明治二十九年第五二三號
明治二十九年五月二十五日宣告
右吉兵衛外二名カ謀殺被告事件ニ付明治二十九年四月二十日東京控訴院ニ於テ千葉地方裁判所ノ判决ニ對スル被告共ヨリノ控訴ヲ審理シ原裁判所カ被告吉兵衛ハ謀殺教唆又五郎ハ謀殺源七ハ謀殺幇助ノ罪ヲ犯シタルモノト認メ又五郎ヲ死刑ニ吉兵衛源七ヲ無期徒刑ニ處ス云々ト言渡シタルハ相當ニ付本件控訴ハ之ヲ棄却スト判决シタル第二審ノ裁判ヲ不法ナリトシ被告三名ハ上告ヲ爲シ對手人原院檢事ハ之ニ答辯セス因テ刑事訴訟法第二百八十三條ノ定式ヲ履行シ被告吉兵衛源七ノ辯護士磯部四郎岡崎正也安部遜被告又五郎ノ辯護士的塲平次ノ辯論立會檢事應當融ノ意見ヲ聽キ判决スルコト左ノ如シ
被告吉兵衛上告趣意書ノ要旨原裁判所ニ於テハ「被告カ明治二十八年一月十五日書面ヲ徳太郎ニ送リ責ムルニ徳義ヲ以テシテ石高橋家ノ紛議ヲ圓滑ニ調停シ滿足ノ結果ヲ得ントシタルモ是レ亦充分ニ其効ヲ奏セサリシヲ以テ吉兵衛ハ愈々憤慨ニ堪ヘス寧ロ徳太郎ヲ殺害スルニ如カスト决意シ云々被告又五郎ニ面會シタル際私カニ其眞情ヲ吐露シ若シ徳太郎ヲ殺害シタルナレハ又五郎ノ負債ハ悉ク償却シ遣スヘシトテ徳太郎ヲ殺害センコトヲ教唆シタルヨリ云々」ト判决セラレタリ然ルニ一件記録ニ於テ被告吉兵衛カ右書面ヲ徳太郎ニ送リタル後示談ハ益々進行シツヽアリテ關係人間ニ其實行ニ對シ不滿ヲ生シタル事蹟アルコトナク示談契約書ハ勿論訴訟取下書面ニ至ルマテ各關係人間ノ連署濟ニテ現ニ徳太郎被害ノ常日總テ結了濟ニ至ル處關係人中大野平ノ出金スヘキ金額ノ一部纒ラサリシカ爲メ其實行ヲ翌月二日ニ延期シタルモノナリ殊ニ原院カ本件事實ノ證憑トシテ列擧セラレタル各證據中ニ於テ被告カ一月二十日後ニアリテ又五郎ト面會シタリトノコトハ毫モ見ルヘキ點ナシ依テ原判决ハ判文形式上ニ於テハ右證憑トシテ數點ノ書類ヲ記載セラレタレトモ其實證憑ニ基カスシテ架空ニ事實ヲ確定セラレタル不法ヲ免レスト云ヒ」被告源七ノ上告要旨ハ原裁判所ニ於テハ「同月二十一日朝源七ハ徳太郎ヨリ借主清水タメ證人中後源衛ニ對スル貸金示談ノ件ニ付徳太郎ト談話ノ末相分ルヽニ當リ同日書過キ湊町數馬伊勢屋事佐藤巳之助方ニ於テ再會スルコトヲ約シ又一方ニ於テハ又五郎ニ同夜伊勢屋ヨリ湊ニ向テ徳太郎ノ歸ルヘキコトヲ申告ケ云々以テ又五郎ノ犯罪ヲ容易ナラシメタリ」ト判决セラレタリ然ルニ一件記録ヲ見ルニ被告源七ハ一月二十日朝居村ヲ出テ同夜ハ徳太郎方ニ同宿シ其後二十一日夜マテハ居村ニ皈リタルコトナク又出先キニ於テ又五郎ニ出會若シクハ使ノ往復ヲ爲シタルコトナキハ明カナリ殊ニ原裁判所ニ於テ本件ノ證據トシテ引用セラレタル各證據ニ於テハ一トシテ被告人カ二十日右村ヲ立出テタル後又五郎ト會合シタルコト若クハ其他ノ方法ヲ以テ申告ケ示合セタリトノコトハ見ルヘキ端緒タモナキニ拘ラス前掲ノ如ク判决セラレタルハ證憑ニ基カスシテ架空ニ事實ヲ確定セラレタル不法ノ裁判ナリト云フニアレトモ◎右原院ノ職權ニ特任セル證憑ノ取捨事實ノ認定ニ對シ徒ラニ批難ヲ試ムルモノニ過キサルヲ以テ何レモ上告適法ノ理由ナシ
