營利誘拐ノ件

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大審院刑事判決録（刑録）17輯2002頁

本件上告は之を棄却す

被告上告趣意書及上告趣意拡張書の要旨第一点誘拐罪の成立には被誘拐者が犯人の施したる詐欺手段に依りて其支配力内に措かるることを要す。 若し犯人の誘惑に因らず任意に犯人の支配力内に置かれたる場合には犯罪を構成せざるや勿論なり。 原判決は被告は甘言を以て中田ふみを欺罔し北海道に誘拐したる事実を認めたるも被告がふみに対して北海道に同伴することを承諾する以前に於てふみには給料多き北海道に赴き雇口を求めんとする一定の決意存し固より[もとより]被告の勧誘を待たざりしことは記録に徴して其証憑[しょうひょう]歴歴たり（ふみに対する検事聴取書ふみ第二回予審調書参照）然るに原審は欺かる顕著なる被告利益の証憑[しょうひょう]を無視し不当に事実を認定したるは違法なりと云ふ[いう]に在れども◎本論旨は原審の採用せざる証拠に依りて原判旨に副はざる事実を主張し因で原判決の事実認定を非難するものにして適法の上告理由とならず

第二点中田ふみが北海道に赴かんとするの決意ありしことは前項所論の如し故にふみが被告の誘惑に因り北海道に赴くに至りしものとするにはふみが一旦決意を翻へしたる後に於て被告の誘拐手段行はれたる事実の証明なかるべからず。 然るに原判決には何等此点に関する説明なし。 理由不備の裁判たるを免れずと云ふ[いう]に在れども◎原判決には中田ふみが被告の欺罔手段に因り北海道に誘拐せられたる事実を判示しあれば理由不備の違法あることなし

第三点証拠の取捨判断は事実裁判所の専権に属すること勿論なりと雖[いえども]も偽証なること顕著なる証言を採りて罪を断するの違法なるは疑を容れざる所なり。 原審が最も有力なる罪証として援用せる証人中田ふみの予審に於ける供述は前後牴触[ていしょく]殆と信を措くに足らず何人も偽証と為すに異議なきものなり。 原審は欺かる明明白白なる偽証に信頼して被告を処罰したるは採証上違法の甚たしきものなりと云ふ[いう]に在れども◎本論旨は原審の職権に属する証拠の取捨判断を論難するものなれば適法の上告理由とならず

第四点証人中田ふみ第一回及第二回予審調書には供述を証人に読聞かせたる旨の記載なく刑事訴訟法第百三十一条に違背するのみならず該調書には作成の場所を明示せず又右第二回予審調書には作成の日附を欠如し孰れ[いずれ]も刑事訴訟法第二十条に違背するを以て無効たるを免れず。 而して[しこうして]右無効の調書を援用したる原判決は違法なりと云ふ[いう]に在れども◎所論中田ふみ第一回及第二回予審調書には孰れ[いずれ]も供述を証人に読聞けたるに之を承認したる旨記載しあり又調書の末尾に札幌地方裁判所と掲記しあるは調書作成の場所を示したるものに外ならず前段論旨は謂はれなし、而して[しこうして]第二回予審調書の冒頭に明治四十一年六月六日訊問を為したる旨記載しあり調書は訊問の即時作成すべきものなれば右訊問の年月日記載しある以上は之を以て調書作成の年月日をも併せて表示したるものと解すべきが故に後段論旨亦[また]理由なし。

第五点証人安達（さわ）は被告の妻（ひさ）の養母たりしことは予審及第一審に於て認められたる事実なるに拘はらず原審は右（さわ）を証人として宣誓せしめて訊問したる予審調書を採用したるは違法なりと云ふ[いう]に在れども◎証人安達（さわ）は被告の妻（ひさ）の養母たりし者にして訊問の当時に於て其養親子関係解消したる以上は（さわ）は（ひさ）の養母に非ず。 従て被告と（さわ）との間に姻族関係存在せざるものとす。 然らば同人を証人として宣誓せしめ訊問したるは適法にして右調書は無効に非ず本論旨は理由なし。

第六点証人安達（さわ）の予審調書は作成の日附を欠きたる無効の調書たるに拘はらず原審が之を援用したるは違法なりと云ふ[いう]に在れども◎所論予審調書には作成の日附として明治四十一年五月二十五日と表示しあるを以て本論旨は謂はれなし

