署名僞造及古物商取締法違犯ノ件

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大審院刑事判決録（刑録）19輯338頁

本件上告は之を棄却す

弁護人高木益太郎上告趣意書第一点原判決は其第一事実理由として「被告は中洲三島毅の落款を記入して署名を偽造したり。」と判示し之に対して刑法第百六十七条第一項を適用処断したる。 然れども[しかれども]偽造罪の目的と為るべき印章文は署名は法律事項の証明に関するものたることを要し夫の文人墨客が書画に用ゆる落款の如き毫も[ごうも]法律事項に関係なきものの如きは縦令[たとい]之を偽造するも印章署名偽造罪を構成することなしとは学説判例の一致する所（御院判例印章の偽造とは……他人の事実証明の用に供する文字又は符合を刻せば印顆其物の偽造を完成したる場合をも包含するものとす。 四三年判決録二〇九二頁参照）なり。 然るに原判決が前示の如き事実を認め前示の如き擬律を為したるは違法にして破毀を免れざるものとすと云ふ[いう]に在れども◎偽造の目的たる署名は敢て法律事項の証明に関するものたることを要せず。 苟も行使の目的を以て署名を偽造するに於ては刑法第百六十七条第一項に規定する署名偽造罪の構成に欠くる所なきを以て論旨は理由なし。 （判旨第一点）

第二点原判決は第一事実として「被告は……中洲三島毅の落款を記入して署名を偽造したる」と判示せり。 然れども[しかれども]単に之のみにて其落款が如何[いかん]なる物の上に記入せられたるやを判示することなく漫然之を以て署名偽造なりと為したるは理由不備の違法あるものにして此点に於て破毀せらるべきものとすと云ふ[いう]に在れども◎落款は書画の如き物体に記入するを通例とし原判決には行使の目的を以て云云中洲三島毅の落款を記入して署名を偽造したりとの判示あるを以て或物体に之を記入したるものたることは毫も[ごうも]疑を容れず。 従て原判決は罪となるべき事実の判示として欠くる所あるを見す論旨は理由なし。

第三点原判決は事実理由として「被告は……田淵常次郎と共謀し……中洲三島毅の落款を記入して署名を偽造したり。」と判示せり。 然れども[しかれども]其証拠説明を見るに「被告第一回予審調書に私は……田淵常次郎方に至りたる際同人が中洲の書を書き居たるを見たる故後日手紙を送り中洲の偽筆を送り呉れと頼み置き云云」の供述記載ありと摘示する外上告人が田淵常次郎と偽造を共謀実行したる事跡の見るべきものなく。 而して[しこうして]前記の証拠に依れば上告人は田淵常次郎を教唆して署名を偽造せしめたりとするは格別同人と偽造を共謀実行したりと為すを得ず。 而も原判決が前示の如き認定を為したるは。 即ち事実理由と証拠理由と相齟齬[そご]するの違法あるものにして此点に於て破毀せらるべきものとすと云ふ[いう]に在れども◎原判決判示の各証拠に依り所論事実を認定するは敢て不可能にあらず。 本論旨は証拠解釈に関し原審と見解を異にし究竟原審が職権に基き為したる証拠の解釈並に其綜合[そうごう]判断の結果を批難するに帰するを以て上告理由として適法ならず

第四点原判決は第一事実理由として「被告は……中洲三島毅の落款を記入して署名を偽造したり。」と判示せり。 然れども[しかれども]其証拠理由を見るに「被告第一回予審調書に私は高梁町田淵常次郎方に到りたる際同人が中洲の書を書き居たるを見たる故云云其書には中洲との落款あり云云」藤原則吉予審調書に「……三島中洲の書書き下ろし二枚を……田口清八より買取り其書の落款には中洲の二字を記入しあり云云」の記載ありと判示せり之に由りて見るときは上告人等は三島中洲なる者の落款を偽造したるものなることは之を知るを得べしと雖[いえども]も未だ以て判示の如き現在人たる中洲三島毅氏の落款を偽造したるものなるや否やを知るを得ず。 然るに原判決が前示の如き認定を為したるは証拠に依らずして事実を認定したるの違法ありと云ふ[いう]に在り◎因で按ず[あんず]るに原判決判示の各証拠に依れば論把に掲ぐる三島中洲の落款を偽造したることを推断するに十分にして又判文の解釈上証拠理由に所謂三島中洲と事実理由に所謂中洲三島款とは同一人を指示する称呼なることを認むるを得べく唯三島中洲の本名を毅と称することに付き説明を欠如すと雖[いえども]も此点は犯罪の成否に何等の影響を及ぼすものにあらざるを以て原判決を約毀すべき瑕疵と為すに足らず論旨は理由なし。

