論説
庶子及ひ私生子の相續順位に就て
宇都宮地法裁判所判事
衆議院議員持田直氏は、民法第九百七十條第一項第三號に左の但書を加ふるの改正法律案を衆議院に提出し、
但父婿養子なるときは女と雖も之を庶子より先にす
去る十二日を以て其理由を説明し、直に特殊委員に付托せられたりと聞く、而して其理由の要旨は、例へは父か家附きの娘のある所へ婿養子に入りたる者にして、其正妻即ち家附きの娘との間には女子を擧け、別に隱し女を置きて之に男子を生ましめ、其男子を認知して庶子となしたるか如き場合には、現行法の定めたる相續順位に依るときは、祖先の系統を承け居る所の嫡出女子は相續するを得すして、却て庶出の男子か其家督を相續するに至り、痛く我國の風俗人情習慣に悖るのみならす、其結果正當の婚姻を無視し、社會の道義を壞亂するの恐れあるを以て、此弊を杜絶せんか爲めに右の如く改正せんと云ふの在るか如し(宮報速記録に依る)、
吾輩も亦夙に持田氏と同一の感を懷く者にして、明治三十二年七月發行の日本辯護士協會録事第二十三號の紙上に於て、民法第九百七十條の修正説と題し、嫡出女子の相續順位は之を庶出男子より先にするの至當なる所以を論したることありしか、三年後の今日に至て之れか議會の一問題となりしを見ては、空谷跫音を聽くの概なくんはあらさるなり
按するに民法第九百七十條は法定の推定家督相續人の順位を定めたるものにして、其第一項第二號を以て男子は女子に先たつとの一般の原則を定めたり、是れ男系を重んする我國普通の習慣を採りたるものにして必すしも不可なりとせす、而して其例外(即ち女子か男子に先たつ)としては第四點の規定あるに過きす、其成文に曰く
親等の同しき嫡出子、庶子及ひ私生子の間に在りては嫡出子及ひ庶子は女と雖も之を私生子より先にす
と、故に女子か男子に先たつて相續順位を得るは僅に其男子か私生子なる場合、即ち之を細説すれは被相續か女戸主にして、(一)嫡出か女子にして私生か男子なるとき、(二)庶出か女子にして私生か男子なるとき、二箇の場合のみに限り(而かも(一)の場合は正當なるも(二)の場合は不當なり)、其他の場合には總て男子は女子に先たつとの一般の原則に從はさるへからす、故に
嫡出か女子にして庶出か男子なるとき
は一般の原則の適用に依り庶出男子か家督を相續すへきは言は待たす、是れ現行民法の解釋上一點の疑を容るゝの餘地なきものにして、若し之に疑を容るゝ者あらは、そは奇を好むの徒にあらすんは法律を解釋するの能力なき者、若くは法律より生する結果の不當を恐れて立法の權域を犯さんとする者に過きさるなり、
是に由て之を見れは、現行民法の下に在ては、庶子の相續上の地位は嫡出子と全く同一にして毫も讓る所あらさるなり、夫れ庶子なるものは父の認知したる私生子の名稱なるを以て、其實は私生子の一種に過きす、即ち婚姻外に於ける男女の私通に因て生れたる背徳の一塊に過きさることは、庶子と私生子と寸毫も擇ふ所なし、故に婚姻制度を認めさる社會に在てはいさ知らす、苟くも婚姻制度を認めたる以上は、法律上に於ける庶子の待遇は私生子と同一とすへきものにして、嫡出子と同一の優遇を與ふへからさるは、必すしも論理道徳の講議を聽いて後に知らさるなり、然るに現行民法か嫡出子と庶子とを同一視し、庶子に多大の優遇を與へたるは不當の極にして、之れか爲に正當の婚姻を無視し、隱然私通を曲庇するの嫌ひあり小にしては一家の平和を破り、大にして善良の風俗を紊り、延ひて社會の組織上に大なる惡影響を及ほすへきは明かなり、持田氏は之を憂慮し之を防遏せんとして、右の改正案を提出せられたるものなれは、吾輩は同氏の心事を多とせさるを得さるなり、
然れとも右の改正案か單に父の婿養子なる場合のみに限りたるは、稍々狹隘に失することなきか、何となれは此外にも持田氏の憂慮せるか如き惡結果を生すへき場合尠少ならされはなり、又は持田氏は婚姻の重んすへきことを言へなから、單に家附きの娘に婿養子を爲したる場合のみを見て、家附きの忰に嫁を娶りたる場合に及はさりしは、聊か偏頗の沙汰にはあらさるか、吾輩をして有體に之を言はしめは、持田氏の改正案は其精神の極めて善美なるに拘らす、其内容の餘りに偏隘に過くるを以て、吾輩は今一層之を擴張するの必要なると信するなり、
