詐欺取財ノ件

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大審院刑事判決録（刑録）14輯973頁

原判決は之を破毀す

被告千代太郎を懲役八月に処す

公訴裁判費用は全部被告の負担とし押収物件は各差出人に還付す

被告上告趣意書は刑法第二百十条第一項は権利義務を証明する文書を偽造行使したる場合を律する規定なり。 従て同条の罪は不実の文書を作成行使したる結果其文書に依りて表示せらるる権利者或は義務者又は其双方の法益を侵害することを観念とす。 故に同条を当行する犯罪事実に付ては其文書に依りて法益侵害を受くる者の誰たるやを逐一認定せざるべからず。 原判決第一事実は「（ヘ）明治三十九年六月二十一日証第四十三号日記帳証第九十六号振替票に定期預金七千円の内金三千五百円を割引手形に金三千五百円を当座貸越に振替へたる旨虚偽の記載を為し」とあり又第四事実には「（メ）明治三十九年六月二十九日貯蓄預金五千円を当座預金に振替へたる旨証第四十三号日記帳証第九十六号振替票に虚偽の記載を為し」とあり斯の如き事実記載にては右帳簿等の虚偽記載に因りて権利者又は義務者の法益を如何[いかん]に侵害せられたるかを知ること能はず第十四第十五の事実記載に付ても亦[また]同一の非難を為すことを得べし要するに原判決は事実の認定不充分にして結局理由不備の失当ある裁判たるを免れずと云ふ[いう]に在れども◎本件帳簿等は株式会社四日市銀行の権利義務を証明する文書にして被告が之を偽造したるに依り該文書の信用を害し。 従て其法益を侵害したることは自ら明かなれば原判決を以て理由不備の失当ある裁判なりと云ふ[いう]を得ず。

弁護人高木益太郎上告趣意書は大坂控訴院刑事部は検事の起訴なき文書偽造の点に対し有罪の判決を下したるは不告不理の原則に違背せり同院は弁護人鵜沢総明に対し適法なる公判期日の呼出状の送達を為さず又同弁護人の出廷なきにも不拘[かかわらず]其審理を終了したるは違法の処置なりと云ふ[いう]に在れども◎本件予審請求書を査するに其明記する所は被告が行金を騙取[へんしゅ]消費したりと云ふ[いう]に在りて文書偽造のことは特に之を指摘せずと雖[いえども]も行金騙取[へんしゅ]の手段たるべき帳簿等の偽造を其請求書中に包含することは論を俟たず[またず]。 又原院が弁護人鵜沢総明に対し適法なる呼出状の送達を為したることは記録第一〇八二丁の呼出状送達証書に徴し明かなるを以て本論旨は上告の理由なし。

弁護人高木益太郎上告追加理由書第一点は原判決は証拠理由の末尾に「押収の日記帳伝票当座預金帳貸越元帳等の記載に徴し判示事実を認定す」とあれども其記載如何[いかん]を毫も[ごうも]説示せざりしを以て則ち原判決は罪となるべき事実を認むるに当り証拠の内容を説示せざる不法あるものにして刑事訴訟法第二百三条に違反せり（参照判例）（一）原判決証拠の理由中押収の葉書に徴す云云とあれども其葉書の何何の文詞によりしことを明示せざるべからず。 （三十二年五七一号同年五月二十九日御院判例）（二）証拠明示の部に単に訴状の謄本調書の謄本云云と証拠の題目を掲記したるのみにて如何[いかん]なる理由に依り此等の文書が犯罪事実を証するに足るべきや其理由を説示せざる判決は証拠に依り認めたる理由を明示せざる不法あるものとす。 （三十二年六一七号同年五月三十日御院判旨）（三）証拠列記の部に単に口頭弁論調書立証とある部分云云と掲示したる判決は証拠を明示せざる不法あるものとす。 （同年六一七号同年五月三十日御院判旨）（四）証拠列記の部に民事訴訟録と掲げ其記録の如何[いかん]なる書類を心証の材料に供したるかを一一明示せざるは違法なり。 （三十二年四二五号同年四月二十四日御院判旨）と云ふ[いう]に在れども◎原院が押収の日記帳、伝票、当座預金帳、貸越元帳等に原判決事実理由の部に示す所と同一なる虚偽の記載あるを採で断罪の資料に供したるものなることは原判文上自ら明かにして原判決は証拠の明示に欠くる所なきを以て本論旨は上告の理由なし。

