明治四十三年(れ)第二九一二號
明治四十四年三月三十一日宣告
◎判決要旨
- 一 僞造手形ノ行使ハ手形本來ノ效用ニ從ヒ之ヲ流通ニ措ク場合ノミニ限ラス汎ク僞造ノ手形ヲ眞正ノ手形トシテ使用スルコトヲ指稱セルモノトス(判旨第一點)
- 一 甲者カ乙者ヲシテ流通セシムル爲メニ非サルモ其親族ニ呈示セシムル爲メ手形ヲ僞造シ眞正ノ手形トシテ之ヲ交付シタル所爲ハ即チ僞造手形ノ行使ニ外ナラス(判旨第三點)
公訴私訴上告人 和田三夫
辯護人 手代木佑壽 三宅源重郎
私訴被上告人 深谷@069445;み
右詐欺取財私印盜用私書僞造行使被告事件ニ付明治四十三年十一月二十八日東京控訴院ニ於テ言渡シタル判決竝ニ之ニ附帶スル私訴事件ニ付同年同月三十日同院ニ於テ言渡シタル判決ニ對シ被告三夫ハ公訴ニ付被告訴訟代理人手代木佑壽ハ私訴ニ付各上告ヲ爲シタリ因テ判決スル左ノ如シ
理由
本件公私訴ノ上告ハ之ヲ棄却ス
私訴上告費用ハ上告人ノ負擔トス
被告辯護人手代木祐壽上告趣意書第一點原判決ハ「被告深谷@069445;みカ其管理スル深谷家ノ財産ヲ浪費シタル爲メ内一千圓ハ悉ク之ヲ被告人ニ貸與シタルモノノ如ク裝ヒ以テ浪費ノ痕ヲ蔽ハント企テ明治四十二年一月頃加藤松次郎ナルモノヲ介シ被告人ニ告クルニ前記ノ企テヲ以テシタル上親族ニ示シテ金員支出ノ辯解ニ供スル爲メ金千圓ノ假裝ノ手形ヲ振出サレタキ旨懇請シタル處被告人ハ之ヲ承諾シ行使ノ目的ヲ以テ明治四十二年一月三十一日云云深谷@069445;み宛テ額面一千圓ノ約束手形ヲ僞造シ云云」ト判示セラレタリ右前段認定事實ニ依レハ被告カ本件手形ヲ振出シタルハ深谷@069445;みノ懇請ヲ容レ同人ノ親族ニ示ス爲メナルコトハ明カナリ然ルニ後段ニ於テ「行使ノ目的ヲ以テ約束手形ヲ僞造シ」ト認定セラレタルハ理由齟齬アル裁判ナリト思料ス抑モ約束手形ノ行使トハ手形本來ノ性質ニ從ヒ經濟上流通セシムル爲メニ使用スル即チ流通ニ措クヲ云フモノナレハ此目的ノ下ニ振出サルルニ非サレハ之ヲ以テ行使ノ目的ニ出テタルモノト云フコトヲ得サルコトハ法律上明白ナリトス或ハ約束手形本來ノ效用以外ニ之レヲ證明ノ用ニ供スルモ猶ホ行使ナリトノ見解ヨリ親族ニ示スモ行使ナリト云ハンモ約束手形本來ノ效用以外ニ證明ノ用ニ供スル場合ハ證明事實ハ權利義務ニ關スル事實ナラサルヘカラス單ニ本件ノ如ク親族ニ對スル體裁上示ス場合ノ如キハ之レヲ以テ證明ノ用ニ供スルモノト云フコトヲ得サルヲ以テ刑法上ノ行使ニ非サルコト明白ナリトス然ルニ原判決ハ前段ニ於テ本件約束手形ハ單ニ深谷@069445;みカ其親族ノ者ニ示ス目的ノ爲メ作成セラレタルコト即チ流通ニ措クニ非サルコトヲ是認シナカラ後段ニ於テ行使ノ目的ヲ以テ振出サレタルモノト判定シタルハ理由齟齬アル不法ノ裁判ナリトスト云フニ在レトモ◎僞造手形ノ行使ハ手形本來ノ效用ニ從ヒ之ヲ流通ニ措ク場合ノミニ限ラス僞造ノ手形ヲ眞正ノ手形トシテ使用スルコトヲ汎稱スルモノナレハ被告カ本件ノ手形ハ之ヲ流通セシムルカ爲メニ非サルモ苟モ判示ノ如ク@069445;みヲシテ之ヲ眞正ノ手形トシテ親族ニ呈示セシムルカ爲メナル以上ハ行使ノ目的ヲ以テ手形ヲ僞造シタルモノニ外ナラサルヲ以テ原判決ハ理由齟齬ノ不法アルコトナク論旨ハ理由ナシ(判旨第一點)
