明治三十六年(れ)第二五七五號
明治三十七年三月七日宣告
◎判决要旨
- 一 水利妨害罪ヲ成スニハ他人ノ水利妨害トナルヘキ所爲カ水利ニ關スル他人ノ權利ヲ侵害スルコトヲ要ス
- 一 土地所有者ヲシテ其所有地内ニ井泉ヲ穿ツコトヲ得サラシムル權利ハ現行法上地役權ノ設定ニ依リテ之ヲ創設シ得ルノ外物權トシテ法律ノ保護ヲ受クヘキモノニ非ス又此種ノ慣習ハ其效力ヲ有セス
右被告四名ニ對スル水利妨害被告事件ニ付明治三十六年十一月二十日大阪控訴院ニ於テ言渡シタル判决ニ對シ被告共ヨリ上告ヲ爲セリ依テ刑事訴訟法第二百八十三條ノ式ヲ履行シ判决スル左ノ如シ
上告趣意書ノ第二ハ原判决カ罪トナルヘキ事實トシテ認メラレタル所ハ「被告等ノ居村(小阪田村)及其附近部落(下河原村中村今在原村)ノ地層ハ概シテ砂礫ヲ以テ組成セラレ用水滲透シ易キ地質ナルヲ以テ新ニ大池井ヲ掘鑿スル時ハ附近池井ノ水量ヲ吸收シ用水ヲ減スルノ恐アリ是ヲ以テ新ニ大池井ヲ掘鑿スルニハ附近部落ノ承諾ヲ受クル慣習規則アルニ拘ハラス被告等ハ附近部落ノ承諾ヲ得スシテ自村内(小阪田村ノ内字神畑)ニ池井ヲ掘鑿シ以テ附近部落ニ設ケアル池井ノ水量ヲ吸收スヘキ結果ヲ來サシメタリ」ト云フニ在リ然レトモ(一)土地ノ所有權ハ其土地ノ上下ニ及フヘキモノナルコトハ民法第二百七條ノ明言セル原則ニシテ地表ヲ流ルヽ水ニ付テハ法令ノ上ニ多少ノ制限アレトモ地下ニ浸潤セル水ニ付キテハ何等法令ノ制限スルモノアルナク其使用權ハ其土地所有權ニ附從シテ存在シ得ヘキコトハ御院明治二十九年三月二十七日第一民事部ノ判决ニ於テモ認メラルヽ所ナリ然ラハ即チ被告等カ自村内ニ池井ヲ鑿チ地下浸潤ノ水ヲ使用スルモ權利ノ實行ニ外ナラスシテ爲メニ附近部落ノ水利ニ不便ナル結果ヲ來スコトアルモ水利妨害罪ヲ構成スヘキモノニ非サルハ勿論ナリ(刑法第四百十三條ノ水利妨害罪ハ其權利ノ有無如何ヲ問ハス只其行爲アル而已ヲ以テ直ニ罪トシ罰スヘキモノニアラスシテ水ノ使用ニ付他人ノ有スル權利ヲ妨害スル事實アルヲ要スルコトハ御院刑事部明治二十八年五月十七日及明治三十二年十二月十五日ノ判例ニ於テモ明言セラルヽ所ナリ)(二)原判决ハ被告等ノ居村ニ於テ新ニ池井ヲ掘鑿スルニハ附近部落ニ交渉シ承諾ヲ受クル慣習規約アリトシ之ニ依テ所有權ノ行使ニ制限ヲ受ケ居ルモノトセラレタレトモ元來地下浸潤ノ水ハ其土地所有者ニ使用權アルモノナレハ其地下浸潤ノ水利ヲ附近地ノ所有者ニ於テ多年間利用シ來タリタル慣行アリトスルモ爲メニ地役權ヲ生スルモノニアラサルコトハ御院第一民事部明治二十九年三月二十七日水利妨害排除事件ノ判例ニヨリモ明瞭ナルノミナラス地役權ハ繼續且表現ノモノニ限リ時效ニ因テ取得スルヲ得ヘキモ(民法第二百八十三條)或土地ノ便益ノ爲メ他ノ土地ニ池井ヲ掘鑿セスト云フカ如キ消極的ニシテ不表現ノモノハ時效ニ因テサヘ地役權ヲ發生スルコトナキモノナレハ多年池井ヲ掘鑿スルニ付キ附近部落ニ交渉シタル事跡アリテ慣習トナレリトスルモ之ヲ以テ附近部落ニ一種ノ不表現地役權ヲ發生シタルモノト云フヲ得サルハ勿論其他何等ノ權利ヲ發生シタルモノナリト想像スルニ由ナキナリ果シテ然ラハ附近部落ニ交渉シ來リシ慣習ハ之レ此隣相互ノ徳義上ノ好誼トシテ行ハレ來リタルニ過キスシテ爲メニ被告村民ノ所有權ヲ制限サルヘキ筋合ナク又附近村ニ何等權利ヲ發生スヘキ筈ナキナリ要スルニ原判决ハ所有權ニ關スル法則ヲ誤解シタル結果刑法第四百十三