第二点は大審院民事部明治四十年十一月十三日の判旨に「起訴後に於て其訴訟に於ける係争事実を証明せんか為め作成せる第三者の証明書は相手方が之を否認するに於ては何等の証拠力を有せず。 何となれば斯の如き証明事項は証人訊問に依るべきものなればなり。」とあり今本件に付、高田隆平の証拠取調書なるものを閲するに起訴後同人の作成せし争点事実に関する裁判外の証明書にして刑事訴訟法上証人訊問の規定に依りたるものにあらず。 又固より[もとより]証憑[しょうひょう]と認むべきものにあらざれば之を罪証に供したる原裁判は採証の法則に違反せりと云ふ[いう]に在り◎因で按ず[あんず]るに起訴後一私人の作成したる文書と雖[いえども]も之を罪証に供することは法の禁ずる所にあらざるを以て原院が告訴会社の支配人たる高田隆平が本件の起訴後作成したる証拠取調書なるものを罪証に供したるは違法にあらず。 （判旨第四点）

第三点は御院明治四十年（レ）第八七四号同年十一月十四日第二刑事部言渡判決に曰く「按ず[あんず]るに文書偽造行使罪は正当の権限なくして他人名義の文書を作成行使するに依りて成立するものなれば他人を代表する権限ある者と雖[いえども]も其権限外に逸出して他人の名義又は其代理名義を以て文書を作成するに於ては文書偽造行使罪は完全に成立することは当院の判例に於て認めらるる所なり。 然れども[しかれども]他人を代表するの権限を有する場合と雖[いえども]も作成に係る文書が其作成者一己の資格を以て作成せられたるものにして本人を代表して之を作成したるものにあらざるときは縦令[たとい]其文書の内容が真実に反するにもせよ之を以て所謂文書の偽造なりとすることを得ず。 例之後見人委任代理人として其事務の報告を為す場合に其報告書の記載に於て真実に反するものありとするも文書偽造行使罪を構成することなし何となれば此場合に於ける後見人代理人は要するに其一己の名義を以て其後見人たり代理人たるの職責上為さざるべからざる報告を為すものに外ならずして決して未成年者委任者を代表して之を為すものにあらず。

従て毫も[ごうも]署名者の資格を詐りたるものにあらざるを以てなり。 云云」と果して然らば本件原判決の認定したる事実の如き亦[また]前判旨の理論を応用して其犯罪不成立を断定することを得べし則ち原判決事実理由に依れば被告は株式会社四日市銀行に雇はれ其白子出張店主任として事務取扱中振替票支払票日記帳等に虚偽の記載を為したりと云ふ[いう]に在りて被告は其雇傭[こよう]契約に基き自己の義務として職責上為さざるべからざる事務を執りたるものに外ならずして毫も[ごうも]署名者の資格を詐りたるものにあらず。 従て文書偽造行使罪を構成するものにあらざればなり。 左れば原判決は罪とならざる所為に対し罰条を擬したる不法あるものにして破毀の原由あるものとすと云ふ[いう]に在れども◎本件帳簿等は株式会社四日市銀行の事務取扱上其権利義務証明の為め備置くべき文書にして被告が一己の資格を以て作成せる文書にあらざるを以て本論旨は上告の理由なし。

第四点は被告が行金を騙取[へんしゅ]費消したりとの公訴事実に対し原判決は之を否認して其事実は証拠十分ならずと説明せり。 然らば則ち原判決は其主文に於て被告が行金を騙取[へんしゅ]したりとの点は之を無罪とする旨の宣言を掲げざるべからざる筋合なるに其措置茲に[ここに]出でず全然之を欠如したるは法律に違背したる不法あるものなりと云ふ[いう]に在り◎因で按ず[あんず]るに行金騙取[へんしゅ]費消の点は証憑[しょうひょう]十分ならずとするも其手段として検事の起訴中に包含せられたる文書偽造の点が有罪となりたる以上は行金騙取[へんしゅ]費消の点に対し特に無罪の宣言を為すべきものにあらざるを以て原判決は不法にあらず。

