明治三十六年(れ)第一三三六號
明治三十六年十二月二十四日宣告
◎判决要旨
- 一 法定ノ猶豫ヲ存セサル呼出ハ無效ニシテ呼出ナキモノト同一ナリ故ニ其呼出状ヲ送達セラレタル辯護人ノ出頭ナキニ拘ハラス辯論ヲ開キタルトキハ被告ニ於テ任意ニ辯護權ヲ抛棄シタル場合ノ外其公判手續ハ不法ナリトス
右委託金費消及騙取被告事件ニ付明治三十六年五月二十九日東京控訴院ニ於テ言渡シタル判决ニ對シ被告ヨリ上告ヲ爲シタリ依テ刑事訴訟法第二百八十三條ノ定式ヲ履行シ判决スルコト左ノ如シ
被告松雄辯明書第四宮城控訴院檢事ノ附帶控訴中三千圓ノ借用證書騙取ノ件ハ原判决ノ委託金費消事件ト同一事件ナリト雖モ三千圓ノ受領證騙取ノ件ハ別個獨立ノ犯罪行爲ニシテ原院檢事カ委託金費消ヲ主張スルト同時ニ此ノ事件ニ對シ既ニ公訴ノ起リアル以上ハ即チ一罪ヲ爲スモノナレハ相當ノ判决アリタシト論告シタルハ公判始末書ノ明記スルノミナラス法理上獨立別個ノ一罪タル性質アルモノナレハ之レニ對シ相當ノ判决セサル可カラサル者ナルニモ拘ラス原判决ハ其主文ハ勿論理由ニ於テモ何等ノ判决ヲ爲サス即チ訴ヲ受ケタル事件ヲ判决セサル不法アルモノトスト云フニ在リ◎依テ審按スルニ山形地方裁判所檢事正谷口重輝ノ被告松雄ニ對スル起訴事實ハ松雄ハ荒川濤江ヨリ金三千圓ノ借入方ニ關スル諸般ノ代理委任ヲ受ケ明治三十三年八月中債權者荻野清太郎ヨリ右借入金トシテ收受セシ三千圓ノ内千圓ヲ辯護士二名ニ交付シ其殘額ハ擅ニ之ヲ費消シタリトノコト竝ニ數月ノ後ニ至リ犯跡ヲ蔽ハン爲メ濤江ニ貸借證券ヲ交付セシ際ニ於テ若シ現在ノ金圓アリトセハ尚ホ委託金騙取ノ犯罪アリトスルニ在リ(記録三十二丁豫審請求書參照)而シテ同裁判所豫審判事堀口貞文ハ(第一)被告松雄ハ荒川濤江ノ委頼ニヨリ債權者荻野清太郎ト三千圓ノ貸借契約ヲナシ其代人市川孫四ヨリ明治三十三年八月十五日同月十七日ノ兩度ニ現金二千圓ヲ受取リ其内諸雜費百三十五圓辯護士二名ヘノ報酬金一千圓ヲ控除シタル殘金八百六十五圓ヲ丸山督ト共謀シ明治三十三年八月以降同年十二月迄ノ間ニ費消シタリトノコト(以上前段)尚ホ三千圓ノ殘金一千圓ハ明治三十三年九月十月ノ兩度ニ丸山督ニ於テ市川孫四ヨリ收受シ明治三十四年三四月頃ニ至リ松雄ト共謀シ更ニ此一千圓ヲ費消セント企テ明治三十四年八月二十七日荒川濤江ニ對シ三千圓全部ヲ松雄カ費消シタリト詐ハリ示談ヲ申込ミ遂ニ一千三百圓ノ證書ト現金百圓ヲ濤江ニ交付シテ同人ヨリ三千圓ノ受領證ヲ差出サシメ茲ニ右百圓ヲ控除シタル委託殘金九百圓ヲ兩名ニテ騙取シタリ(以上後段)トシ前段ニ於テハ明治三十三年八月十七日ノ二千圓ノ内幾部分ノ費消罪ヲ認メ後段ニ於テハ明治三十四年八月二十七日ニ於ケル九百圓ノ委託金騙取罪ヲ認メ(豫審决定ノ第二ハ論點ニ關係ナキヲ以テ示サス)此二罪ヲ他ノ點ト共ニ山形地方裁判所ノ輕罪公判ニ付シタリ(記録六百八十二丁豫審終結决定ノ第一參照)山形地方裁判所ハ前記决定ニヨリ受理シタル訴ヲ審理シタル上(第一)被告松雄ハ丸山督ト共ニ濤江ヨリ三千圓借