明治三十九年（れ）第三四二號
明治三十九年四月十九日宣告
◎判决要旨
- 一 僞造ニ係ル外國流通ノ證券ヲ所持スル者カ之ヲ賣却讓渡セントスルノ意思ヲ外部ニ發表スルモ相手方ニ對シ直接又ハ間接ニ其意思ヲ表示シタルモノニ非サルトキハ該行爲ハ犯罪ノ豫備タルニ過キス從テ證券所持人ノ所爲カ此程度ニ於テ終了ヲ告ケタル場合ニハ其原因任意ノ中止ニ存スルト意外ノ障礙舛錯ニ在ルトニ論ナク犯罪ヲ構成セサルモノトス
右僞造外國銀行券知情授受被告事件ニ付明治三十九年三月三日長崎控訴院ニ於テ言渡シタル判决ヲ不法トシ被告等ヨリ上告ヲ爲シタリ依テ刑事訴訟法第二百八十三條ノ定式ヲ履行シ判决スルコト左ノ如シ
被告豐多上告趣意第二點ハ刑法第百十二條ノ未遂犯罪ニ對スル法條ハ其事ヲ遂行シ得ヘカリシモ意外ノ障礙若クハ舛錯ニ因リ遂ケサル場合ニ適用サルヘキモノニテ其障礙若クハ舛錯ナキモ本來之ヲ遂行スルコト能ハサル場合ニ之ヲ適用スヘキモノニ非ス本件未遂罪トシテ原院ノ認定シタル事實ハ「登馬ハ其後被告熊太郎ニ對シ清國人某ニ於テ買受クルニ依リ全部持參スヘキ旨ヲ告ケタルヨリ被告三名ハ眞實登馬ニ於テ買受人ヲ周旋シタルモノナリト信シ協議ノ上同月二十三日買受人ニ授付スルノ目的ヲ以テ被告郁太郎ハ被告豐多ノ止宿セル長崎市榎津町内田屋旅館ヨリ前記ノ僞造券九百枚ノ持出シ被告熊太郎同道ニテ同市新地中通リニ至リ登馬ニ面會シタルニ同人ニ於テ本日ハ取引シ難シト申出テタルカ爲メ授付ノ目的ヲ達セスシテ同所ヨリノ歸途被告郁太郎ハ携帶スル所ノ僞造券悉皆ヲ巡査ニ押收セラレタルモノナリ」トアリテ其賣却ノ周旋ヲ爲シタリト稱スル登馬カ清國人某ニ於テ之ヲ買受クルトハ全ク形跡ナキ虚言ニシテ同人ハ其豫審調書ニ自供セル如ク本件ノ賣買周旋ヲ熊太郎ヨリ依頼セラルルト同時ニ所轄警察署ニ密告シ其内意ヲ受ケテ探偵ニ從事セシモノナル故清國人カ買受クルニ依リ全部持參スヘシトハ該物件ヲ差押ヘンカ爲メ全ク虚僞ノ手段ニテ被告豐多等ハ其手段ニ陷リ登馬ヨリ欺カレタル次第ニテ事實其買受クヘキ人ノナカリシコトハ原判文ニ於テモ認ムル所ナレハ其登馬カ本日ハ取引シ難シト申出テサリシニセヨ即其障礙ノ生セサリシニセヨ本來買手ナキ賣買ナレハ其賣買ハ到底遂行スルコト能ハサルハ論ヲ竢タス所謂不能犯ナルニ依リ其點ニ對シテハ無罪ヲ言渡サルヘキモノナルニ原院ハ刑法第百十二條ヲ適用シ未遂犯ヲ以テ處斷サレタルハ法則ヲ不當ニ適用シタル違法ノ裁判ナリト云ヒ」被告郁太郎上告趣意書ハ原院ニ於テ「被告豐多ハ會テ大阪市船越町ニ於テ清國流通ノ香港上海㒑豐銀行發行十弗券ニ模擬シタル僞造券九百枚許ヲ僞造シタルノ情ヲ知リ貸金ノ擔保トシテ某ヨリ收受シタル後之ヲ流通セシムル目的ヲ以テ他人ニ賣却シ利益ヲ得ンコトヲ企圖シ明治三十八年七月頃右僞造券二枚ヲ見本トシテ被告郁太郎ニ送付シ僞造タルノ情ヲ告ケ且前記同一ノ目的ヲ以テ他人ニ賣却方ノ周旋ヲ依頼シタルニ被告郁太郎ハ其情ヲ知テ之ニ應シ更ニ郁太郎ハ同月中前記見本中ノ一枚ヲ被告熊太郎ニ交付シ僞造タルノ情ヲ告ケ且前記同一ノ目的ヲ以テ他人ニ賣却方ノ周旋ヲ依頼シタルニ被告熊太郎ハ其情ヲ知テ之レニ應シ更ニ熊太郎ハ同年八月十七日頃前記ノ見本一枚ヲ長崎市大浦東町鹽塚登馬ニ交付シ前記同一ノ目的ヲ以テ他人ヘ賣却方ノ周旋ヲ依頼シタルニ登馬ハ其後被告熊太郎ニ對シ清國人某ニ於テ買受クルニ依リ全部持參スヘキ旨ヲ告ケタルニ依リ被告三名ハ眞實登馬ニ於テ買受人ヲ周旋シタルモノナリト信シ」云々ト上告人等ハ警察ノ密偵登馬カ買受人ハ清國人某ナリトノ詐言ニ陷リ僞造銀行券ヲ清國人某ヘ授付セント爲シタルモノニシテ實際ニ買受人ナカリシ事實ヲ認定シナカラ僞造ニ係ル外國流通ノ銀行券ヲ流通セシムル目的ヲ以テ他人ニ賣渡セントシテ遂ケサリシモノトシテ明治三十八年法律第六十六號第三條ノ未遂犯ニ問擬セラレタルハ不法ナリト信ス何トナレハ右法律第六十六號第三條第一項ノ後段ニハ流通セシムル目的ヲ以テ授受シタルモノハ輕懲役又ハ六月以上五年以下ノ重禁錮ニ處ストアリ故ニ假令流通セシムル目的ヲ以テ之ヲ賣渡スノ意思アルモ眞實買賣クルノ對手人ナキトキハ何等ノ效果ヲ生スヘキ謂レナキヲ以テ不能犯ニシテ之ヲ未遂犯ナリト云フ能ハサルヤ明白ナレハナリト云ヒ」被告熊太郎上告趣意書ハ原判决ハ罪トナラサル意實ニ對シ刑ヲ科シタル違法アリトス抑モ未遂犯罪ハ既遂犯罪ノ成立シ得ヘキ事實存スルニ拘ハラス意外ノ障礙若クハ舛錯ニ因リ其目的ヲ遂ケ得サル場合ニ成立スヘキモノニシテ到底目的ヲ遂クルコト能ハサル事實ノ存スル場合ニ成立ス可キモノニ非ス而シテ本件ニ付原院ノ認定セシ事實如何ヲ視ルニ被告等ハ流通セシムルノ目的ヲ以テ村田ヨリ森ニ森ヨリ上告人、上告人ヨリ鹽塚ニ順次僞造券ノ賣却ヲ依頼シ鹽塚ハ清國人某カ買受クルニ因リ悉皆持參セヨト詐言シ被告三名ハ眞實鹽塚カ買受人ヲ周旋シタリト信シ一同協議ノ上森及上告人カ僞造券ヲ持參セシニ鹽塚ニ於テ本日ハ取引シ難キ旨申出タルカ爲メ目的ヲ遂ケ得サリシト云フニ過キサルコト判文ニ徴シテ明白ナリ此事實タルヤ畢竟不能犯ニシテ未遂犯ニ非スト信ス何トナレハ被告等カ流通ノ目的ハ賣買ニ在リ而シテ其賣買ノ事實全然存セサルコト原院認定ノ如クンハ被告等ノ目的ハ到底遂ケ得ヘキ場合ニ非ス從テ鹽塚カ取引ヲ拒絶セシハ意外ノ障礙ニモ舛錯ニモ非スシテ初メヨリ爰ニ歸着ス可キ必定ノ事由存セシモノ即本來賣買ノ事實存セサル自然ノ結果ニ外ナラサレハナリ今一歩ヲ讓リ假令清國人某ニ賣却セントシタル事實ハ全然存セサルモ賣却スヘキ目的ヲ以テ其周旋ヲ鹽塚ニ依頼セシ事實アル以上ハ流通セシムルノ目的タルヤ明確ナリ而シテ此目的ハ本來遂ケ得ヘカラサルモノニ非スト論定スルヲ得ヘキ理由アリトセン乎而モ原院ノ認定事實ニ依レハ鹽塚ハ啻ニ清國人某ニ賣却ノ周旋ヲ爲セシ事實アラサルノミナラス絶對ニ何人ニモ周旋スルノ意思ナカリシコトヲ認メ得ヘキカ故ニ被告等ト鹽塚トノ間ニハ到底僞造券授受ノ事實生スヘキノ餘地ヲ存セス從テ授受ノ未遂事實生スヘキ理由ナシ更ニ他ノ語ヲ以テ之ヲ概言スレハ被告等ハ賣買周旋ヲ鹽塚ニ依頼シ鹽塚ハ之ヲ拒絶セシニ止マレリ此行爲ハ决シテ未遂犯ニ非サレナリ然ラハ則其目的ノ遂ケ得ヘキ性質上ヨリ觀察シテ之ヲ不能犯ナリト論