を借受け大友玉治に支払ひたり云云」と説明せるのみ然るに胤治が該株券を受取りたることは合意に出でたること明にして、且、該株券を担保として金百円を借受け何等の異議をも止めずして之を受取り大友玉治に支払ひたる点より考察するときは胤治に於て欺罔に陥りたるものと云ふ[いう]を得ず。 既に然りとせば被告左平の所為は胤治同意の上にて為したるものにして胤治を欺罔したるものにあらざるを以て詐欺罪を構成するに由なし。 従て原判決は此点に於て違法なる裁判なり。 破毀を免がれざるものとすと云ふ[いう]に在れども◎原判決所掲の証拠を綜合[そうごう]すれば判示の如く被告が胤治を欺罔したることを認むるに足る論旨は証拠の判断に関し原審と見解を異にし原審の職権を以て為したる証拠の判断及事実の認定を非難するものにして上告の理由と為らず

第六点原判決は佐藤徳蔵作成に係る鑑定書を罪証に供したり。 因で同鑑定書につきて観るに其鑑定事項は「一関町株式会社八十八銀行三十五円払込株券は明治四十四年一月項並に当時西磐井郡東磐井郡地方に於て幾何位の価格なるや」とありて其事項たるや現在の事実にあらずして過去の事実なること明かなり。 既に然りとせば裁判所は佐藤徳蔵をして宣誓を為さしめたる上証人として訊問を為すべきを正当とするに拘はらず事並に出でずして鑑定人として鑑定を為さしめたるは違法なり。 従て斯の如き書証を採で以て断罪の資料に供したる原判決も亦[また]違法なりと謂ふべく破毀を免れざるなりと云ふ[いう]に在り◎因で按ず[あんず]るに証言とは過去に於て実験したる事実の供述を謂ひ鑑定とは学術職業等に依り得たる特別の智能を応用して為したる事実の判断を謂ふものなれば過去の事実と雖[いえども]も学術職業等に依り得たる特別の智能を以て之を判断し其判断の結果を供述するは。 即ち鑑定にして証言にあらず。 所論鑑定書に掲ぐる鑑定事項の趣旨は佐藤徳蔵をして其職業上の智能に依り一関町株式会社八十八銀行三十五円払込五十円株券の西磐井郡及東磐井郡地方に於ける明治四十四年四月頃並に現在の価格を判断せしむるに在りて同人が過去に実験したる事実を問ふものにあらざれば同人を鑑定人としたるは相当にして不法にあらず。 論旨は理由なし。 （判旨第十三点）

第七点原判決は其事実理由に於て「被告両名共謀の上……八十八銀行株券……一株金七円以上十円以下のもの十株を一株金二十円の価格ありと詐り胤治を欺き之を金二百円の計算にて同人に交付し以て其差額に対する支払義務を免れ不法に利得し云云」と判示せり。 然るに之を証拠理由につきて観るに右事実中一株の価格十円以下なる点に対する証拠説明全然之を欠如せり既に然りとせば原判決は証拠に因らずして事実を認定したるものにして違法なり。 此点に於て破毀を免れずと云ふ[いう]に在れども◎其理由なきことは青山弁護人の上告論旨第四点に対する説明に依りて了解すべし。

第八点検事臼居直養予審請求書を観るに記録第五十丁前半葉と第五十一丁前半葉との間に契印を施せり。 然るに刑事訴訟法第二十条に所謂「毎葉に契印すべし。」とは毎葉の相接合せる部分に契印するを以て正当とすべきが故に同請求書は適法の契印なきものとして無効に属す。 従て原審は斯の如き不適法の予審請求に対し公訴不受理の手続に出でずして審理を為したるは違法なり。 破毀すべきものとすと云ふ[いう]に在れども◎契印に二葉の紙片の何れの部分に之を為すも違法と謂ふを得ざれば論旨は理由なし。

