論説
清浦氏の刑法改正に關する意見を讀む
明治法律學校々長日佛法律學士辯護士
清浦奎吾君足下、
君は嚢に監獄協會に臨み監獄改良に關し演説する所あり言偶々刑法改正の事に及び改正の理由及其の必要を提掲し踵て磯部四郎氏の論難に遭ひ吾豈好辯哉の一篇を公にせらる君が演説の主眼は固より監獄の改良に在り其監獄の改良に熱心なるは予輩の固より贊稱措かざる所たり然れども君が之れと共に刑法改正に關する意見を訴へらるゝに至ては予輩竟に之れを稱すべき所以を知らず予輩宿昔の卑見は刑法を根帶より改正することを非とするに在り乃ち一言の疑を質す所なきを得ず是れ漫に他人の論戰に對し好事に横鎗を試みんとするに非ず又磯部氏の爲めに無用の助大刀を弄せんとするに非ず唯一片自家の主張を達せむが爲もに暫く君の言に傚ひ『吾豈好辯哉』の成語を借らん予輩の必事實に此の如し君且之を諒せよ
君は二たび司法大臣と爲りて司法部に比較的功績多く二たび法典調査會副總裁と成りて法典調査の事、君の技能に俣つ所少からざりし更に溯りて君は司法次官として將た警保局長として、司法の政に、行政警察の任に、能く共の職責を全うし、且爲に歐州に航して其智見を廣くせし所あり、又更に溯りて君は治罪法編纂の委員として殊勞を印せり之を要するに君は我局司法事務、法典編纂事務に於て、事績赫々たる有數の老練家なることは君自ら許すが如く人も亦君に許す所たり、是れ予輩が刑法改正に關する君の一言一語を以て、雲煙過眼視する能はず敢て此言ある所以なり
君は爾く老練家たり、然れども决して法律學者に非ず、又法律家にも非ず、而して刑法を根帶より改正すること、及其の是非に付ては、法律の學識を要するや論を俣たず然るに君今囘の刑法改正案に贊成の旨を屡次公表せらる、其の立言より察すれば啻に調査會副總裁たりしの故を以て贊成するのみにあらず一個の法律學者を以て自任しこれに贊成を表し當期議會に之れが通過を謀らんとするものあるが如し、予輩豈益々惑ひなきを得むや
君は我現行刑法の古きを云ひ、百年前制定の佛法に傚ひしものにして、柱礎腐朽復に修繕すべからず、故に根帶より改正するを適當なりと主張せり君の年數論は暫く措かむ、唯君が古きを厭ひ新なるを喜ぶの意や果して如何、單に新法を可とすと云ふも恐くは妄に制定の新なるを貴びて、彼の徒に新物を喜ぶ小兒の痴態を學ぶに非ずして、主義の新なるを貴ぶに在るべし、然らば則其の所謂新主義とは何ぞや想ふに古賀氏一輩の自稱する新主義、即ち殘忍峻酷主義に非ずして歐州諸學者の贊同する新主義即ちチロンブロゾー、ガロー、プリンス、リスト、ガロフアロフエリー、諸家の主唱に係る新主義なるべし、此等諸家は固より一世の碩學にして、其の新主義は古賀氏一輩の新主義と同日の談に非ず、學説として頗る研究の價値あり隨て贊同者の多きと同時に、攻撃者亦尠からず、未だ定論としては認識されしにあらず唯一個の學説と稱せらるゝに過ぎず、但だ實際に於ても刑法の或點を改正するに付き、此新主義を採用したる邦國なしとせず、彼の刑の執行猶予の制の如き即是なり然るに君は全然此等の新主義に依りて我刑法を改正するに贊成を表せし歟、若し然らば君は果して能く此新主義即ち諸家の學説を研究して、而して後に贊成せる歟、此等諸家の學説に付ては我邦未だ譯書の存するを見ず或は恐る君は好奇の後進が致せし一知半解の所設に聞き輕々之に心醉せしものに非ずや盖し此等の新主義たる學説としては固より大に趣味あるのみならず、之に依りて我刑法の或部分を改正し、又は單行法を設けて之を補充するが如き予輩も亦異議なく、寧ろ之を希望する處なれども全然此主義を採りて我刑法を根帶より改造せんとするは頗る忘斷速了の爲にして恰も之れ國民を驅り未定なる學説の犧牲と爲し、之れが試驗に供せんとする者にして學説に忠なる者として贊稱せんよりは寧ろ亦國民に冷酷なる者として排斥せざる可らず君亦擇む所を知らむ、况や我邦法官の程度は聰明君の知悉する所たるをや予は此點に關して卑見を公にせしもの既に二囘、今後多言せず唯君の地位は少壯好奇徒らに功名に急なる後進の人々と同じからず君乞ふ少しく自重して裁する所あらんことを