第二點原判決ハ被告カ「東亞同文會編纂局ノ印章ヲ不正ニ使用シ同局ヲ代表スル主幹者ノ資格ヲ詐ハリ自カラ同局代表者トシテ署名シ約束手形ヲ僞造シ云云」ト判決セラレタリ然レトモ東亞同文會ハ一ノ事實上ノ團體ニシテ法律上ノ人格者(同會幹事根本一ノ證言)即チ法人ニ非ス故ニ法律上同會代表者ナルモノ存スル筈ナケレハ約束手形ニ同會編纂局代表者和田三夫ト記載スルモ決シテ其資格ヲ詐ハルコトトナル筋合ニアラス何トナレハ資格ヲ詐ハルトハ眞實資格者ノ存スルノ場合ニ無資格者カ其資格ヲ冒用スルヲ云フモノナレハナリ然ルニ前陳ノ如ク東亞同文會ハ人格者ニ非サレハ法律上之レカ代表者ナルモノ存スル謂ハレナキヲ以テナリ加之之レヲ手形法上ノ理論ヨリ見ルモ東亞同文會編纂局代表者和田三夫ト記載シタル手形ハ被告三夫ニ於テ手形上責任アルモノニシテ決シテ人格ナキ東亞同文會カ其支拂ノ責ニ任スヘキモノニ非ス約束手形ノ僞造ハ其署名ヲ詐ハル場合竝ニ其資格ヲ詐ハル場合ニ於テ生スルモノニシテ資格ヲ詐ハルトハ手形上ノ責任ヲ署名者以外ノ人格者ニ歸セシムル形式上ヲ云フモノニシテ詐ハラレタル資格者ハ必ス人格者ナラサルヘカラサルモノトス本件ノ如ク署名者タル被告ニ於テ其責ニ任スヘキモノハ之ヲ約束手形ノ僞造ト云フコトヲ得サルモノトス故ニ以上何レノ點ヨリ觀察スルモ本件ハ死亡者ノ署名ヲ(生存中ノ日附ハ此限リニアラス)詐ハルモ罪トナラサルト一般法律上罪ヲ構成スル筋合ノモノニ非サルニ之ヲ有價證券僞造ニ問擬シタル原判決ハ不法ノ判決ナリトスト云ヒ」第三點原判決ハ「同局ヲ代表スル主幹者ノ資格ヲ詐ハリ自ラ同局代表者トシテ署名シ約束手形ヲ僞造シタリ」ト判示セラレタルモ「編纂局ヲ代表スル主幹者ノ資格」トハ如何ナル資格ナルヤヲ説明セス即チ主幹者トハ法律上如何ナル資格ナリヤ換言スレハ主幹者ト東亞同文會編纂局トノ關係ヲ以テ人格者ノ關係ト解シタルヤ或ハ無人格者間ノ關係ト解シタルヤ不明ナリ東亞同文會ノ無人格ナルコトハ前述ノ如クナレハ其編纂局ノ人格者タル筈ナキハ寔ニ明ナリ然ラハ編纂局ヲ代表スル主幹者ノ資格ナルモノハ法律上是認シ能ハサルノ觀念ニ非スヤ然ルニ原院ハ之ヲ以テ資格ヲ詐ハリタリト判定セラレタルニ拘ハラス其理由ヲ説明セサルハ理由不備ノ不法アル裁判ナリトスト云フニ在リ◎按スルニ東亞同文會ハ法人ニ非ス從テ其編纂局ナルモノノ人格ヲ有セサルコト勿論ナレトモ原判決ニ被告カ東亞同文會編纂局ヲ代表スル主幹者ノ資格ヲ詐ハリ同局代表者トシテ手形ニ署名シタル旨判示シタルハ要スルニ被告カ東亞同文會ナル團體ニ屬スル編纂局員ノ總代名義ヲ詐ハリ署名シタル事實ヲ判示シタルモノニシテ他人ノ作成名義ヲ詐ハリタルモノニ外ナラサレハ論旨ハ何レモ理由ナシ
第四點原判決ハ「右@069445;み方ニ於テ之ヲ同人ニ交付シ以テ之ヲ行使シタリ」ト判示シ被告ヨリ@069445;みニ交付シタル事實ヲ以テ行使ナリト判定セラレタルモ深谷@069445;みハ本件手形ハ假裝ノ手形ニシテ流通スヘカラサル事實ハ之ヲ熟知ス(原判決亦之レヲ是認ス)ル所ナリ然ラハ之ヲ@069445;みニ交付スルモ之ヲ流通ニ措キタリト云フコトヲ得サルト同時ニ又證明ノ用ニ供セラレタルモノトモ云フコト能ハサルハ自明ノ理ナリ然ラハ即チ@069445