第九点原判決は永畑正三郎予審調書を援用し「大正元年旧四月頃千葉胤治の依頼を受け云云」との供述記載ありと判示せり。 然るに同調書につきて観るに「本年九月頃千葉胤治に頼まれ云云」との記載ありて判示の如き大正元年旧四月なる記載なし。 而して[しこうして]此点は犯罪の存否につき重要なる関係を有する点なるが故に斯の如き虚無の証拠を断罪の資料と為したる原判決は不法の裁判なりと謂ふべく此点に於て破毀を免れざるものなりと云ふ[いう]に在り◎因で記録を閲するに永畑正三郎予審調書には問本年九月頃云云答（前略）旧九月頃云云とありて同人が訊問を受けたるは大正元年十二月十二日なれば同人の供述に旧九月とあるは大正元年旧九月を指すこと洵に[まことに]明なり。 原判決は其供述記載を判文に援用するに当り旧九月の「九」を「四」と誤記したるに過ぎざれば之を以て原判決破毀の理由と為すに足らず

第十点相被告並に相弁護人の論旨は之を援用すと云ふ[いう]に在れども◎其理由なきことは相被告並に相弁護人の上告論旨に対する説明に依りて了解すべし。

同被告弁護人渡辺澄也上告趣意書第一点原判決は証人千葉胤治第二回予審調書を断罪の証拠に採用せり。 然るに同証人に対する第一回訊問（大正元年十二月六日）の際は大正元年十一月二十九日の起訴に係る高橋七吉詐欺及文書偽造被告事件（被害者千葉胤治千葉つね）に付き宣誓を為さしめたるに止まり第二回訊問（大正元年十二月十六日）に際し同年十二月九日更に起訴せられたる高橋左平詐欺被告事件（被害者小野寺倉治）に付き身分関係を審査して宣誓を為さしめたる事迹存せざるを以て該調書は証言証拠たるの効力なきものとす。 然るに輙すく採で罪証に供したる原判決は法則に背反する不法あるものと信ず。 （大正二年（レ）第三一一号大正二年三月三十一日大審院第二刑事部判例）と云ふ[いう]に在れども◎甲罪に関し訊問を受けたる証人が同一被告に対する乙罪の起訴ありたる後更に訊問を受けたる場合と雖[いえども]も乙罪の証人として訊問を受けたるにあらずして申罪のみに付き訊問せらるるときは乙罪に関し身分関係を調査し宣誓を為さしむるの要なし。 証人千葉胤治の第二回予審調書を査するに同人は大正元年十一月二十九日の起訴に係る高橋左平及橋本七吉詐欺及文書偽造被告事件のみに付き訊問を受けたるものにして同年十二月九日の起訴に係る高橋左平詐欺被告事件の証人として訊問を受けたるものにあらざれば該事件に付き身分関係を審査し宣誓を為さしめざるは当然にして不法にあらず。 従て該予審調書は無効にあらざれば之を罪証に供したる原判決は不法にあらず。 （判旨第十八点）

第二点原判決は「被告佐平は云云第八十八銀行金三十五円払込額面金五十円の株券にして一株の価格金七円以上十円以下のもの十株を一株金二十円の価格ありと詐り胤治を欺き之を金二百円の計算にて同人に交付して其差額に対する支払義務を免れ不法に利得したるものとす。」と認定せり左れば被告が一株二十円の価格ありとして胤治に交付したる第八十八銀行の株券一株七円以上十円以下に過ぎざる事実は罪の成否を決すべき要点なるが故に証拠に依て之を認めたる理由を説明せざるべからず。 然るに原判決は右に対する証拠として佐藤徳蔵の鑑定書中「一関町株式会社第八十八銀行三十五円払込五十円株券の西磐井郡に於ける明治四十四年一月頃の価格は金七円を相当と認む東磐井郡に於ては右価格の上位にあるは勢のしからしむる所にして本年（大正元年）に至るも価格に変化なき旨」の記載ありと説明せるのみ。 然れども[しかれども]該鑑定書は西磐井郡に於ける八十八銀行株券の価格金七円を相当と認むる旨記載せざるるに止まり被告並に被害者の住所地にして現実株券の受授せられたる東磐井郡に於ては右価格の上位にある旨は該証定書の明かに掲記せる所なるを以て東磐井郡に於ける価格の七円以上十円以下なる事実は遂に之を知ること能はざるに帰著す。 即ち原判決は此点に於て罪となるべき事実を認めたる証拠を説示せざるものにして理由不備の不法あるものと信ずと云ふ[いう]に在れども◎所論鑑定書の記載を原判決に援用せる松川喜代平予審調書の記載と綜合[そうごう]すれば東磐井郡に於ける株券一枚の価格は七円以上十円以下なることを認むるに足るを以て原判決は論旨の如き不法なし。

第三点原判決は被告は第八十八銀行株券の一株の価格金七円以上十円以下のもの十株を一株金二十円の価格ありと詐りて胤治に交付し其差額に対する支払義務を免れたるものと認定せるも被告が実際支払義務を免れたる数額を明示することなく漫然有罪の言渡を為したるは理由不備の不法あるものと信ずと云ふ[いう]に在れども◎原判決の認むる如く一株の価格七円以上十円以下のもの十株を一株金二十円の価額ありと詐はり胤治を欺き之を金二百円の計算にて同人に交付し其差額に対し支払義務を免れたる事実あるに於ては其支払義務を免れたる金額の多少に拘はらず詐欺罪を構成するを以て其金額如何[いかん]は該罪の成立に必要なる事実にあらず。 従て原判決が其数額を明示せざるも不法にあらず。

第四点原判決は第一審第二回公判始末書中千葉胤治の供述として被告より借受けたる金七十円並に喜代平より借受けたる金百円は共に大友玉治に支払ひたる旨の記載ありと説明せり。 然るに該公判始末書中胤治の供述を録取したる部分（記録四四四丁）には「左平から先きに金七十円を受取った内金五円は同人より登記を受けに行く時借りであったので其金を左平に返し其残金六十五円の内六十円は七吉宅で大友玉治に渡し又喜代平から借受けた内八十円も同人に渡し残金は七吉に東京の方へ書画を売りに行く事を申されであったので其小遣銭として持って居りました。」と記載せられ原判決の説明と其趣意を異にす。 即ち原判決は此点に於て証拠の法則に違背する不法あるものと信ずと云ふ[いう]に在れども◎原判決説示の趣旨は金七十円と百円の全部を大友玉治に支払ひたりと云ふ[いう]にあらざれば所論公判始末書の記載と其趣旨に於て異なる所なく論旨は理由なし。

第五点原判決は第一審第一回公判始末書中被告七吉の供述として「私は胤治の依頼を受け三百二十円の受領証を作成し」との旨換言すれば該受領証は全部七吉に於て作成したる趣旨の記載ありと説明せり。 然るに該公判始末書には七吉の供述として「私は千葉胤治の頼を受け三百二十円の受領証を認め其受領証に胤治は名前を書き云云」と記載せられ原判決の説明と其趣旨を異にす乃ち[すなわち]原判決は此点に於て虚無の証拠を罪証に供したる不法あるものと信ずと云ふ[いう]に在れども◎原判決に受領証を作成しとあるは受領証を認めたる趣旨に外ならざれば原判決は論旨の如き不法なし。

第六点原判決は長畑正三郎の予審調書中「大正元年旧四月頃云云胤治は七吉の借債を差引かれたることなく左平と七吉と共謀の上詐はることを云ふ[いう]ものならんと申し居りし旨」の供述載記ありと説明せり。 然るに該調書には「大正元年旧九月初旬頃云云胤治はそんなことはない七吉には却て貸しがあるので左平と七吉かくしてそんなことを云ふ[いう]のたろーと申して居りました。」と記載せらる乃ち[すなわち]原判決は爰点に於て虚無の証拠を罪証に供したる不法あるものと信ずと云ふ[いう]に在れども◎原判決には「甚ることを云ふ[いう]ものならん」とありて「詐はることを云ふ[いう]ものならん」とあることなく又原判決に「旧四月」とある「四」は「九」の誤記なること記録と対照して洵に[まことに]明なれば原判決の説示は所論調書の記載と其趣旨を同うするものにして論旨の如き不法なし。

