法曹叢談
川淵檢事正の懷舊談
長森藤吉郎氏の後を襲ひて、東京地方裁判所檢事正たるものを川淵龍起君となす。記者一日君を法衙に訪ふ。寒暄の敍既に終りて、談、泰水越山の事に及ぶ。君懷舊の情禁えざるものあるが如く、徐ろに語って曰く『余も久しぶりで舊任地に來て實に感慨の情に禁えない。余が故と東京に居た時は、裁判所構成法の布かれた頃で、其時には余は檢事補であつた。其當時辯護士界で日の出の勢があつたのは角田眞平、大岡育造、林和一など云ふ人々であつたが、角田君は辯舌も却々流暢で、議諸が確乎して居た。大岡君は細い所に眼を着ける人で、種々と微瑕を摘るに妙を得て居たが、或る時斯ら云ふ事があつた。或る事件で大岡君は滔々と辯論して、最後に證據が不充分であるから、免訴の言渡あらんことを望むと謂つたから、余は是れに喰つて掛つて、治罪法には證據の不充分なるものには無罪を言渡すべき規定で、决して免訴を言渡すべきものではない。と云ふやうな議論で、盛んに論じたものだ。マア斯樣事をやつて欣んで居たものだ。一體此頃には檢察官と辯護士との間が、今日のやうに淡白して居なかつたもので、彼れ一言是れ一言と云ふやうに相方が頻りに立つて孰與でも議論の少ない方が輸けであるかのやうに思はれるかのやうな風があつた。それから林君、林君には能く泣かされたもので、其頃には少し込み入った事件であると、甚麼しても二三年はかゝる。それで被告は其間未决監に投入まれて居るから、一家は散離する、其事情を諄々と法廷で陳べ立てられる。被告は被告で泣く、傍聽席に居る一家の者どもゝ、嬰兒を懷にして居て泣いて居る。林君も泣く泣く辯論して居ると云ふやうな光景で何時となく裁判官も連れ込まれて泣き出す。檢察官も泣き出すと云ふことが幾度もあつた。イヤ甚麼もこの泣かれる程困るものはない。理屈張つて喧々と論ずるよりは、裁判は泣くに限るやうだ。アハヽヽ』と徐ろに其常時を追懷して、轉々今昔の情に禁ぜざるが如し。尚ほ語を續ぎて曰く『それが今日になつて見ると、林君は逝つて了ふ、大岡君は政治家になる、角田君は例の艷聞一件から又昔日の觀を失ふたやうである。余も久しぶり東京に來たから一番大に演つて見やうと思ふが、是れまで田舍廻りをやつて居たから、さてどふであらふかと考がへられるよ。東京は田舍と違つて、舅姑や小姑も澤山居るからね。ハヽヽ。』
高利貸は人間以外
小瀧某、松本某の二人、殘忍酷薄を以て高利貸社會の雙孃兇と呼ばる。頃者兩者間紛擾あり、訴訟を東京地方裁判所に提起して以て其曲直を爭ふ。司法官試補尾竹猛君、其訴状を一見し兩者の氏名を一睥するや、乃ち曰く『是れ無訴權なり』と、判事其意を覺らざる也。驚いて其故を推問す、君則ち曰く『原被共人類にあらず、人類以外の者の裁判は、司法裁判所の權限に屬せず』と、判事爲めに唖然(聞知生投)