明治二十八年第一〇二四號
明治二十八年十一月十四日宣告
◎判决要旨
法律ハ酒癖者ノ飮酒シタル事實ヲ以テ知覺精神ノ喪失ヲ推測スルコトナシ(判旨第三點)
(參照)罪ヲ犯ス時知覺精神ノ喪失ニ因テ是非ヲ辨別セサル者ハ其罪ヲ論セス(刑法第七$十八條)證據調ノ許否ハ裁判官ノ特權ニ屬ス(判旨第四點)
右常吉ニ對スル故殺被告事件ニ付明治二十八年七月三十一日東京控訴院ニ於テ千葉地方裁判所カ罪證充分ナリトシ刑法第三百六十二條第一項同第百十五條第四十三條第二號ヲ適用シ死刑ニ處シ犯罪ノ用ニ供シタル鉈壹挺ハ之ヲ沒収シ公訴裁判費用ハ被告ノ負擔タルヘキ旨言渡シタル判决ニ服セス被告ノ爲シタル控訴ヲ受理シ審理ノ末本案控訴ハ之ヲ棄却スト言渡シタル判决ニ服セス被告ヨリ上告ヲ爲シタルニ依リ刑事訴訟法第二百八十三條ノ定式ヲ履行シ審理スル左ノ如シ
辯護人齋藤孝治磯部四郎上告趣意ハ原院ハ被告ニ對シ死刑ヲ言渡シタリト雖モ其判决ヲ見ルニ被告カ平素酒癖アル事實及ヒ犯罪行爲アリタル當事ハ飮酒酩酊シ在リタル事實ヲ認メ而シテ其殺害ノ原因ハ父ノ言語ニ對シ不平心ヲ起シタリト云フニ過キサレハ其事實情况刑法第三百六十二條第一項ニ規定セル子カ其父ヲ謀殺故殺シタルモノト自ラ異ナルノミナラス被告ノ所爲ハ謀殺故殺二者孰レノ所爲ナルヤ原院判文之ヲ知ルニ由ナシ加之ナラス原判决カ死刑ノ言渡シアル法條ノ適用ヲ見ルニ刑法第百十五條第二項第三百六十二條第一項ヲ明示シタルニ過キサルニ刑法第百十五條第二項ノ規定ハ養子其養家ニ於ケル親屬ノ例ハ實子ニ同シト云フニ止マルモノナレハ養子タル被告ニ對シ死刑ヲ言渡スニハ右法條ノ外尚ホ刑法第百十四條ノ規定ヲ適用セサレハ判决ノ理由ヲ具備セルモノト云フヘカラスト云フニ在レトモ◎原判文ヲ査閲スルニ「(前畧)一旦同室ナル爐ノ傍ニテ寢臥シタルモ先キニ孫左衛門ノ言語少シク劇シカリシヲ追懷シ不平心ヲ起シ憤懣ニ堪ヘス忽然同人ヲ殺害セントノ念ヲ生シ直チニ起キ上リ云々」トアレハ其殺害ノ念ヲ起シタル事由明白ニシテ且ツ其所爲刑法第三百六十二條ニ謂フ所ノ故殺タルコトモ明瞭ナリ而シテ被告ト孫左衛門ハ養父子ノ間柄ニシテ其親屬ノ例ハ實子ニ同シトノ同法第百十五條ヲ適用スル已上ハ第三百六十二條ヲ適用スルニ於テ理由ノ闕如スル處一モ之レアルコトナシ故ニ本論旨ハ毫モ上告適法ノ理由ナシ
被告常吉上告趣意ハ本案ハ刑法第七十八條ニ依リ處斷スヘキモノナルニ之ニ反シタル判决ヲ與ヘラレタルハ不當ナリト云フニ在レトモ◎原判文ヲ見ルニ被告カ犯罪ノ當時知覺精神ヲ喪失シタリトノ事實ヲ認メアラサレハ本趣旨ハ必竟スルニ原院ノ認メサル事實ニ基キ漫ニ不服ヲ唱フルニ過キサレハ上告適法ノ理由トナラス
辯護人兩名ノ上告趣意擴張第一點ハ原院ノ判决ハ理由ヲ付セサル不法ノ判决ナリ其理由ハ本件ノ被告常吉ハ平素甚タ酒ヲ嗜ミ酩酊スルトキハ粗暴ノ行爲アリトハ原院ノ認ムル所ナリ而シテ被告本人ノ辯解ニ因レハ凶行ノ當時ハ多量ノ飮酒ヲ爲シテ知覺ナカリシト云ヒ各證人ノ申立ニ因ルニ多量ノ飮酒ヲ爲シタル申立ヲ爲シ居レリ若シモ被告本人辯解ノ如ク飮酒ノ爲メ知覺精神ヲ喪失シ因テ是非ヲ辨別セサル者ノ所爲ナルニ於テハ刑法第七十八條ノ宥