公正證書約束手形裏書僞造行使詐欺取財ノ件

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大審院刑事判決録（刑録）15輯1752頁

本件上告は之を棄却す

被告幸吉上告趣意書は縷縷陳述する所あれども要するに第一、原院は被告徳三郎の虚偽なる陳述に基き判決を下したる違法ありと云ふ[いう]に在りて◎原院の職権に属する証拠の取捨判断を非難するに外ならざるを以て上告適法の理由とならず

第二、上告人は証人喚問の申請を為したるに原院の許可せられざりしは失当なりと云ふ[いう]に在りて◎原院の職権に属する証拠申請に対する許否を非難するに外ならざるを以て上告適法の理由とならず

第三、証人山本まさは徳三郎の妻にして大杉辻夫（吉三郎と主従の関係あり）花野広太郎、上田夘之松は吉三郎の親戚なれば孰れ[いずれ]も刑事訴訟法第百二十三条に違背するものなるのみならず虚偽の事実を陳述したるものなりと云ふ[いう]に在れども◎本件記録を査閲するに所論の各証人は孰れ[いずれ]も証人として予審判事の訊問を受くるに当り刑事訴訟法第百二十三条各号規定の身分関係なかりしことを認むべく。 従て同証人等の陳述は証拠として判決に採用するの効あるものとす。 其他の論旨は原院の職権に属する証拠の取捨判断を非難するに外ならざれば本論旨は総で理由なし。

第四、予審判事の取調並に其終結決定は孰れ[いずれ]も公平を闕きたるものなるのみならず其決定は虚偽の事実に基きたるものにして失当なりと云ふ[いう]に在りて◎予審判事の取調並に其終結決定の当否を非難するに止まり原判決に違法ありとして之を攻撃するものにあらざるが故に上告適法の理由とならず

第五、原院に於ては予審調書を読聞けざる違法ありと云ふ[いう]に在れども◎原院公判始末書を査閲するに原院裁判長は同公判に於て原判決に援用せる予審に於ける各被告人証人参考人の各予審調書を読聞け被告人の意見を聴き且つ利益の証拠あらば差出すべき旨を告げたることを認むべきを以て本論旨は理由なし。

第六、司法警察官の報告は虚偽なりと云ふ[いう]に在り◎。 然れども[しかれども]本論旨は原判決に証拠として援用せざる司法警察官報告書の信憑力を論争するものなるを以て上告適法の理由とならず

被告八木力松弁護人高木益太郎上告趣意書第一点原審第一回公判期日に於て弁護人安藤柱は被告等利益の反証として麻野吉三郎外数名を証人として喚問を求め同時に予第七号公正証書麻野徳三郎の文字と検第一号及三号証の各大杉辻夫肩書の文字及予第八号吉三郎の文字並に検第二号証忠岡村の文字は何れも同筆蹟なるや否やの鑑定を申請せり（記録第七六七丁）然るに裁判所は「申拘証人中麻野吉三郎坂尾義玄毛利侃二郎は之を採用し他は却下する旨」の決定のみを言渡し（同丁裏面）右鑑定申請に付ては何等裁判の言渡を為せることなし是れ裁判所が其申請を受けたる事項に付、裁判を為さざるの不法在するものにして若し裁判所の意思が其決定を留保するにありたるものと仮定するも後日之に付、決定も与へ居らざる以上は尚ほ同一違法を存するものなるを以て破毀の判決あるべきものなりと信ずと云ふ[いう]に在れども◎原院公判始末書中論旨掲記の決定に関する文詞は同始末書中前段記載の弁護人より申立てたる証拠申請に係る事項と対照するに原院裁判長は合議の上申請証人中麻野吉三郎、坂尾義玄毛利侃三郎の喚問は之を許可し其他の証人及鑑定に関する申請は総で却下する旨の決定を言渡したるものと解するを相当とす。 従て本論旨は理由なし。

第二点記録第一四五丁に存する被告八木力松に対する予審請求書に依れば其起訴事実は第二審判決書に於て示したる麻野吉三郎の私印偽造行使委任状偽造行使公正証書偽造行使約束手形偽造行使詐欺取財未遂の外尚麻野吉三郎名義の借用証書偽造行使の犯行をも包含するものなり。 然るに原審裁判所は請求を受けたる此最後の借用証書偽造行使の犯行に付、何等判決を与へざるは刑事訴訟法第二百六十九条第七号に依る違法あるものなりと信ずと云ふ[いう]に在れども◎所論の予審請求書を査閲するに所論吉三郎名義の借用証書偽造行使の行為は原判決に於て有罪として裁判せられたる所論吉三郎名義の委任状公正証書約束手形偽造行使の所為と連続したる一罪として起訴せられたるものなることを認むべく。 而して[しこうして]一罪として起訴せられたる事実中其一部が無罪たる場合に於ては他の部分を有罪とし之に対して法規の定むる所に依り有罪の理由を付したる以上は其無罪の部分に付、特に之が無罪の言渡を為し且つ其理由を付するの要なきを以て原判決に於て前記一罪として起訴せられたる公訴事実の内其一部たる判示事実のみを有罪として刑の言渡を為し之に対して刑事訴訟法第二百三条第一項規定の理由を付したる以上は所論借用証書偽造行使の公訴事実に付ては無罪と認め此の部分に付、特に何等の言渡を為さざりしものと解すべく。 従て原院は所論の如く請求を受けたる事件に付、判決を為さざるものと云ふ[いう]ことを得ず。 本論旨は理由なし。