第五点は原判決は其事実理由の部に被告は当座勘定に関し又貸付金に関し文書偽造行使罪の犯行あることを認定せらるるも本件起訴状に依れば「被告は云云同出張店に預入を受けたる定期預金其他の預金合計六万七千七百七円八十四銭二厘を銀行帳簿に記入れず云云」と掲げられ数種の預金に関して生じたる犯罪を起訴せらるるのみ貸付金又は当座勘定に関しては何等起訴の記載を存することなし左れば原判決に被告が定期預金其他の預金に関する犯罪以外尚ほ貸付金に関し又当座勘定に関する犯罪を認定したるは則ち起訴以外の事実を認定したるものにして所謂不告不理の原則に違背したる不法あるものなりと云ふ[いう]に在れども◎継続したる犯罪に対する起訴には継続したる各所為を悉く[ことごとく]包含するものなれば検事の予審請求書に明記なき点と雖[いえども]も該犯罪の一部を為すべき所為は起訴の目的たるべきことは本院判例の夙に[つとに]認むる所たり。 而して[しこうして]本件予審請求書には預金のことに関し生じたる所為のみを記載し貸付金及び当座勘定に関し生じたる所為に付ては何等の記載なしと雖[いえども]も原判決に依れば右は本件意思継続の犯罪の一部なれば本件起訴の目的となりたるものと云はざるべからず。 故に原院が貸付金及び当座勘定に関する犯罪を認定したるは起訴以外の事実を認定したる不法あるものにあらず。 （判旨第七点）

第六点は本件予審請求書を査するに冒頭先づ「詐欺取財」と掲げ犯罪事実欄に「被告は云云株式会社四日市銀行白子出張店の主任として銀行事務処弁中同出張店に預入を受けたる定期預金其他の預金合計六万七千七百七円八十四銭二厘を銀行帳簿に記入せず。 預金の都度意思継続して該金額を騙取[へんしゅ]費消したり。」と記載しありて右文中殊更に「銀行帳簿に記入せず。」と掲げらるるに依れば起訴者は帳簿偽造の犯行を否認し特に之を除外して起訴するの意思に出でたること疑を容れず御院明治四十年（レ）第一〇六五号同年十一月二十六日第一刑事部宣告判決に「私書偽造行使詐欺取財の罪に付、予審請求ありたる場合に於ても起訴状中私印盗用の所為を包含せしめざる意思なるときは私印盗用罪は起訴せられたるものと謂ふを得ず。」との説明あり本件と其犯罪を異にする点ありと雖[いえども]も起訴の範囲が起訴者の意思に依て決せらるべき場合あることを表明せられたるものにして採で以て本件起訴の範囲を決するの理論となすに足れりとす。 原判決が文書偽造行使罪を以て被告を処罰せるは起訴に係らざる事実を認定して法律を適用したるものに係り之れ亦[また]不告不理の原則に乖戻したる不法あるものとすと云ふ[いう]に在れども◎其上告趣意書の論旨に対し既に説明したるが如く本件帳簿等の偽造は検事の予審請求書中に包含せられたるものなり。 故に予審請求書に「銀行帳簿に記入せず。」との文字ありと雖[いえども]も是を以て帳簿等の偽造を其請求より除外したるものと云ふ[いう]を得ざるを以て本論旨は上告の理由なし。

第七点は本件に付、名古屋控訴院に於て被告が明治三十六年十月十七日以前の所為は免訴の判決を下し又大坂控訴院に於て金円騙取[へんしゅ]の点は証憑[しょうひょう]充分ならずと断定したるに拘はらず公訴裁判費用全部の負担を命じたるは不法なりと云ふ[いう]に在れども◎本件公訴裁判費用は総で本件事実の取調に関し要したるものなれば原院が被告に其全部を負担せしめたるは不法にあらず。

第八点は原判決は被告が私書偽造行使の所為は孰れ[いずれ]も意思継続に出でたるものと認定し其証憑[しょうひょう]説明の部に於て此事実も亦[また]被告が自認したるものと掲記せられたれども原院公判始末書には右自認の記載なきに依り則ち原裁判は虚無の自認を罪証に供したる不法あるものなりと云ふ[いう]に在れども◎意思継続の点の如きは固より[もとより]裁判所が証拠に依て認めたる事実より推断したるものにして原判決証拠理由冒頭の説明は其他の犯罪事実を自認したりとの趣旨なりと解するを相当とす。 故に本論旨は上告の理由なし。