;みニ交付シタル事實ヲ以テ行使ナリト判定シタルハ結局理由齟齬ノ裁判ナリトスト云フニ在リ◎仍テ原判決ヲ閲スルニ當初@069445;みニ於テ假裝ノ手形ヲ求メタルニモセヨ@069445;みカ本件ノ手形ノ僞造ナルコトヲ知ラサリシコトハ原判決ニ「之ヲ右@069445;み方ニ於テ其僞造ノ情ヲ知ラサル同人ニ交付シ」ト判示スルニ依リ明ナレハ被告ハ@069445;みヲシテ之ヲ流通セシムル爲メニ非サルモ其親族ニ呈示セシムル爲メ眞正ノ手形トシテ之ヲ@069445;みニ交付シタルモノナル以上ハ僞造ノ手形ヲ眞正ノ手形トシテ使用シタルモノニシテ即チ僞造手形ノ行使ニ外ナラサルヲ以テ原判決ハ理由齟齬ノ不法アルコトナク論旨ハ理由ナシ(判旨第三點)
同辯護人私訴上告趣意書原院ハ「控訴人ハ明治四十二年十二月下旬被控訴人ト建坪二十坪ノ二階建家屋一棟ノ建築請負契約ヲ締結シ其請負代金ノ内金トシテ金三百圓ヲ被控訴人ヨリ受取リタリ云云」前記請負契約ハ明治四十二年六七月頃當事者間ノ暗默ノ合意ニ依テ解除セラレタルコトト認ムルニ相當スヘキカ故ニ控訴人ハ被控訴人ニ對シ前顯三百圓ヲ返還スヘキ義務アルヤ勿論ナリ又「控訴人カ明治四十一年一月中八百勘ニ對スル料理代金四十圓八十九錢云云立替金借用金合計二百十圓九錢ヲ支拂フヘキ債務ヲモ負擔シ居ルモノト認定ス」云云被控訴人ノ請求中上示請負代金内金立替金竝ニ貸金合計五百十圓九錢云云ノ支拂ヲ求ムルハ理由アリト判定シ上告人ニ其支拂方ヲ言渡サレタルモ本判決ハ法則ニ違反シタル不法ノ裁判ナリトス一、刑事訴訟法第二條ニハ「私訴ハ犯罪ニ因テ生シタル損害ノ賠償、賍物ノ返還ヲ目的トス」トアリテ私訴ノ目的ハ第一犯罪ヲ原因トスルコト第二損害ノ賠償又ハ賍物ノ返還タルコトヲ要スルモノトス然ルニ本件ハ公訴記録ニ依リ明白ナル如ク被上告人カ請求ノ原因トシタル詐欺取財ハ無罪ノ判決ヲ受ケタルヲ以テ本件請求ハ其第一要件タル(犯罪ヲ原因トスルコト)ヲ失フ次第ナレハ却下セラルヘキ筋合ナルニ原院カ上告人ニ敗訴ヲ言渡シタルハ不法ナリトス二、私訴ハ前述ノ如ク損害ノ賠償若クハ賍物ノ返還ナラサルヘカラサルニ不拘原院ハ請負代金、立替金、貸金ノ支拂ヲ爲スヘシト判定セラレタルハ法則ヲ不法ニ適用シタル不法ノ判決ナリトスト云フニ在レトモ◎公訴ニ附帶シ犯罪行爲ヲ原因トシテ刑事裁判所ニ私訴ノ提起アリタル場合ニ裁判所ハ公訴ニ付無罪ノ言渡ヲ爲シタルトキト雖モ之カ爲メ直ニ私訴ノ請求ヲ却下スルコトヲ得ス假令原因ヲ變更スルモ依然私訴トシテ民法上其理由ノ有無ヲ審査シ請求ノ當否ヲ判決セサルヘカラス故ニ論旨ハ理由ナシ
被告辯護人三宅源重郎上告趣意書第一點私印盜用私書僞造ノ罪ハ他人ノ印章ヲ盜用僞造スルノ罪ナルカ故ニ本罪ノ構成ニハ實在セル人格者アルコトヲ必要トス詳言スレハ他人ノ印章文書ナルモノハ之ニ依リテ表示セラルヘキ人格者アルコトヲ前提トスルカ故ニ私印盜用私書僞造ノ罪ハ自然人若クハ法人ノ印章文書ヲ盜用僞造スルコトニ依リテ成立スヘキモノトス原判決ハ「被告人三夫ハ(中畧)東亞同文會編纂局事務室ニ於テ同會編纂局ノ印章ヲ不正ニ使用シ同局ヲ代表スル主幹者ノ資格ヲ詐ハリ自ラ同局代表者トシテ署名シ以テ同日附深谷@069445;み宛額面金一千圓ノ約束手形ヲ僞造シ云云」ト判示