論説
特別裁判籍に就て
辯護士
貸金又は賣掛金請求の訴は、原告住所地の裁判〓に之を起〓ことを得べきかに就て、餘は今之を論ぜんと欲す。
世間或は貸金請求の訴は被告住所地外の裁判所に起訴することを得ざるものと爲すものあらん、盖し普通裁判限に於ては是を以て至當なることを信ずべしと雖も、我民事訴訟法は現に普通裁判籍の外、猶ほ特別裁判籍なるものを規定したり、而して其特別裁判籍なるものは一定の人又は一定の物若くは一定の行爲に關する訴訟のみを以て管轄とす(民訴第十一條乃至二十四條)尚ほ同法第十八條には契約に關する義務履行地の裁判籍を規定したり此裁判籍の契約に基く義務に關する訴に付てのみ管轄するものとす故に契約上の給付を爲すべしとの言渡を要めんとする訴の如きは轍ち契約に基く履行を求むるの訴なるを以て本條の適用を受くるを得べき也。
夫れ貸金は、消費貸借なるを以て、其性質は即ち要物契約なり、故に貸金の返還を求むる訴は、即ち契約上の義務履行を求むるものなれは、訴訟法第十八條の裁判籍に依ることを得べし、而して此裁判籍は爭に係る義務を履行すべき地に因りて定まるものにして是れ普通裁判限と異る所以なり、而して其效用も亦た必ず并に存す。即ち普通裁判籍は被告の住所地にして、第十八條の裁判籍は爭に係る義務履行地なり、故に若し爭に形る義務履行地が被告の住所地と同一ならざるときは、被告は其地に出でゝ其訴に應ずるの義務あるなり。抑も義務履行地は、民事訴訟法中に於て是れが規定を見ずと雖も、民權及び商法は明に其規定を定めたり、彼の貸金に付ては新民法實施以前は、從來の習慣に由り債權者の住所を以て義務履行地、即ち辯濟の場所と爲し、裁判所も亦た之を認め、舊民法も亦た斯の如く規定したり(舊民四六八、同三三三)而して新民法の實施さるゝや、此慣習を改め辯濟を爲すべき場所に付き、別段の意思表示なきときは、特定物の引渡は債權發生の當時、其物の存在せし場所に於て之を爲し、其他の辯濟は、債權者の現時の住所に於て之を爲さしむるに至りたり(民四八四)、績を以て貸金に付ても、義務履行地は別段の意思表示なきときは債權者の現時の住〓たるべき也是故に辯濟地の意思表示なき貸金は、民事訴訟法第十八條民法第四百八十四條の適用に依り、債權者の住所地の裁判所に訴を起すことを得るものとす
吾輩は明治三十二年二月廿八日、東京地方裁判所に於て前顯の理由に依り、被告の管轄違の妨訴抗辯を棄却すとの判决を受けたることあり、即ち左の如し
理由
本訴 貸金に付季告が原告〓辯濟を爲すべき場所に關しては當事者間別段の意思表示なかりし事實は爭なき所なり而して債權辯濟の場所に付特約なき場合に於ては債權者は債權者の住所に於て其義務を履行すべき筋合なれば本訴は貸金に付被告が其義務を履行すべき地は原告の住所たる東京市なりと云ふべし果して然らば原告が民事訴訟法第十八條に基き當裁判所に本訴を提起し跡るは至當にして被告の妨訴抗辯は理由なきものと云ふべし依て主文の如く判决せり
明治三十二年二月二十八日
東京地方裁判所民事第二部裁判長判事 望月源次郎
判事 荒井操
判事 岩田一郎
義務履行の場所に付て、特に意思表示を爲さゞる限りは、皆此裁判籍に從つて債權者の住所地に裁判所を以て管轄せしむることを得べし
商法に從ひ裁判すべき義務履行地は、商法第二百七十八條を以て之を定めたり、同條に依れば商行爲に因りて生じたる債務の履行を爲すべき場所其行爲の性質又は當事者の意思表示に因りて、之を定めざるときは、特定物以外の義務履行は、債權者の現時の營業所を以てすべき也、若し其營業所なきときは、其住所に於て履行せしむることに規定したるを以て、商行爲に因る賣掛代金の請求の如きも、別段の意思表示なく、又商行爲の性質が之に反對せざるときは、是れ亦た債權者住所の裁判所に訴を起すことを得るもとすのとす