第七点明治四十四年八月三十日午前九時開廷せらるべき原審第二回公判の期日呼出状は同月二十八日午後九時送達せられ開廷迄僅かに一日の猶予を存するのみ右は刑事訴訟法第二百五十七条に違背し被告に弁論の準備を為さしめざる違法あるものなりと云ふ[いう]に在り◎依て記録を閲するに原審に於ける明治四十四年八月三十日午前九時開廷せらるべき第一回公判（論旨に第二回公判とあるは誤記と認む）の期日呼出状が同月三十日午後五時（論旨に九時とあるは誤記と認む）被告人に送達せられたることは明確にして其間法定の猶予期間を存せざることは所論の如しと雖[いえども]も被告人に於て開廷当日異議なく審問に応したる以上は後日に迨ひ其違法を挙けて上告の理由とならず

第八点原審は被告に利益若くは不利益なる証憑[しょうひょう]書類を読聞かせず被告の請求したる証拠調を許可せず又被告をして口頭の弁解を為さしめずして審理を終結したるは違法なりと云ふ[いう]に在れども◎原審が必要なる証憑[しょうひょう]書類を読聞かせ之れに対して被告人の弁解を求めたることは其公判始末書に徴して明確なれば本論旨は謂はれなきのみならず証拠調の申請に付き許否を決定するは原審の職権に属するを以て右許否の決定に対して論難を試むるも適法の上告理由とならず

第九点第一審判決は被告は安達（さわ）より酌婦の周旋を依頼せられたる旨を判示したるを以て被告は原審に於て安達（さわ）方には酌婦を雇ひ居らざる事実を証明したるに因り原判決に於ては被告は安達（さわ）より婦女の周旋を依頼せられたる旨を説示し事実の認定を変更したるに拘はらず第一審判決を是認したるは違法なりと云ふ[いう]に在れども◎酌婦の周旋を依頼せられたりと云ふ[いう]も婦女の周旋を依頼せられたりと云ふ[いう]も本件犯罪の動機に関する事実なれば原審が第一審と其認定を異にしたりとするも被告が営利の目的を以て婦女を誘拐したる犯罪事実に付き両審の判定同一に帰する以上は事実の認定に異同ありと謂ふべからず。 原審が第一審判決を取消さざりしは相当にして本論旨は理由なし。

第十点前項説明の如く原判決に於て第一審判決の認定事実を変更したる以上被告の行為が営利の目的に出でたるものに非ざることを認めざるや洵に[まことに]明なり。 然らば被告に対して無罪免訴又は公訴不受理を言渡すべきに原審の措置此に出でず被告の控訴を棄却したるは違法なるのみならず予審終結決定書に依り公判に付せられたる公訴事実以外の事実を認定したるは違法なりと云ふ[いう]に在れども◎原判決には中田ふみをして醜業に[すでに]従事せしめて利を営まんと企で同人を誘拐したる事実を判示しあるを以て被告の誘拐行為が営利の目的に出でたるや洵に[まことに]明白にして原審は公訴以外の事実を判定したるものに非ず

本論旨は謂はれなし

第十一点原判決には「醜業に[すでに]ふみを従事せしめんと企で云云」と説示するも醜業の如何[いかん]なる種類なるやの明示なきは理由を付せざる裁判なりと云ふ[いう]に在れども◎既に醜業に[すでに]従事せしめと云へは其意義自ら瞭然たり如何[いかん]なる種類の醜業なるやを説示せざるも理由不備の違法あるものに非ず

第十二点料理店の雇女が執る業務は一定せずと雖[いえども]も必ずしも醜業を以て目すべきものに非ざるは勿論なり。 故に料理店の雇女に周旋を為すは常に醜業に[すでに]従事せしめんと為したるものと謂ふを得ず。 原判決は幾多の反証あるを顧みず安達（さわ）は其営む料理店に於て雇女をして醜業を営ましむるものと認め被告が中田ふみを（さわ）方に雇女に周旋せんとせしは醜業に[すでに]従事せしめんか為めなりと判定したるは不当に証拠を取捨し事実を認定したる違法あるものなりと云ふ[いう]に在れども◎本論旨は原審が職権を以て為したる証拠の取捨判断及び事実の認定を非難するものにして適法の上告理由とならず

第十三点安達（さわ）は被告妻の養母たりし関係あるものなれば被告が雇女を（さわ）方に周旋したる報酬として同人より利益を得たるが如きは普通の状態に非ず。 然るに原審は被告は（さわ）方に中田ふみを雇女として周旋し共に利を営まんと為したりと判示し普通の状態に反したる事実を認めたるに拘はらず其証拠を明示せざるは違法なりと云ひ」第十四点被告が中田ふみを所謂飯炊女として安達（さわ）方に周旋せしことは証拠上争ふべからざる事実に属す。 然るに原審は被告は営利の目的を以て中田ふみをして醜業を営ましむる為め安達（さわ）方の雇女に周旋したりと判定したるも之を確認すべき証憑[しょうひょう]の内容を説示することなきは違法なりと云ふ[いう]に在れども◎原審は原判決の援用せる諸般の証憑[しょうひょう]を綜合[そうごう]して所論判示事実を認めたること明なれば論旨の如き証拠を挙示せざる違法あることなし

第十五点刑法二百二十五条に所謂営利とは単純の利益の謂に非ずして営業上の利益を指称するものに外ならず。 故に雇人周旋業者に非ざる被告が雇人を周旋して安達（さわ）より報酬を得たりとするも被告の行為は営利の目的に出でたるものと称すべからず。 又被告は（さわ）と共同して料理店業を営む者に非ざれば（さわ）が中田ふみを使役して利益を収めたりとするも被告に於て利益を得たりと謂ふべからず。

然らば被告の行為は刑法第二百二十五条に該らざるは勿論なれば同条に問擬して被告を処断したる原判決は違法なり。 又原判決は一面に於て被告を以て安達（さわ）より雇女の周旋を依頼せられたるものと判示し他の一面に於て（さわ）と共に利を営まんと企てと説示したるは理由に齟齬[そご]あるのみならず如何[いかん]なる利を営まんと企てしやを確定せざるは理由の不備あるものなりと云ふ[いう]に在れども◎刑法第二百二十五条に所謂営利の目的とは略取誘拐の行為に因りて利益を収得することを目的とするの謂にして営業的に利益を収得することを必要とせず。 故に被告が所論の如く雇人周旋業者若くは料理店営業者に非ずと雖[いえども]も苟くも利益を収得する目的を以て婦女を誘拐したる場合に於ては当然刑法第二百二十五条の犯罪成立するものとす。 前段論旨は理由なし。 而して[しこうして]所論二箇の判示事実は毫も[ごうも]相容れざる認定に非ず又利を営まんと企てたりとの判示は中田ふみをして醜業を営ましめ之に因りて利益を収得せんと企てたりとの謂に外ならず理由の齟齬[そご]又は不備あることなければ後段論旨亦[また]理由なし。 （判旨第十四点）

第十六点原判決に援用せる証人安達（さわ）予審調書記載の供述は以て被告が中田ふみを酌婦として（さわ）方に周旋し以て利を営まんと企てたる事実を認むるに足らず原審は判示事実に副はざる証拠を援用して被告の犯罪行為を認めたる違法あるものなりと云ふ[いう]に在れども◎原判決が所論証人安達（さわ）予審調書のみならず証人中田ふみ予審調書第一回公判始末書被告素行調書等を参酌して被告の犯罪事実を認定したることは判文上自ら明なれば論旨は謂はれなきのみならず本論旨は原審の証拠判断を非難するの趣旨に帰するを以て適法の上告理由とならず

第十七点被告人の供述を読聞けて相違なきや否やを確めず又署名のみを為さしめて捺印せしめず其理由をも附記せざる無効の被告人予審調書及証人資格を欠くに拘はらず宣誓せしめて訊問し又作成の日附を欠きたる無効の証人安達（さわ）予審調書並に全部偽証を以て成りたる違法の証人中田ふみ予審調書等を基本とせる違法の予審終結決定書に依り公判に付せられたる本件は適法の公訴提起なかりしものと謂はざるべからず。 第一審は宜しく公訴不受理の判決を為すべきに其措置此に出でず原審亦[また]同一徹を践みたるは違法なりと云ふ[いう]に在れども◎予審終結決定書に形式上の違法ありて無効の理由存するも決定書の送達後抗告する者なくして確定したる場合に於ては後日に至り之を理由として該決定書の無効を争ふことを得ざるのみならず予審終結決定が所論の如く違法の手続に成れる無効の調書に基きたりとするも其決定書にして違法に作成せられたる以上は右決定書に依り公判に付せられたる事件は適法の起訴ありたるものとして之を受理すべきものにして之に対して公訴不受理の言渡を為すべきものに非ず。 故に原判決には所論の如き違法あることなし