被告又五郎ノ上告要旨ノ第一點被告又五郎ノ所爲ハ豫謀ノ事實ナク又殺人ノ意思モナク被害者高橋徳太郎カ湊町數馬伊勢屋ヨリ皈途被告又五郎ニ衝突シ剩サヘ不正ノ暴行ヲ加ヘタルヲ以テ挑發ニ乘シ携ヘタル凶器ヲ以テ徳太郎ニ切付タル結果遂ニ死ニ致シタルモノニシテ曩キニ被告カ自白シタルハ共同被告ノ無實ノ寃罪ヲ購ハンカ爲メノ意思ニ外ナラス原院カ之ヲ以テ謀殺トシタルハ違法ナリト云フニアリテ◎是亦事實認定ノ批難ニ外ナラス』第二點假リニ原院ノ認ムル事實ノ如ク苅込吉兵衛ニ教唆サレタリトスルモ被告ハ直チニ謀殺ノ决意ヲナシタリト云フヘカラス原院ハ父源七カ非行ヲ咎メスシテ犯罪ニ便宜ヲ與ヘタリト論スルモ親子間ノ關係ヨリ想像スレハ此ノ如キ推定ハ不當ニシテ之ヲ以テ直ニ被告ニ謀殺ノ意思アリト斷定スルヲ得ス全ク被告ハ出會シ不正ノ暴行ヲ受ケタル爲メ急ニ怒ヲ發シ携ヘタル刀ヲ以テ切付ケ遂ニ死ニ至ラシメタルモノニシテ故殺ヲ以テ論シ第百九十四條ヲ適用スヘキニ原院カ第二百九十二條ヲ適用シタルハ擬律ノ錯誤ナリト云フニアレトモ◎原院カ認メタル事實ニ對シ適用シタル法律ハ相當ニシテ上告論旨ハ要スルニ原院ノ認メタル事實ヲ然ラスト論シ以テ擬律ニ錯誤アリト云フニ外ナラサレハ上告適法ノ理由ナシ
被告吉兵衛源七ノ辯護士磯部四郎岡崎正也ノ上告擴張書要旨ノ第一點本件被告人等ニ對スル豫審請求書(明治二十八年二月二十五日付)ヲ見ルニ其公訴ヲ受ケタル被告人ハ庄司源七外二名トアルニ過キサレハ上告人吉兵衛ニ對シ果シテ公訴ヲ提起シタル旨ノ記載アルナシ依テ上告人ニ對シテハ適法ナル公訴ノ提起ナキヲ以テ本件公訴ハ不成立ナルニ原院ニ於テ有罪ノ判决ヲ言渡サレタルハ不法ナリトス但右豫審請求書ノ本文以外ノ條目即チ欄外ニ於テ「外二名ハ庄司又五郎苅込吉平」ト記入シアトモ此記入ニ對シ認印アルナシ依テ該記入ハ刑事訴訟法第二十一條ニ違背セル不法アルヲ以テ其効ナキヤ論ヲ俟タス尤右本文以外ノ餘白ハ刑事訴訟法第二十一條ノ所謂欄外ニ該ルヤ否ニ付論議ナキヲ保セサルモ刑事訴訟法書類ノ用紙ハ必スシモ罫紙ニ限ルトノ明文ナク又欄外トハ必スシモ本文面ノ上下ニ限ルヘキモノニアラサルハ是亦論ヲ竢タサル處トス』第二點前項記載ノ如ク本件正犯者タル庄司又五郎ニ對シテモ適法ノ公訴提起アルナシ而シテ正犯者ニ對シ公訴成立セサル以上ハ其所爲ヲ容易ナラシメタリトノ從犯者タル源七ニ對スル原判决モ亦當然破毀ノ原由アリト信スト云フニアレトモ◎本件記録ニ依ルニ豫審判事ノ請求ニ依リ現塲ニ出張シタル處己ニ警部ニ於テ假豫審ニ着手シ居リタルヲ以テ直ニ其引繼ヲ受ケ現行犯事件ナルニ付檢證調書ヲ作リタルモノナレハ刑事訴訟法第百四十三條ノ規定ニ依リ其調書ヲ作リタルヲ以テ公訴ヲ受理シタルモノナルコトハ勿論ナリトス故ニ假令上告論旨ノ如ク豫審請求書ニ不完全ノ點アリトスルモ本件公訴ノ受理不受理ニ毫