明治三十六年（れ）第二三四〇號
明治三十六年十二月八日宣告
◎判决要旨
- 一 受託物騙取罪ヲ構成スルニハ必スシモ被騙取者其人ニ對シテ詐欺ノ所爲アルコトヲ要スルモノニ非スト雖モ其騙取ノ目的ヲ達スルニ付テ關係ヲ有スル人ニ對シ詐欺ノ所爲アルコトヲ要ス從テ何等ノ關係ヲ有セサル人ヲ欺クモ之カ爲メニ騙取罪ヲ構成スルモノニ非ス
右竊盜被告事件ニ付明治三十六年十月二十六日大阪控訴院ニ於テ言渡シタル判决ニ對シ被告ヨリ上告ヲ爲シタリ因テ刑事訴訟法第二百八十三條ノ定式ヲ履行シ判决スル左ノ如シ
被告ノ上告趣意書ハ原判决ノ表示スル事實ハ要スルニ島安太郎ノ所有船カ沈沒セントスルニ際シ被告ハ之レカ救助ニ赴キタルニ船體ノ廻轉ニ便セン爲メ其積載セル樅板ヲ被告ノ所有船ニ積込ミ陸揚方ヲ依託セラレナカラ同夜石谷淺吉ノ傳言ニ依リ彌吉音松ヨリ板カ不足シ居ルト云フカ預リ居ラヌカト問ハレタルニ預リ居ラサル旨ヲ答ヘ該樅板ヲ騙取シタリト云フニアリ而シテ之ヲ刑法第三百九十五條後段第三百九十條第一項ニ問擬シ處斷シタリ然ルニ委託物騙取罪ヲ構成スルニハ被害者ニ對シ騙瞞詐欺ノ行爲アルコトヲ要ス然ルニ前示ノ如ク被告ハ被害者ニアラサル淺吉ノ傳言ヲ受ケタル彌吉音松ニ問ハルヽニ當リ預リ居ラスト答ヘタルニ止マリ被害者島安太郎ニ對シ何等騙瞞ノ行爲アリシコトナク加カモ原判决カ證據ニ列擧シタル明石彌吉榎本音松ノ檢事聽取書ニ因レハ遭難ノ時板カ足ラヌト聞キ右板カ井田ノ船ニアルヲ耳ニシ搜シニ行キタルニ同人ハ無斷ニテ人ノ船ニ入ルヲ咎メ且板ヲ隱シタルコトナキ旨ヲ答ヘタリ云々トアリテ同人等ハ淺吉ノ傳言ヲ受ケ被告ニ問合セタルニ非ス又淺吉ノ同聽取書ニ因ルモ同人ハ被害者ヨリ被告ニ掛合方ノ委託ヲ受ケタリト云ハス且彌吉音松ニ復代理セシメタリトモ云ハス去レハ該被害物件ニ關係ナキ彌吉音松ノ單純ナル問ニ對シ被告カ虚僞ノ陳述ヲ爲シタリト云フニ過キス去レハ此第三者ニ虚僞ノ陳述ヲ爲シタルノ行爲ヲ以テ直ニ騙取ノ行爲アリト認ムルヲ得サルハ言ヲ待タス殊ニ原判决證據ノ明示ニ依レハ石谷淺吉ノ聽取書ニ翌朝榮之助カ板十二枚船ニ殘リアリシ故自宅ニ差置アル旨申參リタリト陳述シ又彌吉音松淺吉ノ聽取書ニ依レハ彌吉音松ハ六枚宛榮之助方ヨリ證據ニ持歸リ翌朝直チニ淺吉方ヘ其旨申出タリトアリ且物件ノ現存ニ徴シ被告カ其樅板ヲ消費セサルコトモ亦明瞭ナリ故ニ本件ハ委託物騙取ハ勿論委託物費消罪ヲモ構成セサルモノナルニ原院カ之ヲ有罪ナリトシタルハ蓋シ失當タルヲ免カレス故ニ原判决ハ破毀セラル可キモノトスト云ヒ
辯護人西尾哲夫辯明書ハ原判决ニ認メタル如ク受託物アル場合ニ其物件ノ存否ニ關シ第三者ニ虚僞ノ陳述ヲ爲シタルノ所爲ハ罪トナルヘキモノニアラサルハ論ヲ待タサル而已ナラス原判决ニハ被害者ニ對シ騙取ノ所爲アリシコトヲ明示セサルモノナレハ少クトモ理由不備ノ不法アルヲ免カレスト云フニ在リ◎仍テ按スルニ受託物騙取罪ヲ構成スルニハ必スシモ被騙取者其人ニ對シ詐欺ノ所爲アルコトヲ要スルモノニアラスト雖モ其騙取ノ目的ヲ達スルニ付テ關係ヲ有スル人ニ對シ詐欺ノ所爲アルコトヲ要ス全ク何等ノ關係ヲ有セサル人ヲ欺キタリトテ之カ爲メ騙取ノ罪ヲ構成スルニ至ルコトナシ原判文ヲ閲スルニ其事實認定ヲ記載セル部分ニハ「石谷淺吉ノ傳言ニヨリ彌吉音松ヨリ云々ト問ハレタルニ預リ居ラサル旨ヲ答ヘ樅板十三束ヲ騙取シタルモノトス」ト判示シアルモ石谷淺吉ナルモノハ右樅板ノ寄託者ト何等カ關係ヲ有スルモノナルヤ其他該受託物ノ騙取ヲ遂クルニ付テ如何ナル關係ヲ有スルモノナルヤヲ徴スヘキ記載ナシ故ニ被告カ彌吉音松ノ問ニ對シ虚僞ノ答ヲ爲シタルコトハ右樅板ノ騙取ト如何ナル關係ヲ有スルヤ知ルニ由ナキヲ以テ結局原判决ハ其騙取ノ手段ニ付テ説明ヲ缺如スルモノニシテ理由不備ノ裁判ナリト謂ハサルヲ得ス此瑕瑾ハ原判决ノ全部ニ影響スルモノニシテ上告ハ此點ニ於テ其理由アリ已ニ此論點ニ於テ上告ノ理由アル以上ハ爾餘ノ論點ニ付キ説明ヲ付スルノ必要ナシ
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十六條ノ規定ニ從ヒ原判决ヲ破毀シ事件ヲ名古屋訴訟院ニ移ス
明治三十六年十二月八日於大審院第二刑事部公廷檢事香坂駒太郎立會宣告ス
明治三十六年（レ）第二三四〇号
