論説
尊屬及び卑屬の名稱に就て
判事
我民法中親族及び相續の規定を通觀すれば直系尊屬、直系卑屬なる文字は或る種類の親族を指示する用語として所々な散見するのみならず單に尊屬てふ文字をも用ゐあるを見る(八三八)而して是等の文字は其内容の解釋如何に因りて相續權の有無扶養義務の存否其他各人權義の消長に至大の影響を及ぼすものあるに拘はらず民法は尊屬、卑屬の何ものたるやに付き一も規定の見るべきものなきを以て尊屬、卑注は總ての親族に於ける區別なりや將た獨り直系血族にのみ存する名稱にして傍系血族及び姻族に於ては此名稱を附すべきものなきやの疑問を生ず
此疑問に對する學者の見解は特に第八百三十八條に於ける尊屬なる文字の解釋に依りて明白に表はる同條には尊屬又は年長者は之れを養子と爲すことを得ずとあり所謂尊注とは直系尊屬即ち父母、祖父母等は勿論兄姉、伯叔父等從來の慣例に於て目上の恭族を總稱す而して兄姉を除く外父母と同世以上に在る者は皆之れを尊屬と稱すべし而して是れ單に血族のみに付て言ふに非らずして姻族に付ても亦同じきところなり(民法要義四卷二七八頁)とは多數學者の一致する所にして特に民法理由書は説明して曰く家督相續の上より見れば他人をして相續せしむるよりも親族をして相續せしむるを妥當とするのみならず叔父母にして却つて其甥姪より年少なることは實際に於て屡々見る所なるも尊卑の倫序を保持する爲め是等の者を養子となすことを禁じたるものなりと又た奧田學士の如きは直系親とは共同の祖先より一直線に下降せる血族にして其自己に出づる所の血族は之れを尊屬親と云ひ自己より出づる所の血族は之を卑屬親と云ふ卑屬親の最も近親なるものは子なり(同氏親族法論一五頁)と説明せるに拘はらず本條の尊屬てふ文字中には傍系親をも含むものと解し居れり是等多數の説に從へば我民法に於ては尊屬、卑屬の名稱は特か直系血族のみに限らず汎く傍系及び姻族にも存する名稱なりと會得するきが如く立法者が尊屬なる語に對し特に直系尊屬なる語を用ひたるは傍系尊屬なるものゝ存在を示めさんが爲めの用意と視るべきに似たり然かりと雖とも豫輩は未だ以て之れを信ずる能はず乞ふ聊か其理由を述べん
民法中傍系尊屬又は傍系卑屬なる文字一も存せざるのみならず假りに傍系にも尊屬及び卑屬なるものありとせば自己の兄弟姉妹又は從兄弟姉妹の如きは之れを尊屬なりとすべきか又は卑屬なりとすべきか或は是等の者は年齡に依りて尊卑の別を定むべきものなりと謂ふ者ありと雖も若し長幼の別を以て標準とせば實際に於て屡々睹るところの自己より年少なる叔父母の如きも之れを卑屬なりと謂はざるを得ざるべく其不理なる又た説明を俟たず果して然らば傍系に於ては結局尊屬にもあらず又た卑屬にもあらざる親族ありとの奇怪なる結論を生ずるの已むを得ざるに至らん
若し又た姻族にも尊屬、卑屬の稱ありとせば民法中解すべからざる條文を生ずるに至らん今其二三を擧れば父母は其子の配偶者に對しては直系姻族なり而して若し之れを尊屬なりとせば父母が子に對し子が父母に對する虐待、侮辱も亦た第八百十三條、第七及び第八に依り他の一方の配偶者の爲めに離婚の原因を成すものと謂はざるべからず何となれば此場合に在ては自己の血族なる直系尊屬としての父母は同時に配偶者の姻族たる直系尊屬にして同條に所謂配偶者の直系尊屬又は自己の直系尊屬とは配偶者又は自己のみの直系尊屬と解するを得ざればなり然れども血族たる親子間の虐遇は姻族たる配偶者に離婚を許す原因となるべきものにあらざることは直系尊屬より又は之れに對する虐遇を以て離婚の原卵と爲したる法律の精神に照して盖し明かならん又た扶養の義務に付ては直系尊屬は直系卑屬に先ちて扶養を受け之れに後れて義務を負擔するものたることは第九百五十五條及び第九百五十七條に規定する所なり然るに直系尊屬とは姻族をも含むものとせば夫は妻が實家に在る父母に對し其者の父母又は戸主に先ち扶ぴ義務を負はざるべからず而して若し其資力にして他を養ふに足らずんば自己の子を飢へしむるも之れを救ふに由なかるべし法の精神果して爰に在りや否や
更らに相續に關して之れを考究するに法定の推定家督相續人たるべきものは被相續人の家族たる直系卑屬なり(九七〇ノ一)謂ふ所の直系卑屬とは即はち被相續人の子孫の意義なることは九百七十條中親等の同じき嫡出子、庶子及び私生子相互間の順位を定むるのみにして是れ等のものと親等相同じき嫡出子、庶子又たは私生子にあらざるものとの順序を定めざるに依りても明かなり而して婚姻は以て親子の關係を生ぜしむるに足らず姻族たる嫡出子、庶子又は私生子なるもの存せずとせば同條の直系卑屬とは直系血族のみを意味するものとなすにあらずんば到底解し得ざるべく同一の理由に因りて第九百七十四條中の直系卑屬なる語も亦た姻族を包含せざるものと解せざるべからざるなり
飜て舊民法人事編第二十條第三項には「直系に於て自己の出づる所の親族を尊屬親と謂ひ自己より出づる所の親族を卑屬親と謂ふ」と規定しありて同條の親族中には同法第二十五條第一項に依り姻族を含まず知るべし舊民法は明かに尊屬、卑屬の稱は直系血族に於てのみ存するものなりとの原則を採りたることを而して凡そ新民法が舊民法中の原則を變更したる總ての場合には常に明文を以て之れを示すにあらずんば必ず理由書中に之れを指摘せるに拘はらず此點に付ては踐民法の規定を削除して其痕跡を留みざるのみならず理由書中第七百二十六條の下に説明するところに依れば其削除の理由たる注文を待つて後に辭るべきものにあらざるが爲めなりとせば其原則は敢て之れを否認したるに非ざるべし故に豫輩は立法の沿革に徴し法文相互の關係に鑑み尊屬、卑屬の別は直系血族に限り存するものにして傍系及び姻族に存せざるものなりと斷言せんと欲す而して是れ現行法解釋上の結論たるに過ぎずして絶對的法理の見解に非ざること勿論な遺とす濟々たる多士幸に叱正を吝む勿かれ