然らは如何なる程度まて之を擴張すへきか、
吾輩は此點に答ふるに先たち試に種々なる場合を想像して右の一表を得たり、
▲被相續人か男戸主の場合
(1) 戸主は家附きの忰にして、嫡出は女子、庶出は男子なるとき、
(2) 戸主は婿養子にして、嫡出は女子、庶出は男子なるとき
(3) 戸主は入夫にして、嫡出は女子、庶出は男子なるとき、
(4) 嫡出子なく、庶子あるとき(戸主は右(1)(2)(3)の何れにても可なり)
(5) 嫡出子なく、庶子なく、戸主の妻の私生子あるとき(戸主同上)
▲被相續人か女戸主の場合(此場合は夫は入夫なるを常とす)
(6) 嫡出は女子にして、夫の庶子は男子なるとき、
(7) 嫡出は女子にして、夫の庶子なきか若くは庶出か女子、女戸主に私生の男子ありとき
(8) 嫡出子なく、夫の庶子と、女戸主の私生子あるとき、
(9) 嫡出子なく、夫の庶子なく、女戸主の私生子あるとき
(10) 嫡出子なく、女戸主の私生子なく、夫の庶子あるとき、
(民法上に於ては庶子と云ふは父の認知したる私生子にして、單に私生子と云ふは母の私生子を指す、而して父の方に私生子なく、母の方に庶子なし、然るに茲に夫の庶子、妻若くは女戸主の私生子と云へしは分り易からしめんか爲めに過きすして別に意味あるにあらす)
右各箇の場合に於て何れの子に其家督を相續せしむるの尤も正當なるかを一考せよ、吾輩は(1)(2)(3)(9)(7)の場合は何れも庶出若くは私生の男子を差置きて嫡出女子をして相續せしむるを正當と信す、是れ他なし、庶子若くは私生子よりも嫡出子を厚く庇護するは、婚姻の神聖を擁護し社會の風紀を維持する所以なれはなり、然るに現行民法の規定に依るときは、僅かに(7)の場合か吾輩の希望に滿つるに過きすして、(1)(2)(3)(6)の場合は何れも庶出男子をして相續せしむるの不都合を生す、靜思せよ、女戸主と雖も戸主たる以上は其家の主宰者にして男戸主と擇ふ所なく、而して其夫は他より入り來りたる者に過きされは、飽くまて男系主義を一貫せんと欲せは、(7)の場合に於ては女戸主の私生男子をして相續せしむへきにあらすや、然るに現行民法は之を敢てせす、嫡出女子をして相續せしむることゝなし、男系主義に一の例外を設けたり、是れ婚姻の貫ふへく私通の卑しむへきか爲にあらすや、然らは私生子の一種なる庶子に對しても私生子と同一の待遇を爲し、(1)(2)(3)(6)の場合に於ても宜しく庶出男子を排斥し嫡出女子をして相續せしむへきは極めて正當なりと云はさるへからす、殊に(6)の場合の如き戸主に系統上毫末の關係なき庶子をして女戸主の家督を相續せしむるは暴〓亦甚しと云はさるへからす、吾輩を以て之を見れは、庶子を以て女戸主の推定家督相續人と定むるか如きは、女戸主に一人の嫡出子たもなき場合にても尚ほ十分に非難の餘地あるものと信す、况んや女子にもせよ嫡出庶子のある場合に於てをや、且又家附きの娘に入嫁又は婿養子を爲したる場合と家附きの忰に嫁を娶りたる場合と、其婚姻の重んすへきは一なるを以て、前の場合に嫡出女子を厚遇するの必要あらは、後の場合にも亦同しく嫡出女子を厚遇せさるへからす、母親の腹は借り物なりとの俗諺は未開時代の舊思想にして、今日の時勢は立法府の代議者をして有妻の夫の姦通を罰するの必要を叫はしむるまてに進歩したることを知らは、前後二ケの場合は何れも同一にして其間毫も逕庭なきことを知るに足らん、故に吾輩は(1)(2)(3)(6)の場合に於ては何れも庶出男子を排斥し嫡出女子をして其家督を相續せしむることに改正せんことを欲するなり、然るに持田氏の改正案は僅に(4)の場合のみを改正せんとするに過きす、是れ吾輩か持田氏の改正案を喜ふに拘らす偏隘の嫌ひありと論評したる所以なり、
(4)及ひ(9)の場合は何れも嫡出子なく、而かも戸主の血を分けたる庶子若くは私生子あり、之をして相續せしむるも婚姻を無視するの嫌ひなく、却て其家の血統を永續するの利益あるを以て、此場合に於ける現行民法の規定は至當なり、
