明治二十八年第七七五號
明治二十八年十一月二十五日宣告
◎判决要旨
不動産ニ關スル賣買ノ登記ハ單ニ其事實ヲ公示スルノ一方法タルニ止マリ决シテ所有權移轉ノ効果ヲ生スルコトナシ從テ其所爲ヲ以テ不動産ノ騙取トナスヲ得ス(明治二十八年第七八七號私印書僞造使用私$書僞造行使ノ件第一卷九十九頁登載參看)賣買ヲ證明スヘキ證書ニシテ僞造ニ係ルトキハ之ヲ以テ所有權ヲ移轉スルノ効力ヲ生セス從テ其所有權ハ依然原所有者ニ存ス
右小三郎外二名ニ對スル私印盜用私書僞造行使詐欺取財被告事件ニ付明治二十八年五月二十七日東京控訴院ニ於テ被告等ノ控訴及原院檢事ノ附帶控訴ヲ受理シ審理ノ末原判决ハ之ヲ取消ス被告小三郎ヲ重禁錮四年罰金四十圓監視1年ニ處シ被告菊松宗悦ヲ各重禁錮三年罰金三十圓監視六月ニ處ス押収ノ賣渡證書口演ト題スル書面各一通ハ沒収シ其他ノ書面及印顆ハ各差出人ニ還付ス公訴裁判費用ハ被告三名連帶負擔スヘシト言渡シタル判决ニ服セス被告等ヨリ上告ヲ爲シタルニ依リ裁判所構成法第四十九條ノ規定ニ從ヒ本院刑事部聯合ノ上刑事訴訟法第二百八十三條ノ定式ヲ履行シ審理スル左ノ如シ
被告小三郎上告趣意ハ原裁判所ハ被告共ヲ共謀者トシテ有罪ノ判决ヲ下サレタルモ右共謀者ノ事實ヲ證スヘキ證憑ナシ即チ原裁判所ハ架空ニ事實ヲ認定シテ罪ヲ斷シタル不法ノ裁判ナリト云フニ在レトモ◎右ハ原院ノ職權ニ屬スル事實ノ認定ヲ非難スルモノニシテ上告適法ノ理由トナラス』同人上告趣意擴張ノ第一點ハ判决書ニ鑑定人大井親吉トアリ鑑定人トシテハ同名ノ者無之筈ナリ然ルニ原院ニ於テハ大井親吉ナル者ノ鑑定書ヲ證據ト爲シテ斷罪ノ資料ニ供シタルハ違法ナリト云フニ在レトモ◎原院ノ判决原本ヲ見ルニ「鑑定人大井親」トアリテ親吉トハ記載ナシ而シテ一件記録ヲ見ルニ大井親ノ鑑定書アルヲ以テ本論旨ノ如キ不法ナシ』其第二ハ判决書ニ送悦ノ住所ヲ「茨城縣北相馬郡東文間村福本」ト記載セリ然ルニ右東文間村福本ナル所アルヲ聞カス盖シ福木ノ誤リナラン如斯粗漏ノ判决書ハ信ヲ措ク能ハスト云フニ在レトモ◎右ハ被告小三郎ニハ關係ナキ事柄ナルヲ以テ上告適法ノ理由ト爲ス能ハス』第三點ハ裁判言渡ノ際掛リ判事五名ノ内一名ニ對シテハ刑事判决謄本ニハ小林芳郎トアリ又私訴判决謄本ニハ小村芳郎トアリ何レカ實名ナルヤ判然セス斯カル不當ノ判决ニ對シテハ服從スルコト能ハスト云フニ在レトモ◎原判原本ヲ見ルニ孰レモ小林芳郎トアリ其論旨ニ謂フ所ヲ事實ナリトスルモ謄本ノ誤寫ヲ以テ原判决ヲ破毀スルノ理由ト爲スニ足ラス』其第四點ハ裁判所公廷ニ於テ參考ニ供シタル押収ノ提灯ハ其所有主ニ還付セス又官ニ沒収モセス其處分ニ對シ何等ノ言渡シナキハ違法ナリト云フニ在レトモ◎原判决理由中提灯ノコトヲ記載セサルヲ以テ其沒収スヘキモノナルヤ否ハ還付スヘキモノナルヤ判然セスト雖トモ若被告ニ對シ沒収スヘキモノトスレハ本論旨ハ不利益ノ論旨ナルヲ以テ上告ノ理由トナラス又若還付スヘキモノナルトキハ其處分ハ必シモ判决言渡ト共ニスルノ必要ナシ旁本論旨モ上告適法ノ理由トナラス