第三点原判決は法息に違背したるの不法あり。 同判決理由に「次で同年二月中被告幸吉は場所不詳某印判彫刻者方に於て大坂府泉北郡忠岡村大字忠岡大杉辻夫の印章を彫刻せしめて之を偽造し尚ほ被告幸吉宅に於て被告三名相談の上大杉辻夫を振出人とし忠岡木絹合資会社に宛たる同年三月二日附額面金八百二十円の約束手形を被告幸吉の手に於て作成し辻夫名下には右偽造印を押捺し被告徳三郎は其裏面に同月四日附吉三郎名義の裏書を記入し其名下に前記吉三郎名義の偽造印章を押捺し以て之が偽造を完成したる上被告力松及び幸吉は前記公正証書の正本及び右偽造約束手形を携へ同年四月二十三日同村同字三十二番屋敷麻野吉三郎方に到り右各文書を提出行使し之が金員の請求を為したるも吉三郎に於て右請求に応せざりしより」云云と判示し之に旧刑法第二百九条第一項第二百八条第一項第三百九十七条第三百九十条第一項等を適用処断せられたれども右認定事実に依れば偽造約束手形の振出人は大杉辻夫にして其受取人は忠岡木綿合資会社なり。 左れば之が裏書を為すべきものありとすれば受取人たる忠岡木綿合資会社ならざるべからずして裏書名義の被偽造者たる麻野吉三郎は之に裏書を為すの資格を有するものにあらず。 是れ商法第四百六十四条に規定せる裏書連続の原則より生ずる当然の論結なり。 然らば縦し[よし]や被告等は此手形に吉三郎の氏名を署し之に同人の偽造印を押用したりとするも此裏書は形式的にても実質的にても何等の効力を有せざる裏書なれば其約束手形は裏書人の名を冒されたる吉三郎に対しては真正の文書として行使するに由なきものなれば法律上之を私文書の偽造行使として論問するに由なきものと云はざる可からず。 然るに原院が此行為も尚私文書偽造行使の罰条に当るものなりと論断したるは不法也且つ此偽造せられたる約束手形の裏書は裏書連続の原則に反したる無効のものなるは上来之を論したる所の如くなれば吉三郎は縦し[よし]や其裏書名義を偽造せられたりとするも形式上に於ても毫も[ごうも]手形義務者たることなし左れば被告等が此裏書無効の手形と使用し裏書人名義を冒用せられたる吉三郎に対し手形の上に記載せられたる金額の支払を求めたりとせば其支払は手形金額の支払を求めたるものなるや又手形金額の償還を求めたるものなりや証た又他の名義に依て請求したるものなるや或は他の手段に出でたるものなるやを明示するにあらざれば其詐欺の手段は主要なる点に於て説明を欠くこととなり被告等は此の手形義務者ならざることを知らざる吉三郎を如何[いかん]なる点に於て欺罔に陥れ因で以て金員を騙取[へんしゅ]せんとしたるものなるや之を知るに由なく結局理由不備の違法あるものと云はざる可からず。 要するに原判決は法則を不当に適用したるか又は事実理由を欠きたる違法の判決なりと信ずと云ふ[いう]に在れども◎旧刑法第二百九条に規定する手形偽造行使罪の成立には其偽造に係る文書が法律上手形として有効なるに必要なる要件を具備することを要せず。 仮令[たとい]此等の要件を具備せざるも苟くも手形として普通に人を欺くに足るべき文書を偽造して行使したるときは手形偽造行使罪を構成すべきものとす。 従て他人の作成名義を偽り手形の第一順位裏書を偽造したる場合に於て仮令[たとい]其手形の宛名人と第一順位裏書名義人との間に連続を欠くと雖[いえども]も苟くも其偽造に係る裏書が人をして手形上の裏書なりと誤信せしむるに足る以上は手形偽造行使罪を構成するに於て欠くる所なきなり。 然れば論旨掲記の原判文に依れば偽造に係る手形の宛名人忠岡木綿合資会社と偽造に係る裏書名義人麻野吉三郎との間に連続を欠き。 従て其裏書は法律上無効なりと雖[いえども]も原判決は右判示裏書偽造は普通に人をして手形と裏書なりと誤信せしむるに足るべき程度に達したるものと認め同手形の判示振出名義偽造と共に包括して一箇の手形偽造なりとし之を行使したる行為に対して旧刑法第二百九条第一項を適用したるものと解すべく。 従て原判決は此点に於て事実理由の不備若くは擬律錯誤の違法あることなし次に旧刑法第三百九十条第一項に規定する詐欺取財罪は人を欺罔することに因で不法に財物を交付せしむるに因りて成立し其欺罔の手段が法律上有効なる形式に依りたると否とは同罪の成立に影響を与へざるものとす。 而して[しこうして]論旨掲記の判文は被告等が判示偽造手形を麻野吉三郎に提示し同手形に吉三郎の署名あるを以て同人に於て手形面記載の金額支払の義務ありと欺罔し手形の裏書名義を偽造せられたる右吉三郎をして不法に金員を効付せしめんとしたる事実を判示したるものと解すべく右判示事実は旧刑法第三百九十条第一項に規定する詐欺取財罪を構成するを以て原判決に於て前記事実を認め前記旧刑法の法条を適用するに当り被告等が吉三郎に対して為したる金員の請求が手形金額の支払を求めたるものなりや又は手形金額の償還を求めたるものなりや或は他の手段に出でたるものなりや形式上其請求の原因として如何[いかん]なる法律上の請求名義に依りたるやを明示せざるも事実理由の不備又は擬律の錯誤ありと云ふ[いう]ことを得ず。 （判旨第九点）

