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寺内正毅 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級從二位、勳一等、功一級
爵位・身分・家柄伯爵、舊山口藩士
職業陸軍大將、軍事參議官、朝鮮總督
性別男性
生年月日嘉永五年二月五日 (1852)
親名・続柄 宇田多庄兵衞の二男
家族妻 タキ 文久二、一一生、故貴族院議員長谷川貞雄長女
男 壽一 明一二、八生、從五位勳四等功四級陸軍步兵少佐
男 毅雄 明二五、六生
記述部分(略伝)君は舊山口藩士宇田多庄兵衞の二男にして嘉永五年二月五日を以て生れ先代寺内勘右衞門の養子となり安政六年十二月家督を相續す明治四年陸軍少尉に任し同十二年陸軍步兵少佐に昇進し同十五年佛國に留學仰付られ二十七八年戰役に際し第二軍に從つて功あり功三級金鵄勳章を賜はり爾來累進して同三十九年十一月陸軍大將に親任せらる其間陸軍士官學校大隊司令官陸軍大臣祕書官陸軍戸山學校次長陸軍士官學校長第一師團參謀長參謀本部第一局長教育總監部長參謀本部次長陸軍大學校長等に歷補し同三十五年陸軍大臣に親任せられ引續き西園寺内閣第二次桂内閣に常に陸軍大臣の職に在り同四十三年六月韓國統監を兼ぬ同年十月陸相の印綬を解き朝鮮總督となる曩に日露戰役の功に依り子爵を授けられ後伯爵に陞る
長女サワ(明一四、四生)は伯爵兒玉秀雄に四女須惠(同二三、六生)は子爵福羽逸人長男眞城に嫁せり
住所・電話番号朝鮮、京城、總督府官舍
東京、麻布、笄町一七二 電話芝五八〇
参照人物(親類)伯爵兒玉秀雄、子爵福羽逸人、※柴田家門
参照次数3 (※なし2)
読みてらうち まさたけ
別名
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