條ヲ不當ニ適用シタルモノニシテ擬律ノ錯誤アル不法ノ判决タルヲ免レスト云ヒ」其第三ハ原判决ニハ「被告居村ニ池井ヲ掘鑿スルニ付テハ附近部落ニ交渉シ其承諾ヲ受クヘキ慣習規約アルニ拘ハラス被告等ハ之ヲ無視シ自己ノ村内ニ池井ヲ掘鑿シ以テ附近部落ノ池水ノ水量ヲ吸收セシムヘキ結果ヲ生セシメタリ」トシ刑法第四百十三條ヲ適用スヘキモノトシ被告等カ權利行使ノ制限ハ獨リ慣習ニヨル而已ナラス規約ニモ依ルヘキモノヽ如ク判决セラレタリ然レトモ其慣習ニ依テ被告村ニ權利行使ヲ制限セシムルニ足ルヘキ何等ノ權利ヲ附近部落ニ於テ發生セサルコトハ前項ニ於テ詳論シタリ隨テ本項ニ於テハ原判决ニ所謂規約ニヨリ被告等ノ權利行使ニ制限ヲ來サシムルヤ否ヤ又附近部落ニ何等カノ權利ヲ設定スヘキヤ否ヤヲ見ントス今原判决カ認定シタル事實ノ全部ヲ精讀シ之ヲ考察スルニ其所謂規約ノ性質及其日時ニ付テハ全ク不明ニ屬シ殆ント捕捉スヘカラス蓋シ原判决ノ所謂規約ハ被告村ト附近部落即法人相互間ノ契約ナリヤ又兩部落土地所有者間ノ契約ナリヤハ實ニ土地所有權行使ノ制限ヲ來スヘキ性質ノモノナルヤ否ヤヲ判定スヘキ重要ノ點ナリ若シ夫レ部落(法人)相互間ノ關係ナリトセハ個人タル被告ノ所有權ヲ制限スルノ效力アルヘキノ理ナク又土地所有者間ノ契約若クハ土地所有者ト部落(法人)トノ相互間ニ於ケル契約ナリトセハ如此附近地ノ水利ノ爲メ土地所有權ノ制限ヲ來スヘキ契約ハ即地役權ノ設定ニ外ナラサレハ其契約ニシテ民法實施後ナレハ登記ヲ經タルニ非レハ第三者ニ對抗スルヲ得サルハ勿論民法實施以前ナリトスルモ民法施行法第三十七條ニヨリ民法施行ノ日ヨリ一年以内ニ之ヲ登記スルニアラサレハ之ヲ以テ第三者ニ對抗スルヲ得ス而シテ同條ニ所謂第三者ハ善意惡意ヲ區別セサルニヨリ被告等ハ假令此ノ如キ規約アリシコトヲ了知スルモ自ラ契約ヲ締結シタルモノナルカ又ハ其一般承繼人(相續人)ニアラサル限リハ地役權ヲ對抗セシムヘキ筋合ナシ果シテ然ラハ原判决ハ如斯契約ノ成立日附ヲ明カニスルト同時ニ被告カ此規約ニ服從スヘキ關係ヲ有スヘキ事實ヲ示スニアラサレハ被告等カ假令之ヲ無視スルノ行爲ヲ爲スモ以テ他人ノ權利ヲ侵害シタルモノト云フヘカラス隨テ水利妨害罪ヲ成立シタリト稱スヘカラス要スルニ原判决ニシテ如斯規約ハ部落(法人)ニ存スルモノナリトノ趣旨ナリトセハ其住民タル被告等ノ所有權ニ關係ナク即チ原判决カ刑法第四百十三條ヲ適用シタルハ擬律ノ錯誤ナリ又村民タル土地所有者相互間ノ契約若クハ土地所有者ト法人間ノ契約ナリトセハ其契約成立ノ日附ヲ明示スルニ非サレハ他人ノ權利ヲ侵害シタリヤ否ヤノ點ヲ决スルニ由ナク隨テ理由不備ノ判决タルヲ免レス(明治三十六年九月二十五日第二民事部判决參照)ト云フニアリ◎依テ原判文ヲ査スルニ原院ハ被告等居村ニ於テハ新ニ引水用ノ車ヲ用ユルニ足ルヘキ大池井ヲ掘鑿スルニハ附近部落ニ交渉シ其承諾ヲ受クルノ慣習規約アリテ被告等モ其慣習規約及ヒ水利ノ状況ヲ知悉シ居ルモノナルニ被告等ハ其慣習規約ヲ無視シ附近部落ニ交渉セスシテ擅ニ小阪田村ノ内字神畑地内ニ工事ヲ開始シ湧水池ヲ掘鑿シテ附近部落ニ設ケアル池井ノ水量ヲ吸收シ家用若クハ灌漑用ノ水量ニ缺乏ヲ生セシメタリトノ事實ヲ認メ刑法第四百十三條ニ問擬シタルモノナルヤ明カナリトス右原院ノ認メタル事實ニ依リ被告等ノ所爲ハ果シテ刑法第四百十三條ノ犯罪ヲ構成スルヤ否ヤヲ按スルニ凡ソ刑法第四百十三條ニ所謂水利妨害ノ所爲アリトスルニハ其所爲カ單ニ他人ノ水利ヲ妨害シタルノミヲ以テ足レリトセス他人ノ水利妨害トナルヘキ其所爲カ水利ニ關スル他人ノ權利侵害ヲ構成スルコトヲ必要トスヘキハ毫モ疑ナシトス何トナレハ或人ノ爲シタル行爲カ正當ナル權利ノ實行ニシテ他人ノ權利ノ侵害ヲ構成セサル限リハ縱シ是カ爲メ他人ノ利益ヲ害スルコトアリトスルモ民事上竝ニ刑事上ノ責任ヲ惹起スヘキ理由ナケレハナリ而シテ土地ノ所有權ハ其土地ノ上下ニ及フモノナレハ土地所有者ハ其所有地内ニ於テ井泉ヲ穿チ其井泉ヨリ湧出スル水ヲ使用スルノ權利ヲ有スルヲ以テ被告等カ本件ノ湧水池掘鑿ノ所爲ニ對シテ刑事上ノ責任ヲ負フニハ被告等カ原院ノ所謂ル慣習規約ナルモノニ依リテ覊束セラレ其結果被告等ノ所爲ハ他ノ部落村民ニ對シテ權利ノ侵害ヲ構成スルコトヲ必要トスルヤ明カナリ依テ此點ニ付キ審按スルニ民法第百七十五條ニ依ル時ハ物權ハ民法其他ノ法律ヲ以テ特ニ認メタルモノヽ外ハ之ヲ創設スルコトヲ得サルヲ以テ當事者間ニ於テ物權的效力ヲ有スル或權利ヲ設定セントスルニハ其權利ハ必スヤ法律ニ認メラレタル物權ノ一ニ該當スルコトヲ要シ其以外ニ於テハ當事者ノ意思ヲ以テ任意ニ之ヲ創設シ得ヘキニ非サルハ敢テ論ヲ俟タサル所ナリ然ルニ本件ノ如ク土地所有者ノ權利ヲ制限シ其所有地内ニ於テ隨意ニ井泉ヲ穿ツコトヲ得サラシムル權利ハ我現行法上地役權ノ設定ニ依テ之ヲ創設スルコトヲ得ルハ格別一種特別ナル物權トシテ法律ノ保護ヲ受クヘキモノニアラス又此種ノ權利ヲ以テ所有權ニ對スル單純ナル制限ナリト見ルモ民法物權編ノ所有權ニ關スル限界中ニ此種ノ制限ヲ認メサルハ勿論斯ル慣習ニ效力ヲ與フヘキコトヲ規定セル法條ハ一モ之アルコトナシ故ニ原院カ慣習規約云々ト判示シタルハ其所謂慣習ニ重キヲ置キタルモノニシテ被告等ハ慣習ニ依テ其所有權ヲ制限セラレ又ハ他ノ部落村民ハ慣習ニ依リ被告等所有地ノ上ニ其權利行使ヲ制限スヘキ物上的權利ヲ取得シタルノ趣旨ナリトスル時ハ慣習ヲ基礎トスル所ノ斯ル所有權ノ制限又ハ斯ル物上的權利ノ認メ得ヘカラサルハ前説明ノ如クナルヲ以テ原判决ノ失當ナルハ論ヲ俟タス之ニ反シテ原判决ノ主旨トスル所ハ規約其者ニアリテ其所謂慣習ハ此規約ニ原因ヲ與ヘタルニ過キサルモノトスルモ原判决ハ尚失當タルヲ免カレス何トナレハ原院ハ被告等ハ其規約ノ存在ヲ了知セル旨ヲ判示シタルニ止マリ其規約ノ當事者ハ何人ニシテ被告等ハ其當事者又ハ承繼人トシテ其規約ニ覊束セラルヽモノナルヤ否ヤノ點ニ付キテハ一モ説示スル所ナキヲ以テ被告等ノ所爲ハ果シテ規約違反トシテ反對當事者タル他ノ部落村民ノ權利ヲ侵害シタルモノナルヤ否ヤヲ判定スルコト能ハサルヲ以テナリ故ニ原判决ハ結局被告等ヲ刑法第四百十三條ニ問擬スル所以ノ事實上ノ理由ヲ完備セサルモノト謂ハサルヲ得ス果シテ然ラハ原判决ハ上告論旨ノ如ク理由ノ不備ナル違法ノ判决ニシテ論旨ハ其理由アリ原判决ハ全部破毀ヲ免レサルモノトス既ニ此點ヲ以テ原判决ノ全部ヲ破毀スル以上ハ被告竝ニ其辯護人ノ他ノ上告論旨ニ對シ一一説明ヲ爲スノ要ナシ
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十六條ニ依リ原判决全部ヲ破毀シ更ニ辯論及判决ヲ爲サシムル爲メ本件ヲ廣島控訴院ニ移送ス
明治三十七年三月七日於大審院第二刑事部公廷檢事田部芳立會宣告ス
明治三十六年(レ)第二五七五号
明治三十七年三月七日宣告
