明治四十一年（れ）第一一五一號
明治四十二年二月十二日宣告
◎判決要旨
- 一 現行犯事件ニ付キ檢事カ爲シタル起訴ノ手續ニシテ違法ノ點ナキ以上ハ縱令司法警察官ノ事件送致書ニ所屬官署ノ印ヲ押捺セサル瑕瑾アリトスルモ之カ爲メ起訴ノ效力ニ何等ノ影響ヲ及ホスコトナシ
右官吏抗拒被告事件ニ付明治四十一年十一月十三日廣島控訴院ニ於テ言渡シタル判決ヲ不法トシ被告ハ上告ヲ爲シタリ因テ判決スル左ノ如シ
理由
本件上告ハ之ヲ棄却ス
被告辯護人高野金重、藤田和孝上告趣意書第一點司法警察官カ現行犯人ヲ引致シタルトキハ直ニ其所屬檢事ニ事件ヲ送致スヘキ事ハ刑事訴訟法ノ規定スル所ナリトス本件明治四十一年九月二十九日附岡山縣警視稻原龜太郎ノ岡山地方裁判所檢事正河島正藏ニ宛テタル現行犯罪事件送致書ハ右刑事訴訟法規定ノ手續ニ因リ作成セラレタルモノナランモ該送致書ハ警視所屬ノ官署ノ印ノ押捺ヲ缺如セリ左レハ該書類ハ刑事訴訟法第二十條ノ規定ニ違背セル無效ノモノニシテ本件被告事件ハ未タ檢事ニ送致セラレサルコトト爲リ其後ノ手續ハ當然無效ノモノナルニ裁判所カ本件ヲ審理判決シタルハ不法ノ甚タシキモノト信スト云フニ在レトモ◎檢事カ爲シタル起訴ノ手續ニシテ何等違法ノ廉ナキ以上ハ所論ノ如ク假令ヒ司法警察官ノ事件送致書ニ所屬官署ノ印ヲ押捺セサル瑕瑾アリトスルモ起訴ノ無效タルヘキ謂レナキヲ以テ原院カ本件ヲ受理審判シタルハ不法ニアラス
第二點官吏抗拒罪ノ成立ニハ被告カ官吏（公務員）ニ對スルコト且其職務ノ執行中ナルコトヲ知悉セルノ事實アルコトヲ要件トス本件原判決ノ證據トシテ援用セル第一審公判始末書中被告ノ供述スル所ニ依ルモ被告ハ酒ヲ呑ミテ大醉シ器具ヲ毀棄シタル事實ヲ覺知セス且又巡査ニ同行セラレタルコトモ知ラス其後被告ノ正氣付キタル後巡査ハ被告ヲ地上ニ引摺リタルヲ以テ被告ハ暫時逆上シ如何ニセシカ覺ヘサル旨ヲ供述シタルモノニシテ被告カ巡査ニ抗拒セシ當時ニ在リテハ被告ハ巡査ニ對スル暴行ナルコト且其職務ノ執行ニ對スル暴行ナルコトヲ知了シ居リシヤ否ヤハ原判決ノ判示及證據ノ説明ニテハ之ヲ知ルヲ得ス而シテ原裁判所ニ於テハ此點本件犯罪ノ成否ヲ決スルノ爭點トナリ辯護人ハ被告ハ其當時大醉ノ餘知覺ヲ喪失セル事實ニ對スル證據提出ノ申請ヲ爲シタルニ不拘原裁判所カ其申請ヲ排斥シ此爭點ヲ不問ニ付シ單ニ抗拒ノ事實ノミニ依リ被告ノ罪ヲ斷シタルハ罪トナルヘキ事實及ヒ證據ヲ示ササル不法アルモノト信スト云フニ在レトモ◎被告カ巡査ナル山本金藏ニ對シ其職務執行中ナルコトヲ知リナカラ暴行ヲ爲シタルコトハ原判文上自ラ明カナリトス而シテ原院ハ原判決列記ノ各證憑ヲ綜合シテ其事實ヲ認定シタルモノナレハ原判決ハ其理由ニ缺クル所ナシ其他ハ原院ノ職權ニ屬スル證據調ノ許否ヲ非難スルニ過キサルヲ以テ上告ノ理由トナラス
第三點假リニ形式上公務員ノ職務ニ對シ暴行ヲ爲シタル事實アリトスルモ暴行者ノ意思ニシテ職務ニ抗拒スルノ意思ナク單ニ逃走ノ爲メナリシトキハ官吏抗拒罪ヲ構成スルコトナシ而シテ本件ハ原判決ノ事實ノ判示ニ依ルモ「被告幸四郎ハ右引致ヲ免カレンカ爲メ云云」トアリテ被告ノ暴行ハ引致ヲ免カルルノ目的ナルコトヲ判示セリ左レハ刑法第九十八條逃走ノ罪ヲ構成スルコトアランモ官吏抗拒罪ヲ構成スルモノニアラス然ルニ原判決カ被告ノ暴行ハ巡査ノ職務ニ抗拒スル爲メノ暴行ナリシヤ若クハ逃走ノ目的ナリシヤ此點ニ對スル事實及ヒ證據ノ説明ヲ爲スコトナク被告カ暴行ヲ爲シタリトノ一事ニ因リ直ニ官吏抗拒罪ヲ構成スルモノト爲シタルハ理由不備ノ不法アルモノト信スト云フニ在リ◎因テ原判文ヲ査スルニ被告ハ逃走ノ目的ヲ以テ本件暴行ヲ爲シタルモノナルモ被告カ巡査ノ職務ニ抗拒スルノ意思アリタルコトハ原判文上明白ニシテ原院ハ判文列記ノ各證憑ヲ綜合シテ其事實ヲ認定シタルモノナレハ原判決ハ理由不備ノ不法アルモノニアラス
