明治三十八年(れ)第三二三號
明治三十八年三月三十日宣告
◎判决要旨
- 一 刑法第三百八十條ノ罪ハ強盜カ他人ノ身體生命上ニ生セシメタル創傷致死ノ結果ニ因リ成立スルモノトス從テ致死ノ結果ヲ生セシメタルトキハ其殺害ノ意思ニ出テタルト毆打ノ結果ニ出テタルトヲ分タス強盜殺人トシテ論スヘク創傷ノ結果ヲ生セシメタルトキハ毆打ノ意思ニ出テタルト殺害ノ意思ニ出テタルトヲ問ハス同シク強盜傷人トシテ論スヘキモノナリ
(參照)強盜人ヲ傷シタル者ハ無期徒刑ニ處シ死ニ致シタル者ハ死刑ニ處ス(刑法第三$百八十條)
右強盜殺人未遂及私書僞造行使被告事件ニ付明治三十八年二月十七日廣島控訴院ニ於テ言渡シタル判决ヲ不法トシ被告ヨリ上告ヲ爲シタリ依テ刑事訴訟法第二百八十三條ノ定式ヲ履行シ判决スルコト左ノ如シ
被告ノ上告趣意書ノ一ハ上告人ハ事實發見ノ爲メ最モ必要ナル臨檢ノ處分ヲ求メタリ然ルニ原裁判所ハ之ヲ排斥セラレタルハ刑事訴訟法第二百三十八條第二百五十八條ニ違背シタル失當ノ判决ナリト云フニ在レトモ◎裁判所カ事實發見ノ爲メ必要ナリトスルトキハ臨檢ノ處分ヲ爲サシムヘキモノナレトモ其必要不必要ヲ判別スルハ裁判所ノ職權ニ屬スルニヨリ本件ニ付キ原院カ臨檢處分ヲ不必要ナリトシテ被告ノ申請ヲ却下シタル以上ハ之ニ對スル非難ハ原院ノ職權處分ヲ攻撃スルニ外ナラサレハ上告ノ理由トナラス
二ハ原裁判所ニ於テハ刑法第三百八十條ヲ適用セラレタレトモ同法第三百七十八條ニ人ヲ脅迫シ又ハ暴行ヲ加ヘテ財物ヲ強取シタル者ヲ強盜ト爲ストアリ然ルニ原裁判所カ認メラレタル事實ニ依ルモ被告ハ通帳等ヲ強取シタルモノニアラサルヲ以テ刑法第三百八十條ヲ適用スヘキモノニアラス同條ニハ強盜人ヲ傷シタル云々トノ明文アルヲ以テ既遂ノ上人ヲ傷シタルモノヲ罰スルノ法意ナリト論セサルヘカラス然ルニ同條ヲ適用セラレタルハ失當ノ判决ナリト云フニ在リ◎然レトモ強盜傷人罪ハ暴行脅迫ノ手段ヲ以テ財物ヲ強奪セントスルニ際リ人ヲ傷ケタル場合ニ成立スル特別ノ犯罪ナレハ財物強取ノ目的ヲ以テ他人ニ負傷セシメタルトキハ該條ノ犯罪ヲ構成スルモノニシテ其強取ノ目的ヲ達シタルト否ト乃チ強盜ノ既遂ナルト未遂ナルトハ犯罪ノ成立ニ影響スル所ニアラス故ニ原院ニ於テ被告カ西本定一ノ廣島商業銀行己斐支店ニ於ケル預金通帳等ヲ強奪セント欲シ同人ノ咽喉部ニ手拭兵兒帶等ヲ卷付ケ之ヲ絞搾シ其頸部後頭部胸部手部等ニ創傷ヲ負ハシメタル事實ヲ認メ右事實ニ對シ刑法第三百八十條前段ヲ適用シタルハ相當ニシテ論旨ハ其理由ナシ
辯護人高木益太郎辯明書ノ一ハ原判决ハ被告ノ所爲ヲ刑法第三百八十條前段ノ強盜傷人ノ罪ニ問擬セラレタリ然レ共被告ノ所爲ハ原判决ノ判示セラルヽ如ク「被告竹藏ハ………其所有ノ手拭ヲ取出シ突然定一ノ背後ヨリ其咽喉部ニ卷付ケ絞メ殺サントシタルニ定一カ極力抗拒セシヨリ其胸部ヲ押シ其場ニ倒シ更ニ被告所有ノ兵兒帶ヲ以テ定一ノ咽喉部ニ卷付ケ絞搾セシニ偶々他人ノ來救セシ爲メ未タ殺害スルニ至ラサリシ」モノナルヲ以テ宜ク刑法第三百