モ影響ヲ及ホスヘキモノニアラサルヲ以テ第一第二論旨共上告適法ノ理由ナシ』第三點原裁判所ニ於テハ鑑定人山崎周太郎ノ鑑定書ヲ以テ本件斷罪ノ證據ニ供セラレタルモ右鑑定書ハ本件被告人等ニ對スル公訴ノ成立以前ノ成立ニ係ルモノニシテ且又刑事訴訟法第百二十一條ニ基キ鑑定人ト被告人トノ間ニ於テ同法第百二十三條ノ關係アルヤニ付テ訊問ヲ爲シ宣誓セシメタル手續ナキヲ以テ素ヨリ不法ノ成立ニ係ルモノトス加之該鑑定書ハ右ノ點ニ付不法ナシトスルモ鑑定ノ時間ヲ詳記セサルヲ以テ刑事訴訟法ニ違背セル不法ヲ免レサルモノトス然ルニ原裁判所カ右不法ノ鑑定書ヲ本件ノ證據ニ採用シタルハ不法ナリトス右鑑定書調製以外ニ於テ殺人被告人氏名不詳ト記載シ豫審請求書ト題スル書類アルヲ以テ或ハ被告人氏名不詳トシテ公訴事件成立シタリトノ論ナキヲ保セスト雖トモ公訴ノ目的物タル被告人ノ何人タルヤヲ詳カニセサル以上ハ其被告人ノ在否生死等ヲ知ルニ由ナキヲ以テ被告人ノ氏名ヲ詳ニセスシテ公訴ノ適法ニ成立スヘキ理由ナシト云フニアレトモ◎本論旨中本件公訴ノ受理セラレタル理由ハ前項ニ辯明セシ如クナルヲ以テ更ニ説示セス又現行犯ノ塲合ニ在テハ一定ノ人アルヲ要セサルヲ以テ氏名不詳ト記スルモ違法ニ非ス又氏名不詳者ト記シ宣誓セシメアレハ宣誓ナキ鑑定書ナリト云フヲ得ス又鑑定書中鑑定ヲ爲シタル時間ヲ詳記セシムルハ主トシテ費用額ノ標準ヲ定ムルカ爲メナリ故ニ其記載ナキ鑑定書ト雖トモ其効力ニ増減アルコトナシ况ンヤ該鑑定書ニ時間ハ明治二十八年一月二十二日午後一時四十分ヨリ同日午後四時ニ至ルト明記シアルニ於テヲヤ』第四點原判决ヲ見ルニ「源七ハ伊勢屋ト源衛宅トノ間ニ屡々往來シ徳太郎ヲ初更後歸途ニ就カシメ以テ又五郎ノ犯罪ヲ容易ナラシメタリ云々」ト示シ乍ラ「同夜九時頃徳太郎其塲ニ至リタルヲ以テ又五郎ハ右刀ヲ以テ突然徳太郎ノ背後ヨリ斬付ケ云々」トアリ即チ初更(十時)後歸途ニ就カシメ置キナカラ同夜九時頃之ヲ要撃シタリト謂フニアリテ理由ニ齟齬アル不法ノ判决ナリト云フニ在レトモ◎初更ハ十二支ノ戍ノ時ニシテ凡ソ當時ノ八時ニ當ルヲ以テ原判文中初メニ初更云々ト記シ後ニ同夜九時頃之ヲ要撃シト判示シタレハトテ理由ニ齟齬アリト云フヲ得ス
被告又五郎ノ辯護士的塲平次ノ上告擴張ノ要旨原判决ハ其採證ノ部ニ於テ「右事實ハ被告三名
其他佐藤巳之輔高梨晴治齋藤織江福本淺七三枝信ニ對スル各豫審調書云々ニ徴シ證憑十分ナリトアリテ同人等ハ證人トシテノ引用ナルヤ參考人トシテノ引用ナルヤ原判决ハ明白ナラス
