論説
刑罰に關する新學説に就て(3)
佛國内務省政務總監 述
譯
刑事裁判の無效能なることは乞丐及ひ浮浪の廢減に關して取別け顯著なる事實となれり、立法者は效能無しと見ゆる所の行政處分に依頼せしや、現時慣用の語を以て形容すれば既に業に今日は破産の宣告を下されたるなり、乞ふ其理由を探究せん、抑も乞丐を罰する所以のものは疑もなく浮浪禁止の目的を有效に逐行せんか爲めに外ならす是を以て若し乞丐にして刑法の明文中に規定せらるゝこと勿んは正當に宥免すへきの行爲なり赤貧者は地方の公共的慈惠を涸渇せしめさらんか爲に乞憐の場所を變更すへきことは固より當然の事に非すして何そや、實際に於ても刑法第二百七十一條と第二百七十四條との區別は被告人の何人なるやに基くものに非すして之を逮捕せる官吏の資格如何に困る者なり、憲兵は浮浪者を引致す何とれは途中に於て乞丐に遭はされはなり、地方警察官吏は乞丐を羅致す、大道の樹木は恩惠を施さす、街路は何處も徘徊者を以て充され、而かも此等の徒は常に直接に第二百七十條の要求する證明を提供すること能さるなり、市中は餘りに浮浪者を以て填められつゝあり、此説は監獄協會に於て主張せられたりしか最大中央市に就て言ふときは餘り絶對に過くるの嫌あれとも、何人も刑法か同一の人を其兩疑に於て處罰せる規定あることを否認すること能はさるへし、今其最も明瞭なる證據を示せは刑法第二百七十七條より總則の末節に於て之を罰するの規定あること是也、然れとも近來の傾向に徴すれは乞丐と浮浪との區別を認むるにあるものゝ如し、而して是千八百八十五年三月廿七日の法律に於て事實として顯れたりドページユ氏は其著「再犯法註釋」に於て此點に關して詳細なる沿革的説明を與へられたり、浮浪の傍に乞丐を附添せる草案の規定を最後の討議に於て苅除せしは盖し上院の爲せし所なるへし
市内の乞丐は追放に關して特權を有す、此種の乞丐は寺院、公園又は鐵道停車場に場所を有し、住居を構へ、資本を具へ、又雨天なるか馬車滿員なるか將た石路の滑へり易きときには仕事場に赴くに乘合又は賃貸馬車に乘るの有樣なり、是れ决して追放すへき者に非さるや疑なし
救貧員に收容することに就ても亦最初より同樣の區別を認められたり、「ジヂオン」救貧院は千七百八十七年に於て主としてシヨワズール公の力に頼て創立せられたり、此時代に於ては世人は「マリー、ド、メジシ」養老院あるを知るのみなりき爾後該養老院はルイ十四世の時代に@038791;て一般的病院の組織に改められたり、此三個の設備の間に存する差異を攻究するは却て繁に過くるを以て之を略す唯王家の行政府か特殊の方法を以て輿論の爲めに覆りたる設備を再興することを勉めさりしは頗る惜むへかりしか、革命時代の諸法律を以て公共工場の設定、詳言すれは公開勞働と多數救貧院の一定の指揮の下に於ける合一とを規定せしか爲、に貧救院は遂に其跡を絶ち、千八百七年に至りて「ジヂヨン」救貧院は其門戸を閉鎖せり、其代りに懲治場の設立を視るに至り、「ジヂヨン」行政部は斷然總ての處刑者を遠け、在來の救貧院を以て赤貧者の職業學校に充用せり、爾後一年を經て千八百年七月九日の布告は此等の設備に當初の禁壓的性質を囘復せしめんか爲に如上の救助主義を抛棄せしめたり、刑法に合體せられたる千八百十年二月廿六日の法律發布の際までは、乞丐は千六百八十五年の敕令に明言せるか如く何等の方式も訴訟手續も經由することなく行政處分のみにて處斷せられたり、總て乞丐は不具者と雖も救貧院に送致せられ、唯浮浪的乞丐のみ裁判所に引致せられたりしなり右の場合に於ては、浮浪は乞丐罪の加重の原因を爲すなるへし、乞丐は或條件の下に於て宥免せらる、即ち救貧院なきとき偶然の所爲に出てたるとき不具者なるとき是なり、然れとも實際は此制度に反證を提供しつゝあり、移轉方法の便宜、内池旅行券の廢止、監視制度、救貧院收容并に封書の制は、以て浮浪者か乞丐に非すと自稱するの妨碍と爲るものたり、何人も通行者に對して政府の保護を受くるの要なし然れとも萬人は殆と歩行する能はさる程の乞丐に對しては大聲疾呼以て其保護を要求せり(未完)