八十條後段第百十三條一項第百十二條ヲ適用シ強盜殺人罪ノ未遂ヲ以テ論セサルヘカラサルニ原判决ノ措置爰ニ出テサリシハ擬律錯誤ノ失當アリト信ス論者或ハ曰ク刑法第三百八十條ニハ「人ヲ傷シ又ハ死ニ致ス」トアルヲ以テ人ヲ傷シタルヤ又ハ死ニ致シタルヤノ結果ヲ見テ以テ傷人ナリヤ殺人ナリヤヲ判スヘキモノナリト然レトモ熟々考フルニ若シ「死ニ致ス」ナル文字ヲ毆打致死罪ニ於ケルソレノ如ク解シテ一ノ結果ナリト爲スニ於テハ強盜カ其當初ヨリ殺人ノ意思ヲ以テ人ヲ殺害シタル場合ニハ人ヲ殺シタルモノニシテ「人ヲ死ニ致」シタルモノニアラスト謂ハサルヘカラサルノ結果普通ノ謀故殺ト強盜罪ノ併發ナリト論セサルヘカラサルニ至ラン論者ノ説非ナリト云フニ在レトモ◎刑法第三百八十條ハ強盜ヲ爲スニ際シ他人ニ創傷ヲ負ハシメ又ハ他人ヲ死ニ致シタル場合ヲ特別ノ一犯罪トシテ規定シタルモノニシテ強盜カ他人ノ身體生命ノ上ニ生セシメタル創傷致死ノ結果ニヨリ成立スル犯罪ナレハ致死ノ結果ヲ生セシメタルトキハ其殺害ノ意思ニ出テタルト毆打ノ結果ニ出テタルトニ論ナク強盜殺人トシテ論スヘク創傷ノ結果ヲ生セシメタルトキハ毆打ノ意思ニ出テタルト殺害ノ意思ニ出テタルトヲ問ハス同シク強盜傷人トシテ論セサルヘカラス故ニ強盜人ヲ傷シタルトキハ毆打ノ意思ニ出テタル場合ノミニ限ラス殺害ノ目的ニ出テタル場合ト雖モ殺人未遂ヲ以テ論スヘキニアラスシテ刑法第三百八十條規定ノ特別罪ナル強盜傷人罪トシテ之ヲ論スヘキモノナレハ原院ニ於テ被告カ西本定一所持ノ預金通帳等ヲ強取スルノ目的ヲ以テ同人ヲ誘出シ然ル後同人ヲ殺害シテ其目的ヲ達センカ爲メ同人ノ咽喉部ニ手拭兵兒帶等ヲ卷付ケ之ヲ絞殺セントシテ遂ケサリシモ爲ニ定一ノ頸部後頭部胸部手部等ニ創傷ヲ負ハシメタル事實ヲ認メ而シテ右ノ事實ニ對シ刑法第三百八十條ヲ適用處斷シタルハ相當ニシテ原判决ニハ上告所論ノ如キ擬律錯誤ノ點ナシ故ニ論旨ハ理由ナシ
二ハ原判决證據説明ノ部ニ「第五號證ノ書面ト被告カ第一審廷ニ於テ筆記シタル書面トヲ對照スルニ其筆蹟同一ナリト認ム」ト説示シアレトモ原審公判始末書ヲ精査スルニ右ノ如キ「對照」ナル證據調ハ公判ニ於テ之レヲ爲シタルノ形蹟ナシ果シテ然ラハ原判决ハ公判ニ現出セサル證據ヲ被告有罪ノ資ニ供シタル違法アリト云フニ在リ◎依テ按スルニ筆蹟ノ異同ヲ鑑別スルハ一ノ鑑定ニ相異ナシト雖モ裁判所カ公廷ニ現出シタル證據材料ニ付キ自ラ其筆蹟ノ異同ヲ鑑別スル場合ニハ鑑定人ノ鑑定ノ場合ト異ニシテ裁判所ノ權限内ニ屬スル證據判斷ノ一方法ニ外ナラサレハ其異同ヲ鑑別スルニ必要ナル證據材料ヲ公廷ニ於テ取調ヘタルノミヲ以テ十分トシ敢テ鑑定人ノ鑑定ニ於ケルカ如ク公廷ニ於テ一々對照鑑定シテ其鑑定ノ結果ニ付キ取調ヲ爲スヲ要スルモノニアラス而シテ原院公判始末書ニヨレハ原院カ對照ノ材料トシタル被告手記ノ書面竝ニ第五號證書面ヲ被告ニ示シテ辯解ヲ爲サシメタル旨ノ記載アリテ證據調ノ手續ヲ履行シタルコト明白ナレハ原院カ右取調ヲ爲シタル證據材料ヲ對照シテ同一筆蹟ナリト判斷シタルハ相當ニシテ證據調手續ノ上ニ違法ノ點ナケレハ本論旨ハ其理由ナシ