◎判決要旨
- 一 水利妨害罪を成すには他人の水利妨害となるべき所為が水利に関する他人の権利を侵害することを要す。
- 一 土地所有者をして其所有地内に井泉を穿つことを得さらしむる権利は現行法上地役権の設定に依りて之を創設し得るの外物権として法律の保護を受くべきものに非ず又此種の慣習は其効力を有せず。
右被告四名に対する水利妨害被告事件に付、明治三十六年十一月二十日大坂控訴院に於て言渡したる判決に対し被告共より上告を為せり。
依て刑事訴訟法第二百八十三条の式を履行し判決する左の如し
上告趣意書の第二は原判決が罪となるべき事実として認められたる所は「被告等の居村(小坂田村)及其附近部落(下川原村中村今在原村)の地層は概して砂礫を以て組成せられ用水滲透し易き地質なるを以て新に大池井を掘鑿する時は附近池井の水量を吸収し用水を減ずるの恐あり是を以て新に大池井を掘鑿するには附近部落の承諾を受くる慣習規則あるに拘はらず被告等は附近部落の承諾を得ずして自村内(小坂田村の内字神畑)に池井を掘鑿し以て附近部落に設けある池井の水量を吸収すべき結果を来さしめたり。」と云ふに在り。
然れども(一)土地の所有権は其土地の上下に及ぶべきものなることは民法第二百七条の明言せる原則にして地表を流るる水に付ては法令の上に多少の制限あれども地下に浸潤せる水に付きては何等法令の制限するものあるなく其使用権は其土地所有権に附従して存在し得べきことは御院明治二十九年三月二十七日第一民事部の判決に於ても認めらるる所なり。
然らば、即ち被告等が自村内に池井を鑿ち地下浸潤の水を使用するも権利の実行に外ならずして為めに附近部落の水利に不便なる結果を来すことあるも水利妨害罪を構成すべきものに非ざるは勿論なり。
(刑法第四百十三条の水利妨害罪は其権利の有無如何を問はず只其行為ある而己を以て直に罪とし罰すべきものにあらずして水の使用に付、他人の有する権利を妨害する事実あるを要することは御院刑事部明治二十八年五月十七日及明治三十二年十二月十五日の判例に於ても明言せらるる所なり。
)(二)原判決は被告等の居村に於て新に池井を掘鑿するには附近部落に交渉し承諾を受くる慣習規約ありとし之に依て所有権の行使に制限を受け居るものとせられたれども元来地下浸潤の水は其土地所有者に使用権あるものなれば其地下浸潤の水利を附近地の所有者に於て多年間利用し来たりたる慣行ありとするも為めに地役権を生ずるものにあらざることは御院第一民事部明治二十九年三月二十七日水利妨害排除事件の判例によりも明瞭なるのみならず地役権は継続、且、表現のものに限り時効に因で取得するを得べきも(民法第二百八十三条)或土地の便益の為め他の土地に池井を掘鑿せずと云ふが如き消極的にして不表現のものは時効に因てさへ地役権を発生することなきものなれば多年池井を掘鑿するに付き附近部落に交渉したる事跡ありて慣習となれりとするも之を以て附近部落に一種の不表現地役権を発生したるものと云ふを得ざるは勿論其他何等の権利を発生したるものなりと想像するに由なきなり。
果して然らば附近部落に交渉し来りし慣習は之れ此隣相互の徳義上の好誼として行はれ来りたるに過ぎずして為めに被告村民の所有権を制限さるべき筋合なく又附近村に何等権利を発生すべき筈なきなり。