第十八点公訴費用の負担を命ずるは裁判所の職権に属するも裁判所に於て不必要なる費用を生ぜしめたる部分をも被告人に負担せしむべきものに非ず刑事訴訟法が訴訟費用の全部又は一部を被告人に負担せしむべきものなりと規定せるは其趣旨に外ならず証人安達（さわ）及森山（きち）外数名の証言は大体に於て被告の利益に帰すべきものにして又安達（さわ）は証人として訊問すべからざる者にして其訊問は無効なり。 其他証人中田ふみの如きは偽証を為したる者なれば此等の証人に給付したる旅費日当は被告人が有罪の判決を受けたる場合と雖[いえども]も尚之を負担すべき義務あるものに非ず。 然るに原審は全部被告人に負担を命じたるは違法なりと云ふ[いう]に在れども◎裁判所が必要を認めて施行したる証拠調の結果が後日に及び或は不必要と認められ若くは被告の利益に帰したりとするも其証拠調に因り生じたる費用は被告事件の審理上必要に出でたるものに外ならざれば被告人に於て有罪の判決を受けたる以上は其全部の負担を命ぜらるるも違法と謂ふべからず。 （判旨第十七点）

第十九点公訴費用の負担を命ずるは刑法施行法に依るべきものなるに原判決は刑事訴訟法第二百一条に依り公訴費用の負担を命じたるは違法なりと云ふ[いう]に在れども◎訴訟費用の負担を命ずる規定は刑事訴訟法第二百一条なるを以て原判決が同条を援用し被告に訴訟費用の負担を命じたるは相当なり。 本論旨は理由なし。

第二十点及第二十二点第一審判決が被告は中田ふみを酌婦に周旋し醜業に[すでに]従事せしめんと為したる事実を認めたるに反し原判決は単に婦女の雇入を周旋し云云と説示し如何[いかん]なる義務に服せしむるものなりやを確定せずして漫に醜業に[すでに]従事せしめんと為したるものと判定するは理由不備の違法あるものなりと云ふ[いう]に在れども◎原判決に「醜業に[すでに]従事せしめ云云」と判示したる以上は表面の名義が芸妓なると酌婦なると将た[はた]下婢なるとは問ふ所にあらず。 本論旨は理由なし。

第二十一点原審は第一審が被告は中田ふみを酌婦に周旋したりと認定せる事実を変更したるに拘はらず如何[いかん]なる業務に服せしめんと為したるやを判示せざる以上は被告の主張する如く爨婢に周旋したる事実を認めたるものと謂はざるべからず。 既に然りとせば爨婢は醜業に[すでに]あらず。 被告の行為を刑法第二百二十五条に擬したるは違法なりと云ふ[いう]に在れども◎営利の目的を以て婦女を誘拐したる事実あるに於ては刑法第二百二十五条の犯罪は直ちに成立すべく。 而して[しこうして]誘拐の目的が営利に在る以上其利益を収得する方法の如何[いかん]は問ふ所にあらず。 誘拐したる婦女をして醜業に[すでに]従事せしめんとするも又正当の業務に従事せしめんとするも同罪成立上二者の間に択ふ所なし。 本論旨は理由なし。

第二十三点被告は原審に於て第一審が被告は中田ふみを酌婦に周旋し醜業に[すでに]従事せしめんと企てたりと判示せる事実に対して完全に反証提出の責任を尽したるに拘はらず原審は更に別箇の事実関係を捉へふみをして醜業に[すでに]従事せしめんと為したる事実を判定せるは訊問を経さる事実を認めて罪を断したる違法あるものなりと云ひ」第二十四点原審は新たなる事実を認めて被告の犯罪行為なりと判示するも右事実は未だ曽て公廷に発顕せざるものにして原審は其点に付き何等の訊問及反証提出の告知をも為さずして結審したるは違法なりと云ふ[いう]に在れども◎原判決は第一審判決と事実の認定を異にすることなければ所論の如き違法あることなし

上告趣意追加申立書一及び二は前掲上告趣意書中の論旨を反復するに過ぎず。 故に重ねて説明を与へず

右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条に依り主文の如く判決す

検事矢野茂干与明治四十四年十一月十六日大審院第二刑事部