抑本件ハ犯罪中最重大ナル殺人犯ニシテ死刑ノ宣告ヲ受ケ居ルモノナリ此ノ如キ重犯ヲ處斷スルニ原院カ引用スル證據ノ證人タルヤ參考人ナルヤ一目瞭然セサル如キハ刑事訴訟法第二百三條ノ背反ヲ免レス假リニ數歩ヲ讓リ佐藤巳之輔外數名ハ證人トシテノ引用ナリトセハ原判决ハ不法ノ證據ヲ採リテ斷罪ノ用ニ供シタルモノト云ハサルヘカラス抑證人ハ刑事訴訟法第百廿一條ニ從ヒ氏名年齡職業住所ヲ訊問シタル後第百廿三條ニ記載シタルモノナリヤ否ヲ問ヒタル上同條ニ抵觸セサルコトヲ明カニナシ初メテ宣誓セシメ僞證ノ罰ヲ論示シ訊問セサル可ラス然ルニ本件佐藤巳之輔等ノ調書ヲ見ルニ皆同一ニ其初メニ氏名年齡職業住所ヲ問ヒタル後「庄司源七外二名被告事件ニ付證人トナルヘキ資格ヲ聽了シ宣誓セシメタリ」トアリ此簡單ナル文詞ニテハ證人ノ資格アルヤ否ヤヲ聽キタルコトハ事實ナルモ其資格アルヤ否ハ明白ナラス之ヲ明白ニセスシテ宣誓セシメ訊問シタル證人ハ即チ刑事訴訟法第百二十一條ニ背反シタル不法ノ手續ニシテ此不法ノ手續ニ依リ訊問シタル證言ヲ證據トシテ採用シタルハ不法ナリト云フニ在レトモ◎佐藤巳之輔高梨晴治齋藤織江福本淺七三枝信ノ證人ナルヤ將タ參考人ナルヤノ點ハ各自ノ調書ニ徴スレハ明カナルニ依リ原判文ニ證人參考人ト明記セサルモ違法ニアラス又同人等(三枝信ハ除ク)調書ノ冐頭ニ庄司源七外二名被告事件ニ付證人トナルヘキ資格ヲ聽了シ宣誓セシメタリト記載シアルコトハ上告論旨ノ如クニシテ其聽了ノ二字ハ單簡ナリト雖トモ證人タルノ資格ヲ訊問シ其抵觸ナキヲ認メタル上宣誓セシメタルノ意義ナルコトハ認メ得ヘキニ依リ上告論旨ノ如キ違法アルコトナシ
以上ノ理由ナルニ依リ刑事訴訟法第二百八十五條ノ規定ニ則リ本案上告ハ之ヲ棄却ス
明治二十九年五月二十五日大審院第二刑事部公廷ニ於テ檢事應當融立會宣告ス
明治二十九年第五二三号
明治二十九年五月二十五日宣告
右吉兵衛外二名が謀殺被告事件に付、明治二十九年四月二十日東京控訴院に於て千葉地方裁判所の判決に対する被告共よりの控訴を審理し原裁判所が被告吉兵衛は謀殺教唆又五郎は謀殺源七は謀殺幇助の罪を犯したるものと認め又五郎を死刑に吉兵衛源七を無期徒刑に処す云云と言渡したるは相当に付、本件控訴は之を棄却すと判決したる第二審の裁判を不法なりとし被告三名は上告を為し対手人原院検事は之に答弁せず因で刑事訴訟法第二百八十三条の定式を履行し被告吉兵衛源七の弁護士磯辺四郎岡崎正也安部遜被告又五郎の弁護士的場平次の弁論立会検事応当融の意見を聴き判決すること左の如し
被告吉兵衛上告趣意書の要旨原裁判所に於ては「被告が明治二十八年一月十五日書面を徳太郎に送り責むるに徳義を以てして石高橋家の紛議を円滑に調停し満足の結果を得んとしたるも是れ亦充分に其効を奏せざりしを以て吉兵衛は愈愈憤慨に堪へず寧ろ徳太郎を殺害するに如かずと決意し云云被告又五郎に面会したる際私かに其真情を吐露し若し徳太郎を殺害したるなれば又五郎の負債は悉く償却し遣すべしとて徳太郎を殺害せんことを教唆したるより云云」と判決せられたり。
然るに一件記録に於て被告吉兵衛が右書面を徳太郎に送りたる後示談は益益進行しつつありて関係人間に其実行に対し不満を生じたる事蹟あることなく示談契約書は勿論訴訟取下書面に至るまで各関係人間の連署済にて現に徳太郎被害の常日総で結了済に至る処関係人中大野平の出金すべき金額の一部纒らざりしか為め其実行を翌月二日に延期したるものなり。