入方ノ依頼ヲ受ケ明治三十三年八月十五日同月十七日ノ兩度ニ市川孫四ヨリ借入金三千圓ノ内現金二千圓ヲ受取リ諸雜費百三十五圓丸山督ヘノ報酬金五百圓ヲ控除シタル殘金一千三百六十五圓ヲ兩名共謀ノ上明治三十三年八月以降同年十二月迄ノ間ニ擅ニ費消シタリトシ豫審决定第一ノ前段ニ付キ金額ノ認定ヲ異ニシタルモ同シク特立ノ一費消罪アリトシテ判决シ(第二)明治三十三年九月十月ノ兩度ニ督カ孫四ヨリ受取リタル借入金ノ殘額千圓ニ付テハ督一名ニテ明治三十三年九月二十日以降明治三十四年八月頃ノ間ニ擅ニ之ヲ費消シタリト認メタリ即チ豫審决定第一後段事實ニ付テハ三千圓ノ受領證ヲ手段トシタル委託金騙取罪トセスシテ單純ナル千圓ノ費消罪トナシ殊ニ丸山督一名ノ犯罪トシテ之ヲ認メタルニ拘ハラス豫審判事カ共犯トシテ終結シタル被告松雄ニ對シテハ此點ニ付キ何等ノ判决ヲ下サヽリシナリ(記録七百九十二丁第一審判决參照)
右判决ニ對スル被告等ノ控訴ハ有罪ノ判决部分ニ限ルモノナレトモ宮城控訴院檢事ハ「三千圓ノ受領證ハ被告人等カ濤江ヲ錯誤ニ陷ラシメテ和解ヲ遂ケ以テ之ヲ差出サシメタルモノナルヲ以テ被告等ハ三千圓ノ受領證騙取ノ罪アリトナシ」(記録中明治三十五年四月七日宮城控訴院公判始末書二十三葉目參照)被告兩名ニ對シ附帶控訴ヲ爲シタリ此附帶控訴ハ豫審終結决定ノ第一後段ノ記載事實ニ對シ檢事カ其觀察スル所ニ從ヒ附帶控訴ヲ爲シタルモノニシテ結局九百圓騙取ノ所爲ニ對シ觀察ノ方面ヲ異ニシタルニ過キサルモノナルニヨリ第一審裁判所カ被告松雄ニ對シ何等ノ判决ヲ與ヘサリシ點即豫審决定第一ノ後段事實ハ此附帶控訴ニヨリ再ヒ松雄ニ對シテ宮城控訴院ニ繋屬スルニ至リシモノトス
宮城控訴院ハ被告等ノ控訴及ヒ檢事ノ附帶控訴ニ付キ審判シタル結果第一ニ於テ被告松雄一名ニテ荒川濤江カ三千圓ノ金借方ヲ丸山督ニ依頼シタルヲ聞知シ濤江ヨリ三千圓ノ借用證書ヲ騙取セント企テ濤江ヲ欺キ荻野清太郎宛三千圓ノ借用證書及ヒ登記申請書類ニ捺印セシメ之ヲ受取リ以テ騙取シタリト認メ明治三十三年八月十五日同月十七日ノ兩度ノ受取金二千圓明治三十三年九月十月ノ兩度ニ督カ受取リタル千圓合計三千圓ノ内雜費百三十圓丸山督報酬金五百圓關根源治報酬金二百五十圓計八百八十圓ヲ差引キ其殘額ヲ松雄督兩名ニテ費消シタルハ三千圓借用證書騙取ノ結果ニ過キストナシタリ又其第二ニ於テハ濤江カ三千圓ノ費消金ニ付キ被告等ニ對シ訴訟ヲ起サントスルヲ聞キ松雄督共謀ノ上後日ノ嫌疑ヲ豫防スルノ目的ヲ以テ三十四年八月二十七日濤江ヲ欺キ三千圓ノ受領證ヲ作成セシメ之ヲ騙取シタリト認定シアリ宮城控訴院ノ判决ハ斯ノ如ク全ク其觀察ヲ異ニシタレトモ同院カ松雄督兩名共謀シテ明治三十四年八月二十七日ニ濤江ヨリ三千圓ノ受領證ヲ騙取シタリト認メタルハコレ豫審决定第一ノ後段事實即チ兩名共謀シテ九百圓ノ委託金ヲ騙取シタリトノ所爲竝ニ其前段事實トニ付テ下シタル判斷ニ外ナラサルナリ
被告松雄督兩名ヨリ右判决ノ有罪ノ部分ニ付テ上告ヲ爲シタル末大審院ハ宮城控訴院ノ有罪判决ヲ全部破毀ノ上之ヲ東京控訴院ニ移送シタリ