第七点原判決は高橋喜久平の予審調書中「予で八十八銀行の株券十枚を所有し居りしか前に月二歩の配当ありしのみにて云云」の供述記載ありと説明せるも該調書には「何時が二歩の配当ありたる丈にて云云」と記載せらる乃ち[すなわち]原判決は証拠の法則に違背する不法あるものと信ずと云ふ[いう]に在れども◎原判決には「前に月二歩の配当ありしのみにて殆んど無配当のものなれば」とあるを以て「月」は衍字なること自ら明にして其説示の趣旨は所論調書の記載と同一に帰し論旨の如き不法なし。

第八点原判決に認定せる事実は大正元年十一月二十九日及同年十二月九日に於ける予審請求書の起訴事項に包含せず乃ち[すなわち]原判決は訴を受けざる事件に付き裁判を為したる不法あるものと信ずと云ふ[いう]に在れども◎其理由なきことは青山弁護人の上告論旨第二点に対する説明に依りて了解すべし。

第九点相被告の上告趣意は之を援用すと云ふ[いう]に在れども◎其理由なきことは相被告の上告趣意書に対する説明に依りて了解すべし。

私訴上告人（民事原告人）代理人岡本共次郎私訴上告趣意書第一点原判決は法律を不当に適用したる不法あり。 原判決理由を按ず[あんず]るに「本件貸借が当初より金三百五十円を貸与す[くみす]べしと詐り民事原告人等を欺き抵当権を設定せしめたるものとは認め難し。 然れば詐欺に基く法律行為と認めらるるは単に右株券を不当の高価を以て交付したる点に止まり其以前に行はれたる消費貸借の予約及其予約の履行として為したる金七十円の貸借等は素より完全に成立し毫も[ごうも]瑕疵あることなければ此部分に対する民事原告人の取消の意思表示は何等効力あるものにあらず。 云云」とあり。 然れども[しかれども]消費貸借の予約は単に将来当事者間に於て消費貸借を締結すべき旨を約するに過ぎずして現実に当事者間に貸借関係を発生せしむるは消費貸借締結の時にあり。 而して[しこうして]消費貸借は一の実銭契約にして相手方より金銭其他の物を受取るに因りて其効力を発生することは民法の明に規定する所なり。 故に本件に於ける貸借関係は金七十円並に一の関町第八十八銀行株十株を引渡したる時に成立したるものと謂はざるべからず。 従て当事者の意思表示の瑕疵は右金員及株券を授受したる時に於て決定せざるべからず。 然るに原判決は詐欺に基く法律行為なりと認めらるるは単に右株券を不当の高価を以て交付したるに止まり云云」として意思表示に対する詐欺の事実を認め乍ら[ながら]単に予約に付きての効力のみを認めて判決せられたるは不法なりと云ひ」第二点原判決は金三百五十円の貸借に対し金七十円の授受と株券の授受とを分離して金七十円に対しては毫も[ごうも]瑕疵あることなければ此部分に対する民事原告人の取消の意思表示は何等効力あるものにあらずと判示せられたり。 然れども[しかれども]当事者の意思は当初より金三百五十円を貸与す[くみす]るにあることは公訴判決並に原判決の明に認むる所なり。 抑も法律行為の或部分に付て瑕疵を認め之を取消し得べしとせば、即ち其法律行為自体を取消し得べきものとせざるべからず。 何となれば此点に関しては民法は明文を置かずと雖[いえども]も法律行為の内容は不可分的関係を有するを原則とすればなり。 尤も[もっとも]当事者の意思解釈上又は法律の規定により内容の可分なるものに付ては格別然らざれば一部の取消一部の有効を認むることを得ざるなり。 然るに原判決は当然可分なるが如く判決せられたるは事実の認定並に法律の適用に関し不法あるを免れずと云ふ[いう]に在り◎因で按ず[あんず]るに法律行為に取消の原因存する場合に於ては其取消は法律行為の全部に付き効力を生ずるものにして一部に付き効力を生ずるものにあらず。 