明治四十年（れ）第一一〇七號
明治四十年十二月三日宣告
◎判决要旨
- 一 詐欺取財罪ニ付テハ被告カ他人ニ屬スル金品等ヲ騙取シタル事實ヲ判示スルヲ以テ足リ其被害者ノ何某ナルヤハ必スシモ之ヲ判决ニ明示スルノ要ナシ（判旨第二點）
- 一 私印僞造罪ノ成立ニハ僞造ノ目的タル印章ノ使用權カ他人ニ屬スルコトヲ要スレトモ其使用權者カ自然人タルト法人タルト將タ此等ノ人ヨリ成ル集合團體タルトハ問フ所ニ非ス（判旨第三點）
- 一 私署證書僞造行使罪ヲ判定スルニハ被告カ僞造ニ係ル私署證書ヲ他人ニ對シテ行使シタル事實ヲ明示スレハ足リ其行使ヲ受ケタル人ノ何某ナルヤハ必スシモ之ヲ判决ニ明示スルコトヲ要セス（判旨
第五點）
右私印竝ニ約束手形僞造行使詐欺取財被告事件ニ付明治四十年十月二十三日名古屋控訴院ニ於テ言渡シタル判决ヲ不法トシ被告ヨリ上告ヲ爲シタリ因テ刑事訴訟法第二百八十三條ノ式ヲ履行シ判决スルコト左ノ如シ
上告趣意書第一點ハ原判决ハ被告カ僞造セル約束手形ヲ有效ノモノヽ如ク認ムルト雖モ該手形ハ原判决ニ於テ認ムル如ク明知商工會ノ規約ニ基キ發行シタルモノニシテ同規約ニハ補助貨ノ缺乏ヲ補足スル爲メ名ヲ約束手形ニ借リ手形上ノ債務關係ナキ福岡源兵衛ヨリ橋本幸八郎ニ宛テ振出シ幸八郎カ之ニ裏書ヲ爲シ發行スルモノニ係リ爾後多人數ノ間ニ轉輾流通セシムルモ更ニ裏書讓渡ノ記載ナシ故ニ該手形ハ實體ニ於テ手形上ノ權利關係及其原因ヲ生セス又手形上裏書授受ノ要件ヲ具備セサルヲ以テ法律上無效ノ手形タル事明瞭ナルニモ拘ハラス原判决カ刑法第二百九條第一項ヲ適用處斷シタルハ不法ノ判决ト云ハサル可カラスト云フニ在リ◎依テ按スルニ手形債權ハ一ノ證書債權ナルヲ以テ約束手形ハ其振出人ニ於テ之ニ署名シ交付スルニ因リ成立シ爾後振出人ハ手形上ノ債務ヲ負擔スルモノニシテ之ヲ振出スニ至リタル原因如何ハ其成立ニ何等ノ影響ナシ（但シ無能力者カ手形債務ヲ取消シタル如キ場合ヲ除ク）故ニ福岡源兵衛カ橋本幸八郎ニ宛テ約束手形ヲ振出スニ至リタル原因ハ明知商工會ノ依託ニ在リテ源兵衛自カラ實體上其債務ヲ負擔スヘキモノニアラサルニセヨ又補助貨ノ缺乏ヲ補足センカ爲メナリシニセヨ其振出シタル約束手形ハ元來有效ニ成立シ得可キモノナリ而シテ原判决ノ認メタル所ニ依レハ上告人ハ福岡源兵衛カ明知町商工業者ノ組織セル明知商工會會員ノ依託ニ因リ自カラ振出人ト爲リ橋本幸八郎ニ宛テ振出シタルモノヽ如ク詐リ福岡源兵衛振出名義ノ約束手形ヲ爲造行使シタルモノナルヲ以テ上告人ノ該所爲ニ對シテハ刑法第二百九條第一項ヲ適用スヘキモノナルコト明カナレハ本趣意ハ理由ナシ
第二點ハ原判决ハ被告カ約束手形ヲ僞造行使シテ金品ヲ騙取シタリト認ムルト雖モ其金品ハ何レノ場所ニ於テ如何ナル人ヨリ何程ヲ騙取シタルカヲ明示セサルカ故ニ此點ハ事實ノ理由不備ナル裁判ト認ムト云フニ在リ◎然レトモ原判决ニハ云々約束手形ノ僞造ヲ完了シ意思ヲ繼續シテ云々明知町及ヒ岩村町ニ於テ金圓ニ引換ヘ又ハ物品ヲ買入レ其代價トシテ合計一千七八百枚ヲ行使シ云々ト説示シ以テ金品ヲ騙取シタル場所ハ之ヲ明示シアリ又騙取シタル金品ノ數額ハ必スシモ判决ニ明示セサルヘカラサルモノニアラス且詐欺取財罪ハ人ヲ欺罔シ又ハ恐喝シテ財物若クハ證書類ヲ騙取スルニ因テ成立スルモノナルヲ以テ他人ニ屬スル金品等ヲ騙取シタル事實ヲ判示スルヲ以テ足リ其被害者ノ何某ナルコトハ必スシモ之ヲ明示スルヲ要スルモノニアラス依テ本趣意ハ理由ナシ（判旨第二點）