第五点本件第一審判決を見るに「被告は……中洲三島毅の落款を記入して書を偽造したり。」と事実を認定したるに対して原判決は「被告は……中洲三島毅の落款を記入して署名を偽造したり。」と認定したり。 即ち第一審判決と原判決とは事実認定を異にするを以て原判決は第一審判決を取消さざるべからざりしに事茲に[ここに]出でず控訴棄却を言渡したるは違法にして此点に趣摯破毀せらるべきものとすと云ふ[いう]に在れども◎第一審判決の判示も署名偽造罪を構成する事実を認めたるに過ぎずして結局原判決の判示と其趣旨を同うするが故に原判決に於て第一審判決を取消さざるは違法にあらず。 論旨は理由なし。

被告第一上告趣意書に縷述する所に要旨は第一点第一審判決書には事実を審理し及び判決を言渡したる裁判所の名を記載せざる不法ありと云ふ[いう]に在れども◎第一審の判決書には所論裁判所名を表示して岡山地方裁判所と明記せり論旨は謂はれなし

第二点凡そ犯罪の成立には自ら之を実行し又は他人をして之を為さしめたることを必要とす。 然るに原審が（イ）上告人が田淵常次郎に中洲の書の送付方を依頼したるのみの事実を以て直ちに署名偽造罪を構成するものと認めたるは事実の認定を誤りたる不法の判決なり。 （ロ）。 然れども[しかれども]犯罪の実行を為さざる上告人の行為を以て共犯正犯と認めたるにあらずして刑法第六十一条の犯罪の教唆ありと認めたるものならん果して然らば教唆罪の成立するには上告人が他人をして罪を犯さしむるの意思あることを要す。 之なければ教唆の故意を欠くものにして上告人には此故意なきを以て。 従て署名偽造の犯罪なきが故に当然無罪たるべきものなりと云ふ[いう]に在れども◎論旨（イ）の理由なきことは弁護人高木易太郎上告趣意書第三点に対する説明に依り了解すべし。 又原判決は被告が署名偽造を教唆したる事実を認めず。 故に論旨（ロ）は判示事実に副はざる攻撃たるに過ぎさんば上告理由として適法ならず

第三点仮りに教唆犯成立すとせば原判決には刑法第六十一条を適用したることを明示せざるべからず。 原判決には之を欠くを以て理由不備の判決なりと云ふ[いう]に在れども◎其謂はれなきことは前項後段の説明に依り了解すべし。

第四点刑法第百六十七条第一項署名偽造罪の成立するには（一）署名は法律上関係ある事実証明の為め記載したるものならざるべからず。 （二）署名は必す氏名ならざるべからず。 （三）署名したるものを以て真正なるものとして之を使用する目的あることを要す。 然るに本件の事実に於ては中洲なる文字は唯に一片の詩若くは語句に附記し其詩若くは語句を中洲の書したるものとして現はしたるに止まり何等法律上の関係ある事実証明の為め記載したるものにあらず。 又署名は唯中洲まる符号即ち三島毅なる人の雅号を記載したるものにして明かに同人の氏名を記載せしものにあらず。 又此署名したるものを以て真正のものとして之を使用するの意思目的毫も[ごうも]之あることなし故に原判決に於て被告に署名偽造の行為ありて其犯罪成立するものと認めたるは事実の認定及法律の適用を誤りたる不法の判決なりと云ふ[いう]に在れども◎一の雅号と雖[いえども]も苟も特定の人を表示するに足るべきものなる以上は行使の目的を以て之を偽造するに於ては署名偽造罪を構成するものと云ふ[いう]べく又原判決には被告が行使の目的を以て三島中洲の落疑を偽造したる事実を判示しありて之に依れば被告は其落疑を真正のものとして使用する目的あり意思ありたるものと云はざるべからず。 論旨に於て之を真正のものとして使用する意思目的なしと主張するは原判決の判示に副はざる事実を主張して原判決を攻撃するものなれば上告理由として適法ならず其他論旨の理由なきことは弁護人高木益太郎上告趣意書第一点に対する説明に依り了解すべし。 （判旨第九点）

第五点原審は日下部虎治外十数名の者に書画を売渡したる行為を以て免許を受けずして古物商の業を栄みたるものと認定したるも此僅少なる利得のみを以て上告人の経済を支へ得べからざるは明白にして上告人は実子の扶養を受け居り右の売渡行為は婚姻の媒妁を為す等と共に老後の楽として為したるに過ぎざるは之を営業と認めたる原判決は事実の認定を誤まり法律を不法に適用したるものなりと云ふ[いう]に在れども◎原判決は被告が古物商の免許を受けずして明治四十年頃より同四十五年七月頃迄の間岡山市内にて古物商の営業を営み数十回に日下部虎治外数名と古物を売買したる事実を認定したる上之を免許を受けずして古物商の業を営みたる犯罪として擬律したるものなれば其擬律は不法にあらず。

