大正元年(れ)第一七三三號
大正元年十月二十八日宣告
◎判決要旨
- 一 刑法第百八十五條ハ偶然ノ事情ニ付キ何等ノ制限ヲ爲ササルカ故ニ苟モ財物得喪ノ結果ヲ偶然ノ事情ニ繋ラシムル約束ヲ以テ勝敗ヲ決スルニ於テハ他ノ法律若クハ慣行上之ニ對シ賭博ト異ナリタル名稱ヲ付スルコトアリトスルモ刑法ニ所謂賭博中ニ包含セラルルモノト解釋スヘキモノトス
(參照)偶然ノ輸贏ニ關シ財物ヲ以テ博戯又ハ賭事ヲ爲シタル者ハ千圓以下ノ罰金又ハ科料ニ處ス但一時ノ娯樂ニ供スル物ヲ賭シタル者ハ此限ニ在ラス(刑法第百$八十五條)
第一審 京都地方裁判所宮津支部
第二審 名古屋控訴院
右賭博被告事件ニ付明治四十五年七月九日名古屋控訴院ニ於テ言渡シタル判決ニ對シ被告ハ上告ヲ爲シタリ因テ判決スル左ノ如シ
理由
本件上告ハ之ヲ棄却ス
辯護人牧野充安上告趣意書第一點原判決ハ犯罪事實トシテ「其取引所ノ相場ノ昂低ニヨリ輸贏ヲ決シ其差額ノ金員ヲ得喪スヘキ空米相場ト稱スル賭博ヲ爲シタルモノナリ」ト説示セラレタルハ左ノ不法アルモノナリ其一、空取引ナル法律行爲ト賭博ナル反法行爲トヲ混淆シタルコト商法第千五十一條ニハ破産ノ場合ニシテ空取引ナル法律行爲アリシモノニ對シ博奕ノ行爲アリタルモノト同一ノ罪ヲ認メタルニヨレハ博奕ト空取引トノ差異ヲ認ムル法律ノ精神ヲ知ルニ難カラサルヘシ若シ空取引ヲ以テ賭博ナリトセハ何ヲ以テ故ラニ商法第千五十一條ノ如ク博奕ト空取引トヲ區別シテ規定スルノ要アランヤ其二、刑法第百八十五條賭博罪ノ條文ニ所謂偶然ノ輸贏トハ經濟上ノ因果關係ヲ有セサル事實ヲ指スモノニシテ經濟上物ノ價額ノ昂低ヲ來スヘキ因由アル事實ハ同條ニ所謂偶然ノ事實ニアラスシテ實ニ之レ必至當然ノ因果關係ヲ有スル事實ナリトス然ルニ原判決ノ説示スル「取引所ノ相場ノ昂低」ハ一應經濟上ノ因果關係ヲ有スル事實ナリト謂ハサル可ラス然ラサレハ取引所ニ於ケル定期取引ハ總テ一切賭博ナリト謂ハサル可ラサル論結ヲ來スヘシ而シテ苟モ取引所ノ昂低カ經濟上ノ因果關係ヲ有ストセハ其昂低ニヨル差金取引ハ空取引ナルヘキモ賭博即チ偶然事實ニヨリ輸贏ヲ決スルモノニアラス
要スルニ原判決ハ犯罪事實トシテ刑法第百八十五條ニ所謂偶然ノ事由ニアラサルコトヲ説示シ乍ラ同條ヲ適用シタル擬律錯誤ナリ其三、少クトモ原判決ハ本件犯罪事實ハ「空取引」ト趣ヲ異ニスルコト及ヒ偶然ノ事由ヲ以テ輸贏ヲ決シタルモノナルコトヲ説示セサル可ラサルニ「空米相場ト稱スルモノナルコト」及ヒ「取引所ノ昂低即チ正當事由ニヨリ輸贏ヲ決スルモノナルコト」ヲ説示シタルニ止ルハ理由不備若クハ齟齬ノ不法アルモノナリト云フニ在リ◎然レトモ刑法第百八十五條ニハ「偶然ノ輸贏ニ關シ財物ヲ以テ博戯又ハ賭事ヲ爲シタル者ハ云云トアリテ偶然ノ事情ニ付何等ノ制限ヲ爲ササルカ故ニ苟モ財物得喪ノ結果ヲ偶然ノ事情ニ繋ラシムル約束ヲ以テ勝敗ヲ決スルニ於テハ他ノ法律若クハ慣行上之ニ對シ賭博ト異ナリタル名稱ヲ付スルコトアリトスルモ刑法ニ所謂賭博中ニ包含セラルルモノト解釋スルヲ正當ナリトス而シテ米穀取引所ノ相場ノ昂低ハ偶然ノ事情ニ屬スルコト論ヲ竢タサレハ本件被告ノ如ク其昂低ヲ標準トシテ勝敗ヲ決スル方法ニ依リ金錢ヲ賭シタル以上ハ其行爲ヲ商法第千五十一條ニ所謂空取引ニ該當シ博奕ニ該當セサルトキト雖モ之ヲ賭博罪トシテ處分スルノ妨トナルヘキモノニアラサレハ本論旨ハ理由ナシ