定スルヲ不當ナリト假定スルモ原院認定ノ被告等カ行爲ハ其程度豫備ノ範圍ヲ出テサルモノト云ハサルヲ得ス然ルニ原院カ右ノ事實ヲ以テ未遂犯ナリトシ其刑ヲ科シタルハ違法タルヲ免レサルモノトス以上ノ理由ナルヲ以テ原判决中刑ノ適用部分ヲ破毀シ直ニ無罪ノ判决相成度ト云フニ在リ◎依テ按スルニ明治三十八年法律第六十六號第三條第一項ハ其明文ノ示ス如ク僞造ニ係ル外國流通ノ證券類ヲ流通セシムル目的ヲ以テ授受シタル者ヲ處罪スルモノナルヲ以テ其證券ヲ賣渡讓渡シテ利ヲ得ントスル共謀者間ニ於ケル僞造證券ノ授受ハ之ヲ以テ同法違反ノ所爲トナスコト能ハサルノミナラス其證券ノ所持人カ之ヲ他人ニ賣却讓渡セントスルノ意思ヲ外部ニ發表スルモ其賣買讓渡ノ對手人ニ對シ間接又ハ直接ニ賣買讓渡ノ意思ヲ表示シタルモノニアラサルトキハ證券所持人ノ行爲ハ尚ホ犯罪豫備ノ所爲タルニ止マリ所謂犯罪實行ノ區域ニ入ラサルモノナレハ證券所持人ノ所爲カ此程度ニ於テ終ヲ告ケタルトキハ其原因ノ任意ノ中止ニ存スルト意外ノ障礙舛錯ニアルトヲ問ハス其所爲犯罪ヲ構成セサルモノトス而シテ原院ノ認メタル事實ニ依レハ被告等ハ本件僞造ノ銀行券ヲ賣却セント企テ鹽塚登馬ナル者ニ其周旋ヲ依頼シタルニ登馬ヨリ清國人某ニ於テ買受クルニ依リ全部持參スヘキ旨申來リタルヨリ被告等ハ僞造券ヲ携帶シ登馬ニ面會シタルニ同人ニ於テ本日ハ取引シ難シト申出テタルカ爲メ授付ノ目的ヲ達セスシテ歸リ去ル途中巡査ノ爲メニ其僞造券ヲ悉皆押收セラレタルモノナリトス右原院ノ認メタル事實ニ依リ被告等ノ所爲ヲ按スルニ若シ本件ノ場合ニ於テ所謂清國人某ナル者ハ實在シ被告等ハ登馬ノ媒介ニ依リ間接ニ僞造券ノ買取方ヲ申込ミタルノ事實アリトセハ巡査ノ爲メニ押收セラレテ僞造券授受ノ目的ヲ達スルコトヲ得サリシ被告等ノ所爲ハ明治三十八年法律第六十六號第三條第一項ノ未遂罪ヲ構成スルヤ論ヲ俟タス然ルニ原判文ニハ被告等カ清國人某ニ於テ買受クルニ依リ僞造券ヲ持參スヘキ旨ノ登馬ノ報告ニ接シタル事實ヲ叙スルニ當リ「被告三名ハ眞實登馬ニ於テ買受人ヲ周旋シタルモノナリト信シ協議ノ上云々」ト説示セル所ニ依レハ登馬ノ報告ハ虚僞ニシテ清國人某ナル者カ僞造券ヲ買受クルコトハ全ク架空ノモノナルカ如シ左スレハ本件ニ在テハ被告等カ僞造券ヲ賣却セントスルノ意思ハ明確ニシテ其準備ニ着手シタルモノナルコトハ誠ニ明白ナリト雖モ賣却ノ行爲ニ着手シタル事實關係ハ原判文ノ記載ニ依リ之ヲ明認スルコトヲ得サル筋合ナルニ原院カ輙ク被告等ヲ有罪ナリト認メ刑ヲ言渡シタルハ理由ノ不備ナル違法ノ裁判ニシテ上告論旨ハ理由アリ原判决ハ全部破毀ヲ免カレサルモノトス既ニ此點ヲ以テ原判决ヲ被毀スル以上ハ被告竝ニ辯護人ノ論旨ニ對シ一々説明ヲ爲スノ要ナシ
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十六條ニ依リ原判决ヲ破毀シ更ニ審判ヲ爲サシムル爲メ事件ヲ廣島控訴院ニ移送ス
檢事矢野茂干與明治三十九年四月十九日大審院第二刑事部
明治三十九年（レ）第三四二号
明治三十九年四月十九日宣告
