明治四十三年(れ)第二四六四號
明治四十三年十二月二十日宣告
◎判決要旨
- 一 事實裁判所ハ其心證ノ因テ生シタル證據ヲ明示スレハ足ル從テ其證據ノ何レノ部分ヨリ如何ナル方法ヲ以テ犯罪事實ヲ斷スルニ至リタルヤノ心理判斷ノ作用ハ必スシモ之ヲ判文ニ掲クルコトヲ要セス
右六十治ニ對スル故買新藏ニ對スル詐欺各被告事件ニ付キ明治四十三年九月三十日大阪控訴院ニ於テ言渡シタル判決ニ對シ各被告ヨリ上告ヲ爲シタリ因テ判決スル左ノ如シ
理由
本件上告ハ之ヲ棄却ス
被告新藏辯護人櫻井熊太郎上告趣意書原判決ハ第三事實ニ於テ被告ハ貞市撃ト共謀シ明治四十二年十月二十二日増田房吉ヲ欺キ清酒五梃ヲ新藏方ニ七梃ヲ當時貞市寓所ニ送付セシメ之ヲ騙取シ云云更ニ同月二十五日賣買名義ノ下ニ前記房吉ヨリ清酒二十四梃ヲ撃ノ住所ニ十二月十二日清酒二十梃味淋一梃ヲ新藏方ニ送付セシメ之ヲ騙取シタリト判示シ其認定ノ證憑トシテ被告新藏ノ原審ニ於ケル供述ト片岡貞市ニ對スル豫審調書ト増田房吉ニ對スル豫審調書ト増田房吉ノ豫審判事ニ宛テタル届書トヲ引用セリ然レトモ右原院ノ引用セル證據ハ互ニ相矛盾セルヲ以テ何レノ證據ヲ採リテ以テ前記認定ニ供シタルヤ不明ナリ蓋シ原院ノ判示事實ニ依レハ被告等ノ騙取シタル酒ハ清酒五十六梃ト味淋一梃ナリ飜ツテ被告新藏ノ原審ニ於ケル供述中ニハ二囘ノ増田房吉ヨリ清酒二十五梃ト味淋一梃ノ送付ヲ受ケタル事實ヲ認ムルニ過キス次ニ片岡貞市ノ豫審調書中ニハ清酒十二梃ヲ送ラセ五梃ハ新藏ニ渡シ二梃ハ賣却殘リ五梃ハ入質シタル旨ト更ニ房吉ヲ欺キ新藏ヘ清酒二十四梃ト味淋一梃自分ヘ清酒二十四梃ヲ送ラセ之ヲ騙取シタリ之ニヨリ計算スレハ新藏ノ送付ヲ受ケタル清酒二十九梃ト味淋一梃ト貞市ノ送付ヲ受ケタル清酒七梃ト同二十四梃ト合計清酒六十梃ト味淋一梃ナリ更ニ増田房吉ノ豫審調書ニ依レハ十一月中ニ被告新藏ヘ五梃貞市ヘ七梃ト十一月末新藏方ヘ清酒二十四梃ト味淋一梃ト貞市方ヘ清酒二十四梃トヲ送付シ之ヲ騙取セラレタリトアリ故ニ之ヲ計算スル時ハ前記ノ豫審調書ト同シク清酒六十梃ト味淋一梃トナルヘシ次ニ増田房吉ノ豫審判事ニ宛テタル届書ニハ木戸、片岡二對シ十一月二十二日清酒七梃十二月二十五日同二十四梃松田新藏ニ對シ十一月二十二日清酒五梃十二月十二日同二十梃ト味淋一梃ナル旨記載シアルヲ以テ合計清酒五十六梃ト味淋一梃ナリ如斯諸般ノ證據中其數量カ互ニ相一致セサル場合ニ苟モ原院ニ於テ各證憑ヲ採用スル以上數量ノ點ニ付キテハ何レノ證據ニヨリ之レヲ認定シ他ヲ排斥スル旨ノ説示ヲ爲ササルヘカラス然ラサレハ如何ナル證據ニヨリテ之ヲ認メタルカ不明ナリ然ルニ原院カ之カ説明ヲ爲サス漫然第二事實記載ノ物件ヲ騙取シタリト判示シタルハ全ク理由不備アル不法ノ裁判ナリト信スト云フニ在リ◎依テ按スルニ證據ノ取捨判斷ハ事實裁判所ノ職權ニ屬スルヲ以テ裁判所ハ數多ノ證據ヲ綜合考覈シテ公訴ノ目的タル犯罪事實ノ有無ヲ確定スルニ當リ斷罪ノ資料ト爲ルヘキ證據中何レノ部分ヲ採リ何レノ部分ヲ捨ツヘキヤハ裁判所ノ自由ナル心證ニ依リテ定マルヘキモノニシテ裁判所ノ此職權ヲ制限シタル法律規定ナシ從テ裁判所ハ幾多ノ矛盾撞着セル證據中ニ於テ其心證判斷ノ資料ヲ蒐集スルコトヲ得ヘク其證據ヲ綜合シタル結果ニ依リテ犯罪事實ヲ演釋歸納シ得ル以上ハ其判斷ハ憑據スル所アリテ其事實確定ハ適法ナリトス而シテ事實裁判所ハ其心證ノ因テ生シタル證據ヲ明示スルノミヲ以テ足リ何レノ證據ノ何レノ部分ヨリ如何ナル方法ヲ以テ推理シテ犯罪事實ヲ斷スルニ至リタルヤノ心理判斷ノ作用ハ必ラスシモ之ヲ判文ニ掲クルコトヲ要セス而シテ本件ニ在テモ原院ハ其判文所掲ノ證據ヲ綜合考覈シテ被告ノ罪ヲ斷シタルモノニシテ騙取ノ年月日及ヒ其目的物ノ種類數量ニ關シテハ主トシテ増田房吉ノ届書ニ依據シタルモノニシテ此點ニ付キテハ他ノ證據ヲ排斥シタルモノナルコトヲ推知シ得ル以上ハ特ニ之ヲ判文上ニ説明セサルモ之ヲ以テ理由不備ノ違法アリト謂フコトヲ得ス故ニ右論旨ハ理由ナシ