明治三十六年十二月八日宣告
◎判決要旨
- 一 受託物騙取罪を構成するには必ずしも被騙取者其人に対して詐欺の所為あることを要するものに非ずと雖も其騙取の目的を達するに付て関係を有する人に対し詐欺の所為あることを要す。
従て何等の関係を有せざる人を欺くも之が為めに騙取罪を構成するものに非ず
右窃盗被告事件に付、明治三十六年十月二十六日大坂控訴院に於て言渡したる判決に対し被告より上告を為したり。
因で刑事訴訟法第二百八十三条の定式を履行し判決する左の如し
被告の上告趣意書は原判決の表示する事実は要するに島安太郎の所有船が沈没せんとするに際し被告は之れが救助に赴きたるに船体の廻転に便せん為め其積載せる樅板を被告の所有船に積込み陸揚方を依託せられながら同夜石谷浅吉の伝言に依り弥吉音松より板が不足し居ると云ふか預り居らぬかと問はれたるに預り居らざる旨を答へ該樅板を騙取したりと云ふにあり。
而して之を刑法第三百九十五条後段第三百九十条第一項に問擬し処断したり。
然るに委託物騙取罪を構成するには被害者に対し騙瞞詐欺の行為あることを要す。
然るに前示の如く被告は被害者にあらざる浅吉の伝言を受けたる弥吉音松に問はるるに当り預り居らずと答へたるに止まり被害者島安太郎に対し何等騙瞞の行為ありしことなく加かも原判決が証拠に列挙したる明石弥吉榎本音松の検事聴取書に因れば遭難の時板が足らぬと聞き右板が井田の船にあるを耳にし捜しに行きたるに同人は無断にて人の船に入るを咎め、且、板を隠したることなき旨を答へたり云云とありて同人等は浅吉の伝言を受け被告に問合せたるに非ず又浅吉の同聴取書に因るも同人は被害者より被告に掛合方の委託を受けたりと云はず、且、弥吉音松に復代理せしめたりとも云はず去れば該被害物件に関係なき弥吉音松の単純なる問に対し被告が虚偽の陳述を為したりと云ふに過ぎず去れば此第三者に虚偽の陳述を為したるの行為を以て直に騙取の行為ありと認むるを得ざるは言を待たず殊に原判決証拠の明示に依れば石谷浅吉の聴取書に翌朝栄之助が板十二枚船に残りありし故自宅に差置ある旨申参りたりと陳述し又弥吉音松浅吉の聴取書に依れば弥吉音松は六枚宛栄之助方より証拠に持帰り翌朝直ちに浅吉方へ其旨申出たりとあり、且、物件の現存に徴し被告が其樅板を消費せざることも亦明瞭なり。
故に本件は委託物騙取は勿論委託物費消罪をも構成せざるものなるに原院が之を有罪なりとしたるは蓋し失当たるを免がれず。
故に原判決は破毀せらる可きものとすと云ひ
弁護人西尾哲夫弁明書は原判決に認めたる如く受託物ある場合に其物件の存否に関し第三者に虚偽の陳述を為したるの所為は罪となるべきものにあらざるは論を待たざる而己ならず原判決には被害者に対し騙取の所為ありしことを明示せざるものなれば少くとも理由不備の不法あるを免がれずと云ふに在り◎。
仍て按ずるに受託物騙取罪を構成するには必ずしも被騙取者其人に対し詐欺の所為あることを要するものにあらずと雖も其騙取の目的を達するに付て関係を有する人に対し詐欺の所為あることを要す。
全く何等の関係を有せざる人を欺きたりとて之が為め騙取の罪を構成するに至ることなし原判文を閲するに其事実認定を記載せる部分には「石谷浅吉の伝言により弥吉音松より云云と問はれたるに預り居らざる旨を答へ樅板十三束を騙取したるものとす。」と判示しあるも石谷浅吉なるものは右樅板の寄託者と何等が関係を有するものなるや其他該受託物の騙取を遂くるに付て如何なる関係を有するものなるやを徴すべき記載なし。
故に被告が弥吉音松の問に対し虚偽の答を為したることは右樅板の騙取と如何なる関係を有するや知るに由なきを以て結局原判決は其騙取の手段に付て説明を欠如するものにして理由不備の裁判なりと謂はざるを得ず。
此瑕瑾は原判決の全部に影響するものにして上告は此点に於て其理由あり己に此論点に於て上告の理由ある以上は爾余の論点に付き説明を付するの必要なし。
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十六条の規定に従ひ原判決を破毀し事件を名古屋訴訟院に移す
明治三十六年十二月八日於大審院第二刑事部公廷検事香坂駒太郎立会宣告す