被告菊松宗悦ノ上告趣意ハ被告小三郎ノ上告趣意ト同一ナルヲ以テ更ニ説明スルノ要ナシ』被告三名辯護人高木益太郎ノ上告趣意辯明ノ第一ハ僞造證書ハ刑法第四十三條第一號ニ依リ沒収ス可キモノニシテ同條第三號ニ依リ沒収スヘキモノニアラス然ルニ原院ニ於テハ本件僞造ノ借用證書賣渡證書口演ト題スル書面各一通ヲ刑法第四十三條第二號ニ依リ沒収シタルハ擬律錯誤ノ裁判ナリト云フニ在リテ◎本論旨ハ適法ノ理由アリトス如何トナレハ僞造ノ書類ハ刑法ニ謂フ所ノ法律ニ於テ禁制シタル物件ナルヲ以テ之レヲ沒収スルニハ刑法第四十三條第一號ニ依ラサルヘカラス然ルニ原院カ僞造ナリト認定シタル借用證書賣渡證書口演ト題スル書面ヲ沒収スルニ當リ刑法第四十三條第二號ヲ適用シタルハ擬律ノ錯誤ナリトス』其第二ハ原院ハ「借用證書并ニ賣渡證書及其謄本ヲ僞造行使シタル所爲ハ孰レモ刑法第二百十條第一項第二百十二條ニ該ルモノ」ト判定シタレトモ既ニ證書ノ原本ニ付僞造罪ヲ構成シタル已上ハ其謄本ヲ僞造スルモ別ニ一個ノ犯罪ヲ構成スヘキモノニアラス依テ借用證書賣渡證書ノ謄本僞造行使ノ所爲ハ無罪ノ判决アルヘキモノナリ乃チ原裁判ハ擬律錯誤ノ裁判ナリト云フニ在レトモ◎原院ハ借用證書賣渡證書及ヒ各其謄本ヲ作製シタルヲ一團ノ所爲ト認メ之レニ對シ擬律シタルモノナレハ殊ニ謄本ノ作製ヲ一個ノ罪ト認メタルニアラサルヲ以テ無罪ノ言渡ヲ爲スヘキニアラス故ニ原判决ハ本論旨ノ如キ擬律ノ錯誤ナシ』其第三ハ原判决書證據列記ノ部ニ單ニ「鑑定人大井親ノ鑑定書」ト掲ケアルニ依レハ同人カ上告人三名ニ對スル被告事件ニ付テノ鑑定ヲ證據ニ採用シタルモノト見做サヽルヲ得ス然ルニ同人ハ上告人野口宗悦ニ對スル事件ノ鑑定人ニアラス從テ同人ニ對シテ適式ノ宣誓ヲ爲シタルコトナキハ同人ノ宣誓書ニ徴シ明亮ナリ是故ニ原判决カ大井親ノ鑑定書ヲ上告人野口宗悦ニ對シテモ鑑定人タルノ効力アル證據ト認メテ有罪ノ判斷ヲ與ヘタルハ違法ノ裁判ナリト云フニ在レトモ◎一件記録ヲ調査スルニ鑑定人大井親カ宣誓ノ上鑑定ヲ爲シタル日即チ明治二十六年三月八日ニシテ其當時ノ被告ニ對シ適式ノ宣誓ヲ爲シ鑑定シタル已上ハ其鑑定書ハ有効ノ證據タルコト論ヲ俟タス而シテ其後チ即チ明治二十六年三月十日ニ至リ本件ニ被告宗悦ヲ加フルモ右鑑定書ノ不法無効トナルヘキ理由ナキヲ以テ原院カ本件全體ノ被告人ニ對シ有効ノ鑑定書トシテ本案斷罪ノ資料ニ供シタルモ之ヲ違法ト云フヘカラス依テ本論旨ハ上告適法ノ理由ナシ』其第五ハ地所ニ對シテ騙取罪ノ成立セサルコトハ猶不動産ニ對シテ竊盜罪ノ存セサルト異ナルコトナシ然ルニ原裁判所ハ性質上ノ不動産ニ對シテモ詐欺取財罪ノ成立ヲ認メタルハ擬律錯誤ノ裁判ナリ况ンヤ地所登記名義ノ變更ハ僞造ノ賣渡證書ヲ登記所ニ提出シタル當然ノ結果即チ僞造證書行使罪ノ結果ニ過キスシテ之ヲ以テ直チニ地所其物ヲ騙取シタルモノト認ムル能ハサルモノナリ依テ原裁判ハ破毀更正ヲ求ムト云