三ハ原判决ハ被告カ第一審公廷ニ於テ筆記シタル書面ヲ判斷ノ資ニ供セラレタルモ原審公判始末書ヲ査閲スルニ右書面ハ被告ニ之レヲ示シタルノミ別ニ之レヲ讀聞カセテ辯解セシメタル事跡ナシ即チ原判决ハ採證ノ法則ニ違背セル不法アリト云フニ在レトモ◎本件ニ於テ被告カ手記シタル書面ハ證據物件ニシテ證據書類ニアラス故ニ原院カ之ヲ被告ニ示シ辯解ヲ爲サシメタル以上ハ其證據調ハ適法ニシテ之ヲ朗讀セサリシトテ不法ト云フヲ得ス
四ハ個人ノ作成シタル證明書ハ何等證據力アルヘキモノニアラサルコトハ御院判例ノ認メラルヽ所ナリ原判决カ其證據説明ノ部ニ廣島商業銀行ノ證明書ヲ引用シテ判斷ノ資料ヲ是レニ採リタルハ證據法上認メラレサル證據ヲ以テ罪證トナシタル不法アリト云フニ在レトモ◎本件原院カ證據トシテ採用シタル廣島商業銀行ノ證明書ハ同銀行ヨリ廣島警察署ニ宛テ差出シタルモノニシテ即チ搜索ノ職權アル者ニ對シ廣島商業銀行カ或ル事實ヲ明言シタル書類ナリ而シテ刑事訴訟法ニ於テハ斯カル一個人ノ證明書ト雖モ之ヲ一ノ證憑書類トシテ證據ニ採用スルハ差支ヘナキヲ以テ原院カ右證明書ヲ斷罪ノ資料ニ供シタルハ違法ニアラス
五ハ原判决ノ引用セラレタル右廣島商業銀行ノ證明書ヲ見ルニ「昨十六日午後三時頃巡査御來行相成リ云々當行ヨリ差出シタルモノナルヤ否ヤノ御尋問有之候處」云々ト記載シアリテ巡査ヨリ訊問セラレタル爲メ作成シタルモノナルコト明カナリ然レトモ巡査ニハ右ノ如ク猥リニ人ヲ訊問シ證明書等ヲ徴收スル權能固ヨリ之レナキヲ以テ右證明書ハ巡査ノ越權ニ基キ違法ニ成立シタル無效ノ書面ナリト謂ハサルヘカラス果シテ然ラハ原判决ハ無效ノ證書ヲ罪證ニ供シタル違法アリト云フニ在レトモ◎巡査ハ司法警察官ノ命令ニ從ヒ犯罪ノ搜索ヲ爲スヘキモノナレハ巡査カ司法警察官ヨリ受ケタル命令ノ實行トシテ搜索上ノ行動ヲ爲スハ固ヨリ違法ニアラス而シテ或ル事實ヲ確ムル爲メ他人ニ付キ之ヲ尋問シタリトテ強制的ニ訊問ヲ爲サヽル限リハ搜索上ノ處分トシテ適法ニ之ヲ爲スヲ得ヘキハ勿論ナリ
本件證明書ハ巡査ノ搜索上ノ尋問ニ對シ廣島商業銀行カ任意ニ提出シタル書面ナルコト明白ニシテ強制的ニ訊問シテ證明書ヲ作成セシメタルニアラサレハ右證明書ハ所論ノ如キ無效ノモノニアラス故ニ本論旨ハ其理由ナシ
六ハ原判决證據説明ノ部ニ「廣島商業銀行證明書ニ云々西本定一宛罫紙ノ書面(第五號證ノコト)ヲ御示シノ上」云々ト説示シアレトモ右證明書ノ本書ニヨレハ(第五號證ノコト)ナル文字全クコレナキノミナラス其第五號證タルコトヲ推知シ得ヘキノ事蹟コレ亦存スルヲ見ス原判决カ西本定一宛罫紙ノ書面ヲ第五號證ナリトシ尚其旨ノ記載アリト判示シタルハ判决ニ於テ證據ヲ捏造シタル違法アリト云フニ在レトモ◎廣島商業銀行ノ證明書ニ西本定一宛罫紙ノ書面トアルハ押第五號證ノ書面ニ該當スルコトヲ認メタルニヨリ原院ハ其關係ヲ明カニスル爲メ特ニ括弧ヲ施シ第五號證ノコトヽ明記シ註解ヲ施シタルモノニシテ决シテ銀行ノ證明書ニ右ノ如キ趣意ノ記載アリトシテ判文ニ擧示シタルニアラス又右證明書ニ表示サレタル西本定一宛罫紙ノ書面ハ第五號證ノ書面ニ該當スルヤ否ヤヲ定ムルハ原院ノ證據判斷ニ屬シ其何故ニ同一書面ト認メタルヤノ理由ノ如キハ一々之ヲ説明スルヲ要セサルニヨリ本論旨ハ總テ其理由ナシ