被告督ニ對シ宮城控訴院ニ於テ無罪ヲ言渡シタル點即チ豫審决定第一ノ前段事實ハ確定シタルヲ以テ此點ハ東京控訴院ニ移送セラレスト雖モ被告松雄ニ對シテハ豫審决定第一ノ前段即チ明治三十三年八月十五日同月十七日兩度ニ市川孫四ヨリ受取リタル二千圓ノ内其幾部ヲ費消シタリトノ事實ト共ニ其後段即チ丸山督ト共謀シ同人カ明治三十三年九月十月ノ兩度ニ市川孫四ヨリ受取リタル金千圓ノ内九百圓ヲ明治三十四年八月二十七日ニ於テ濤江ヲ欺キ三千圓ノ受領證ヲ差出サシメ以テ委託金ヲ騙取セリトノ事實モ亦タ東京控訴院ニ移送セラレタル部分ニ屬ス故ニ東京控訴院ハ松雄ニ對シテハ豫審决定
第一前段ノ事實明治三十三年八月十五日同月十七日兩度ニ受取リタル二千圓ノ内ノ幾部ノ費消事實即チ一審判决ニ於テ千三百六十五圓ノ費消ト認メ宮城控訴院ニ於テ三千圓ノ借用證書騙取ト認メタル所爲ニ付キ判决ヲ爲スト同時ニ豫審决定第一後段ノ事實明治三十三年九月十月ノ兩度ニ丸山督カ受取リタル金千圓ニ付キ松雄、督共謀ノ上明治三十四年八月二十七日ニ至リ三千圓ノ受領證ヲ差出サシメ以テ千圓ノ内委託金九百圓ヲ騙取シタリトノ點即チ一審判决カ督一名ノ千圓ノ費消ナリトシ宮城控訴院カ松雄督兩名共謀シテ費消ノ證跡ヲ隱蔽センカ爲メ三千圓ノ受領證ヲ騙取シタリト認メタル點ニ付テモ亦タ判决ヲ下サヽル可カラサルナリ然ルニ原院ハ判决ノ第一點ニ於テ被告松雄カ三千圓借入ノ委託ニ基ツキ三十三年八月十五日同月十七日ノ兩度ニ債權者代人ヨリ受取リタル現金二千圓ノ内諸費用百三十五圓督ノ報酬金五百圓關根源治ノ報酬金二百五十圓ヲ控除シタル殘金千百十五圓ヲ明治三十三年八月ヨリ同年十二月頃迄ニ擅ニ費消シタルモノト認メ之ニ基ツキ被告松雄ニ八月ノ重禁錮ヲ言渡シタルノミニシテ豫審决定第一ノ後段兩名共謀九百圓ノ委託金騙取ノ點即チ第一審ニ於テ督一名ニ對シ三千圓ノ費消ヲ認メ被告松雄ニ對シ判决ヲ爲サヽリシ點宮城控訴院ニ於テ松雄督兩名カ三千圓ノ受領書ヲ騙取シタリト認メ上告裁判所カ破毀シテ原院ニ移送シタル點ニ付テハ何等ノ判决ヲ下サヽリシモノトス
上告裁判所ノ破毀ニヨリ原院ニ移送セラレタル豫審决定第一ノ後段ハ一面ニ於テ三千圓ノ受領證騙取トナリ他ノ一面ニ於テハ千圓ノ委託金費消又ハ騙取ト認メラルヘキ二罪名ニ觸ルヘキ同一所爲ナリ而シテ原院ノ判决ニヨレハ其第一ニ於テ犯罪事實ト認メタルハ豫審决定第一前段ノ事實即チ明治三十三年八月中受領セシ現金二千圓ノ内辯護士報酬金五百圓雜費百三十五圓關根源治ヘノ報酬金二百五十圓ヲ控除シタル殘額千百十五圓ヲ明治三十三年十二月ニ至ル迄ノ間ニ費消シタリトノ點ニアリテ豫審决定第一後段被告松雄カ督ト共謀シ明治三十三年九十月中ノ受領金千圓ヲ費消シタリトノ點即チ一面ニテハ三千圓ノ受領證騙取ト認メラレ一面ニテハ千圓ノ費消又ハ騙取ト認メラルヘキ所爲ニ付キテハ之ヲ原判决第一ノ二千圓費消ノ事實ト同一所爲トナシタルニアラサルコト明了ナリトス已ニ然ラハ原院ハ此點ニ付キ判决ヲ爲サヽル可ラサルニ原判决中啻ニ其主文ニ於テノミナラス其理由ニ於テモ松雄ニ對シ何等ノ判斷ヲ下シタルコトナシコレ明ニ訴ヲ受ケタル事件ニ付キ判决ヲ爲サヽルモノニシテ上告論旨ハ其理由アリトス