第四點官吏抗拒罪ノ成立スルニハ官吏ノ職務ノ執行カ適法ナリシコト及ヒ適法ナルコトヲ被告ニ於テ知了シ居リシコトヲ要ス被告ハ本件犯罪ノ當時大醉ノ餘永田源吾方ノ器具ヲ毀棄シタルコトヲ覺知セスト云フニ在ルコト原判決ノ援用セル第一審公判始末書ノ記載ノ如クナルヲ以テ巡査ノ行爲ヲ以テ適法ナル職務ノ執行ナルコトヲ知ラサリシハ勿論器物毀棄罪ハ舊刑法當時ニ在テハ非親告罪ナリシモ刑法ニ於テハ親告罪トナリ而シテ本件ニ付テハ被害者ノ告訴ナキカ爲メ被告ノ器物毀棄ノ行爲ニ對シテハ第一審裁判所ハ公訴不受理ノ判決ヲ爲シタルモノトス左レハ巡査ノ職務執行ハ其當時ニ在リテハ不當ナラサリシモ被告カ官吏抗拒罪ヲ裁判セラルル當時ニ在リテハ又被告ノ行爲ヲ處罰スルノ必要ナキニ歸ス從テ被告ノ行爲ニ對シテハ無罪ノ判決ヲ爲スヘキ筋合ナルニ原判決爰ニ出テサリシハ不法ナリト信スト云フニ在レトモ○巡査山本金藏カ爲シタル職務ノ執行カ適法ナルコト及ヒ被告カ其適法ナルコトヲ知テ同巡査ニ對シ暴行ヲ爲シタルコトハ原判文上自ラ明カナリ又被告カ現行犯トシテ逮捕引致セラレタルハ器物毀棄罪ヲ犯シタルニ因ルモノニシテ器物毀棄罪ハ現行刑法ニ於テ親告罪トナリタリト雖モ之レカ爲メ被告カ巡査ニ對シ爲シタル官吏抗拒罪カ無罪タルヘキ謂レナキヲ以テ本論旨ハ上告ノ理由ナシ
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十五條ニ依リ主文ノ如ク判決ス
檢事板倉松太郎干與明治四十二年二月十二日大審院第一刑事部
明治四十一年（レ）第一一五一号
明治四十二年二月十二日宣告
◎判決要旨
- 一 現行犯事件に付き検事が為したる起訴の手続にして違法の点なき以上は縦令司法警察官の事件送致書に所属官署の印を押捺せざる瑕瑾ありとするも之が為め起訴の効力に何等の影響を及ぼすことなし
右官吏抗拒被告事件に付、明治四十一年十一月十三日広島控訴院に於て言渡したる判決を不法とし被告は上告を為したり。
因で判決する左の如し
理由
本件上告は之を棄却す
被告弁護人高野金重、藤田和孝上告趣意書第一点司法警察官が現行犯人を引致したるときは直に其所属検事に事件を送致すべき事は刑事訴訟法の規定する所なりとす。
本件明治四十一年九月二十九日附岡山県警視稲原亀太郎の岡山地方裁判所検事正川島正蔵に宛てたる現行犯罪事件送致書は右刑事訴訟法規定の手続に因り作成せられたるものならんも該送致書は警視所属の官署の印の押捺を欠如せり左れば該書類は刑事訴訟法第二十条の規定に違背せる無効のものにして本件被告事件は未だ検事に送致せられざることと為り其後の手続は当然無効のものなるに裁判所が本件を審理判決したるは不法の甚たしきものと信ずと云ふに在れども◎検事が為したる起訴の手続にして何等違法の廉なき以上は所論の如く仮令ひ司法警察官の事件送致書に所属官署の印を押捺せざる瑕瑾ありとするも起訴の無効たるべき謂れなきを以て原院が本件を受理審判したるは不法にあらず。
第二点官吏抗拒罪の成立には被告が官吏（公務員）に対すること、且、其職務の執行中なることを知悉せるの事実あることを要件とす。