フニ在リ◎依テ案スルニ原院ノ認メタル事實ニ依レハ「被告等ハ共謀シテ木村キヨヨリ被告小三郎ニ宛タル山林賣渡證書ヲ僞造シ之ヲ佐倉區裁判所ニ呈出シテ右賣買ノ登記ヲ受ケテ山林ヲ騙取シタリ」ト云フニ在ルモ右賣買ノ登記ハ賣買ノ事實ヲ公示スルノ方法ニ外ナラスシテ其目的物タル山林ノ所有權ヲ移轉スルモノニアラス故ニ原院ハ所有權移轉ノ効ヲ生スヘキ賣買ノ合意アリシコトヲ認メス其賣買ヲ證明スヘキ證書ハ僞造ナリト認ムル已上ハ山林ノ所有權ハ初ヨリ移動スルコトナク依然木村キヨニ存スルヲ以テ騙取ノ事實アルコトナケレハ無罪ヲ言渡スヘキニ原院ハ山林賣買ノ登記ヲ受ケタルヲ以テ直チニ山林ヲ騙取シタルモノトシ刑法第三百九十條第一項第三百九十四條ニ問擬シタルハ擬律錯誤ノ裁判タルヲ免カレス既ニ此論旨ニ基キ山林騙取ノ點ハ罪トナラサルモノトシテ原判决ヲ破毀スヘキモノト説明スル已上ハ山林詐取ノ點ニ對スル論旨即チ辯明第四ハ特ニ説明スルノ要ナシ』其第六ハ原判决カ斷罪ノ資料トナシタル木村重太郎ノ上申書布留川多重郎關谷鍵太郎ノ上申書ハ刑事上證據ノ効力ヲ有スヘキ文書ニアラス依テ原院カ之ヲ有罪ノ證據トナシタルハ不法ナリト云フニ在レトモ◎刑事訴訟法中右等ノ書面ヲ證憑トシテ採用スルニ付制限シタル規定アルコトナケレハ原判决ハ本論旨ノ如キ不法アルコトナシ』其第七ハ原判决ノ理由中「翌十九日被告小三郎ハ右僞造ノ金圓借用證ヲ携帶シ多喜司方ニ立越シ之ヲ同人ニ交付シテ金圓ヲ受取ラントナシタル處多喜司ニ於テハ借主本人キヨ同道ノ上ニアラサレハ金員相渡シ難シト云フニ依リ被告小三郎ハ歸宅ノ上金員ハ小三郎ニ相渡シ呉レ度旨ノ記載アル口演ト題スル明治二十五年十月十九日付木村キヨ名義ノ書面ヲ僞造シキヨノ名下ニハ前掲同一ノ實印ヲ盜捺シ之ヲ携ヘ同日再ヒ多喜司方ニ到リ該僞造書ヲ同人ニ交付シ」トノ認定ニ依レハ原院モ口演ト題スル文書ヲ僞造行使シタル所爲ハ小三郎單獨ノ行爲ナルコトヲ認メタルモノト云ハサルヘカラス然ルニ擬律ノ部ニ至リ右文書僞造行使ノ責任ヲ上告人菊松宗悦ニ科シタルハ違法ナリト云フニ在レトモ◎原判决理由ノ冐頭ニ「被告三名ハ共謀シテ云々木村キヨノ山林ヲ騙取シ尚同人ノ名義ヲ以テ他ヨリ金員ヲ取出サンコトヲ企テ云々」トアレハ其金員ヲ取出スマテノ總テノ行爲ハ皆ナ被告等ノ共謀ニ出テタモノト認メタルコト明カナレハ本論旨ハ原判决文ノ誤解ニ基クモノナレハ上告適法ノ理由ナシ』其第八ハ第一審ノ公判始末書中ニ記載アル證人鈴木卯之助今井徳太郎他數名ノ證人ハ果シテ本件ニ付證人タルノ資格アリヤ否ヤ確定セサルモノナリ