恕ヲ受クヘキモノナリトス故ニ原院ニ於テハ辯護人ヨリモ醫師ノ鑑定ヲ請求シタルニ之レヲ採用セスシテ酒癖アル事實ヲ認メナカラ知覺精神喪失有無ノ判决ヲ爲サヽリシハ理由ヲ附セサル不法ノ判决ナリト云フニ在リテ◎其趣旨ノアル處甚タ明瞭ナラス判决ヲ爲サヽルト判决ニ理由ヲ附セサルトハ自ラ別問題ニ屬ス故ニ知覺精神喪失有無ノ判决ヲ爲サヽリシハ理由ヲ附セサル不法ナリト云フハ全ク訴訟法上意味ナキ文詞ナリ或ハ原院ノ審理中知覺精神喪失ノ事實有無カ一ノ爭點トナリタルニ之ニ對シ理由中判示セサルハ不法ナリト云フノ意ナラン乎原院ハ凶行ノ事實ヲ認メ有罪ノ判决ヲ爲ス已上ハ特ニ知覺精神ヲ喪失セサリシコトヲ示スノ要ナシ又或ハ酒癖アル事實ヲ認メタル已上ハ知覺精神喪失有無ノコトヲ特ニ判示スヘキモノナリトノ意ナラン乎法律ハ酒癖アル者ハ飮酒スルトキハ知覺精神ヲ喪失スルモノナリトハ一應ノ推測ヲモ爲サヽルヲ以テ酒癖アル者飮酒シタリトモ果シテ知覺精神ヲ喪失シタルヤ否ヤハ全ク事實ノ認定ニ屬ス故ニ其事實ナシト認メ有罪ノ判决ヲ爲ス已上ハ特ニ其事實ナキ旨ノ理由ヲ(判旨第三點)
附スルヲ要セス且ツ知覺精神ヲ喪失シタルヤ否ヤハ全ク事實ノ認定ニ屬スル已上ハ醫師ノ鑑定ニ依ルト否トハ全ク原院ノ職權ニ屬ス要スルニ本論旨ハ上告適法ノ理由ナシ』其第二點ハ原院判决ハ刑事訴訟法第百九十八條ノ規定ニ違背シタル不法ノモノナルヲ以テ同法第二百六十八條ニ從ヒ破毀セラルヘキモノト信ス其理由ハ被告人ニ免責ノ立證ヲ爲ス權利アルコトハ勿論ナルノミナラス立法官ハ此權利ノ施行ヲ遺忘セシメサルコトニ特ニ注意シ刑事訴訟法第百九十八條ヲ以テ當局裁判官ヨリ毎事被告人ニ立證ノ權利アルコトヲ告知スヘシト命令セリ
盖シ片訟以テ審理ノ公平ヲ保ツコト難キカ故ナラン乎是ニ由テ之ヲ觀レハ苟モ被告人若クハ其辯護人ヨリ免責ノ立證ヲ爲サント申立ツル已上ハ裁判官ハ悉ク之ヲ排斥スルノ職權ナカル可シ他ナシ若シ之ヲ排斥スルノ職權アルモノトセハ前記第百九十八條ノ規定ハ徒法ニ屬スルヲ以テナリ抑本件ノ被告人飮酒度ヲ過キテ知覺精神ヲ喪失スル者ナルヤ否ヤノ問題ハ有罪無罪ノ相岐ルヽ點ナルヲ以テ辯護人等ハ被告人ト共ニ被告人ノ心神上ニ酒量ノ及ホス可キ影響如何ヲ相當技術家ニ鑑定セシメラレンコトヲ申請シタル事實ハ原院ノ公判始末書ニ徴シテ明瞭ナリ裁判官ハ既ニ差出シタル證據ヲ取捨スルノ全權ヲ有ストハ聞知スル所ナリト雖トモ立證ノ途ヲ遮斷スル職權ヲ有セラルヽモノトハ被告人ノ曾テ信セサル所ナリ然ルニ原院ニ於テ右立證ノ申請ヲ排斥セラレタルハ刑事訴訟法第百九十八條ノ規定ニ違背シタル裁判ト信シテ疑ハサル次第ナリト云フニ在レトモ◎證據ノ必要ナルト否トハ原院ノ職權ヲ以テ定ムル處ナレハ從テ證據調ノ許否モ亦其職權ニ屬ス本論旨ハ右ノ職權ニ對スル不服ナレハ上告適法ノ理由トナラス』其第三點ハ原院判决ハ無効且違法ノ證據ヲ以テ斷罪ノ具ニ供シタル違法ノ裁判ナリ原院判决ハ有罪ノ證憑トシテ藤崎タケ藤崎ヨリノ豫審調書ヲ明示セリ然レトモ此調書ハ無効且違法ノモノト云ハサルヘカラス刑事訴訟法第二十條ノ規定ニ依レハ官吏公吏ノ作ル可キ書類ニハ其所屬官署ノ印ヲ用ユルコトヲ要シ而シテ若シ之ヲ用ユルコト能ハサル塲合ニ於テハ其事由ヲ記載スルコトヲ要シ此規定ニ反スルトキハ其書類ノ効ナキモノナリ今右調書ヲ閲スルニ「千葉縣印幡郡和田村米戸藤崎常吉宅ニ於テ作成シタルヲ以テ廳印ヲ用ヒス」トアルニ拘ハラス千葉地方裁判所ノ署名押捺シ在リ然レハ此調書ハ孰レノ處ニ於テ作成セラレタルモノナルヤ明確ナラサル無効ノモノナリ若シ右記載アルニ拘ハラス官署ノ印ヲ押捺シテ違法ニ非ストセハ法律ニ於テ「官署ノ印ヲ用ユル能ハサル云々」ノ規定ヲ設クルノ要ナク出張先作成ノ調書ハ後日ニ於テ官署ノ印ヲ押捺シテ可ナルノ結果ヲ生スルニ至ル然レトモ調書作成ノ塲所ニ於テ定式ヲ具備スルハ其調書ノ信表力ヲ確然ナラシムルニ要アルヲ以テ官署ノ印ヲ用ユル能ハサル塲合ニ對スル特別ノ規定ヲ設ケタルモノナルニ該調書ノ如クナルトキハ官署ニ於テ作成シタルモノナルヤ出張先ニ於テ作成シタルモノナルヤ正確ナラス其信表力ナキモノナレハ斷罪ノ具ニ供スヘキモノニ非ス要式ノ不足ニシテ無効ヲ生スル已上ハ其要式ヲ不明確ナラシムル事項ノ附加ハ亦無効ヲ生スルモノト謂ハサルヘカラス實ニ附記ノ事實ノ如クナレハ官署ノ印ノ存スヘキ理由ナク又裁判所ニ於テ作成セラレタルモノナレハ其塲所ノ附記アルヘキ理ナク不正確ナル調書ナルニ此無効且違法ノ證據ヲ以テ斷罪ノ具ニ供セラレタルハ違法ト云ハサルヘカラスト云フニアレトモ◎藤崎タケ藤崎ヨシノ調書ヲ閲スルニ其末尾「云々藤崎常吉宅ニ於テ作成シタルヲ以テ」トアレハ其作製ノ塲所明瞭ニシテ此ノ塲合ニ於テ所屬官署ノ印ヲ用井サルモ當然有効ナルモノナレハ偶官署ノ印ヲ押捺スルモ爲メニ其調書ノ無効トナルヘキ理由アルコトナシ刑事訴訟法第二十條ハ所屬官署ノ印ヲ用ユヘキ塲合ニ之ヲ用井サルトキニ無効ノ制裁ヲ附スルモ用井サルモ有効ナル塲合ニ之ヲ用ユルトキ無効ナリトノ規定ヲ爲シタルニアラサルコト明瞭ナリ唯「廳印ヲ用ヒス」ト記載シ而シテ廳印ヲ用井アルハ聊カ不精確ノ嫌ナキニアラスト雖トモ此全ク右調書ノ證據力ニ關スル事柄ニシテ之ヲ採ルト採ラサルトハ事實承審官ノ職權ニ屬シ調書自體ノ有効無効ニハ關係アルヘカラス故ニ本論旨ハ上告適法ノ理由トナラス』其第四點ハ原院判决カ藤崎幸太郎ノ證言ヲ採テ斷罪ノ具ニ供シタルハ違法ノ裁判ナリ其理由ハ原院ハ藤崎幸太郎ノ陳述ヲ採テ斷罪ノ證トセラレタレトモ右幸太郎ノ配偶者シケハ被告常吉カ實父大野長右衛門ノ妹ニシテシケモ長右衛門モ其實父ハ小出五右衛門ナルコトハ別紙證明書ニ明カナリ故ニ證人藤崎幸太郎ハ刑法第百十四條第五ニ所謂「父母ノ兄弟姉妹及ヒ其配偶者ニ該當スルモノニシテ刑事訴訟法第百二十三條第二ノ法律ニ違ヒタル不法ノ判决ナリト云フニ在リテ◎證明書三通呈出スルモ上告審ハ第二審ヲ經由セシ一件記録ニ就キ事實點ニ關シ調査スルコトナキニアラサルモ新タニ呈出スル證據物ニ付事實ノ審理ヲ爲スヘキモノニアラス(判旨第四點)
右ノ理由ニ依リ刑事訴訟法第二百八十五條ノ規定ニ從ヒ判决スル左ノ如シ
本件上告ハ之ヲ棄却ス
明治二十八年十一月十四日大審院第一刑事部公廷ニ於テ檢事岩田武儀立會宣告ス
明治二十八年第一〇二四号
明治二十八年十一月十四日宣告
◎判決要旨
