明治四十四年(れ)第二二一一號
明治四十四年十一月二十七日宣告
◎判決要旨
- 一 苟モ一旦詐欺手段ニ因リ財物若クハ財産上ノ利益ヲ給付セシメタル以上ハ詐欺罪ハ直ニ成立スルモノニシテ縱令後日ニ至リ其財物若クハ財産上ノ利益ヲ返還スルノ意思ヲ有シ且之ヲ實行シタリトスルモ之カ爲メ詐欺罪ノ成立ヲ妨クルコトナシ
第一審 名古屋地方裁判所岡崎支部
第二審 名古屋控訴院
右詐欺被告事件ニ付明治四十四年九月十三日名古屋控訴院ニ於テ言渡シタル判決ニ對シ被告ハ上告ヲ爲シタリ因テ判決スル左ノ如シ
理由
本件上告ハ之ヲ棄却ス
辯護人岡崎正也菊地儉輔上告趣意書第一點原判決ハ被告信久カ第一審ノ相被告ナル佐々木充爾藤田昌一等ト通謀ノ上名ヲ貸借ニ籍リ山口繁藏ヨリ金五百圓ヲ騙取シタル事實ヲ認定セラレタリト雖モ其證據ニ援用セラレタル(一)佐々木充爾ノ第一囘豫審調書ニハ「私ハ伊藤善吉ヘ讓リタル山林及ヒ立木ヲ擔保ニ入レ昌一ハ又父ノ所有トカ云フ山林ト立木ヲ擔保ニ入レ金借シタリ期限ニ返濟セハ別段差閊ヘナシト思ヒ居タリ」云云又(二)同人ノ第二囘豫審調書ニモ「私ト昌一カ信久ニ對シ擔保物ニ因ルト申シタルニ同人カ金借スルモ返濟セヌ氣ハナカラン返濟スレハ擔保ハ本當ノモノテ無クトモ宜シイト申シタルニ付キ」云云尚ホ(一)藤田昌一ノ第一囘豫審調書ニモ「私ハ自分ノモノニテハ無キモ長男ニシテ父ノ山林ナレハアルト云ヒシニ信久千代太郎カ擔保ニスルモ取ラレテ仕舞フモノニアラスシテ返金セハ差支ナイ」云云トアリテ右ノ記載ニ徴スレハ被告等ハ眞實辨濟スルノ意思ヲ以テ本件五百圓ノ金員ヲ借入レタルモノニシテ右金員ヲ騙取スルノ意思更ニナカリシコト毫モ疑ヲ容ルルノ餘地ナク况ンヤ原判決ノ援用セル佐々木充爾ノ第二囘豫審調書ノ記載ニ依レハ其辨濟期前ニ於テ既ニ右借入金ヲ辨濟シタルコト明カナルヲ以テ當時被告等ニ於テ騙取ノ意思ナカリシコト洵ニ明瞭ナリト謂ハサルヘカラス左スレハ原判決ハ其援用セル右ノ證據ニ背反シテ前示ノ如ク被告等カ本件ノ金員ヲ騙取シタル事實ヲ認定セラレタルモノニシテ即チ證據ニ依テ其認定事實ヲ説明セサル違法アルト同時ニ其理由ノ齟齬セル失當ノ裁判ナリト思料スト云フニ在レトモ◎原判決ニ援用セル證憑ヲ綜合スレハ優ニ判示詐欺ノ事實即チ被告等カ自己ノ所有ニ屬セサル山林及ヒ其立木ハ自己ノ所有ナルヲ以テ之ヲ擔保ニ供スヘシト詐言シ他人ヲ欺キ借用ノ名義ヲ以テ金圓ヲ騙取シタル事實ヲ認ムルニ足ルカ故ニ右證憑中ニ被告等ハ騙取シタル金圓ヲ辨償スルノ意思ヲ有セシモノト認ムヘキモノアリトスルモ前示犯罪事實ヲ判定スルノ妨碍ト爲ルモノニ非ス原判決ニハ所論ノ如ク證據ニ依ラスシテ犯罪事實ヲ認メタルノ違法アルコトナシ
第二點假リニ原判決ノ旨意ハ縱令被告等ニ於テ本件ノ金員ヲ辨濟スルノ意志アリトスルモ既ニ他人ノ所有物ヲ自己ノ所有ナリト詐稱シテ繁藏ヲ誤信セシメ之ヲ擔保ニ供シテ右金員ヲ借入レタル以上ハ財物ノ騙取タルニ於テ妨ケナシトノ意味ナリトセハ是レ亦タ法律ノ解釋ヲ誤リタル不法ノ裁判ナルヲ信ス蓋シ刑法第二百四十六條第一項ニ所謂財物ノ騙取トハ其財物ヲ不法ニ領得スルノ意思換言スレハ自己ノ領分ニ收メテ之ヲ返還セサルノ意思ヲ以テ物ノ交付ヲ爲サシムルコトヲ云フモノナルカ故ニ本件ナ場合ノ如ク被告等カ眞實返濟スルノ意思ヲ以テ右ノ金員ヲ借入レ而カモ其辨濟期ニ於テ之カ辨濟ヲ爲シタリトセハ該金員ヲ不法ニ領得スルノ意思ナキハ勿論ニシテ財物ノ騙取ト云フヲ得ス從テ詐欺罪ヲ構成ス可キ謂ハレナケレハナリト云フニ在レトモ◎詐欺罪ノ成立ニハ眞實ニ反シテ事實ヲ告知シ他人ヲシテ其觀念上ニ錯誤ヲ惹起シ因テ財物若クハ財産上ノ利益ヲ給付スルニ至ラシメタル事實アルヲ以テ足リ必スシモ犯人カ其財物若クハ財産上ノ利益ヲ永久ニ領得スルノ意思アルコトヲ必要トセス故ニ一旦詐欺手段ニ因リ財物若クハ財産上ノ利益ヲ給付セシメタル以上ハ詐欺罪ハ直チニ成立スヘク縱令後日ニ至リ被害者ニ其財物若クハ財産上ノ利益ヲ返還スルノ意思アリ且ツ之ヲ實行シタリトスルモ之カ爲メ詐欺罪ノ成立ヲ妨クルコトナシ原判決ノ判示事實ニ據レハ被害者ハ被告等ヲ信用セス專ラ物的擔保ニ重ヲ措キシモノナルヲ以テ若シ擔保トシテ提供シタル山林及ヒ立木ニシテ被告等ノ所有ニ屬セサルコトヲ知リシナラハ被告等ニ辨濟ノ意思アリシト否トヲ問ハス被告等ニ金圓ヲ貸與セサルヘキ場合ナリシ所被告等ノ詐言ニ因リ其擔保ニ信ヲ措キ之ニ對シテ金圓ヲ交付シタルモノナレハ被告等ノ所爲ハ詐欺罪ニ該當スルモノトス故ニ原判決ノ擬律ハ相當ニシテ論旨ハ理由ナシ
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十五條ニ依リ主文ノ如ク判決ス
檢事矢野茂干與明治四十四年十一月二十七日大審院第二刑事部
明治四十四年(レ)第二二一一号
明治四十四年十一月二十七日宣告
◎判決要旨
- 一 苟も一旦詐欺手段に因り財物若くは財産上の利益を給付せしめたる以上は詐欺罪は直に成立するものにして縦令後日に至り其財物若くは財産上の利益を返還するの意思を有し、且、之を実行したりとするも之が為め詐欺罪の成立を妨ぐることなし
第一審 名古屋地方裁判所岡崎支部
第二審 名古屋控訴院
右詐欺被告事件に付、明治四十四年九月十三日名古屋控訴院に於て言渡したる判決に対し被告は上告を為したり。
因で判決する左の如し
理由
本件上告は之を棄却す
弁護人岡崎正也菊池倹輔上告趣意書第一点原判決は被告信久が第一審の相被告なる佐佐木充爾藤田昌一等と通謀の上名を貸借に籍り山口繁蔵より金五百円を騙取したる事実を認定せられたりと雖も其証拠に援用せられたる(一)佐佐木充爾の第一回予審調書には「私は伊藤善吉へ譲りたる山林及び立木を担保に入れ昌一は又父の所有とか云ふ山林と立木を担保に入れ金借したり。
期限に返済せば別段差閊へなしと思ひ居たり」云云又(二)同人の第二回予審調書にも「私と昌一が信久に対し担保物に因ると申したるに同人が金借するも返済せぬ気はながらん返済すれば担保は本当のもので無くとも宜しいと申したるに付き」云云尚ほ(一)藤田昌一の第一回予審調書にも「私は自分のものにては無きも長男にして父の山林なればあると云ひしに信久千代太郎が担保にするも取られて仕舞ふものにあらずして返金せば差支ない」云云とありて右の記載に徴すれば被告等は真実弁済するの意思を以て本件五百円の金員を借入れたるものにして右金員を騙取するの意思更になかりしこと毫も疑を容るるの余地なく況んや原判決の援用せる佐佐木充爾の第二回予審調書の記載に依れば其弁済期前に於て既に右借入金を弁済したること明かなるを以て当時被告等に於て騙取の意思なかりしこと洵に明瞭なりと謂はざるべからず。