第四点重罪事件の公判を開くに当ては其開廷に先ち之が下調を為さざる可らざるは刑事訴訟法第二百三十七条第二百五十八条の規定する所なり。 然るに本件事案の公判審理を見るに其開廷は明治四十二年四月二十九日午前八時（記録第七五一丁）にして其下調も亦[また]同日午前八時（記録第七二一丁）なり。 故に公判開廷と下調とは同日同刻に之を施行せられたるものにして刑事訴訟法の要求する公判開廷前に其下調を為さざるものなり。 故に此違法なる公判審理に基く原判決は不法なりと信ずと云ふ[いう]に在れども◎重罪事件の下調と同一事件の公判とは事実上之を同時に開始することを得ず、且、右下調は普通の場合に於ては同公判開廷前に為すべきものなるを以て原院に於ける公判始末書に記載しある本件公判開廷の時刻と本件下調の為めに為されたる被告人訊問調書に記載したる同訊問開始の時刻とか所論の如く共に同日同時刻に記載せられたる場合に於ては右下調は同公判開廷前に為されたるものと解するを相当とす。 従て本論旨は理由なし。

被告力松上告趣意書第一、原判決は「公訴裁判費用は被告三名の連帯負担とす。」と判定し。 即ち本件予審及公判に於て生じたる証人又は鑑定人等の旅費日当の全部は上告人及共同被告人麻野徳三郎同中野幸吉の三人に連帯負担を命ぜられたり一件記録を閲するに其第四〇二丁に於て予審に於ける証人藤田長美に対し旅費及日当として金一円二十一銭を支給せられあり右証人藤田長美は上告人の共同被告人麻野徳三郎に対する検事の予審請求事項の第三たる「大杉辻夫振出藤田長美裏書八百五十円の約束手形を偽造し尚ほ大杉辻夫の信書を偽造し共に之を中野幸吉に交付し」との公訴事実に対する証人として予審に於て訊問せられたるものなること其調書の記載趣旨に依り明かなりとす。 而して[しこうして]上告人は右麻野徳三郎に対する起訴事項の第一第二に付ての共犯なりと認め起訴せられたるものにして上記第三事項に付ては全く無関係なること一件記録中に存在する上告人外一人に対する予審請求書の記載に依りて疑なき所なりとす。 然らば則ち右証人藤田長美は上告人の被告事件に関係なきものにして右麻野徳三郎なれば格別上告人に於ては断して其訊問に要したる費用を負担すべきものに非ず。 故に上告人に対し公訴裁判費用の全部を負担すべしと判示したる判原決は不当なりとす。 況んや右麻野徳三郎に対する前記予審請求書記載の第三事実乃ち[すなわち]大杉辻夫振出藤田長美裏書の八百五十円の約束手形偽造並に辻夫名義の信書を偽造したりとのことは予審に於て免訴せられあるものにして此点より論するも証人藤田長美に支給せられたる費用を負担すべしとの判決は益益不当なりと言ひ得べきに於ておやと云ふ[いう]に在れども◎所論証人藤田長美の予審調書には其冒頭に麻野徳三郎外二人（被告力松幸吉を指す）公正証書偽造等被告事件に付、同証人を訊問したる旨の記載あるのみならず同調書に記載しある問答の内容を査するに忠岡合資会社の解散時期及解散前に於ける役員の氏名及同会社は設立以来一度も手形を振出したることなき等の事実に関する問答ありて右忠岡合資会社は被告徳三郎に対する所論第三の公訴事実のみならず被告力松幸吉に対する所論第二の公訴事実中同会社に宛たる手形振出及同手形の裏書偽造行使事実にも関係あるに依て観れば本件予審に於ては同証人は被告徳三郎に対する所論第三公訴事実の審理のみならず被告力松幸吉に対する前記第二公訴事実の審理にも必要なりとして訊問を為したるものと認むべく。 従て右審理の原因となりたる公訴事実の内仮令[たとい]其一部が予審に於て免訴となるも公判に於て他の部分が有罪となりたるときは其有罪となりたる前記第二公訴事実の被告たる被告力松及共犯たる被告幸吉徳三郎をして前記証人の訊問に付、予審に於て生じたる公訴裁判費用を連帯負担せしむることを得べきなり。 従て本論旨は理由なし。