従て法律行為の一部に付き詐欺の行はれたる場合と雖[いえども]も法律行為の全部を以て取消の目的と為すべきものにして取消し得べき範囲を詐欺の行はれたる部分のみに限局すべきものにあらず。 原判決に依れば本件は公訴の被告人高橋佐平と訴外千葉胤治との間に民事原告人高橋喜久平の債権者名義民事原告人千葉つねの債務者名義を以て左平より胤治に金三百五十円を貸付すべき旨の消費貸借の予約を為し民事原告人の承諾を得て同人の所有に係る係争不動産上に抵当権を設定し明治四十四年一月十一日之が登記を経由したる上該債務の履行として同月十二日内金七十円を貸渡し同月十四日残金の授受を為すに方に岩手県西磐井郡一関町第八十八銀行金三十五円払込額面五十円の株券にして一株の価格金七円以上十円以下のもの十株を一株金二十円の価格ありと詐り胤治を欺き金二百円の計算にて同人に交付し其差額に対する支払義務を免がれたる事実にして当事者の意思は金三百五十円の消費貸借を為し該金額の全部に対し抵当権を設定するに在りたること洵に[まことに]明なれば其内金七十円の授受は正当に行はれたるも株券の授受に依る二百円の貸渡に付き左平に詐欺の行為ありたる以上は右三百五十円の消費貸借は当事者間に争なき民事原告人及訴外千葉胤治の取消の意思表示に依り全部無効に帰すべきものにして之を分離して株券の授受に依る二百円の貸渡のみ無効となり七十円の貸渡は依然有効に存続するものと為すを得ず。 既に如斯[かくのごとき]主たる消費貸借にして全部無効に帰すべき以上は従たる抵当権は当然無効に帰すべきものなるを以て抵当権者名義なる民事被告人高橋喜久平に於て右抵当権設定登記の抹消登記手続を為すべき義務あるものとす。 然れば原審が右消費貸借の目的物たる金三百五十円中金七十円の貸渡と株券授受に依り二百円の貸渡とを別別に観察し「金七十円の貸借は完全に成立し毫も[ごうも]瑕疵あることなければ此部分に対する民事原告人の取消の意思表示は何等の効力あるものにあらず。 故に株券授受に基く金二百円の貸借関係にして取消に因り無効に帰りたりとするも本訴不動産は其残部金七十円の貸借に基く債権に対し其全部に恒り担保たる羈絆に服するものなるを以て全部該債権の消滅せざる限り之が抹消の請求を為し得べきものにあらず。」と判示し民事原告人の請求を排斤したるは不法にして本論旨は理由あり原審私訴判決は破毀を免れず既に本論旨にして原審私訴判決を破毀すべき理由ある以上は私訴上告人代理人の爾余の論旨に対して説明を与ふるの要なし。 （判旨第二十七点）

以上説明したるが如くなるを以て公訴上告は刑事訴訟法第二百八十五条に依り之を棄却すべきものなるも私訴上告は其理由あるを以て刑事訴訟法第二百八十六条第二百八十七条に準拠し原判決を破毀し当院に於て直に判決を為すべきものとす。 而して[しこうして]原審私訴判決に於て確定したる事実に依れば前項に説明したるが如く民事被告人は民事原告人請求の如く抵当権設定登記の抹消登記の手続を為すべき義務あるを以て第一審判決主文の如く民事被告人に抹消登記の手続を命ずべきものなれば該判決は結局相当にして之に対する民事被告人の控訴は其理由なし。 然れば原審に於て該控訴を棄却すべきものなるに事並に出でさりしは失当なり。 然り、而して[しこうして]第一審の私訴判決相当にして控訴理由なき場合に於て第二審判決を破毀し直に判決を為すべきときは当院は刑事訴訟法第二百六十一条第一項に依り控訴棄却の言渡を為すべきものとす。 因で主文の如く判決す（判旨第二十八点）

検事鈴木宗言干与大正二年十一月十九日大審院第三刑事部