第二點原判決ハ犯罪事實認定ノ證據トシテ「六、原審第一囘公判始末書(記録一二九丁)中……飜譯書ニ松本勝藏ノ分ノ十八日ノ月ハ不明ナルモ十八日止ナルコトハ確カナリ日曜日ハ取引セサルモ前日手仕舞ノ分ニテ日曜ニ金ヲ渡スコトアリ若シ日曜ノ注文アリシ樣飜譯書ニ記載アレハ夫レハ間違ナル旨ノ河田林吉ノ供述記載」ヲ援用セラレタレトモ其證據ノ内容即チ原審第一囘公判始末書(記録一二九丁以下)ヲ熟閲審査スルニ原判決カ摘示スルカ如キ「飜譯書ニ松本勝藏ノ分ノ十八日ノ月ハ不明ナルモ十八日止ナルコトハ確カナリ」トノ供述記載ハ全然之ナシ却テ「問松本勝藏ノ分ニテ十八日六十一錢、十五圓ト飜譯書ニ記載シアルカ此十八日ハ何人カ答七月ノ十八日ナリ」トノ記載アルヲ見ル即チ原判決カ援用シタルカ如キ供述記載之ナキニ之アルモノトシテ援用シタルハ全然虚無ノ證據ヲ資料トシタル不法アルモノナリト云フニ在リ◎因テ原審第一囘公判始末書ヲ査スルニ河田林吉ニ於テ「飜譯書ニ松本勝藏ノ分ノ十八日ノ月ハ不明ナルモ十八日止ナルコトハ確カナリ」ト供述シタル旨ノ記載ナキコトハ洵ニ論旨ノ如クナルモ同第二囘公判始末書ヲ査スルニ「内山辯護人ハ林吉ニ問松本勝藏ノ分ニテ前囘十八日六十一錢十五圓ノ飜譯書ノ記載ハ七月十八日ナル樣申立タルカ其七月ナルコトハドーシテ分ルカ答飜譯書ニ月ヲ記載シテ居リマセヌノテ小口書ヲシテ居リマスカラ月ノ所ハ判リマセヌカ十八日止ト云フコトハ確カテアリマス」トアリテ林吉ハ内山辯護人ノ問ニ對シテ第一囘ノ供述ヲ前掲原判示ノ趣旨ニ變更シアルニ付全然虚無ノ證據ヲ援用シタルモノト云フヲ得ス要スルニ原判決ニハ河田林吉ノ供述記載ヲ援用スルニ當リ其記載ノ所在ヲ誤マリ示シタルニ外ナラサレハ本論旨ハ上告ノ理由ト爲スニ足ラス
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十五條ニ依リ主文ノ如ク判決ス
檢事林頼三郎干與大正元年十月二十八日大審院第二刑事部
大正元年(レ)第一七三三号
大正元年十月二十八日宣告
◎判決要旨
- 一 刑法第百八十五条は偶然の事情に付き何等の制限を為さざるが故に苟も財物得喪の結果を偶然の事情に繋らしむる約束を以て勝敗を決するに於ては他の法律若くは慣行上之に対し賭博と異なりたる名称を付することありとするも刑法に所謂賭博中に包含せらるるものと解釈すべきものとす。
(参照)偶然の輸贏に関し財物を以て博戯又は賭事を為したる者は千円以下の罰金又は科料に処す。
但一時の娯楽に供する物を賭したる者は此限に在らず(刑法第百$八十五条)
第一審 京都地方裁判所宮津支部
第二審 名古屋控訴院
右賭博被告事件に付、明治四十五年七月九日名古屋控訴院に於て言渡したる判決に対し被告は上告を為したり。
因で判決する左の如し
理由
本件上告は之を棄却す
弁護人牧野充安上告趣意書第一点原判決は犯罪事実として「其取引所の相場の昂低により輸贏を決し其差額の金員を得喪すべき空米相場と称する賭博を為したるものなり。」と説示せられたるは左の不法あるものなり。
其一、空取引なる法律行為と賭博なる反法行為とを混淆したること商法第千五十一条には破産の場合にして空取引なる法律行為ありしものに対し博奕の行為ありたるものと同一の罪を認めたるによれば博奕と空取引との差異を認むる法律の精神を知るに難からざるべし。
若し空取引を以て賭博なりとせば何を以て故らに商法第千五十一条の如く博奕と空取引とを区別して規定するの要あらんや其二、刑法第百八十五条賭博罪の条文に所謂偶然の輸贏とは経済上の因果関係を有せざる事実を指すものにして経済上物の価額の昂低を来すべき因由ある事実は同条に所謂偶然の事実にあらずして実に之れ必至当然の因果関係を有する事実なりとす。
