法曹叢談
烏の雌雄
一日東京地方裁判所休暇部は賭博被告事件の公判を開けり。裁判長は彼の東京市參事會員收賄事件の裁判長を以て有名なる、而も頃日冠を掛けて野に下り辯護士を以て立たんとするの色ありと稱せられたる羽生顯親君。立會檢事は元辯護士にして判事となり、非訟事件專門家として法曹界の一名物となりたる今の檢事青木洵君にして、其辯護人席に在るものは則ち爰二十余年の昔、同衙の未だ東京裁判所と呼ばれし頃檢事村井一英を以て鳴れる今の兒玉一英君也。孰を之れと花菖蒲、昔拉つた杵柄、口に覺へある人々なれば議論風生辯舌懸河、互に執つて相讓らず、端なく一場の問題は起れり。他なし被告人に一人盲目なるこれ也。彼は盲目にして博奕の社中に入り、能く誤まることなきかと云ふに在り。其論果しなければ裁判長は即ち職權を以て、醫師桐淵道齋を喚し、盲被告の視力を鑑定せしむ。醫の答ふる所に曰く其視力たる物の眼に觸るゝ許りの距離に於ては或は之を視得るも、席上に置ける賽の目は到底見る可からずと是に於て兒玉辯護士は機乘すべしとなし、頻りに無罪説を主張す。青木檢事又盛んに之を駁して其不當を鳴らして曰く、裁判所にして若し斯の如き證據方法を許すの方針ならんか、盲目は主觀的に賭博を爲すの能力なしとの結論を下さざるを得ず從來盲目にして而して能く賭博の親分たりしものあり、况んや其箇所の戲事にあらずして有名なる賭場たるに於てをや。若し斯の如き理由にして而して無罪たるに於ては、余は飽くまで上訴すべしと、其言方に熱せり。訟廷は斯くの如くにして閉せり。傍聽席に蛎殼町の親分福林あり、頻りに公判の進行に注目しつゝあるものゝ如し。既にして訟閉ぢ、其傍聽席を出るや人に語つて曰く「此頃は隨分警察官も旨く〓を謂ふやうだが、賭徒も亦從つて利巧になる、縱令は賭場へ巡査が二人踏み込むすると、其所に居合はしたものは、連中で極くだらない野郎を二人程迯けかけさする、すると巡査はこの二人に目を付けて之を押縛へて、諄々と取調を始める。其隙を見て一同が逃げ出すと云ふ樣になつた。此程も場錢は四百圓もあつた筈であるが、裁判所へ押收になつたのは百圓計りしかない。跡はどふなつたか譯が了らぬ、この頃は巡査が博場に踏み込むと、先づ場錢に手を懸けるやうだ……。」、記者乃ち謂らく誰か烏の雌雄を識らん哉。
馬城將軍の〓勇
久しく世人より忘却されたる場城將軍大井憲太郎君、今や再び昔日の勇を舊つて、馬を政界に進めんとする色あり。君會て籍を東京組合辯護士會に置くの日、一日彼の角石事件私訴上告辯論の爲め大審院に出頭し、滔々言はんと欲する所を云ひ盡し、既に己の辯論竭き、今や相手方の辯論始まらんとするに當り、君卒然席を離れて廷外に去らんとす。是に於て裁判長は之を制して曰く未だ審を了らず、而して辭なく其席を去らんとするは、固より法の許さゞる所、子夫れ何するものぞと、君仍ち徐ろに裁判長を睨し、且つ職服の裙を〓捲つて曰く「小便に行くのです。」と裁判長爲めに唖然。借問す君今日尚ほこの勇ありや否や。