被告六十治辯護人牧野賤男上告趣意書第一原判決ノ認定ニヨレハ「被告六十治ハ明治四十二年十一月末ヨリ同年十二月五日迄ノ間ニ犯意ヲ連續シテ云云新藏、貞市、撃等カ云云騙取シタル清酒タルノ情ヲ知リ乍ラ云云數囘ニ買得シタルモノナリ」ト云フニ在リ然ルニ單ニ刑法第二百五十六條第二項ノミヲ適用處斷シタルハ被告ノ所爲ヲ單一ナル犯罪ト認メタルモノナルヤ將タ數囘ノ行爲ニシテ同一ノ罪名ニ觸ルル所ノ一罪ナルヤ事實ノ認定ト法律ノ適用ト相副ハサルヲ以テ其適歸スル所ヲ知ルニ由ナシ故ニ原判決ハ理由不備ニアラスンハ擬律錯誤ノ不法アリト信スト云フニ在レトモ◎刑法第五十五條ハ現ニ之ヲ適用スルノミヲ以テ足リ之ヲ判文ニ掲ケテ其適用ノ理由ヲ明示スルノ必要ナシ而シテ原院カ既ニ被告ノ各所爲ヲ以テ單一ノ犯罪トシテ法律ヲ適用シタル以上ハ刑法第五十五條ノ規定ハ自カラ適用セラレタル筋合ナルヲ以テ原判決ノ擬律ハ結局相當ニシテ上告論旨ハ理由ナシ
第二第一審判決ハ被告六十治ノ(第六)犯罪ヲ認定スルニ方リ被告六十治ノ豫審調書ニ「木戸撃ヨリ明治四十二年十一月三十日清酒二梃同年十二月一日同十梃同年十二月五日同十梃ヲ一梃ニ付最初ハ十圓次ハ十一圓終リハ十一圓五十錢ニテ買受ケタリ其酒ハ房吉方ノ清酒ニテ自分カ過日一梃十七圓ニテ買受ケタルモノト同種ノ廣峰ト稱スル清酒ナル旨ノ供述」アリトシテ證據ニ引用セラレタルモ被告ノ豫審調書中ニハ「其酒ハ房吉方ノ清酒ニテ云云」以下ノ供述記載ナシ即チ第一審判決ハ虚無ノ證據ニヨリ事實ヲ認定シタル不法アルニ拘ハラス原院ハ該判決ヲ是認シ被告ノ控訴ヲ理由ナシトテ棄却セラレタルハ不法ナリト云フニ在レトモ◎第一審ニ於ケル採證上ノ違法ハ本案事件ノ認定ニ影響ヲ及ホス場合ノ外ハ第一審判決ヲ取消スヘキ瑕瑾トナラサルモノトス而シテ本件ニ在テ第一、二審ノ事實認定ハ相一致スルヲ以テ第一審判決ニ採證上ノ違法アルヲ理由トシテ之ヲ攻撃スルニ由ナキモノトス故ニ原院カ第一審判決ヲ是認シタルハ相當ニシテ上告論旨ハ理由ナシ
第三刑事訴訟法第百二十二條ニ依レハ裁判所書記ハ證人ニ宣誓書ヲ讀聞カセ之ニ署名捺印セシムヘキモノナリ原院ニ於テ證據ニ供セラレタル増田房吉及ヒ但馬リヨノ各證人調書ニハ宣誓書ヲ讀聞ケタル旨ノ記載ナシ故ニ該調書ハ法律上適法ナリトノ保障ナキニ拘ハラス之ヲ採テ證據トナシタル原判決ハ不法ナリト云フニ在レトモ◎第二審判文ヲ見ルニ但馬リヨノ供述ヲ斷罪ノ資料ニ供シタル事跡ナク又増田房吉ノ訊問調書ニハ宣誓ヲ爲サシメタル旨記載アリテ特ニ宣誓書ヲ讀ミ聞ケタル旨ノ記載ナキモ前掲記載中ニハ適式ニ宣誓セシメタルコト換言スレハ宣誓書ヲ讀ミ聞ケ署名捺印セシメタル趣旨ハ自カラ包含セラレアルコト明カナルヲ以テ本論旨モ亦理由ナシ
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十五條ニ依リ主文ノ如ク判決ス
檢事鈴木宗言干與明治四十三年十二月二十日大審院第一刑事部
明治四十三年(レ)第二四六四号
明治四十三年十二月二十日宣告