第九点は証人高田隆平の予審調書には其冒頭に裁判所書記の立会ありたる旨の記載あれども其氏名の記載なきを以て結局無効の調書たるを免れざるに原判決が之を罪証に供したるは不法なりと云ふ[いう]に在れども◎所論予審調書の冒頭に裁判所書記とあるは其末尾に署名せる裁判所書記松尾朔次郎を指示したるものなることは自ら明かなるを以て本論旨は上告の理由なし。

第十点は本件は旧刑法の下に起りたる事実なれば原判決破毀の上新旧刑法を比照し適当なる擬律あるべきものと信ずと云ふ[いう]に在り◎因で按ず[あんず]るに上告論旨に依り新法施行以前言渡したる第二審判決の擬律を審査する場合に於ては上告裁判所は旧法のみを標準とせず新旧法を対照して擬律の当否を判断し其軽きに従ひ処分せざるべからざるものとす。 何となれば刑法第六条に依れば新法施行前の犯罪にして既に確定判決を経たるものは新旧法を対照して其軽きに従ひ処分すること能はずと雖[いえども]も未だ確定判決を経さるものは判決言渡のありたると否とに拘はらず常に新旧法の対照を為し其軽きに従ひ処分するの必要あるものにして第二審判決を経たるか為め其軽きに従ひ処分するの利益を及ぼさざるの理由なきを以てなり。 左れば第二審判決は其言渡当時の法律に照せば縦し[よし]正当にして何等の瑕瑾なしとするも新旧法の対照を欠如し擬律の点に於て上告裁判所の判決と一致せざるを以て擬律錯誤の不法あるものとして之を破毀せざるを得ず。 而して[しこうして]原判決は新法施行前即ち旧刑法実施の当時言渡されたるものなるも本論旨に依り其擬律の当否を審査するに旧刑法に照しては何等の瑕瑾なしと雖[いえども]も新旧法の対照を欠如し擬律の点に於て本院の判決と一致せざるを以て原判決は擬律錯誤の不法ありとして之を破毀すべきものとす。

第十一点は名古屋控訴院の判決に徴するも其理由中に被告は「自己を利し若くは利せんとしたる事迹に付ては秋毫も[ごうも]認むる能はず」と明記しあり。 而して[しこうして]被告の素行上更に嫌悪すべき醜態存せざるのみならず銀行預金取付の流行する時代県金庫引受方運動費の支出等を一一帳簿に掲げざりしは寧ろ[むしろ]銀行の利益の為めを思ひしものにして被告一己の為めにあらざれば其情態寔に[まことに]憐諒すべきものあり。 依て被告に対し刑の執行猶予の恩典あらんことを求むと云ふ[いう]に在りて◎原判決の違法なることを訴ふるにあらざれば原判決に対する上告の理由たらず

弁護人渡辺輝之助上告趣意弁明書第一点は凡そ文書偽造罪は犯す者の意思継続と否とに拘らず各文書毎に一一其法益を害せらるるものなれば原院に於ても第一乃至[ないし]第十八の如く各別に文書偽造罪を認めたり。 然るに法律適用の部に至り数罪倶発の条項を脱し漫然刑法第二百十条第二百十二条を適用処断したるは理由不備にして、且、擬律の錯誤ありと云ふ[いう]べしと云ふ[いう]に在れども◎本件の如く意思継続して同一の罪名に触るる数箇の犯罪行為を為したるときは一罪として之を処分すべきものなるを以て原判決に数罪倶発の法条を適用せざるは不法にあらず。

第二点は原院は弁護人狩野山義一を適式に呼出さざりし、而して[しこうして]同人の出廷なきに其儘審判を了りたるは刑事訴訟法に所謂関係人を呼出すべしとあるの法則に背きたるものとす。 右弁護人に対する六月一日附呼出状を査するに執達吏の送達したるや其代人の送達したるや不明にして送達の効力ありと見るを得ず。 是れ呼出状を不適法となす所以なりと云ふ[いう]に在れども◎弁護人狩野山義一に対する呼出状送達証書の末尾には執達吏川上徳一代り武井元太郎と明記しありて執達吏代理の送達したるものなることは分明なるを以て本論旨は上告の理由なし。