スレトモ所謂東亞同文會ナルモノハ自然人ニアラス亦法人ニモ非サルモノ(證人東亞同文會幹事長根津一豫審調書參照)ナルカ故ニ之カ印章署名ヲ盜用僞造スルト雖モ之カ爲メニ文書僞造罪ヲ構成スヘキモノニアラス然ルニ原院カ之ニ對シテ刑法第六十二條第一項ニ問擬シ有罪ノ判決ヲ與ヘタルハ法則ヲ不當ニ適用シタルノ不法アルモノト信スト云フニ在レトモ◎原判決ニ編纂局ノ印章トアルハ同局主幹者ノ使用スル印章ヲ云フ而シテ論旨ノ理由ナキコトハ被告辯護人手代木佑壽上告趣意書第二點及ヒ第三點ノ下ニ説明スル所ノ如クナルヲ以テ重ネテ茲ニ説明セス
第二點東亞同文會編纂局ハ法律上ノ人格者ニ非サルカ故ニ從テ亦同局ヲ代表スヘキ資格ヲ有スル人アルコトナシ御院判例ハ「文書僞造罪ハ他人ノ名義ヲ詐ハリ文書ヲ作成スルニ因テ成立ス換言スレハ文書ヲ有スル權限ナキモノカ其權限ヲ有スル者ノ資格ヲ詐ハリ文書ヲ作成スルニ於テハ文書僞造罪ヲ構成スルモノナリ」ト判示セラレタレモ本件ノ如ク既ニ法律上代表スヘキ資格者アリ得ヘカラサル場合ニ於テハ自ラ之カ代表者ナリト稱スルコトアルモ固ヨリ一定ノ權限アル他人ノ資格ヲ詐ハリタルモノニアラサルカ故ニ之カ爲メニ文書僞造罪ヲ構成シタルモノト云フヲ得ス然ルニ原判決カ被告ハ東亞同文會編纂局ヲ代表スル主幹者ノ資格ヲ詐ハリ以テ約束手形ヲ僞造シタルモノト爲シ之ニ對シ刑法第百六十二條第一項ヲ以テ問擬シタルハ是レ實ニ法則ヲ不當ニ適用シタルモノニシテ原判決ハ此點ニ於テモ破毀ヲ免カレサルモノト信スト云フニ在レトモ◎是亦其理由ナキコトハ被告辯護人手代木佑壽上告趣意書第二點及第三點ニ對スル説明ニ就キ了解スヘシ
第三點原判決ハ「被告人三夫ハ(中畧)東京市赤坂區溜池町二番地東亞同文會編纂局事務室ニ於テ(中畧)約束手形ヲ僞造シ云云」ト判示スレトモ東亞同文會編纂局事務室カ果シテ東京市赤坂區溜池町二番地ニ存在スルヤ否ヤノ證據ヲ説明セス即チ原判決ハ犯罪ノ場所ニ關スル重要ナル點ニ於テ理由不備ノ不法アルモノト信スト云ヒ」第四點原判決ハ「被告三夫ハ(中畧)明治四十二年一月三十一日(中畧)約束手形ヲ僞造シ(中畧)同日之ヲ右@069445;み方ニ於テ(中畧)同人ニ交付シ以テ行使シタリ」ト判示ス依テ其證據理由ヲ閲スルニ明治四十二年一月二十一日被告カ右約束手形ヲ僞造シタル旨ハ之ヲ説明シ居レトモ該手形ヲふみニ交付シタルハ果シテ同日ナリシヤ否ヤニ至リテハ毫モ之カ説明ヲ爲サス即チ原判決ハ犯罪ノ時ニ關スル重要ナル點ニ於テ理由不備ノ不法アルモノト信スト云フニ在レトモ◎所論ノ犯罪ノ場所及日時ハ本件ノ罪トナルヘキ事實ニ非サルカ故ニ原判決ニ之ヲ認メタル證據説明ヲ缺クモ理由不備ト云フヲ得ス從テ論旨ハ何レモ理由ナシ
第五點以上公訴ニ關スル上告趣意書ハ之ヲ私訴ニモ援用スト云フニ在レトモ◎公訴上告論旨ノ理由ナキコトハ既ニ説明スル所ノ如クナルヲ以テ從テ本論旨モ亦理由ナシ
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十五條ニ依リ主文ノ如ク判決ス
檢事板倉松太郎干與明治四十四年三月三十一日大審院第一刑事部
明治四十三年(レ)第二九一二号
明治四十四年三月三十一日宣告
◎判決要旨
