寄書
◎民法第七百四十九條の離籍に就て
戸主か家族の居所を指定し且つ轉居の催告を爲したる場合に於て之れに應せさる法定の推定家箱相續人に對して戸主は他の家族と同樣に離籍權を行使することを得るや否やの問題は目下我法曹社會に於て囂々嘖々未た歸一せざる一大問題なりとす今其學説の據る所を見るに或は家族の解釋を楯とし或は家族中法定の推定家箱相續人の特權を根據とし或は法定の推定家箱相續人には一家創立を許さゝるを理由とし或は戸主權に關する規定と他の法定の推定家箱相續人に關する規定とは全然獨立して行はるゝを論據と爲すものなり如斯學説多岐なるも之を大別すれは積極消極の二説に歸着すべし今其重要なる學説に付て要領を擧くれは左の如し
(一)消極説 戸主の居所指定權に基く離籍に關する裁判は之を法定の推定家督相續人に適用することを得す蓋し法定の推定家督相續人は第七百四十四條の規定に依りて他家に入り又は一家を創立することを得さるものなるに若し戸主にして離籍權を行使せんか其結果は一家を創立せさるを得す隨て同條の規定に抵觸すべく殊に同條第二項に於て家族か戸主の同意を得すして婚姻又は養子縁組を爲したる場合(第七百五十條)に於ける離籍に付ては其適用を妨げさる旨の例外的規定を置きたるにも拘はらす本問の場合に付ては何等の規定なり是れ畢竟兩者其性質の異なるにより立法者は本問の場合に付ては戸主權に基く離籍の制裁を認むるに忍ひすと爲したるに在り要之法律は法定の推定家督相續人以外の家族に對してのみ戸主の離籍權を認め獨り法定の推定家督相續人に付ては第七百四十四條の原則に依りて支配せしむるに在り
(二)責極説戸主は居所指定に應せさる家族に對しては未成年者を除き其以外に於ては如何なる身分を有する者に對しても離籍を爲すことを得へし蓋し戸主の居所指定權に服せさる家族に對して行はるへき制裁は扶養義務を免かるゝことゝ離籍との二なり而して此制裁は戸主たる權利に基きて行はるへきものなるか故に苟も其戸主の家族たるものは法定の推定家督相續人たると否とを問はす一樣に行はるへきものなり若し其制裁を一樣に認めさるの立法の精神ならんには法律は未成年者に付て例外を設けたると同一に之を明示せさるへからす然るに法律は之れに付て何等明規する處なし法文の之を明示せさる所以のものは該制裁を家族に對して同一に行ふべきことろ期位たるものと云はさるへからす若し夫れ消極説の如く法定の推定家督相續人に對して行ふべからさるものとせは戸主に與へたる監督權は半ば有名無實に歸すへく加之第七百四十四條第一項は法定の推定家督相續人の故なく其家を去ることを許さゞるの精神にして特別の原因に依る離籍を禁するの趣旨に非す又同條第二項は注意的規定に屬し偶々此規定の存在すれはとて之を以て反對論法を試むるに足らず要之法定の推定家督相續人と雖も他の家族と同しく之を離籍することを妨けすこと
以上の二説は目下我法曹社會に於て互に相對立して唱導せらるゝ學説の概要なり冒頭に一言したる稻族の解釋に重きを置くの説は積極的に歸り法定の推定家督相續人の特權を根據とするものは消極説に屬す故に余輩は今煩を避くるか爲め前二説に付て何れの解釋か當を得たるやを評論するに際り併て論すべし
熟ら民法第七百四十九條の規定を按するに其第一項に於ては居所指定に關する戸主對家族の服從關係を規定し以て戸主の監督上の權利を示し其第二項に於て扶養義務の免脱に關する制裁同第三項に於ては即離籍に關する制裁を規定し以て戸主權の威力を示したり而して離籍の場合に付ては未成年者に付て例外的規定を置きたるにも拘はらす法定の推定家督相續人に付ては何等の明文なり此單純なる規定は親族編の首位を占むる而かも第一節總則中第七百四十四條の規定即法定の推定家督相續人は他家に入り又は一家を創立することを得すとの規定の效力に依りて制限せらるゝものなりや將た全く獨立的規定なるや兩説の岐るゝは偏に此點に存す若し夫れ前段の解釋を採るときは消極説起るべく又後段の解釋を用ゐるときは積極説を生すへし而して何れの解釋か當を得たりやは容易に决定すべからすと雖も余輩は寧ろ後説即積極説に左祖せんと欲するものなり乞ふ左に其理由を開陳せん抑民法上家族制度を認容し戸主を以て一家主宰の任に當らしむるは恰も一國主權者の臣民に對する權