明治三十八年(れ)第一五八號
明治三十八年二月二十八日宣告
◎判决要旨
- 一 苟クモ他人ニ犯罪アリトシテ不實ノ事實ヲ構造シ或方法ニ依リ之ヲ當該官吏ニ申告スルニ於テハ誣告罪ハ完全ニ成立ス而シテ其申告ハ告訴ノ形式ヲ以テスルト否ト又自己ノ名義ヲ以テスルト否トハ犯罪ノ成立ニ何等ノ關係ヲ有セス
右誣告教唆被告事件ニ付明治三十八年一月二十三日東京控訴院ニ於テ言渡シタル判决ニ對シ被告ハ上告ヲ爲シタリ依テ刑事訴訟法第二百八十三條ノ定式ヲ履行シ判决スル左ノ如シ
上告趣意書ハ上告人カ原院ニ於テ本件被告事件ノ誣告ニアラサルコトヲ立證センカ爲メ證人トシテ宮本孝次郎等ノ喚問ヲ申請シタルニ原院ニ於テハ總テ之ヲ却下シタリ然レトモ右上告人ノ爲メニハ唯一ノ證憑ニシテ若シ該證人等ノ證言アルニ於テハ被告事件ノ上ニ重要ノ關係ヲ引起スヘキモノナリ然ルニ原判决ハ漫然之レヲ却下セラレタルハ立證ノ途ヲ杜絶シテ事實ヲ認定シタル不法アルモノナリト思料スト云フニ在レトモ◎證據申請ヲ許否スルハ事實裁判所ノ職權ニ屬シ此點ニ付キ裁判所ノ職權ニ制限ヲ加ヘタル法律規定ナケレハ其當否ヲ論難シテ上告ノ理由トナスコトヲ得ス故ニ本論旨ハ理由ナシ辯護人天野敬一ノ上告趣意擴張書第一點ハ本件久次郎ニ對スル起訴状記載ノ事實竝ニ豫審終結决定書ニヨレハ被告久次郎ハ訴外鈴木イシヲ教唆シテ本件ノ誣告ヲナシタルモノナリト認定セラレアルモノナリ然ルニ原判决ノ事實ノ認定ニヨレハ第一審判决ト同シク被告久次郎ニ於テイシノ名義ヲ以テ本件誣告ヲナシタルモノトアリテ法律ノ適用モ亦被告ヲ誣告ノ實行犯トセラレタリ然レトモ教唆ノ事實ト實行正犯ノ事實トハ斷然タル區別アルモノナレハ右ハ要スルニ起訴ノ範圍外ニ出テタルモノニシテ結局申立ヲ受ケサル事項ニ付キ裁判ヲナシタル不法アルモノト思料スト云フニアリ◎依テ一件記録ヲ査スルニ本件ニ在テハ豫審判事ハ被告ニ誣告教唆ノ所爲アリトシテ豫審終結ノ决定ヲ爲シ第一、二審ノ裁判所ハ被告ヲ以テ誣告罪ノ正犯ナリト認メ刑ヲ言渡シタルコトハ所論ノ如シ然レトモ是カ爲メ本件一、二審ノ裁判所ハ請求ヲ受ケサル事件ニ付キ裁判ヲ爲シタルノ違法アリト主張スルコトヲ得サルモノトス何トナレハ誣告罪ノ教唆ト云ヒ其正犯ト云ヒ誣告ニ關スル犯罪タルノ點ニ於テハ二者其揆ヲ一ニスルヲ以テ被告ニ對シテ誣告ノ教唆者若クハ正犯ナリトシテ起訴アリタル場合ニ基本タル誣告ノ事實關係ニシテ動カサル限リハ公訴裁判所ハ教唆者トシテノ起訴ニ對シテ正犯タルノ事實ヲ確定シ正犯トシテノ起訴ニ對シテ教唆ノ事實ヲ確定シ因テ以テ被告ニ刑ヲ言渡スコトヲ得ヘク何レノ場合ニ於テモ裁判所ハ被告ノ所爲ニ基因スル誣告罪ヲ基本トスル所ノ起訴ノ範圍内ニ於テ審理判决ヲ爲シタルモノタルコトヲ失ハサルヲ以テナリ故ニ本論旨ハ理由ナシ
第二點ハ原判决ハ本件ノ告訴ハ被告カイシノ名義ヲ以テ自カラナシタルモノナリトシテ事實ヲ認定セラレタリ而シテ本件ハ前第一點ニ所論ノ如ク元誣告ノ教唆犯トシテ起訴セラレタルニ拘ハラス原判决竝ニ第一審判决ニ於テ初メテ實行正犯トセラレタルモノナリ蓋シ正犯ト目サレタル「イシ」カ無罪トナリタル結果ニ外ナラスト思料ス右ノ如キ次第ナルカ故ニ被告ハイシノ名義ヲ以テ誣告ヲナシタリトノ事實ハ本件ニ於テ重要ノ干係ヲ有スルモノナリ然ルニ原判决ハ此點ニ干シテ何等證據ニ因ル説明ヲ付シアラス右ハ判决ニ理由ヲ付セサル不法アルモノナリト思料スト云フニアレトモ◎原院ハ被告ノ自白其他判决ニ掲クル數多ノ證據ヲ綜合シテ本件被告ノ犯罪ヲ認定シタルモノニシテ上告論旨ハ要スルニ原院ノ職權ニ屬スル事實ノ認定證據ノ取捨判斷ヲ非難スルニ過キサルヲ以テ上告適法ノ理由トナラス