被告督辯護人村松山壽辯明書ノ第一點ハ刑事訴訟法第二百五十七條ニ則リ辯護人ニ對シ呼出状ヲ送達スル場合ニ於テハ呼出状ノ送達ト出頭トノ間少クトモ二日ノ猶豫アラサルヘカラス然ルニ原記録ヲ査スルニ上告人ハ原院ニ於テ辯護士松本豐、半田幸助ノ兩名ヲ辯護人トシテ選定シタル(記録一、一四三丁)ニ不拘原院ハ明治三十六年五月十五日午前十時開廷ノ呼出状ヲ同月十四日午後六時半田辯護士ニ送達シ又同公判期日呼出状ヲ同十四日午後四時松本辯護士ニ送達シ尋イテ五月十八日午前十一時開廷ノ呼出状ヲ同月十六日午後六時ヲ以テ半田辯護士ニ送達シ同期日呼出状ヲ同月十六日午後四時松本辯護士ニ送達シタリ即チ兩度ノ公判開廷ニ際シ孰レモ二日間ノ猶豫ヲ與ヘス兩辯護人缺席ノ侭審理ヲ終了シタルモノナリ而シテ上告人ハ原院ニ於テ同辯護人等缺席スルモ差閊ナキ旨ノ陣述ヲ爲シタルコトナシ結局訴訟關係人ニ對シ適式ノ呼出状ヲ發送セスシテ審理終結シタルニ歸着シ明カニ刑事訴訟法第二百五十七條ニ違背スル不法ノ裁判ナリト信スト云ヒ」同辯護人高木益太郎辯明書第二點原院公判ノ際辯護人半田幸助松本豐ニ對シ適式ニ其期日ノ通告ヲナサス(其呼出状送達證書ニハ送達方法ノ記載ヲ缺如シタルニ依リ民事訴訟法第百五十一條ノ規定ニ違背シ無效ノ書類タルヲ免カレス)又兩辯護人ノ出廷ナキニ公判審理ヲ爲シタルハ不法ノ措置タリト云フニ在リ◎依テ記録ニ付キ審按スルニ明治三十六年五月十五日午前十時公判ノ呼出状ヲ被告督辯護士半田幸助ニ對シテハ同年五月十四日午後六時ニ送達シ同辯護士松本豐ニ對シテハ同年五月十四日午後四時ニ送達シアリ又タ明治三十六年五月十八日午前十一時ノ公判ノ呼出状ヲ半田幸助ニ對シテハ同年五月十六日午後六時ニ松本豐ニ對シテハ同年五月十六日午後四時ニ送達シアリテ何レモ刑事訴訟法第二百五十七條第二項ノ規定ニ反シ送達ト出頭トノ間二日ノ猶豫ヲ存セス而シテ原院第三囘公判始末書(明治三十六年五月十五日)第四囘公判始末書(明治三十六年五月十八日)ニヨレハ兩度ノ公判ニ際シ右松本半田兩辯護士ノ出頭ナキニ拘ハラス辯論ヲ爲シタルコト亦タ明白ナリトス而シテ規定ノ猶豫ヲ存セサル呼出ハ無效ニシテ呼出ナキモノト同一ニ歸スルヲ以テ辯護人ノ出頭ナキニ拘ハラス辯論ヲ開クハコレ辯護人ヲ呼出サスシテ辯論ヲ開クト同シク被告ヲシテ其辯護權ヲ行使スル能ハサラシムルモノナリ故ニ被告カ任意ニ其辯護權ヲ抛棄シタル場合ハ格別本件ノ如ク其形跡タモ認メ能ハサル場合ニ於テハ公判ノ手續ニ於テ不法ナリトス原判决ハ前説明ノ如ク被告兩名ニ對スル分共破毀ノ理由アルニヨリ他ノ上告點ニ付テハ一々説明ヲ與ヘス
依テ刑事訴訟法第二百八十六條ニ據リ原判决ヲ破毀シ名古屋控訴院ニ移ス
明治三十六年十二月二十四日於大審院第一刑事部公廷檢事田部芳立會宣告ス
明治三十六年(レ)第一三三六号
明治三十六年十二月二十四日宣告