何トナレハ右始末書中ニハ證人ニ於テ刑事訴訟法第百二十三條ノ關係ナキ旨ヲ答辯シタル事跡ナキヲ以テナリ故ニ原院カ輙ク之ヲ證言ノ効アルモノトシテ右始末書ヲ採テ證據トナシタハ違法ナリト云フニ在レトモ◎右始末書ヲ見ルニ爰ニ證人ノ資格ヲ質シ宣誓セシムトアレハ刑事訴訟法第百二十三條ノ各項ニ付訊問シタル處アリテ後宣誓セシメテ證述ヲ聽クニ差支ナキヲ認メタルモノナルコト明カナレハ假令同條ノ關係ナキ旨ノ答辯ヲ記載シアラサルモ證人ノ資格有無ノ確定セサルモノト云フヘカラサルヲ以テ本論旨ハ上告適法ノ理由ナシ』其第九ハ原判文ニ「之ヲ法律ニ照スニ右私印盜用ノ所爲ハ刑法第二百八條第二項第二百十二條ニ該リ」トアリテ刑法第二百八條第一項ノ適用ヲ欠キタルハ法律理由ノ明示ヲ爲サヽル違法ノ裁判ナリ何トナレハ單ニ同條第二項而己ヲ掲クル時ハ如何ナル刑期ヨリ一等ヲ減スルヤヲ知ルニ由ナケレハナリト云フニ在レトモ◎既ニ第二百八條第二項ヲ明示セハ同項ニ若シ他人ノ印影ヲ盜用シタル者ハ一等ヲ減ストアレハ其第一項ノ刑ヨリ一等ヲ減スルモノナルコト明白ニシテ一モ疑點ノ存スルモノナキヲ以テ原判决ハ法律理由ノ明示ヲ欠キタル不法アリト云フヘカラス
右ノ理由ニ依リ刑事訴訟法第二百八十六條第二百八十七條ノ規定ニ從ヒ判决スル左ノ如シ
原判决擬律ノ部分ヲ破毀シ直チニ左ノ如ク判决ス
今井小三郎
今井菊松
野口宗悦
原院ノ認定シタル事實ヲ法律ニ照スニ被告等共謀シテ木村キヨ所有ノ阿蘇村米本千百八十三番字島ケ谷山林一段四畝廿六歩外九筆ノ地所ヲ騙取シタリトノ點ハ刑事訴訟法第二百二十四條ニ依リ無罪押収ノ書類中借用證書賣渡證書口演ト題スル書面各一通ハ刑法第四十三條第一號ニ依リ之ヲ沒収ス其他ハ原判决通リ
明治二十八年十一月二十五日大審院刑事聯合部公廷ニ於テ檢事岩田武儀立會宣告ス
明治二十八年第七七五号
明治二十八年十一月二十五日宣告
◎判決要旨
不動産に関する売買の登記は単に其事実を公示するの一方法たるに止まり決して所有権移転の効果を生ずることなし。
従て其所為を以て不動産の騙取となすを得ず。
(明治二十八年第七八七号私印書偽造使用私$書偽造行使の件第一巻九十九頁登載参看)売買を証明すべき証書にして偽造に係るときは之を以て所有権を移転するの効力を生ぜず。
従て其所有権は依然原所有者に存す
右小三郎外二名に対する私印盗用私書偽造行使詐欺取財被告事件に付、明治二十八年五月二十七日東京控訴院に於て被告等の控訴及原院検事の附帯控訴を受理し審理の末原判決は之を取消す被告小三郎を重禁錮四年罰金四十円監視1年に処し被告菊松宗悦を各重禁錮三年罰金三十円監視六月に処す押収の売渡証書口演と題する書面各一通は没収し其他の書面及印顆は各差出人に還付す公訴裁判費用は被告三名連帯負担すべしと言渡したる判決に服せず被告等より上告を為したるに依り裁判所構成法第四十九条の規定に従ひ本院刑事部連合の上刑事訴訟法第二百八十三条の定式を履行し審理する左の如し
被告小三郎上告趣意は原裁判所は被告共を共謀者として有罪の判決を下されたるも右共謀者の事実を証すべき証憑なし。
即ち原裁判所は架空に事実を認定して罪を断したる不法の裁判なりと云ふに在れども◎右は原院の職権に属する事実の認定を非難するものにして上告適法の理由とならず』同人上告趣意拡張の第一点は判決書に鑑定人大井親吉とあり鑑定人としては同名の者無之筈なり。
