明治三十六年（れ）第九四一號
明治三十六年六月二日宣告
◎判决要旨
- 一 見張ハ犯罪ノ實行ヲ確保スル爲メノ一ノ必要ナル手段ナリトス從テ實行ノ所爲ヲ擔任シタルト見張ノ所爲ヲ擔任シタルトハ其罪責ニ輕重ナキヲ以テ等シク實行正犯トシテ處罰スヘキモノトス
被告人 松永安次郎 外一名
辯護人 入江鷹之助 佐藤義彦 天野敬一
右放火事件ニ付明治三十六年四月十三日大阪控訴院ニ於テ言渡シタル判决ニ對シ辯護人ヨリ上告ヲ爲シタリ因テ刑事訴訟法第二百八十三條ノ式ヲ履行シ判决スル左ノ如シ
被告安次郎辯護人入江鷹之助上告趣意書ハ一、原判决ハ裁判ノ理由ニ齟齬アルモノナリ原判决事實認定ノ部ニ「前畧市藏ノ偶然其處ヘ來合セタルニ依リ安次郎ハ市藏ニ強テ其謀議ニ加入スヘキヲ求メ云云」トアリテ被告人カ市藏ヲ誘導シテ本件ニ干與セシメタル如ク認メラレタルニ不拘同判决後段第一審判决取消ノ理由中「前畧而レトモ安次郎幸太郎ハ地所受作ニ關シ松本幸之助ニ怨恨ヲ懷クヘキ理由ナク又市藏ノ放火ヲ勸誘シタル事ナキニ孰レモ之アリトシ云々」ト判示シ前後二個ノ理由齟齬アリテ其何レカ眞正ノ理由ナルヤ之レヲ發見スルヲ得ス且ツ又安次郎カ市藏ニ對シ強テ謀議ニ參與セシメタル證據ハ之ヲ擧示セラレス却テ證據摘示ノ部第二項ニヨレハ定太郎カ之ヲ勸誘シタルカ如ク見ユ是レ刑事訴訟法第二百六十九條第九號ニ該當スル違法ニ裁判ナリト思料スト云フニアリ◎依テ原判文ヲ閲スルニ其事實摘示ノ部分ニ「被告定太郎ハ云々安次郎幸次郎ト會シ松本幸之助ノ住居スル家屋ニ放火シ之ヲ燒燬スヘキ謀議ヲ爲シ居タルニ際シ市藏ノ偶然其處ヘ來合セタルニ依リ安次郎ハ市藏ニ強井テ其謀議ニ加入スヘキヲ求メ市藏ノ之ニ應スルニ及ヒ爰ニ四名ニテ右幸之助ノ住家ニ放火シ之ヲ燒燬スヘキニ决シ云々」トアルハ所論ノ如シト雖モ其所謂ル「安次郎」トアルハ「定太郎」ノ誤記ナルコトハ判文全體ノ主旨ニ徴シテ明カナルヲ以テ本論旨ハ謂レナシ
同上告趣意書ノ第二ハ原判决ハ不當ニ法則ヲ適用シタル違法アリ原判决事實ノ摘示ニ依レハ安次郎ハ本件犯罪ノ謀議ニ參與シタル事實ハ明カナレトモ自ラ犯罪ノ着手實行ニハ干與シタル事アラス僅カニ見張ヲ爲シタル事アルノミ此見張タルヤ犯罪成立要件ニ直接且必然ナル有效行爲ニアラサル事ハ辯ヲ要セス果シテ然ラハ安次郎ハ本犯成立セサルモノト論セサルヲ得ス然ルニ原裁判所カ正犯ニシテ未遂ナリト斷セシハ違法ナリト云ヒ」被告幸次郎辯護人佐藤義彦上告趣意書ハ原判决ノ認メラレタル事實ニ依レハ「前畧明治三十五年十一月十二日午後十時頃幸之助ノ住居スル家屋ノ西方六七十歩ニアル神社前ニ於テ（中畧）被告四名ニテ右幸之助ノ住家ニ放火シ之ヲ燒燬スヘキニ决シ安次郎幸次郎ハ該神社前ニ於テ見張ヲ爲シ定太郎市藏ハ幸之助邸内ニ到リ在合セタル竹竿ニ藁ヲ括付ケ摺附木ニテ火ヲ點シ同家板屋根ニ放火シタルモ幸之助ノ覺知スル所トナリ其呼聲ニ應シ駈付ケタル人々ト共ニ消止メタルカ爲メ板屋根ノ少部分燒燼セシニ止リ該家屋ハ燒燬ニ至ラサリシモノトス」トアリ即チ上告人ノ所爲ハ六七十歩ヲ離レタル神社前ニ於テ見張ヲ爲シタルノミ而シテ犯罪ノ着手若クハ實行ヲナシタルニアラス故ニ正犯ヲ以テ之ニ擬センニハ其「見張」ノ行爲ハ其放火ニハ必要缺クヘカラサルコト即チ其實行ノ一部トモ看做スヘキモノアルヲ要ス然ルニ原判决ハ前掲ノ如ク單ニ被害者ノ居ヲ距ル六七十歩ノ地ニ於テ見張ヲナシタル一事ヲ確定シ其行爲（見張）カ果シテ犯罪實行ノ要件タリシヤ否ヤヲ示サス直ニ放火罪ノ正犯ヲ以テ處斷セラレシハ則チ擬律ノ當否ヲ鑑査スルニ由ナキ理由不備ノ裁判ナリトスト云フニアリ◎依テ按スルニ凡ソ犯罪遂行ノ目的ヲ達スルニハ一方ニ於テ其犯罪構成ノ要件タル所爲ヲ實行スルト同時ニ他方ニ於テ其實行ヲ妨クヘキ障礙ノ存在セサルコトヲ必要トスルヲ以テ犯罪ヲ行フニ當リ見張ヲ置キテ外部ヨリ來ル障碍ニ備フルハ犯罪行爲ノ遂行上ニ於テ看過スヘカラサル極メテ重要ナル處置ナリトス何トナレハ見張ハ縱シ犯罪實行ノ絶對的必要條件ニアラス又事後ニ至リ其必要ナカリシコトヲ發見スルコトハ往々ニシテ之レアリトスルモ犯罪實行當時ニ在テ觀察ヲ下ストキハ見張ヲ付セサルニ於テハ或ハ外部ノ妨害ノ爲メ犯罪遂行ノ目的ヲ達スルコト能ハサルニ至ルヤ知ルヘカラサルヲ以テ見張ヲ置クコトハ犯罪ノ實行ヲ期スルカ爲メニハ一ノ必要ナル手段タルヲ失ハサルヲ以テナリ是ヲ以テ多數ノ人カ相共ニ犯罪ヲ實行セントスルニ臨ミ各其部署ヲ定メ或者ハ犯罪實行ノ所爲ヲ擔任シ他ノ者ハ犯罪ノ實行ヲ確保スルカ爲メノ手段タル見張ノ任務ニ從事シ因テ以テ各自ノ企圖シタル犯罪ヲ遂行シタルトキハ是等ノ者ハ各犯罪ノ遂行ニ必要ナル行爲ヲ分擔實行シタルモノニシテ何人カ見張ノ所爲ヲ擔任シ何人カ實行ノ所爲ヲ擔任スルヤハ要スルニ犯罪實行ノ便宜上共犯人間ノ協議ニ依リテ定マルモノナレハ實行ノ所爲ヲ擔任シタルト見張ノ所爲ヲ擔任シタルトニ依リ其罪責ニ輕重アルヘキ理由ナク何レモ實行正犯トシテ刑罰ノ制裁ニ服從セサルヘカラス而シテ原院ノ認メタル事實ニ依レハ被告幸次郎ハ外三名ノ者ト謀リ松本幸之助ノ家屋ニ放火シテ之ヲ燒燬セント企テ之ヲ實行スルニ當リ見張ノ所爲ヲ擔任シ放火罪ノ遂行ニ必要ナル所爲ノ一部ヲ分擔實行シタルコト明カナレハ實行正犯トシテ其責ニ任スヘキハ勿論ニシテ見張ノ所爲カ絶對的ニ必要ニシテ欠クヘカラサリシモノナルヤ否ヤノ事實ノ如キハ被告ノ罪責ニ何等ノ影響ヲ及ホサヽルヲ以テ原院カ此點ニ付キ別ニ判示スル所ナクシテ直チニ被告ニ放火罪ノ刑ヲ問擬シタルハ相當ナリ故ニ本論旨ハ理由ナシ
被告安次郎辯護人天野敬一上告趣意擴張書ハ原判决ハ松永安次郎ノ犯罪ニ關シ事實理由ノ齟齬アルコト辯護人入江鷹之助ノ上告趣意書ノ如シ加之尚證據ノ摘示第三項被告市藏ノ豫審調書ニヨレハ「云々定太郎ハ自分ニ松本幸之助方ヘ放火セヨトノ話ナルカ云々」トアリテ益被告安次郎カ市藏ヲ勸誘シタルニアラサルコト明カニシテ原判决ハ正敷事實上ノ理由ノ齟齬アルモノト信スト云フニアレトモ◎本論旨ノ理由ナキコトハ辯護人入江鷹之助ノ上告趣意書ニ對シテ辯明スル所ニ依リ明カナルヲ以テ重テ説明ヲ爲スノ要ナシ
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十五條ニ依リ本件上告ハ之ヲ棄却ス
明治三十六年六月二日大審院第二刑事部公廷ニ於テ檢事岩野新平立會宣告ス
明治三十六年（レ）第九四一号