第三点は文書は偽造するも行使せざれば罪とならず本案に付ては「備付」の事を以て行使と為すが如し。 然らば此一事は最も切要の条件なり。 判決は上告人に於て全部自認せりと云ふ[いう]も公判始末書を査するに上告人は日記帳伝票等に記載を為すに至れりと答弁せるのみ決して備付即ち行使の申立を為さざるに全部自認と誤り援用せるは虚無の証拠を継罪の資料に供したるの嫌ありと云ふ[いう]に在れども◎原院公判始末書に被告が同一趣旨の供述を為したりとして援用せる第一審公判始末書及び被告の第六回予審調書並に原院公判始末書に依れば被告は株式会社四日市銀行白子出張店の事務取扱中其取扱に係る同会社の帳簿等を偽造したることを自認したるものにして被告が白子出張店に同帳簿等備付けの事をも自認したることは自ら明かなるを以て原判決は虚無の証拠を断罪の資料に供したる不法あるものにあらず。

第四点は公判始末書なるものは聴くに随ひ之を描写する文書なれば公廷に於て直ちに作成せらるるや論なし。 法律は整頓の為め二日の期間を設けたるも整頓と作成とは異なれり原院始末書を査するに本件の事実に付ては第一審公判始末書及明治四十一年一月十二日被告人第六回予審調書に記載せると同様陳述を為しとあり弁護人の解するに苦む所なり。 果して如斯[かくのごとき]なれば書記は先づ記録全体を自己の机上に安置せざるべからず。 裁判長は何に依て訊問を為すべき殊に大簿冊の中より六回予審調書を選出し之と申立の一致ありや否やを対照する如き書記が公廷の措置として不能の事に属す。 故に始末書の記載甚た不明にして適式に作成せられたるものと認め難し故に此文書の無効なると共に審問の合法に履行せられたるものと見るに由なしと云ふ[いう]に在れども◎公判始末書は判決言渡の日より三日内に作成すべきものにして之を作成するに当り裁判所書記が記録に存する予審調書及び他の公判始末書等の記載を援用することは法の禁ずる所にあらず。 故に原裁判所書記が本件公判始末書を作成するに当り第一審公判始末書及び被告の予審調書の記載を援用したるは不法にあらず。 又原院公判始末書を査するに別に不明の廉なきを以て本論旨は上告の理由なし。

第五点は第四点説示の如く被告の第六回予審調書は大審院の無効と判決せるものにして其記載はなきものと同じ然るに原院始末書の之に憑拠し問答を掲げたるは不法にして始末書たるの効なし。 即ち適式の手続を為したるものと認むるを得ずと云ふ[いう]に在れども◎原院公判始末書を作成するに当り書記は被告供述の記載に代へて被告の第六回予審調書の記載を援用したるに過ぎざれば其予審調書は仮令[たとい]ひ無効なりとするも原院公判始末書の効力に何等の影響を及ぼさざるを以て本論旨は上告の理由なし。

第六点は判決は押収の日記帳伝票当座預金帳貸越元帳等の記載に徴しとあり各帳簿は物件として証拠とせしにあらずして其内容を採りたるや論なし。 左すれば其記載の如何[いかん]なる事項を採用せしや之を明示すべきに然らざるは刑事訴訟法第二百三条に違背せるものなりと云ふ[いう]に在れども◎其理由なきことは弁護人高木益太郎上告追加理由書第一の論旨に対する説明に依り了解すべし。

第七点は本件起訴は代人の告訴に基くを以て先づ其委任状を閲みずるに単に銀行より山田千代太郎に対する告訴一切の件とあるのみ何年に於ける如何[いかん]なる事項を犯行として告訴せるや漠乎として之れを知るに由なし。 人に罪ありとし訴ふるは異常特別の事に属す須く詳密なる委任条件なかるべからず。 然るに此委任状の如き如何[いかん]なる告訴を委任したるや分明ならざるに付き之を基として作成せる告訴状は果して銀行の委任権内に於けるものなるや否判然せざるを以て委任権なきものと見做すを相当とす。 又権限内とするも刑事訴訟法第五十一条初項に依れば告訴は告訴人署名捺印したる書面を以て之を為すべしとあり告訴の提起は最も慎重を要すべきことを示したるものにして。 従て自署捺印を要するの義なるや論なし。 仍て[よって]告訴状を査するに岡崎正也の署名は自筆にあらず。 名下の印影は他人のものに係り同人は署名捺印せざるに同じきを以て同条に依り告訴の効なし。 故に本件告訴は無効に帰したるに付、公訴不受理を言渡すべきに之を受理審判したるは不法なりとすと云ふ[いう]に在れども◎本件は親告罪にあらざれば告訴状及び告訴委任状等に仮令[たとい]ひ如何[いかん]なる違法の廉あるも之が為め検事の起訴が無効となるべき謂はれなきを以て本論旨は上告の理由なし。