然るに原判決の説示する「取引所の相場の昂低」は一応経済上の因果関係を有する事実なりと謂はざる可らず。
然らざれば取引所に於ける定期取引は総で一切賭博なりと謂はざる可らざる論結を来すべし。
而して苟も取引所の昂低が経済上の因果関係を有すとせば其昂低による差金取引は空取引なるべきも賭博即ち偶然事実により輸贏を決するものにあらず。
要するに原判決は犯罪事実として刑法第百八十五条に所謂偶然の事由にあらざることを説示し乍ら同条を適用したる擬律錯誤なり。
其三、少くとも原判決は本件犯罪事実は「空取引」と趣を異にすること及び偶然の事由を以て輸贏を決したるものなることを説示せざる可らざるに「空米相場と称するものなること」及び「取引所の昂低即ち正当事由により輸贏を決するものなること」を説示したるに止るは理由不備若くは齟齬の不法あるものなりと云ふに在り◎。
然れども刑法第百八十五条には「偶然の輸贏に関し財物を以て博戯又は賭事を為したる者は云云とありて偶然の事情に付、何等の制限を為さざるが故に苟も財物得喪の結果を偶然の事情に繋らしむる約束を以て勝敗を決するに於ては他の法律若くは慣行上之に対し賭博と異なりたる名称を付することありとするも刑法に所謂賭博中に包含せらるるものと解釈するを正当なりとす。
而して米穀取引所の相場の昂低は偶然の事情に属すること論を竢たざれば本件被告の如く其昂低を標準として勝敗を決する方法に依り金銭を賭したる以上は其行為を商法第千五十一条に所謂空取引に該当し博奕に該当せざるときと雖も之を賭博罪として処分するの妨となるべきものにあらざれば本論旨は理由なし。
第二点原判決は犯罪事実認定の証拠として「六、原審第一回公判始末書(記録一二九丁)中……翻訳書に松本勝蔵の分の十八日の月は不明なるも十八日止なることは確かなり。
日曜日は取引せざるも前日手仕舞の分にて日曜に金を渡すことあり。
若し日曜の注文ありし様翻訳書に記載あれば夫れは間違なる旨の川田林吉の供述記載」を援用せられたれども其証拠の内容即ち原審第一回公判始末書(記録一二九丁以下)を熟閲審査するに原判決が摘示するが如き「翻訳書に松本勝蔵の分の十八日の月は不明なるも十八日止なることは確かなり。」との供述記載は全然之なし。
却て「問松本勝蔵の分にて十八日六十一銭、十五円と翻訳書に記載しあるか此十八日は何人が答七月の十八日なり。」との記載あるを見る。
即ち原判決が援用したるが如き供述記載之なきに之あるものとして援用したるは全然虚無の証拠を資料としたる不法あるものなりと云ふに在り◎因で原審第一回公判始末書を査するに川田林吉に於て「翻訳書に松本勝蔵の分の十八日の月は不明なるも十八日止なることは確かなり。」と供述したる旨の記載なきことは洵に論旨の如くなるも同第二回公判始末書を査するに「内山弁護人は林吉に問松本勝蔵の分にて前回十八日六十一銭十五円の翻訳書の記載は七月十八日なる様申立たるか其七月なることはどーして分るか答翻訳書に月を記載して居りませぬので小口書をして居りますから月の所は判りませぬか十八日止と云ふことは確かてあります」とありて林吉は内山弁護人の問に対して第一回の供述を前掲原判示の趣旨に変更しあるに付、全然虚無の証拠を援用したるものと云ふを得ず。
要するに原判決には川田林吉の供述記載を援用するに当り其記載の所在を誤まり示したるに外ならざれば本論旨は上告の理由と為すに足らず
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条に依り主文の如く判決す
検事林頼三郎干与大正元年十月二十八日大審院第二刑事部