左すれば原判決は其援用せる右の証拠に背反して前示の如く被告等が本件の金員を騙取したる事実を認定せられたるものにして、即ち証拠に依て其認定事実を説明せざる違法あると同時に其理由の齟齬せる失当の裁判なりと思料すと云ふに在れども◎原判決に援用せる証憑を綜合すれば優に判示詐欺の事実即ち被告等が自己の所有に属せざる山林及び其立木は自己の所有なるを以て之を担保に供すべしと詐言し他人を欺き借用の名義を以て金円を騙取したる事実を認むるに足るが故に右証憑中に被告等は騙取したる金円を弁償するの意思を有せしものと認むべきものありとするも前示犯罪事実を判定するの妨碍と為るものに非ず原判決には所論の如く証拠に依らずして犯罪事実を認めたるの違法あることなし
第二点仮りに原判決の旨意は縦令被告等に於て本件の金員を弁済するの意志ありとするも既に他人の所有物を自己の所有なりと詐称して繁蔵を誤信せしめ之を担保に供して右金員を借入れたる以上は財物の騙取たるに於て妨げなしとの意味なりとせば是れ亦た法律の解釈を誤りたる不法の裁判なるを信ず。
蓋し刑法第二百四十六条第一項に所謂財物の騙取とは其財物を不法に領得するの意思換言すれば自己の領分に収めて之を返還せざるの意思を以て物の交付を為さしむることを云ふものなるが故に本件な場合の如く被告等が真実返済するの意思を以て右の金員を借入れ而かも其弁済期に於て之が弁済を為したりとせば該金員を不法に領得するの意思なきは勿論にして財物の騙取と云ふを得ず。
従て詐欺罪を構成す可き謂はれなければなりと云ふに在れども◎詐欺罪の成立には真実に反して事実を告知し他人をして其観念上に錯誤を惹起し因で財物若くは財産上の利益を給付するに至らしめたる事実あるを以て足り必ずしも犯人が其財物若くは財産上の利益を永久に領得するの意思あることを必要とせず。
故に一旦詐欺手段に因り財物若くは財産上の利益を給付せしめたる以上は詐欺罪は直ちに成立すべく縦令後日に至り被害者に其財物若くは財産上の利益を返還するの意思あり且つ之を実行したりとするも之が為め詐欺罪の成立を妨ぐることなし原判決の判示事実に拠れば被害者は被告等を信用せず。
専ら物的担保に重を措きしものなるを以て若し担保として提供したる山林及び立木にして被告等の所有に属せざることを知りしならば被告等に弁済の意思ありしと否とを問はず被告等に金円を貸与せざるべき場合なりし所被告等の詐言に因り其担保に信を措き之に対して金円を交付したるものなれば被告等の所為は詐欺罪に該当するものとす。
故に原判決の擬律は相当にして論旨は理由なし。
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条に依り主文の如く判決す
検事矢野茂干与明治四十四年十一月二十七日大審院第二刑事部