第八点は本件起訴は無効なり。 予審請求書を見るに右被告事件軽罪なりと思料す云云とあり所謂「右」に当る所に何等予審を請求する事実の記載なければ如何[いかん]なる軽罪を起訴せるや判明ならず。 但其末尾犯罪概略欄内に二三の記事あるも此記事は起訴事実に非ざること請求書自体に依り明白なれば要するに公訴は不適式なり。 然るに不受理の判決を為さざりしは不法なりと云ふ[いう]に在り◎因で本件予審請求書を見るに右被告事件とある其右に該当する箇所には「詐欺取財」と記載しありて詐欺取財なる軽罪を起訴したるものなること判明なるを以て本論旨は上告の理由なし。

第九点は証人高田隆平の予審調書は詐欺取財事件の証人として取調へられたるものなれば他の事件に付ては証言たるの効なし。 然るに文書偽造罪に付ても尚ほ証言の効ありとし之を採用したるは不法なりと云ふ[いう]に在り◎因で按ず[あんず]るに検事は本件を詐欺取財と題し起訴したるも起訴の事実は文書偽造に因る行金騙取[へんしゅ]の所為なるに依り予審判事は其事実に付、証人高田隆平の取調を為したるものにして同人の予審調書には検事の付したる訴名を用ひ詐欺取財被告事件云云と記載しあるも同人は本件即ち文書偽造被告事件の証人なるを以て原院が其供述を証言証拠の効力あるものとして断罪の資料に供したるは不法にあらず。

第十点は原院は第一審判決を取消し其大部分を無罪とせり。 而して[しこうして]右無罪の分は過半以上にして之れに要したる裁判費用は頗る[すこぶる]多額なること疑を存せず。 故に刑事訴訟法第二百一条の規定に従ひ公訴費用負担に付、相当の減少あるべきに無罪と有罪の部分とに関せず一切の費用全部を上告人に負担せしめたるは同条の適用を誤りたるものとす。 其第二項免訴又は無罪の言渡しありたる場合云云とは起訴せられたる事実全体の免訴又は無罪の場合のみに限られざればなりと云ふ[いう]に在れども○本件公訴裁判費用は総で本件事実の取調に関し要したる費用にして被告に対し其全部又は幾部を科するかを定むるは原院の職権に属するを以て本論旨は上告の理由なし。

第十一点は右附帯控訴に依り判断せられたる証第三十四号第七十四号第四十二号第九十号の事実は原審に於て更に認示せられず不問に付したる遺脱部分なれば、即ち一審を経さるものなり。 故に仮令[たとい]附帯控訴ありと雖[いえども]も此部分に対し二審の判決を為す能はざる次第にして附帯控訴の不適法にして之れを許すべからざるや固より[もとより]論なし。 検事の附帯控訴主意に依れば本件は継続犯なるを以て原判決の瑕瑾とならずと云ふ[いう]も文書偽造罪は各箇犯罪を構成すべき性質なれば一意継続を以て各文書偽造罪を包含し其遺脱せしものを以て犯罪事実の分量に準ずるを許さず殊に一審判決も文書偽造罪に付ては各別に論断せるを以て知るべし或は云はん刑法第三百九十条末項と第二百十条の関係に於て本案を継続犯とすと。 然れども[しかれども]既に原院は委託金騙取[へんしゅ]の一切を無罪とし文書偽造罪のみを問擬せし以上未だ一審を経さる文書偽造の行為に付ては判断するの途なきものとすと云ふ[いう]に在れども◎判決は被告事件の全体に対して為すべきものとす。 従て其事件中一部判決を為さざる点あるも之に対する控訴は被告事件の全部に渉るべきものなることは本院判例の夙に[つとに]認むる所たり。 而して[しこうして]本件の如く予審終結決定に依り公判に付せられたる事実の一部に対し第一審裁判所が判決を遺脱したるは。 即ち訴を受けたる事件に付、裁判を為さざる不法あるものなれば第一審判決に対し控訴ありたるときは第二審裁判所は予審終結決定に依り公判に付せられたる事件の全体に対し審判を為さざるべからざるを以て本論旨は上告の理由なし。