第三點ハ原判决ハ明知商工會ノ印章同割印發行係印ノ各印章僞造行使ヲ刑法第二百八條第一項ニ問擬シ處斷スルト雖モ明知商工會ナルモノハ人格ヲ具ヘサルモノナルヲ以テ其印章ノ僞造ハ他人ノ私印ト云フヲ得ス故ニ原判决ハ不法ナリト云フニ在リ◎依テ按スルニ刑法第二百八條第一項ニハ他人ノ私印ヲ僞造シテ使用シタル者ハ云々トアルヲ以テ私印僞造罪ノ成立ニハ僞造ノ目的タル印章ノ使用權カ他人ニ屬スルコトヲ要スルハ勿論ナリト雖モ其使用權ヲ有スル人カ自然人タルト法人タルト又此等ノ人ヨリ成ル集合團體タルトハ同罪ノ成立ニ何等ノ影響ヲ及ホスヘキモノニアラス而シテ原判决ニ依レハ明知商工會ナルモノハ法人ニアラスト雖モ一種ノ商工業者ノ組合ナルコト明カニシテ同組合ニ屬スル印章ノ使用權ハ同組合ノ業務執行者ニ屬スルモノナルヲ以テ上告人カ不正ニ右組合ノ印章ヲ僞造使用シタル以上ハ即チ他人ノ私印ヲ僞造シテ使用シタルモノニ外ナラサルヲ以テ本趣意ハ理由ナシ（判旨第三點）
辯護人上原鹿造上告趣旨擴張書第一點ハ本件約束手形ハ商工會名義ヲ以テ振出シタルモノニシテ此等人格ナキ約束手形ナルモノカ法律上有效ニ成立スヘキモノニアラサルト同時ニ之レカ僞造行使ヲナシタリトテ犯罪ヲ構成シ得ヘキモノニアラス然ルニ原院カ有罪ノ判决ヲナシタルハ不法ナリト云フニ在リ◎然レトモ原判决ニ依レハ被告人ハ福岡源兵衛振出名義ノ約束手形ヲ僞造行使シタルモノニシテ商工會名義ノ約束手形ヲ振出シタルモノニアラス故ニ本趣意ハ原判旨ニ副ハサルモノニシテ適法ノ上告理由タラス
第二點ハ證書ノ僞造行使ハ之レカ行使ヲ受ケタル被害者其他ノ相手方タルヘキモノヲ明示スルノ必要アルハ勿論ナリ若シ相手方タルヘキモノカ人格ナキモノカ又ハ其他ノ原因ニ依リ行使カ無效ナル場合ニ於テハ證書行使ノ犯罪ヲ構成セサルコト勿論ナリ然ルニ原判决カ單ニ明知町及ヒ岩村町ニ於テ金圓ニ引換ヘ又ハ物品ヲ買入レタリトノミ判定シ相手ノ如何ナリシモノナリシヤ及ヒ其行使カ法律上有效ノ方法ニ於テ之ヲ爲サレタリトノ事實ヲ明示セサリシハ事實理由ノ不備ナル判决ナリトスト云フニ在リ◎依テ按スルニ私署證書ノ僞造行使罪ハ他人ノ私署證書ヲ僞造シ之ヲ他人ニ對シ行使スルニ因テ成立スルモノナルヲ以テ其犯罪ヲ判定スルニハ之ヲ他人ニ對シテ行使シタル事實ヲ明示スルヲ以テ足リ其行使ヲ受ケタル他人ノ何某ナルコトハ必スシモ之ヲ判决ニ明示スルヲ要スルモノニアラス而シテ上告人ニ於テ本件僞造ニ係ル約束手形ヲ明知町及ヒ岩村町ニテ他人（即チ人格ヲ有スル者）ニ對シ有效ノ方法ヲ以テ之ヲ行使シタルモノナルコト原判文上明カナレハ本趣意ハ理由ナシ（判旨第五點）
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十五條ニ依リ本件上告ハ之ヲ棄却ス
檢事矢野茂干與明治四十年十二月三日大審院第一刑事部
明治四十年（レ）第一一〇七号