◎判決要旨
- 一 法定の猶予を存せざる呼出は無効にして呼出なきものと同一なり。
故に其呼出状を送達せられたる弁護人の出頭なきに拘はらず弁論を開きたるときは被告に於て任意に弁護権を放棄したる場合の外其公判手続は不法なりとす。
右委託金費消及騙取被告事件に付、明治三十六年五月二十九日東京控訴院に於て言渡したる判決に対し被告より上告を為したり。
依て刑事訴訟法第二百八十三条の定式を履行し判決すること左の如し
被告松雄弁明書第四宮城控訴院検事の附帯控訴中三千円の借用証書騙取の件は原判決の委託金費消事件と同一事件なりと雖も三千円の受領証騙取の件は別個独立の犯罪行為にして原院検事が委託金費消を主張すると同時に此の事件に対し既に公訴の起りある以上は。
即ち一罪を為すものなれば相当の判決ありたしと論告したるは公判始末書の明記するのみならず法理上独立別個の一罪たる性質あるものなれば之れに対し相当の判決せざる可からざる者なるにも拘らず原判決は其主文は勿論理由に於ても何等の判決を為さず。
即ち訴を受けたる事件を判決せざる不法あるものとすと云ふに在り◎依て審按ずるに山形地方裁判所検事正谷口重輝の被告松雄に対する起訴事実は松雄は荒川濤江より金三千円の借入方に関する諸般の代理委任を受け明治三十三年八月中債権者荻野清太郎より右借入金として収受せし三千円の内千円を弁護士二名に交付し其残額は擅に之を費消したりとのこと並に数月の後に至り犯跡を蔽はん為め濤江に貸借証券を交付せし際に於て若し現在の金円ありとせば尚ほ委託金騙取の犯罪ありとするに在り(記録三十二丁予審請求書参照)。
而して同裁判所予審判事堀口貞文は(第一)被告松雄は荒川濤江の委頼により債権者荻野清太郎と三千円の貸借契約をなし其代人市川孫四より明治三十三年八月十五日同月十七日の両度に現金二千円を受取り其内諸雑費百三十五円弁護士二名への報酬金一千円を控除したる残金八百六十五円を丸山督と共謀し明治三十三年八月以降同年十二月迄の間に費消したりとのこと(以上前段)尚ほ三千円の残金一千円は明治三十三年九月十月の両度に丸山督に於て市川孫四より収受し明治三十四年三四月頃に至り松雄と共謀し更に此一千円を費消せんと企で明治三十四年八月二十七日荒川濤江に対し三千円全部を松雄が費消したりと詐はり示談を申込み遂に一千三百円の証書と現金百円を濤江に交付して同人より三千円の受領証を差出さしめ茲に右百円を控除したる委託残金九百円を両名にて騙取したり。
(以上後段)とし前段に於ては明治三十三年八月十七日の二千円の内幾部分の費消罪を認め後段に於ては明治三十四年八月二十七日に於ける九百円の委託金騙取罪を認め(予審決定の第二は論点に関係なきを以て示さず)此二罪を他の点と共に山形地方裁判所の軽罪公判に付したり。