本論旨は原審の職権に属する事実認定を批難し延で其不法を攻撃するに過ぎざれば上告理由として適法ならず

被告の不服の要点と題する第二上告趣意書に叙述する所の要旨は第一点被告は岡山地方裁判所にて中洲の書を売渡したるにあらざることを弁明せんとしたるに検事は此点は起訴なければ陳述の要なしと注告せられ被告は黙して己みたるも後に養ひ同裁判所にて有罪の判決あり是れ検事が甘言を以て被告を欺きたるものなるや否や其意を解するに若しむ是れ不服の一なりと云ふ[いう]に在れども◎第一審岡山地方裁判所の判決を査えるに被告が三島中洲の落疑を記入したる行為を署名偽造罪に問擬したるに過ぎずして別に中洲の書を売却したる事歳を判示せず。 従て犯罪事実として中洲の書を売却したることを認めざるを以て此点に対し同裁判所にて有罪の判決ありたりとする論旨は謂はれなきのみならず本論旨は原判決の違法を主張するものにあらざるを以て上告理由として適法ならず

第二点原審広島控訴院に趣摯被告は中洲の書を藤原春吉に売渡したるにあらざることを陳述し春吉を証人として訊問せられんことを申請し同院は之を却下したる末控訴を棄却したるは不当の裁判にして是れ不服の二なりと云ふ[いう]に在れども◎原判決を査するに中洲の書を藤原春吉に売渡したる事実は之を認めざるのみならず証拠調の程度を限定するは原審の専権に属するを以て之を批難する本論旨は上告理由として適法ならず

第三点被告は（イ）無免許に[もとに]て古物を売買したりとするも処罰せらるべき謂はれなし何となれば数年の間に僅僅の品を自己の嗜好に従ひ買入れ厭きたるときは之を売りたるに止まり毫も[ごうも]営業の目的を以て売買を為したるにあらず。 （ロ）且つ仮りに営業の目的を以て売買したりとするも被告は年齢満六十歳以上なれば明治四十四年二月岡山県令第十一号に則り無免許営業を為すも差支なしと信じたるものなるを以て被告に罰金を科せられたるは是れ不服の三なりと云ふ[いう]に在れども◎論旨（イ）の理由なきことは前掲被告第一上告趣意書第五点に対する説明に依り了解すべく又明治四十四年二月岡山県令第十一号は同年度岡山県営業税雑種税課目を定めたる法規にして毫も[ごうも]年齢六十歳以上の者に対し無免許に[もとに]て古物商の営業を為すことを許球したる規定なきのみならず原判決の認めたる被告の無免許古物商営業

行為が古物商取締法に依り尚刑法施行法を適用して処罰すべきことは原判決に判示する所の如きを以て縦令[たとい]被告に於て処罰せられざるものと信じたりとするも法律を知らざることを理由として其罪責を免がるることを得ず。 論旨は理由なし。

第四点書画の偽造は全国到る所にあり又書画は美術の装飾品なり。 玩具なり。 故に書画の偽物は社会一般公然の製作品と云ふ[いう]も誣言にあらず。 従て仮りに偽造の事実ありとするも被告は其処罰せらるべき事を知らざるものなり。 故に被告の対し有罪の判決を下されたるは不当なり。 又被告が警察官検事予審判事に対し陳述を為したる頃は恰も[あたかも]狼狽[ろうばい]の際にて言ふ所も一定せず殊に病後心身薄弱老衰之れ加はり記憶の力に乏しく問の侭に答へたるものなれば供述する所あるも皆事実の真相に協はざるものなり。 然るに原審が之を精神完全なる者の陳述として判断の資料に供したるは不当なり。 是れ不服の四なりと云ふ[いう]に在れども◎原判決は被告が行使の目的を以て三島中洲の落疑を記入したる行為を署名偽造罪に擬律したるものにして別に書画の偽造を犯罪と認めたるにあらず。 前示落疑の記入が署名偽造罪を構成することは弁護人高木益太郎上告趣意書第一、二点及被告第一上建趣意書第四点に対する説明に依り了解すべし。 故に論旨前段は理由なく又原判決を査するに原審は被告の予審調書を罪証に供し其警察署又は検事廷に於ける陳述は之を断罪の資料に供せず且つ証拠の取捨判断は原審の専権に属す。 故に之を批難する論旨後段は上告理由として適法ならず

第五点第一審岡山地方裁判所の判決書には裁判所の名を記載せざる違法あり。 故に之を是認して控訴を棄却したる原判決は不法たるを免れず是れ不服の五なりと云ふ[いう]に在れども◎其理由なきことは被告第一上告趣意書第一点に対する説明に依り了解すべし。

右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条に依り主文の如く判決す

検事林頼三郎干与大正二年三月十三日大審院第二刑事部