◎判決要旨
- 一 事実裁判所は其心証の因で生じたる証拠を明示すれば足る。
従て其証拠の何れの部分より如何なる方法を以て犯罪事実を断するに至りたるやの心理判断の作用は必ずしも之を判文に掲ぐることを要せず。
右六十治に対する故買新蔵に対する詐欺各被告事件に付き明治四十三年九月三十日大坂控訴院に於て言渡したる判決に対し各被告より上告を為したり。
因で判決する左の如し
理由
本件上告は之を棄却す
被告新蔵弁護人桜井熊太郎上告趣意書原判決は第三事実に於て被告は貞市撃と共謀し明治四十二年十月二十二日増田房吉を欺き清酒五梃を新蔵方に七梃を当時貞市寓所に送付せしめ之を騙取し云云更に同月二十五日売買名義の下に前記房吉より清酒二十四梃を撃の住所に十二月十二日清酒二十梃味淋一梃を新蔵方に送付せしめ之を騙取したりと判示し其認定の証憑として被告新蔵の原審に於ける供述と片岡貞市に対する予審調書と増田房吉に対する予審調書と増田房吉の予審判事に宛てたる届書とを引用せり。
然れども右原院の引用せる証拠は互に相矛盾せるを以て何れの証拠を採りて以て前記認定に供したるや不明なり。
蓋し原院の判示事実に依れば被告等の騙取したる酒は清酒五十六梃と味淋一梃なり。
翻って被告新蔵の原審に於ける供述中には二回の増田房吉より清酒二十五梃と味淋一梃の送付を受けたる事実を認むるに過ぎず次に片岡貞市の予審調書中には清酒十二梃を送らせ五梃は新蔵に渡し二梃は売却残り五梃は入質したる旨と更に房吉を欺き新蔵へ清酒二十四梃と味淋一梃自分へ清酒二十四梃を送らせ之を騙取したり。
之により計算すれば新蔵の送付を受けたる清酒二十九梃と味淋一梃と貞市の送付を受けたる清酒七梃と同二十四梃と合計清酒六十梃と味淋一梃なり。
更に増田房吉の予審調書に依れば十一月中に被告新蔵へ五梃貞市へ七梃と十一月末新蔵方へ清酒二十四梃と味淋一梃と貞市方へ清酒二十四梃とを送付し之を騙取せられたりとあり。
故に之を計算する時は前記の予審調書と同じく清酒六十梃と味淋一梃となるべし次に増田房吉の予審判事に宛てたる届書には木戸、片岡二対し十一月二十二日清酒七梃十二月二十五日同二十四梃松田新蔵に対し十一月二十二日清酒五梃十二月十二日同二十梃と味淋一梃なる旨記載しあるを以て合計清酒五十六梃と味淋一梃なり。
如斯諸般の証拠中其数量が互に相一致せざる場合に苟も原院に於て各証憑を採用する以上数量の点に付きては何れの証拠により之れを認定し他を排斥する旨の説示を為さざるべからず。
然らざれば如何なる証拠によりて之を認めたるか不明なり。
然るに原院が之か説明を為さず漫然第二事実記載の物件を騙取したりと判示したるは全く理由不備ある不法の裁判なりと信ずと云ふに在り◎依て按ずるに証拠の取捨判断は事実裁判所の職権に属するを以て裁判所は数多の証拠を綜合考覈して公訴の目的たる犯罪事実の有無を確定するに当り断罪の資料と為るべき証拠中何れの部分を採り何れの部分を捨つべきやは裁判所の自由なる心証に依りて定まるべきものにして裁判所の此職権を制限したる法律規定なし。
従て裁判所は幾多の矛盾撞着せる証拠中に於て其心証判断の資料を蒐集することを得べく其証拠を綜合したる結果に依りて犯罪事実を演釈帰納し得る以上は其判断は憑拠する所ありて其事実確定は適法なりとす。
而して事実裁判所は其心証の因で生じたる証拠を明示するのみを以て足り何れの証拠の何れの部分より如何なる方法を以て推理して犯罪事実を断するに至りたるやの心理判断の作用は必らずしも之を判文に掲ぐることを要せず。