(記録六百八十二丁予審終結決定の第一参照)山形地方裁判所は前記決定により受理したる訴を審理したる上(第一)被告松雄は丸山督と共に濤江より三千円借入方の依頼を受け明治三十三年八月十五日同月十七日の両度に市川孫四より借入金三千円の内現金二千円を受取り諸雑費百三十五円丸山督への報酬金五百円を控除したる残金一千三百六十五円を両名共謀の上明治三十三年八月以降同年十二月迄の間に擅に費消したりとし予審決定第一の前段に付き金額の認定を異にしたるも同じく特立の一費消罪ありとして判決し(第二)明治三十三年九月十月の両度に督が孫四より受取りたる借入金の残額千円に付ては督一名にて明治三十三年九月二十日以降明治三十四年八月頃の間に擅に之を費消したりと認めたり。
即ち予審決定第一後段事実に付ては三千円の受領証を手段としたる委託金騙取罪とせずして単純なる千円の費消罪となし殊に丸山督一名の犯罪として之を認めたるに拘はらず予審判事が共犯として終結したる被告松雄に対しては此点に付き何等の判決を下さざりしなり。
(記録七百九十二丁第一審判決参照)
右判決に対する被告等の控訴は有罪の判決部分に限るものなれども宮城控訴院検事は「三千円の受領証は被告人等が濤江を錯誤に陥らしめて和解を遂け以て之を差出さしめたるものなるを以て被告等は三千円の受領証騙取の罪ありとなし」(記録中明治三十五年四月七日宮城控訴院公判始末書二十三葉目参照)被告両名に対し附帯控訴を為したり。
此附帯控訴は予審終結決定の第一後段の記載事実に対し検事が其観察する所に従ひ附帯控訴を為したるものにして結局九百円騙取の所為に対し観察の方面を異にしたるに過ぎざるものなるにより第一審裁判所が被告松雄に対し何等の判決を与へざりし点即予審決定第一の後段事実は此附帯控訴により再ひ松雄に対して宮城控訴院に繋属するに至りしものとす。
宮城控訴院は被告等の控訴及び検事の附帯控訴に付き審判したる結果第一に於て被告松雄一名にて荒川濤江が三千円の金借方を丸山督に依頼したるを聞知し濤江より三千円の借用証書を騙取せんと企で濤江を欺き荻野清太郎宛三千円の借用証書及び登記申請書類に捺印せしめ之を受取り以て騙取したりと認め明治三十三年八月十五日同月十七日の両度の受取金二千円明治三十三年九月十月の両度に督が受取りたる千円合計三千円の内雑費百三十円丸山督報酬金五百円関根源治報酬金二百五十円計八百八十円を差引き其残額を松雄督両名にて費消したるは三千円借用証書騙取の結果に過ぎずとなしたり。
又其第二に於ては濤江が三千円の費消金に付き被告等に対し訴訟を起さんとするを聞き松雄督共謀の上後日の嫌疑を予防するの目的を以て三十四年八月二十七日濤江を欺き三千円の受領証を作成せしめ之を騙取したりと認定しあり宮城控訴院の判決は斯の如く全く其観察を異にしたれども同院が松雄督両名共謀して明治三十四年八月二十七日に濤江より三千円の受領証を騙取したりと認めたるはこれ予審決定第一の後段事実即ち両名共謀して九百円の委託金を騙取したりとの所為並に其前段事実とに付て下したる判断に外ならざるなり。
被告松雄督両名より右判決の有罪の部分に付て上告を為したる末大審院は宮城控訴院の有罪判決を全部破毀の上之を東京控訴院に移送したり。