且夫れ一歩を讓り全部の改正を可なりと假定するも、凡そ一國の法典を改正するに付ては其間毫も鄙野陋劣の手段を奔することを得ず、宜しく豫め其の草案を天下に公表し假すに十分の時日を以てし、議員法曹其他一國官民をして攻究論評を盡くさしめ、然る後徐ろに取捨採擇する所なかる可らず堂々たる一國の政府が至重至大の法典を改正否な改造する所以、寧ろ此の如くなる可からずや、然るに今や乃ち如何嚢には日本辯護士協會は當路者に對し改正案の公示を請求せしも政府は今に至るまで未だ嘗て之を公示せず、聞く所に依れば該案は尚未定稿に屬し、修正又修正、昨今尚現に修正の筆を執りつゝありと云ふ、是れ尚可なり、修正に修正を重ね愼重事に從〓徐ろに大成を他日に期するものとせば其の用意や嘉みす可し、然れども道路の言を以てすれば、政府は必ず之を當期議會に提出すべしと云ふ、果して然らば是れ抑何の意ぞ、若し議會をして繼續委員を設け、徐ろに之を審査せしむるの心算なりせば或は可ならむ然れども若し世人の傳ふる所の如う、政略的に其案を祕し、突如として議會に提出し、議會をして咄嗟の間に盲從せしめんとするの策なりとせば其の手段果して是が非か盖し君亦自ら認むる所あらむ君は僅々三四ケ月前まで、司法大臣として、法典調査會副總裁として、此改正の事を掌られたりき故に君は曾て改正案の提出若くは公示の事に付き責任を負ふ可かりし人なり、然らば則、君は之に關する考慮の既に熟せしものあらむ、予輩與かり聞くを得んか
啻に然るもにならず君は今日と雖も、議員として此案を審査し討議するの權能と職責とを有せり、議員としての君が、此案及此案提出の方法に關する感如何、君は此改正の事を掌る既に久しきを以て、十分此案を知悉し、咄嗟の間に之を議决するも君自身としては、决して盲從を敢てするものにあらざるべしと雖も、試みに君の地位を離れ、單純なる一議員として之を想へ、突如として提出せられ、咄嗟の間に之を議决するは盲從に非ずとする歟、議員の職責を盡くせりとする歟、議會の体面を全うせりとする歟、國家民人の利害に重大の關係を有する刑法典を根帶より改造する所以の方法として、缺くる所なしとする歟、願くば君の眞面目なる答語を聞かむ、往年民法商法等浩澣の法典を以てして、政府は尚其の草案を公にし、廣く與論に問ひしことあり、但だ條約改正の期に切迫して議會を通過せしむるには豫め之を祕密にせしことあるも、是れ俚諺に所謂背に腹は換えられざる爲にして、殊に此時たる、公布後未だ實施せざる法律を改正するものに係るもにならず、議會は年所尚淺く未だ十分の慣熟を經ざりし時なるを以て、一時機宜の畧に出でしもの、必しも深く咎むるに足らず、然れども今日は全く其趣を異にし、刑法は既に二十年來の實施を經つゝある文明主義の成典にして、條約改正其他の關係ある無く、此が改正に一年二年の急を爭ふべき必要なし而して議會は既に十年以上の修養を積み今や漸く慣熟の域に在り、政府者宜しく改正案を天下に公表し、正々堂々可否を與論に問ふべし、人或は妄評俗論の紛出して事に益なく、無責任者流の爲に誤らるゝに至らんことを恐る然れども是れ固より一時の現象たるのみ、浮@018139;の忽ち消え、煙霧の自ら散ずるが如く少くとも假すに二三年の日子を以てせば、無責任者流の妄評俗論は自ら跡を斷ち、有力なる討議論難を經て、自ら歸着する所あるに至るべし、議員の如き固より盡く專門的智識を有するに非ずと雖も、亦概ね常識の發達せる人士と云はざる可らず之に與ふるに攻究の時日を以てし、之に求むるに實際的評論を以てするに於ては頗る有益なる材料を得るの望なしとせんや否な國家が議員に對する所以、及國家が此の如き大法典を改造する所以の道、宜しく此の如くならさる可らず、然るに政府者の事茲に出でず、學者を無視し與論を無視し殊に立法府の議員を無視して、咄嗟の間に盲從を策せんとす若し或は議員にして自家の權能と職責とを無視して之れに盲從したりとせば如何、他の議員縱令或は然らんとするも、前の司法大典として議員中の先學者として殊に我邦の司法事務、法典編纂事模に於ける有數の老練家としての君に在ては冷眼看過するに忍びざることたらざるを得んや或は事此の如きに際す率先他の議員を過より救ひ、輔導誘掖其道に反らしむるに勉むる實に其任にあらずや、而して今や君の言説全く之れと反す予要竊に君の爲に惑ひなきを得ず
改正てふ名や固より美なし、改正を企つる者の心事亦或は美なるべし、然れども改正の美名の下に往々改惡の事實を現することなきに非ず證者豈に漫に之れが美名に呟して盲從を事とす可けんや况んや改正を企てんとするの方法巳に鄙野陋劣にして文明政府が一國の刑法典を改正する所以のものに非ざるをや、若し此の如くにして一朝新法案の成案となるに至らんか異日我邦の法制史に録せらるべき、君竝に君の同僚たる議員諸君は史家の如何なる評論の下に立たんとする歟、乞ふらくは自家の重大なる地位と權能とに省み、反覆熟慮愼重の態度を採られんことを敢て望むに堪へず