明治四十三年（れ）第一六四六號
明治四十三年十月四日宣告
◎判決要旨
- 一 刑法第百九十條ニ所謂遺骨ハ死者ノ祭祀若クハ紀念ノ爲メ之ヲ保存シ又ハ保存スヘキモノタルコトヲ要ス故ニ死者ノ遺族其他遺骨ヲ處分スルノ權限ヲ有スル者カ風俗慣習ニ從ヒ正當ニ處分シタルモノハ縱令之ヲ領得スルモ同條ノ犯罪ヲ構成セス
（參照）死體、遺骨、遺髮又ハ棺内ニ藏置シタル物ヲ損壞、遺棄又ハ領得シタル者ハ三年以下ノ懲役ニ處ス（刑法第百＄九十條）
右遺骨領得被告事件ニ付明治四十三年六月十八日名古屋控訴院ニ於テ言渡シタル判決ニ對シ被告ヨリ上告ヲ爲シタリ因テ判決スルコト左ノ如シ
理由
原判決中被告肥吉ニ關スル部分ヲ破毀ス
被告肥吉ヲ無罪トス
押收物件ハ差出人ニ還付ス
辯護人原田亮上告趣意書第一點原判決ハ「（前畧）高山町火葬場ニ於テ死體火葬後遺族カ骨揚ヲ爲シタル殘餘ノ骨約九十貫目ヲ意思繼續シテ數囘ニ之レヲ領得シ被告肥吉ハ同町ニ於テ同一日時間意思繼續シテ數囘ニ右殘骨約九十貫目ヲ被告梅吉ヨリ買受ケ之レヲ領得シタルモノナリ」トノ事實ヲ認定シ刑法第百九十條ヲ適用處斷シタリ然レトモ該判示ノ殘骨ハ法律上所謂遺骨ナリトノ理由ヲ説明スルニアラサレハ未タ罪ト爲ルヘキ事實理由ヲ示シタルモノト云フヲ得ス刑法第百九十條ハ禮拜所及墳墓ニ關スル罪ト題スル章下ニ規定セラレ道義若クハ宗教感情ヲ害スル犯罪ニシテ同條ニ所謂遺骨トハ宗教上崇教ノ心念ヲ以テ祭祀セラルヘキ人骨即チ墳墓ニ安置セラルヘキ人ノ骸骨若クハ骨片ヲ謂フモノトス
從テ人ノ死屍ヲ火葬ニ付シタル場合ニ於テ遺族カ未タ骨揚ヲ爲ササル以前ニ於テハ其全部ヲ拾收スルト又其何レノ部分ヲ殘留スルトハ該地ニ於ケル一般ノ慣習ニ反セサル限リハ遺族ノ自由ニシテ且一般ニ崇教ノ感念ヲ以テ迎ヘラルルモノナルカ故ニ其人骨ノ全部ハ之レヲ遺骨ト云ハサルヘカラス又既ニ遺族カ骨揚ヲ爲シタル以後ニ於テハ一般慣習ニ從ヒ祭祀禮拜ノ目的ヲ以テ骨壺ニ納入シタルモノヲ遺骨トシ其殘留シテ火葬場ノ管理人ニ委シタル部分ハ一般ニ棺板ノ灰燼ト同一視スルモノニシテ何等禮拜ノ目的タラサルモノナルカ故ニ遺骨ト云フヘキモノニ非ス或ハ曰ク苟クモ人類ノ死屍ヲ火葬ニ付シタルトキハ其骨體ノ全部ハ遺骨ナリト是レ物理的觀念ヲ以テ直ニ法則ノ字義ヲ解セントスルモノニシテ大ナル謬論ナリ蓋シ法律上ノ術語ハ其規定ノ精神ニ基キ解釋スルヲ要スルモノニシテ試ニ標本トシテ賣買セラルル醫家使用ノ骸骨ノ如キハ其法律上遺骨ト云フヘカラサル事ヲ一考セハ疑義自ラ氷解セン又或ハ曰ク若シ遺族カ骨揚ヲ爲シタルモノノミヲ遺骨トシテ殘留セルモノヲ然ラストセハ火葬セル人骨ノ遺骨ナルト否トハ遺族ノ意思ノミニ依リテ決セラルルニ至ルヘク終ニ社會ノ良俗ヲ害スルニ至ルヲ如何セント是レ其一ヲ知テ未タ其二アルヲ知ラサルモノナリ遺骨タルト否トハ唯遺族ノ意思ノミニ依リテ決スヘキモノニ非サルハ論者ノ言ノ如シト雖モ其之ヲ決定スルニ付遺族ノ主觀的意思ヲ參酌セサルヘカラス即チ火葬ニ付シタル人骨ノ全部ヲ以テ遺骨ト爲スヘキヤ否ヤハ該地ノ風俗慣習ニ依ルト同時ニ遺族ノ意思ニ因テ決スヘキモノトス若シ該地ノ慣習ニシテ必ス全部ヲ拾收スヘキモノナリトセハ其一部ヲ殘留スルハ遺骨ノ遺棄罪ナルト同時ニ之レヲ買受ケ其他占有ヲ取得シタルモノハ其領得罪ナリト云フヘシ又若シ其一部ヲ殘留シ得ル慣習アリトセハ遺族ハ其全部ヲ拾收スルハ固ヨリ其自由ナリト雖モ該慣習ニ反セサル範圍ニ於テ其一部分ノミヲ拾納シ得ヘク其殘留セルモノハ遺族カ祭祀ノ目的トスルヲ要セサルモノトシテ火葬場管理人ノ自由ニ委シタルモノニシテ從テ亦一般ニ宗教上崇教ノ感念ヲ以テ尊重スルコトナク恰モ刑法第百九十條ニ規定セル遺髮ハ噴墓ニ安置セラレ若クハ葬祭ノ目的タルヘキ人ノ毛髮ヲ謂フモノニシテ髢屋ニ於テ販賣スル毛髮ノ如キハ所謂遺髮ト云フヘカラサルト等シク法律上遺骨ト云フヘキモノニ非ス之レヲシモ遺骨ナリトセンカ該慣習アル土地ノ人民ハ悉ク遺骨遺棄罪ノ被告人タラサルモノナキニ至ルヘシ如斯ハ一般慣例ニ遵ヒタル正當ノ行爲ヲ犯罪視シ何等反社會的性質ヲ有セサルモノヲ罪セントスルモノニシテ洵ニ必要程度ヲ超脱シ徒ニ犯罪ヲ作爲スルモノニシテ刑法ノ本來ノ目的ヲ阻却シ其精神ヲ沒却スルモノト言フ可シ又之レヲ刑法第百九十條ノ創定セラレタル沿革的理由ニ鑒ミルニ本條ハ墳墓ニ安置セラレ若クハ祭祀ノ目的タル人骨ヲ竊取シタル場合ニ於テ其果シテ財物ナリト云フヲ得ルヤ否ヤ及ヒ所持ノ奪取ト云フヲ得ルヤ否ヤノ疑義ヲ排センカ爲メニ規定セラレタルモノニシテ遺族ノ放棄シタル骨片ノ如キハ全然其目的ノ圈外ニアルモノナリ而シテ原判決ノ犯罪ノ地ト認メタル岐阜縣大野郡高山町ニ於テハ民人一般ニ温良敬虔ニシテ質樸ノ美風ニ富ミ宗教感念熾盛ナル良俗アリト雖モ遺骨ニ關シテハ大小形状等畧一定セル納骨壺ヲ作製シ之ニ滿ツルヲ限度トシテ人骨ヲ納入シ以テ墳墓ニ安置シテ崇敬祭祀シ其殘留セルモノハ之ヲ放置シテ火葬場管理人ノ自由處分ニ委シ或ハ肥料等ニ使用スルヲ以テ一般ノ慣習トス從テ其殘骨ノ刑法ニ所謂遺骨ト云フヘキモノニ非サルハ殆ト疑ヲ容レス然ルニ原判決ハ該慣習ノ有無ニ付何等取調ヲ爲スコトナク漫然殘骨ヲ領得セリトノ事實ヲ認メ刑法第百九十條ヲ適用處斷シタルハ理由不備ノ不法アルヲ免レスト云フニ在リ◎依テ按スルニ人ノ遺骨カ刑法第百九十條ノ意義ニ於テ之ヲ侵害スルコトヲ許ササル法益タルカ爲メニハ死者ノ祭祀又ハ紀念ノ爲メ之ヲ保存シ又ハ保存スヘキモノタルコトヲ要シ死者ノ遺族其他遺骨ヲ處分スルノ權限ヲ有スル者カ風俗慣習ニ從ヒ正當ニ之ヲ處分シタルモノハ此性質ヲ有セサルヲ以テ之ヲ領有スルモ刑法第百九十條ノ犯罪ヲ構成スルコトナシ而シテ死者ノ遺族其他葬式ヲ擧行スル者カ死者ノ遺骸ヲ火葬ニ付スル場合ニ於テハ灰燼ニ歸シタル遺骨ハ全部之ヲ拾集スルコトヲ得スシテ多少其現場ニ遺留スルハ數ノ免カレ能ハサル所ナルヲ以テ其儘之ヲ放擲スルハ風俗慣習ニ於テ禁セサル所ニシテ此種ノ遺骨ハ他ノ砂塵ト等シク之ヲ遺棄シ又ハ猥リニ之ヲ領得スルハ道義上ノ見地ニ於テ厭フヘキモノナリトスルモ刑法第百九十條ノ犯罪ヲ構成スヘキモノニアラス而シテ原院ノ認メタル事實ニ依レハ被告ノ領得シタル本件ノ遺骨ハ死者ノ遺族カ骨揚ヲ爲シタル殘餘ノモノニシテ刑法第百九十條ニ所謂遺骨ニアラサルヲ以テ被告ノ所爲ハ犯罪ヲ構成セサルモノナルニ原院カ之ニ對シ同條ノ刑ヲ擬シタルハ失當ニシテ上告論旨ハ理由アリ原判決ハ破毀ヲ免カレサルモノトス既ニ此點ヲ以テ原判決ヲ破毀スル以上ハ其他ノ上告論旨ニ對シテ一一説明ヲ爲スノ要ナシ
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十六條ニ依リ原判決ヲ破毀シ同第二百八十七條ニ依リ當院ニ於テ擬律ヲ爲スニ原院ノ認メタル事實ニ依レハ被告ノ所爲ハ罪トナラサルヲ以テ刑事訴訟法第二百二十四條ニ依リ無罪ヲ言渡シ押收物件ハ同法第二百二條ニ依リ差出人ニ還付スヘキモノトス仍テ主文ノ如ク判決ス
檢事鈴木宗言干與明治四十三年十月四日大審院第一刑事部
明治四十三年（レ）第一六四六号