第十二点は原院は帳簿と伝票との偽造行使を以て共に刑法第二百十条初項に問擬せり帳簿に付ては論なし。 唯伝票なるものは其名称のみにては帳簿と異なり。 其性質の如何[いかん]を知るに由なし。 文書の本質権利義務に関する証書なるや否や又其余の文書なるや之を説示すべきに不明不可解なる略語爾かも一般に通ぜざる「伝票」を偽造云云と掲げ右文書の性質を示さざるは理由不備の判決なりとすと云ふ[いう]に在れども◎出金伝票とは銀行内に於て其業務取扱上金銭の支出を通知する為め用ゆる文書にして権利義務に関する証書なることは自ら明かなれば原判決は理由不備の不法あるものにあらず。

第十三点は偽造文書の行使に就ては学説紛紛たり弁護人の信ずる所に依れば欺罔せらるべき人が其文書に接せんとする状態に在るを云ふ[いう]ものとす。 果して然らば判決冒頭説示の如く上告人は白子出張所主任にして店事務一切を取扱ひ文書全部を主管することは記録に依り明白なれば上告人は一人にて店務内外一切を主宰せるを知るべく。 従て上告人以外の人にして偽造せる文書に依り欺罔せらるべき状態に到接せざるに付、仮令[たとい]店内に備付るとするも行使と云ふ[いう]べからざるものとす。 行使なきを以て刑法第二百十条の罪を構成せざるや論なしと云ふ[いう]に在れども◎本件の如く被告が偽造したる帳簿等を店内に備付け閲覧するの権利ある者をして之を閲覧すべき状態に置きたる以上は其者が実際之を閲覧したると否とに拘はらず偽造文書の行使ありたるものと云はざるを得ざるを以て本論旨は上告の理由なし。

第十四点は凡そ文書の偽造には作成者の資格を詐るを以て構成条件主要の一なりとす。 所謂「同店備付の諸帳簿伝票」なる者は其作成者は一応銀行なる法人と推測せらるべきも必ずしも然らず或は便宜の為め斯かる[かかる]資格に依らずして作成せしものあるべく又若し支店主任の名を以て作成せられたるものありとせばは主任てふ人格なきこと勿論なれば仮りに偽造するも内容の虚偽なるに止まり偽造罪を組

成せず。 故に「備付」の事を以て直ちに銀行が其法人資格を以て作成せし文書と速断するは不法なれば要するに原判決は理由不備たるを免れずと云ふ[いう]に在れども◎本件諸帳簿は銀行帳簿にして作成者が一一之に署名すべきものにはあらずと雖[いえども]も株式会社四日市銀行の権利義務を証明すべき文書なれば之を偽造行使したる被告の所為は文書偽造罪を構成するものとす。 又本件伝票は被告が其当時命せられ居りたる白子出張店主任の資格を冒し偽造したるものなることは原判文上自ら明かにして被告に文書偽造の罪責を負はしむべき事実理由の明示に欠くる所なければ本論旨は上告の理由なし。

第十五点は新旧両刑法を比照せず又監視罰金を付したるは取消を免れざるものとす。 上訴の理由ありや否やを決するには事実は其当時の事実に基き法律は判決当時の法律に依るべきものと信ずればなりと云ふ[いう]に在りて◎其理由あることは弁護人高木益太郎上告追加理由書第十点の論旨に対する説明に依り了解すべし。

而して[しこうして]原判決は弁護人高木益太郎上告追加理由書第十点及び弁護人渡辺輝之助上告趣意弁明書第十五点の論旨に対する理由に依り之を破毀すべきものなるを以て其認めたる事実に依り之を法律に照すに被告の所為は所犯新法施行以前にあるを以て刑法施行法第二条第三条第三項刑法第十条に依り新旧法を対照するに旧法に在ては旧刑法第二百十条第一項第二百十二条に該当し押収物件中偽造に係る文書は同第四十三条第一号第四十四条に依り之を没収すべく新法に在ては刑法第百六十一条第一項第百五十九条第三項第五十五条に該当するものとす。 依て新法の刑は旧法の刑より軽きを以て刑法第六条に依り刑法の前示各法条を適用し被告を懲役八月に処し公訴裁判費用は刑事訴訟法第二百一条第一項押収物件は同法第二百二条に依り処分すべきものとす。

右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十六条第二百八十七条に依り主文の如く判決す

検事鈴木宗言干与明治四十一年十一月六日大審院第一刑事部