然るに原院に於ては大井親吉なる者の鑑定書を証拠と為して断罪の資料に供したるは違法なりと云ふに在れども◎原院の判決原本を見るに「鑑定人大井親」とありて親吉とは記載なし。
而して一件記録を見るに大井親の鑑定書あるを以て本論旨の如き不法なし。』其第二は判決書に送悦の住所を「茨城県北相馬郡東文間村福本」と記載せり。
然るに右東文間村福本なる所あるを聞かず盖し福木の誤りならん如斯粗漏の判決書は信を措く能はずと云ふに在れども◎右は被告小三郎には関係なき事柄なるを以て上告適法の理由と為す能はず』第三点は裁判言渡の際掛り判事五名の内一名に対しては刑事判決謄本には小林芳郎とあり又私訴判決謄本には小村芳郎とあり何れか実名なるや判然せず斯かる不当の判決に対しては服従すること能はずと云ふに在れども◎原判原本を見るに孰れも小林芳郎とあり其論旨に謂ふ所を事実なりとするも謄本の誤写を以て原判決を破毀するの理由と為すに足らず』其第四点は裁判所公廷に於て参考に供したる押収の提灯は其所有主に還付せず又官に没収もせず其処分に対し何等の言渡しなきは違法なりと云ふに在れども◎原判決理由中提灯のことを記載せざるを以て其没収すべきものなるや否は還付すべきものなるや判然せずと雖とも若被告に対し没収すべきものとすれば本論旨は不利益の論旨なるを以て上告の理由とならず又若還付すべきものなるときは其処分は必しも判決言渡と共にするの必要なし。
旁本論旨も上告適法の理由とならず
被告菊松宗悦の上告趣意は被告小三郎の上告趣意と同一なるを以て更に説明するの要なし。』被告三名弁護人高木益太郎の上告趣意弁明の第一は偽造証書は刑法第四十三条第一号に依り没収す可きものにして同条第三号に依り没収すべきものにあらず。
然るに原院に於ては本件偽造の借用証書売渡証書口演と題する書面各一通を刑法第四十三条第二号に依り没収したるは擬律錯誤の裁判なりと云ふに在りて◎本論旨は適法の理由ありとす。
如何となれば偽造の書類は刑法に謂ふ所の法律に於て禁制したる物件なるを以て之れを没収するには刑法第四十三条第一号に依らざるべからず。
然るに原院が偽造なりと認定したる借用証書売渡証書口演と題する書面を没収するに当り刑法第四十三条第二号を適用したるは擬律の錯誤なりとす。』其第二は原院は「借用証書並に売渡証書及其謄本を偽造行使したる所為は孰れも刑法第二百十条第一項第二百十二条に該るもの」と判定したれども既に証書の原本に付、偽造罪を構成したる己上は其謄本を偽造するも別に一個の犯罪を構成すべきものにあらず。
依て借用証書売渡証書の謄本偽造行使の所為は無罪の判決あるべきものなり。
乃ち原裁判は擬律錯誤の裁判なりと云ふに在れども◎原院は借用証書売渡証書及び各其謄本を作製したるを一団の所為と認め之れに対し擬律したるものなれば殊に謄本の作製を一個の罪と認めたるにあらざるを以て無罪の言渡を為すべきにあらず。