明治三十六年六月二日宣告
◎判決要旨
- 一 見張は犯罪の実行を確保する為めの一の必要なる手段なりとす。
従て実行の所為を担任したると見張の所為を担任したるとは其罪責に軽重なきを以て等しく実行正犯として処罰すべきものとす。
被告人 松永安次郎 外一名
弁護人 入江鷹之助 佐藤義彦 天野敬一
右放火事件に付、明治三十六年四月十三日大坂控訴院に於て言渡したる判決に対し弁護人より上告を為したり。
因で刑事訴訟法第二百八十三条の式を履行し判決する左の如し
被告安次郎弁護人入江鷹之助上告趣意書は一、原判決は裁判の理由に齟齬あるものなり。
原判決事実認定の部に「前略市蔵の偶然其処へ来合せたるに依り安次郎は市蔵に強で其謀議に加入すべきを求め云云」とありて被告人が市蔵を誘導して本件に干与せしめたる如く認められたるに不拘同判決後段第一審判決取消の理由中「前略而れども安次郎幸太郎は地所受作に関し松本幸之助に怨恨を懐くべき理由なく又市蔵の放火を勧誘したる事なきに孰れも之ありとし云云」と判示し前後二個の理由齟齬ありて其何れか真正の理由なるや之れを発見するを得ず。
且つ又安次郎が市蔵に対し強で謀議に参与せしめたる証拠は之を挙示せられず却て証拠摘示の部第二項によれば定太郎が之を勧誘したるが如く見ゆ是れ刑事訴訟法第二百六十九条第九号に該当する違法に裁判なりと思料すと云ふにあり◎依て原判文を閲するに其事実摘示の部分に「被告定太郎は云云安次郎幸次郎と会し松本幸之助の住居する家屋に放火し之を焼燬すべき謀議を為し居たるに際し市蔵の偶然其処へ来合せたるに依り安次郎は市蔵に強井で其謀議に加入すべきを求め市蔵の之に応するに及び爰に四名にて右幸之助の住家に放火し之を焼燬すべきに決し云云」とあるは所論の如しと雖も其所謂る「安次郎」とあるは「定太郎」の誤記なることは判文全体の主旨に徴して明かなるを以て本論旨は謂れなし
同上告趣意書の第二は原判決は不当に法則を適用したる違法あり。
原判決事実の摘示に依れば安次郎は本件犯罪の謀議に参与したる事実は明かなれども自ら犯罪の着手実行には干与したる事あらず。
僅かに見張を為したる事あるのみ此見張たるや犯罪成立要件に直接、且、必然なる有効行為にあらざる事は弁を要せず。
果して然らば安次郎は本犯成立せざるものと論せざるを得ず。
然るに原裁判所が正犯にして未遂なりと断せしは違法なりと云ひ」被告幸次郎弁護人佐藤義彦上告趣意書は原判決の認められたる事実に依れば「前略明治三十五年十一月十二日午後十時頃幸之助の住居する家屋の西方六七十歩にある神社前に於て（中略）被告四名にて右幸之助の住家に放火し之を焼燬すべきに決し安次郎幸次郎は該神社前に於て見張を為し定太郎市蔵は幸之助邸内に到り在合せたる竹竿に藁を括付け摺附木にて火を点し同家板屋根に放火したるも幸之助の覚知する所となり其呼声に応し駈付けたる人人と共に消止めたるか為め板屋根の少部分焼燼せしに止り該家屋は焼燬に至らざりしものとす。」とあり。
即ち上告人の所為は六七十歩を離れたる神社前に於て見張を為したるのみ。
而して犯罪の着手若くは実行をなしたるにあらず。
