論説

不敬罪に就て
大審院檢事法律學士 古賀廉造
栃〓田中正造一たび鹵簿を冒さんとしてより世上不敬の語に付云爲する所一にして足らす記者は一日古賀大審院檢事を其寓に訪ひ叩くに不敬罪の意義如何を以てす君立ところに之れを辯す君か本邦に於ける有數なる刑法學者にして其所論の奇拔なることは江湖普く識る所なるも本論の如きは更に其趣旨の正確なるを覺@069474;(一記者識)
皇室の尊嚴之を犯す可からさることは、尚ほ一個人の名譽を毀損する行爲(惡事醜行を摘發するに限る)を誹毀罪と謂ひ。官吏の職務上の名譽を毀損する行爲(言語文章形容の方法を以てするに限る)を辱侮と謂ひ、皇室の尊嚴を犯すの行爲(制限なし)ろ不敬罪と謂ふ刑法は 皇室に對し、特別の尊嚴を保護せんと欲し皇室に對する犯罪中第百十六條及第百十九條の規定を設くるに至りたるなり。
抑も不敬罪とは、如何なる行爲を云ふか、不敬の語、其意義汎博殆と捕捉する所を識らさる也。不敬の解釋區々に出つるより實際の適用其困難を感すること屡次是れあり。刑法中、不敬の文字を用ゐし所二あり。其一は 皇室に對する不敬罪、其二は神佛に對する公然の不敬即ち是也。
刑法は何れの場合に於ても、不敬の義解を下すことなきを以て、其行爲の範圍を知る、實に難し、余を以て之を考ふるに不敬とは禮節を失ふたる行爲を云ふ。禮節とは、人か社會に對して行ふべき交際上の儀式を云ふ。それ人相集まりて一團を爲すや、必ず秩序無かる可からず、秩席を維持するには、各人の衡突を避けさる可からず、各人の衝突を避くるには、交際の圓滿を謀るに在り。乃ち交際の圓滿を謀る途、一に交際上の儀式に在りて在す。此儀式や、小にしては一身の客儀となり、大にしては一國の風俗となれり。人の容儀國の風俗は萬邦其揆を一にせすと雖も、種會の秩序を維持する上に至つては敢て異る所莫し。長幼の序と謂ひ、父子の親と謂ひ、夫婦の別と云ひ、朋友の信と云ひ、君臣の義と云ふ。其名異なりと雖も、是れ皆な交際上の禮節を形容したる名稱に外ならす。是故に社會に於て、圓滿なる交際を爲さんとするには、長者は長者の禮節あり幼者は幼者たる禮節あり、父は父の禮節あり、子は子の禮節あり、夫婦は夫婦の禮節あり、朋友は朋友の禮節あり、君臣は君臣の禮節ありて、貴賎上下悉く之に由らざるは莫し。我臣民か皇室に對し行ふ所の禮節其重大なるものを除きては、固より一定の規則に依りて之を定めたるものにあらずと雖も、古來より行はれたる慣習に由つて以て自から一定する所のものあり。若し其慣習に反し。故らに皇室に對し、禮節を缺く事あらは、其行延の輕重大小を問はす、悉く不敬罪を以て諭せすんばあるべからす今試に二三の例を擧けんに、若し皇室に非行ありとして、之を擧けて誹毀をなし、又は言語文章に由つて之を侮辱せんか、其不敬罪を構成する、固より論なし。陛下の敬稱を唱ふべき場合に於て、故らに殿下閣下を以てし、殿下閣下の敬稱を用ゆべき場合に於て、閣下足下の稱號を以てするも亦不敬の行爲に屬す。曾て露國の先帝、佛京巴理に遊ひし時、佛國前の下院長フロツケー氏、當時尚ほ一代議士の資格を以て、露帝に謁見し、陛下の敬稱を用ゐずして、故に足下と稱したる事ありき、露帝大に恚り、此人にして佛國に存在する限りは、露佛間の交際は到底温かなること能はさるべしと給はれたりしことありと聞く。敬稱の重すべき夫れ斯の如し。脱帽して敬禮を表すべき場合に於て、故らに脱帽せす、遥拜すべき場合に於て、故らに遥拜せす、通行を遮きり、鹵簿を犯すか如き、皆な不敬の行爲たらずんはあらず。或は、天皇其他皇族の皇影を汚辱し、或は之を毀損し、或は之れを蔑視するが如きも、直接の不敬行爲にあらするとも、其間接の不敬行爲たることは疑を容れさる所也。然れとも刑法は 天皇其他皇族に對する不敬行爲なあらさるよりは、之を罸せさるか故に、例令犯人の意思は、皇室に對して不敬を加@069452;んとするにあるも、行爲其者にして 皇室に對するにあらざる以上は、又た不敬罪を以て諭す可からす。皇室御慶事の際に於て奉祝又は天皇の萬歳を祝し若しくは御慶事を祝する等の文字ある〓額又は提燈を破壞する者あり、斯の如きは 皇室に對して不敬を爲すにあらすして、祝意を表し禮節を盡さんとするものを防碍するにあり、他人の敬禮防碍するの所爲は、不敬罪にあさるなり。刑法は不敬の行爲を爲したる者を罪し、未た他人の敬禮を防碍するものを罸するを知らさるなり。第二百六十三條第一項は神佛に對する公然の不敬を罸し、其第二項に於ては、故らに禮拜を防碍する者を罸するか故に、神佛に對する禮拜者を防碍する者は之を罸することを得べしと雖も、皇室に對する不敬に就ては他人の敬禮を防碍する者を罸するの明文なし。余は〓額又は提燈を破壞せる場合の如き、决して皇室に對する不敬罪を構成する者にあらすと信ず。