◎判決要旨
- 一 偽造に係る外国流通の証券を所持する者が之を売却譲渡せんとするの意思を外部に発表するも相手方に対し直接又は間接に其意思を表示したるものに非ざるときは該行為は犯罪の予備たるに過ぎず。
従て証券所持人の所為が此程度に於て終了を告げたる場合には其原因任意の中止に存すると意外の障碍舛錯に在るとに論なく犯罪を構成せざるものとす。
右偽造外国銀行券知情授受被告事件に付、明治三十九年三月三日長崎控訴院に於て言渡したる判決を不法とし被告等より上告を為したり。
依て刑事訴訟法第二百八十三条の定式を履行し判決すること左の如し
被告豊多上告趣意第二点は刑法第百十二条の未遂犯罪に対する法条は其事を遂行し得べかりしも意外の障碍若くは舛錯に因り遂けざる場合に適用さるべきものにて其障碍若くは舛錯なきも本来之を遂行すること能はざる場合に之を適用すべきものに非ず本件未遂罪として原院の認定したる事実は「登馬は其後被告熊太郎に対し清国人某に於て買受くるに依り全部持参すべき旨を告げたるより被告三名は真実登馬に於て買受人を周旋したるものなりと信じ協議の上同月二十三日買受人に授付するの目的を以て被告郁太郎は被告豊多の止宿せる長崎市榎津町内田屋旅館より前記の偽造券九百枚の持出し被告熊太郎同道にて同市新地中通りに至り登馬に面会したるに同人に於て本日は取引し難しと申出てたるか為め授付の目的を達せずして同所よりの帰途被告郁太郎は携帯する所の偽造券悉皆を巡査に押収せられたるものなり。」とありて其売却の周旋を為したりと称する登馬が清国人某に於て之を買受くるとは全く形跡なき虚言にして同人は其予審調書に自供せる如く本件の売買周旋を熊太郎より依頼せらるると同時に所轄警察署に密告し其内意を受けて探偵に従事せしものなる故清国人が買受くるに依り全部持参すべしとは該物件を差押へんか為め全く虚偽の手段にて被告豊多等は其手段に陥り登馬より欺かれたる次第にて事実其買受くべき人のなかりしことは原判文に於ても認むる所なれば其登馬が本日は取引し難しと申出てさりしにせよ即其障碍の生ぜざりしにせよ本来買手なき売買なれば其売買は到底遂行すること能はざるは論を竢たず所謂不能犯なるに依り其点に対しては無罪を言渡さるべきものなるに原院は刑法第百十二条を適用し未遂犯を以て処断されたるは法則を不当に適用したる違法の裁判なりと云ひ」被告郁太郎上告趣意書は原院に於て「被告豊多は会で大坂市船越町に於て清国流通の香港上海㒑豊銀行発行十弗券に模擬したる偽造券九百枚許を偽造したるの情を知り貸金の担保として某より収受したる後之を流通せしむる目的を以て他人に売却し利益を得んことを企図し明治三十八年七月頃右偽造券二枚を見本として被告郁太郎に送付し偽造たるの情を告げ、且、前記同一の目的を以て他人に売却方の周旋を依頼したるに被告郁太郎は其情を知で之に応し更に郁太郎は同月中前記見本中の一枚を被告熊太郎に交付し偽造たるの情を告げ、且、前記同一の目的を以て他人に売却方の周旋を依頼したるに被告熊太郎は其情を知で之れに応し更に熊太郎は同年八月十七日頃前記の見本一枚を長崎市大浦東町塩塚登馬に交付し前記同一の目的を以て他人へ売却方の周旋を依頼したるに登馬は其後被告熊太郎に対し清国人某に於て買受くるに依り全部持参すべき旨を告げたるに依り被告三名は真実登馬に於て買受人を周旋したるものなりと信じ」云云と上告人等は警察の密偵登馬が買受人は清国人某なりとの詐言に陥り偽造銀行券を清国人某へ授付せんと為したるものにして実際に買受人なかりし事実を認定しながら偽造に係る外国流通の銀行券を流通せしむる目的を以て他人に売渡せんとして遂けざりしものとして明治三十八年法律第六十六号第三条の未遂犯に問擬せられたるは不法なりと信ず。
何となれば右法律第六十六号第三条第一項の後段には流通せしむる目的を以て授受したるものは軽懲役又は六月以上五年以下の重禁錮に処すとあり。
故に仮令流通せしむる目的を以て之を売渡すの意思あるも真実買売くるの対手人なきときは何等の効果を生ずべき謂れなきを以て不能犯にして之を未遂犯なりと云ふ能はざるや明白なればなりと云ひ」被告熊太郎上告趣意書は原判決は罪とならざる意実に対し刑を科したる違法ありとす。
抑も未遂犯罪は既遂犯罪の成立し得べき事実存するに拘はらず意外の障碍若くは舛錯に因り其目的を遂け得ざる場合に成立すべきものにして到底目的を遂くること能はざる事実の存する場合に成立す可きものに非ず。
而して本件に付、原院の認定せし事実如何を視るに被告等は流通せしむるの目的を以て村田より森に森より上告人、上告人より塩塚に順次偽造券の売却を依頼し塩塚は清国人某が買受くるに因り悉皆持参せよと詐言し被告三名は真実塩塚が買受人を周旋したりと信じ一同協議の上森及上告人が偽造券を持参せしに塩塚に於て本日は取引し難き旨申出たるか為め目的を遂け得ざりしと云ふに過ぎざること判文に徴して明白なり。
此事実たるや畢竟不能犯にして未遂犯に非ずと信ず。
何となれば被告等が流通の目的は売買に在り。
而して其売買の事実全然存せざること原院認定の如くんば被告等の目的は到底遂け得べき場合に非ず。
従て塩塚が取引を拒絶せしは意外の障碍にも舛錯にも非ずして初めより爰に帰着す可き必定の事由存せしもの即本来売買の事実存せざる自然の結果に外ならざればなり。
今一歩を譲り仮令清国人某に売却せんとしたる事実は全然存せざるも売却すべき目的を以て其周旋を塩塚に依頼せし事実ある以上は流通せしむるの目的たるや明確なり。
而して此目的は本来遂け得べからざるものに非ずと論定するを得べき理由ありとせん乎而も原院の認定事実に依れば塩塚は啻に清国人某に売却の周旋を為せし事実あらざるのみならず絶対に何人にも周旋するの意思なかりしことを認め得べきが故に被告等と塩塚との間には到底偽造券授受の事実生すべきの余地を存せず。
従て授受の未遂事実生すべき理由なし。
更に他の語を以て之を概言すれば被告等は売買周旋を塩塚に依頼し塩塚は之を拒絶せしに止まれり此行為は決して未遂犯に非ざれなり。