殊に原院が本件事実の証憑として列挙せられたる各証拠中に於て被告が一月二十日後にありて又五郎と面会したりとのことは毫も見るべき点なし。
依て原判決は判文形式上に於ては右証憑として数点の書類を記載せられたれども其実証憑に基かずして架空に事実を確定せられたる不法を免れずと云ひ」被告源七の上告要旨は原裁判所に於ては「同月二十一日朝源七は徳太郎より借主清水ため証人中後源衛に対する貸金示談の件に付、徳太郎と談話の末相分るるに当り同日書過き湊町数馬伊勢屋事佐藤己之助方に於て再会することを約し又一方に於ては又五郎に同夜伊勢屋より湊に向て徳太郎の帰るべきことを申告け云云以て又五郎の犯罪を容易ならしめたり。」と判決せられたり。
然るに一件記録を見るに被告源七は一月二十日朝居村を出で同夜は徳太郎方に同宿し其後二十一日夜までは居村に皈りたることなく又出先きに於て又五郎に出会若しくは使の往復を為したることなきは明かなり。
殊に原裁判所に於て本件の証拠として引用せられたる各証拠に於ては一として被告人が二十日右村を立出てたる後又五郎と会合したること若くは其他の方法を以て申告け示合せたりとのことは見るべき端緒たもなきに拘らず前掲の如く判決せられたるは証憑に基かずして架空に事実を確定せられたる不法の裁判なりと云ふにあれども◎右原院の職権に特任せる証憑の取捨事実の認定に対し徒らに批難を試むるものに過ぎざるを以て何れも上告適法の理由なし。
被告又五郎の上告要旨の第一点被告又五郎の所為は予謀の事実なく又殺人の意思もなく被害者高橋徳太郎が湊町数馬伊勢屋より皈途被告又五郎に衝突し剰さへ不正の暴行を加へたるを以て挑発に乗し携へたる凶器を以て徳太郎に切付たる結果遂に死に致したるものにして曩きに被告が自白したるは共同被告の無実の寃罪を購はんか為めの意思に外ならず原院が之を以て謀殺としたるは違法なりと云ふにありて◎是亦事実認定の批難に外ならず』第二点仮りに原院の認むる事実の如く苅込吉兵衛に教唆されたりとするも被告は直ちに謀殺の決意をなしたりと云ふべからず。
原院は父源七が非行を咎めずして犯罪に便宜を与へたりと論するも親子間の関係より想像すれば此の如き推定は不当にして之を以て直に被告に謀殺の意思ありと断定するを得ず。
全く被告は出会し不正の暴行を受けたる為め急に怒を発し携へたる刀を以て切付け遂に死に至らしめたるものにして故殺を以て論し第百九十四条を適用すべきに原院が第二百九十二条を適用したるは擬律の錯誤なりと云ふにあれども◎原院が認めたる事実に対し適用したる法律は相当にして上告論旨は要するに原院の認めたる事実を然らずと論し以て擬律に錯誤ありと云ふに外ならざれば上告適法の理由なし。