七ハ原判决ノ引用シタル廣島商業銀行ノ證明書ニハ其之レヲ作成シタル者ノ署名ヲ欠如セリ唯其末尾ニ「株式會社廣島商業銀行」ナル文字ノ捺影アレトモ銀行ナル法人自身カ證明書ヲ作成シタリトハ直チニ信シ難ク結局作成者ノ署名ナキニ歸ス果シテ然ラハ原判决ハ無效ノ書面ヲ斷罪ノ資料ト爲シタル違法アリト云フニ在リ◎然レトモ廣島商業銀行ノ證明書ハ前已ニ説明シタル如ク銀行ヨリ任意提出シタル書面ニシテ刑事訴訟法ノ規定ニ遵フヘキモノニアラス故ニ作成者ノ署名ナシトスルモ其書面ヲ無效ト云フヲ得サルハ勿論ナルノミナラス銀行ナル法人自體ハ自然人ニアラサレトモ其機關タル自然人ヲシテ書面ヲ作成セシメ銀行名義ヲ之ニ署セシメタルトキハ銀行カ作成シタル書面ナリト云フヲ得ヘキニヨリ本件證明書ニハ作成者ノ署名ナシト云フヲ得ス故ニ本論旨ハ其理由ナシ
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十五條ニヨリ本件上告ハ之ヲ棄却ス
檢事豐島直通干與明治三十八年三月三十日大審院第一刑事部
明治三十八年(レ)第三二三号
明治三十八年三月三十日宣告
◎判決要旨
- 一 刑法第三百八十条の罪は強盗が他人の身体生命上に生ぜしめたる創傷致死の結果に因り成立するものとす。
従て致死の結果を生ぜしめたるときは其殺害の意思に出でたると殴打の結果に出でたるとを分たず強盗殺人として論すべく創傷の結果を生ぜしめたるときは殴打の意思に出でたると殺害の意思に出でたるとを問はず同じく強盗傷人として論すべきものなり。
(参照)強盗人を傷したる者は無期徒刑に処し死に致したる者は死刑に処す(刑法第三$百八十条)
右強盗殺人未遂及私書偽造行使被告事件に付、明治三十八年二月十七日広島控訴院に於て言渡したる判決を不法とし被告より上告を為したり。
依て刑事訴訟法第二百八十三条の定式を履行し判決すること左の如し
被告の上告趣意書の一は上告人は事実発見の為め最も必要なる臨検の処分を求めたり。
然るに原裁判所は之を排斥せられたるは刑事訴訟法第二百三十八条第二百五十八条に違背したる失当の判決なりと云ふに在れども◎裁判所が事実発見の為め必要なりとするときは臨検の処分を為さしむべきものなれども其必要不必要を判別するは裁判所の職権に属するにより本件に付き原院が臨検処分を不必要なりとして被告の申請を却下したる以上は之に対する非難は原院の職権処分を攻撃するに外ならざれば上告の理由とならず
二は原裁判所に於ては刑法第三百八十条を適用せられたれども同法第三百七十八条に人を脅迫し又は暴行を加へて財物を強取したる者を強盗と為すとあり。