- 一 偽造手形の行使は手形本来の効用に従ひ之を流通に措く場合のみに限らず汎く偽造の手形を真正の手形として使用することを指称せるものとす。
(判旨第一点)
- 一 甲者が乙者をして流通せしむる為めに非ざるも其親族に呈示せしむる為め手形を偽造し真正の手形として之を交付したる所為は。
即ち偽造手形の行使に外ならず(判旨第三点)
公訴私訴上告人 和田三夫
弁護人 手代木佑寿 三宅源重郎
私訴被上告人 深谷@069445;み
右詐欺取財私印盗用私書偽造行使被告事件に付、明治四十三年十一月二十八日東京控訴院に於て言渡したる判決並に之に附帯する私訴事件に付、同年同月三十日同院に於て言渡したる判決に対し被告三夫は公訴に付、被告訴訟代理人手代木佑寿は私訴に付、各上告を為したり。
因で判決する左の如し
理由
本件公私訴の上告は之を棄却す
私訴上告費用は上告人の負担とす。
被告弁護人手代木祐寿上告趣意書第一点原判決は「被告深谷@069445;みが其管理する深谷家の財産を浪費したる為め内一千円は悉く之を被告人に貸与したるものの如く装ひ以て浪費の痕を蔽はんと企で明治四十二年一月頃加藤松次郎なるものを介し被告人に告ぐるに前記の企てを以てしたる上親族に示して金員支出の弁解に供する為め金千円の仮装の手形を振出されたき旨懇請したる処被告人は之を承諾し行使の目的を以て明治四十二年一月三十一日云云深谷@069445;み宛で額面一千円の約束手形を偽造し云云」と判示せられたり右前段認定事実に依れば被告が本件手形を振出したるは深谷@069445;みの懇請を容れ同人の親族に示す為めなることは明かなり。
然るに後段に於て「行使の目的を以て約束手形を偽造し」と認定せられたるは理由齟齬ある裁判なりと思料す。
抑も約束手形の行使とは手形本来の性質に従ひ経済上流通せしむる為めに使用する。
即ち流通に措くを云ふものなれば此目的の下に振出さるるに非ざれば之を以て行使の目的に出でたるものと云ふことを得ざることは法律上明白なりとす。
或は約束手形本来の効用以外に之れを証明の用に供するも猶ほ行使なりとの見解より親族に示すも行使なりと云はんも約束手形本来の効用以外に証明の用に供する場合は証明事実は権利義務に関する事実ならざるべからず。
単に本件の如く親族に対する体裁上示す場合の如きは之れを以て証明の用に供するものと云ふことを得ざるを以て刑法上の行使に非ざること明白なりとす。
然るに原判決は前段に於て本件約束手形は単に深谷@069445;みが其親族の者に示す目的の為め作成せられたること。
即ち流通に措くに非ざることを是認しながら後段に於て行使の目的を以て振出されたるものと判定したるは理由齟齬ある不法の裁判なりとすと云ふに在れども◎偽造手形の行使は手形本来の効用に従ひ之を流通に措く場合のみに限らず偽造の手形を真正の手形として使用することを汎称するものなれば被告が本件の手形は之を流通せしむるか為めに非ざるも苟も判示の如く@069445;みをして之を真正の手形として親族に呈示せしむるか為めなる以上は行使の目的を以て手形を偽造したるものに外ならざるを以て原判決は理由齟齬の不法あることなく論旨は理由なし。
(判旨第一点)