故に正犯を以て之に擬せんには其「見張」の行為は其放火には必要欠くべからざること。
即ち其実行の一部とも看做すべきものあるを要す。
然るに原判決は前掲の如く単に被害者の居を距る六七十歩の地に於て見張をなしたる一事を確定し其行為（見張）が果して犯罪実行の要件たりしや否やを示さず直に放火罪の正犯を以て処断せられしは則ち擬律の当否を鑑査するに由なき理由不備の裁判なりとすと云ふにあり◎依て按ずるに凡そ犯罪遂行の目的を達するには一方に於て其犯罪構成の要件たる所為を実行すると同時に他方に於て其実行を妨ぐへき障碍の存在せざることを必要とするを以て犯罪を行ふに当り見張を置きて外部より来る障碍に備ふるは犯罪行為の遂行上に於て看過すべからざる極めて重要なる処置なりとす。
何となれば見張は縦し犯罪実行の絶対的必要条件にあらず。
又事後に至り其必要なかりしことを発見することは往往にして之れありとするも犯罪実行当時に在で観察を下すときは見張を付せざるに於ては或は外部の妨害の為め犯罪遂行の目的を達すること能はざるに至るや知るべからざるを以て見張を置くことは犯罪の実行を期するか為めには一の必要なる手段たるを失はざるを以てなり。
是を以て多数の人が相共に犯罪を実行せんとするに臨み各其部署を定め或者は犯罪実行の所為を担任し他の者は犯罪の実行を確保するか為めの手段たる見張の任務に従事し因で以て各自の企図したる犯罪を遂行したるときは是等の者は各犯罪の遂行に必要なる行為を分担実行したるものにして何人が見張の所為を担任し何人が実行の所為を担任するやは要するに犯罪実行の便宜上共犯人間の協議に依りて定まるものなれば実行の所為を担任したると見張の所為を担任したるとに依り其罪責に軽重あるべき理由なく何れも実行正犯として刑罰の制裁に服従せざるべからず。
而して原院の認めたる事実に依れば被告幸次郎は外三名の者と謀り松本幸之助の家屋に放火して之を焼燬せんと企で之を実行するに当り見張の所為を担任し放火罪の遂行に必要なる所為の一部を分担実行したること明かなれば実行正犯として其責に任ずべきは勿論にして見張の所為が絶対的に必要にして欠くべからざりしものなるや否やの事実の如きは被告の罪責に何等の影響を及ぼさざるを以て原院が此点に付き別に判示する所なくして直ちに被告に放火罪の刑を問擬したるは相当なり。
故に本論旨は理由なし。
被告安次郎弁護人天野敬一上告趣意拡張書は原判決は松永安次郎の犯罪に関し事実理由の齟齬あること弁護人入江鷹之助の上告趣意書の如し加之尚証拠の摘示第三項被告市蔵の予審調書によれば「云云定太郎は自分に松本幸之助方へ放火せよとの話なるか云云」とありて益被告安次郎が市蔵を勧誘したるにあらざること明かにして原判決は正敷事実上の理由の齟齬あるものと信ずと云ふにあれども◎本論旨の理由なきことは弁護人入江鷹之助の上告趣意書に対して弁明する所に依り明かなるを以て重て説明を為すの要なし。
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条に依り本件上告は之を棄却す
明治三十六年六月二日大審院第二刑事部公廷に於て検事岩野新平立会宣告す