明治四十年十二月三日宣告
◎判決要旨
- 一 詐欺取財罪に付ては被告が他人に属する金品等を騙取したる事実を判示するを以て足り其被害者の何某なるやは必ずしも之を判決に明示するの要なし。
（判旨第二点）
- 一 私印偽造罪の成立には偽造の目的たる印章の使用権が他人に属することを要すれども其使用権者が自然人たると法人たると将た此等の人より成る集合団体たるとは問ふ所に非ず（判旨第三点）
- 一 私署証書偽造行使罪を判定するには被告が偽造に係る私署証書を他人に対して行使したる事実を明示すれば足り其行使を受けたる人の何某なるやは必ずしも之を判決に明示することを要せず。
（判旨
第五点）
右私印並に約束手形偽造行使詐欺取財被告事件に付、明治四十年十月二十三日名古屋控訴院に於て言渡したる判決を不法とし被告より上告を為したり。
因で刑事訴訟法第二百八十三条の式を履行し判決すること左の如し
上告趣意書第一点は原判決は被告が偽造せる約束手形を有効のものの如く認むると雖も該手形は原判決に於て認むる如く明知商工会の規約に基き発行したるものにして同規約には補助貨の欠乏を補足する為め名を約束手形に借り手形上の債務関係なき福岡源兵衛より橋本幸八郎に宛で振出し幸八郎が之に裏書を為し発行するものに係り爾後多人数の間に転輾流通せしむるも更に裏書譲渡の記載なし。
故に該手形は実体に於て手形上の権利関係及其原因を生ぜず又手形上裏書授受の要件を具備せざるを以て法律上無効の手形たる事明瞭なるにも拘はらず原判決が刑法第二百九条第一項を適用処断したるは不法の判決と云はざる可からずと云ふに在り◎依て按ずるに手形債権は一の証書債権なるを以て約束手形は其振出人に於て之に署名し交付するに因り成立し爾後振出人は手形上の債務を負担するものにして之を振出すに至りたる原因如何は其成立に何等の影響なし。
（但し無能力者が手形債務を取消したる如き場合を除く）故に福岡源兵衛が橋本幸八郎に宛で約束手形を振出すに至りたる原因は明知商工会の依託に在りて源兵衛自から実体上其債務を負担すべきものにあらざるにせよ又補助貨の欠乏を補足せんか為めなりしにせよ其振出したる約束手形は元来有効に成立し得可きものなり。
而して原判決の認めたる所に依れば上告人は福岡源兵衛が明知町商工業者の組織せる明知商工会会員の依託に因り自から振出人と為り橋本幸八郎に宛で振出したるものの如く詐り福岡源兵衛振出名義の約束手形を為造行使したるものなるを以て上告人の該所為に対しては刑法第二百九条第一項を適用すべきものなること明かなれば本趣意は理由なし。
第二点は原判決は被告が約束手形を偽造行使して金品を騙取したりと認むると雖も其金品は何れの場所に於て如何なる人より何程を騙取したるかを明示せざるが故に此点は事実の理由不備なる裁判と認むと云ふに在り◎。
然れども原判決には云云約束手形の偽造を完了し意思を継続して云云明知町及び岩村町に於て金円に引換へ又は物品を買入れ其代価として合計一千七八百枚を行使し云云と説示し以て金品を騙取したる場所は之を明示しあり又騙取したる金品の数額は必ずしも判決に明示せざるべからざるものにあらず、且、詐欺取財罪は人を欺罔し又は恐喝して財物若くは証書類を騙取するに因で成立するものなるを以て他人に属する金品等を騙取したる事実を判示するを以て足り其被害者の何某なることは必ずしも之を明示するを要するものにあらず。