法律は酒癖者の飲酒したる事実を以て知覚精神の喪失を推測することなし(判旨第三点)
(参照)罪を犯す時知覚精神の喪失に因で是非を弁別せざる者は其罪を論せず(刑法第七$十八条)証拠調の許否は裁判官の特権に属す(判旨第四点)
右常吉に対する故殺被告事件に付、明治二十八年七月三十一日東京控訴院に於て千葉地方裁判所が罪証充分なりとし刑法第三百六十二条第一項同第百十五条第四十三条第二号を適用し死刑に処し犯罪の用に供したる鉈壱挺は之を没収し公訴裁判費用は被告の負担たるべき旨言渡したる判決に服せず被告の為したる控訴を受理し審理の末本案控訴は之を棄却すと言渡したる判決に服せず被告より上告を為したるに依り刑事訴訟法第二百八十三条の定式を履行し審理する左の如し
弁護人斎藤孝治磯辺四郎上告趣意は原院は被告に対し死刑を言渡したりと雖も其判決を見るに被告が平素酒癖ある事実及び犯罪行為ありたる当事は飲酒酩酊し在りたる事実を認め。
而して其殺害の原因は父の言語に対し不平心を起したりと云ふに過ぎざれば其事実情況刑法第三百六十二条第一項に規定せる子が其父を謀殺故殺したるものと自ら異なるのみならず被告の所為は謀殺故殺二者孰れの所為なるや原院判文之を知るに由なし。
加之ならず原判決が死刑の言渡しある法条の適用を見るに刑法第百十五条第二項第三百六十二条第一項を明示したるに過ぎざるに刑法第百十五条第二項の規定は養子其養家に於ける親属の例は実子に同じと云ふに止まるものなれば養子たる被告に対し死刑を言渡すには右法条の外尚ほ刑法第百十四条の規定を適用せざれば判決の理由を具備せるものと云ふべからずと云ふに在れども◎原判文を査閲するに「(前略)一旦同室なる炉の傍にて寝臥したるも先きに孫左衛門の言語少しく劇しかりしを追懐し不平心を起し憤懣に堪へず忽然同人を殺害せんとの念を生じ直ちに起き上り云云」とあれば其殺害の念を起したる事由明白にして且つ其所為刑法第三百六十二条に謂ふ所の故殺たることも明瞭なり。
而して被告と孫左衛門は養父子の間柄にして其親属の例は実子に同じとの同法第百十五条を適用する己上は第三百六十二条を適用するに於て理由の闕如する処一も之れあることなし故に本論旨は毫も上告適法の理由なし。
被告常吉上告趣意は本案は刑法第七十八条に依り処断すべきものなるに之に反したる判決を与へられたるは不当なりと云ふに在れども◎原判文を見るに被告が犯罪の当時知覚精神を喪失したりとの事実を認めあらざれば本趣旨は必竟するに原院の認めざる事実に基き漫に不服を唱ふるに過ぎざれば上告適法の理由とならず
弁護人両名の上告趣意拡張第一点は原院の判決は理由を付せざる不法の判決なり。
其理由は本件の被告常吉は平素甚た酒を嗜み酩酊するときは粗暴の行為ありとは原院の認むる所なり。
而して被告本人の弁解に因れば凶行の当時は多量の飲酒を為して知覚なかりしと云ひ各証人の申立に因るに多量の飲酒を為したる申立を為し居れり。
若しも被告本人弁解の如く飲酒の為め知覚精神を喪失し因で是非を弁別せざる者の所為なるに於ては刑法第七十八条の宥恕を受くべきものなりとす。