被告吉兵衛源七の弁護士磯辺四郎岡崎正也の上告拡張書要旨の第一点本件被告人等に対する予審請求書(明治二十八年二月二十五日付)を見るに其公訴を受けたる被告人は庄司源七外二名とあるに過ぎざれば上告人吉兵衛に対し果して公訴を提起したる旨の記載あるなし依て上告人に対しては適法なる公訴の提起なきを以て本件公訴は不成立なるに原院に於て有罪の判決を言渡されたるは不法なりとす。
但右予審請求書の本文以外の条目即ち欄外に於て「外二名は庄司又五郎苅込吉平」と記入しあとも此記入に対し認印あるなし依て該記入は刑事訴訟法第二十一条に違背せる不法あるを以て其効なきや論を俟たず。
尤右本文以外の余白は刑事訴訟法第二十一条の所謂欄外に該るや否に付、論議なきを保せざるも刑事訴訟法書類の用紙は必ずしも罫紙に限るとの明文なく又欄外とは必ずしも本文面の上下に限るべきものにあらざるは是亦論を竢たざる処とす。』第二点前項記載の如く本件正犯者たる庄司又五郎に対しても適法の公訴提起あるなし、而して正犯者に対し公訴成立せざる以上は其所為を容易ならしめたりとの従犯者たる源七に対する原判決も亦当然破毀の原由ありと信ずと云ふにあれども◎本件記録に依るに予審判事の請求に依り現場に出張したる処己に警部に於て仮予審に着手し居りたるを以て直に其引継を受け現行犯事件なるに付、検証調書を作りたるものなれば刑事訴訟法第百四十三条の規定に依り其調書を作りたるを以て公訴を受理したるものなることは勿論なりとす。
故に仮令上告論旨の如く予審請求書に不完全の点ありとするも本件公訴の受理不受理に毫も影響を及ぼすべきものにあらざるを以て第一第二論旨共上告適法の理由なし。』第三点原裁判所に於ては鑑定人山崎周太郎の鑑定書を以て本件断罪の証拠に供せられたるも右鑑定書は本件被告人等に対する公訴の成立以前の成立に係るものにして、且、又刑事訴訟法第百二十一条に基き鑑定人と被告人との間に於て同法第百二十三条の関係あるやに付て訊問を為し宣誓せしめたる手続なきを以て素より不法の成立に係るものとす。
加之該鑑定書は右の点に付、不法なしとするも鑑定の時間を詳記せざるを以て刑事訴訟法に違背せる不法を免れざるものとす。
然るに原裁判所が右不法の鑑定書を本件の証拠に採用したるは不法なりとす。
右鑑定書調製以外に於て殺人被告人氏名不詳と記載し予審請求書と題する書類あるを以て或は被告人氏名不詳として公訴事件成立したりとの論なきを保せずと雖とも公訴の目的物たる被告人の何人たるやを詳かにせざる以上は其被告人の在否生死等を知るに由なきを以て被告人の氏名を詳にせずして公訴の適法に成立すべき理由なしと云ふにあれども◎本論旨中本件公訴の受理せられたる理由は前項に弁明せし如くなるを以て更に説示せず又現行犯の場合に在ては一定の人あるを要せざるを以て氏名不詳と記するも違法に非ず又氏名不詳者と記し宣誓せしめあれば宣誓なき鑑定書なりと云ふを得ず。
又鑑定書中鑑定を為したる時間を詳記せしむるは主として費用額の標準を定むるか為めなり。