明治四十三年十月四日宣告
◎判決要旨
- 一 刑法第百九十条に所謂遺骨は死者の祭祀若くは紀念の為め之を保存し又は保存すべきものたることを要す。
故に死者の遺族其他遺骨を処分するの権限を有する者が風俗慣習に従ひ正当に処分したるものは縦令之を領得するも同条の犯罪を構成せず
（参照）死体、遺骨、遺髪又は棺内に蔵置したる物を損壊、遺棄又は領得したる者は三年以下の懲役に処す（刑法第百＄九十条）
右遺骨領得被告事件に付、明治四十三年六月十八日名古屋控訴院に於て言渡したる判決に対し被告より上告を為したり。
因で判決すること左の如し
理由
原判決中被告肥吉に関する部分を破毀す
被告肥吉を無罪とす。
押収物件は差出人に還付す
弁護人原田亮上告趣意書第一点原判決は「（前略）高山町火葬場に於て死体火葬後遺族が骨揚を為したる残余の骨約九十貫目を意思継続して数回に之れを領得し被告肥吉は同町に於て同一日時間意思継続して数回に右残骨約九十貫目を被告梅吉より買受け之れを領得したるものなり。」との事実を認定し刑法第百九十条を適用処断したり。
然れども該判示の残骨は法律上所謂遺骨なりとの理由を説明するにあらざれば未だ罪と為るべき事実理由を示したるものと云ふを得ず。
刑法第百九十条は礼拝所及墳墓に関する罪と題する章下に規定せられ道義若くは宗教感情を害する犯罪にして同条に所謂遺骨とは宗教上崇教の心念を以て祭祀せらるべき人骨即ち墳墓に安置せらるべき人の骸骨若くは骨片を謂ふものとす。
従て人の死屍を火葬に付したる場合に於て遺族が未だ骨揚を為さざる以前に於ては其全部を拾収すると又其何れの部分を残留するとは該地に於ける一般の慣習に反せざる限りは遺族の自由にして、且、一般に崇教の感念を以て迎へらるるものなるが故に其人骨の全部は之れを遺骨と云はざるべからず。
又既に遺族が骨揚を為したる以後に於ては一般慣習に従ひ祭祀礼拝の目的を以て骨壺に納入したるものを遺骨とし其残留して火葬場の管理人に委したる部分は一般に棺板の灰燼と同一視するものにして何等礼拝の目的たらざるものなるが故に遺骨と云ふべきものに非ず或は曰く苟くも人類の死屍を火葬に付したるときは其骨体の全部は遺骨なりと是れ物理的観念を以て直に法則の字義を解せんとするものにして大なる謬論なり。
蓋し法律上の術語は其規定の精神に基き解釈するを要するものにして試に標本として売買せらるる医家使用の骸骨の如きは其法律上遺骨と云ふべからざる事を一考せば疑義自ら氷解せん又或は曰く若し遺族が骨揚を為したるもののみを遺骨として残留せるものを然らずとせば火葬せる人骨の遺骨なると否とは遺族の意思のみに依りて決せらるるに至るべく終に社会の良俗を害するに至るを如何せんと是れ其一を知で未だ其二あるを知らざるものなり。
遺骨たると否とは唯遺族の意思のみに依りて決すべきものに非ざるは論者の言の如しと雖も其之を決定するに付、遺族の主観的意思を参酌せざるべからず。
即ち火葬に付したる人骨の全部を以て遺骨と為すべきや否やは該地の風俗慣習に依ると同時に遺族の意思に因で決すべきものとす。
若し該地の慣習にして必す全部を拾収すべきものなりとせば其一部を残留するは遺骨の遺棄罪なると同時に之れを買受け其他占有を取得したるものは其領得罪なりと云ふべし。
又若し其一部を残留し得る慣習ありとせば遺族は其全部を拾収するは固より其自由なりと雖も該慣習に反せざる範囲に於て其一部分のみを拾納し得べく其残留せるものは遺族が祭祀の目的とするを要せざるものとして火葬場管理人の自由に委したるものにして。