故に原院に於ては弁護人よりも医師の鑑定を請求したるに之れを採用せずして酒癖ある事実を認めながら知覚精神喪失有無の判決を為さざりしは理由を附せざる不法の判決なりと云ふに在りて◎其趣旨のある処甚た明瞭ならず判決を為さざると判決に理由を附せざるとは自ら別問題に属す。
故に知覚精神喪失有無の判決を為さざりしは理由を附せざる不法なりと云ふは全く訴訟法上意味なき文詞なり。
或は原院の審理中知覚精神喪失の事実有無が一の争点となりたるに之に対し理由中判示せざるは不法なりと云ふの意ならん乎原院は凶行の事実を認め有罪の判決を為す己上は特に知覚精神を喪失せざりしことを示すの要なし。
又或は酒癖ある事実を認めたる己上は知覚精神喪失有無のことを特に判示すべきものなりとの意ならん乎法律は酒癖ある者は飲酒するときは知覚精神を喪失するものなりとは一応の推測をも為さざるを以て酒癖ある者飲酒したりとも果して知覚精神を喪失したるや否やは全く事実の認定に属す。
故に其事実なしと認め有罪の判決を為す己上は特に其事実なき旨の理由を(判旨第三点)
附するを要せず。
且つ知覚精神を喪失したるや否やは全く事実の認定に属する己上は医師の鑑定に依ると否とは全く原院の職権に属す要するに本論旨は上告適法の理由なし。』其第二点は原院判決は刑事訴訟法第百九十八条の規定に違背したる不法のものなるを以て同法第二百六十八条に従ひ破毀せらるべきものと信ず。
其理由は被告人に免責の立証を為す権利あることは勿論なるのみならず立法官は此権利の施行を遺忘せしめざることに特に注意し刑事訴訟法第百九十八条を以て当局裁判官より毎事被告人に立証の権利あることを告知すべしと命令せり
盖し片訟以て審理の公平を保つこと難きが故ならん乎是に由で之を観れば苟も被告人若くは其弁護人より免責の立証を為さんと申立つる己上は裁判官は悉く之を排斥するの職権なかる可し他なし。
若し之を排斥するの職権あるものとせば前記第百九十八条の規定は徒法に属するを以てなり。
抑本件の被告人飲酒度を過ぎて知覚精神を喪失する者なるや否やの問題は有罪無罪の相岐るる点なるを以て弁護人等は被告人と共に被告人の心神上に酒量の及ぼす可き影響如何を相当技術家に鑑定せしめられんことを申請したる事実は原院の公判始末書に徴して明瞭なり。
裁判官は既に差出したる証拠を取捨するの全権を有すとは聞知する所なりと雖とも立証の途を遮断する職権を有せらるるものとは被告人の曽て信ぜざる所なり。
然るに原院に於て右立証の申請を排斥せられたるは刑事訴訟法第百九十八条の規定に違背したる裁判と信じて疑はざる次第なりと云ふに在れども◎証拠の必要なると否とは原院の職権を以て定むる処なれば。
従て証拠調の許否も亦其職権に属す本論旨は右の職権に対する不服なれば上告適法の理由とならず』其第三点は原院判決は無効、且、違法の証拠を以て断罪の具に供したる違法の裁判なり。
原院判決は有罪の証憑として藤崎たけ藤崎よりの予審調書を明示せり。
然れども此調書は無効、且、違法のものと云はざるべからず。
