明治四十一年（れ）第四五五號
明治四十一年六月五日宣告
◎判決要旨
- 一 文部大臣カ教育勅語謄本ノ頒布ト同時ニ所管各學校ニ傳達シタル訓示ハ勅語謄本ト相待テ其效用ヲ完ウスヘキモノトス從テ該謄本ハ一ノ文書ナリ（判旨第一點）
- 一 裁判所カ或事項ニ付キ法律上ノ判斷ヲ爲スニ當リ其論據ヲ強固ナラシムル爲メ他ノ法令及ヒ訓令等ヲ引説スルハ其職權ニ屬シ何等ノ證據ヲ要スルモノニ非ス（判旨第二點）
- 一 刑法第二百三條第二項ニ所謂官ノ文書トハ官ノ文書トシテ官廳自ラ保管スルモノノミヲ指稱ス從テ官廳ニ依リ適法ニ作成セラレタル文書ト雖モ正當ノ理由ニ因リテ官廳以外ノ者ノ所有ニ歸シタルモノハ之ニ包含セス（判旨第三點）
- 一 文部大臣カ各公立小學校ニ下付シタル教育勅語謄本ハ刑法第二百三條ニ謂フ官ノ文書ニ非スシテ各小學校所屬町村有ノ文書ナリトス（同上）
（參照）官ノ文書ヲ僞造シ又ハ増減變換シテ行使シタル者ハ輕懲役ニ處ス」其官ノ文書ヲ毀棄シタル者亦同シ（刑法第二＄百三條）
右官文書毀棄被告事件ニ付明治四十一年四月十七日宮城控訴院ニ於テ言渡シタル判決ヲ不法トシ被告ハ上告ヲ爲シタリ因テ刑事訴訟法第二百八十三條ノ定式ヲ履行シ判決スルコト左ノ如シ
被告上告趣意書第一點ハ原院ハ自分ニ於テ高倉小學校樓上ニ奉置シアリタル「教育ニ關スル勅語」ノ謄本ヲ取出シ之ヲ燒棄シタルモノニシテ刑法第二百三條第二項ニ該當スル犯罪アリトシテ刑ノ言渡ヲ爲シタリ惟フニ「教育ニ關スル勅語」ノ謄本ナルモノハ相當ノ公布式ニ依リテ國民全般ニ對シテ發表セラレタル聖旨ヲ特ニ教育當事者ニ表明シ其注意ヲ喚起スルカ爲メニ文部省ニ於テ作成シタル所ノ一ノ印刷物ニシテ國民ノ信條トシテハ至大ノ尊敬ヲ拂フヘキモノナルコトハ勿論ナリト雖モ一ノ官文書ニアラサルコトハ謂フ所ノ謄本ナルモノハ作成者ノ署名アルニアラス又押印アルニモアラス單純ナル一種ノ複寫ニ過キサルニヨリテ明カナリトス凡ソ勅語ノ原本ハ刑法第二百二條ニ謂フ所ノ詔書ニシテ官文書ニアラス而シテ文部大臣ハ詔書ヲ寫シテ官文書ト爲シ以テ之ニ證明力ヲ付與セントシタルモノニアラサルコトハ明治三十三年十月三十一日文部省訓令第八號ニ依リ明カナル所ナリ即チ原院ハ罪トナラサル事實ニ對シテ刑ノ言渡ヲ爲シタル失當アルモノト信スト云ヒ」辯護人高木益太郎澤田薫上告辯明書第二ハ凡ソ文書ト稱スルニハ其作成カ他人ニ對シ意思ヲ傳達スル目的ニ出テタルモノナルコトヲ要スルハ勿論ナリ本件教育勅語謄本ハ文部大臣ノ職務上作成セラレタルモノナリトスルモ元ト保管學校ニ對スル作成者ノ意思傳達ノ爲メニ作成セラレタルモノニアラス從テ之ヲ文書ト謂フコトヲ得ス
原判決カ教育勅語謄本ヲ毀棄シタル事實ヲ以テ官文書毀棄罪ニ問擬シタルハ法律ノ適用ヲ誤リタル不法アルモノナリト云フニ在リ◎依テ按スルニ文部大臣カ教育勅語謄本頒布ニ付爲シタル訓示ハ教育勅語ニ對スル自己ノ感懷ヲ述ヘ各教職ニ在ル者ハ須ラク聖意ヲ奉體シ以テ研磨薫陶ノ務ヲ怠ルコトアルヘカラサル旨ヲ表明シ之ヲ所管各學校ニ傳達シタルモノナレハ同訓示カ一ノ文書タルコト絲毫ノ疑ヲ容レス而シテ右訓示ハ勅語謄本ト相待テ其效用ヲ完フスヘキモノニシテ所論勅語謄本ハ右訓示ト共ニ各學校ニ頒布セラレタルモノナルコト訓示ノ趣旨ニ照シ明瞭ナレハ右勅語謄本ハ訓示ノ一部ヲ爲スモノナルニ因リ其文書タルコト勿論ナリ故ニ原院ニ於テ之ヲ一ノ文書ト判定シタルハ相當ニシテ本趣意ハ何レモ理由ナシ（判旨第一點）