第三點ハ原判决事實ノ摘示中ニアル鈴木イシヨリ大塚吉五郎ニ對スル告訴事實八个中金百四十九圓ノ領收書以外ノモノハ總テイシノ權利ニ屬スルモノナリ(縱令二三虚僞ノモノアリシニセヨ)從テ告訴ノ權利ハ刑事訴訟法上鈴木イシニ屬スルモノナリ故ニ假リニ被告カイシノ名義ヲ以テ告訴ヲナシタリトスルモ其告訴ハ告訴權ヲ有セサルモノヽナシタル告訴ニシテ法律上何等ノ效力ヲ有セサルモノナリ
何等ノ效力ヲ有セサル告訴ハ檢事ニ於テ受理スヘキモノニアラス從テ偶々大塚吉五郎ノ爲メニ迷惑ヲ及ホシタルコトアランモ之ヲ以テ直ニ告訴ト云フヲ得サルカ故ニ其結果トシテ又誣告罪ノ成立スルコトナキモノナリ然ルニ原判决ハ被告ノ所爲ヲ以テ誣告罪ニ擬シタルハ失當ノ判决ナリト思料スト云フニ在リ◎依テ按スルニ刑法第三百五十五條ニ「不實ノ事ヲ以テ人ヲ誣告シタル者ハ第二百二十條ニ記載シタル僞證ノ例ニ照シ處斷ス」トアリテ其所謂ル誣告トハ虚構ノ事實ヲ以テ犯罪搜索ノ職權ヲ有スル官吏ニ申告スルコトヲ意味スルヲ以テ苟モ他人ニ犯罪アリトノ不實ノ事實ヲ構造シ或ル方法ヲ以テ之ヲ當該官吏ニ申告スルニ於テハ誣告罪ハ完全ニ成立スヘク其申告ハ告訴ノ形式ヲ以テスルト告發ノ形式ヲ以テスルト自己ノ名義ヲ以テスルト他人ノ名義ヲ以テスルトハ犯罪ノ成立ニ何等ノ關係ヲ有スルコトナシ何トナレハ其申告ハ何レノ場合ニ於テモ其犯罪ニ對スル當該官吏ノ處分ヲ促スニ至ルヘク罪ナキ被誣告者ヲ刑事ノ訴追ヲ受クルノ危險ニ陷ルヽノ結果ヲ生スヘケレハナリ故ニ本件被告カ大塚吉五郎ニ竊盜ノ所爲アリトノ不實ノ事ヲ記載シタル大塚イシ名義ノ告訴状ヲ浦和地方裁判所檢事局ニ提出シタル以上ハ誣告罪ハ完全ニ成立スヘク告訴状ノ大塚イシ名義ナルヲ理由トシテ被告ニ誣告罪ノ責任ナシト主張スルコトヲ得サルモノトス故ニ本論旨モ亦タ理由ナシ
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十五條ニ依リ本件上告ハ之ヲ棄却ス
檢事岩野新平干與明治三十八年二月二十八日大審院第二刑事部
明治三十八年(レ)第一五八号
明治三十八年二月二十八日宣告
◎判決要旨
- 一 苟くも他人に犯罪ありとして不実の事実を構造し或方法に依り之を当該官吏に申告するに於ては誣告罪は完全に成立す。
而して其申告は告訴の形式を以てずると否と又自己の名義を以てずると否とは犯罪の成立に何等の関係を有せず。
右誣告教唆被告事件に付、明治三十八年一月二十三日東京控訴院に於て言渡したる判決に対し被告は上告を為したり。
依て刑事訴訟法第二百八十三条の定式を履行し判決する左の如し
上告趣意書は上告人が原院に於て本件被告事件の誣告にあらざることを立証せんか為め証人として宮本孝次郎等の喚問を申請したるに原院に於ては総で之を却下したり。
然れども右上告人の為めには唯一の証憑にして若し該証人等の証言あるに於ては被告事件の上に重要の関係を引起すべきものなり。
然るに原判決は漫然之れを却下せられたるは立証の途を杜絶して事実を認定したる不法あるものなりと思料すと云ふに在れども◎証拠申請を許否するは事実裁判所の職権に属し此点に付き裁判所の職権に制限を加へたる法律規定なければ其当否を論難して上告の理由となすことを得ず。
故に本論旨は理由なし。
弁護人天野敬一の上告趣意拡張書第一点は本件久次郎に対する起訴状記載の事実並に予審終結決定書によれば被告久次郎は訴外鈴木いしを教唆して本件の誣告をなしたるものなりと認定せられあるものなり。
然るに原判決の事実の認定によれば第一審判決と同じく被告久次郎に於ていしの名義を以て本件誣告をなしたるものとありて法律の適用も亦被告を誣告の実行犯とせられたり。
然れども教唆の事実と実行正犯の事実とは断然たる区別あるものなれば右は要するに起訴の範囲外に出でたるものにして結局申立を受けざる事項に付き裁判をなしたる不法あるものと思料すと云ふにあり◎依て一件記録を査するに本件に在ては予審判事は被告に誣告教唆の所為ありとして予審終結の決定を為し第一、二審の裁判所は被告を以て誣告罪の正犯なりと認め刑を言渡したることは所論の如し。