刑事訴訟法第二十条の規定に依れば官吏公吏の作る可き書類には其所属官署の印を用ゆることを要し、而して若し之を用ゆること能はざる場合に於ては其事由を記載することを要し此規定に反するときは其書類の効なきものなり。
今右調書を閲するに「千葉県印幡郡和田村米戸藤崎常吉宅に於て作成したるを以て庁印を用ひず」とあるに拘はらず千葉地方裁判所の署名押捺し在り。
然れば此調書は孰れの処に於て作成せられたるものなるや明確ならざる無効のものなり。
若し右記載あるに拘はらず官署の印を押捺して違法に非ずとせば法律に於て「官署の印を用ゆる能はざる云云」の規定を設くるの要なく出張先作成の調書は後日に於て官署の印を押捺して可なるの結果を生ずるに至る。
然れども調書作成の場所に於て定式を具備するは其調書の信表力を確然ならしむるに要あるを以て官署の印を用ゆる能はざる場合に対する特別の規定を設けたるものなるに該調書の如くなるときは官署に於て作成したるものなるや出張先に於て作成したるものなるや正確ならず其信表力なきものなれば断罪の具に供すべきものに非ず要式の不足にして無効を生ずる己上は其要式を不明確ならしむる事項の附加は亦無効を生ずるものと謂はざるべからず。
実に附記の事実の如くなれば官署の印の存すべき理由なく又裁判所に於て作成せられたるものなれば其場所の附記あるべき理なく不正確なる調書なるに此無効、且、違法の証拠を以て断罪の具に供せられたるは違法と云はざるべからずと云ふにあれども◎藤崎たけ藤崎よしの調書を閲するに其末尾「云云藤崎常吉宅に於て作成したるを以て」とあれば其作製の場所明瞭にして此の場合に於て所属官署の印を用井さるも当然有効なるものなれば偶官署の印を押捺するも為めに其調書の無効となるべき理由あることなし刑事訴訟法第二十条は所属官署の印を用ゆへき場合に之を用井さるときに無効の制裁を附するも用井さるも有効なる場合に之を用ゆるとき無効なりとの規定を為したるにあらざること明瞭なり。
唯「庁印を用ひず」と記載し、而して庁印を用井あるは聊が不精確の嫌なきにあらずと雖とも此全く右調書の証拠力に関する事柄にして之を採ると採らざるとは事実承審官の職権に属し調書自体の有効無効には関係あるべからず。
故に本論旨は上告適法の理由とならず』其第四点は原院判決が藤崎幸太郎の証言を採で断罪の具に供したるは違法の裁判なり。
其理由は原院は藤崎幸太郎の陳述を採で断罪の証とせられたれども右幸太郎の配偶者しけは被告常吉が実父大野長右衛門の妹にしてしけも長右衛門も其実父は小出五右衛門なることは別紙証明書に明かなり。
故に証人藤崎幸太郎は刑法第百十四条第五に所謂「父母の兄弟姉妹及び其配偶者に該当するものにして刑事訴訟法第百二十三条第二の法律に違ひたる不法の判決なりと云ふに在りて◎証明書三通呈出するも上告審は第二審を経由せし一件記録に就き事実点に関し調査することなきにあらざるも新たに呈出する証拠物に付、事実の審理を為すべきものにあらず。
(判旨第四点)
右の理由に依り刑事訴訟法第二百八十五条の規定に従ひ判決する左の如し
本件上告は之を棄却す
明治二十八年十一月十四日大審院第一刑事部公廷に於て検事岩田武儀立会宣告す