而して本件に在ても原院は其判文所掲の証拠を綜合考覈して被告の罪を断したるものにして騙取の年月日及び其目的物の種類数量に関しては主として増田房吉の届書に依拠したるものにして此点に付きては他の証拠を排斥したるものなることを推知し得る以上は特に之を判文上に説明せざるも之を以て理由不備の違法ありと謂ふことを得ず。
故に右論旨は理由なし。
被告六十治弁護人牧野賎男上告趣意書第一原判決の認定によれば「被告六十治は明治四十二年十一月末より同年十二月五日迄の間に犯意を連続して云云新蔵、貞市、撃等が云云騙取したる清酒たるの情を知り乍ら云云数回に買得したるものなり。」と云ふに在り。
然るに単に刑法第二百五十六条第二項のみを適用処断したるは被告の所為を単一なる犯罪と認めたるものなるや将た数回の行為にして同一の罪名に触るる所の一罪なるや事実の認定と法律の適用と相副はざるを以て其適帰する所を知るに由なし。
故に原判決は理由不備にあらずんば擬律錯誤の不法ありと信ずと云ふに在れども◎刑法第五十五条は現に之を適用するのみを以て足り之を判文に掲げて其適用の理由を明示するの必要なし。
而して原院が既に被告の各所為を以て単一の犯罪として法律を適用したる以上は刑法第五十五条の規定は自から適用せられたる筋合なるを以て原判決の擬律は結局相当にして上告論旨は理由なし。
第二第一審判決は被告六十治の(第六)犯罪を認定するに方り被告六十治の予審調書に「木戸撃より明治四十二年十一月三十日清酒二梃同年十二月一日同十梃同年十二月五日同十梃を一梃に付、最初は十円次は十一円終りは十一円五十銭にて買受けたり其酒は房吉方の清酒にて自分が過日一梃十七円にて買受けたるものと同種の広峯と称する清酒なる旨の供述」ありとして証拠に引用せられたるも被告の予審調書中には「其酒は房吉方の清酒にて云云」以下の供述記載なし。
即ち第一審判決は虚無の証拠により事実を認定したる不法あるに拘はらず原院は該判決を是認し被告の控訴を理由なしとて棄却せられたるは不法なりと云ふに在れども◎第一審に於ける採証上の違法は本案事件の認定に影響を及ぼす場合の外は第一審判決を取消すべき瑕瑾とならざるものとす。
而して本件に在で第一、二審の事実認定は相一致するを以て第一審判決に採証上の違法あるを理由として之を攻撃するに由なきものとす。
故に原院が第一審判決を是認したるは相当にして上告論旨は理由なし。
第三刑事訴訟法第百二十二条に依れば裁判所書記は証人に宣誓書を読聞かせ之に署名捺印せしむべきものなり。
原院に於て証拠に供せられたる増田房吉及び。
但馬りよの各証人調書には宣誓書を読聞けたる旨の記載なし。
故に該調書は法律上適法なりとの保障なきに拘はらず之を採で証拠となしたる原判決は不法なりと云ふに在れども◎第二審判文を見るに。
但馬りよの供述を断罪の資料に供したる事跡なく又増田房吉の訊問調書には宣誓を為さしめたる旨記載ありて特に宣誓書を読み聞けたる旨の記載なきも前掲記載中には適式に宣誓せしめたること換言すれば宣誓書を読み聞け署名捺印せしめたる趣旨は自から包含せられあること明かなるを以て本論旨も亦理由なし。
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条に依り主文の如く判決す
検事鈴木宗言干与明治四十三年十二月二十日大審院第一刑事部