第二点原判決は被告が「東亜同文会編纂局の印章を不正に使用し同局を代表する主幹者の資格を詐はり自から同局代表者として署名し約束手形を偽造し云云」と判決せられたり。
然れども東亜同文会は一の事実上の団体にして法律上の人格者(同会幹事根本一の証言)即ち法人に非ず。
故に法律上同会代表者なるもの存する筈なければ約束手形に同会編纂局代表者和田三夫と記載するも決して其資格を詐はることとなる筋合にあらず。
何となれば資格を詐はるとは真実資格者の存するの場合に無資格者が其資格を冒用するを云ふものなればなり。
然るに前陳の如く東亜同文会は人格者に非ざれば法律上之れが代表者なるもの存する謂はれなきを以てなり。
加之之れを手形法上の理論より見るも東亜同文会編纂局代表者和田三夫と記載したる手形は被告三夫に於て手形上責任あるものにして決して人格なき東亜同文会が其支払の責に任ずべきものに非ず約束手形の偽造は其署名を詐はる場合並に其資格を詐はる場合に於て生ずるものにして資格を詐はるとは手形上の責任を署名者以外の人格者に帰せしむる形式上を云ふものにして詐はられたる資格者は必す人格者ならざるべからざるものとす。
本件の如く署名者たる被告に於て其責に任ずべきものは之を約束手形の偽造と云ふことを得ざるものとす。
故に以上何れの点より観察するも本件は死亡者の署名を(生存中の日附は此限りにあらず。
)詐はるも罪とならざると一般法律上罪を構成する筋合のものに非ざるに之を有価証券偽造に問擬したる原判決は不法の判決なりとすと云ひ」第三点原判決は「同局を代表する主幹者の資格を詐はり自ら同局代表者として署名し約束手形を偽造したり。」と判示せられたるも「編纂局を代表する主幹者の資格」とは如何なる資格なるやを説明せず。
即ち主幹者とは法律上如何なる資格なりや換言すれば主幹者と東亜同文会編纂局との関係を以て人格者の関係と解したるや或は無人格者間の関係と解したるや不明なり。
東亜同文会の無人格なることは前述の如くなれば其編纂局の人格者たる筈なきは寔に明なり。
然らば編纂局を代表する主幹者の資格なるものは法律上是認し能はざるの観念に非ずや然るに原院は之を以て資格を詐はりたりと判定せられたるに拘はらず其理由を説明せざるは理由不備の不法ある裁判なりとすと云ふに在り◎按ずるに東亜同文会は法人に非ず。
従て其編纂局なるものの人格を有せざること勿論なれども原判決に被告が東亜同文会編纂局を代表する主幹者の資格を詐はり同局代表者として手形に署名したる旨判示したるは要するに被告が東亜同文会なる団体に属する編纂局員の総代名義を詐はり署名したる事実を判示したるものにして他人の作成名義を詐はりたるものに外ならざれば論旨は何れも理由なし。
第四点原判決は「右@069445;み方に於て之を同人に交付し以て之を行使したり。」と判示し被告より@069445;みに交付したる事実を以て行使なりと判定せられたるも深谷@069445;みは本件手形は仮装の手形にして流通すべからざる事実は之を熟知す(原判決亦之れを是認す)る所なり。
然らば之を@069445;みに交付するも之を流通に措きたりと云ふことを得ざると同時に又証明の用に供せられたるものとも云ふこと能はざるは自明の理なり。