第二、公訴裁判費用全部を三名連帯負担すべしとの原判決は又左の如き違法ありと思料す本件の被告人は麻野徳三郎、中野幸吉及上告人の三名にして徳三郎は明治四十一年五月十九日を以て起訴せられ幸吉及上告人は降で同年六月十六日に於て起訴せられたるものなりとす。 而して[しこうして]上告人に対する起訴の以前乃ち[すなわち]同年六月三日に於て予審判事は右徳三郎一人に対する被告事件の証人として吉田信一、中野幸吉及上告人を各訊問せられ信一に対しては金六十五銭幸吉に対しては金一円十四銭上告人に対しては金一円十四銭の各旅費日当を孰れ[いずれ]も支給せられたり（一件記録三九三丁乃至[ないし]三九六丁参照）斯の如く右合計金二円九十三銭の公訴裁判費用の支給は上告人の受訴以前にして而かも[しかも]被告人麻野徳三郎一人のみの被告事件に関して要したるものなるを以て当然徳三郎の専ら負担すべきものに属し仮令[たとい]上告人は後に至り同人の共犯者として起訴せられたりとするも公訴裁判費用負担の責任は其費用を要したる時期に於ける状態に依拠して其帰属者を定むべきを至当とし其証人訊問の当時に被告人たらず。 従て其事件に無関係なりし上告人に其責任を課せらるべきものにあらず。 以上の如くなるに依り公訴裁判費用に関する原院の裁判は此点に於ても亦[また]不当なりと言はざるを得ずと云ふ[いう]に在れども◎共犯事件に関する公訴に付、生したる訴訟費用は仮令[たとい]他の共犯者に対する公訴の提起以前に生じたるものと雖[いえども]も有罪となりたる各共犯者をして連帯して負担せしむることを得べきなり。 従て原院に於て被告徳三郎力松幸吉の共犯事件に係る公訴に付、被告力松幸吉に対する公訴の提起以前にして被告徳三郎に対してのみ公訴の提起ありたる当時に生じたる所論の公訴裁判費用を有罪となりたる前記三名の被告をして連帯負担せしめたるは正当にして本論旨は理由なし。

第三、原院第一回公判に於て各弁護人は証人喚問を請求し殊に中野幸吉の弁護人安藤柱は証人喚問に加へて筆蹟鑑定の証拠調申請を為したるに対し原院は申請証人に付ては麻野吉三郎、坂尾義玄、毛利侃二郎の喚問を許容し他を却下すと宣言したるのみにて右鑑定の請求に付ては其許否を決定せずして審理を遂行したり。 （原院第一回公判始末書参照）右は重要なる公判手続に違背し斯く違法の公判審理に基く原判決は破毀を免れずと云ふ[いう]に在れども◎本論旨の理由なきことは同被告弁護人高木益太郎上告趣意書第一点に対する説明に依りて了解すべし。

第四、共同上告人の論旨は之を当上告人に援用すと云ふ[いう]に在れども◎被告力松より本論旨を提出したる当時に在ては他の共同上告人より上告趣意書を提出したるものは上告人被告幸吉の上告趣意第一乃至[ないし]第四あるのみにして之を援用せる本論旨の理由なきことは以上各論旨に対する説明に依りて了解すべし。

被告徳三郎は上告申立を為したるも刑事訴訟法第二百七十八条規定の法定期間内に趣意書を差出さず

右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条に依り主文の如く判決す

検事矢野茂干与明治四十二年十二月九日大審院第二刑事部