要するに原判決は所有権に関する法則を誤解したる結果刑法第四百十三条を不当に適用したるものにして擬律の錯誤ある不法の判決たるを免れずと云ひ」其第三は原判決には「被告居村に池井を掘鑿するに付ては附近部落に交渉し其承諾を受くべき慣習規約あるに拘はらず被告等は之を無視し自己の村内に池井を掘鑿し以て附近部落の池水の水量を吸収せしむべき結果を生ぜしめたり。」とし刑法第四百十三条を適用すべきものとし被告等が権利行使の制限は独り慣習による而己ならず規約にも依るべきものの如く判決せられたり。
然れども其慣習に依て被告村に権利行使を制限せしむるに足るべき何等の権利を附近部落に於て発生せざることは前項に於て詳論したり。
随で本項に於ては原判決に所謂規約により被告等の権利行使に制限を来さしむるや否や又附近部落に何等かの権利を設定すべきや否やを見んとす今原判決が認定したる事実の全部を精読し之を考察するに其所謂規約の性質及其日時に付ては全く不明に属し殆んど捕捉すべからず。
蓋し原判決の所謂規約は被告村と附近部落即法人相互間の契約なりや又両部落土地所有者間の契約なりやは実に土地所有権行使の制限を来すべき性質のものなるや否やを判定すべき重要の点なり。
若し夫れ部落(法人)相互間の関係なりとせば個人たる被告の所有権を制限するの効力あるべきの理なく又土地所有者間の契約若くは土地所有者と部落(法人)との相互間に於ける契約なりとせば如此附近地の水利の為め土地所有権の制限を来すべき契約は即地役権の設定に外ならざれば其契約にして民法実施後なれば登記を経たるに非れば第三者に対抗するを得ざるは勿論民法実施以前なりとするも民法施行法第三十七条により民法施行の日より一年以内に之を登記するにあらざれば之を以て第三者に対抗するを得ず。
而して同条に所謂第三者は善意悪意を区別せざるにより被告等は仮令此の如き規約ありしことを了知するも自ら契約を締結したるものなるか又は其一般承継人(相続人)にあらざる限りは地役権を対抗せしむべき筋合なし。
果して然らば原判決は如斯契約の成立日附を明かにすると同時に被告が此規約に服従すべき関係を有すべき事実を示すにあらざれば被告等が仮令之を無視するの行為を為すも以て他人の権利を侵害したるものと云ふべからず。
随で水利妨害罪を成立したりと称すべからず。
要するに原判決にして如斯規約は部落(法人)に存するものなりとの趣旨なりとせば其住民たる被告等の所有権に関係なく。
即ち原判決が刑法第四百十三条を適用したるは擬律の錯誤なり。
又村民たる土地所有者相互間の契約若くは土地所有者と法人間の契約なりとせば其契約成立の日附を明示するに非ざれば他人の権利を侵害したりや否やの点を決するに由なく随で理由不備の判決たるを免れず(明治三十六年九月二十五日第二民事部判決参照)と云ふにあり◎依て原判文を査するに原院は被告等居村に於ては新に引水用の車を用ゆるに足るべき大池井を掘鑿するには附近部落に交渉し其承諾を受くるの慣習規約ありて被告等も其慣習規約及び水利の状況を知悉し居るものなるに被告等は其慣習規約を無視し附近部落に交渉せずして擅に小坂田村の内字神畑地内に工事を開始し湧水池を掘鑿して附近部落に設けある池井の水量を吸収し家用若くは灌漑用の水量に欠乏を生ぜしめたりとの事実を認め刑法第四百十三条に問擬したるものなるや明かなりとす。