被告上告趣意書第二點ハ原院ハ明治三十三年巖手縣訓令第十一號ヲ引用シ本件ノ謄本ハ官文書タルコトヲ確定スルノ資料ニ供シタリ惟フニ縣訓令ハ裁判所カ職權ヲ以テ之ヲ認識スルコト能ハサルモノニシテ證據ニヨラスシテ之ヲ認知シタル原判決ノ失當タルハ勿論斯ノ如キ訓令アルコトヲ被告人ニ示シ之カ辯解ヲ求ムルコトヲ爲サスシテ之ニ基キ被告人ノ犯罪ヲ認定シタル原判決ハ是亦失當ナリト謂ハサル可カラスト云フニ在リ◎然レトモ原院ハ所論訓示ヲ本件斷罪ノ證據ト爲シタルモノニアラスシテ勅語謄本カ官文書ナルヤ否ヤノ法律上ノ判斷ヲ爲スニ當リ自己ノ判斷ノ正當ナルコトヲ確カムル爲メ所論訓示ヲ引用シタルモノニ外ナラス而シテ其論據ヲ強固ナラシムル爲メ他ノ法令訓令等ヲ引説スルハ裁判所ノ職權ニアリ何等ノ證據ヲ要スルモノニアラサルヲ以テ本趣意ハ理由ナシ（判旨第二點）
辯護人高木益太郎澤田薫上告辯明書第一ハ僞造罪ニ於ケル官文書ト非官文書トハ其作成作成官吏ノ權限内ニ屬スルモノナルヤ否ヤニ依テ之ヲ區別スルモ毀棄罪ニ於ケル官文書ト非官文書トハ其保管カ官廳ニ屬スルヤ否ヤニ依テ之ヲ區別スヘキモノトス而シテ公立小學校ハ營造物ニシテ官廳ニアラス左レハ原判決カ高倉小學校保管ノ教育勅語謄本ヲ燒燬シタル所爲ヲ以テ官文書毀棄罪ヲ構成スルモノト爲シタルハ不當ニ罰條ヲ適用シタル不法アルモノナリト云フニ在リ◎依テ按スルニ刑法第二百三條第二項ニ所謂官ノ文書トハ官ノ文書トシテ官廳自カラ保管スルモノノミヲ指稱シタルモノニシテ官廳ニ因リ適法ニ作成セラレタル文書ト雖モ正當ノ理由ニ依リ官廳以外ノ者ノ所有ニ歸シタルモノハ其官ノ文書ナル文詞中ニ包含セシメサルモノト解スルヲ相當トス何トナレハ同項ノ規定ハ官文書ノ安固ヲ保護センカ爲メニ設ケラレタルモノナルヲ以テ既ニ官廳ノ手ヲ離レ官廳以外ノ者ノ手ニ屬シタルトキハ官文書トシテ其安固ヲ保護スルノ要存セサルヲ以テナリ今本件勅語謄本ナルモノハ文部大臣カ其職權ヲ以テ作成シタル官文書ノ一部ナルコト前點説示ノ如シト雖モ既ニ之ヲ各學校ニ下賜セラレ全ク官廳ノ保管ヲ離レタルモノナルコトハ明治二十四年文部省訓令第四號ニ管内學校ニ下賜セラレタル（中畧）教育ニ關スル勅語ノ謄本ハ云云トノ文字アルニ徴シテ明カナリ左レハ所論勅語謄本ハ刑法第二百三條ニ謂フ官ノ文書ニアラスシテ高倉小學校所屬ノ巖手縣西磐井郡永井村有ノ文書ナルヲ以テ之ヲ公有ノ文書ナリト云ハサルヘカラス而シテ公文書毀棄ノ所爲ニ對シテモ亦明治二十三年法律第百號ニ依リ官文書毀棄ノ所爲ト同一ノ刑罰ヲ科スヘキモノナリト雖モ官文書毀棄罪ヲ以テ目スヘキモノニアラス然ルニ原院ニ於テ被告ノ所爲ヲ官文書毀棄罪トシテ處斷シタルハ所論ノ如ク擬律錯誤ノ不法ヲ免レス（判旨第三點）
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十七條ニ依リ原判決ヲ破毀シ當院ニ於テ直チニ判決スル左ノ如シ
被告 千葉徳一郎
原院ノ認メタル事實ヲ法律ニ照スニ被告ノ所爲ハ明治二十三年法律第百號ニ依リ刑法第二百三條第二項ニ照シ處斷スヘキモノナル處犯情原諒スヘキ廉アルヲ以テ刑法第八十九條第九十條ニ依リ本刑ニ一等ヲ減シ尚ホ同法第二百七條ヲ適用シ被告ヲ重禁錮二年ニ處シ監視六月ニ付シ同法第四十五條竝ニ刑事訴訟法第二百一條ニ依リ公訴裁判費用ハ全部被告ニ負擔セシメ同法第二百二條ニ依リ押收物件ハ之ヲ所有者ニ還付スヘキモノトス依テ
被告ヲ重禁錮二年ニ處シ監視六月ニ付ス
公訴裁判費用ハ被告ノ負擔トス
押收物件ハ所有者ニ還付ス
檢事板倉松太郎干與明治四十一年六月五日大審院第一刑事部
明治四十一年（レ）第四五五号
明治四十一年六月五日宣告