力關係の理と毫も異なる處なし一國主權者か其國の安寧秩序を維持し臣民の幸福を増進せしむるか爲めに臣民に或る義務を負擔せしめ之れか實行上或る制裁を加ふるの必要あると一般一家内に於て戸主か其家團安寧を保持するか爲めには其家族に對する服從關係を認め之れか威力を示し依て以て或る不逞の家族に對して制裁を加ふるの必要あり而して一國主權者の臣民に對する權力關係か臣民の一般に對して行はるゝと同しく戸主の家族に對する主宰權も其家族の身分の如何に依て異にすベき理由なし此理を推して考ふれは積極説は寧ろ家族制度の大本に添ひ法律の眞意を得たるものたることを知得するに難からず然るに消極論者は曰く法定の推定家督相續人は既に第七百四十四條の原則に依りて他家に入り又は一家を創立することを得さるものなるに若し戸主にして法定の推定家督相續人に對して離籍權を行使するに於ては其結果は一家を創立せさるを得す即離籍は一家創立の原因たるか故に法律か明に除外せさる以上は戸主權の行使を制限するものと解せざるべからずと論せり然れとも余輩を以て之を見れは第七百四十四條は法定の推定家督相續人の義務を規定し反之第七百四十九條は戸主の權利を規定したるものにして互に相容るゝものに非す加之第七百四十四條は法定の推定家督相續人は假令戸主の同意あるも他家に入り又は一家を創立することを許さゝるの精神にして或る特別の原由に依る戸主權の行使を禁するの效力を有せず殊に離籍は戸主か家族に對して其家籍を離脱せしむる行爲なれは戸主か其權利を實行したる以上は被離籍者は既に該家の家族に非す果して然らは從來戸主の家に法定の推定家督相續人たる身分を有せし家族と雖も離籍當然の結果家族外のものとなり之れと同時に法定の推定家督相續人たる身分を喪失するものなるか故に離籍後に於て尚ほ法定の推定家督相續人たる資格を保有するか如く論するの非なると同時に家族外のものと爲りたる結果か一家を創立するに外ならざれば本問の場合に於ては第七百四十四條の適用なしと論するは寧ろ解釋の正を得たるものと云ふべし或は第七百四十四條は法定の推定家督相續人の特權を認めたるものなるか故に若し戸主權の作用に依りて制限を加ふるに於ては戸主は恣に相續人を左右することを得るの結果家族間の平和は之か爲めに破らるゝに至らんとの理由を以て消極説を主張するものあり然れども何故に法定の推定家督相續人の特權は戸主か家族關係上必要なる監督權の行使を制限してまで之を認めさるべからざるや殆んど解すべからさるのみならず前に述へたる如く戸主權は一家の利益を保維するに必要なるか爲めに認めたるものなれは若し戸主にして其の權利を行使し得さるに於ては却て一家の平和を維持し得べからずと云ふを自然の論决とす故に此説も到底採用することを得す要之第七百四十四條は現在法定の推定家督相續人たる身分を保有する者は假令戸氏の同意ありとするも苟も本家相續の必要に出つる場合の外は他家に入り又は一家を創立することを得さるものとし以て法定の推定家督相續人の義務を明示すると同時に其裏面に於て法定の推定家督相續人は他の家族と稍々異なる權利あることを暗示したるに過さす又同條第二項は注意的規定に外ならさるか故に本問の場合の如く特別の原由を有する戸主權の實行は同條に關係なく獨立に行はるべきものと解釋するは寧ろ立法の精神に適するものと云はさるへからず是れ余輩か積極説に左祖せんと欲する所以也
終に莅み一言を附せんに本問の實際例は積極説としては司法省民刑局長の戸籍吏の伺に對する囘答(明治卅一年十二月十四日の囘答を初め)あり消極説として大審院の判决例(明治卅二年オ第二三五號仝年九月十八日民第一部判决)あり如斯第七百四十九條は兩樣に解釋せらるゝ戸籍吏の實際上の取扱も區々なるに至るは蓋し勢の然らしむる所なり立法の目的茲に至て殆んと不能に歸すべし是れ宜く修正を要すべき點ならん論者或は曰はん法の欠點は解釋力に依りて補ふべし若し夫れ多少の欠點を理由として修正を唱ふに至らば遂に底止する處なけんと此言寔に然るものあるを知る然りと雖も之を前述の弊害に顧み又昨年修正せられたる抵當權の效力に關する第三百七十四條に鑑み彼此比照せば本條に關する修正の必要は遥に彼に優るものあるを信す是れ敢て一言を附し以て當局者の注意を乞はんと欲する所以也