然るに原裁判所が認められたる事実に依るも被告は通帳等を強取したるものにあらざるを以て刑法第三百八十条を適用すべきものにあらず。
同条には強盗人を傷したる云云との明文あるを以て既遂の上人を傷したるものを罰するの法意なりと論せざるべからず。
然るに同条を適用せられたるは失当の判決なりと云ふに在り◎。
然れども強盗傷人罪は暴行脅迫の手段を以て財物を強奪せんとするに際り人を傷けたる場合に成立する特別の犯罪なれば財物強取の目的を以て他人に負傷せしめたるときは該条の犯罪を構成するものにして其強取の目的を達したると否と乃ち強盗の既遂なると未遂なるとは犯罪の成立に影響する所にあらず。
故に原院に於て被告が西本定一の広島商業銀行己斐支店に於ける預金通帳等を強奪せんと欲し同人の咽喉部に手拭兵児帯等を巻付け之を絞搾し其頸部後頭部胸部手部等に創傷を負はしめたる事実を認め右事実に対し刑法第三百八十条前段を適用したるは相当にして論旨は其理由なし。
弁護人高木益太郎弁明書の一は原判決は被告の所為を刑法第三百八十条前段の強盗傷人の罪に問擬せられたり。
然れ共被告の所為は原判決の判示せらるる如く「被告竹蔵は………其所有の手拭を取出し突然定一の背後より其咽喉部に巻付け絞め殺さんとしたるに定一が極力抗拒せしより其胸部を押し其場に倒し更に被告所有の兵児帯を以て定一の咽喉部に巻付け絞搾せしに偶偶他人の来救せし為め未だ殺害するに至らざりし」ものなるを以て宜く刑法第三百八十条後段第百十三条一項第百十二条を適用し強盗殺人罪の未遂を以て論せざるべからざるに原判決の措置爰に出でさりしは擬律錯誤の失当ありと信ず。
論者或は曰く刑法第三百八十条には「人を傷し又は死に致す」とあるを以て人を傷したるや又は死に致したるやの結果を見で以て傷人なりや殺人なりやを判すべきものなりと。
然れども熟熟考ふるに若し「死に致す」なる文字を殴打致死罪に於けるそれの如く解して一の結果なりと為すに於ては強盗が其当初より殺人の意思を以て人を殺害したる場合には人を殺したるものにして「人を死に致」したるものにあらずと謂はざるべからざるの結果普通の謀故殺と強盗罪の併発なりと論せざるべからざるに至らん論者の説非なりと云ふに在れども◎刑法第三百八十条は強盗を為すに際し他人に創傷を負はしめ又は他人を死に致したる場合を特別の一犯罪として規定したるものにして強盗が他人の身体生命の上に生ぜしめたる創傷致死の結果により成立する犯罪なれば致死の結果を生ぜしめたるときは其殺害の意思に出でたると殴打の結果に出でたるとに論なく強盗殺人として論すべく創傷の結果を生ぜしめたるときは殴打の意思に出でたると殺害の意思に出でたるとを問はず同じく強盗傷人として論せざるべからず。
故に強盗人を傷したるときは殴打の意思に出でたる場合のみに限らず殺害の目的に出でたる場合と雖も殺人未遂を以て論すべきにあらずして刑法第三百八十条規定の特別罪なる強盗傷人罪として之を論すべきものなれば原院に於て被告が西本定一所持の預金通帳等を強取するの目的を以て同人を誘出し然る後同人を殺害して其目的を達せんか為め同人の咽喉部に手拭兵児帯等を巻付け之を絞殺せんとして遂けざりしも為に定一の頸部後頭部胸部手部等に創傷を負はしめたる事実を認め。