然らば、即ち@069445;みに交付したる事実を以て行使なりと判定したるは結局理由齟齬の裁判なりとすと云ふに在り◎。
仍て原判決を閲するに当初@069445;みに於て仮装の手形を求めたるにもせよ@069445;みが本件の手形の偽造なることを知らざりしことは原判決に「之を右@069445;み方に於て其偽造の情を知らざる同人に交付し」と判示するに依り明なれば被告は@069445;みをして之を流通せしむる為めに非ざるも其親族に呈示せしむる為め真正の手形として之を@069445;みに交付したるものなる以上は偽造の手形を真正の手形として使用したるものにして、即ち偽造手形の行使に外ならざるを以て原判決は理由齟齬の不法あることなく論旨は理由なし。
(判旨第三点)
同弁護人私訴上告趣意書原院は「控訴人は明治四十二年十二月下旬被控訴人と建坪二十坪の二階建家屋一棟の建築請負契約を締結し其請負代金の内金として金三百円を被控訴人より受取りたり云云」前記請負契約は明治四十二年六七月頃当事者間の暗黙の合意に依て解除せられたることと認むるに相当すべきが故に控訴人は被控訴人に対し前顕三百円を返還すべき義務あるや勿論なり。
又「控訴人が明治四十一年一月中八百勘に対する料理代金四十円八十九銭云云立替金借用金合計二百十円九銭を支払ふべき債務をも負担し居るものと認定す」云云被控訴人の請求中上示請負代金内金立替金並に貸金合計五百十円九銭云云の支払を求むるは理由ありと判定し上告人に其支払方を言渡されたるも本判決は法則に違反したる不法の裁判なりとす。
一、刑事訴訟法第二条には「私訴は犯罪に因で生じたる損害の賠償、賍物の返還を目的とす。」とありて私訴の目的は第一犯罪を原因とすること第二損害の賠償又は賍物の返還たることを要するものとす。
然るに本件は公訴記録に依り明白なる如く被上告人が請求の原因としたる詐欺取財は無罪の判決を受けたるを以て本件請求は其第一要件たる(犯罪を原因とすること)を失ふ。
次第なれば却下せらるべき筋合なるに原院が上告人に敗訴を言渡したるは不法なりとす。
二、私訴は前述の如く損害の賠償若くは賍物の返還ならざるべからざるに不拘原院は請負代金、立替金、貸金の支払を為すべしと判定せられたるは法則を不法に適用したる不法の判決なりとすと云ふに在れども◎公訴に附帯し犯罪行為を原因として刑事裁判所に私訴の提起ありたる場合に裁判所は公訴に付、無罪の言渡を為したるときと雖も之が為め直に私訴の請求を却下することを得ず。
仮令原因を変更するも依然私訴として民法上其理由の有無を審査し請求の当否を判決せざるべからず。
故に論旨は理由なし。
被告弁護人三宅源重郎上告趣意書第一点私印盗用私書偽造の罪は他人の印章を盗用偽造するの罪なるが故に本罪の構成には実在せる人格者あることを必要とす。
詳言すれば他人の印章文書なるものは之に依りて表示せらるべき人格者あることを前提とするが故に私印盗用私書偽造の罪は自然人若くは法人の印章文書を盗用偽造することに依りて成立すべきものとす。
原判決は「被告人三夫は(中略)東亜同文会編纂局事務室に於て同会編纂局の印章を不正に使用し同局を代表する主幹者の資格を詐はり自ら同局代表者として署名し以て同日附深谷@069445;み宛額面金一千円の約束手形を偽造し云云」と判示すれども所謂東亜同文会なるものは自然人にあらず。
