講談
町奉行跡部甲斐守
口演
速記
第四十席
申し上ます只今御着のお客樣よりお遣ひ物で厶います恭々しく差出す嘸悦ぶと思ひの外三味線の手を止て 染「ヲア爾何です花川戸鈴木、マア氣障ナ奴だ事、鳥渡倉どんお廢ヨツケなぞは、又來たノヨデレ介が、熱海まで追てくるとは思はなかった番頭さん此デレ介が何時來たノデす 番「ヘヱヘヱ鈴木デレ介樣は只今お着になりました、之を聞て一座ドツト笑ふ、番頭は賎き藝者がヨモ惡口とは思はず名前をデレ介と承知なしたるのと見へる 染「鳥渡番頭さん爾云つて返して下ださいヨ、御親切は有難ひけれども熱海は海の端ですからね、鯛や比良目は乞喰でさへ惣菜に喫て居りまする、之が海坊主だとか鰐鮫だとかチヨト變つたお魚なれば喫て見度と云う氣もあるけれども、拜見したばかりで澤山ですとコー云つて返して下ださい、序に今迄の勘定を附にして持て來て下ださい厄介だよ本統に宿移をしやう、ねヱ鳥渡倉どん 倉「左樣でゲスナ御身分と云ひ御器量と云ひ黄金を山なる鈴木樣をイヤニピンシヤンお刎なさるが俺等には理由が不分解、一體ならスヾキが溌〓が普通だノに正反對に小染姐さんが刎るのは實に面白狸の背中チヤンギリ、併し宿替なら藤屋が宜ふ厶いませう 染「若衆せん省くして下ださいヨ、急立られて據なく帳場より會計書を持てまゐると直に五人は宿替をする、かゝるべしとは露しらずで客子如何にと待居る藤吉郎若衆は兩手を〓 ○「申し上ます二階の姐さんの有仰たには、熱海は海に近き故鯛や比良目のお魚は云はゞ乞喰の總菜同樣、之が海坊主だとかワニ鮫だとか名前を聞ても見た事のない、珍いお魚なら喫て見ても可けれども、思召は有難ひが返して下ださいとの事で厶います、夫にアノデレ介は何時お出になつたと有仰いましたから、デレ介の且那樣はタツタ今御着だと申し上げました 鈴「コレ待てデレ介の旦那とは ○「小染さんがデレ介の旦那と有仰たので厶います 鈴「馬鹿を云へソンナ名前があるか ○「ヘヱヘヱ高が藝者風情で立流なお武家を惡口するとは驚き入つたもので厶います、驚き入つた思ひ出した雁が歸れば燕とやら旦那樣がお泊り下だすつたら二階の御連中は殘らず藤屋の方へお宿替で厶います、次の間に聞入手先連は目引袖引 ○「ヱイコラ其麼だヱ又お出なすつたゼ之じやア親玉も閉口したらう、何と云ふかと顏を覗けば鈴木はハタト膝を打 鈴「ウン泥中の蓮瓦中の玉とも云ふべき大見識の津の國屋小染、優い中に凄味を帶び賎ひ中に見識を有、遖れ遖れ爾が夫では我々も藤屋へ宿替をするから萬望若衆案内を頼むぞ ○「ヘヱヘヱ夫ではまるでお客を玉なした 鈴「彼是申すナ ○「ヘヱー畏りました、直に跡を追欠ますと今藤屋の見晴り能二階に合李を擴げて衣紋懸を借受浴衣なぞにサボさんとしなゐる時に、欄干に手をかけ見張をして居た浮世玉八あはたゞしく其處へ來たつて御注進と演劇の眞似をする倉吉は 倉「あはたゞしい何事じや 玉「さん候大手に控へ物見仕り候處藤屋の表に人馬の物音かしましく偖てそ敵の逆寄と思ふに違はず鈴木樣の同租今大手より藤屋を目懸犇々と押寄まして厶いまする、傍に聞入小染が驚き 染「玉どん本統かヱ 玉「ヘヱーお出になりました 「染「マアしやうがないねお茶代を遣て直に宿替をしてしまほふ、女中を招で茶代を遣直に引移り其先は菊屋、スルト藤吉郎は之へ參つて奧の上檀に座を搆へ 鈴「アー若衆先刻本陣の渡邊から宿替をして參つた五人連の客があるかへ ○「ヱー鳥渡お出あそばして何が御意に入らないか直に菊屋さんへ宿替で厶います 鈴「ウン左樣か我々が來ぬ先か ○「イヱ旦那樣の御同勢がお這入あそばしたトタンで厶います 鈴「ハテ強情な奴だ我々も當家に厄介にならうと思つたが氣の毒なれど直に菊屋へ宿替をするから何卒案内を頼む ○「へヱ……若衆は興醒顏帳場へ何程かの茶代を遣つて直に跡を追欠る其日の中に四軒の宿替流石の小染も困じ果モー仕方がないから倉どんも玉どんもね妾は夜立をするヨ 倉「爾ですか 染「アノね函根に行かふじやないか 倉「宜ふ座いませうが夜立と來ヤア堪へるナツ、身體はビツシヨリ夜露で濡り狼の遠吠だの貍の腹皷なぞを聞せられちヤア、幾程江戸子でも驚きやすね 染「何ソンナ事があるものかね早くしておくれヨと駕け一挺頼み大急ぎで熱海を出ましたは彼是夕方の六ツ半頃駕の左右に附四人 玉「お崎どん足が痛ヱだらう 崎「然し私は若ひ時分隨分田舍を荒したから足は思ひの外達者ですヨ 玉「ソイツは剛氣だ。俺等は口は達者に喋るけれども足と來た節にヤア、實に評判の弱蟲ヨモー太ツラ脛が痛くなつて來キヤがつたオイオイ見ねヱナ、霧が一濃立篭て何だか先が見へやしねヱや、山谷に響く遠寺の暴宮本武藏と關口彌太郎何か居やアしねエか狼が出たら宜敷頼むヨオイ倉とん、倉吉は手拭て鉢卷をしながら 倉「ベラボーニ弱い事を云ひなさんナ、市村座の留場で喧嘩の倉と云つちやア八百八町で知らねエ者は知らねエし、朋友は知つてゐるンダ安心しねーヨ 玉「知らねエ者は知らねエなぞは恐入つたね知つて居る者は知つてゐるだらうヨ知るも知らぬも逢坂の關だ 倉「之から先は根府川の關所だ夫は可がモーソロソロ夜が明さうなもんだナ 駕「モシ親方鷄が鳴て居ます 倉「ウン鳥が鳴のは逢坂の關だろう時に若衆根府川にはお茶屋があるかエ ○「夫は厶います臺に三河屋と云ふのが名代の茶屋です 倉「爾か早く夜が明やアガれ、何時までも星が光つて居やアガるんだ無体癪にさわるナ 玉「オイオイ倉さん見ねエ東がズツト白んで來たナ 倉「アレ有難ひと云ふ中に夜が明放れる鷄の聲根府川の臺の三河屋へ參りました