(5)の場合は現行民法に依れは、男戸主と其妻の私生子との間には何等の親族關係なきを以て、妻の私生子は男女に拘らす男戸主の相續を爲すの資格なきものとす、是れ亦至當の規定たるを失はす、之を反して父の妻と父の庶子との間には嫡母と庶子との關係を生し、其關係は親子と同一の親族關係なり(民法七二八條)と定めたるを以て、(8)の場合に於ては夫の庶子は男女を問はす女戸主の私生子に先たつて女戸主の家督を相續することゝなるへし(民法九七〇條一項四號參照)、是れ果して立法の當を得たるものなるや、吾輩は大いに之を疑ふ蓋し家督相續の本旨は其家の系統を永遠に傳ふるに在りて、其系統は形容の語を籍りて言へは戸主之を代表するものとす、故に戸主の系統を承けたる者をして相續せしむるは家督相續の本旨に適するものと云はさるへからす、而して庶子と私生子とは均しく婚姻外の私通に因て生れたるものなれは其間に毫も優劣なく、從て一は戸主の血を承け一は然らすとせは、宜しく戸主の血を承けたる者をして相續せしめさるへからす、然るに現行民法は女戸主の系統を承けたる私生子あるに拘らす、之をして女戸主の相續を爲さしめす、却て系統上女戸主と何等の關係なき夫の庶子をして女戸主の相續を爲さしむ、家督相續の本旨に反すること亦甚しからすや、殊に(5)の場合に於て妻の私生子に男戸主の家督を相續するの權を與へさるを至當とせは、(8)の場合に於ては夫の庶子に對して女戸主の家督を相續するの權を非認するを至當とせさるへかす、故に吾輩は(8)の場合に於ては男女に@011865;らす女戸主の私生子を以て女戸主の推定家督相續と爲さんことを希望するものなり
(9)の場合に於て女戸主の私生子を以て女戸主の推定家督相續人と爲したる現行民法の規定は至當なり、
(10)の場合は恰かも(5)の場合と同しく、夫の庶夫に女戸主の法定の推定家督相續人たる資格を與へさるを可とす、而して此二ケの場合に於ては被相續人に於て其配偶者に對する愛情を其子に推移し、特に之を以て家督を相續せしめんと欲せば、之を相續人に指定するの途あるを以て、實際上事に妨けあることなし、然るに現行民法か(10)の場合に於て夫の庶子を以て女戸主の推定家督相續人と爲したるは、干渉其度を過くるの誹を免かれさるものにして、是れ亦改正の必要あるものと信す、
之を要するに我國に於ては古來家を思ふの觀念最も強く、從て系統を重んするの風習を生し、而して封建時代に於ける武門の制度は更に男系を尊ふの習慣を馴致し、因襲の久しき以て上下一般の俗を成したるものなれは、此等の習俗亦固より之を尊重せさるへからすと雖も、婚姻の神聖は更に一層厚く之を擁護させるへからす他なし、婚姻は一家平和の源泉にして社會組織の基礎なれはなり、故に家督相續の順位を定むるに付ては、先つ以て系統主義を基本とし、而して婚姻の神聖を侵さ〓る限度に於て男系主義を加味せは、庶幾くは大過なきを得んか、吾輦は現行民法に定めたる男系主義即ち男子は女子に先たつとの家督相續上の原則を是認せるに拘らす、以上述へたる幾多の例外を設けんと欲するものは必竟之れか爲に外ならさるなり、
然らは、現行民法を如何に改正すへきか、
吾輦に一案あり、敢て之を公表し世上識者の教を乞はんか、即ち民法第九百七十條第一項第四號を左の如く改正するに在り
親の同しき嫡出子庶子及ひ私生子の間に在りては嫡出子は女と雖も之を庶子扱ひ私生子より先にす但庶子は女戸主の推定家督相續人と爲ることなし
此案は庶子と私生子とを同一の地位に置きたるを以て、前に論述したる(1)(2)(3)(6)(7)の場合は何れも嫡出女子か相續することゝなり、但書を加へて庶子の女戸主に對する相續權を否認したるを以て、(3)及ひ(10)の場合に於ける現行法の不都合を除去することを得へし、
然れとも、立法の事たる極めて至難にして、甲の是とする所必すしも乙の是とする所に一致せす、今日 至當と信したるものも明日其非を悟ること亦尠しとせす、吾輦の案亦何れの之を指摘せられんこと是れのみ
抑も本問題は至て簡單なるか如くなれとも、其關係せる所は極めて廣く、社會組織の上に至大の影響を及ほすへきものなれは、經世家の輕々看過すへからざる一大問題なりと信す、而して今や衆議員に在ては特別委員に付托せられ、正に審査中に屬するを以て、吾輦は委員諸氏か熱心に、精細に理否の存する所、利害の繋る所を攻究し、不當なる現行民法に適當なる修正を加へられんことを熱望するのみならす、更に貴衆兩院議員に對しても均しく之を熱望する者なり、(二月十六日稿)