然れども是が為め本件一、二審の裁判所は請求を受けざる事件に付き裁判を為したるの違法ありと主張することを得ざるものとす。
何となれば誣告罪の教唆と云ひ其正犯と云ひ誣告に関する犯罪たるの点に於ては二者其揆を一にするを以て被告に対して誣告の教唆者若くは正犯なりとして起訴ありたる場合に基本たる誣告の事実関係にして動かざる限りは公訴裁判所は教唆者としての起訴に対して正犯たるの事実を確定し正犯としての起訴に対して教唆の事実を確定し因で以て被告に刑を言渡すことを得べく何れの場合に於ても裁判所は被告の所為に基因する誣告罪を基本とする所の起訴の範囲内に於て審理判決を為したるものたることを失はざるを以てなり。
故に本論旨は理由なし。
第二点は原判決は本件の告訴は被告かいしの名義を以て自からなしたるものなりとして事実を認定せられたり。
而して本件は前第一点に所論の如く元誣告の教唆犯として起訴せられたるに拘はらず原判決並に第一審判決に於て初めて実行正犯とせられたるものなり。
蓋し正犯と目されたる「いし」が無罪となりたる結果に外ならずと思料す右の如き次第なるが故に被告はいしの名義を以て誣告をなしたりとの事実は本件に於て重要の干係を有するものなり。
然るに原判決は此点に干して何等証拠に因る説明を付しあらず。
右は判決に理由を付せざる不法あるものなりと思料すと云ふにあれども◎原院は被告の自白其他判決に掲ぐる数多の証拠を綜合して本件被告の犯罪を認定したるものにして上告論旨は要するに原院の職権に属する事実の認定証拠の取捨判断を非難するに過ぎざるを以て上告適法の理由とならず
第三点は原判決事実の摘示中にある鈴木いしより大塚吉五郎に対する告訴事実八个中金百四十九円の領収書以外のものは総ていしの権利に属するものなり。
(縦令二三虚偽のものありしにせよ)。
従て告訴の権利は刑事訴訟法上鈴木いしに属するものなり。
故に仮りに被告かいしの名義を以て告訴をなしたりとするも其告訴は告訴権を有せざるもののなしたる告訴にして法律上何等の効力を有せざるものなり。
何等の効力を有せざる告訴は検事に於て受理すべきものにあらず。
従て偶偶大塚吉五郎の為めに迷惑を及ぼしたることあらんも之を以て直に告訴と云ふを得ざるが故に其結果として又誣告罪の成立することなきものなり。
然るに原判決は被告の所為を以て誣告罪に擬したるは失当の判決なりと思料すと云ふに在り◎依て按ずるに刑法第三百五十五条に「不実の事を以て人を誣告したる者は第二百二十条に記載したる偽証の例に照し処断す」とありて其所謂る誣告とは虚構の事実を以て犯罪捜索の職権を有する官吏に申告することを意味するを以て苟も他人に犯罪ありとの不実の事実を構造し或る方法を以て之を当該官吏に申告するに於ては誣告罪は完全に成立すべく其申告は告訴の形式を以てずると告発の形式を以てずると自己の名義を以てずると他人の名義を以てずるとは犯罪の成立に何等の関係を有することなし何となれば其申告は何れの場合に於ても其犯罪に対する当該官吏の処分を促すに至るべく罪なき被誣告者を刑事の訴追を受くるの危険に陥るるの結果を生ずべければなり。
故に本件被告が大塚吉五郎に窃盗の所為ありとの不実の事を記載したる大塚いし名義の告訴状を浦和地方裁判所検事局に提出したる以上は誣告罪は完全に成立すべく告訴状の大塚いし名義なるを理由として被告に誣告罪の責任なしと主張することを得ざるものとす。
故に本論旨も亦た理由なし。
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条に依り本件上告は之を棄却す
検事岩野新平干与明治三十八年二月二十八日大審院第二刑事部