◎判決要旨
- 一 文部大臣が教育勅語謄本の頒布と同時に所管各学校に伝達したる訓示は勅語謄本と相待で其効用を完うすべきものとす。
従て該謄本は一の文書なり。
（判旨第一点）
- 一 裁判所が或事項に付き法律上の判断を為すに当り其論拠を強固ならしむる為め他の法令及び訓令等を引説するは其職権に属し何等の証拠を要するものに非ず（判旨第二点）
- 一 刑法第二百三条第二項に所謂官の文書とは官の文書として官庁自ら保管するもののみを指称す。
従て官庁に依り適法に作成せられたる文書と雖も正当の理由に因りて官庁以外の者の所有に帰したるものは之に包含せず（判旨第三点）
- 一 文部大臣が各公立小学校に下付したる教育勅語謄本は刑法第二百三条に謂ふ官の文書に非ずして各小学校所属町村有の文書なりとす。
（同上）
（参照）官の文書を偽造し又は増減変換して行使したる者は軽懲役に処す」其官の文書を毀棄したる者亦同じ。
（刑法第二＄百三条）
右官文書毀棄被告事件に付、明治四十一年四月十七日宮城控訴院に於て言渡したる判決を不法とし被告は上告を為したり。
因で刑事訴訟法第二百八十三条の定式を履行し判決すること左の如し
被告上告趣意書第一点は原院は自分に於て高倉小学校楼上に奉置しありたる「教育に関する勅語」の謄本を取出し之を焼棄したるものにして刑法第二百三条第二項に該当する犯罪ありとして刑の言渡を為したり。
惟ふに「教育に関する勅語」の謄本なるものは相当の公布式に依りて国民全般に対して発表せられたる聖旨を特に教育当事者に表明し其注意を喚起するか為めに文部省に於て作成したる所の一の印刷物にして国民の信条としては至大の尊敬を払ふべきものなることは勿論なりと雖も一の官文書にあらざることは謂ふ所の謄本なるものは作成者の署名あるにあらず。
又押印あるにもあらず。
単純なる一種の複写に過ぎざるによりて明かなりとす。
凡そ勅語の原本は刑法第二百二条に謂ふ所の詔書にして官文書にあらず。
而して文部大臣は詔書を写して官文書と為し以て之に証明力を付与せんとしたるものにあらざることは明治三十三年十月三十一日文部省訓令第八号に依り明かなる所なり。
即ち原院は罪とならざる事実に対して刑の言渡を為したる失当あるものと信ずと云ひ」弁護人高木益太郎沢田薫上告弁明書第二は凡そ文書と称するには其作成が他人に対し意思を伝達する目的に出でたるものなることを要するは勿論なり。
本件教育勅語謄本は文部大臣の職務上作成せられたるものなりとするも元と保管学校に対する作成者の意思伝達の為めに作成せられたるものにあらず。
従て之を文書と謂ふことを得ず。
原判決が教育勅語謄本を毀棄したる事実を以て官文書毀棄罪に問擬したるは法律の適用を誤りたる不法あるものなりと云ふに在り◎依て按ずるに文部大臣が教育勅語謄本頒布に付、為したる訓示は教育勅語に対する自己の感懐を述べ各教職に在る者は須らく聖意を奉体し以て研麿薫陶の務を怠ることあるべからざる旨を表明し之を所管各学校に伝達したるものなれば同訓示が一の文書たること糸毫の疑を容れず。
而して右訓示は勅語謄本と相待で其効用を完ふすべきものにして所論勅語謄本は右訓示と共に各学校に頒布せられたるものなること訓示の趣旨に照し明瞭なれば右勅語謄本は訓示の一部を為すものなるに因り其文書たること勿論なり。
故に原院に於て之を一の文書と判定したるは相当にして本趣意は何れも理由なし。
（判旨第一点）
被告上告趣意書第二点は原院は明治三十三年岩手県訓令第十一号を引用し本件の謄本は官文書たることを確定するの資料に供したり。