右原院の認めたる事実に依り被告等の所為は果して刑法第四百十三条の犯罪を構成するや否やを按ずるに凡そ刑法第四百十三条に所謂水利妨害の所為ありとするには其所為が単に他人の水利を妨害したるのみを以て足れりとせず他人の水利妨害となるべき其所為が水利に関する他人の権利侵害を構成することを必要とすべきは毫も疑なしとす何となれば或人の為したる行為が正当なる権利の実行にして他人の権利の侵害を構成せざる限りは縦し是が為め他人の利益を害することありとするも民事上並に刑事上の責任を惹起すべき理由なければなり。
而して土地の所有権は其土地の上下に及ぶものなれば土地所有者は其所有地内に於て井泉を穿ち其井泉より湧出する水を使用するの権利を有するを以て被告等が本件の湧水池掘鑿の所為に対して刑事上の責任を負ふには被告等が原院の所謂る慣習規約なるものに依りて羈束せられ其結果被告等の所為は他の部落村民に対して権利の侵害を構成することを必要とするや明かなり。
依て此点に付き審按ずるに民法第百七十五条に依る時は物権は民法其他の法律を以て特に認めたるものの外は之を創設することを得ざるを以て当事者間に於て物権的効力を有する或権利を設定せんとするには其権利は必ずや法律に認められたる物権の一に該当することを要し其以外に於ては当事者の意思を以て任意に之を創設し得べきに非ざるは敢て論を俟たざる所なり。
然るに本件の如く土地所有者の権利を制限し其所有地内に於て随意に井泉を穿つことを得さらしむる権利は我現行法上地役権の設定に依て之を創設することを得るは格別一種特別なる物権として法律の保護を受くべきものにあらず。
又此種の権利を以て所有権に対する単純なる制限なりと見るも民法物権編の所有権に関する限界中に此種の制限を認めざるは勿論斯る慣習に効力を与ふべきことを規定せる法条は一も之あることなし故に原院が慣習規約云云と判示したるは其所謂慣習に重きを置きたるものにして被告等は慣習に依て其所有権を制限せられ又は他の部落村民は慣習に依り被告等所有地の上に其権利行使を制限すべき物上的権利を取得したるの趣旨なりとする時は慣習を基礎とする所の斯る所有権の制限又は斯る物上的権利の認め得べからざるは前説明の如くなるを以て原判決の失当なるは論を俟たず。
之に反して原判決の主旨とする所は規約其者にありて其所謂慣習は此規約に原因を与へたるに過ぎざるものとするも原判決は尚失当たるを免がれず何となれば原院は被告等は其規約の存在を了知せる旨を判示したるに止まり其規約の当事者は何人にして被告等は其当事者又は承継人として其規約に羈束せらるるものなるや否やの点に付きては一も説示する所なきを以て被告等の所為は果して規約違反として反対当事者たる他の部落村民の権利を侵害したるものなるや否やを判定すること能はざるを以てなり。
故に原判決は結局被告等を刑法第四百十三条に問擬する所以の事実上の理由を完備せざるものと謂はざるを得ず。
果して然らば原判決は上告論旨の如く理由の不備なる違法の判決にして論旨は其理由あり原判決は全部破毀を免れざるものとす。
既に此点を以て原判決の全部を破毀する以上は被告並に其弁護人の他の上告論旨に対し一一説明を為すの要なし。
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十六条に依り原判決全部を破毀し更に弁論及判決を為さしむる為め本件を広島控訴院に移送す
明治三十七年三月七日於大審院第二刑事部公廷検事田部芳立会宣告す