亦法人にも非ざるもの(証人東亜同文会幹事長根津一予審調書参照)なるが故に之が印章署名を盗用偽造すると雖も之が為めに文書偽造罪を構成すべきものにあらず。
然るに原院が之に対して刑法第六十二条第一項に問擬し有罪の判決を与へたるは法則を不当に適用したるの不法あるものと信ずと云ふに在れども◎原判決に編纂局の印章とあるは同局主幹者の使用する印章を云ふ。
而して論旨の理由なきことは被告弁護人手代木佑寿上告趣意書第二点及び第三点の下に説明する所の如くなるを以て重ねて茲に説明せず
第二点東亜同文会編纂局は法律上の人格者に非ざるが故に。
従て亦同局を代表すべき資格を有する人あることなし御院判例は「文書偽造罪は他人の名義を詐はり文書を作成するに因で成立す換言すれば文書を有する権限なきものが其権限を有する者の資格を詐はり文書を作成するに於ては文書偽造罪を構成するものなり。」と判示せられたれも本件の如く既に法律上代表すべき資格者あり得べからざる場合に於ては自ら之が代表者なりと称することあるも固より一定の権限ある他人の資格を詐はりたるものにあらざるが故に之が為めに文書偽造罪を構成したるものと云ふを得ず。
然るに原判決が被告は東亜同文会編纂局を代表する主幹者の資格を詐はり以て約束手形を偽造したるものと為し之に対し刑法第百六十二条第一項を以て問擬したるは是れ実に法則を不当に適用したるものにして原判決は此点に於ても破毀を免がれざるものと信ずと云ふに在れども◎是亦其理由なきことは被告弁護人手代木佑寿上告趣意書第二点及第三点に対する説明に就き了解すべし。
第三点原判決は「被告人三夫は(中略)東京市赤坂区溜池町二番地東亜同文会編纂局事務室に於て(中略)約束手形を偽造し云云」と判示すれども東亜同文会編纂局事務室が果して東京市赤坂区溜池町二番地に存在するや否やの証拠を説明せず。
即ち原判決は犯罪の場所に関する重要なる点に於て理由不備の不法あるものと信ずと云ひ」第四点原判決は「被告三夫は(中略)明治四十二年一月三十一日(中略)約束手形を偽造し(中略)同日之を右@069445;み方に於て(中略)同人に交付し以て行使したり。」と判示す。
依て其証拠理由を閲するに明治四十二年一月二十一日被告が右約束手形を偽造したる旨は之を説明し居れども該手形をふみに交付したるは果して同日なりしや否やに至りては毫も之が説明を為さず。
即ち原判決は犯罪の時に関する重要なる点に於て理由不備の不法あるものと信ずと云ふに在れども◎所論の犯罪の場所及日時は本件の罪となるべき事実に非ざるが故に原判決に之を認めたる証拠説明を欠くも理由不備と云ふを得ず。
従て論旨は何れも理由なし。
第五点以上公訴に関する上告趣意書は之を私訴にも援用すと云ふに在れども◎公訴上告論旨の理由なきことは既に説明する所の如くなるを以て。
従て本論旨も亦理由なし。
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条に依り主文の如く判決す
検事板倉松太郎干与明治四十四年三月三十一日大審院第一刑事部