法曹叢談

石壷山人
昔と而して今
石山買入問題今や徹囘さるに至りたり、是れ固より其所にして市政の刷振を冀ふもの誰れか此醜惡問題を迎へん哉。頃者辯護士にして市參事會員の一員たる某氏其間の消息を漏らして曰く『市役所の失態は今に始めぬ事ながら今度の石山問題の如きは失態中の一失態と言はなければならぬ、市の直營にするの可否は暫く措き三萬七千五百圓といふ高價の物を買入るゝに其所有者の眞僞をも確めずして假契約を締結するとは言語道斷沙汰の限りである、理事者が公然市會に向て萬録山の持主は神田材木町の三崎芳之助といふもので市は同人と假契約をしたと立派に報告して居る然るに今其山の所在地なる伊豆國下田登記所に就て調査すると所有者は三崎にあらずして本所相生町の青木眞七といふ名義になつて居る、理事者は登記所をも調べぬものと見@069452;る、實際所有權なきものと契約して居るとは何ともはや呆るゝより外はないのである、此青木眞七なる者は案に違はず例の石商議員青木庄太郎の忰である、元來三千圓で買つたものを三萬七千圓に賣附けやうとするのであるから流石の青庄も多少良心に耻るものと見@069452;、己の女婿なる三崎の名義で市吏員を胡魔かしたのであるが惡い事は出來ないもので忰眞七の名義を三崎に書替へる登記の手續を横着して居つた其尻が今囘端なくも暴露たのである處が是に就てまだ面白き話がある、青木眞七なるものゝ素性が是で分つたが此眞七は一昨年病死して今は此世の人でないのである、冥土の幽靈が石山を所有して居り市役所が其また幽靈殿と取引をしなければならぬとは實に絶世の奇談である、故に今後萬祿山を稱して幽珍山と名づけたら好からう』と傍に又府會議員にして而して辯護士なる人あり、是に附して曰く『自分等が曾て府會常置委員を遣つて居た時、築港の調査を遣ることになつて、其調査方をパーマーと云ふ洋人に囑托した、それで調査に要する費用や、パーマーの俸給は何處から出すかと云ふになつて、常置委員の自辯と云ふことにした。其前彼の瓦斯局の事業は損失ばかりであるから、之を個人に移さうと云ふ拂下問題が起つた、其の時常置委員一同は、斯ふ云ふ約束を結んだ、それは世の物議を避けるため、常置委員を務めて居る連中は一切瓦斯局の株を有ぬことにしやうと云ふことにした。これは全く公益と云ふことを心靈に置いて、公共的事業をすることを名譽にして居たからである、今日の如く、議案の大小に因り賄賂の額を定めるなんて、實に驚き入つた譯だ。」、吁、本欄を讀むもの誰れか今昔の感なきを得ん乎、世は濁れり矣、時は澆季なり焉
星と刺客
星亨君は多くの腹心の乾兒を有するだけ、又頑強なる多くの敵を有したりき。其刺客伊庭想太郎の手に斃るゝや、衆議世評善惡相半す。今其遭難に就て、二三の話柄を拾へは左の如し。
東京地方裁判所豫審判事にして、彼東京市收賄事件に關聯せる醜類を押糾したる潮恆太郎君、頃日私交を以て遞信省房長仲小路廉君を訪ふ。談餘星氏横死の事に及ふや、仲小路君則ち戲れて曰く『星を殺したのは長森や君等ではないかね、若し星か其際他の長谷川や太田や峯尾や其外の醜類と一緒に訊問を受けて居たらば、斯樣ことはなかつたのであらふ、で、春龝的筆法で行くと全く君等が殺したやうなものサ、アハヽヽ』
某曰く『星を殺したものは、星の乾兒の醜類一派の先生達である。彼等にして微せばだ、星もあれほどに世人に謬れることはないのである。』傍人之を駁して曰く『否、星を殺したのは新聞である、新聞で頻りに公盜だの、魁醜だのと筆を極めて罵つたために、遂に伊庭の如き刺客を出すに至つたのである。であるから、星を殺したものは新聞であると謂はねばならぬ』と切込むや、之を調停するものあり、曰く『例令新聞が幾何謂つたからつて、若し事實無ければ更らに關ふことはないのであるが、事實有るからしては新聞と云ふよりは乾兒と云ふ方至當である』
某あり星を評して曰く『刺客の今日に於て不可なる固より然る所であるが、彼の文明を以て宇内に名ある亞米利加には、リンチなりものあつて、法律の制裁の及はない場合に之を施して居る。在昔大石内藏之助一派か吉良の邸へ討入つた如きも、固より當時の法律よりすれば犯罪行爲であるには相違ない、然れども却つて一般の人は大に之を贊して、非常なる同情を寄せた。一體刺客の可否問題は、畢竟國家の上より打算して、其人の生存が治安風教に害ある程度を以て論ずべきである。元來政治家の本領たるやだ、政治家の眼中には刑法などが恐いなどゝ云ふことがあつてはならぬ。星は栃木地方の選擧區に臨む時は、隨分亂暴を演つた、壯士を使ひ、擲る撲つ斬る殺すと云ふやうなこともやつたが、併し或る政治上の目的を達する爲めには、敢て之を遣つて可いと信じて居たらしい。况んや反對派の議員を買收する恐迫するなどは、其目的を達する星の第一の主義であつたのである。』
開書
高木益太郎足下
僕過日君と笑談の間戲れに語るに在官中の一瑣事を以てす圖らさりき本日發行の貴紙上又戲れに該瑣談を素破拔かれんとは。
素破拔かるゝ僕は饒舌の罪として自から甘ず尚可なりといへども鎗玉に揚げられし吾友某は如何にもイヽ面の皮に候。
由來僕の面の皮は御存の通り余り薄からず候得共吾友は概ね君の如く正直の人多く殊に在官の吾友は至つて謹嚴の士人に富み居候に付右樣の記事は甚だ不快に感すべく瑣談偶ま過つて百五十里外に在る吾友の靜平の煩はすに至つては衷心極めて安んじ難きもの有之茲に正誤申込候是れ小心者の本領と御笑ひ可被下候
 事實は或時或事件にて某判事と共に書記一名を其し本廳より七里斗の所に出張せし際、時日暮に瀕して車奔らず止むなく某と耳語して酒代増給の事を沙汰し漸く豫期を過らさりしも爲めに多くもあらぬ足代を車夫の酒代に分取られたりと言ふ迄の事に候
顧ふに僕唐飛なりと雖も臨檢に一足お先へ參る程の忠義心は無之又僕應揚なりと雖も同行の分迄も獨辯する程の大勇氣も無之詮する所下給法官の半圓は君等の五兩に報ゆるは實驗上確に候
乍併斯般の消息は彼無爲にして羽化復春に逢ふ底の禪味をのみ大悟せる今の波多野敬直君輩には迚も聞かしめ得べきことにあらすと被存候さるにても我司直府の深患は寔に是に在るべく御同憂此事に候若し幸に御序もあらず可然御濟度奉願候他岐に入り恐縮々々@054897;々敬具
六月念四於小石川假寓紀志蓼軒