被告督に対し宮城控訴院に於て無罪を言渡したる点即ち予審決定第一の前段事実は確定したるを以て此点は東京控訴院に移送せられずと雖も被告松雄に対しては予審決定第一の前段即ち明治三十三年八月十五日同月十七日両度に市川孫四より受取りたる二千円の内其幾部を費消したりとの事実と共に其後段即ち丸山督と共謀し同人が明治三十三年九月十月の両度に市川孫四より受取りたる金千円の内九百円を明治三十四年八月二十七日に於て濤江を欺き三千円の受領証を差出さしめ以て委託金を騙取せりとの事実も亦た東京控訴院に移送せられたる部分に属す。
故に東京控訴院は松雄に対しては予審決定
第一前段の事実明治三十三年八月十五日同月十七日両度に受取りたる二千円の内の幾部の費消事実即ち一審判決に於て千三百六十五円の費消と認め宮城控訴院に於て三千円の借用証書騙取と認めたる所為に付き判決を為すと同時に予審決定第一後段の事実明治三十三年九月十月の両度に丸山督が受取りたる金千円に付き松雄、督共謀の上明治三十四年八月二十七日に至り三千円の受領証を差出さしめ以て千円の内委託金九百円を騙取したりとの点即ち一審判決が督一名の千円の費消なりとし宮城控訴院が松雄督両名共謀して費消の証跡を隠蔽せんか為め三千円の受領証を騙取したりと認めたる点に付ても亦た判決を下さざる可からざるなり。
然るに原院は判決の第一点に於て被告松雄が三千円借入の委託に基つき三十三年八月十五日同月十七日の両度に債権者代人より受取りたる現金二千円の内諸費用百三十五円督の報酬金五百円関根源治の報酬金二百五十円を控除したる残金千百十五円を明治三十三年八月より同年十二月頃迄に擅に費消したるものと認め之に基つき被告松雄に八月の重禁錮を言渡したるのみにして予審決定第一の後段両名共謀九百円の委託金騙取の点即ち第一審に於て督一名に対し三千円の費消を認め被告松雄に対し判決を為さざりし点宮城控訴院に於て松雄督両名が三千円の受領書を騙取したりと認め上告裁判所が破毀して原院に移送したる点に付ては何等の判決を下さざりしものとす。
上告裁判所の破毀により原院に移送せられたる予審決定第一の後段は一面に於て三千円の受領証騙取となり他の一面に於ては千円の委託金費消又は騙取と認めらるべき二罪名に触るべき同一所為なり。
而して原院の判決によれば其第一に於て犯罪事実と認めたるは予審決定第一前段の事実即ち明治三十三年八月中受領せし現金二千円の内弁護士報酬金五百円雑費百三十五円関根源治への報酬金二百五十円を控除したる残額千百十五円を明治三十三年十二月に至る迄の間に費消したりとの点にありて予審決定第一後段被告松雄が督と共謀し明治三十三年九十月中の受領金千円を費消したりとの点即ち一面にては三千円の受領証騙取と認められ一面にては千円の費消又は騙取と認めらるべき所為に付きては之を原判決第一の二千円費消の事実と同一所為となしたるにあらざること明了なりとす。