依て本趣意は理由なし。
（判旨第二点）
第三点は原判決は明知商工会の印章同割印発行係印の各印章偽造行使を刑法第二百八条第一項に問擬し処断すると雖も明知商工会なるものは人格を具へざるものなるを以て其印章の偽造は他人の私印と云ふを得ず。
故に原判決は不法なりと云ふに在り◎依て按ずるに刑法第二百八条第一項には他人の私印を偽造して使用したる者は云云とあるを以て私印偽造罪の成立には偽造の目的たる印章の使用権が他人に属することを要するは勿論なりと雖も其使用権を有する人が自然人たると法人たると又此等の人より成る集合団体たるとは同罪の成立に何等の影響を及ぼすべきものにあらず。
而して原判決に依れば明知商工会なるものは法人にあらずと雖も一種の商工業者の組合なること明かにして同組合に属する印章の使用権は同組合の業務執行者に属するものなるを以て上告人が不正に右組合の印章を偽造使用したる以上は。
即ち他人の私印を偽造して使用したるものに外ならざるを以て本趣意は理由なし。
（判旨第三点）
弁護人上原鹿造上告趣旨拡張書第一点は本件約束手形は商工会名義を以て振出したるものにして此等人格なき約束手形なるものが法律上有効に成立すべきものにあらざると同時に之れが偽造行使をなしたりとて犯罪を構成し得べきものにあらず。
然るに原院が有罪の判決をなしたるは不法なりと云ふに在り◎。
然れども原判決に依れば被告人は福岡源兵衛振出名義の約束手形を偽造行使したるものにして商工会名義の約束手形を振出したるものにあらず。
故に本趣意は原判旨に副はざるものにして適法の上告理由たらず
第二点は証書の偽造行使は之れが行使を受けたる被害者其他の相手方たるべきものを明示するの必要あるは勿論なり。
若し相手方たるべきものが人格なきものが又は其他の原因に依り行使が無効なる場合に於ては証書行使の犯罪を構成せざること勿論なり。
然るに原判決が単に明知町及び岩村町に於て金円に引換へ又は物品を買入れたりとのみ判定し相手の如何なりしものなりしや及び其行使が法律上有効の方法に於て之を為されたりとの事実を明示せざりしは事実理由の不備なる判決なりとすと云ふに在り◎依て按ずるに私署証書の偽造行使罪は他人の私署証書を偽造し之を他人に対し行使するに因で成立するものなるを以て其犯罪を判定するには之を他人に対して行使したる事実を明示するを以て足り其行使を受けたる他人の何某なることは必ずしも之を判決に明示するを要するものにあらず。
而して上告人に於て本件偽造に係る約束手形を明知町及び岩村町にて他人（即ち人格を有する者）に対し有効の方法を以て之を行使したるものなること原判文上明かなれば本趣意は理由なし。
（判旨第五点）
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条に依り本件上告は之を棄却す
検事矢野茂干与明治四十年十二月三日大審院第一刑事部