而して右の事実に対し刑法第三百八十条を適用処断したるは相当にして原判決には上告所論の如き擬律錯誤の点なし。
故に論旨は理由なし。
二は原判決証拠説明の部に「第五号証の書面と被告が第一審廷に於て筆記したる書面とを対照するに其筆蹟同一なりと認む」と説示しあれども原審公判始末書を精査するに右の如き「対照」なる証拠調は公判に於て之れを為したるの形蹟なし。
果して然らば原判決は公判に現出せざる証拠を被告有罪の資に供したる違法ありと云ふに在り◎依て按ずるに筆蹟の異同を鑑別するは一の鑑定に相異なしと雖も裁判所が公廷に現出したる証拠材料に付き自ら其筆蹟の異同を鑑別する場合には鑑定人の鑑定の場合と異にして裁判所の権限内に属する証拠判断の一方法に外ならざれば其異同を鑑別するに必要なる証拠材料を公廷に於て取調へたるのみを以て十分とし敢て鑑定人の鑑定に於けるが如く公廷に於て一一対照鑑定して其鑑定の結果に付き取調を為すを要するものにあらず。
而して原院公判始末書によれば原院が対照の材料としたる被告手記の書面並に第五号証書面を被告に示して弁解を為さしめたる旨の記載ありて証拠調の手続を履行したること明白なれば原院が右取調を為したる証拠材料を対照して同一筆蹟なりと判断したるは相当にして証拠調手続の上に違法の点なければ本論旨は其理由なし。
三は原判決は被告が第一審公廷に於て筆記したる書面を判断の資に供せられたるも原審公判始末書を査閲するに右書面は被告に之れを示したるのみ別に之れを読聞かせて弁解せしめたる事跡なし。
即ち原判決は採証の法則に違背せる不法ありと云ふに在れども◎本件に於て被告が手記したる書面は証拠物件にして証拠書類にあらず。
故に原院が之を被告に示し弁解を為さしめたる以上は其証拠調は適法にして之を朗読せざりしとて不法と云ふを得ず。
四は個人の作成したる証明書は何等証拠力あるべきものにあらざることは御院判例の認めらるる所なり。
原判決が其証拠説明の部に広島商業銀行の証明書を引用して判断の資料を是れに採りたるは証拠法上認められざる証拠を以て罪証となしたる不法ありと云ふに在れども◎本件原院が証拠として採用したる広島商業銀行の証明書は同銀行より広島警察署に宛で差出したるものにして、即ち捜索の職権ある者に対し広島商業銀行が或る事実を明言したる書類なり。
而して刑事訴訟法に於ては斯かる一個人の証明書と雖も之を一の証憑書類として証拠に採用するは差支へなきを以て原院が右証明書を断罪の資料に供したるは違法にあらず。
五は原判決の引用せられたる右広島商業銀行の証明書を見るに「昨十六日午後三時頃巡査御来行相成り云云当行より差出したるものなるや否やの御尋問有之候処」云云と記載しありて巡査より訊問せられたる為め作成したるものなること明かなり。