己に然らば原院は此点に付き判決を為さざる可らざるに原判決中啻に其主文に於てのみならず其理由に於ても松雄に対し何等の判断を下したることなしこれ明に訴を受けたる事件に付き判決を為さざるものにして上告論旨は其理由ありとす。
被告督弁護人村松山寿弁明書の第一点は刑事訴訟法第二百五十七条に則り弁護人に対し呼出状を送達する場合に於ては呼出状の送達と出頭との間少くとも二日の猶予あらざるべからず。
然るに原記録を査するに上告人は原院に於て弁護士松本豊、半田幸助の両名を弁護人として選定したる(記録一、一四三丁)に不拘原院は明治三十六年五月十五日午前十時開廷の呼出状を同月十四日午後六時半田弁護士に送達し又同公判期日呼出状を同十四日午後四時松本弁護士に送達し尋いて五月十八日午前十一時開廷の呼出状を同月十六日午後六時を以て半田弁護士に送達し同期日呼出状を同月十六日午後四時松本弁護士に送達したり。
即ち両度の公判開廷に際し孰れも二日間の猶予を与へず両弁護人欠席の侭審理を終了したるものなり。
而して上告人は原院に於て同弁護人等欠席するも差閊なき旨の陣述を為したることなし結局訴訟関係人に対し適式の呼出状を発送せずして審理終結したるに帰着し明かに刑事訴訟法第二百五十七条に違背する不法の裁判なりと信ずと云ひ」同弁護人高木益太郎弁明書第二点原院公判の際弁護人半田幸助松本豊に対し適式に其期日の通告をなさず(其呼出状送達証書には送達方法の記載を欠如したるに依り民事訴訟法第百五十一条の規定に違背し無効の書類たるを免がれず)又両弁護人の出廷なきに公判審理を為したるは不法の措置たりと云ふに在り◎依て記録に付き審按ずるに明治三十六年五月十五日午前十時公判の呼出状を被告督弁護士半田幸助に対しては同年五月十四日午後六時に送達し同弁護士松本豊に対しては同年五月十四日午後四時に送達しあり又た明治三十六年五月十八日午前十一時の公判の呼出状を半田幸助に対しては同年五月十六日午後六時に松本豊に対しては同年五月十六日午後四時に送達しありて何れも刑事訴訟法第二百五十七条第二項の規定に反し送達と出頭との間二日の猶予を存せず。
而して原院第三回公判始末書(明治三十六年五月十五日)第四回公判始末書(明治三十六年五月十八日)によれば両度の公判に際し右松本半田両弁護士の出頭なきに拘はらず弁論を為したること亦た明白なりとす。
而して規定の猶予を存せざる呼出は無効にして呼出なきものと同一に帰するを以て弁護人の出頭なきに拘はらず弁論を開くはこれ弁護人を呼出さずして弁論を開くと同じく被告をして其弁護権を行使する能はさらしむるものなり。
故に被告が任意に其弁護権を放棄したる場合は格別本件の如く其形跡たも認め能はざる場合に於ては公判の手続に於て不法なりとす。
原判決は前説明の如く被告両名に対する分共破毀の理由あるにより他の上告点に付ては一一説明を与へず
依て刑事訴訟法第二百八十六条に拠り原判決を破毀し名古屋控訴院に移す
明治三十六年十二月二十四日於大審院第一刑事部公廷検事田部芳立会宣告す