従て亦一般に宗教上崇教の感念を以て尊重することなく恰も刑法第百九十条に規定せる遺髪は噴墓に安置せられ若くは葬祭の目的たるべき人の毛髪を謂ふものにして髢屋に於て販売する毛髪の如きは所謂遺髪と云ふべからざると等しく法律上遺骨と云ふべきものに非ず之れをしも遺骨なりとせんか該慣習ある土地の人民は悉く遺骨遺棄罪の被告人たらざるものなきに至るべし如斯は一般慣例に遵ひたる正当の行為を犯罪視し何等反社会的性質を有せざるものを罪せんとするものにして洵に必要程度を超脱し徒に犯罪を作為するものにして刑法の本来の目的を阻却し其精神を没却するものと言ふ可し又之れを刑法第百九十条の創定せられたる沿革的理由に鑑みるに本条は墳墓に安置せられ若くは祭祀の目的たる人骨を窃取したる場合に於て其果して財物なりと云ふを得るや否や及び所持の奪取と云ふを得るや否やの疑義を排せんか為めに規定せられたるものにして遺族の放棄したる骨片の如きは全然其目的の圏外にあるものなり。
而して原判決の犯罪の地と認めたる岐阜県大野郡高山町に於ては民人一般に温良敬虔にして質樸の美風に富み宗教感念熾盛なる良俗ありと雖も遺骨に関しては大小形状等略一定せる納骨壺を作製し之に満つるを限度として人骨を納入し以て墳墓に安置して崇敬祭祀し其残留せるものは之を放置して火葬場管理人の自由処分に委し或は肥料等に使用するを以て一般の慣習とす。
従て其残骨の刑法に所謂遺骨と云ふべきものに非ざるは殆と疑を容れず。
然るに原判決は該慣習の有無に付、何等取調を為すことなく漫然残骨を領得せりとの事実を認め刑法第百九十条を適用処断したるは理由不備の不法あるを免れずと云ふに在り◎依て按ずるに人の遺骨が刑法第百九十条の意義に於て之を侵害することを許さざる法益たるか為めには死者の祭祀又は紀念の為め之を保存し又は保存すべきものたることを要し死者の遺族其他遺骨を処分するの権限を有する者が風俗慣習に従ひ正当に之を処分したるものは此性質を有せざるを以て之を領有するも刑法第百九十条の犯罪を構成することなし、而して死者の遺族其他葬式を挙行する者が死者の遺骸を火葬に付する場合に於ては灰燼に帰したる遺骨は全部之を拾集することを得ずして多少其現場に遺留するは数の免がれ能はざる所なるを以て其儘之を放擲するは風俗慣習に於て禁ぜざる所にして此種の遺骨は他の砂塵と等しく之を遺棄し又は猥りに之を領得するは道義上の見地に於て厭ふべきものなりとするも刑法第百九十条の犯罪を構成すべきものにあらず。
而して原院の認めたる事実に依れば被告の領得したる本件の遺骨は死者の遺族が骨揚を為したる残余のものにして刑法第百九十条に所謂遺骨にあらざるを以て被告の所為は犯罪を構成せざるものなるに原院が之に対し同条の刑を擬したるは失当にして上告論旨は理由あり原判決は破毀を免がれざるものとす。
既に此点を以て原判決を破毀する以上は其他の上告論旨に対して一一説明を為すの要なし。
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十六条に依り原判決を破毀し同第二百八十七条に依り当院に於て擬律を為すに原院の認めたる事実に依れば被告の所為は罪とならざるを以て刑事訴訟法第二百二十四条に依り無罪を言渡し押収物件は同法第二百二条に依り差出人に還付すべきものとす。
仍て主文の如く判決す
検事鈴木宗言干与明治四十三年十月四日大審院第一刑事部