惟ふに県訓令は裁判所が職権を以て之を認識すること能はざるものにして証拠によらずして之を認知したる原判決の失当たるは勿論斯の如き訓令あることを被告人に示し之が弁解を求むることを為さずして之に基き被告人の犯罪を認定したる原判決は是亦失当なりと謂はざる可からずと云ふに在り◎。
然れども原院は所論訓示を本件断罪の証拠と為したるものにあらずして勅語謄本が官文書なるや否やの法律上の判断を為すに当り自己の判断の正当なることを確かむる為め所論訓示を引用したるものに外ならず。
而して其論拠を強固ならしむる為め他の法令訓令等を引説するは裁判所の職権にあり何等の証拠を要するものにあらざるを以て本趣意は理由なし。
（判旨第二点）
弁護人高木益太郎沢田薫上告弁明書第一は偽造罪に於ける官文書と非官文書とは其作成作成官吏の権限内に属するものなるや否やに依て之を区別するも毀棄罪に於ける官文書と非官文書とは其保管が官庁に属するや否やに依て之を区別すべきものとす。
而して公立小学校は営造物にして官庁にあらず。
左れば原判決が高倉小学校保管の教育勅語謄本を焼燬したる所為を以て官文書毀棄罪を構成するものと為したるは不当に罰条を適用したる不法あるものなりと云ふに在り◎依て按ずるに刑法第二百三条第二項に所謂官の文書とは官の文書として官庁自から保管するもののみを指称したるものにして官庁に因り適法に作成せられたる文書と雖も正当の理由に依り官庁以外の者の所有に帰したるものは其官の文書なる文詞中に包含せしめざるものと解するを相当とす。
何となれば同項の規定は官文書の安固を保護せんか為めに設けられたるものなるを以て既に官庁の手を離れ官庁以外の者の手に属したるときは官文書として其安固を保護するの要存せざるを以てなり。
今本件勅語謄本なるものは文部大臣が其職権を以て作成したる官文書の一部なること前点説示の如しと雖も既に之を各学校に下賜せられ全く官庁の保管を離れたるものなることは明治二十四年文部省訓令第四号に管内学校に下賜せられたる（中略）教育に関する勅語の謄本は云云との文字あるに徴して明かなり。
左れば所論勅語謄本は刑法第二百三条に謂ふ官の文書にあらずして高倉小学校所属の岩手県西磐井郡永井村有の文書なるを以て之を公有の文書なりと云はざるべからず。
而して公文書毀棄の所為に対しても亦明治二十三年法律第百号に依り官文書毀棄の所為と同一の刑罰を科すべきものなりと雖も官文書毀棄罪を以て目すべきものにあらず。
然るに原院に於て被告の所為を官文書毀棄罪として処断したるは所論の如く擬律錯誤の不法を免れず（判旨第三点）
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十七条に依り原判決を破毀し当院に於て直ちに判決する左の如し
被告 千葉徳一郎
原院の認めたる事実を法律に照すに被告の所為は明治二十三年法律第百号に依り刑法第二百三条第二項に照し処断すべきものなる処犯情原諒すべき廉あるを以て刑法第八十九条第九十条に依り本刑に一等を減じ尚ほ同法第二百七条を適用し被告を重禁錮二年に処し監視六月に付し同法第四十五条並に刑事訴訟法第二百一条に依り公訴裁判費用は全部被告に負担せしめ同法第二百二条に依り押収物件は之を所有者に還付すべきものとす。
依て
被告を重禁錮二年に処し監視六月に付す
公訴裁判費用は被告の負担とす。
押収物件は所有者に還付す
検事板倉松太郎干与明治四十一年六月五日大審院第一刑事部