故に原判決は本論旨の如き擬律の錯誤なし。』其第三は原判決書証拠列記の部に単に「鑑定人大井親の鑑定書」と掲げあるに依れば同人が上告人三名に対する被告事件に付ての鑑定を証拠に採用したるものと見做さざるを得ず。
然るに同人は上告人野口宗悦に対する事件の鑑定人にあらず。
従て同人に対して適式の宣誓を為したることなきは同人の宣誓書に徴し明亮なり。
是故に原判決が大井親の鑑定書を上告人野口宗悦に対しても鑑定人たるの効力ある証拠と認めて有罪の判断を与へたるは違法の裁判なりと云ふに在れども◎一件記録を調査するに鑑定人大井親が宣誓の上鑑定を為したる日即ち明治二十六年三月八日にして其当時の被告に対し適式の宣誓を為し鑑定したる己上は其鑑定書は有効の証拠たること論を俟たず。
而して其後ち。
即ち明治二十六年三月十日に至り本件に被告宗悦を加ふるも右鑑定書の不法無効となるべき理由なきを以て原院が本件全体の被告人に対し有効の鑑定書として本案断罪の資料に供したるも之を違法と云ふべからず。
依て本論旨は上告適法の理由なし。』其第五は地所に対して騙取罪の成立せざることは猶不動産に対して窃盗罪の存せざると異なることなし然るに原裁判所は性質上の不動産に対しても詐欺取財罪の成立を認めたるは擬律錯誤の裁判なり。
況んや地所登記名義の変更は偽造の売渡証書を登記所に提出したる当然の結果即ち偽造証書行使罪の結果に過ぎずして之を以て直ちに地所其物を騙取したるものと認むる能はざるものなり。
依て原裁判は破毀更正を求むと云ふに在り◎依て案するに原院の認めたる事実に依れば「被告等は共謀して木村きよより被告小三郎に宛たる山林売渡証書を偽造し之を佐倉区裁判所に呈出して右売買の登記を受けて山林を騙取したり。」と云ふに在るも右売買の登記は売買の事実を公示するの方法に外ならずして其目的物たる山林の所有権を移転するものにあらず。
故に原院は所有権移転の効を生ずべき売買の合意ありしことを認めず其売買を証明すべき証書は偽造なりと認むる己上は山林の所有権は初より移動することなく依然木村きよに存するを以て騙取の事実あることなければ無罪を言渡すべきに原院は山林売買の登記を受けたるを以て直ちに山林を騙取したるものとし刑法第三百九十条第一項第三百九十四条に問擬したるは擬律錯誤の裁判たるを免がれず既に此論旨に基き山林騙取の点は罪とならざるものとして原判決を破毀すべきものと説明する己上は山林詐取の点に対する論旨即ち弁明第四は特に説明するの要なし。』其第六は原判決が断罪の資料となしたる木村重太郎の上申書布留川多重郎関谷鍵太郎の上申書は刑事上証拠の効力を有すべき文書にあらず。