故に其記載なき鑑定書と雖とも其効力に増減あることなし況んや該鑑定書に時間は明治二十八年一月二十二日午後一時四十分より同日午後四時に至ると明記しあるに於てをや』第四点原判決を見るに「源七は伊勢屋と源衛宅との間に屡屡往来し徳太郎を初更後帰途に就かしめ以て又五郎の犯罪を容易ならしめたり。
云云」と示し乍ら「同夜九時頃徳太郎其場に至りたるを以て又五郎は右刀を以て突然徳太郎の背後より斬付け云云」とあり。
即ち初更(十時)後帰途に就かしめ置きながら同夜九時頃之を要撃したりと謂ふにありて理由に齟齬ある不法の判決なりと云ふに在れども◎初更は十二支の戍の時にして凡そ当時の八時に当るを以て原判文中初めに初更云云と記し後に同夜九時頃之を要撃しと判示したればとて理由に齟齬ありと云ふを得ず。
被告又五郎の弁護士的場平次の上告拡張の要旨原判決は其採証の部に於て「右事実は被告三名
其他佐藤己之輔高梨晴治斎藤織江福本浅七三枝信に対する各予審調書云云に徴し証憑十分なりとありて同人等は証人としての引用なるや参考人としての引用なるや原判決は明白ならず
抑本件は犯罪中最重大なる殺人犯にして死刑の宣告を受け居るものなり。
此の如き重犯を処断するに原院が引用する証拠の証人たるや参考人なるや一目瞭然せざる如きは刑事訴訟法第二百三条の背反を免れず仮りに数歩を譲り佐藤己之輔外数名は証人としての引用なりとせば原判決は不法の証拠を採りて断罪の用に供したるものと云はざるべからず。
抑証人は刑事訴訟法第百廿一条に従ひ氏名年齢職業住所を訊問したる後第百廿三条に記載したるものなりや否を問ひたる上同条に抵触せざることを明かになし初めて宣誓せしめ偽証の罰を論示し訊問せざる可らず。
然るに本件佐藤己之輔等の調書を見るに皆同一に其初めに氏名年齢職業住所を問ひたる後「庄司源七外二名被告事件に付、証人となるべき資格を聴了し宣誓せしめたり。」とあり此簡単なる文詞にては証人の資格あるや否やを聴きたることは事実なるも其資格あるや否は明白ならず之を明白にせずして宣誓せしめ訊問したる証人は。
即ち刑事訴訟法第百二十一条に背反したる不法の手続にして此不法の手続に依り訊問したる証言を証拠として採用したるは不法なりと云ふに在れども◎佐藤己之輔高梨晴治斎藤織江福本浅七三枝信の証人なるや将た参考人なるやの点は各自の調書に徴すれば明かなるに依り原判文に証人参考人と明記せざるも違法にあらず。
又同人等(三枝信は除く)調書の冒頭に庄司源七外二名被告事件に付、証人となるべき資格を聴了し宣誓せしめたりと記載しあることは上告論旨の如くにして其聴了の二字は単簡なりと雖とも証人たるの資格を訊問し其抵触なきを認めたる上宣誓せしめたるの意義なることは認め得べきに依り上告論旨の如き違法あることなし
以上の理由なるに依り刑事訴訟法第二百八十五条の規定に則り本案上告は之を棄却す
明治二十九年五月二十五日大審院第二刑事部公廷に於て検事応当融立会宣告す