然れども巡査には右の如く猥りに人を訊問し証明書等を徴収する権能固より之れなきを以て右証明書は巡査の越権に基き違法に成立したる無効の書面なりと謂はざるべからず。
果して然らば原判決は無効の証書を罪証に供したる違法ありと云ふに在れども◎巡査は司法警察官の命令に従ひ犯罪の捜索を為すべきものなれば巡査が司法警察官より受けたる命令の実行として捜索上の行動を為すは固より違法にあらず。
而して或る事実を確むる為め他人に付き之を尋問したりとて強制的に訊問を為さざる限りは捜索上の処分として適法に之を為すを得べきは勿論なり。
本件証明書は巡査の捜索上の尋問に対し広島商業銀行が任意に提出したる書面なること明白にして強制的に訊問して証明書を作成せしめたるにあらざれば右証明書は所論の如き無効のものにあらず。
故に本論旨は其理由なし。
六は原判決証拠説明の部に「広島商業銀行証明書に云云西本定一宛罫紙の書面(第五号証のこと)を御示しの上」云云と説示しあれども右証明書の本書によれば(第五号証のこと)なる文字全くこれなきのみならず其第五号証たることを推知し得べきの事蹟これ亦存するを見す原判決が西本定一宛罫紙の書面を第五号証なりとし尚其旨の記載ありと判示したるは判決に於て証拠を捏造したる違法ありと云ふに在れども◎広島商業銀行の証明書に西本定一宛罫紙の書面とあるは押第五号証の書面に該当することを認めたるにより原院は其関係を明かにする為め特に括弧を施し第五号証のことと明記し註解を施したるものにして決して銀行の証明書に右の如き趣意の記載ありとして判文に挙示したるにあらず。
又右証明書に表示されたる西本定一宛罫紙の書面は第五号証の書面に該当するや否やを定むるは原院の証拠判断に属し其何故に同一書面と認めたるやの理由の如きは一一之を説明するを要せざるにより本論旨は総で其理由なし。
七は原判決の引用したる広島商業銀行の証明書には其之れを作成したる者の署名を欠如せり唯其末尾に「株式会社広島商業銀行」なる文字の捺影あれども銀行なる法人自身が証明書を作成したりとは直ちに信じ難く結局作成者の署名なきに帰す果して然らば原判決は無効の書面を断罪の資料と為したる違法ありと云ふに在り◎。
然れども広島商業銀行の証明書は前己に説明したる如く銀行より任意提出したる書面にして刑事訴訟法の規定に遵ふべきものにあらず。
故に作成者の署名なしとするも其書面を無効と云ふを得ざるは勿論なるのみならず銀行なる法人自体は自然人にあらざれども其機関たる自然人をして書面を作成せしめ銀行名義を之に署せしめたるときは銀行が作成したる書面なりと云ふを得べきにより本件証明書には作成者の署名なしと云ふを得ず。
故に本論旨は其理由なし。
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条により本件上告は之を棄却す
検事豊島直通干与明治三十八年三月三十日大審院第一刑事部