依て原院が之を有罪の証拠となしたるは不法なりと云ふに在れども◎刑事訴訟法中右等の書面を証憑として採用するに付、制限したる規定あることなければ原判決は本論旨の如き不法あることなし』其第七は原判決の理由中「翌十九日被告小三郎は右偽造の金円借用証を携帯し多喜司方に立越し之を同人に交付して金円を受取らんとなしたる処多喜司に於ては借主本人きよ同道の上にあらざれば金員相渡し難しと云ふに依り被告小三郎は帰宅の上金員は小三郎に相渡し呉れ度旨の記載ある口演と題する明治二十五年十月十九日付木村きよ名義の書面を偽造しきよの名下には前掲同一の実印を盗捺し之を携へ同日再ひ多喜司方に到り該偽造書を同人に交付し」との認定に依れば原院も口演と題する文書を偽造行使したる所為は小三郎単独の行為なることを認めたるものと云はざるべからず。
然るに擬律の部に至り右文書偽造行使の責任を上告人菊松宗悦に科したるは違法なりと云ふに在れども◎原判決理由の冒頭に「被告三名は共謀して云云木村きよの山林を騙取し尚同人の名義を以て他より金員を取出さんことを企で云云」とあれば其金員を取出すまでの総ての行為は皆な被告等の共謀に出でたものと認めたること明かなれば本論旨は原判決文の誤解に基くものなれば上告適法の理由なし。』其第八は第一審の公判始末書中に記載ある証人鈴木卯之助今井徳太郎他数名の証人は果して本件に付、証人たるの資格ありや否や確定せざるものなり。
何となれば右始末書中には証人に於て刑事訴訟法第百二十三条の関係なき旨を答弁したる事跡なきを以てなり。
故に原院が輙く之を証言の効あるものとして右始末書を採で証拠となしたは違法なりと云ふに在れども◎右始末書を見るに爰に証人の資格を質し宣誓せしむとあれば刑事訴訟法第百二十三条の各項に付、訊問したる処ありて後宣誓せしめて証述を聴くに差支なきを認めたるものなること明かなれば仮令同条の関係なき旨の答弁を記載しあらざるも証人の資格有無の確定せざるものと云ふべからざるを以て本論旨は上告適法の理由なし。』其第九は原判文に「之を法律に照すに右私印盗用の所為は刑法第二百八条第二項第二百十二条に該り」とありて刑法第二百八条第一項の適用を欠きたるは法律理由の明示を為さざる違法の裁判なり。
何となれば単に同条第二項而己を掲ぐる時は如何なる刑期より一等を減ずるやを知るに由なければなりと云ふに在れども◎既に第二百八条第二項を明示せば同項に若し他人の印影を盗用したる者は一等を減ずとあれば其第一項の刑より一等を減ずるものなること明白にして一も疑点の存するものなきを以て原判決は法律理由の明示を欠きたる不法ありと云ふべからず。
右の理由に依り刑事訴訟法第二百八十六条第二百八十七条の規定に従ひ判決する左の如し
原判決擬律の部分を破毀し直ちに左の如く判決す
今井小三郎
今井菊松
野口宗悦
原院の認定したる事実を法律に照すに被告等共謀して木村きよ所有の阿蘇村米本千百八十三番字島け谷山林一段四畝廿六歩外九筆の地所を騙取したりとの点は刑事訴訟法第二百二十四条に依り無罪押収の書類中借用証書売渡証書口演と題する書面各一通は刑法第四十三条第一号に依り之を没収す其他は原判決通り
明治二十八年十一月二十五日大審院刑事連合部公廷に於て検事岩田武儀立会宣告す