本件原判決の証拠として援用せる第一審公判始末書中被告の供述する所に依るも被告は酒を呑みて大酔し器具を毀棄したる事実を覚知せず、且、又巡査に同行せられたることも知らず其後被告の正気付きたる後巡査は被告を地上に引摺りたるを以て被告は暫時逆上し如何にせしか覚へざる旨を供述したるものにして被告が巡査に抗拒せし当時に在りては被告は巡査に対する暴行なること、且、其職務の執行に対する暴行なることを知了し居りしや否やは原判決の判示及証拠の説明にては之を知るを得ず。
而して原裁判所に於ては此点本件犯罪の成否を決するの争点となり弁護人は被告は其当時大酔の余知覚を喪失せる事実に対する証拠提出の申請を為したるに不拘原裁判所が其申請を排斥し此争点を不問に付し単に抗拒の事実のみに依り被告の罪を断したるは罪となるべき事実及び証拠を示さざる不法あるものと信ずと云ふに在れども◎被告が巡査なる山本金蔵に対し其職務執行中なることを知りながら暴行を為したることは原判文上自ら明かなりとす。
而して原院は原判決列記の各証憑を綜合して其事実を認定したるものなれば原判決は其理由に欠くる所なし。
其他は原院の職権に属する証拠調の許否を非難するに過ぎざるを以て上告の理由とならず
第三点仮りに形式上公務員の職務に対し暴行を為したる事実ありとするも暴行者の意思にして職務に抗拒するの意思なく単に逃走の為めなりしときは官吏抗拒罪を構成することなし、而して本件は原判決の事実の判示に依るも「被告幸四郎は右引致を免がれんか為め云云」とありて被告の暴行は引致を免がるるの目的なることを判示せり左れば刑法第九十八条逃走の罪を構成することあらんも官吏抗拒罪を構成するものにあらず。
然るに原判決が被告の暴行は巡査の職務に抗拒する為めの暴行なりしや若くは逃走の目的なりしや此点に対する事実及び証拠の説明を為すことなく被告が暴行を為したりとの一事に因り直に官吏抗拒罪を構成するものと為したるは理由不備の不法あるものと信ずと云ふに在り◎因で原判文を査するに被告は逃走の目的を以て本件暴行を為したるものなるも被告が巡査の職務に抗拒するの意思ありたることは原判文上明白にして原院は判文列記の各証憑を綜合して其事実を認定したるものなれば原判決は理由不備の不法あるものにあらず。
第四点官吏抗拒罪の成立するには官吏の職務の執行が適法なりしこと及び適法なることを被告に於て知了し居りしことを要す。
被告は本件犯罪の当時大酔の余永田源吾方の器具を毀棄したることを覚知せずと云ふに在ること原判決の援用せる第一審公判始末書の記載の如くなるを以て巡査の行為を以て適法なる職務の執行なることを知らざりしは勿論器物毀棄罪は旧刑法当時に在ては非親告罪なりしも刑法に於ては親告罪となり。
而して本件に付ては被害者の告訴なきか為め被告の器物毀棄の行為に対しては第一審裁判所は公訴不受理の判決を為したるものとす。
左れば巡査の職務執行は其当時に在りては不当ならざりしも被告が官吏抗拒罪を裁判せらるる当時に在りては又被告の行為を処罰するの必要なきに帰す。
従て被告の行為に対しては無罪の判決を為すべき筋合なるに原判決爰に出でさりしは不法なりと信ずと云ふに在れども○巡査山本金蔵が為したる職務の執行が適法なること及び被告が其適法なることを知で同巡査に対し暴行を為したることは原判文上自ら明かなり。
又被告が現行犯として逮捕引致せられたるは器物毀棄罪を犯したるに因るものにして器物毀棄罪は現行刑法に於て親告罪となりたりと雖も之れが為め被告が巡査に対し為したる官吏抗拒罪が無罪たるべき謂れなきを以て本論旨は上告の理由なし。
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条に依り主文の如く判決す
検事板倉松太郎干与明治四十二年二月十二日大審院第一刑事部