然らば則其目的の遂け得べき性質上より観察して之を不能犯なりと論定するを不当なりと仮定するも原院認定の被告等が行為は其程度予備の範囲を出でさるものと云はざるを得ず。
然るに原院が右の事実を以て未遂犯なりとし其刑を科したるは違法たるを免れざるものとす。
以上の理由なるを以て原判決中刑の適用部分を破毀し直に無罪の判決相成度と云ふに在り◎依て按ずるに明治三十八年法律第六十六号第三条第一項は其明文の示す如く偽造に係る外国流通の証券類を流通せしむる目的を以て授受したる者を処罪するものなるを以て其証券を売渡譲渡して利を得んとする共謀者間に於ける偽造証券の授受は之を以て同法違反の所為となすこと能はざるのみならず其証券の所持人が之を他人に売却譲渡せんとするの意思を外部に発表するも其売買譲渡の対手人に対し間接又は直接に売買譲渡の意思を表示したるものにあらざるときは証券所持人の行為は尚ほ犯罪予備の所為たるに止まり所謂犯罪実行の区域に入らざるものなれば証券所持人の所為が此程度に於て終を告げたるときは其原因の任意の中止に存すると意外の障碍舛錯にあるとを問はず其所為犯罪を構成せざるものとす。
而して原院の認めたる事実に依れば被告等は本件偽造の銀行券を売却せんと企で塩塚登馬なる者に其周旋を依頼したるに登馬より清国人某に於て買受くるに依り全部持参すべき旨申来りたるより被告等は偽造券を携帯し登馬に面会したるに同人に於て本日は取引し難しと申出てたるか為め授付の目的を達せずして帰り去る途中巡査の為めに其偽造券を悉皆押収せられたるものなりとす。
右原院の認めたる事実に依り被告等の所為を按ずるに若し本件の場合に於て所謂清国人某なる者は実在し被告等は登馬の媒介に依り間接に偽造券の買取方を申込みたるの事実ありとせば巡査の為めに押収せられて偽造券授受の目的を達することを得ざりし被告等の所為は明治三十八年法律第六十六号第三条第一項の未遂罪を構成するや論を俟たず。
然るに原判文には被告等が清国人某に於て買受くるに依り偽造券を持参すべき旨の登馬の報告に接したる事実を叙するに当り「被告三名は真実登馬に於て買受人を周旋したるものなりと信じ協議の上云云」と説示せる所に依れば登馬の報告は虚偽にして清国人某なる者が偽造券を買受くることは全く架空のものなるが如し。
左すれば本件に在ては被告等が偽造券を売却せんとするの意思は明確にして其準備に着手したるものなることは誠に明白なりと雖も売却の行為に着手したる事実関係は原判文の記載に依り之を明認することを得ざる筋合なるに原院が輙く被告等を有罪なりと認め刑を言渡したるは理由の不備なる違法の裁判にして上告論旨は理由あり原判決は全部破毀を免がれざるものとす。
既に此点を以て原判決を被毀する以上は被告並に弁護人の論旨に対し一一説明を為すの要なし。
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十六条に依り原判決を破毀し更に審判を為さしむる為め事件を広島控訴院に移送す
検事矢野茂干与明治三十九年四月十九日大審院第二刑事部
